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原始仏典コミュの四無量心2

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・四慰安への到達(ゴータマの説法)
  破戒の原因である三不善根を離れて四無量心を行なう。
  次いで、四慰安に到達する。
・四無量心における解脱方法(ナンダカの説法)
  破戒の原因である三不善根を離れて四無量心を行なう。
  次いで、「是有り、劣有り、妙有り、この想を過ぎて出離有り」。三不善根の根絶。



・四つの安心への到達 
・四無量心における解脱方法
「   六十五
一 あるとき、世尊は大比丘衆とともにコーサラに遊行し、ケーサムッタという名のカーラ族の村に入った。ケーサムッタのカーラ衆たちは聞いた。「沙門である尊ゴータマは釈子であり、サキャ族から出家しケーサムッタに到った。またかの尊ゴータマには美しい称賛の声が揚がっている。『かの世尊は阿羅漢・正等覚・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏陀・世尊で・・・円満清浄の梵行を説き明かす。このような阿羅漢に会うことは幸いである」と。
 そのとき、ケーサムッタのカーラ衆は世尊のいるところに詣った。詣って一部の者は世尊に問訊して一方に座った。また一部の者は世尊と相互に挨拶を交わし、歓喜すべき記憶すべき談話を交わして一方に座った。また一部の者は世尊の方に合掌して一方に座った。また一部の者は名と姓を告げて一方に座った。また一部の者は沈黙して一方に座った。一方に座ったケーサムッタのカーラ衆は世尊に言った。
二 大徳、沙門婆羅門でケーサムッタに来た者がいます。彼らはただ自説を述べ、示し、これに反して他説を反駁し、軽んじ、卑しめ、放棄しました。大徳、また他の一部の沙門婆羅門がケーサムッタに来ます。彼らもまたはただ自説を述べ、示し、これに反して他説を反駁し、軽んじ、卑しめ、放棄しました。
 大徳、彼らについて私たちは疑いがあり、迷いがあります。「これらの沙門婆羅門たちの中の誰が真実を語っているのか。誰が虚偽を語っているのか」と。

三 カーラ衆よ、あなたたちが疑うのは当然である。迷うのは当然である。疑うべきところに疑いは起るのである。
 カーラ衆よ、あなたたは風説を信じてはならない。伝説を信じてはならない。臆説を信じてはならない。蔵の教えと[合する]からといって信じてはならない。尋思にもとづいて信じてはならない。理趣にもとづいて信じてはならない。因相を熟慮して信じてはならない。深慮し忍許する見解と[合する]からといって信じてはならない。[説く者が]堪能であるからといって信じてはならない。[この]沙門は私たちの師であるからといって信じてはならない。
 カーラ衆よ、もしあなたたちがただ自ら「この法は不善である。この法は有罪である。この法は智者が非難するところのものである。この法を円満し受持すればよく不利益と苦に転じる」と覚るならば、カーラ衆よ、あなたたちはそのときは断つべきである。
四 カーラ衆よ、あなたたちはこれをどう思うか。人の内に生じる貪は益となるか、無益となるか。
 大徳、無益となります。
 カーラ衆よ、この貪がある人は、貪によって征服され、心が占領されて、命あるものを殺し、与えられていないものを取り、人の妻と通じ、虚偽を語り、また他者にこのようにすることを勧める。これは彼にとって長い間、無益と苦を与える。 
 大徳、その通りです。
五 カーラ衆よ、あなたたちはこれをどう思うか。人の内に生じる瞋は益となるか、無益となるか。
 大徳、無益となります。
 カーラ衆よ、この瞋がある人は、瞋によって征服され、心が占領されて、命あるものを殺し、与えられていないものを取り、人の妻と通じ、虚偽を語り、また他者にこのようにすることを勧める。これは彼にとって長い間、無益と苦を与える。 
 大徳、その通りです。
六  カーラ衆よ、あなたたちはこれをどう思うか。人の内に生じる癡は益となるか、無益となるか。
 大徳、無益となります。
 カーラ衆よ、この癡がある人は、癡によって征服され、心が占領されて、命あるものを殺し、与えられていないものを取り、人の妻と通じ、虚偽を語り、また他者にこのようにすることを勧める。これは彼にとって長い間、無益と苦を与える。 
 大徳、その通りです。
七 カーラ衆よ、あなたたちはこれをどう思うか。これらの法は善なのか、不善なのか。
 大徳、不善です。
 有罪なのか、無罪なのか。
 大徳、有罪です。
 智者が非難するところのものか、智者が称賛するところのものか。
 大徳、智者が非難するところのものです。
 円満し受持すればよく無益と苦となるのか、あるいはそうではないのか、あるいはこれについてどうか。
 大徳、円満し受持すればよく無益と苦となります。これについて私たちの思うところはこのようです。
八 カーラ衆よ、このようであるがゆえに私は語った。「カーラ衆よ、あなたたは風説を信じてはならない。伝説を信じてはならない。臆説を信じてはならない。蔵の教えと[合する]からといって信じてはならない。尋思にもとづいて信じてはならない。理趣にもとづいて信じてはならない。因相を熟慮して信じてはならない。深慮し忍許する見解と[合する]からといって信じてはならない。[説く者が]堪能であるからといって信じてはならない。[この]沙門は私たちの師であるからといって信じてはならない。カーラ衆よ、もしあなたたちがただ自ら『この法は不善である。この法は有罪である。この法は智者が非難するところのものである。この法を円満し受持すればよく不利益と苦に転じる』と覚るならば、カーラ衆よ、あなたたちはそのときは断つべきである」と。このように先に語ったのはこれに縁って説いたのである。

