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原始仏典コミュの諦相応1 

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(『南伝大蔵経16下 相応部経典6』大蔵出版 P329−339 に相当)





 相応部経典>大篇

「     第十二 諦相応



     第一 定品


   第一 定

1071.サーヴァッティ因。
 比丘たちよ、サマーディを修習しなさい。
 比丘たちよ、サマーディする比丘は事実の通りに知る。何を事実の通りに知るのか。
 「これが苦である」と事実の通りに知る。
 「これが苦の生起である」と事実の通りに知る。
 「これが苦の滅である」と事実の通りに知る。
 「これが苦の滅に行く道である」と事実の通りに知る。
 比丘たちよ、サマーディを修習しなさい。
 比丘たちよ、サマーディする比丘は事実の通りに知る。

 比丘たちよ、それゆえに「これが苦である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の生起である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅に行く道である」とヨーガを為しなさい。

 註 サマーディ samādhi 三摩地、三昧 集中すること
   ヨーガ yoga 喩伽 ゆが しばしばサマーディと並記されます。
         集中すること、集中対象と結合すること
   ヨーガを為しなさい yogo karaṇīyo



   第二 黙想

1072.比丘たちよ、黙想してヨーガに達しなさい。
 比丘たちよ、黙想する比丘は事実の通りに知る。何を事実の通りに知るのか。
 「これが苦である」と事実の通りに知る。
 「これが苦の生起である」と事実の通りに知る。
 「これが苦の滅である」と事実の通りに知る。
 「これが苦の滅に行く道である」と事実の通りに知る。
 比丘たちよ、黙想してヨーガに達しなさい。
 比丘たちよ、黙想する比丘は事実の通りに知る。

 比丘たちよ、それゆえに「これが苦である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の生起である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅に行く道である」とヨーガを為しなさい。

 註 黙想してヨーガに達しなさい paṭisallāne yogamāpajjatha



   第三 善男子[一]

1073.比丘たちよ、過去に良家の子として正しく家を出て出家した者たち、その彼らすべては四つの聖なる真実を事実の通りに現観するためであった。
 比丘たちよ、未来に良家の子として正しく家を出て出家する者たち、その彼らすべては四つの聖なる真実を事実の通りに現観するためなのである。
 比丘たちよ、現在に良家の子として正しく家を出て出家している者たち、その彼らすべては四つの聖なる真実を事実の通りに現観するためである。この四とは何か。
 苦という聖なる真実、
 苦の生起という聖なる真実、
 苦の滅という聖なる真実、
 苦の滅に行く道という聖なる真実である。
 比丘たちよ、過去に良家の子として正しく家を出て出家した者たち、その彼らすべてはこれら四つの聖なる真実を事実の通りに現観するためであった。
 比丘たちよ、未来に良家の子として正しく家を出て出家する者たち、その彼らすべてはこれら四つの聖なる真実を事実の通りに現観するためなのである。
 比丘たちよ、現在に良家の子として正しく家を出て出家している者たち、その彼らすべてはこれら四つの聖なる真実を事実の通りに現観するためである。

 比丘たちよ、それゆえに「これが苦である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の生起である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅に行く道である」とヨーガを為しなさい。

 註 現観する アビサマヤ abhisamaya 自ら観て確認する



   第四 善男子[二]

