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原始仏典コミュの犍度部 小品 第7  「破僧犍度」4

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(続き 『南伝大蔵経4 律蔵4』大蔵出版 P304から)



「四–一 ときに、その日は布薩であった。デーヴァダッタはくじを取らせて言った。
「友らよ、私たちは沙門ゴータマのもとに到って五事を要請して言った。『世尊は無数の方便によって少欲・・・・・・肉魚を食べれば罪とされますように』と。沙門ゴータマは五事を許さない。私たちはこの五事を持って住する。この五事を許す尊者はくじを取りなさい」
 そのとき、ヴェーサーリのヴァッジ族の比丘五百人がいた。新参であって事を弁じず、彼らは「これは法である。これは律である。これは師の教えである」と思ってくじを取った。ときに、デーヴァダッタはサンガを破り五百人の比丘を率いてガヤーシーサ山に向かって去った。
 ときに、サーリプッタとモッガーラナは世尊のいるところに詣った。詣って世尊を敬礼して一方に座った。一方に座って具寿サーリプッタは世尊に言った。
「デーヴァダッタはサンガを破り五百人の比丘を率いてガヤーシーサ山に向かって去りました」
「サーリプッタらよ、あなたたちはその新参比丘たちにおいて悲心がないのか。サーリプッタらよ、その比丘たちがまだ懊悩に堕ちていない間に行きなさい」
「承知しました」とサーリプッタとモッガーラナは世尊に応え、座から起って世尊を敬礼して右回りしてガヤーシーサ山に到った。
 そのとき、一人の比丘がいた。世尊の近くにいて泣いて立っていた。ときに、世尊はその比丘に言った。
「比丘よ、あなたはなぜ泣いているのか」
「サーリプッタとモッガーラナは世尊の第一弟子であるのにデーヴァダッタのもとに行きデーヴァダッタの法を喜んでいます」
「比丘よ、サーリプッタとモッガーラナがデーヴァダッタの法を喜ぶということ、その処はなく機会もない。彼らは比丘たちを説得するために行ったのである」
二 そのとき、デーヴァダッタは大衆に囲まれて法を説いて座っていた。デーヴァダッタはサーリプッタとモッガーラナが遠くから来るのを見た。見て比丘たちに言った。
「比丘たちよ、見なさい。私が法を説くのはこのように善いのだ。サーリプッタとモッガーラナは沙門ゴータマの第一弟子であるのに、私のもとに来て私の法を喜ぶ」
 このように言ったときコーカーリカはデーヴァダッタに言った。
「デーヴァダッタ、サーリプッタとモッガーラナを信頼してはならない。サーリプッタとモッガーラナには悪欲があり、悪欲に従っているのだ」
「やめなさい、友よ。彼らが来るのは善いことだ。私の法を喜んでいるからである」
 ときに、デーヴァダッタは尊者サーリプッタに半分の座を分けて招いて言った。
「サーリプッタ、ここに座りなさい」
「やめなさい、友よ」と言い、尊者サーリプッタは一つの座を取って一方に座った。尊者モッガーラナもまた一つの座を取って一方に座った。
 ときに、デーヴァダッタは夜に多く比丘たちのために法を説いて教示し勧導し讃励し歓喜させ、尊者サーリプッタに勧請して言った。
「サーリプッタ、比丘たちはすでに惛沈睡眠を離れている。サーリプッタ、比丘たちのために説法しなさい。私は背が痛んだ。休もう」
「承知した」と尊者サーリプッタはデーヴァダッタに応えた。ときにデーヴァダッタは大衣を四つに畳んで右脇にして臥せた。彼は疲労し忘念不正知であってすぐに眠った。
三 ときに、尊者サーリプッタは記心神変教誡の説法(相手の心を読むことによる指導)をなして比丘たちを教導し教誡し、尊者マハーモッガーラナは神通神変教誡の説法(神通による指導)をなして比丘たちを教導し教誡した。ときに、比丘たちは尊者サーリプッタの記心神変教誡と尊者マハーモッガーラナの神通神変教誡によって教導教誡を受けて遠塵離垢の法眼を得た。即ち、集法を有するものはすべてこれ、滅法を有すると。ときに、尊者サーリプッタは比丘たちに言った。
「友らよ、世尊のもとに行こう。世尊の法を喜ぶ者は来なさい」
 ときに、サーリプッタとモッガーラナはその五百人の比丘とともに竹林に到った。
 ときに、コーカーリカはデーヴァダッタを起こして言った。
「デーヴァダッタ、起きなさい。サーリプッタとモッガーラナがあの比丘たちを率いて去ってしまった。デーヴァダッタ、私があなたに言ったではないか。『デーヴァダッタ、サーリプッタとモッガーラナを信頼してはならない。サーリプッタとモッガーラナには悪欲があり、悪欲に従っているのだ』と」
 ときに、デーヴァダッタはそこにおいて口から熱血を吐いた。
四 ときに、サーリプッタとモッガーラナは世尊のいるところに詣った。詣って世尊を敬礼して一方に座った。一方に座って尊者サーリプッタは世尊に言った。
「どうか破僧に従って比丘たちに改めて具足戒を受けさせますように」
「やめなさい、サーリプッタ。破僧に従った比丘たちに改めて具足戒を受けさせようと願ってはならない。サーリプッタ、それならば破僧に従った比丘たちに偸蘭遮の悔過を為さしめなさい。サーリプッタ、デーヴァダッタはあなたをどうしたのか」
「デーヴァダッタは夜に多く比丘たちのために法を説いて教示し勧導し讃励し歓喜させ、私に勧請して言いました。『サーリプッタ、比丘たちはすでに惛沈睡眠を離れている。サーリプッタ、比丘たちのために説法しなさい。私は背が痛んだ。休もう』と。このようにデーヴァダッタはしました」
五 ときに、世尊は比丘たちに言った。
「比丘たちよ、過去世に空閑処に大きな池水があった。象の衆はこれによって住していた。彼らは池水に入り鼻によって蓮根を抜き、善く洗って泥を取って、噛んで食べた。彼らはこれによって光沢を得、気力を得、そのために死なず、死に至る苦しみを受けなかった。
 比丘たちよ、その大象に倣って小象はその池水に入って鼻によって蓮根を抜いたが、善く洗わず、泥を合わせて噛んで食べた。彼らはこれによって光沢を得ず、気力を得ず、そのために死に、あるいは死に至る苦しみを受けた。
 比丘たちよ、このようにデーヴァダッタは私に倣って困苦して死ぬだろう。
   大地を揺るがし、蓮根を食べ、水中に夜を徹する大龍に倣って
   泥を食べる小象のおうに私に倣って困苦して死ぬだろう」
六 「比丘たちよ、八分を具足する比丘は使命を受けて行くに適う。何が八か。
 比丘たちよ、ここに比丘がいて、よく聞き、よく説き、よく学ぶ、よく持ち、よく理解し、よく理解を与え、伴侶と伴侶でないものを知ることに善巧であり、論争を為さない。
 比丘たちよ、このような八分を具足する比丘は使命を受けて行くに適う。
 比丘たちよ、八分を具足するサーリプッタは使命を受けて行くに適う。何が八か。
 比丘たちよ、ここにサーリプッタは、よく聞き、よく説き、よく学ぶ、よく持ち、よく理解し、よく理解を与え、伴侶と伴侶でないものを知ることに善巧であり、論争を為さない。
 比丘たちよ、このような八分を具足するサーリプッタは使命を受けて行くに適う。
   暴言の集会に行って恐怖なく
   語るをやめず教えを覆わず
   説くに疑惑なく問われて怒らず
   このような比丘たちは使命を受けて行くに適う」
七 「比丘たちよ、八非法に覆われ心が捕われたデーヴァダッタは悪趣地獄に堕ちて一劫の間、住して救うべきではない。何が八か。
 比丘たちよ、デーヴァダッタは利得に覆われ心が捕われ悪趣地獄に堕ちて一劫の間、住して救うべきではない。
 比丘たちよ、デーヴァダッタは損失に覆われ心が捕われ悪趣地獄に堕ちて一劫の間、住して救うべきではない。
 比丘たちよ、デーヴァダッタは名誉に覆われ心が捕われ悪趣地獄に堕ちて一劫の間、住して救うべきではない。
 比丘たちよ、デーヴァダッタは不名誉に覆われ心が捕われ悪趣地獄に堕ちて一劫の間、住して救うべきではない。
 比丘たちよ、デーヴァダッタは尊敬に覆われ心が捕われ悪趣地獄に堕ちて一劫の間、住して救うべきではない。
 比丘たちよ、デーヴァダッタは不敬に覆われ心が捕われ悪趣地獄に堕ちて一劫の間、住して救うべきではない。
 比丘たちよ、デーヴァダッタは悪欲に覆われ心が捕われ悪趣地獄に堕ちて一劫の間、住して救うべきではない。
 比丘たちよ、デーヴァダッタは悪友に覆われ心が捕われ悪趣地獄に堕ちて一劫の間、住して救うべきではない。
 比丘たちよ、この八非法に覆われ心が捕われたデーヴァダッタは悪趣地獄に堕ちて一劫の間、住して救うべきではない。
 善いかな、比丘たちよ。生じた利得に勝って住しなさい。
 生じた損失に勝って住しなさい。
 生じた名誉に勝って住しなさい。
 生じた不名誉に勝って住しなさい。
 生じた尊敬に勝って住しなさい。
 生じた不敬に勝って住しなさい。
 生じた悪欲に勝って住しなさい。
 生じた悪友に勝って住しなさい。
 比丘たちよ、何の義趣によるがゆえに比丘は生じた利得・・・損失・・・名誉・・・不名誉・・・尊敬・・・不敬・・・悪欲・・・悪友に勝って住すべきなのか。
 比丘たちよ、生じた利得に勝たずに住するならば、苦悩と熱煩の諸漏が生じるだろうが、生じた利得に勝って住せばこの苦悩と熱煩の諸漏は生じない。
 比丘たちよ、生じた損失に勝たずに住するならば、苦悩と熱煩の諸漏が生じるだろうが、生じた損失に勝って住せばこの苦悩と熱煩の諸漏は生じない。
 比丘たちよ、生じた名誉に勝たずに住するならば、苦悩と熱煩の諸漏が生じるだろうが、生じた名誉に勝って住せばこの苦悩と熱煩の諸漏は生じない。
 比丘たちよ、生じた不名誉に勝たずに住するならば、苦悩と熱煩の諸漏が生じるだろうが、生じた不名誉に勝って住せばこの苦悩と熱煩の諸漏は生じない。
 比丘たちよ、生じた尊敬に勝たずに住するならば、苦悩と熱煩の諸漏が生じるだろうが、生じた尊敬に勝って住せばこの苦悩と熱煩の諸漏は生じない。
 比丘たちよ、生じた不敬に勝たずに住するならば、苦悩と熱煩の諸漏が生じるだろうが、生じた不敬に勝って住せばこの苦悩と熱煩の諸漏は生じない。
 比丘たちよ、生じた悪欲に勝たずに住するならば、苦悩と熱煩の諸漏が生じるだろうが、生じた悪欲に勝って住せばこの苦悩と熱煩の諸漏は生じない。
 比丘たちよ、生じた悪友に勝たずに住するならば、苦悩と熱煩の諸漏が生じるだろうが、生じた悪友に勝って住せばこの苦悩と熱煩の諸漏は生じない。
 比丘たちよ、この義趣によるがゆえに比丘は生じた利得・・・損失・・・名誉・・・不名誉・・・尊敬・・・不敬・・・悪欲・・・悪友に勝って住すべきである。
 比丘たちよ、それゆえ「私たちは生じた利得に勝って住そう。生じた損失に勝って住そう。生じた名誉に勝って住そう。生じた不名誉に勝って住そう。生じた尊敬に勝って住そう。生じた不敬に勝って住そう。生じた悪欲に勝って住そう。生じた悪友に勝って住そう」とこのように、比丘たちよ、学ぶべきである。
 比丘たちよ、三非法に覆われ心が捕われたデーヴァダッタは悪趣地獄に堕ちて一劫の間、住して救うべきではない。何が三か。
 悪欲と、悪友と、下劣な殊勝に到達したために途中で完了したということである。
 比丘たちよ、三非法に覆われ心が捕われたデーヴァダッタは悪趣地獄に堕ちて一劫の間、住して救うべきではない。
   世間に悪欲者生じることなかれ
   今、悪欲者の行き先を知れ
   私は聞く デーヴァダッタは賢者と知られ
   すでに修ありと許され名声が高かった
   彼は放逸に行ないかの如来を軽侮し
   恐怖すべき四つ門ある無間地獄に堕ちる
   汚れなく悪業をなさない者を障害し
   悪心あり尊重のない者は邪悪に覆われる
   毒壷によって海を汚そうと思っても
   汚すべきではない 海は怖畏すべくまた大である
   このように如来は成就し心は寂静であれば
   論によって害そうとしても論は増長せず
   賢者はこの人を友としこの人に仕えよ
   比丘がもしこの人の路に従うならば苦の滅尽を得るだろう

五–一 ときに、尊者ウパーリは世尊のいるところに詣った。詣って世尊を敬礼して一方に座った。一方に座って尊者ウパーリは世尊に行った。
「僧不和、僧不和と言います。何が僧不和であり、破僧ではないのですか。何が僧不破であり、しかも破僧なのですか」
「ウパーリ、一方に一人がいて他方に二人がいる。第四の人が提言してくじを取らせ『これは法である。これは律である。これは師の教えである。これを取ってこれを信楽しなさい』と言う。
 ウパーリ、このようなものは僧不和であって破僧ではない。
 ウパーリ、一方に二人がいて他方に二人がいる。第五の人が提言してくじを取らせ『これは法である。これは律である。これは師の教えである。これを取ってこれを信楽しなさい』と言う。
 ウパーリ、このようなものは僧不和であって破僧ではない。
 ウパーリ、一方に二人がいて他方に三人がいる。第六の人が提言してくじを取らせ『これは法である。これは律である。これは師の教えである。これを取ってこれを信楽しなさい』と言う。
 ウパーリ、このようなものは僧不和であって破僧ではない。
 ウパーリ、一方に三人がいて他方に三人がいる。第七の人が提言してくじを取らせ『これは法である。これは律である。これは師の教えである。これを取ってこれを信楽しなさい』と言う。
 ウパーリ、このようなものは僧不和であって破僧ではない。
 ウパーリ、一方に三人がいて他方に四人がいる。第八の人が提言してくじを取らせ『これは法である。これは律である。これは師の教えである。これを取ってこれを信楽しなさい』と言う。
 ウパーリ、このようなものは僧不和であって破僧ではない。
 ウパーリ、一方に四人がいて他方に四人がいる。第九の人が提言してくじを取らせ『これは法である。これは律である。これは師の教えである。これを取ってこれを信楽しなさい』と言う。
 ウパーリ、このようなものが僧不和であり、しかも破僧である。
 ウパーリ、九人もしくは九人を越えるものは僧不和であり、しかも破僧である。
 ウパーリ、比丘尼は破僧を企てても破僧ではない。
 ウパーリ、式叉摩那は破僧を企てても破僧ではない。
 ウパーリ、沙彌は破僧を企てても破僧ではない。
 ウパーリ、沙彌尼は破僧を企てても破僧ではない。
 ウパーリ、優婆塞は破僧を企てても破僧ではない。
 ウパーリ、優婆夷は破僧を企てても破僧ではない。
 ウパーリ、同住していて同境界にある真の比丘がサンガを破る。
二 「破僧、破僧と言います。何がサンガ破れるとなすのですか」
「ウパーリ、ここに比丘たちがいて、非法を法と説き、法を非法と説き、非律を律と説き、律を非律と説き、如来の所説所言でないものを如来の所説所言であると説き、如来の所説所言であるものを如来の所説所言ではないと説き、如来の常行法でないものを如来の常行法であると説き、如来の常行法であるものを如来の常行法ではないと説き、如来の所制ではないものを如来の所制であると説き、如来の所制であるものを如来の所制ではないと説き、無罪を有罪と説き、有罪を無罪と説き、軽罪を重罪と説き、重罪を軽罪と説き、有余罪を無余罪と説き、無余罪を有余罪と説き、粗罪を非粗罪と説き、非粗罪を粗罪と説く。彼らはこの十八事をもって誘い惑わし、別々に布薩を行ない、別々に自恣を行ない、別々にサンガ羯磨を行なう。
 ウパーリ、これをサンガ破れるとなす」
三 「僧和合、僧和合と言います。何がサンガ和合するとなすのですか」
「ウパーリ、ここに比丘たちがいて、非法を非法と説き、法を法と説き、・・・・・・非粗罪を非粗罪と説く。彼らはこの十八事をもって誘わず惑わさず、別々に布薩を行なわず、別々に自恣を行なわず、別々にサンガ羯磨を行なわない。
 ウパーリ、これをサンガ和合するとなす」
四 「和合僧を破れば何を積みますか」
「ウパーリ、和合僧を破れば一劫住する罪過を積み、一劫地獄で煮られる。
   破僧者は悪趣地獄に行き一劫住し
   徒党を喜び非法に住する者は安穏を得ない
   和合僧を破れば一劫地獄で煮られる
「破僧を和合させれば何を積みますか」
「ウパーリ、破僧を和合させれば梵福を積み、一劫天上で楽しむ。
   サンガの和合と和合者の摂受は楽である
   和合を喜び法に住する者は安穏を失わない
   サンガを和合させれば一劫天上に楽しむ
「破僧者であって悪趣地獄に行き一劫住して救うべきではない者はいますか」
「ウパーリ、破僧者であって悪趣地獄に行き一劫住して救うべきではない者はいる」
「破僧者であって悪趣地獄に行かず一劫住さず救うべき者はいますか」
「破僧者であって悪趣地獄に行かず一劫住さず救うべき者はいる」
「どのような破僧者が悪趣地獄に行き一劫住して救うべきではないのですか」
「ウパーリ、ここに比丘がいて、非法を法と説き、これを非法であると見て、破僧を非法であると見て、見解を堅く持ち、忍耐を堅く持ち、喜びを堅く持ち、修行を堅くもって提言してくじを取らせ、『これは法である。これは律である。これは師の教えである。これを取って、これを信楽しなさい』と言う。
 ウパーリ、このような破僧者は悪趣地獄に行って一劫住して救うべきではない。
 ウパーリ、また比丘がいて、非法を法と説き、これを非法であると見て、破僧を法であると見て、見解を堅く持ち・・・・・・
 ウパーリ、また比丘がいて、非法を法と説き、これを非法であると見て、破僧に疑いを生じ、見解を堅く持ち・・・・・・
 ウパーリ、また比丘がいて、非法を法と説き、これを法であると見て、破僧を非法であると見て、見解を堅く持ち・・・・・・
 ウパーリ、また比丘がいて、非法を法と説き、これを法であると見て、破僧に疑いを生じ、見解を堅く持ち・・・・・・
 ウパーリ、また比丘がいて、非法を法と説き、これに疑いを生じ、破僧を非法であると見て、見解を堅く持ち・・・・・・
 ウパーリ、また比丘がいて、非法を法と説き、これに疑いを生じ、破僧を法であると見て、見解を堅く持ち・・・・・・
 ウパーリ、また比丘がいて、非法を法と説き、これに疑いを生じ、破僧に疑いを生じ、見解を堅く持ち、忍耐を堅く持ち、喜びを堅く持ち、修行を堅くもって提言してくじを取らせ、『これは法である。これは律である。これは師の教えである。これを取って、これを信楽しなさい』と言う。
 ウパーリ、このような破僧者は悪趣地獄に行って一劫住して救うべきではない。
六 「どのような破僧者が悪趣地獄に行かず一劫住さず救うべきですか」
「ウパーリ、ここに比丘がいて、非法を法と説き、これを法であると見て、破僧を法であると見て、見解を堅く持たず、忍耐を堅く持たず、喜びを堅く持たず、修行を堅く持たずして提言してくじを取らせ、『これは法である。これは律である。これは師の教えである。これを取って、これを信楽しなさい』と言う。
 ウパーリ、このような破僧者は悪趣地獄に行かず一劫住さず救うべきである。
 ウパーリ、また法を非法と説き、これを法であると見て、破僧を法であると見て・・・・・・
 非粗罪を粗罪であると説き、これを法であると見て、破僧を法であると見て・・・・・・一劫住さず救うべきである」

                       第三誦品[畢]

 これに摂頌あり。
 (一)アヌピヤ、著名、柔軟にして欲せず
 耕、播種、漑水、排水、除草、刈、収穫
 土、脱穀、藁、籾殻、箕で煽る、蔵
 未来にも尽きず、父も祖父も
 (二)バッディヤ、アヌルッダ、アーナンダ、バグ、キンビラ、
 (三)釈子慢、(四)コーサンビー、神通を失う、(五)カクダ、
 (六)顕示、(七)父、(八)人、(九)ナーラーギリ、
 (一〇)三人、(一一)五事、(一二)重罪、(一三)破僧、偸蘭遮
 (一四)三種の八分、(一五)三非法、(一六)僧不和、(一七)破僧、(一八)有無」

     『南伝大蔵経4 律蔵4』大蔵出版 P304〜317



       破僧犍度      完

コメント(4)

こんばんは、klousです。
あれからずっと経典を読んでは実践という感じの毎日でして、いくつか質問させてください。

伝説ではデーバダッタは釈尊を殺そうとしたことになっているのですが、原始仏典にはこの記述はあるのでしょうか?
デーバダッタがそこまでするとは俄かに信じられないので探していたのですが。

あと、テーラワーダで回向と随喜について学習し、実践しているのですが、そもそも原始仏典にあるのでしょうか?


ちなみに、慈心の瞑想を原始仏典方式で実践して3日経ちます。
私は想(対象)をつくるときに、なるべく言葉を使わずに、慈心そのものを想(対象)として、ホラ貝吹きの例えで想を拡大するように実践しているのですが、そんな感じで間違っていないでしょうか?
なにかしら助言がありましたらお願いします<(_ _)>


よろしくお願いします。
破僧犍度の2と3のページを読んでみてください。以下の記述によって殺意は確かなものです。


「四 ときに、デーヴァダッタはアジャータサットゥのもとに到った。到ってアジャータサットゥに言った。
「王子、昔の人々は長寿であったが今は短命です。あなたが王子のまま死ぬというこの可能性があります。王子、それならばあなたは父を殺して王となりなさい。私は世尊を殺してブッダとなろう」。 」


「私は先生を殺してブッダになる」という発言は究極の暴言だと思います。それから刺客を雇い、大岩を投げ落としてゴータマを出血させ、凶暴な象を駆り立ててゴータマを襲わせています。以上の記述から殺人未遂ですが、デーヴァダッタはゴータマを殺すつもりで動いています。多分、今デーヴァダッタは地獄で煮られていると思います。一劫のあいだ地獄で煮られる予定ですから、まだだいぶ先です。このスケールだとキリスト教の悪魔の首領たちが落とされる地獄は案外、マシな方の地獄かも知れません。



回向と随喜に関しては以下の記述を参考にしました。

回向    http://www.j-theravada.net/pali/key-anumodana.html
回向と随喜 http://www.j-theravada.net/qa/qahp53.html


原始仏典には単語は別としても「そのような意味内容のある回向・随喜の記述」は存在しません。体調が悪くてあまり複雑なことは考えたくないので、今回はこれだけにしたいと思います。


慈心はそのような感じで問題ないと思います。慈心を修しているということは素晴らしいことです。僕がおすすめしたいのは、家族や友人やカフェの客などに慈心を修してその反応を確かめる対照実験が利益が多いと思います。反応の違いが慈心への確信をさらに強めていくと思います。赤ちゃんや幼児の反応は敏感で面白いと思います。


慈心を修すれば福を積めて現実の世界も若干住み易くなりますから、一石二鳥です。怒りも減り、怒りが減った分だけ容姿と表情が向上するので、もっといいことと思います。僕は慈心はとても美しい心だと考えています。慈心を修しているときは少なくともそのときは誰もが美しい心であるのだと思います。


慈心は三毒の一つの怒りを滅するのに有効ですので、三悪根絶にもかなってとてもいい修行です。慈心を修する人が増えるのはとても素晴らしいことです。
すみません、大事な頁を読み落としてしまい恥かしい限りです。
身体の体調がすぐれないなか、貴重な返答をありがたく頂戴します。
感謝でいっぱいです。

私がぺこちゃんさんに出来ることといえば、慈心の瞑想と東洋医学的なアドバイスくらいです。
もし、頭の使いすぎで体調を崩されたのでしたら、脾臓が弱っていますので、でんぷん質(炭水化物)を多めに取って、一時思考を中断して安静にしているといいです。(おそらく、すでにそうしていると思いますが、念のため)
消化にいいうどんやお粥がいいです。パスタは腹もちが良すぎるのであまり良くないです。

脾臓が弱ると湿痰が溜まって身体が重くだるくなるので、エアコンの除湿をするといいです。もちろん温度は下げ過ぎずに。
扇風機をする場合は、北側から風を送るようにするといいです。湿邪はこの時期南から来ますから。


ところで、デーバダッタが釈尊を殺そうとしたことに疑問を持ったのには、以下のHPの記事を読んだからです。

>もうひとつには、デーヴァダッタの教えを遵奉する人々が、インドに長く存在したことです。たとえば、四世紀に天竺を訪れた法顕三蔵の『高僧法顕伝』は、当時、「舎衛城にはデーヴァダッタの教えを信奉する人々がいて、過去三仏を供養していたが、釈迦仏は供養していなかった」と伝えています。また、さきにあげた七世紀の玄奘三蔵の『大唐西域記』は、「デーヴァダッタの遺訓を遵奉する者たちが三つの伽藍に住んでいて、乳酪を飲食しなかった」と伝えています。もし、デーヴァダッタが、仏典に示されているような極悪人だったとすれば、その名を伝える教団がそれほど長く存続していたとは考えにくいのです。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/
にもデーバダッタの論考やラーフラの名前の意味など興味深いことが書かれてあって、出典がよく分かりませんが、この記事のように考えた方がとても自然で納得してしまいました。



ちなみに、慈心の瞑想・経典バージョンは確かに凄いです。
まだ慣れていないのですが、やったその日から睡眠時間が5時間程度に短縮されました。
ほんとにぺこちゃんさんの原始仏教研究・布教活動には感謝してもしきれません。
有難うございます。


お身体、お大事に。


慈心を信じて実践されていることは素晴らしいことだと思います。klausさんのように熱心な方は貴重だと思います。僕のやっていることは個人的なことに過ぎないのですが、そのように言っていただけると労が報われる思いで嬉しい限りです。


上のサイトは原始仏典と大乗仏典の双方の記述を採用していて、原始仏典に特別な地位を与えていないことから、大乗仏教側の人が書いておられると思いますが、それを承知の上で読むならば、興味深い記事も多くあると思います。デーヴァダッタの教団は過去三仏を供養しているが、ゴータマ・ブッダは供養していないという記述など面白いですね。


klausさんは医学にも造詣があるのですね。ゴータマも病気になったときはジーヴァカに治してもらっていたようで、出家しても有用な知識だと思います。お気遣いありがとうございます。養生して体調を整えたいと思います。

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