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原始仏典コミュのモッガーラナ相応1 四禅那と四無色と無相心三摩地

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(『南伝大蔵経15 相応部経典4』大蔵出版 P405−426 に相当)



相応部経典>六処篇



     第六 モッガーラナ相応

   第一 初禅所問
332.あるとき尊者マハーモッガーラナはサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカの園に住んでいた。そのとき尊者マハーモッガーラナは比丘たちに「友、比丘たちよ」と呼びかけた。その比丘たちは尊者マハーモッガーラナに「友よ」と応えた。尊者マハーモッガーラナはこう言った。
 友らよ、ここに私は独りになって黙想していてこのような心の考えが生じた。「第一の禅那、第一の禅那」と言われる。何が第一の禅那か。
 友らよ、その私にこうあった。「ここに比丘は欲を離れ、不善法を離れて、尋有り、伺有り、遠離により生じる喜と楽がある第一禅那を具足して住する。これが第一の禅那と言われる」と。
 友らよ、その私は欲を離れ、不善法を離れて、尋有り、伺有り、遠離により生じる喜と楽がある第一禅那を具足して住した。
 友らよ、その私がこの住によって住していると、欲を倶行した想作意が現起した。
 友らよ、そこで先生は神通によって私を訪ねてこう言った。「モッガーラナ、モッガーラナ。婆羅門よ、第一禅那を放逸にしてはならない、第一禅那に心を確立しなさい、第一禅那に心を一境に作しなさい、第一禅那に心を三摩地させなさい」。
 友らよ、その私は後の時になって欲を離れ、不善法を離れて、尋有り、伺有り、遠離により生じる喜と楽がある第一禅那を具足して住した。
 友らよ、正しく語る者が「師に援助される弟子は大勝智(マハーアビンニャー)に達する」と言うならば、その正しく語る者は私についてそう言うのである。「師に援助される弟子は大勝智に達する」と。


   第二 第二禅所問
333.「第二の禅那、第二の禅那」と言われる。何が第二の禅那か。
 友らよ、その私にこうあった。「ここに比丘は尋伺が寂静になることにより、内に歓喜し、心が一境となり、無尋無伺にして三摩地より生じる喜と楽がある第二禅那を具足して住する。これが第二の禅那と言われる」と。
 友らよ、その私は尋伺が寂静になることにより、内に歓喜し、心が一境となり、無尋無伺にして三摩地より生じる喜と楽がある第二禅那を具足して住した。
 友らよ、その私がこの住によって住していると、尋を倶行した想作意が現起した。
 友らよ、そこで先生は神通によって私を訪ねてこう言った。「モッガーラナ、モッガーラナ。婆羅門よ、第二禅那を放逸にしてはならない、第二禅那に心を確立しなさい、第二禅那に心を一境に作しなさい、第二禅那に心を三摩地させなさい」。
 友らよ、その私は後の時になって尋伺が寂静になることにより、内に歓喜し、心が一境となり、無尋無伺にして三摩地より生じる喜と楽がある第二禅那を具足して住した。
 友らよ、もし正しく語る者が「師に援助される弟子は大勝智に達する」と言うならば、その正しく語る者は私についてそう言うのである。「師に援助される弟子は大勝智に達する」と。


   第三 第三禅所問
334.「第三の禅那、第三の禅那」と言われる。何が第三の禅那か。
 友らよ、その私にこうあった。「ここに比丘は喜を離貪し、捨に住し、念じて自覚し、楽を身に感受し、聖者たちが「捨てる者、念じる者、楽に住する者」と名付けるところの第三禅那を具足して住する。これが第三の禅那と言われる」と。
 友らよ、その私は喜を離貪し、捨に住し、念じて自覚し、楽を身に感受し、聖者たちが「捨てる者、念じる者、楽に住する者」と名付けるところの第三禅那を具足して住した。
 友らよ、その私がこの住によって住していると、喜を倶行した想作意が現起した。
 友らよ、そこで先生は神通によって私を訪ねてこう言った。「モッガーラナ、モッガーラナ。婆羅門よ、第三禅那を放逸にしてはならない、第三禅那に心を確立しなさい、第三禅那に心を一境に作しなさい、第三禅那に心を三摩地させなさい」。
 友らよ、その私は後の時になって喜を離貪し、捨に住し、念じて自覚し、楽を身に感受し、聖者たちが「捨てる者、念じる者、楽に住する者」と名付けるところの第三禅那を具足して住した。
 友らよ、もし正しく語る者が「師に援助される弟子は大勝智に達する」と言うならば、その正しく語る者は私についてそう言うのである。「師に援助される弟子は大勝智に達する」と。