1074.比丘たちよ、過去に良家の子として正しく家を出て出家し事実の通りに現観した者たち、その彼らすべては四つの聖なる真実を事実の通りに現観したのである。
 比丘たちよ、未来に良家の子として正しく家を出て出家し事実の通りに現観する者たち、その彼らすべては四つの聖なる真実を事実の通りに現観するのである。
 比丘たちよ、現在に良家の子として正しく家を出て出家し事実の通りに現観している者たち、その彼らすべて四つの聖なる真実を事実の通りに現観しているのである。この四とは何か。
 苦という聖なる真実、
 苦の生起という聖なる真実、
 苦の滅という聖なる真実、
 苦の滅に行く道という聖なる真実である。
 比丘たちよ、過去に良家の子として正しく家を出て出家し事実の通りに現観した者たち、その彼らすべては四つの聖なる真実を事実の通りに現観したのである。
 比丘たちよ、未来に良家の子として正しく家を出て出家し事実の通りに現観する者たち、その彼らすべては四つの聖なる真実を事実の通りに現観するのである。
 比丘たちよ、現在に良家の子として正しく家を出て出家し事実の通りに現観している者たち、その彼らすべて四つの聖なる真実を事実の通りに現観しているのである。
 比丘たちよ、それゆえに「これが苦である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の生起である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅に行く道である」とヨーガを為しなさい。



   第五 沙門バラモン[一]

1075.比丘たちよ、過去に沙門バラモンが事実の通りに正覚した者たち、その彼らすべては四つの聖なる真実を事実の通りに正覚したのである。
 比丘たちよ、未来に沙門バラモンが事実の通りに正覚する者たち、その彼らすべては四つの聖なる真実を事実の通りに正覚するのである。
 比丘たちよ、現在に沙門バラモンが事実の通りに正覚する者たち、その彼らすべては四つの聖なる真実を事実の通りに正覚するのである。この四とは何か。
 苦という聖なる真実、
 苦の生起という聖なる真実、
 苦の滅という聖なる真実、
 苦の滅に行く道という聖なる真実である。
 比丘たちよ、過去に沙門バラモンが事実の通りに正覚した者たち、その彼らすべてはこれら四つの聖なる真実を事実の通りに正覚したのである。
 比丘たちよ、未来に沙門バラモンが事実の通りに正覚する者たち、その彼らすべてはこれら四つの聖なる真実を事実の通りに正覚するのである。
 比丘たちよ、現在に沙門バラモンが事実の通りに正覚する者たち、その彼らすべてはこれら四つの聖なる真実を事実の通りに正覚するのである。

 比丘たちよ、それゆえに「これが苦である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の生起である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅に行く道である」とヨーガを為しなさい。



   第六 沙門バラモン[二]

1076.比丘たちよ、過去に沙門バラモンが事実の通りに正覚したと宣言する者たち、その彼らすべては四つの聖なる真実を事実の通りに正覚したと宣言したのである。
 比丘たちよ、未来に沙門バラモンが事実の通りに正覚したと宣言する者たち、その彼らすべては四つの聖なる真実を事実の通りに正覚したと宣言するのである。
 比丘たちよ、現在に沙門バラモンが事実の通りに正覚したと宣言する者たち、その彼らすべては四つの聖なる真実を事実の通りに正覚したと宣言するのである。この四とは何か。
 苦という聖なる真実、
 苦の生起という聖なる真実、
 苦の滅という聖なる真実、
 苦の滅に行く道という聖なる真実である。
 比丘たちよ、過去に沙門バラモンが事実の通りに正覚したと宣言する者たち、その彼らすべては四つの聖なる真実を事実の通りに正覚したと宣言したのである。
 比丘たちよ、未来に沙門バラモンが事実の通りに正覚したと宣言する者たち、その彼らすべては四つの聖なる真実を事実の通りに正覚したと宣言するのである。
 比丘たちよ、現在に沙門バラモンが事実の通りに正覚したと宣言する者たち、その彼らすべては四つの聖なる真実を事実の通りに正覚したと宣言するのである。

 比丘たちよ、それゆえに「これが苦である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の生起である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅に行く道である」とヨーガを為しなさい。



   第七 尋

1077.比丘たちよ、悪不善の尋を尋してはならない。欲尋、恚尋、害尋というこのような。それはなぜか。
 比丘たちよ、これらの尋は利を伴わず、初梵行でなく、忌避にも、離貪にも、滅にも、寂静にも、超知にも、正覚にも、涅槃にも転じない。
 比丘たちよ、あなたたちが尋をするときは「これが苦である」と尋しなさい。
 「これが苦の生起である」と尋しなさい。
 「これが苦の滅である」と尋しなさい。
 「これが苦の滅に行く道である」と尋しなさい。それはなぜか。
 比丘たちよ、これらの尋は利を伴い、これらは初梵行であり、これらは忌避にも、離貪にも、滅にも、寂静にも、超知にも、正覚にも、涅槃にも転じる。

