ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

原始仏典コミュの見相応  「成見の原因」3

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
(続き  『南伝大蔵経14 相応部経典3』大蔵出版 P339−347 に相当)




   第九 常見
215.サーヴァッティ因。
 比丘たちよ、何が存在し何を取り何に住することによってこのような見解が生じるのか。
 「世界は永遠である」と。
 先生、私たちは先生を法の根とし・・・先生はこう言った。

 比丘たちよ、色が存在し、色を取り・・・
 比丘たちよ、受が存在し、受を取り・・・
 比丘たちよ、想が存在し、想を取り・・・
 比丘たちよ、行が存在し、行を取り・・・
 比丘たちよ、識が存在し、識を取り、識に住することによってこのような見解が生じる。
 「世界は永遠である」と。

 ・・・色は永遠か永遠ではないか。
 ・・・受は永遠か永遠ではないか。
 ・・・想は永遠か永遠ではないか。
 ・・・行は永遠か永遠ではないか。
 ・・・識は永遠か永遠ではないか。
 ・・・所見・所聞・所思・所識・所得・所求・所意伺、これらは永遠か永遠ではないか。
 先生、永遠ではありません。
 では永遠でないものは苦か楽か。
 先生、苦です。
 では永遠でなく苦であり変化する法であるもの、それを取ることがないのにこのような見解が生じるだろうか。
 「世界は永遠である」と。
 いいえ、それはありません、先生。

 比丘たちよ、聖なる弟子がこれら六つの処において疑いを断ち、
 苦においても疑いを断ち、
 苦集においても疑いを断ち、
 苦滅においても疑いを断ち、
 苦滅に行く修行道においても疑いを立つならば、
 比丘たちよ、こう言われる。
 「聖なる弟子は流れに入った。
  堕落しない法である。
  決定した。正覚に趣く」と。


   第十 無常見
215.サーヴァッティ因。
 比丘たちよ、何が存在し何を取り何に住することによってこのような見解が生じるのか。
 「世界は永遠ではない」と。
 先生、私たちは先生を法の根とし・・・先生はこう言った。

 比丘たちよ、色が存在し、色を取り・・・
 比丘たちよ、受が存在し、受を取り・・・
 比丘たちよ、想が存在し、想を取り・・・
 比丘たちよ、行が存在し、行を取り・・・
 比丘たちよ、識が存在し、識を取り、識に住することによってこのような見解が生じる。
 「世界は永遠ではない」と。

 ・・・色は永遠か永遠ではないか。
 ・・・受は永遠か永遠ではないか。
 ・・・想は永遠か永遠ではないか。
 ・・・行は永遠か永遠ではないか。
 ・・・識は永遠か永遠ではないか。
 ・・・所見・所聞・所思・所識・所得・所求・所意伺、これらは永遠か永遠ではないか。
 先生、永遠ではありません。
 では永遠でないものは苦か楽か。
 先生、苦です。
 では永遠でなく苦であり変化する法であるもの、それを取ることがないのにこのような見解が生じるだろうか。
 「世界は永遠ではない」と。
 いいえ、それはありません、先生。

 比丘たちよ、聖なる弟子がこれら六つの処において疑いを断ち、
 苦においても疑いを断ち、
 苦集においても疑いを断ち、
 苦滅においても疑いを断ち、
 苦滅に行く修行道においても疑いを立つならば、
 比丘たちよ、こう言われる。
 「聖なる弟子は流れに入った。
  堕落しない法である。
  決定した。正覚に趣く」と。


   第十一 有限
216.サーヴァッティ因。
 比丘たちよ、何が存在し何を取り何に住することによってこのような見解が生じるのか。
 「世界は有限である」と。
 先生、私たちは先生を法の根とし・・・先生はこう言った。

 比丘たちよ、色が存在し、色を取り・・・
 比丘たちよ、受が存在し、受を取り・・・
 比丘たちよ、想が存在し、想を取り・・・
 比丘たちよ、行が存在し、行を取り・・・
 比丘たちよ、識が存在し、識を取り、識に住することによってこのような見解が生じる。
 「世界は有限である」と。

