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原始仏典コミュの第七 ラーフラ相応 3

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(『南伝大蔵経13』大蔵出版 P369から)


「     第二品

   第一 眼
一 このように私は聞いた。あるとき、世尊はサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカ園に住していた。
二 そのとき、具寿ラーフラは世尊のところに詣った。詣って世尊に問訊し、一方に座った。
三 一方に座った具寿ラーフラに世尊はこう言った。
四 ラーフラ、これをどう思うか。
 眼は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
五 耳は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
六 鼻は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
七 舌は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
八 身は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
九 意は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
一〇 ラーフラ、このように見て有聞の聖弟子は眼をも嫌悪し、耳をも嫌悪し、鼻をも嫌悪し、舌をも嫌悪し、身をも嫌悪し、意をも嫌悪する。
一一 嫌悪して離貪する。離貪して解脱する。解脱して「私は解脱した」という智がある。「生は尽きた。梵行には住した。作すべきことを作した。さらにこの状態にならず」と知る。


   第二 色
一 このように私は聞いた。あるとき、世尊はサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカ園に住していた。
二 そのとき、具寿ラーフラは世尊のところに詣った。詣って世尊に問訊し、一方に座った。
三 一方に座った具寿ラーフラに世尊はこう言った。
四 ラーフラ、これをどう思うか。
 色は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
五 声は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
六 香は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
七 味は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
八 触は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
九 法は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
一〇 ラーフラ、このように見て有聞の聖弟子は色をも嫌悪し、声をも嫌悪し、香をも嫌悪し、味をも嫌悪し、触をも嫌悪し、法をも嫌悪する。
一一 嫌悪して離貪する。離貪して解脱する。解脱して「私は解脱した」という智がある。「生は尽きた。梵行には住した。作すべきことを作した。さらにこの状態にならず」と知る。


   第三 識
一 このように私は聞いた。あるとき、世尊はサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカ園に住していた。
二 そのとき、具寿ラーフラは世尊のところに詣った。詣って世尊に問訊し、一方に座った。
三 一方に座った具寿ラーフラに世尊はこう言った。
四 ラーフラ、これをどう思うか。
 眼識は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
五 耳識は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
六 鼻識は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
七 舌識は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
八 身識は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
九 意識は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
一〇 ラーフラ、このように見て有聞の聖弟子は眼識をも嫌悪し、耳識をも嫌悪し、鼻識をも嫌悪し、舌識をも嫌悪し、身識をも嫌悪し、意識をも嫌悪する。
一一 嫌悪して離貪する。離貪して解脱する。解脱して「私は解脱した」という智がある。「生は尽きた。梵行には住した。作すべきことを作した。さらにこの状態にならず」と知る。


   第四 触
一 このように私は聞いた。あるとき、世尊はサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカ園に住していた。
二 そのとき、具寿ラーフラは世尊のところに詣った。詣って世尊に問訊し、一方に座った。
三 一方に座った具寿ラーフラに世尊はこう言った。
四 ラーフラ、これをどう思うか。
 眼触は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
五 耳触は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
六 鼻触は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
七 舌触は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
八 身触は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
九 意触は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
一〇 ラーフラ、このように見て有聞の聖弟子は眼触をも嫌悪し、耳触をも嫌悪し、鼻触をも嫌悪し、舌触をも嫌悪し、身触をも嫌悪し、意触をも嫌悪する。
一一 嫌悪して離貪する。離貪して解脱する。解脱して「私は解脱した」という智がある。「生は尽きた。梵行には住した。作すべきことを作した。さらにこの状態にならず」と知る。


   第五 受
一 このように私は聞いた。あるとき、世尊はサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカ園に住していた。
二 そのとき、具寿ラーフラは世尊のところに詣った。詣って世尊に問訊し、一方に座った。
三 一方に座った具寿ラーフラに世尊はこう言った。
四 ラーフラ、これをどう思うか。
 眼触によって生じる受は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
五 耳触によって生じる受は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
六 鼻触によって生じる受は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
七 舌触によって生じる受は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
八 身触によって生じる受は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
九 意触によって生じる受は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
一〇 ラーフラ、このように見て有聞の聖弟子は眼触によって生じる受をも嫌悪し、耳触によって生じる受をも嫌悪し、鼻触によって生じる受をも嫌悪し、舌触によって生じる受をも嫌悪し、身触によって生じる受をも嫌悪し、意触によって生じる受をも嫌悪する。
一一 嫌悪して離貪する。離貪して解脱する。解脱して「私は解脱した」という智がある。「生は尽きた。梵行には住した。作すべきことを作した。さらにこの状態にならず」と知る」

   『南伝大蔵経13 相応部経典2』大蔵出版   P369–372




導入の部分が違うだけで他は同じです。

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