   第四 第四禅所問
335.「第四の禅那、第四の禅那」と言われる。何が第四の禅那か。
 友らよ、その私にこうあった。「ここに比丘は楽をも断ち、苦をも断ち、先において喜と憂を滅したことにより、不苦不楽であり、捨にして念があり完全に清浄(捨念遍浄)である第四禅那を具足して住する。これが第四の禅那と言われる」と。
 友らよ、その私は楽をも断ち、苦をも断ち、先において喜と憂を滅したことにより、不苦不楽であり、捨にして念があり完全に清浄である第四禅那を具足して住した。
 友らよ、その私がこの住によって住していると、楽を倶行した想作意が現起した。
 友らよ、そこで先生は神通によって私を訪ねてこう言った。「モッガーラナ、モッガーラナ。婆羅門よ、第四禅那を放逸にしてはならない、第四禅那に心を確立しなさい、第四禅那に心を一境に作しなさい、第四禅那に心を三摩地させなさい」。
 友らよ、その私は後の時になって楽をも断ち、苦をも断ち、先において喜と憂を滅したことにより、不苦不楽であり、捨にして念があり完全に清浄である第四禅那を具足して住した。
 友らよ、もし正しく語る者が「師に援助される弟子は大勝智に達する」と言うならば、その正しく語る者は私についてそう言うのである。「師に援助される弟子は大勝智に達する」と。


   第四 空無辺処所問
336.「空無辺処、空無辺処」と言われる。何が空無辺処か。(虚空を意味するアーカーサで、色即是空のスンニャーとは別語)
 友らよ、その私にこうあった。「ここに比丘は一切の色想を超越し、障害想(瞋恚想)を滅し、種々想を作意しないことにより、『無辺の虚空がある(アナンタ・アーカーサ)』と、空無辺処を具足して住する。これが空無辺処と言われる」と。
 友らよ、その私は一切の色想を超越し、障害想を滅し、種々想を作意しないことにより、「無辺の虚空がある」と、空無辺処を具足して住した。
 友らよ、その私がこの住によって住していると、色を倶行した想作意が現起した。
 友らよ、そこで先生は神通によって私を訪ねてこう言った。「モッガーラナ、モッガーラナ。婆羅門よ、空無辺処を放逸にしてはならない、空無辺処に心を確立しなさい、空無辺処に心を一境に作しなさい、空無辺処に心を三摩地させなさい」。
 友らよ、その私は後の時になって一切の色想を超越し、障害想を滅し、種々想を作意しないことにより、「無辺の虚空がある」と、空無辺処を具足して住した。
 友らよ、もし正しく語る者が「師に援助される弟子は大勝智に達する」と言うならば、その正しく語る者は私についてそう言うのである。「師に援助される弟子は大勝智に達する」と。


   第六 識無辺処所問
337.「識無辺処、識無辺処」と言われる。何が識無辺処か。
 友らよ、その私にこうあった。「ここに比丘は一切の空無辺処を超越し、『無辺の識がある(アナンタ・ヴィンニャーナ)』と識無辺処を具足して住する。これが識無辺処と言われる」と。
 友らよ、その私は一切の空無辺処を超越し、「無辺の識がある」と識無辺処を具足して住した。
 友らよ、その私がこの住によって住していると、空無辺処を倶行した想作意が現起した。
 友らよ、そこで先生は神通によって私を訪ねてこう言った。「モッガーラナ、モッガーラナ。婆羅門よ、識無辺処を放逸にしてはならない、識無辺処に心を確立しなさい、識無辺処に心を一境に作しなさい、識無辺処に心を三摩地させなさい」。
 友らよ、その私は後の時になって一切の空無辺処を超越し、「無辺の識がある」と識無辺処を具足して住した。
 友らよ、もし正しく語る者が「師に援助される弟子は大勝智に達する」と言うならば、その正しく語る者は私についてそう言うのである。「師に援助される弟子は大勝智に達する」と。