 比丘たちよ、それゆえに「これが苦である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の生起である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅に行く道である」とヨーガを為しなさい。

 註 尋(じん) ヴィタッカ vitakka 
   三悪尋 欲尋・恚尋・害尋 欲望・怒り・害意



   第八 思

1078.比丘たちよ、悪不善の心を思ってはならない。
 世間は常である、とか
 世間は無常である、とか
 世間は有限である、とか
 世間は無限である、とか
 命は身体そのものである、とか
 命と身体は別々のものである、とか
 如来は死後に存在する、とか
 如来は死後に存在しない、とか
 如来は死後に存在すると同時に存在しない、とか
 如来は死後に存在するのでもなく存在しないのでもない、とか。
 それはなぜか。
 比丘たちよ、これらの思いは利を伴わず、初梵行でなく、忌避にも、離貪にも、滅にも、寂静にも、超知にも、正覚にも、涅槃にも転じない。
 比丘たちよ、あなたたちが思うときは「これが苦である」と思いなさい。
 「これが苦の生起である」と思いなさい。
 「これが苦の滅である」と思いなさい。
 「これが苦の滅に行く道である」と思いなさい。それはなぜか。
 比丘たちよ、これらの思いは利を伴い、これらは初梵行であり、これらは忌避にも、離貪にも、滅にも、寂静にも、超知にも、正覚にも、涅槃にも転じる。

 比丘たちよ、それゆえに「これが苦である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の生起である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅に行く道である」とヨーガを為しなさい。



   第九 諍

1079.比丘たちよ、論争を論じてはならない。
 「あなたはこの法律を知らず、私はこの法律を知る。どうしてあなたがこの法律を知るのか。
 あなたは邪に行道し、私は正しく行道する。私は伴い、あなたは伴わない。
 あなたは先に言うべきことを後で言い、後で言うべきことを先に言った。
 あなたの所行は覆った。あなたは論を脱するために、論を立てたが論破された。
 解明できるのならば、述べてみよ」と。それはなぜか。
 比丘たちよ、これらの論は利を伴わず、初梵行でなく、忌避にも、離貪にも、滅にも、寂静にも、超知にも、正覚にも、涅槃にも転じない。
 比丘たちよ、あなたたちが論じるときは「これが苦である」と論じなさい。
 「これが苦の生起である」と論じなさい。
 「これが苦の滅である」と論じなさい。
 「これが苦の滅に行く道である」と論じなさい。それはなぜか。
 比丘たちよ、これらの論は利を伴い、これらは初梵行であり、これらは忌避にも、離貪にも、滅にも、寂静にも、超知にも、正覚にも、涅槃にも転じる。

 比丘たちよ、それゆえに「これが苦である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の生起である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅に行く道である」とヨーガを為しなさい。



   第十 論

1080.比丘たちよ、様々な畜生論を論じてはならない。
 王論、盗賊論、大臣論、軍隊論、恐怖論、戦争論、食論、飲論、衣服論、臥具論、装飾論、香論、親族論、乗物論、村里論、聚落論、都市論、地方論、女性論、男子論、英雄論、街路論、池辺論、亡霊論、種々論、世間譚、海譚、如是有無論というこのようなものを。それはなぜか。
 比丘たちよ、これらの論は利を伴わず、初梵行でなく、忌避にも、離貪にも、滅にも、寂静にも、超知にも、正覚にも、涅槃にも転じない。
 比丘たちよ、あなたたちが論じるときは「これが苦である」と論じなさい。
 「これが苦の生起である」と論じなさい。
 「これが苦の滅である」と論じなさい。
 「これが苦の滅に行く道である」と論じなさい。それはなぜか。
 比丘たちよ、これらの論は利を伴い、これらは初梵行であり、これらは忌避にも、離貪にも、滅にも、寂静にも、超知にも、正覚にも、涅槃にも転じる。

