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原始仏典コミュのアヌルッダ相応   完

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相応部経典>大篇>第八 アヌルッダ相応

『南伝大蔵経16下 相応部経典6』大蔵出版 P156−173 に相当









   第八 アヌルッダ相応



     第一 孤独品

   第一 孤独[その一]
899.このように私は聞いた。あるとき具寿アヌルッダはサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカの園に住していた。ときに具寿アヌルッダは孤独になって黙想していてこのような心の考えが生じた。
 もし四念処を失う者がいるならば、彼は正しく苦を尽くすことに行く聖なる道を失う。
 もし四念処を得る者がいるならば、彼は正しく苦を尽くすことに行く聖なる道を得る。
 ときに具寿マハーモッガーラナは心によって具寿アヌルッダの心の考えを知り、たとえば力ある者が曲げた腕を伸ばし、伸ばした腕を曲げるように具寿アヌルッダの目の前に現れた。ときに具寿マハーモッガーラナは具寿アヌルッダにこう言った。
 友アヌルッダ、どのようにして比丘は四念処を得るのか。
 友、ここに比丘が内の身において集法を見て住し、内の身において滅法を見て住し、内の身において集滅法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 外の身において集法を見て住し、外の身において滅法を見て住し、外の身において集滅法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 内外の身において集法を見て住し、内外の身において滅法を見て住し、内外の身において集滅法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 彼がもし「非違逆において違逆想に住そう」と望むならば、そのときは違逆想に住する。
 もし「違逆において非違逆想に住そう」と望むならば、そのときは非違逆想に住する。
 もし「非違逆と違逆において違逆想に住そう」と望むならば、そのときは違逆想に住する。
 もし「違逆と非違逆において非違逆想に住そう」と望むならば、そのときは非違逆想に住する。
 もし「非違逆と違逆のその両者を避けて、捨に住し念じて自覚していよう」と望むならば、そのときは捨に住して念じて自覚している。

 内の受において集法を見て住し、内の受において滅法を見て住し、内の受において集滅法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 外の受において集法を見て住し、外の受において滅法を見て住し、外の受において集滅法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 内外の受において集法を見て住し、内外の受において滅法を見て住し、内外の受において集滅法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 彼がもし「非違逆において違逆想に住そう」と望むならば、そのときは違逆想に住する。
 もし「違逆において非違逆想に住そう」と望むならば、そのときは非違逆想に住する。
 もし「非違逆と違逆において違逆想に住そう」と望むならば、そのときは違逆想に住する。
 もし「違逆と非違逆において非違逆想に住そう」と望むならば、そのときは非違逆想に住する。
 もし「非違逆と違逆のその両者を避けて、捨に住し念じて自覚していよう」と望むならば、そのときは捨に住して念じて自覚している。

 内の心において集法を見て住し、内の心において滅法を見て住し、内の心において集滅法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 外の心において集法を見て住し、外の心において滅法を見て住し、外の心において集滅法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 内外の心において集法を見て住し、内外の心において滅法を見て住し、内外の心において集滅法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 彼がもし「非違逆において違逆想に住そう」と望むならば、そのときは違逆想に住する。
 もし「違逆において非違逆想に住そう」と望むならば、そのときは非違逆想に住する。
 もし「非違逆と違逆において違逆想に住そう」と望むならば、そのときは違逆想に住する。
 もし「違逆と非違逆において非違逆想に住そう」と望むならば、そのときは非違逆想に住する。
 もし「非違逆と違逆のその両者を避けて、捨に住し念じて自覚していよう」と望むならば、そのときは捨に住して念じて自覚している。

 内の法において集法を見て住し、内の法において滅法を見て住し、内の法において集滅法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 外の法において集法を見て住し、外の法において滅法を見て住し、外の法において集滅法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 内外の法において集法を見て住し、内外の法において滅法を見て住し、内外の法において集滅法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 彼がもし「非違逆において違逆想に住そう」と望むならば、そのときは違逆想に住する。
 もし「違逆において非違逆想に住そう」と望むならば、そのときは非違逆想に住する。
 もし「非違逆と違逆において違逆想に住そう」と望むならば、そのときは違逆想に住する。
 もし「違逆と非違逆において非違逆想に住そう」と望むならば、そのときは非違逆想に住する。
 もし「非違逆と違逆のその両者を避けて、捨に住し念じて自覚していよう」と望むならば、そのときは捨に住して念じて自覚している。

