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原始仏典コミュの長部経典 第27経 『起源経』2 人類の起源

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(『原始仏典【第三巻】長部経典③』春秋社 P128)





「[米の貯蔵]
 一七、「ヴァーセッタさん、当時、不当であると見なされていたことが、現在、正当であると見なされています。
 またヴァーセッタさん、その当時性交をした生ける者たちは、一ヶ月または二ヶ月間、村や町のなかに入ることを許されませんでした。ヴァーセッタさん、かの連中はそのときよからぬ行為に対する激しい非難を受けたので、それからは自分たちのよからぬ行為を隠すために家を造り始めました。
 ヴァーセッタさん、また生まれつき怠慢なある生ける者は、次のように考えました。『ばかばかしい。夕方は夕食のために、朝方は朝食のためにいちいち稲米を取りに行くのは煩わしい。今後自分は夕食と朝食のために一度だけ稲米を取りに行くとしよう』と。ヴァーセッタさん、そこでその生ける者は夕食と朝食のために一度だけ稲米を取りに行きました。ヴァーセッタさん、そのとき別のある生ける者がかれのところへ来ました。かれに近づいてから、こういいました。
『友よ、さあ、稲米を取りに行こう』
『友よ、その必要はない。わたしは朝食と夕食のための米を一度に取ってきたんだ』
 ヴァーセッタさん、するとこういわれたかれはその生ける者の真似をして、二日分の食事のために稲米を一度だけ取って来ました、『本当にこうすると楽だ』と。
 そのとき、ヴァーセッタさん、また他の生ける者がこの者のところへ来ました。[90]かれに近づいてからこういいました。
『友よ、さあ、稲米を取りに行こう』
『友よ、その必要はない。わたしは二日分の食事のための稲米を一度に取ってきたんだ』
 ヴァーセッタさん、するとこういわれたかれはその生ける者の真似をして、四日分の食事のために稲米を一度だけ取って来ました、『本当にこうすると楽だ』と。
 そのとき、ヴァーセッタさん、また他の生ける者がこの者のところへ来ました。かれに近づいてからこういいました。
『友よ、さあ、稲米を取りに行こう』
『友よ、その必要はない。わたしは四日分の食事のための稲米を一度に取ってきたんだ』
 ヴァーセッタさん、するとこういわれたかれはその生ける者の真似をして、八日分の食事のために稲米を一度だけ取って来ました、『本当にこうすると楽だ』と。
 ヴァーセッタさん、こうしてかの生ける者たちは貯蔵していた稲米を食べ始めました。すると糠が米粒を覆い、籾殻が米粒を包みました。稲米は刈られても再び成長せず、収穫されたままで、刈り取られた株ばかりになってしまいました。
 一八、ヴァーセッタさん、そのとき、生ける者たちは集合しました。集合してから次のように嘆きました。
『ああ、生ける者たちに悪いことが現れた。わたしたちはかつて心よりなる存在であり、喜びを食物とし、みずから光を放ち、空中を歩き、浄福にひたりながら、きわめて長い期間生き続けた。わたしたちにとって長い期間が経過した後、いつかあるとき、水上一面に大地の精髄が拡がった。それは色形も完全で香も完全で味も完全だった。わたしたちは大地の精髄を手で一口の塊にして食べ始めた。大地の精髄を手で一口の塊にして食べ始めると、わたしたちがみずから発する光は消え去った。みずから発する光が消え去ったとき、月と太陽が出現した。月と太陽が出現したとき、星宿と[91]星の光が出現した。星宿と星の光が出現したとき、夜と昼が定まった。夜と昼が定まったとき、暦の月と半月、季節と年が定まった。
 わたしたちは、大地の精髄を食べ、それを食物とし、それを食糧として、きわめて長い期間生き続けた。そのわたしたちにさまざまな邪悪で善からぬことが現れたとき、大地の精髄は消えてしまった。大地の精髄が消えてから、地衣類が出現した。それは色形も完全で香も完全で味も完全だった。わたしたちは、地衣類を食べ、それを食物とし、それを食糧として、きわめて長い期間生き続けた。そのわたしたちにさまざまな邪悪で善からぬことが現れたとき、地衣類は消えてしまった。地衣類が消えてから、蔓草類が出現した。それは色形も完全で香も完全で味も完全だった。わたしたちは、蔓草類を食べ、それを食物とし、それを食糧として、きわめて長い期間生き続けた。そのわたしたちにさまざまな邪悪で善からぬことが現れたとき、蔓草類は消えてしまった。
 蔓草類が消えてから、耕さずに成長する稲米が出現した。糠もなく、籾殻もなく、香りよい米粒が実った。夕方、夕食のために取ったものが、翌朝ふたたび成長して実った。朝方、朝食のために取ったとものが、夕方、ふたたび成長して実った。とりさった痕跡は見られなかった。わたしたちは、耕さずに成長する稲米を食べ、それを食物とし、それを職長としてきわめて長い期間生き続けた。そのわつぃたちにさまざまな邪悪で善からぬことが現れたとき、糠が米粒を覆い、籾殻が米粒を包んだ。稲米は刈られても再び成長せず、収穫されたままで、[92]刈り取られた株ばかりになった。いまやわたしたちは稲米を分けてもとう。田地の境界を定めよう』と。ヴァーセッタさん、こうしてかの生ける者たちは稲米を分けてもち、田地の境界を定めました」