   第七 無所有処所問
338.「無所有処、無所有処」と言われる。何が無所有処か。
 友らよ、その私にこうあった。「ここに比丘は一切の識無辺処を超越し、「何も無い(ナッティ[無い]・キンチ[何も])」と無所有処を具足して住する。これが無所有処と言われる」と。
 友らよ、その私は一切の識無辺処を超越し、「何も無い」と無所有処を具足して住した。
 友らよ、その私がこの住によって住していると、識無辺処を倶行した想作意が現起した。
 友らよ、そこで先生は神通によって私を訪ねてこう言った。「モッガーラナ、モッガーラナ。婆羅門よ、無所有処を放逸にしてはならない、無所有処に心を確立しなさい、無所有処に心を一境に作しなさい、無所有処に心を三摩地させなさい」。
 友らよ、その私は後の時になって一切の識無辺処を超越し、「何も無い」と無所有処を具足して住した。
 友らよ、もし正しく語る者が「師に援助される弟子は大勝智に達する」と言うならば、その正しく語る者は私についてそう言うのである。「師に援助される弟子は大勝智に達する」と。


   第八 非想非非想処所問
339.「非想非非想処、非想非非想処」と言われる。何が非想非非想処か。(想いに非ず、非想にも非ずの処)
 友らよ、その私にこうあった。「ここに比丘は一切の無所有処を超越し、想でもなく非想でもない処を具足して住する。これが非想非非想処と言われる」と。(想は無所有処以下の禅那と雑念ある精神状態に同じで単に有想に過ぎず、他方、非想は無生物や熟睡に過ぎず愚かである。想でもなく非想でもない微細領域をより一層優れているとなすという記述が中部経典にあります)
 友らよ、その私は一切の無所有処を超越し、非想非非想処を具足して住した。
 友らよ、その私がこの住によって住していると、無所有処を倶行した想作意が現起した。
 友らよ、そこで先生は神通によって私を訪ねてこう言った。「モッガーラナ、モッガーラナ。婆羅門よ、非想非非想処を放逸にしてはならない、非想非非想処に心を確立しなさい、非想非非想処に心を一境に作しなさい、非想非非想処に心を三摩地させなさい」。
 友らよ、その私は後の時になって一切の無所有処を超越し、非想非非想処を具足して住した。
 友らよ、もし正しく語る者が「師に援助される弟子は大勝智に達する」と言うならば、その正しく語る者は私についてそう言うのである。「師に援助される弟子は大勝智に達する」と。


   第九 無相所問
340.「無相の心の三摩地、無相の心の三摩地」と言われる。何が無相心三摩地か。(アニミットー・チェートーサマーディ、ニミッタが無い心の集中)
 友らよ、その私にこうあった。「ここに比丘は一切相を作意せず、無相の心三摩地を具足して住する。これが無相心三摩地と言われる」と。
 友らよ、その私は一切相を作意せず、無相の心三摩地を具足して住した。
 友らよ、その私がこの住によって住していると、相を従えた識が現れる。
 友らよ、そこで先生は神通によって私を訪ねてこう言った。「モッガーラナ、モッガーラナ。婆羅門よ、無相心三摩地を放逸にしてはならない、無相心三摩地に心を確立しなさい、無相心三摩地に心を一境に作しなさい、無相心三摩地に心を三摩地させなさい」。
 友らよ、その私は後の時になって一切相を作意せず、無相の心三摩地を具足して住した。
 友らよ、もし正しく語る者が「師に援助される弟子は大勝智に達する」と言うならば、その正しく語る者は私についてそう言うのである。「師に援助される弟子は大勝智に達する」と。
   


   (続く)

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