 友、このようにして比丘は四念処を得る。


   第二 孤独[その二]
900.サーヴァッティ因。ときに具寿アヌルッダは孤独になって黙想していてこのような心の考えが生じた。
 もし四念処を失う者がいるならば、彼は正しく苦を尽くすことに行く聖なる道を失う。
 もし四念処を得る者がいるならば、彼は正しく苦を尽くすことに行く聖なる道を得る。
 ときに具寿マハーモッガーラナは心によって具寿アヌルッダの心の考えを知り、たとえば力ある者が曲げた腕を伸ばし、伸ばした腕を曲げるように具寿アヌルッダの目の前に現れた。ときに具寿マハーモッガーラナは具寿アヌルッダにこう言った。
 友アヌルッダ、どのようにして比丘は四念処を得るのか。
 友、ここに比丘が内の身において身を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 外の身において身を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 内外の身において身を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。

 内の受において受を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 外の受において受を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 内外の受において受を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。

 内の心において心を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 外の心において心を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 内外の心において心を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。

 内の法において法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 外の法において法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 内外の法において法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。

 友、このようにして比丘は四念処を得る。


   第三 スタヌ
901.あるとき具寿アヌルッダはスタヌの岸に住していた。ときに多くの比丘たちが具寿アヌルッダに詣った。詣って具寿アヌルッダと共に機嫌を伺った。機嫌を伺って記憶すべき話を交わして一方に座った。一方に座ってその比丘たちは具寿アヌルッダにこう言った。
 具寿アヌルッダは何の法を修習し多く作したことによって大勝智を得たのですか。
 友、私は四念処を修習し多く作したことによって大勝智を得た。何が四か。
 友、ここに私は身において身を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 受において受を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 心において心を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 法において法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 友、私はこの四念処を修習し多く作したことによって大勝智を得た。何が四か。
 友、私はこの四念処を修習し多く作したことによって劣法を劣であると勝智し、中法を中であると勝智し、勝法を勝であると勝智する。


   第四 カンダキー[その一]
902.あるとき具寿アヌルッダと具寿サーリプッタと具寿マハーモッガーラナはサーケータのカンダキー林に住していた。ときに具寿サーリプッタと具寿マハーモッガーラナは夕方に黙想から起って具寿アヌルッダに詣った。詣って具寿アヌルッダと共に機嫌を伺った。機嫌を伺って記憶すべき話を交わして一方に座った。一方に座って具寿サーリプッタは具寿アヌルッダにこう言った。
 友アヌルッダ、有学の比丘は何の法を具足して住するべきだろうか。
 友サーリプッタ、有学の比丘は四念処を具足して住するべきである。何が四か。
 友、ここに比丘は身において身を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 受において受を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 心において心を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 法において法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 友サーリプッタ、有学の比丘はこの四念処を具足して住するべきである。


   第五 カンダキー[その二]
903.サーケータ因。一方に座った具寿サーリプッタは具寿アヌルッダにこう言った。
 友アヌルッダ、無学の比丘は何の法を具足して住するべきだろうか。
 友サーリプッタ、無学の比丘は四念処を具足して住するべきである。何が四か。
 友、ここに比丘は身において身を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 受において受を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 心において心を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 法において法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 友サーリプッタ、無学の比丘はこの四念処を具足して住するべきである。


   第六 カンダキー[その三]
904.サーケータ因。一方に座った具寿サーリプッタは具寿アヌルッダにこう言った。
 具寿アヌルッダは何の法を修習し多く作したことによって大勝智を得たのか。
 友、私は四念処を修習し、多く作したことによって大勝智を得た。何が四か。
 友、ここに私は身において身を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 受において受を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 心において心を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 法において法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 友、私はこの四念処を修習し多く作したことによって大勝智を得た。
 友、また私はこの四念処を修習し多く作したことによって千の世界を勝智する。


   第七 愛尽
905.サーヴァッティ因。ときに具寿アヌルッダは比丘たちに「友、比丘たちよ」と呼びかけた。その比丘たちは「友」と具寿アヌルッダに応えた。具寿アヌルッダはこう言った。
 友、四念処を修習し多く作せば、渇愛の滅尽に転じる。何が四か。
 友、ここに比丘は身において身を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 受において受を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 心において心を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 法において法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪求と憂いを制御する。
 友、この四念処を修習し多く作せば、渇愛の滅尽に転じる。