九 カーラ衆よ、あなたたは風説を信じてはならない。伝説を信じてはならない。臆説を信じてはならない。蔵の教えと[合する]からといって信じてはならない。尋思にもとづいて信じてはならない。理趣にもとづいて信じてはならない。因相を熟慮して信じてはならない。深慮し忍許する見解と[合する]からといって信じてはならない。[説く者が]堪能であるからといって信じてはならない。[この]沙門は私たちの師であるからといって信じてはならない。カーラ衆よ、もしあなたたちがただ自ら「この法は善である。この法は無罪である。この法は智者が称賛するところのものである。この法を円満し受持すればよく益と楽に転じる」と覚るならば、カーラ衆よ、あなたたちはそのときは具足して住すべきである。
一〇 カーラ衆よ、あなたたちはこれをどう思うか。人の内に生じる無貪は益となるか、無益となるか。
 大徳、益となります。
 カーラ衆よ、この無貪である人は、貪によって征服されず、心が占領されず、命あるものを殺さず、与えられていないものを取らず、人の妻と通じず、虚偽を語らず、また他者にこのようにすることを勧める。これはかれに長い間、益と楽を与える。
 大徳、その通りです。
一一 カーラ衆よ、あなたたちはこれをどう思うか。人の内に生じる無瞋は益となるか、無益となるか。
 大徳、益となります。
 カーラ衆よ、この無瞋である人は、瞋によって征服されず、心が占領されず、命あるものを殺さず、与えられていないものを取らず、人の妻と通じず、虚偽を語らず、また他者にこのようにすることを勧める。これはかれに長い間、益と楽を与える。
 大徳、その通りです。
一二 カーラ衆よ、あなたたちはこれをどう思うか。人の内に生じる無癡は益となるか、無益となるか。
 大徳、益となります。
 カーラ衆よ、この無癡である人は、癡によって征服されず、心が占領されず、命あるものを殺さず、与えられていないものを取らず、人の妻と通じず、虚偽を語らず、また他者にこのようにすることを勧める。これはかれに長い間、益と楽を与える。
 大徳、その通りです。
一三 カーラ衆よ、あなたたちはこれをどう思うか。これらの法は善なのか、不善なのか。
 大徳、善です。
 有罪なのか、無罪なのか。
 大徳、無罪です。
 智者が非難するところのものか、智者が称賛するところのものか。
 大徳、智者が称賛するところのものです。
 円満し受持すればよく益と楽となるのか、あるいはそうではないのか、あるいはこれについてどうか。
 大徳、円満し受持すればよく益と楽となります。これについて私たちの思うところはこのようです。
一四 カーラ衆よ、このようであるがゆえに私は語った。「カーラ衆よ、あなたたは風説を信じてはならない。伝説を信じてはならない。臆説を信じてはならない。蔵の教えと[合する]からといって信じてはならない。尋思にもとづいて信じてはならない。理趣にもとづいて信じてはならない。因相を熟慮して信じてはならない。深慮し忍許する見解と[合する]からといって信じてはならない。[説く者が]堪能であるからといって信じてはならない。[この]沙門は私たちの師であるからといって信じてはならない。カーラ衆よ、もしあなたたちがただ自ら『この法は善である。この法は無罪である。この法は智者が称賛するところのものである。この法を円満し受持すればよく益と楽に転じる』と覚るならば、カーラ衆よ、あなたたちはそのときは具足して住するべきである」と。このように先に語ったのはこれに縁って説いたのである。