[盗みの発生]
 一九、「ヴァーセッタさん、そのときある意地汚い生ける者が自分の地所を見張りながら、他人の与えられていない地所を取って利用しました。かれらはその者を捕えました。捕えてから、こういいました、『なんとまあ、おまえは悪いことをしている。自分の地所を見張りながら、他人の与えられていない地所を取って利用している。いいか、おまえはもうこのようなことを繰り返してはならない』と。ヴァーセッタさん、『そうします、友よ』とその生ける者は他の与える者に答えました。
 しかしヴァーセッタさん、二度目もその生ける者は自分の地所を見張りながら、他人の与えられていない地所を取って利用しました。かれらはその者を捕えました。捕えてから、こういいました、『なんとまあ、おまえは悪いことをしている。自分の地所を見張りながら、他人の与えられていない地所を取って利用している。いいか、おまえはもうこのようなことを繰り返してはならない』と。ヴァーセッタさん、『そうします、友よ』とその生ける者は他の生ける者たちに答えました。
 ヴァーセッタさん、三度目もその生ける者は自分の地所を見張りながら、他人の与えられていない地所を取って利用しました。かれらはその者を捕えました。捕えてから、こういいました、『なんとまあ、おまえは悪いことをしている。自分の地所を見張りながら、他人の与えられていない地所を取って利用している。いいか、おまえはもうこのようなことを繰り返してはならない』と。ある者はかれを手で殴打し、ある者は土塊で殴打し、ある者は棒で殴打しました。ヴァーセッタさん、じつにそのときから盗みが知られ、叱責が知られ、嘘が知られ、懲罰が知られるようになりました」

[王族の起源]
 二〇、「ヴァーセッタさん、そのとき、生ける者たちは集合しました。集合してから嘆き悲しみました。『ああ、友よ、生ける者たちのあいだにさまざまな悪いことが現れた。というのは盗みが広まり、叱責が広まり、嘘が広まり、懲罰が広まろうとしているのだ。そこでわれわれは一人の生ける者を選定することにしよう。かれはわれわれのために正当に憤るべき場合には憤り、正当に叱責すべき場合には叱責し、正当に追放すべき場合には追放しなければならない。そのかわり、われわれはかれに稲米の分け前を贈与しよう』
[93]ヴァーセッタさん、そのとき、かの生ける者たちは自分たちのなかでもっとも端正で、もっとも美しく、もっとも感じよく、もっとも威力ある生ける者のところに行き、次のようにいいました。
『さあよき人よ、正当に憤るべき場合には憤り、正当に叱責すべき場合には叱責し、正当に追放すべき場合には追放してください。そのかわり、われわれはかれに稲米の分け前を贈与するでしょう』
『承知しました』といって、その生ける者はかの生ける者たちに約束し、正当に憤るべき場合には憤り、正当に叱責すべき場合には叱責し、正当に追放すべき場合には追放しました。そのかわり、われわれはかれに稲米の分け前を贈与しました。
 二一、ヴァーセッタさん、『大衆によって選定されたもの』というのが、マハーサンマタの意味です。マハーサンマタという第一の名称が成立しました。
 ヴァーセッタさん、『田地の主』というのが、クシャトリアの意味です。クシャトリアという第二の名称が成立しました。
 ヴァーセッタさん、『法によって他の人を喜ばせる』(ランジェーティ)というのが、王(ラージャ)の意味です。王という第三の名称が成立しました。
 ヴァーセッタさん、このクシャトリアの集団は、昔の語源にさかのぼれば、以上のように成立しました。かれらの起源はまさにかの生ける者からであって、他のものからではありません。理法に反してではなく、まさに理法によってこのようであったのです。ヴァーセッタさん、それは理法こそ現世でもまた来世でも人間にとって最高のものであるからです」