   第八 サララ家
906.あるとき具寿アヌルッダはサーヴァッティのサララ(芳香樹の一種)家に住していた。ときに具寿アヌルッダは比丘たちに呼びかけた・・・・・・こう言った。
 友、たとえばガンガー川は東に向かい、東に傾き、東に赴く。ときに大衆がいて鋤と籠を持ってきて「私たちはこのガンガー川を西に向かわせ、西に傾け、西に赴かせよう」と為すとする。
 友、あなたたちはどう思うか。この大衆はガンガー川を西に向かわせ、西に傾け、西に赴かせることができるだろうか。
 友、できない。
 それはなぜか。
 友、ガンガー川は東に向かい、東に傾き、東に赴く。これを西に向かわせ、西に傾け、西に赴かせることは簡単ではない。その大衆は疲労困憊するのみ。
 友、このように比丘が四念処を修習し、四念処を多く作したならば、王や王の大臣や友人や仲間や親戚や親族や財産によって連れ去ろうとして「さあ、あなたはどうしてこの袈裟衣に煩わされるのか。どうして剃髪して往来しているのか。さあ、還俗して財産を用いて福を為せ」と言うとしよう。
 友、その比丘が四念処を修習し、四念処を多く作したならば、学を捨てて劣に転じるというその処は知られない。それはなぜか。
 友、その心は長い間、遠離に向かい、遠離に傾き、遠離に赴くならば、彼が劣に転じるというその処は知られない。
 友、どのように比丘は四念処を修習し、四念処を多く作すのか。
 友、ここに比丘は身において身を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間の貪求と憂いを制御する。
 受において受を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間の貪求と憂いを制御する。
 心において心を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間の貪求と憂いを制御する。
 法において法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間の貪求と憂いを制御する。
 友、このように比丘は四念処を修習し、四念処を多く作す。


   第九 アンバパーリ林
907.あるとき具寿アヌルッダと具寿サーリプッタはヴェーサーリのアンバパーリ林に住していた。ときに具寿サーリプッタは夕方に黙想より起って・・・・・・一方に座ってサーリプッタは具寿アヌルッダにこう言った。
 友アヌルッダ、あなたの諸根は清澄で、顔色は遍く浄らかで遍く清潔だ。具寿アヌルッダは何の住に今多く住するのか。
 友、私は四念処に善く安住した心をもって今多く住する。何が四か。
 友、ここに私は身において身を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間の貪求と憂いを制御する。
 受において受を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間の貪求と憂いを制御する。
 心において心を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間の貪求と憂いを制御する。
 法において法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間の貪求と憂いを制御する。
 友、私はこの四念処に善く安住した心をもって今多く住する。
 友、もし比丘が阿羅漢であって漏が尽き、[梵行が]完成し、作すべきことを作し、重荷を下ろし、善利に到達し、有結を遍く尽くし、正しく悟り、解脱するならば、彼はこの四念処に善く安住した心をもって多く住する。
 友、実に得ている。友、実に善く得ている。私たちは具寿アヌルッダに対面して雄弁を説くを聞く。


   第十 重態
908.あるとき具寿アヌルッダはサーヴァッティのアンダ林に住していて苦しみ重態であった。ときに多くの比丘たちが具寿アヌルッダに詣った。詣って具寿アヌルッダにこう言った。
 具寿アヌルッダは何の住に住するがゆえに生じた身体の苦の感受に心を占領されないで過ごせるのですか。
 友、四念処に善く安住した心をもって住するがゆえに生じた身体の苦の感受に心を占領されずに過ごす。何が四か。
 友、ここに私は身において身を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間の貪求と憂いを制御する。
 受において受を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間の貪求と憂いを制御する。
 心において心を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間の貪求と憂いを制御する。
 法において法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間の貪求と憂いを制御する。
 友、この四念処に善く安住した心をもって住するがゆえに生じた身体の苦の感受に心を占領されずに過ごす。

     第一 孤独品[畢]

  この摂頌に曰く
    二つの孤独、スタヌと三つのカンダキー
    愛尽とサララ家、アンバパーリと重態




     第二品

   第一 千劫
909.あるとき具寿アヌルッダはサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカの園に住していた。ときに多くの比丘たちが具寿アヌルッダに詣った。詣って具寿アヌルッダと共に・・・・・・一方に座った比丘たちは具寿アヌルッダにこう言った。
 具寿アヌルッダは何の法を修習し多く作して、大勝智に達したのですか。
 友、私は四念処を修習し多く作して、大勝智を達した。何が四か。
 友、ここに私は身において身を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間の貪求と憂いを制御する。
 受において受を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間の貪求と憂いを制御する。
 心において心を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間の貪求と憂いを制御する。
 法において法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間の貪求と憂いを制御する。
 友、私はこの四念処を修習し多く作して、大勝智に達した。
 友、また私はこの四念処を修習し多く作して、千劫を思い出す。