 ・・・色は永遠か永遠ではないか。
 ・・・受は永遠か永遠ではないか。
 ・・・想は永遠か永遠ではないか。
 ・・・行は永遠か永遠ではないか。
 ・・・識は永遠か永遠ではないか。
 ・・・所見・所聞・所思・所識・所得・所求・所意伺、これらは永遠か永遠ではないか。
 先生、永遠ではありません。
 では永遠でないものは苦か楽か。
 先生、苦です。
 では永遠でなく苦であり変化する法であるもの、それを取ることがないのにこのような見解が生じるだろうか。
 「世界は有限である」と。
 いいえ、それはありません、先生。

 比丘たちよ、聖なる弟子がこれら六つの処において疑いを断ち、
 苦においても疑いを断ち、
 苦集においても疑いを断ち、
 苦滅においても疑いを断ち、
 苦滅に行く修行道においても疑いを立つならば、
 比丘たちよ、こう言われる。
 「聖なる弟子は流れに入った。
  堕落しない法である。
  決定した。正覚に趣く」と。


   第十二 無限
217.サーヴァッティ因。
 比丘たちよ、何が存在し何を取り何に住することによってこのような見解が生じるのか。
 「世界は無限である」と。
 先生、私たちは先生を法の根とし・・・先生はこう言った。

 比丘たちよ、色が存在し、色を取り・・・
 比丘たちよ、受が存在し、受を取り・・・
 比丘たちよ、想が存在し、想を取り・・・
 比丘たちよ、行が存在し、行を取り・・・
 比丘たちよ、識が存在し、識を取り、識に住することによってこのような見解が生じる。
 「世界は無限である」と。

 ・・・色は永遠か永遠ではないか。
 ・・・受は永遠か永遠ではないか。
 ・・・想は永遠か永遠ではないか。
 ・・・行は永遠か永遠ではないか。
 ・・・識は永遠か永遠ではないか。
 ・・・所見・所聞・所思・所識・所得・所求・所意伺、これらは永遠か永遠ではないか。
 先生、永遠ではありません。
 では永遠でないものは苦か楽か。
 先生、苦です。
 では永遠でなく苦であり変化する法であるもの、それを取ることがないのにこのような見解が生じるだろうか。
 「世界は無限である」と。
 いいえ、それはありません、先生。

 比丘たちよ、聖なる弟子がこれら六つの処において疑いを断ち、
 苦においても疑いを断ち、
 苦集においても疑いを断ち、
 苦滅においても疑いを断ち、
 苦滅に行く修行道においても疑いを立つならば、
 比丘たちよ、こう言われる。
 「聖なる弟子は流れに入った。
  堕落しない法である。
  決定した。正覚に趣く」と。


   第十三 身体は命そのもの
218.サーヴァッティ因。
 比丘たちよ、何が存在し何を取り何に住することによってこのような見解が生じるのか。
 「身体は命そのものである」と。
 先生、私たちは先生を法の根とし・・・先生はこう言った。

 比丘たちよ、色が存在し、色を取り・・・
 比丘たちよ、受が存在し、受を取り・・・
 比丘たちよ、想が存在し、想を取り・・・
 比丘たちよ、行が存在し、行を取り・・・
 比丘たちよ、識が存在し、識を取り、識に住することによってこのような見解が生じる。
 「身体は命そのものである」と。

 ・・・色は永遠か永遠ではないか。
 ・・・受は永遠か永遠ではないか。
 ・・・想は永遠か永遠ではないか。
 ・・・行は永遠か永遠ではないか。
 ・・・識は永遠か永遠ではないか。
 ・・・所見・所聞・所思・所識・所得・所求・所意伺、これらは永遠か永遠ではないか。
 先生、永遠ではありません。
 では永遠でないものは苦か楽か。
 先生、苦です。
 では永遠でなく苦であり変化する法であるもの、それを取ることがないのにこのような見解が生じるだろうか。
 「身体は命そのものである」と。
 いいえ、それはありません、先生。

