ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

原始仏典コミュの四無量心4

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
・六出離界
・七年慈心
・七つの太陽とスネッタ師


・六出離界
「   十三
一 比丘たちよ、六つの出離の界がある。何が六か。
二 比丘たちよ、ここに比丘がこのように言うとする。「実に私は慈の心解脱を修習し、多く作し、乗と作し、地と作し、随成し、積集し、善く開始した。しかし、瞋が私の心を占領し続けている」と。彼は「そうではない」と告げられるべきである。「具寿はそのように言ってはならない。世尊を誹謗してはならない。世尊を誹謗することは善くない。世尊はそのようには言っていない。具寿よ、慈の心解脱を修習し、多く作し、乗と作し、地と作し、随成し、積集し、善く開始したにもかかわらず、瞋が心を占領し続けるという処はなく、機会もなく、その処は知られない。具寿よ、瞋からの出離、それが即ち慈心解脱である」と。
三 比丘たちよ、ここに比丘がこのように言うとする。「実に私は悲の心解脱を修習し、多く作し、乗と作し、地と作し、随成し、積集し、善く開始した。しかし、害が私の心を占領し続けている」と。彼は「そうではない」と告げられるべきである。「具寿はそのように言ってはならない。世尊を誹謗してはならない。世尊を誹謗することは善くない。世尊はそのようには言っていない。具寿よ、悲の心解脱を修習し、多く作し、乗と作し、地と作し、随成し、積集し、善く開始したにもかかわらず、害が心を占領し続けるという処はなく、機会もなく、その処は知られない。具寿よ、害からの出離、それが即ち悲心解脱である」と。
四 比丘たちよ、ここに比丘がこのように言うとする。「実に私は喜の心解脱を修習し、多く作し、乗と作し、地と作し、随成し、積集し、善く開始した。しかし、不快が私の心を占領し続けている」と。彼は「そうではない」と告げられるべきである。「具寿はそのように言ってはならない。世尊を誹謗してはならない。世尊を誹謗することは善くない。世尊はそのようには言っていない。具寿よ、喜の心解脱を修習し、多く作し、乗と作し、地と作し、随成し、積集し、善く開始したにもかかわらず、不快が心を占領し続けるという処はなく、機会もなく、その処は知られない。具寿よ、不快からの出離、それが即ち喜心解脱である」と。
五 比丘たちよ、ここに比丘がこのように言うとする。「実に私は捨の心解脱を修習し、多く作し、乗と作し、地と作し、随成し、積集し、善く開始した。しかし、貪が私の心を占領し続けている」と。彼は「そうではない」と告げられるべきである。「具寿はそのように言ってはならない。世尊を誹謗してはならない。世尊を誹謗することは善くない。世尊はそのようには言っていない。具寿よ、捨の心解脱を修習し、多く作し、乗と作し、地と作し、随成し、積集し、善く開始したにもかかわらず、貪が心を占領し続けるという処はなく、機会もなく、その処は知られない。具寿よ、貪からの出離、それが即ち捨心解脱である」と。
六 比丘たちよ、ここに比丘がこのように言うとする。「実に私は無相の心解脱を修習し、多く作し、乗と作し、地と作し、随成し、積集し、善く開始した。しかし、瞋が私の心を占領し続けている」と。彼は「そうではない」と告げられるべきである。「具寿はそのように言ってはならない。世尊を誹謗してはならない。世尊を誹謗することは善くない。世尊はそのようには言っていない。具寿よ、慈の心解脱を修習し、多く作し、乗と作し、地と作し、随成し、積集し、善く開始したにもかかわらず、瞋が心を占領し続けるという処はなく、機会もなく、その処は知られない。具寿よ、瞋からの出離、それが即ち慈心解脱である」と。
七 比丘たちよ、ここに比丘がこのように言うとする。「実に私は『こうある』ということを離れ、『これは私である』と認めない。しかし、疑と猶予の矢が私の心を占領し続けている」と。彼は「そうではない」と告げられるべきである。「具寿はそのように言ってはならない。世尊を誹謗してはならない。世尊を誹謗することは善くない。世尊はそのようには言っていない。具寿よ、『こうある』ということを離れ、『これは私である』と認めないにもかかわらず、疑と猶予の矢が心を占領し続けるという処はなく、機会もなく、その処は知られない。具寿よ、疑と猶予の矢からの出離、それが即ち『こうある』という慢の根絶である」と」
   増支部経典>六集>第二 可念品 『南伝大蔵経20』大蔵出版 P18–21



・七年慈心
「比丘たちよ、諸々の福を怖れてはならない。
 比丘たちよ、楽の増上語が即ち、福である。
 比丘たちよ、私は長い間なされた諸々の福には、長い間望まれ、欲せられる、意にかなう異熟が起きることを知る。七年、慈心を修習した。七年、慈心を修習し、七成壊劫において世に再び還らなかった。
 比丘たちよ、世が壊れつつあるときに私は実に極光天におり、世が成りつつあるときに空虚な梵宮に私は再生した。
 比丘たちよ、そこで実に私はブラフマー、マハーブラフマー、勝利者、勝利されない者、全てを知る者、自在者であった。
 比丘たちよ、また私は三十六度、神々のインダ・サッカとなり、数百回、輪を転じる王として法の者、法の王、四方の征服者、善く国を治める者、七宝の成就者であった。
 比丘たちよ、その私にはこれらの七宝があった。即ち、輪宝、象宝、馬宝、珠玉宝、居士宝、および第七に将軍宝である。
 比丘たちよ、また私には勇敢で、勇猛、敵を破る者である千人の子がいた。その私は海を辺際とするこの地を杖によらず刀によらず法によって征服して住した。
   見よ、楽を望む者の     善功徳の異熟を
   比丘たちよ、私は七年の間  慈心を修し終わり
   七成壊劫において      この世に再び還らず
   世界が壊しつつあるとき   極光天に生じてあり、
   世界が成じつつあるとき   空虚の梵に生じた
   それより七たび私は     大梵、自在者であった
   三十六度天帝として     天の統治をした
   転輪王となって       閻浮洲の王だった
   灌頂を受けた        カッティヤ、人の王だった
   無杖無刀によって      この地を征服し終わって
   強制することなく正しく   平等にこれを教誡した
   法によってこの国土を    支配し終わって
   大財、大受用があり     富んで一切の欲と
   七宝を具足する       族に生まれた
   諸仏は世の能摂者である   諸仏によってこれは善説された
   これは大の因である     それによって地の王と呼ばれる
   私は多くの財物ある     勝れた王となり
   神力ある者、名誉ある者   閻浮洲の王であった
   悪生の者といえども     聞いて誰が信じないだろうか
   そのゆえに義利を欲し    威力を希望する者によって 
   正法は尊重されるべきである 諸仏の教えは念じられるべきである」
   増支部経典>七集>第六 無記品 『南伝大蔵経20』大蔵出版 P340–342



・七つの太陽とスネッタ師
「   六十二
一 このように私は聞いた。あるとき、世尊はヴェーサーリのアンバパーリ林に住していた。そこで世尊は比丘衆に「比丘たちよ」と告げた。比丘衆は「大徳」と世尊に応えた。世尊はこのように言った。
二 比丘たちよ、諸行は無常である。
 比丘たちよ、諸行は不堅固である。
 比丘たちよ、諸行は不安である。
 比丘たちよ、それゆえに一切諸行において実に嫌悪すべきである。実に遠離すべきである。実に解脱すべきである。
 比丘たちよ、山の王シネール(須彌山王)は長さが八万四千ヨージャナ、広さが八万四千ヨージャナあって海中に入っており、海から突出すること八万四千ヨージャナある。
 比丘たちよ、そのときは、多歳、多百歳、多千歳、多百千歳の間、雨が降らない。
 比丘たちよ、天の雨が降らないときは、すべてこれらの種子類、植物類、薬草森林は乾燥して存在しない。
 比丘たちよ、このように諸行は無常である。
 比丘たちよ、このように諸行は不堅固である。
 比丘たちよ、このように諸行は不安である。
 比丘たちよ、それゆえに一切諸行において実に嫌悪すべきである。実に遠離すべきである。実に解脱すべきである。
 比丘たちよ、長い時が過ぎていつか第二の太陽が出現するときがある。
三 比丘たちよ、第二の太陽の出現によって、すべての小川、小池は枯渇して存在しなくなる。
 比丘たちよ、このように諸行は無常である。
 比丘たちよ、このように諸行は不堅固である。
 比丘たちよ、このように諸行は不安である。
 比丘たちよ、それゆえに一切諸行において実に嫌悪すべきである。実に遠離すべきである。実に解脱すべきである。
 比丘たちよ、長い時が過ぎていつか第三の太陽が出現するときがある。
四 比丘たちよ、第三の太陽の出現によって、すべての大河、たとえばガンガー、ヤムナー、アチラヴァティー、サラブー、マヒーなどは枯渇して存在しなくなる。
 比丘たちよ、このように諸行は無常である。
 比丘たちよ、このように諸行は不堅固である。
 比丘たちよ、このように諸行は不安である。
 比丘たちよ、それゆえに一切諸行において実に嫌悪すべきである。実に遠離すべきである。実に解脱すべきである。
 比丘たちよ、長い時が過ぎていつか第四の太陽が出現するときがある。
五 比丘たちよ、第四の太陽の出現によって、これら大河が生じるところのすべての大湖水、たとえばアノータッター、シーハパパーター、ラタカーラー、カンナムンダー、クナーラー、チャッダンター、マンダーキニーなどは枯渇して存在しなくなる。
 比丘たちよ、このように諸行は無常である。
 比丘たちよ、このように諸行は不堅固である。
 比丘たちよ、このように諸行は不安である。
 比丘たちよ、それゆえに一切諸行において実に嫌悪すべきである。実に遠離すべきである。実に解脱すべきである。
 比丘たちよ、長い時が過ぎていつか第五の太陽が出現するときがある。
六 比丘たちよ、第五の太陽の出現によって、大海において百ヨージャナの水が減退する。また大海において二百ヨージャナの水が減退する。また大海において三百ヨージャナの水が減退する。・・・四百・・・五百・・・六百・・・七百ヨージャナの水が減退する。そして大海において七ターラ[樹の高さ]の水になる。また六ターラの水になる。・・・五ターラ・・・四ターラ・・・三ターラ・・・二ターラ・・・一ターラの水になる。また大海において七人[の高さ]の水になる。また六人・・・五人・・・四人・・・三人・・・二人・・・一人・・・半人・・・腰丈・・・膝丈・・・くるぶし丈の水になる。
 比丘たちよ、たとえば秋季に天の雨の神が雨を降らすときに、処々の牛の足跡に水があるように、比丘たちよ、このように大海において処々の牛の足跡ほどの水になる。
 比丘たちよ、第五の太陽の出現によって、大海の中に指の関節ほどの水もなくなる。
 比丘たちよ、このように諸行は無常である。
 比丘たちよ、このように諸行は不堅固である。
 比丘たちよ、このように諸行は不安である。
 比丘たちよ、それゆえに一切諸行において実に嫌悪すべきである。実に遠離すべきである。実に解脱すべきである。
 比丘たちよ、長い時が過ぎていつか第六の太陽が出現するときがある。
七 比丘たちよ、第六の太陽の出現によって、この大地と山の王シネールは燃え、全て燃え、全てが極めて燃え上がる。
 比丘たちよ、たとえば陶師の窯が点火されてはじめて燃え、全て燃え、全てが極めて燃え上がるように、比丘たちよ、このように第六の太陽が出現すると、この大地と山の王シネールは燃え、全て燃え、全てが極めて燃え上がる。
 比丘たちよ、このように諸行は無常である。
 比丘たちよ、このように諸行は不堅固である。
 比丘たちよ、このように諸行は不安である。
 比丘たちよ、それゆえに一切諸行において実に嫌悪すべきである。実に遠離すべきである。実に解脱すべきである。