   第二 神通類
910.友、また私はこの四念処を修習し多く作して、様々な神通類を経験する。一つの身体を多くの身体とし・・・・・・ないし梵の世界に至るまでこの身体によって威力を及ぼす。

   第三 天耳
911.友、また私はこの四念処を修習し多く作して、清浄で超人である天耳界によって遠と近、天と人、双方の声を聞く。

   第四 心を知る
912.友、また私はこの四念処を修習し多く作して、他の生ける者、他の人間の心を心によって確かに知る。貪りのある心を「貪りのある心だ」と知る・・・・・・解脱した心を「解脱した心だ」と知る。

   第五 処
913.友、また私はこの四念処を修習し多く作して、処を処である、非処を非処であると事実の通りに知る。

   第六 業報
914.友、また私はこの四念処を修習し多く作して、過去・未来・現在の業を受けることが熟する処と因を事実の通りに知る。

   第七 一切道
915.友、また私はこの四念処を修習し多く作して、一切の利益に行く道跡(遍行道)を事実の通りに知る。

   第八 種々界
916.友、また私はこの四念処を修習し多く作して、多界・種々界・世間を事実の通りに知る。

   第九 種々勝解
917.友、また私はこの四念処を修習し多く作して、有情が種々の勝解を作すのを事実の通りに知る。

   第十 根上下
918.友、また私はこの四念処を修習し多く作して、他の有情・他の人間の根の上下を事実の通りに知る。

   第十一 禅那
919.友、また私はこの四念処を修習し多く作して、禅那・解脱・三摩地・三摩鉢底(サマーパッティ、三摩地に入ること)の雑染・純浄・出起(三摩地を出ること)を事実の通りに知る。

   第十二 宿住
920.友、また私はこの四念処を修習し多く作して、様々な宿住を思い出す。いわく、一生、二生・・・・・・このように行相・名称を伴って様々な宿住を思い出す。

   第十三 天眼
921.友、また私はこの四念処を修習し多く作して、清浄で超人の天の眼によって有情が業に従って・・・・・・受けるを知る。

   第十四 漏尽
922.友、また私はこの四念処を修習し多く作して、諸漏が尽きることにより無漏の心解脱・慧解脱を現世において自ら実証し成就して住する。

          第二品[畢]

  この摂頌に曰く
    大勝智と神通と天耳、心を知ると処と業
    一切義と界と勝解、根と禅那と三明

               第八 アヌルッダ相応 [終]

コメント(1)

アヌルッダ相応、追加しました。これでアヌルッダ相応は全引用です。



マハーモッガーラナは四神足によって大神通(マハーイッディ)を得ました。
アヌルッダは四念処によって大勝智(マハーアビンニャー)を得ました。

大神通はいまだ実現していないことを実現する能動的なサイキック的なものです。
一方、大勝智は今ある現実を事実の通りに知るという感覚的なESP的なものです。如来の十力が全て四念処によって獲得されることが明らかにされています。処から漏尽までの十が如来の十力だったと思います。

ゴータマを越えようと欲して修行法を質問する比丘たちにゴータマは「一部の愚か者は・・・」と言いながらも「いつも」四念処を教えています。四念処の重要さがわかると思います。

PKは四神足によって獲得し
ESPは四念処によって獲得し
大慧は念身と四諦と四預流向支によって獲得します。

最高の向上心、最高の上昇させるものは四正勤と五有学力によって獲得し
最高の根と力は五根五根によって獲得します。

覚りを得るための最善要素は七覚支によって獲得し
自己存在を遍く清浄にすることは八正道によって獲得します。



三十七道を原因として何が結果されるか、これに関する智慧が非常に重要です。苦滅道としての三十七道を原因として三毒滅尽という苦滅の結果があります。この道諦に関する智慧を原因として流れに入るという結果があります。これは慧根の修習です。慧根があるとき五根の全てがあり、五根は住し、かの因果連鎖体である人間と名付けられるものは聖なる智慧という原因さえあれば、彼の人生の全経験はいずれはその聖なる智慧に結合され、流れに入ってもはや戻ることはできません。戻る必要もありません。苦を求める必要がないことを知ってしかも苦を求め続けるということ、その道理はありません。さらに苦滅をも苦滅因をも知るゆえに。

涅槃は無ではありません。それがいまいちわからない人は諸行無常と言いながら、どうして輪廻が悟らないかぎり永劫に続くのか考えるべきだと思います。


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