[バラモンの起源]
 二二、「ヴァーセッタさん、かの生ける者たちのうち、ある者は次のように考えました。『ああ、友よ、生ける者たちのあいだにさまざまな悪いことが現れた。というのは盗みが広まり、叱責が広まり、嘘が広まり、懲罰が広まろうとしているのだ。そこでわれわれは邪悪で善からぬことを排除しよう』と。かれらは邪悪で善からぬことを[94]排除しました。
 ヴァーセッタさん、『邪悪で善からぬことを排除する』(バーヘーンティ)というのが、ブラーフマナの意味です。ブラーフマナという第一の名称が成立しました。
 かれらは人のいない林のなかで樹葉で小屋を作り、樹葉の小屋のなかで瞑想しました。炭火は消え、煙も出さず、杵には葉が積もっています。夕方には夕食のために、朝方には朝食のために、村や町や都へ食べ物を求めて訪れます。かれらは食べ物を得ると再び人のいない林のなかの小屋のなかで瞑想します。人々はかれらを見て次のようにいいました。『友よ、これらの生ける者たちは、人のいない林のなかで樹葉で小屋を作り、樹葉の小屋のなかで瞑想している。炭火は消え、煙も出さず、杵には葉が積もっている。夕方には夕食のために、朝方には朝食のために、村や町や都へ食べ物を求めて訪れる。かれらは食べ物を得ると再び人のいない林のなかの小屋のなかで瞑想する』と。
 ヴァーセッタさん、『瞑想する』(ジャーヤンティ)というのが、ジャーヤカ(瞑想する人)の意味です。こうしてジャーヤカという第二の名称が成立しました。
 二三、ヴァーセッタさん、かの生ける者たちのうち、ある者たちは人のいない林のなかの樹葉の小屋で瞑想することができなくなり、村の周辺や町の周辺に来て、書物を作りながら住みとどまりました。人々はかれらを見て次のようにいいました。『友よ、これらの生ける者たちは人のいない林のなかの樹葉の小屋で瞑想することができなくなり、村の周辺や町の周辺に来て、書物を作りながら住みとどまっている。いまやかれらは瞑想しない』と。
 ヴァーセッタさん、『いまやかれらは瞑想しない』といのが、アジャーヤカ(ヴェーダを学習する人)の意味です。こうしてアジャーヤカという第三の名称が成立しました。ヴァーセッタさん、当時、かれらは劣っていると考えられています。しかし、いまでは最上であると考えられています。
 ヴァーセッタさん、このバラモンの集団は、昔の語源にさかのぼれば、以上のように成立しました。かれらの起源は[95]まさにかの生ける者からであって、他のものからではありません。理法に反してではなく、まさに理法によってこのようであったのです。ヴァーセッタさん、それは理法こそ現世でもまた来世でも人間にとって最高のものであるからです」

[庶民の起源]
 二四、「ヴァーセッタさん、かの生ける者たちのうち、ある者たちは夫婦の関係を結んで、一般的な職業に従事しました。ヴァーセッタさん、夫婦の関係を結んで一般的な職業に従事するというのが、庶民(ヴェッサ)のいみです。こうしてヴェッサという名称が成立しました。
 ヴァーセッタさん、この庶民の集団は、昔の語源にさかのぼれば、以上のように成立しました。かれらの起源はまさにかの生ける者からであって、他のものからではありません。理法に反してではなく、まさに理法によってこのようであったのです。ヴァーセッタさん、それは理法こそ現世でもまた来世でも人間にとって最高のものであるからです」

[隷民の起源]
 二五、ヴァーセッタさん、かの生ける者たちのうち、いままでに述べた以外の者たちは、狩猟を仕事にしました。ヴァーセッタさん、狩猟(ルッダ)を仕事とする、雑事(クッダ)を仕事とするというのが隷民(スッダ)の意味です。こうしてスッダという名称が成立しました。
 ヴァーセッタさん、この隷民の集団は、昔の語源にさかのぼれば、以上のように成立しました。かれらの起源はまさにかの生ける者からであって、他のものからではありません。理法に反してではなく、まさに理法によってこのようであったのです。ヴァーセッタさん、それは理法こそ現世でもまた来世でも人間にとって最高のものであるからです」

[修行者の出現]
 二六、「さてヴァーセッタさん、ついに次のようなときが到来しました。すなわち王族でありながら、自分に固有の社会慣習を嫌悪し、修行者になろうと在家から出家の生活へと入ります。バラモンでありながら、自分に固有の社会慣習を嫌悪し、修行者になろうと在家から出家の生活へと入ります。庶民でありながら、自分に固有の社会慣習を[96]嫌悪し、修行者になろうと在家から出家の生活へと入ります。隷民でありながら、自分に固有の社会慣習を嫌悪し、修行者になろうと在家から出家の生活へと入ります。ヴァーセッタさん、これら四つの集団によって修行者の集団が成立しました。
 かれらの起源はまさにかの生ける者からであって、他のものからではありません。理法に反してではなく、まさに理法によってこのようであったのです。ヴァーセッタさん、それは理法こそ現世でもまた来世でも人間にとって最高のものであるからです」

[善事と悪事の果]
 二七、「ヴァーセッタさん、王族であっても身体によって悪事を行ない、ことばによって悪事を行ない、心によって悪事を行ない、誤った見解をいだいている人は、誤った見解と行為を取っていた結果、身体が滅して死んだ後、悪い所、苦しい所、破滅の所、地獄に生まれます。
 ヴァーセッタさん、バラモンであっても[身体によって悪事を行ない、ことばによって悪事を行ない、心によって悪事を行ない、誤った見解をいだいている人は、誤った見解と行為を取っていた結果、身体が滅して死んだ後、悪い所、苦しい所、破滅の所、地獄に生まれます。]
 ヴァーセッタさん、庶民であっても[身体によって悪事を行ない、ことばによって悪事を行ない、心によって悪事を行ない、誤った見解をいだいている人は、誤った見解と行為を取っていた結果、身体が滅して死んだ後、悪い所、苦しい所、破滅の所、地獄に生まれます。]
 ヴァーセッタさん、隷民であっても[身体によって悪事を行ない、ことばによって悪事を行ない、心によって悪事を行ない、誤った見解をいだいている人は、誤った見解と行為を取っていた結果、身体が滅して死んだ後、悪い所、苦しい所、破滅の所、地獄に生まれます。]
 ヴァーセッタさん、修行者であっても身体によって悪事を行ない、ことばによって悪事を行ない、心によって悪事を行ない、誤った見解をいだいている人は、誤った見解と行為を取っていた結果、身体が滅して死んだ後、悪い所、苦しい所、破滅の所、地獄に生まれます。
 二八、ヴァーセッタさん、王族であっても身体によって善事を行ない、ことばによって善事を行ない、心によって善事を行ない、正しい見解をいだいている人は、正しい見解と行為を取っていた結果、身体が滅して死んだ後、よき所、天の世界に生まれます。
 ヴァーセッタさん、バラモンであっても[身体によって善事を行ない、ことばによって善事を行ない、心によって善事を行ない、正しい見解をいだいている人は、正しい見解と行為を取っていた結果、身体が滅して死んだ後、よき所、天の世界に生まれます。]
 ヴァーセッタさん、庶民であっても[身体によって善事を行ない、ことばによって善事を行ない、心によって善事を行ない、正しい見解をいだいている人は、正しい見解と行為を取っていた結果、身体が滅して死んだ後、よき所、天の世界に生まれます。]
 ヴァーセッタさん、隷民であっても[身体によって善事を行ない、ことばによって善事を行ない、心によって善事を行ない、正しい見解をいだいている人は、正しい見解と行為を取っていた結果、身体が滅して死んだ後、よき所、天の世界に生まれます。]
 ヴァーセッタさん、修行者であっても身体によって善事を行ない、ことばによって善事を行ない、心によって善事を行ない、正しい見解をいだいている人は、正しい見解と行為を取っていた結果、身体が滅して死んだ後、よき所、天の世界に生まれます。
 二九、ヴァーセッタさん、王族であっても身体によって善悪の二事を行ない、ことばによって善悪の二事を行ない、心によって善悪の二事を行ない、正邪両方の見解をいだいている人は、正邪両方の見解と行為を取っていた結果、身体が滅して死んだ後、楽しみと苦しみを体験します。
 ヴァーセッタさん、バラモンであっても[97][身体によって善悪の二事を行ない、ことばによって善悪の二事を行ない、心によって善悪の二事を行ない、正邪両方の見解をいだいている人は、正邪両方の見解と行為を取っていた結果、身体が滅して死んだ後、楽しみと苦しみを体験します]。
 ヴァーセッタさん、庶民であっても[身体によって善悪の二事を行ない、ことばによって善悪の二事を行ない、心によって善悪の二事を行ない、正邪両方の見解をいだいている人は、正邪両方の見解と行為を取っていた結果、身体が滅して死んだ後、楽しみと苦しみを体験します]。
 ヴァーセッタさん、隷民であっても[身体によって善悪の二事を行ない、ことばによって善悪の二事を行ない、心によって善悪の二事を行ない、正邪両方の見解をいだいている人は、正邪両方の見解と行為を取っていた結果、身体が滅して死んだ後、楽しみと苦しみを体験します]。
 ヴァーセッタさん、修行者であっても身体によって善悪の二事を行ない、ことばによって善悪の二事を行ない、心によって善悪の二事を行ない、正邪両方の見解をいだいている人は、正邪両方の見解と行為を取っていた結果、身体が滅して死んだ後、楽しみと苦しみを体験します」

[現世の安らぎと理法]
 三〇、「ヴァーセッタさん、王族であっても身体を自制し、ことばを自制し、心を自制し、七つのさとりのことがらを実践修行すれば、この現世において完き安らぎに帰します。
 ヴァーセッタさん、バラモンであっても[身体を自制し、ことばを自制し、心を自制し、七つのさとりのことがらを実践修行すれば、この現世において完き安らぎに帰します]。
 ヴァーセッタさん、庶民であっても[身体を自制し、ことばを自制し、心を自制し、七つのさとりのことがらを実践修行すれば、この現世において完き安らぎに帰します]。
 ヴァーセッタさん、隷民であっても[身体を自制し、ことばを自制し、心を自制し、七つのさとりのことがらを実践修行すれば、この現世において完き安らぎに帰します]。
 ヴァーセッタさん、修行者であっても身体を自制し、ことばを自制し、心を自制し、七つのさとりのことがらを実践修行すれば、この現世において完き安らぎに帰します。
 三一、というのはヴァーセッタさん、これら四つの階級から出て修行僧になった人が、尊敬されるべき人であり、煩悩を滅ぼし尽くして過ごし、なすべきことをなし終え、重責を果たし、自己の目的を完成し、生存の束縛を断滅し、正しい智慧によって解脱していれば、かれは理法に反してではなく、まさに理法によってこのようであったのです。ヴァーセッタさん、それは理法こそ現世でもまた来世でも人間にとって最高のものであるからです」

[梵天の詩]
 三二、「ヴァーセッタさん、梵天サナムクマーラは次の頌を説きました。
  氏姓に帰属している人々のなかで、王族が優れている
  明知と実践とを完全に具えている人が、天の神と人間のなかで優れている
 ヴァーセッタさん、梵天サナムクマーラが説いたこの偈は、よく歌われていて、悪い歌われたのではありません。よく説かれていて、悪く説かれたのではありません。意味があり、無意味ではありません。わたしたちはこれに同意します。ヴァーセッタさん、わたしもまた次のようにいいます。
 [98]氏姓に帰属している人々のなかで、王族が優れている
  明知と実践とを完全に具えている人が、天の神と人間のなかで優れている」
 世尊はこのように説かれた。ヴァーセッタとバーラドヴァージャは嬉しくなり、世尊が説かれたことを喜んだ。
[パーティカ編]第四、人間世界の起源を説く経 終」

     『原始仏典【第三巻】長部経典③』春秋社 P128–140  完

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