一五 カーラ衆よ、かの聖弟子はこのように貪求を離れ、瞋を離れ、癡ではなく、自覚し、念があり、慈を倶行する心をもって・・・悲を倶行する心をもって・・・喜を倶行する心をもって・・・捨を倶行する心をもって一方に遍満して住する。第二、第三、第四もまた同じ。このように上下横、あまねく一切処において一切世界に捨を倶行する心をもって広く、大きな、無量の、無怨で、無悩害である心をもって遍満して住する。
 カーラ衆よ、かの聖弟子はこのように怨みのない心であり、このように悩害のない心であり、このように雑染のない心であり、このように清浄な心である。彼は現実において四つの慰安(安心)に到達する。
一六 「もし後世があるならば、またもし善の行為・悪の行為の業の異熟果(報い)があるならば、この処はある。私は身が破れ死して後、善趣、天世に生まれるだろう」と。これが第一の慰安への到達である。
 「もし後世がないとしても、またもし善の行為・悪の行為の業の異熟果がないとしても、私はこの現実において無怨、無悩害、無動揺、楽にして己を保護しよう」と。これが第二の慰安への到達である。
 「もし作す者に悪が作されるならば、私は誰に対しても悪い心を抱かない。悪業を作さない者にどうして苦が触れるだろうか」と。これが第三の慰安への到達である。
 「もし作す者に悪が作されることがないとしても、私は現に両者について己の清浄であることを認める」と。これが第四の慰安への到達である。
 カーラ衆よ、かの聖弟子はこのように怨みのない心であり、このように悩害のない心であり、このように雑染のない心であり、このように清浄な心である。彼は現実においてこの四つの慰安に到達する。
一七 世尊、これはそのようです。善逝、これはそのようです。大徳、かの聖弟子はこのように怨みのない心であり、このように悩害のない心であり、このように雑染のない心であり、このように清浄な心です。彼は現実において四つの慰安に到達します。「もし後世あるならば・・・・・・第四の慰安への到達です。大徳、かの聖弟子はこのように怨みのない心であり、このように悩害のない心であり、このように雑染のない心であり、このように清浄な心です。彼は現実においてこの四つの慰安に到達します。
 大徳、素晴らしい。大徳、素晴らしい。・・・・・・生涯帰依します。


(・四無量心における解脱方法)
   六十六
一 あるとき、具寿ナンダカはサーヴァッティの東園のミガーラの母の高殿に住していた。そのとき、ミガーラの孫サールハと、ペークニヤの孫ローハナは具寿ナンダカのいるところに詣った。詣って具寿ナンダカに問訊して一方に座った。一方に座ったミガーラの孫サールハに具寿ナンダカは言った。
二 サールハ、あなたたは風説を信じてはならない。伝説を信じてはならない。臆説を信じてはならない。蔵の教えと[合する]からといって信じてはならない。尋思にもとづいて信じてはならない。理趣にもとづいて信じてはならない。因相を熟慮して信じてはならない。深慮し忍許する見解と[合する]からといって信じてはならない。[説く者が]堪能であるからといって信じてはならない。[この]沙門は私たちの師であるからといって信じてはならない。カーラ衆よ、もしあなたたちがただ自ら「この法は不善である。この法は有罪である。この法は智者が非難するところのものである。この法を円満し受持すればよく無益と苦に転じる」と覚るならば、カーラ衆よ、あなたたちはそのときは断つべきである。
三 サールハ、あなたたちはこれをどう思うか。貪は存在するか。
 大徳、その通りです。
 サールハ、私はこの義を貪求と言う。サールハ、この貪ある者は、貪求によって命あるものを殺し、与えられていないものを取り・・・虚偽を語る。また他者にこのようにすることを勧める。これはよく彼に長い間の無益と苦となる。
 大徳、その通りです。
四 サールハ、あなたたちはこれをどう思うか。瞋は存在するか。
 大徳、その通りです。
 サールハ、私はこの義を瞋恚と言う。サールハ、この瞋ある者は、瞋心によって命あるものを殺し、与えられていないものを取り・・・虚偽を語る。また他者にこのようにすることを勧める。これはよく彼に長い間の無益と苦となる。
 大徳、その通りです。
五 サールハ、あなたたちはこれをどう思うか。癡は存在するか。
 大徳、その通りです。
 サールハ、私はこの義を無明と言う。サールハ、この癡ある者は、無明に行くことによって命あるものを殺し、与えられていないものを取り・・・虚偽を語る。また他者にこのようにすることを勧める。これはよく彼に長い間の無益と苦となる。
 大徳、その通りです。
六 サールハ、あなたたちはこれをどう思うか。これらの法は善なのか、不善なのか。
 大徳、不善です。
 有罪なのか、無罪なのか。
 大徳、有罪です。
 智者が非難するところのものか、智者が称賛するところのものか。
 大徳、智者が非難するところのものです。
 円満し受持すればよく無益と苦となるのか、あるいはそうではないのか、あるいはこれについてどうか。
 大徳、円満し受持すればよく無益と苦となります。これについて私たちの思うところはこのようです。
七 サールハ、このようであるがゆえに私は語った。「サールハ、あなたたは風説を信じてはならない。伝説を信じてはならない。臆説を信じてはならない。蔵の教えと[合する]からといって信じてはならない。尋思にもとづいて信じてはならない。理趣にもとづいて信じてはならない。因相を熟慮して信じてはならない。深慮し忍許する見解と[合する]からといって信じてはならない。[説く者が]堪能であるからといって信じてはならない。[この]沙門は私たちの師であるからといって信じてはならない。サールハ、もしあなたたちがただ自ら『この法は不善である。この法は有罪である。この法は智者が非難するところのものである。この法を円満し受持すればよく不利益と苦に転じる』と覚るならば、サールハ、あなたたちはそのときは断つべきである」と。このように先に語ったのはこれに縁って説いたのである。

 サールハ、あなたたは風説を信じてはならない。伝説を信じてはならない。臆説を信じてはならない。蔵の教えと[合する]からといって信じてはならない。尋思にもとづいて信じてはならない。理趣にもとづいて信じてはならない。因相を熟慮して信じてはならない。深慮し忍許する見解と[合する]からといって信じてはならない。[説く者が]堪能であるからといって信じてはならない。[この]沙門は私たちの師であるからといって信じてはならない。サールハ、もしあなたたちがただ自ら「この法は善である。この法は無罪である。この法は智者が称賛するところのものである。この法を円満し受持すればよく益と楽に転じる」と覚るならば、サールハ、あなたたちはそのときは具足して住すべきである。
八 サールハ、あなたたちはこれをどう思うか。無貪は存在するか。
 大徳、その通りです。
 サールハ、私はこの義を無貪求と言う。サールハ、この無貪である者は、無貪求によって命あるものを殺さず・・・勧める。これはよく彼に長い間の益と楽となる。
 大徳、その通りです。
九 サールハ、あなたたちはこれをどう思うか。無瞋は存在するか。
 大徳、その通りです。
 サールハ、私はこの義を無瞋恚と言う。サールハ、この無瞋である者は、無瞋心によって命あるものを殺さず・・・勧める。これはよく彼に長い間の益と楽となる。
 大徳、その通りです。
一〇 サールハ、あなたたちはこれをどう思うか。無癡は存在するか。
 大徳、その通りです。
 サールハ、私はこの義を明と言う。サールハ、この無癡である者は、明に行くことによって命あるものを殺さず・・・勧める。これはよく彼に長い間の益と楽となる。
 大徳、その通りです。
一一 サールハ、あなたたちはこれをどう思うか。これらの法は善なのか、不善なのか。
 大徳、善です。
 有罪なのか、無罪なのか。
 大徳、無罪です。
 智者が非難するところのものか、智者が称賛するところのものか。
 大徳、智者が称賛するところのものです。
 円満し受持すればよく益と楽となるのか、あるいはそうではないのか、あるいはこれについてどうか。
 大徳、円満し受持すればよく益と楽となります。これについて私たちの思うところはこのようです。
一二 サールハ、このようであるがゆえに私は語った。「サールハ、あなたたは風説を信じてはならない。伝説を信じてはならない。臆説を信じてはならない。蔵の教えと[合する]からといって信じてはならない。尋思にもとづいて信じてはならない。理趣にもとづいて信じてはならない。因相を熟慮して信じてはならない。深慮し忍許する見解と[合する]からといって信じてはならない。[説く者が]堪能であるからといって信じてはならない。[この]沙門は私たちの師であるからといって信じてはならない。サールハ、もしあなたたちがただ自ら『この法は善である。この法は無罪である。この法は智者が称賛するところのものである。この法を円満し受持すればよく益と楽に転じる』と覚るならば、サールハ、あなたたちはそのときは具足して住するべきである」と。このように先に語ったのはこれに縁って説いたのである。

一三 サールハ、かの聖弟子はこのように貪求を離れ、瞋を離れ、癡ではなく、自覚し、念があり、慈を倶行する心をもって・・・悲を倶行する心をもって・・・喜を倶行する心をもって・・・捨を倶行する心をもって一方に遍満して住する。第二、第三、第四もまた同じ。このように上下横、あまねく一切処において一切世界に捨を倶行する心をもって広く、大きな、無量の、無怨で、無悩害である心をもって遍満して住する。
 彼はこのように知る。「これが有る。劣が有る。優が有る。この想に行くところの上に出離がある」と。彼はこのように知り、このように見るゆえに、欲漏からも心が解脱し、有漏からも心が解脱し、無明漏からも心が解脱する。解脱すれば、解脱したという智がある。「生は尽きた。梵行は住した。為すべき事は為された。さらにこの状態になることはない」と知る。
 彼はこのように知る。「先には貪があった。それは不善である。今はそれがない。これは善である。先には瞋があった。それは不善である。今はそれがない。これは善である。先には癡があった。それは不善である。今はそれがない。これは善である」と。彼は現実において希求なく、寂滅し、清涼に、楽を知覚し、梵存在として自ら住する」
     増支部経典>三集>第二 大品 『南伝大蔵経17』大蔵出版 P303–320





貪:ローバ、lobha → この義を貪求(アビッジャー、abhijjhā)と言う。
瞋:ドーサ、dosa → この義を瞋恚(ビャーパーダ、vyāpāda)と言う。
癡:モーハ、moha → この義を無明(アビッジャー、avijjā)と言う。

無貪:アローバ、alobha → この義を無貪求(アナビッジャー、anabhijjhā)と言う。
無瞋:アドーサ、adosa → この義を無瞋恚(アビャーパーダ、avyāpāda)と言う。
無癡:アモーハ、amoha → この義を明(ビッジャー、vijjā)と言う。

征服される:アビブータ、abhibhūta
心が占領される:パリヤーディンナチッタ、pariyādinnacitta

無怨心 :アベーラ・チッタ、averacitta
無悩害心:アビャーパッジャ・チッタ、abyāpajjhacitta
無雑染心:アサンキリッタ・チッタ、asaṃkiliṭṭhacitta、
清浄心 :ヴィスッダ・チッタ、visuddhacitta
安心への到達:アッサーサー・アディガター、assāsā adhigatā、安息・慰安とも

善作悪作:スカタ・ドゥッカタ、sukatadukkaṭa
業:カンマ、kamma
異熟果:パラム・ヴィパーコー、phalaṃ vipāko、パラ(果)ヴィパーカ(異熟)、報いのこと

無怨:アヴェーラ、avera
無悩害:アビャーパッジャ、abyāpajjha
無動揺:アニーガ、anīgha
楽 :スカ、sukha

梵存在:ブラフマブータ、brahmabhūta

彼はこのように知る。「これがある。これは劣っている。これは優れている。この想を過ぎて出離がある」と。
‘‘So evaṃ pajānāti – ‘atthi idaṃ, atthi hīnaṃ, atthi paṇītaṃ, atthi imassa saññāgatassa uttari nissaraṇa’nti.

彼はこのように知る。「先には貪があった。それは不善である。今はそれがない。これは善である。・・・」
‘‘So evaṃ pajānāti – ‘ahu pubbe lobho, tadahu akusalaṃ, so etarahi natthi, iccetaṃ kusalaṃ; ahu pubbe doso…pe… ahu pubbe moho, tadahu akusalaṃ, so etarahi natthi, iccetaṃ kusala’nti.

彼は現法において希求せず、寂滅し、清涼に、楽を受用して、心は梵になりて住する。
So diṭṭheva dhamme nicchāto nibbuto sītibhūto sukhappaṭisaṃvedī brahmabhūtena attanā viharatī’’ti.


ブラフマブータに関しては長部経典の方で「法身(ダンマカーヤ)、梵身(ブラフマカーヤ)、法存在(ダンマブータ)、梵存在(ブラフマブータ)」という記述があります。

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