 比丘たちよ、長い時が過ぎていつか第七の太陽が出現するときがある。
八 比丘たちよ、第七の太陽の出現によって、この大地と山の王シネールは、焼かれ、燃え上がり、一つの炎になる。
 比丘たちよ、この大地と山の王シネールを焼き、燃やす炎は風に飛ばされて梵の世にまでも達するであろう。
 比丘たちよ、焼かれ、燃え上がり、壊れつつある大きな火炎の集まりに打ち勝たれる山の王シネールの百ヨージャナの峯は崩落する。また二百ヨージャナの峯は崩落する。・・・三百・・・四百・・・五百ヨージャナの峯は崩落する。
 比丘たちよ、焼かれ、燃え上がりつつあるこの大地と山の王シネールの灰は見られない。
 比丘たちよ、たとえば焼け、燃えつつあるバター、あるいは油の灰は見られず、炭も見られないように、比丘たちよ、このように焼かれ、燃えつつあるこの大地と山の王シネールの灰は見られず、炭も見られない。
 比丘たちよ、このように諸行は無常である。
 比丘たちよ、このように諸行は不堅固である。
 比丘たちよ、このように諸行は不安である。
 比丘たちよ、それゆえに一切諸行において実に嫌悪すべきである。実に遠離すべきである。実に解脱すべきである。
 比丘たちよ、この中、現在の状態の他に、この大地と山の王シネールが時いたって焼け、壊れ、存在しなくなるだろうと誰が考え、誰が信じるだろうか。
九 比丘たちよ、昔、スネッタ(妙眼)という名の師がいた。派祖であって諸欲を離れていた。
 比丘たちよ、スネッタ師に数百の声聞がいた。スネッタ師は声聞たちに梵世同伴性の法を説いた。
 比丘たちよ、梵世同伴性の法を説くスネッタ師の教えを全て了解した者たちは、身が壊れて死して後、善趣である梵世に転生した。
 教えを全て了解しなかった者たちは、身が破れて死して後、一部の者たちは他化自在天の仲間に転生し、一部の者たちは化楽天の仲間に転生し、一部の者たちはトゥシタ天の仲間に転生し、一部の者たちはヤーマ天の仲間に転生し、一部の者たちは三十三天の仲間に転生し、一部の者たちは四大王天の仲間に転生し、一部の者たちはカッティヤの富豪の仲間に転生し、一部の者たちは婆羅門の富豪の仲間に転生し、一部の者たちは居士の富豪の仲間に転生した。
一〇 比丘たちよ、そのときスネッタ師は考えた。「私が未来に弟子たちと全く同じ趣に在るだろうということ、これは実に適当ではない。それならば私は最上の慈を修習すべきである」と。
 比丘たちよ、そのときスネッタ師は七年の間慈心を修習し、七年の間慈心を修習し終わって、七成壊劫においてこの世に再び還らなかった。
 比丘たちよ、世界が壊れつつあるときには実に極光天におり、世界が成りつつあるときには空虚の梵宮に生じた。
 比丘たちよ、そこで実に梵、大梵、勝利者、勝利されない者、全てを見る者、自在者となった。
 比丘たちよ、また三十六度、帝釈天となり、数百度、転輪王となり、正法の者、法の王、四方の征服者、善く国を治める者、七宝具足者であった。さらに彼には千の子がいた。みな勇敢、勇猛で敵を破る者たちであった。彼は海の辺際とするこの地を杖なく刀なく法によって征服して住した。
 比丘たちよ、あのスネッタ師はこのように長寿であり、このように久しく住するといえども、生老死、愁悲苦憂悩を解脱せず、苦しみから解脱していないと私は言う。それはなぜか。四つの法を覚らず、了解しないがゆえである。何が四か。
一一 比丘たちよ、聖なる戒を覚らず了解せず、聖なる三摩地を覚らず了解せず、聖なる慧を覚らず了解せず、聖なる解脱を覚らず了解しない。
 比丘たちよ、聖なる戒が覚られ了解され、聖なる三摩地が覚られ了解され、聖なる慧が覚られ了解され、聖なる解脱が覚られ了解されて、有愛が断たれ、有結は尽き、今や後の存在はないと。
 世尊はこのように言った。このように言って善逝、師はまたこのように言った。
   戒と定と慧と         無上の解脱と 
   これら諸法は誉れある     ゴータマによりて覚られた
   このように苦の終わりをなせる 大師、眼ある者、涅槃した者である
   ブッダは法を了知して     比丘たちに説く」
   増支部経典>七集>第七 大品 『南伝大蔵経20』大蔵出版 P353–359



山の王シネール:シネール・パッバタラージャー、Sineru pabbatarājā
師スネッタ:スネッタ・サッター、sunetta satthā、ス(su、善、妙)ネッタ(netta、眼、導くもの)「善く導く者」「妙眼師」

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

原始仏典 更新情報

原始仏典のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング