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原始仏典コミュの犍度部 小品 第7  「破僧犍度」3

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(続き 『南伝大蔵経4 律蔵4』大蔵出版 P297から)



「一〇 比丘たちは聞いた。「デーヴァダッタは世尊を害そうと企てている」。ここにその比丘たちは世尊の精舎を回って経行し、高い声や大きい声によって読誦し、世尊を守護し、防護し、護衛しようとした。世尊は高い声や大きい声の読誦の声を聞いた。聞いて尊者アーナンダに告げて言った。
「アーナンダ、あの高い声や大きい声の読誦の声は何か」
「比丘たちは聞きました。『デーヴァダッタは世尊を害そうと企てている』と。ここにその比丘たちは世尊の精舎を回って経行し、高い声や大きい声によって読誦し、世尊を守護し、防護し、護衛しようとしています。世尊、これはその高い声や大きい声の読誦の声です」
「アーナンダ、それならば私の言葉をもってその比丘たちに告げて『師が尊者たちを呼んでいます』と言いなさい」
「承知しました」と尊者アーナンダは世尊に応え、その比丘たちのもとに到った。到ってその比丘たちに告げて言った。
「師が尊者らを呼んでいます」
「承知した」とその比丘たちは尊者アーナンダに応え、世尊のいるところに詣った。詣って世尊を敬礼して一方に座った。一方に座ったとき、その比丘たちに世尊は言った。
「比丘たちよ、暴力によって如来の命を奪うというその処はなく機会もない。
 比丘たちよ、如来は次第(順序)があって般涅槃する。
 比丘たちよ、世間に五つの師がいて、現在いる。何が五か。
 比丘たちよ、ここに一人の師がいる。不遍浄戒であるのに、自ら「遍浄戒である」と言い、「私の戒は遍浄であり、潔白であり、無染である」と言う。弟子たちはこのように知る。「この尊い師は不遍浄戒であるのに、自ら『遍浄戒である』と言い、『私の戒は遍浄であり、潔白であり、無染である』と言う。もし私たちがこれを在家の人々に告げるならば彼の意に適わないだろう。彼の意に適わないことをどうして私たちは言えるだろうか。彼は衣服・飲食・坐臥具・病薬・資具によって帰依されている。彼はその為すところによって知られるだろう」と。比丘たちよ、このような師の戒を弟子たちは守り、このような師の戒は弟子による守護を求める。
 比丘たちよ、またここに一人の師がいる。不遍浄命であるのに、自ら「遍浄命である」と言い、「私の命は遍浄であり、潔白であり、無染である」と言う。弟子たちはこのように知る。「この尊い師は不遍浄命であるのに、自ら『遍浄命である』と言い、『私の命は遍浄であり、潔白であり、無染である』と言う。もし私たちがこれを在家の人々に告げるならば彼の意に適わないだろう。彼の意に適わないことをどうして私たちは言えるだろうか。彼は衣服・飲食・坐臥具・病薬・資具によって帰依されている。彼はその為すところによって知られるだろう」と。比丘たちよ、このような師の命を弟子たちは守り、このような師の命は弟子による守護を求める。
 比丘たちよ、またここに一人の師がいる。不遍浄説法であるのに、自ら「遍浄説法である」と言い・・・このような師の説法は弟子による守護を求める。
 比丘たちよ、またここに一人の師がいる。不遍浄記説であるのに、自ら「遍浄記説である」と言い・・・このような師の記説は弟子による守護を求める。
 比丘たちよ、またここに一人の師がいる。不遍浄智見であるのに、自ら「遍浄智見である」と言い・・・このような師の智見は弟子による守護を求める。
 比丘たちよ、このように世間に五つの師がいて、現在にある。
 比丘たちよ、また私は遍浄戒であり、自ら「遍浄戒である」と言い、「私の戒は遍浄であり、潔白であり、無染である」と言う。私の戒を弟子たちは守護せず、私の戒は弟子たちによる守護を求めない。
 比丘たちよ、また私は遍浄命であり、自ら「遍浄命である」言い、「私の命は遍浄であり、潔白であり、無染である」と言う。私の命を弟子たちは守護せず、私の戒は弟子たちによる守護を求めない。
 比丘たちよ、また私は遍浄説法であり・・・
 比丘たちよ、また私は遍浄記説であり・・・
 比丘たちよ、また私は遍浄智見であり・・・私の智見は弟子たちによる守護を求めない。
 比丘たちよ、暴力によって如来の命を奪うというその処はなく機会もない。
 比丘たちよ、如来は次第があって般涅槃する。
 比丘たちよ、それぞれの精舎に行きなさい。比丘たちよ、如来を防護すべきではない」
一一 そのとき、ラージャガハにナーラーギリと名付ける象がいた。暴悪であってよく人を殺す。ときに、デーヴァダッタはラージャガハに入り、象舍に行き、象使いたちに言った。
「私たち王族は下位の者を上位に置き、飲食俸給を増大させることができる。沙門ゴータマがこの大通りに入ったとき、このナーラーギリ象を放ってこの大通りに入れなさい」
「承知しました」とその象使いたちはデーヴァダッタに応えた。
 ときに、世尊は明け方に下衣を着け、衣鉢をもって多くの比丘たちとともに乞食のためにラージャガハに入った。ときに、世尊はその大通りに入った。その象使いたちは世尊がこの大通りに入ったのを見た。見てナーラーギリ象を放ってその大通りに入れた。ナーラーギリ象は世尊が遠くから来るのを見た。見て鼻をあげて耳と尾を堅く立てて世尊に走ってきた。比丘たちはナーラーギリ象が遠くから来るのを見た。見て世尊に言った。
「このナーラーギリ象は暴悪であってよく人を殺します。この大通りに入りました。世尊、退いてください。善逝、退いてください」
「比丘たちよ、恐れてはならない。比丘たちよ、暴力によって如来の命を奪うというその処はなく機会もない。比丘たちよ、如来は次第があって般涅槃する」
 再びその比丘たちは世尊に言った。
「このナーラーギリ象は暴悪であってよく人を殺します。この大通りに入りました。世尊、退いてください。善逝、退いてください」
「比丘たちよ、恐れてはならない。比丘たちよ、暴力によって如来の命を奪うというその処はなく機会もない。比丘たちよ、如来は次第があって般涅槃する」
 三たびその比丘たちは世尊に言った。
「このナーラーギリ象は暴悪であってよく人を殺します。この大通りに入りました。世尊、退いてください。善逝、退いてください」
「比丘たちよ、恐れてはならない。比丘たちよ、暴力によって如来の命を奪うというその処はなく機会もない。比丘たちよ、如来は次第があって般涅槃する」
一二 そのとき、人々は高殿、楼閣、屋上に上ってみた。ここに信がなく、浄心がなく、劣覚である人々は言った。
「端正な大沙門が象に害されようとしている」
 信があり、浄心があり、賢明であり、有覚である人々は言った。
「龍象が龍象と会うのは久しぶりだ」
 ときに、世尊は慈心をもってナーラーギリ象を遍満(遍く満たす)した。ときに、ナーラーギリ象は世尊の慈心に遍満されて鼻を垂れて世尊にいるところに詣った。詣って世尊の前に立った。ときに、世尊は右手でナーラーギリ象の面のこぶをなでて偈によってナーラーギリ象に言った。
   象よ、龍象に抗ってはならない
   象よ、龍象に抗うのは苦である
   象よ、龍象をもし殺せば
   後世に善趣を得ないがゆえに
   酔狂であってはならない 放逸であってはならない
   放逸ならば善趣に行かない
   汝こそ善趣に行くべきであり
   このように行なってはならない
 ときに、ナーラーギリ象は鼻で世尊の足の塵を取り、頭上に撒いて、後ろに屈して退き、その間世尊を見ていた。ときに、ナーラーギリ象は象舍に行き自分の場所に立った。このようにナーラーギリ象は柔和になった。そのとき、人々は偈を唱えた。
   人は杖や鉤、鞭によって調御するが
   大仙は刀杖を用いずに象を御した
一三 人々は呟き憤り謗った。
「このデーヴァダッタが邪悪不祥であるのはなんと甚だしいことか。沙門ゴータマはこのように大神通大威力があるのに殺そうと企てているからである」
 こうしてデーヴァダッタの利得と尊敬は減少し、世尊の利得と尊敬が増大した。
 そのとき、デーヴァダッタは利得と尊敬が減少したので人々とともに家々にまとわりついて食べていた。人々は呟き憤り謗った。
「どうして沙門釈子たちは家々にまとわりついて食べるのか。誰が善く成したものを悦ばないものか。誰が美味を悦ばないものか」
 比丘たちはその人々が呟き憤り謗るのを聞いた。少欲の比丘たちは呟き憤り謗った。
「どうしてデーヴァダッタは人々とともに家々にまとわりついて食べるのか」
 世尊にこの義を告げた。
「デーヴァダッタ、あなたが人々とともに家々にまとわりついて食べるというのは真実か」
「世尊、真実です」
 呵責し説法をなし、比丘たちに告げた。
「比丘たちよ、それならば三つの義趣によって家々において比丘たち三人がともに食することを制する。恥知らずを折伏するために、善美な比丘が楽に住するために、悪欲がある者が徒党を組んでサンガを破ることがないようにするために、俗家を哀愍するために。人々がともに食せば法の如く治すべきである」
一四 ときに、デーヴァダッタはコーカーリカ、カタモーラカティッサカ、カンダデーヴィヤープッタ、サムッダダッタのもとに到った。到ってコーカーリカ、カタモーラカティッサカ、カンダデーヴィヤープッタ、サムッダダッタに言った。
「友らよ、私たちは沙門ゴータマのサンガを破り、輪を破ろう」
 このように言ったときコーカーリカはデーヴァダッタに言った。
「友よ、沙門ゴータマは大神通大威力がある。どうして私たちが沙門ゴータマのサンガを破り、輪を破ることができようか」
「友らよ、私たちは沙門ゴータマのもとに到って五事を要請して言おう。
『世尊は無数の方便によって少欲、知足、少しずつ減らすこと、頭陀、信心、損減、発勤を称賛して説かれます。
 ここに五つの事があります。無数の方便によって少欲、知足、少しずつ減らすこと、頭陀、信心、損減、発勤に資します。
 どうか比丘たちは生涯、林に住むべきであるとし、村に入れば罪とされますように。
 生涯、乞食すべきであり、請われた食を受ければ罪とされますように。
 生涯、糞掃衣を着るべきであって、居士の衣を受ければ罪とされますように。
 生涯、樹下に坐すべきであり、屋内に到れば罪とされますように。
 生涯、肉魚を食べないべきであり、肉魚を食べれば罪とされますように』。
 沙門ゴータマはこの五事を許さないだろう。私たちはこの五事を人々に告げよう。友らよ、この五事によって沙門ゴータマのサンガを破り、輪を破ることを得るだろう。友らよ、人々は質素を信楽するからである」
一五 ときに、デーヴァダッタは人々とともに世尊のいるところに詣った。詣って、世尊を敬礼して一方に座った。一方に座ってデーヴァダッタは世尊に言った。
「世尊は無数の方便によって少欲、知足、漸損、頭陀、信心、損減、発勤を称賛して説かれます。
 ここに五つの事があります。無数の方便によって少欲、知足、漸損、頭陀、信心、損減、発勤に資します。
 どうか比丘たちは生涯、林に住むべきであるとし、村に入れば罪とされますように。
 生涯、乞食すべきであり、招待された食事を受ければ罪とされますように。
 生涯、糞掃衣を着るべきであって、居士の衣を受ければ罪とされますように。
 生涯、樹下に坐すべきであり、屋内に到れば罪とされますように。
 生涯、肉魚を食べないべきであり、肉魚を食べれば罪とされますように」
「やめなさい、デーヴァダッタ。もし欲するならば常時、林に住むべきであり、もし欲しないならば村に住むべきである。
 もし欲するならば常時、乞食をすべきであり、もし欲しないならば招待された食事を受けるべきである。
 もし欲するならば常時、糞掃衣を着るべきであり、もし欲しないならば居士衣を受けるべきである。
 デーヴァダッタ、私は八月樹下に坐臥することを許し、見られず聞かれず疑われないという三つの事において清浄であるならば肉魚を許している」
 ときに、デーヴァダッタはこの五事を許されない」と踊躍歓喜して人々とともに座から起って世尊を敬礼して右回りして去った。
 ときに、デーヴァダッタは人々ともにラージャガハに入って五事を人々に告げた。
「友らよ、私たちは沙門ゴータマのもとに到って五事を要請して言った。『世尊は無数の方便をもって・・・・・・肉魚を食べれば罪とされますように』と。沙門ゴータマはこの五事を許さない。私たちはこの五事を持って住する」
一六 ここに信がなく、浄心がなく、劣覚の人々は言った。
「この沙門釈子たちは頭陀を行じ、漸損に住する。沙門ゴータマは贅沢であって贅沢を念じている」
 信があり、浄心があり、賢明で、有覚の人々は呟き憤り謗った。
「どうしてデーヴァダッタは世尊のサンガを破り、輪を破ろうと企てるのか」
 比丘たちはその人々が呟き憤り謗るのを聞いた。少欲の比丘たちは呟き憤り謗った。
「どうしてデーヴァダッタは世尊のサンガを破り、輪を破ろうと企てるのか」
 ときに、その比丘たちは世尊にこの義を告げた。
「デーヴァダッタ、あなたはサンガを破り、輪を破ろうとしているというのは真実なのか」
「世尊、真実です」
「やめなさい、デーヴァダッタ。破僧を喜んではならない。デーヴァダッタ、破僧は重罪である。
 デーヴァダッタ、和合僧を破れば一劫の罪過を積み、一劫地獄で煮られるだろう。
 デーヴァダッタ、破れたサンガを和合させれば梵福を積み、一劫天上で楽しむだろう。
 やめなさい、デーヴァダッタ。破僧を喜んではならない。デーヴァダッタ、破僧は重罪である」
一七 ときに、具寿アーナンダは明け方に下衣を着て衣鉢を持って乞食のためにラージャガハに入った。デーヴァダッタは具寿アーナンダが乞食のためにラージャガハを歩くのを見た。見て具寿アーナンダのもとに到った。到って具寿アーナンダに言った。
「アーナンダ、私は今日から世尊と分かれ比丘衆と別れて布薩を行ない、サンガの羯磨を行なおうと思う」
 ときに、具寿アーナンダは乞食のためにラージャガハを歩き、食後に乞食から帰って世尊のいるところに詣った。詣って世尊を敬礼して一方に座った。一方に座って具寿アーナンダは世尊に言った。
「ここに私が明け方に下衣を着て衣鉢を持って乞食のためにラージャガハに入りました。デーヴァダッタは私がが乞食のためにラージャガハを歩くのを見ました。見て私のもとに到って私に言いました。『アーナンダ、私は今日から・・・・・・羯磨を行なおうと思う』と。デーヴァダッタは今日サンガを破ろうとしています」
 ときに世尊はこの義を知り、このときにウダーナを説いた。
   善人が善をなすのは易く
   悪人が善をなすのは難い
   悪人が悪をなすのは易く
   善人が悪をなすのは難い
                           第二誦品[畢]」(続く)

     『南伝大蔵経4 律蔵4』大蔵出版 P297〜304

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