 比丘たちよ、それゆえに「これが苦である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の生起である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅である」とヨーガを為しなさい。
 「これが苦の滅に行く道である」とヨーガを為しなさい。

                       第一 定  終

   この頌にいわく
      定と黙想、二つの善男子、
      沙門婆羅門と尋、思と諍と論」


   『南伝大蔵経16下 相応部経典6』大蔵出版 P329−339 に相当


       (続く)

コメント(2)

「三摩地」を原語の発音のカタカタ表記の「サマーディ」にするなど少し翻訳を変えました。

七人のブッダのうち、最初の三人のヴィパッシンとシキンとヴェッサブーはこの太陽系(バッダ・カッパ、賢劫、幸いなる劫)より以前のブッダですが、この三人は説法が煩わしくなったという記述が律蔵にあります。



「「世尊、私(サーリプッタ)はここに独り宴黙して心の中でこう思いました。『どのようなブッダ世尊の梵行は長く続かず、どのようなブッダ世尊の梵行は長く続くのか』と。世尊、どのようなブッダ世尊の梵行は長く続かず、どのようなブッダ世尊の梵行は長く続くのですか」と。
「サーリプッタ、ヴィパッシン世尊・シキン世尊・ヴェッサブー世尊の梵行は長く続かず、カクサンダ世尊・コーナーガマナ世尊・カッサパ世尊の梵行は長く続いた」。
「世尊、ヴィパッシン世尊・シキン世尊・ヴェッサブー世尊の梵行は長く続かなかったのは、何の因縁によるのですか」。
「サーリプッタ、ヴィパッシン世尊・シキン世尊・ヴェッサブー世尊は声聞弟子のために法を広く説くことに疲れ、弟子のために少しの契経(かいきょう、スッタ)・祇夜(ぎや、ゲッヤ)・授記(記説、ビャーカラナ)・偈(ガーター)・句(ウダーナ)・如是語(イティヴッタカ)・本生(ジャータカ)・未曾有法(アッブタダンマ)・智解(ヴェーダッラ)があったが、弟子のために学処を制さず、波羅提木叉(パーティモッカ)を誦出しなかった。これら諸仏世尊・大声聞たちの滅後に、様々な名、様々な族、様々な種、様々な姓より出家したのちの弟子たちは、その梵行を速やかに滅ぼした。
 サーリプッタ、たとえば、板の上に置かれた糸によってくくられていない様々な花が風に吹かれて散っていくようなものだ。それはなぜか。糸によってくくられていないためである。
 サーリプッタ、まさにこのように、あの諸仏世尊・大声聞の滅後に、様々な名、様々な族、様々な種、様々な姓より出家したのちの弟子たちは、その梵行を速やかに滅ぼしたのだ。しかしこれらのブッダたちもその心をもって声聞弟子の心を知って教誡することには疲れなかった。」
 参考:http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=25660333&comm_id=951429


ブッダたちにとって説法は煩わしいことだと思いますので、私たちは幸運です。畜生論を論じてはいけないというのは、出家者の自発的な戒の一つですが在家者は自由です。守った方がいいですが、なかなか守るのは難しいです。出家者が話していい内容は「少欲論・満足論・遠離論・不雑居論・発勤精進論・戒論・定論・慧論・解脱論・解脱知見論」の十論、特に慧論の四諦論だけが許可されています。

口を綺麗にすると歯並びがよくなるという記述が三十二相経にありますから、逆に言えば口が汚いと歯並びが悪くなるということだと思います。「悪口・陰口は厳禁」ですが、難しいです。難しいですが地道にマスターしていった方が周りの人にも自分の歯にも来世の報いにも善いことだと思います。

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