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原始仏典コミュのヴァッチャ家相応 「成見の原因」

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(『南伝大蔵経14 相応部経典3』大蔵出版 P418−428 に相当)


相応部経典>第3 犍度篇



     第十二 ヴァッチャ家相応[ヴァッチャゴッタ・サンユッタ]

   第一 色の無知[知:ニャーナ ñāṇa)
607.あるとき先生はサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカの園に住んでいた。。そのときヴァッチャ家の遍歴者は先生を訪ねた。訪ねて先生と互いに挨拶した。挨拶して記憶すべき会話を交わして一方に座った。一方に座ったヴァッチャ家の遍歴者は先生にこう言った。
 卿ゴータマ、何を原因とし何を縁として、様々な見解に達することが世間に生じるのか。
 世間は常である、とか
 世間は無常である、とか
 世間は有限である、とか
 世間は無限である、とか
 命は身体そのものである、とか
 命と身体は別々のものである、とか
 如来は死後に存在する、とか
 如来は死後に存在しない、とか
 如来は死後に存在すると同時に存在しない、とか
 如来は死後に存在するのでもなく存在しないのでもない、とか。
 ヴァッチャ、色を知らず、色の集を知らず、色の滅を知らず、色の滅に行く道跡を知らないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。
 世間は常である、とか
 世間は無常である、とか
 世間は有限である、とか
 世間は無限である、とか
 命は身体そのものである、とか
 命と身体は別々のものである、とか
 如来は死後に存在する、とか
 如来は死後に存在しない、とか
 如来は死後に存在すると同時に存在しない、とか
 如来は死後に存在するのでもなく存在しないのでもない、とか。
 ヴァッチャ、これを原因としこれを縁として、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。
 世間は常である、とか
 世間は無常である、とか
 世間は有限である、とか
 世間は無限である、とか
 命は身体そのものである、とか
 命と身体は別々のものである、とか
 如来は死後に存在する、とか
 如来は死後に存在しない、とか
 如来は死後に存在すると同時に存在しない、とか
 如来は死後に存在するのでもなく存在しないのでもない、とか。

   第二 受の無知
608.サーヴァッティ因。一方に座ったヴァッチャ家の遍歴者は先生にこう言った。
 卿ゴータマ、何を原因とし何を縁として、様々な見解に達することが世間に生じるのか。
 世間は常である、とか・・・・・・如来は死後に存在するのでもなく存在しないのでもない、とか。
 ヴァッチャ、受を知らず、受の集を知らず、受の滅を知らず、受の滅に行く道跡を知らないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。
 世間は常である、とか・・・・・・如来は死後に存在するのでもなく存在しないのでもない、とか。
 ヴァッチャ、これを原因としこれを縁として、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。
 世間は常である、とか・・・・・・如来は死後に存在するのでもなく存在しないのでもない、とか。
 
   第三 想の無知
609.サーヴァッティ因。一方に座ったヴァッチャ家の遍歴者は先生にこう言った。
 卿ゴータマ、何を原因とし何を縁として、様々な見解に達することが世間に生じるのか。・・・・・・
 ヴァッチャ、想を知らず、想の集を知らず、想の滅を知らず、想の滅に行く道跡を知らないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・
 ヴァッチャ、これを原因としこれを縁として、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・

   第四 行の無知
610.サーヴァッティ因。一方に座ったヴァッチャ家の遍歴者は先生にこう言った。
 卿ゴータマ、何を原因とし何を縁として、様々な見解に達することが世間に生じるのか。・・・・・・
 ヴァッチャ、行を知らず、行の集を知らず、行の滅を知らず、行の滅に行く道跡を知らないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・
 ヴァッチャ、これを原因としこれを縁として、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・

   第五 識の無知
611.サーヴァッティ因。一方に座ったヴァッチャ家の遍歴者は先生にこう言った。
 卿ゴータマ、何を原因とし何を縁として、様々な見解に達することが世間に生じるのか。・・・・・・
 ヴァッチャ、識を知らず、識の集を知らず、識の滅を知らず、識の滅に行く道跡を知らないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・
 ヴァッチャ、これを原因としこれを縁として、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。
 世間は常である、とか
 世間は無常である、とか
 世間は有限である、とか
 世間は無限である、とか
 命は身体そのものである、とか
 命と身体は別々のものである、とか
 如来は死後に存在する、とか
 如来は死後に存在しない、とか
 如来は死後に存在すると同時に存在しない、とか
 如来は死後に存在するのでもなく存在しないのでもない、とか。
 
   第六−十 色を見ない五十[見る:ダッサナ dassana]
612−616.サーヴァッティ因。一方に座ったヴァッチャ家の遍歴者は先生にこう言った。
 卿ゴータマ、何を原因とし何を縁として、様々な見解に達することが世間に生じるのか。・・・・・・
 ヴァッチャ、色を見ず、色の集を見ず、色の滅を見ず、色の滅に行く道跡を見ないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・
 ヴァッチャ、これを原因としこれを縁として、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・
 ・・・受を見ず、受の集を見ず、受の滅を見ず、受の滅に行く道跡を見ないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・
 ・・・想を見ず、想の集を見ず、想の滅を見ず、想の滅に行く道跡を見ないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・
 ・・・行を見ず、行の集を見ず、行の滅を見ず、行の滅に行く道跡を見ないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・
 ・・・識を見ず、識の集を見ず、識の滅を見ず、識の滅に行く道跡を見ないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。
 ヴァッチャ、これを原因としこれを縁として、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。
 世間は常である、とか
 世間は無常である、とか
 世間は有限である、とか
 世間は無限である、とか
 命は身体そのものである、とか
 命と身体は別々のものである、とか
 如来は死後に存在する、とか
 如来は死後に存在しない、とか
 如来は死後に存在すると同時に存在しない、とか
 如来は死後に存在するのでもなく存在しないのでもない、とか。 
 
   第十一−十五 色を理解しない五十[理解する:アビサマヤ abhisamaya]
617−621.サーヴァッティ因。一方に座ったヴァッチャ家の遍歴者は先生にこう言った。
 卿ゴータマ、何を原因とし何を縁として、様々な見解に達することが世間に生じるのか。・・・・・・
 ヴァッチャ、色を理解せず、色の集を理解せず・・・
 ・・・受を理解せず、受の集を理解せず・・・
 ・・・想を理解せず、想の集を理解せず・・・
 ・・・行を理解せず、行の集を理解せず・・・
 ・・・識を理解せず、識の集を理解せず、識の滅を理解せず、識の滅に行く道跡を理解しないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・

   第十六−二〇 色を覚らない五十[覚る:アヌボーダ anubodha]
622−626.サーヴァッティ因。一方に座ったヴァッチャ家の遍歴者は先生にこう言った。
 卿ゴータマ、何を原因とし何を縁として、様々な見解に達することが世間に生じるのか。・・・・・・
 ヴァッチャ、色を覚らず、色の集を覚らず・・・
 ・・・受を覚らず、受の集を覚らず・・・
 ・・・想を覚らず、想の集を覚らず・・・
 ・・・行を覚らず、行の集を覚らず・・・
 ・・・識を覚らず、識の集を覚らず、識の滅を覚らず、識の滅に行く道跡を覚らないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・

   第二十一−第二十五 色に通達しない五十[通達:パティヴェーダ paṭivedha]
627−631.サーヴァッティ因。一方に座ったヴァッチャ家の遍歴者は先生にこう言った。
 卿ゴータマ、何を原因とし何を縁として、様々な見解に達することが世間に生じるのか。・・・・・・
 ヴァッチャ、色に通達せず、色の集に通達せず・・・
 ・・・受に通達せず、受の集に通達せず・・・
 ・・・想に通達せず、想の集に通達せず・・・
 ・・・行に通達せず、行の集に通達せず・・・
 ・・・識に通達せず、識の集に通達せず、識の滅に通達せず、識の滅に行く道跡に通達しないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・

   第二十六−第三十 色を観察しない五十[観察:サラッカナー sallakkhaṇā]
632−636.サーヴァッティ因。一方に座ったヴァッチャ家の遍歴者は先生にこう言った。
 卿ゴータマ、何を原因とし何を縁として、様々な見解に達することが世間に生じるのか。・・・・・・
 ヴァッチャ、色を観察せず、色の集を観察せず・・・
 ・・・受を観察せず、受の集を観察せず・・・
 ・・・想を観察せず、想の集を観察せず・・・
 ・・・行を観察せず、行の集を観察せず・・・
 ・・・識を観察せず、識の集を観察せず、識の滅を観察せず、識の滅に行く道跡を観察しないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・

   第三十一−第三十五 色をよく観察しない五十[よく観察する:ウパラッカナー upalakkhaṇā]
637−641.サーヴァッティ因。一方に座ったヴァッチャ家の遍歴者は先生にこう言った。
 卿ゴータマ、何を原因とし何を縁として、様々な見解に達することが世間に生じるのか。・・・・・・
 ヴァッチャ、色をよく観察せず、色の集をよく観察せず・・・
 ・・・受をよく観察せず、受の集をよく観察せず・・・
 ・・・想をよく観察せず、想の集をよく観察せず・・・
 ・・・行をよく観察せず、行の集をよく観察せず・・・
 ・・・識をよく観察せず、識の集をよく観察せず、識の滅をよく観察せず、識の滅に行く道跡をよく観察しないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・

   第三十六−第四十 色を実際によく観察しない五十[実際によく観察する:パッチュパラッカナー paccupalakkhaṇā]
642−646.サーヴァッティ因。一方に座ったヴァッチャ家の遍歴者は先生にこう言った。
 卿ゴータマ、何を原因とし何を縁として、様々な見解に達することが世間に生じるのか。・・・・・・
 ヴァッチャ、色を実際によく観察せず、色の集を実際によく観察せず・・・
 ・・・受を実際によく観察せず、受の集を実際によく観察せず・・・
 ・・・想を実際によく観察せず、想の集を実際によく観察せず・・・
 ・・・行を実際によく観察せず、行の集を実際によく観察せず・・・
 ・・・識を実際によく観察せず、識の集を実際によく観察せず、識の滅を実際によく観察せず、識の滅に行く道跡を実際によく観察しないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・

   第四十一−第四十五 色を正しく認識しない五十[正しく認識する:サマペッカナー samapekkhaṇā]
647−651.サーヴァッティ因。一方に座ったヴァッチャ家の遍歴者は先生にこう言った。
 卿ゴータマ、何を原因とし何を縁として、様々な見解に達することが世間に生じるのか。・・・・・・
 ヴァッチャ、色を正しく認識せず、色の集を正しく認識せず・・・
 ・・・受を正しく認識せず、受の集を正しく認識せず・・・
 ・・・想を正しく認識せず、想の集を正しく認識せず・・・
 ・・・行を正しく認識せず、行の集を正しく認識せず・・・
 ・・・識を正しく認識せず、識の集を正しく認識せず、識の滅を正しく認識せず、識の滅に行く道跡を正しく認識しないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・

   第四十六−第五十 色を実際に認識しない五十[実際に認識する:パッチュペッカナー paccupekkhaṇā]
652−656.サーヴァッティ因。一方に座ったヴァッチャ家の遍歴者は先生にこう言った。
 卿ゴータマ、何を原因とし何を縁として、様々な見解に達することが世間に生じるのか。・・・・・・
 ヴァッチャ、色を実際に認識せず、色の集を実際に認識せず・・・
 ・・・受を実際に認識せず、受の集を実際に認識せず・・・
 ・・・想を実際に認識せず、想の集を実際に認識せず・・・
 ・・・行を実際に認識せず、行の集を実際に認識せず・・・
 ・・・識を実際に認識せず、識の集を実際に認識せず、識の滅を実際に認識せず、識の滅に行く道跡を実際に認識しないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。・・・・・・

   第五十一−第五十四 色を確認することを為さない四十[確認することを為さない:パッチャッカカンマー paccakkhakammā、現に見られる業]
657−660.サーヴァッティ因。一方に座ったヴァッチャ家の遍歴者は先生にこう言った。
 卿ゴータマ、何を原因とし何を縁として、様々な見解に達することが世間に生じるのか。・・・・・・
 ヴァッチャ、色を確認することを為さず、色の集を確認することを為さず・・・
 ・・・受を確認することを為さず、受の集を確認することを為さず・・・
 ・・・想を確認することを為さず、想の集を確認することを為さず・・・
 ・・・行を確認することを為さず、行の集を確認することを為さず・・・

   第五十五 識を確認することを為さない
661.サーヴァッティ因。
 卿ゴータマ、何を原因とし何を縁として、様々な見解に達することが世間に生じるのか。
 世間は常である、とか
 世間は無常である、とか
 世間は有限である、とか
 世間は無限である、とか
 命は身体そのものである、とか
 命と身体は別々のものである、とか
 如来は死後に存在する、とか
 如来は死後に存在しない、とか
 如来は死後に存在すると同時に存在しない、とか
 如来は死後に存在するのでもなく存在しないのでもない、とか。
 ヴァッチャ、識を確認することを為さず、識の集を確認することを為さず、識の滅を確認することを為さず、識の滅に行く道跡を確認することを為さないがゆえに、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。
 世間は常である、とか
 世間は無常である、とか
 世間は有限である、とか
 世間は無限である、とか
 命は身体そのものである、とか
 命と身体は別々のものである、とか
 如来は死後に存在する、とか
 如来は死後に存在しない、とか
 如来は死後に存在すると同時に存在しない、とか
 如来は死後に存在するのでもなく存在しないのでもない、とか。
 ヴァッチャ、これを原因としこれを縁として、このようにこれら様々な見解に達することが世間に生じる。
 世間は常である、とか
 世間は無常である、とか
 世間は有限である、とか
 世間は無限である、とか
 命は身体そのものである、とか
 命と身体は別々のものである、とか
 如来は死後に存在する、とか
 如来は死後に存在しない、とか
 如来は死後に存在すると同時に存在しない、とか
 如来は死後に存在するのでもなく存在しないのでもない、とか。

                    ヴァッチャ家相応  終

   その頌
    無知と無見、無理解と無覚
    無通達と無観察、無近観察と無対近観察
    無正認識と無対認識、無現見業。

     (『南伝大蔵経14 相応部経典3』大蔵出版 P418−428 に相当)



01.知 ñāṇa   「知」、智
02.見 dassana 「見」
03.理解 abhisamayā 「現観」
04.覚る anubodhā 「了悟」
05.通達 paṭivedhā 「通達」
06.観察 sallakkhaṇā 「等観」
07.よく観察 upalakkhaṇā 「随観」
08.実際によく観察 paccupalakkhaṇā 「近観」
09.正しく認識 samapekkhaṇā 「等察」
10.実際に認識 paccupekkhaṇā 「近察」
11.確認することを為す paccakkhakammanti 「現見」
   paccakkha は pati akkha(眼)で眼に対すること、
   伝統的に「現に見られる、現見」と訳される。
   これを「確認すること」と意訳。それをkammati為すとしました。



     ヴァッチャ家相応   完

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