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原始仏典コミュの第七 ラーフラ相応 2

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(『南伝大蔵経13』大蔵出版  P366から)



「   第六 想
一 このように私は聞いた。あるとき、世尊はサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカ園に住していた。
二 そのとき、具寿ラーフラは世尊のところに詣った。詣って世尊に問訊し、一方に座った。
三 一方に座った具寿ラーフラは世尊にこう言った。
 善いかな、大徳。世尊は私のために法を説いてください。私は聞いて一処に退き、不放逸に、熱心に、専念して住そうと思います。
四 ラーフラ、これをどう思うか。
 色想は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
五 声想は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
六 香想は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
七 味想は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
八 触想は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
九 法想は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
一〇 ラーフラ、このように見て有聞の聖弟子は色想をも嫌悪し、声想をも嫌悪し、香想をも嫌悪し、味想をも嫌悪し、触想をも嫌悪し、法想をも嫌悪する。
一一 嫌悪して離貪する。離貪して解脱する。解脱して「私は解脱した」という智がある。「生は尽きた。梵行には住した。作すべきことを作した。さらにこの状態にならず」と知る。


   第七 思
一 このように私は聞いた。あるとき、世尊はサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカ園に住していた。
二 そのとき、具寿ラーフラは世尊のところに詣った。詣って世尊に問訊し、一方に座った。
三 一方に座った具寿ラーフラは世尊にこう言った。
 善いかな、大徳。世尊は私のために法を説いてください。私は聞いて一処に退き、不放逸に、熱心に、専念して住そうと思います。
四 ラーフラ、これをどう思うか。
 色思は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
五 声思は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
六 香思は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
七 味思は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
八 触思は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
九 法思は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
一〇 ラーフラ、このように見て有聞の聖弟子は色思をも嫌悪し、声思をも嫌悪し、香思をも嫌悪し、味思をも嫌悪し、触思をも嫌悪し、法思をも嫌悪する。
一一 嫌悪して離貪する。離貪して解脱する。解脱して「私は解脱した」という智がある。「生は尽きた。梵行には住した。作すべきことを作した。さらにこの状態にならず」と知る。


   第八 愛
一 このように私は聞いた。あるとき、世尊はサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカ園に住していた。
二 そのとき、具寿ラーフラは世尊のところに詣った。詣って世尊に問訊し、一方に座った。
三 一方に座った具寿ラーフラは世尊にこう言った。
 善いかな、大徳。世尊は私のために法を説いてください。私は聞いて一処に退き、不放逸に、熱心に、専念して住そうと思います。
四 ラーフラ、これをどう思うか。
 色愛は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
五 声愛は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
六 香愛は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
七 味愛は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
八 触愛は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
九 法愛は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
一〇 ラーフラ、このように見て有聞の聖弟子は色愛をも嫌悪し、声愛をも嫌悪し、香愛をも嫌悪し、味愛をも嫌悪し、触愛をも嫌悪し、法愛をも嫌悪する。
一一 嫌悪して離貪する。離貪して解脱する。解脱して「私は解脱した」という智がある。「生は尽きた。梵行には住した。作すべきことを作した。さらにこの状態にならず」と知る。


   第九 界
一 このように私は聞いた。あるとき、世尊はサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカ園に住していた。
二 そのとき、具寿ラーフラは世尊のところに詣った。詣って世尊に問訊し、一方に座った。
三 一方に座った具寿ラーフラは世尊にこう言った。
 善いかな、大徳。世尊は私のために法を説いてください。私は聞いて一処に退き、不放逸に、熱心に、専念して住そうと思います。
四 ラーフラ、これをどう思うか。
 地界は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
五 水界は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
六 火界は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
七 風界は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
八 空界は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
九 識界は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
一〇 ラーフラ、このように見て有聞の聖弟子は地界をも嫌悪し、水界をも嫌悪し、火界をも嫌悪し、風界をも嫌悪し、空界をも嫌悪し、識界をも嫌悪する。
一一 嫌悪して離貪する。離貪して解脱する。解脱して「私は解脱した」という智がある。「生は尽きた。梵行には住した。作すべきことを作した。さらにこの状態にならず」と知る。


   第十 蘊
一 このように私は聞いた。あるとき、世尊はサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカ園に住していた。
二 そのとき、具寿ラーフラは世尊のところに詣った。詣って世尊に問訊し、一方に座った。
三 一方に座った具寿ラーフラは世尊にこう言った。
 善いかな、大徳。世尊は私のために法を説いてください。私は聞いて一処に退き、不放逸に、熱心に、専念して住そうと思います。
四 ラーフラ、これをどう思うか。
 色は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
五 受は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
六 想は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
七 行は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
八 識は常なのか、無常なのか。
 大徳、無常です。
 無常であるものは苦なのか、楽なのか。
 大徳、苦です。
 無常であり、苦であり、変化する法を「これは私のものである。これは私である。これは私の本質である」と認めるのは正しいだろうか。
 大徳、そうではありません。
九 ラーフラ、このように見て有聞の聖弟子は色をも嫌悪し、受をも嫌悪し、想をも嫌悪し、行をも嫌悪し、識をも嫌悪する。
一〇 嫌悪して離貪する。離貪して解脱する。解脱して「私は解脱した」という智がある。「生は尽きた。梵行には住した。作すべきことを作した。さらにこの状態にならず」と知る。

   かの頌に曰く
 眼と色と識と 触と受に於けると
 想と思と愛と 界と蘊とによりてこれらの十なり」

   『南伝大蔵経13 相応部経典2』大蔵出版 P366–369




六想 色想・声想・香想・味想・触想・法想
六思 色思・声思・香思・味思・触思・法思
六愛 色愛・声愛・香愛・味愛・触愛・法愛
六界 地界・水界・火界・風界・空界・識界
五蘊 色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊




先の根境識触受の五にこの想思愛界蘊を足して十になります。僕は「根境識触受想思愛界蘊」とそのまま覚えています。これは蘊・界・処の一切を含んでいて最後に五蘊で包括しているから便利です。もう一つのパターンは大念処に書かれているパターンで「根境識触受想思愛尋伺」という、界と蘊が尋と伺に変わるパターンでこれも覚えていると便利です。蘊・界・処・縁起の四つを覚えておけば、主な教義をカバーできると思います。その「うんかいしょえんぎ」に足して上の十を覚えれば大分いいです。

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