 比丘たちよ、聖なる弟子がこれら六つの処において疑いを断ち、
 苦においても疑いを断ち、
 苦集においても疑いを断ち、
 苦滅においても疑いを断ち、
 苦滅に行く修行道においても疑いを立つならば、
 比丘たちよ、こう言われる。
 「聖なる弟子は流れに入った。
  堕落しない法である。
  決定した。正覚に趣く」と。


   第十四 身体と命は別々のもの
219.サーヴァッティ因。
 比丘たちよ、何が存在し何を取り何に住することによってこのような見解が生じるのか。
 「身体と命は別々のものである」と。
 先生、私たちは先生を法の根とし・・・先生はこう言った。

 比丘たちよ、色が存在し、色を取り・・・
 比丘たちよ、受が存在し、受を取り・・・
 比丘たちよ、想が存在し、想を取り・・・
 比丘たちよ、行が存在し、行を取り・・・
 比丘たちよ、識が存在し、識を取り、識に住することによってこのような見解が生じる。
 「身体と命は別々のものである」と。

 ・・・色は永遠か永遠ではないか。
 ・・・受は永遠か永遠ではないか。
 ・・・想は永遠か永遠ではないか。
 ・・・行は永遠か永遠ではないか。
 ・・・識は永遠か永遠ではないか。
 ・・・所見・所聞・所思・所識・所得・所求・所意伺、これらは永遠か永遠ではないか。
 先生、永遠ではありません。
 では永遠でないものは苦か楽か。
 先生、苦です。
 では永遠でなく苦であり変化する法であるもの、それを取ることがないのにこのような見解が生じるだろうか。
 「身体と命は別々のものである」と。
 いいえ、それはありません、先生。

 比丘たちよ、聖なる弟子がこれら六つの処において疑いを断ち、
 苦においても疑いを断ち、
 苦集においても疑いを断ち、
 苦滅においても疑いを断ち、
 苦滅に行く修行道においても疑いを立つならば、
 比丘たちよ、こう言われる。
 「聖なる弟子は流れに入った。
  堕落しない法である。
  決定した。正覚に趣く」と。


   第十五 如来は死後存在する
220.サーヴァッティ因。
 比丘たちよ、何が存在し何を取り何に住することによってこのような見解が生じるのか。
 「如来は死後存在する」と。
 先生、私たちは先生を法の根とし・・・先生はこう言った。

 比丘たちよ、色が存在し、色を取り・・・
 比丘たちよ、受が存在し、受を取り・・・
 比丘たちよ、想が存在し、想を取り・・・
 比丘たちよ、行が存在し、行を取り・・・
 比丘たちよ、識が存在し、識を取り、識に住することによってこのような見解が生じる。
 「如来は死後存在する」と。

 ・・・色は永遠か永遠ではないか。
 ・・・受は永遠か永遠ではないか。
 ・・・想は永遠か永遠ではないか。
 ・・・行は永遠か永遠ではないか。
 ・・・識は永遠か永遠ではないか。
 ・・・所見・所聞・所思・所識・所得・所求・所意伺、これらは永遠か永遠ではないか。
 先生、永遠ではありません。
 では永遠でないものは苦か楽か。
 先生、苦です。
 では永遠でなく苦であり変化する法であるもの、それを取ることがないのにこのような見解が生じるだろうか。
 「如来は死後存在する」と。
 いいえ、それはありません、先生。

 比丘たちよ、聖なる弟子がこれら六つの処において疑いを断ち、
 苦においても疑いを断ち、
 苦集においても疑いを断ち、
 苦滅においても疑いを断ち、
 苦滅に行く修行道においても疑いを立つならば、
 比丘たちよ、こう言われる。
 「聖なる弟子は流れに入った。
  堕落しない法である。
  決定した。正覚に趣く」と。


   第十六 如来は死後存在しない
221.サーヴァッティ因。
 比丘たちよ、何が存在し何を取り何に住することによってこのような見解が生じるのか。
 「如来は死後存在しない」と。
 先生、私たちは先生を法の根とし・・・先生はこう言った。

 比丘たちよ、色が存在し、色を取り・・・
 比丘たちよ、受が存在し、受を取り・・・
 比丘たちよ、想が存在し、想を取り・・・
 比丘たちよ、行が存在し、行を取り・・・
 比丘たちよ、識が存在し、識を取り、識に住することによってこのような見解が生じる。
 「如来は死後存在しない」と。

 ・・・色は永遠か永遠ではないか。
 ・・・受は永遠か永遠ではないか。
 ・・・想は永遠か永遠ではないか。
 ・・・行は永遠か永遠ではないか。
 ・・・識は永遠か永遠ではないか。
 ・・・所見・所聞・所思・所識・所得・所求・所意伺、これらは永遠か永遠ではないか。
 先生、永遠ではありません。
 では永遠でないものは苦か楽か。
 先生、苦です。
 では永遠でなく苦であり変化する法であるもの、それを取ることがないのにこのような見解が生じるだろうか。
 「如来は死後存在しない」と。
 いいえ、それはありません、先生。

 比丘たちよ、聖なる弟子がこれら六つの処において疑いを断ち、
 苦においても疑いを断ち、
 苦集においても疑いを断ち、
 苦滅においても疑いを断ち、
 苦滅に行く修行道においても疑いを立つならば、
 比丘たちよ、こう言われる。
 「聖なる弟子は流れに入った。
  堕落しない法である。
  決定した。正覚に趣く」と。


   第十七 如来は死後存在すると同時に存在しない
222.サーヴァッティ因。
 比丘たちよ、何が存在し何を取り何に住することによってこのような見解が生じるのか。
 「如来は死後存在すると同時に存在しない」と。
 先生、私たちは先生を法の根とし・・・先生はこう言った。

 比丘たちよ、色が存在し、色を取り・・・
 比丘たちよ、受が存在し、受を取り・・・
 比丘たちよ、想が存在し、想を取り・・・
 比丘たちよ、行が存在し、行を取り・・・
 比丘たちよ、識が存在し、識を取り、識に住することによってこのような見解が生じる。
 「如来は死後存在すると同時に存在しない」と。

 ・・・色は永遠か永遠ではないか。
 ・・・受は永遠か永遠ではないか。
 ・・・想は永遠か永遠ではないか。
 ・・・行は永遠か永遠ではないか。
 ・・・識は永遠か永遠ではないか。
 ・・・所見・所聞・所思・所識・所得・所求・所意伺、これらは永遠か永遠ではないか。
 先生、永遠ではありません。
 では永遠でないものは苦か楽か。
 先生、苦です。
 では永遠でなく苦であり変化する法であるもの、それを取ることがないのにこのような見解が生じるだろうか。
 「如来は死後存在すると同時に存在しない」と。
 いいえ、それはありません、先生。

 比丘たちよ、聖なる弟子がこれら六つの処において疑いを断ち、
 苦においても疑いを断ち、
 苦集においても疑いを断ち、
 苦滅においても疑いを断ち、
 苦滅に行く修行道においても疑いを立つならば、
 比丘たちよ、こう言われる。
 「聖なる弟子は流れに入った。
  堕落しない法である。
  決定した。正覚に趣く」と。


   第十八 如来は死後存在するのでもなく存在しないのでもない
223.サーヴァッティ因。
 比丘たちよ、何が存在し何を取り何に住することによってこのような見解が生じるのか。
 「如来は死後存在するのでもなく存在しないのでもない」と。
 先生、私たちは先生を法の根とし・・・先生はこう言った。

 比丘たちよ、色が存在し、色を取り・・・
 比丘たちよ、受が存在し、受を取り・・・
 比丘たちよ、想が存在し、想を取り・・・
 比丘たちよ、行が存在し、行を取り・・・
 比丘たちよ、識が存在し、識を取り、識に住することによってこのような見解が生じる。
 「如来は死後存在するのでもなく存在しないのでもない」と。

 ・・・色は永遠か永遠ではないか。
 ・・・受は永遠か永遠ではないか。
 ・・・想は永遠か永遠ではないか。
 ・・・行は永遠か永遠ではないか。
 ・・・識は永遠か永遠ではないか。
 ・・・所見・所聞・所思・所識・所得・所求・所意伺、これらは永遠か永遠ではないか。
 先生、永遠ではありません。
 では永遠でないものは苦か楽か。
 先生、苦です。
 では永遠でなく苦であり変化する法であるもの、それを取ることがないのにこのような見解が生じるだろうか。
 「如来は死後存在するのでもなく存在しないのでもない」と。
 いいえ、それはありません、先生。

 比丘たちよ、聖なる弟子がこれら六つの処において疑いを断ち、
 苦においても疑いを断ち、
 苦集においても疑いを断ち、
 苦滅においても疑いを断ち、
 苦滅に行く修行道においても疑いを立つならば、
 比丘たちよ、こう言われる。
 「聖なる弟子は流れに入った。
  堕落しない法である。
  決定した。正覚に趣く」と。

                     預流品 十八記別 終

   その頌
    風とこれは私のもの、これは私と私もなくなる
    存在しないと為されたものと原因、大見の八。
    世界は永遠と永遠でないと有限
    無限と身体は命そのもの
    身体と命は別々のものと
    如来は死後に存在するしない
    [如来は死後に存在し同時に存在しない]
    如来は死後に存在するのでもなく存在しないのでもない





(続く  『南伝大蔵経14 相応部経典3』大蔵出版 P339−347 に相当)

コメント(3)

中道(マッジマ・パティパダー)については初転法輪のときが一番ダイレクトに説法していますので、引用します。


「比丘たちよ、世に二辺(二つのもの)がある。出家者は親近すべきではない。何を二と為すのか。
 (一に)諸欲に愛欲貪著を事とするのは、下劣、卑賤であって凡夫の所行である。賢聖ではない。無義相応(利益なし)である。
 (二に)自ら煩苦を事とするのは苦にして賢聖ではない。無義相応である。
 比丘たちよ、如来はこの二辺を捨てて中道を現等覚した。これは眼を生じ、寂静・證智・等覚・涅槃に資する。
 比丘たちよ、何を如来が現等覚したところの、眼を生じ、寂静・證智・等覚・涅槃に資する中道と為すのか。これ即ち、八聖道である。つまり、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定である。
 比丘たちよ、これを如来が現等覚したところの、眼を生じ、寂静・證智・等覚・涅槃に資する中道と為す。
 比丘たちよ、苦聖諦(苦しみという聖なる真理)とはこれである。生は苦である、病は苦である、死は苦である、怨憎するものに会うのは苦である、愛するものと別離するのは苦である、求めて得られないのは苦である、略説するに五取蘊は苦である。
 比丘たちよ、苦集聖諦(苦しみの原因という聖なる真理)とはこれである。後の有をもたらし、喜貪倶行(喜びと貪りを伴う行)にして随所に歓喜する渇愛(タンハー)である。つまり、欲愛・有愛・無有愛である。
 比丘たちよ、苦滅聖諦(苦しみの消滅という聖なる真理)とはこれである。この渇愛を余りなく離れ滅し、棄捨し、定棄し、解脱して執着がないことである。
 比丘たちよ、苦滅道聖諦(苦しみの消滅にいたる道という聖なる真理)とはこれである。八聖道である。つまり正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定である。」
 参考:トピック「ゴータマ伝2」
  http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=25094422&comm_id=951429




中道=聖八支道ということでよいと思います。具体的に聖八支道の修行法というのは定式通り、「四諦知・三善思・三善業・四善語・正命・四正勤・四念処・四禅那」です。

 参考:大念処経
   http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=28198584&comm_id=951429


四諦を知ることがやはり一番大事だと思います。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

原始仏典 更新情報

原始仏典のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング