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原始仏典コミュの長部経典 第27経 『起源経』1 人類の起源

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(『原始仏典【第三巻】長部経典③』春秋社 P115から)





「     第二七経 人間世界の起源――起源経    岡田行弘




 本経は、サーヴァッティー(舍衛城)の鹿子母講堂(高殿)でブッダが、婆羅門出身の見習修行僧ヴァーセッタとバーラドヴァージャに対して説いたものである。
 婆羅門たちから、この両名に浴びせられた非難を聞いたブッダは、まず、王族・バラモン・庶民・隷民のそれぞれの階級自体に上下や浄不定の区別はないことを説示する。その理由を説明するために、世界が帰滅して後、人間の世界が成立する過程を述べる。すなわち、大地の精髄・地衣類・蔓草の出現と消失、稲の出現、男女の分化、盗み等の発生が説かれる。そして、社会において王族・バラモン・庶民・隷民の階層が成立した起源を語源的に説明解釈する。
 さらに修行者が登場したことにも触れ、階級にかかわりなく、来世は行為の善悪に左右されるとする。最後に修行者として解脱に至ることが最上であると結んでいる。
 本経に対応する漢訳は、「長阿含経」五、『小縁経』(大正蔵一、三六中–三九上)、「中阿含経」一五四、『婆羅婆堂経』(大正蔵一、六七三中–六七七上)、『白衣金(巾+童)二婆羅門縁起経』(大正蔵一、二一六中–二二二上)である。






[80]わたしはこのように聞いた。

[ヴァーセッタとバーラドヴァージャ]
 一、あるとき、世尊はサーヴァッティー(舍衛城)の東園にあるミガーラマーター(鹿子母)の高殿(講堂)に滞在しておられた。ちょうどそのとき、ヴァーセッタとバーラドヴァージャは正式の修行僧になろうと思って、修行僧たちのもとで見習い期間を過ごしていた。
 さて夕方になって世尊は沈思瞑想より立ち上がり、高殿を降りて、高殿の陰になっている場所を散策しておられた。
 二、ヴァーセッタは、夕方になって世尊が沈思瞑想より立ち上がり、高殿を降りて、高殿の陰になっている場所を散策しておられるのを見た。かれはバーラドヴァージャにいった。
「バーラドヴァージャさん、かの世尊が夕方になって沈思瞑想より立ち上がり、高殿を降りて、高殿の陰になっている場所を散策していらっしゃいます。友よ、世尊がいらっしゅるところに行ってみましょう。少しでも世尊のもとで法話を聴けるかもしれません」
「友よ、それはいい」
 とバーラドヴァージャはヴァーセッタに答えた。そこでヴァーセッタとバーラドヴァージャは世尊がおわれるところにおもむいた。おもむいてから世尊に挨拶して、散策しておられる世尊の後について歩いた。

[バラモンたちからの非難]
 三、そのとき、世尊はヴァーセッタに話しかけられた。
[81]「ヴァーセッタさん、あなたたちはバラモンの生まれ、バラモンの出身、バラモンの家柄であって、在家の生活から、出家の生活へ入りました。ヴァーセッタさん、バラモンたちはあなたがたを非難し、誹謗しませんか」
「その通りです、尊い方よ。バラモンたちは自分たちの流儀で、口汚く、徹底的に、完膚なきまでにわたしたちを非難し、誹謗します」
「ヴァーセッタさん、バラモンたちはいったいどのようにいってあなたたちを自分たちの流儀で、口汚く、徹底的に、完膚なきまでに非難し、誹謗するのですか」
「尊い方よ、バラモンたちは次のようにいいます、『バラモンこそ最上の階級であり、他は劣った階級である。バラモンだけが白い階級であり、他は黒い階級である。バラモンたちだけが清浄になるのであって、バラモンでない者たちはそうではない。バラモンたちだけが梵天の正式な子であり、その口から生まれたのであって、梵天より生まれ、梵天によって創造され、梵天の相続人である。それにもかかわらず、おまえたちは最上の階級を捨て、あのような劣った階級に、つまり剃髪したいんちき修行僧、卑俗で黒く、梵天の足から生まれた子孫の連中に追従している。おまえたちが最上の階級を捨て、あのような劣った階級に、つまり剃髪したいんちき修行僧、卑俗で黒く、梵天の足から生まれた子孫の連中に追従しているというのは、まことによろそくないことだ。ふさわしくないことだ』と。尊い方よ、バラモンたちは自分たちの流儀で、口汚く、徹底的に、完膚なきまでにわたしたちを非難し、誹謗します」
 四、「ヴァーセッタさん、たしかにバラモンたちは昔のことを忘れてこういいます、『バラモンこそ最上の階級であり、他は劣った階級である。バラモンだけが白い階級であり、他は黒い階級である。バラモンたちだけが清浄になるのであって、バラモンでない者たちはそうではない。バラモンたちだけが梵天の正式な子であり、その口から生まれたのであって、梵天より生まれ、梵天によって創造され、梵天の相続人である』と。けれどもヴァーセッタさん、バラモン階級であるバラモンの妻たちも月経があり、妊娠し、[82]出産し、授乳するのが見られます。かれらバラモンも同様に母胎から生まれているのにこういうのです。『バラモンこそ最上の階級であり、[他は劣った階級である。バラモンだけが白い階級であり、他は黒い階級である。バラモンたちだけが清浄になるのであって、バラモンでない者たちはそうではない。バラモンたちだけが梵天の正式な子であり、その口から生まれたのであって、梵天より生まれ、梵天によって創造され、]梵天の相続人である』と。かれらはじつは梵天をないがしろにし、嘘をついき、重大な罪過を招いているのです」

[四階級]
 五、「ヴァーセッタさん、王族、バラモン、庶民、隷民というこれら四つの階級があります。しかしヴァーセッタさん、王族であってもある者は現に生き物を殺し、与えられていない物を取り、欲望の対象に対して邪行をなし、嘘をつき、二枚舌を使い、粗暴なことばを使い、無意味な話をし、貪欲であり、憎悪の心をいだき、誤った見解をもっています。ヴァーセッタさん、このように不善であり、不善であるといわれ、罪があり、罪があるといわれ、習慣にすべきでなく、習慣にすべきでないといわれ、高貴な人にふさわしくなく、高貴な人にふさわしくないといわれ、黒く汚れ、黒く汚れた果報があり、賢者に非難されるさまざまな性質をもっているような人々が、王族のなかに現実に見受けられるのです。
 ヴァーセッタさん、またバラモンであってもある者は[現に生き物を殺し、与えられていない物を取り、欲望の対象に対して邪行をなし、嘘をつき、二枚舌を使い、粗暴なことばを使い、無意味な話をし、貪欲であり、憎悪の心をいだき、誤った見解をもっています。ヴァーセッタさん、このように不善であり、不善であるといわれ、罪があり、罪があるといわれ、習慣にすべきでなく、習慣にすべきでないといわれ、高貴な人にふさわしくなく、高貴な人にふさわしくないといわれ、黒く汚れ、黒く汚れた果報があり、賢者に非難されるさまざまな性質をもっているような人々が、バラモンのなかに現実に見受けられるのです]。
 ヴァーセッタさん、また庶民であってもある者は[現に生き物を殺し、与えられていない物を取り、欲望の対象に対して邪行をなし、嘘をつき、二枚舌を使い、粗暴なことばを使い、無意味な話をし、貪欲であり、憎悪の心をいだき、誤った見解をもっています。ヴァーセッタさん、このように不善であり、不善であるといわれ、罪があり、罪があるといわれ、習慣にすべきでなく、習慣にすべきでないといわれ、高貴な人にふさわしくなく、高貴な人にふさわしくないといわれ、黒く汚れ、黒く汚れた果報があり、賢者に非難されるさまざまな性質をもっているような人々が、庶民のなかに現実に見受けられるのです]。
 ヴァーセッタさん、また隷民であってもある者は現に生き物を殺し、[与えられていない物を取り、欲望の対象に対して邪行をなし、嘘をつき、二枚舌を使い、粗暴なことばを使い、無意味な話をし、貪欲であり、憎悪の心をいだき、]誤った見解をもっています。ヴァーセッタさん、このように不善であり、不善であるといわれ、[罪があり、罪があるといわれ、習慣にすべきでなく、習慣にすべきでないといわれ、高貴な人にふさわしくなく、高貴な人にふさわしくないといわれ、]黒く汚れ、黒く汚れた果報があり、賢者に非難されるさまざまな性質をもっているような人々が、隷民のなかに現実に見受けられるのです。
 六、ヴァーセッタさん、一方王族であってもある者は現に殺生を避け、与えられていない物を取らず、欲望の対象に対して邪行を避け、嘘をつかず、二枚舌を使わず、粗暴なことばを使わず、無意味な話をせず、貪欲を去り、憎悪の心がなく、正しい見解をもっています。ヴァーセッタさん、このように善であり、善であるといわれ、罪がなく、罪がないといわれ、習慣にすべきであり、習慣にすべきであるといわれ、高貴な人にふさわしく、高貴な人にふさわしいといわれ、白く清らかで、白く清らかな果報があり、賢者に称賛されるさまざまな性質をもっている人々が、王族のなかに現実に見受けられるのです。
 ヴァーセッタさん、またバラモンであってもある者は[現に殺生を避け、与えられていない物を取らず、欲望の対象に対して邪行を避け、嘘をつかず、二枚舌を使わず、粗暴なことばを使わず、無意味な話をせず、貪欲を去り、憎悪の心がなく、正しい見解をもっています。ヴァーセッタさん、このように善であり、善であるといわれ、罪がなく、罪がないといわれ、習慣にすべきであり、習慣にすべきであるといわれ、高貴な人にふさわしく、高貴な人にふさわしいといわれ、白く清らかで、白く清らかな果報があり、賢者に称賛されるさまざまな性質をもっている人々が、バラモンのなかに現実に見受けられるのです]。
 ヴァーセッタさん、また庶民であってもある者は[現に殺生を避け、与えられていない物を取らず、欲望の対象に対して邪行を避け、嘘をつかず、二枚舌を使わず、粗暴なことばを使わず、無意味な話をせず、貪欲を去り、憎悪の心がなく、正しい見解をもっています。ヴァーセッタさん、このように善であり、善であるといわれ、罪がなく、罪がないといわれ、習慣にすべきであり、習慣にすべきであるといわれ、高貴な人にふさわしく、高貴な人にふさわしいといわれ、白く清らかで、白く清らかな果報があり、賢者に称賛されるさまざまな性質をもっている人々が、庶民のなかに現実に見受けられるのです]。
 ヴァーセッタさん、また隷民であってもある者は現に殺生を避け、[与えられていない物を取らず、欲望の対象に対して邪行を避け、嘘をつかず、二枚舌を使わず、粗暴なことばを使わず、無意味な話をせず、][83]貪欲を去り、憎悪の心がなく、正しい見解をもっています。ヴァーセッタさん、このように善であり、善であるといわれ、罪がなく、罪がないといわれ、習慣にすべきであり、習慣にすべきであるといわれ、高貴な人にふさわしく、高貴な人にふさわしいといわれ、白く清らかで、白く清らかな果報があり、賢者に称賛されるさまざまな性質をもっている人々が、隷民のなかに現実に見受けられるのです。
 七、ヴァーセッタさん、これら四つの階級において、以上のように黒く汚れていて賢者に非難される性質と白く清らかで賢者に称賛される性質の両方が混在しているのですから、バラモンたちがここで『バラモンこそ最上の階級であり、他は劣った階級である。バラモンだけが白い階級であり、他は黒い階級である。バラモンたちだけが清浄になるのであって、バラモンでない者たちはそうではない。バラモンたちだけが梵天の正式な子であり、その口から生まれたのであって、梵天より生まれ、梵天によって創造され、梵天の相続人である』といっても、賢者たちはそれを承認しません。それはなぜでしょうか。ヴァーセッタさん、これら四つの階級から出て修行僧になった人が、尊敬されるべき人であり、煩悩を滅ぼし尽くして過ごし、なすべきことをなし終え、重責を果たし、自己の目的を完成し、生存の束縛を断滅し、正しい智慧によって解脱していれば、かれは理法に反してではなく、まさに理法によって人々のなかで最上であると称されるのです。ヴァーセッタさん、それは理法こそ、現世でもまた来世でも人間にとって最高のものであるからです」

[理法]
 八、「ヴァーセッタさん、次の説明によって、いま述べた理法こそ、現世でもまた来世でも人間にとって最高のものであるということを理解してください。
 ヴァーセッタさん、コーサラ国のパセーナディ王は、『道の人ゴータマは隣国のシャカ族の家系から出家した』ということを知っています。ヴァーセッタさん、シャカ族はコーサラ国のパセーナディ王に服従しています。ヴァーセッタさん、シャカ族の人々はコーサラ国のパセーナディ王に対し、平身低頭し、丁寧に挨拶し、立ち上がって合掌して迎え、恭順の姿勢を取ります。ヴァーセッタさん、このようにシャカ族がコーサラ国のパセーナディ王に対し、平身低頭し、丁寧に挨拶し、立ち上がって合掌して迎え、恭順の姿勢を取るのと同様に、[84]コーサラ国のパセーナディ王は、修行完成者(如来)に対して、平身低頭し、丁寧に挨拶し、立ち上がって合掌して迎え、恭順の姿勢を取ります、『道の人ゴータマは本当に生まれがいい、わたしは生まれが悪い。道の人ゴータマは力があるが、わたしは弱い。道の人ゴータマは魅力があるが、わたしは醜い。道の人ゴータマは大変権威があるが、わたしは取るに足らない』と。
 このように理法を尊敬し、理法を尊重し、理法を信奉し、理法を供養し、理法を崇拝しているので、コーサラ国のパセーナディ王は、修行完成者に対して、平身低頭し、丁寧に挨拶し、立ち上がって合掌して迎え、恭順の姿勢を取ります。ヴァーセッタさん、この説明によって、理法こそ、現世でもまた来世でも人間にとって最高のものであるということを理解してください。
 九、ヴァーセッタさん、あなた方は、さまざまな生まれ、さまざまな名前、さまざまな種姓、さまざまな家柄であった在家の生活から出家生活へ入りました。もし『あなたたちは何者ですか』と質問されたときには、『わたしたちはシャカ族の息子に従う修行者です』と返答しなさい。
 ヴァーセッタさん、修行完成者に対する信仰が安定し、定着し、確立し、堅固であって、道の人、バラモン、神、悪魔、梵天、世間のいかなる者によっても奪われることがない人は、正当にこのようにいいます、『わたしは世尊の正式な子であり、口から生まれたのであって、理法より生まれ、理法によって創造され、理法の相続人である』と。それはなぜでしょうか。ヴァーセッタさん、じつは修行完成者には、理法を身体とする者、最高存在(ブラフマー)を身体とする者、理法となった者、最高存在となった者、というような呼び方があるからです」

[世界の帰滅]
 一〇、「ヴァーセッタさん、長い期間が経過した後、いつかこの世界が消滅するときがやってきます。世界が消滅するとき、大部分の生ける者たちは光音天(アーバッサラ神の世界)に転生します。そこにおいてかれらは心より成る存在であり、喜びを食物とし、みずから光を放ち、空中を歩き、浄福にひたりながら、きわめて長い期間、生き続けます。
 ヴァーセッタさん、長い期間が経過した後、いつかこの世界が生成するときが再びやってきます。世界が生成するとき、大部分の生ける者たちは、[85]光音天での生存を終えてこの世界にやってきます。かれらは心より成る存在であり、喜びを食物とし、みずから光を放ち、空中を歩き、浄福にひたりながら、きわめて長い期間、生き続けます。
 一一、ヴァーセッタさん、そのときは一切は水の状態で暗くなにも見えない闇のなかでした。月も太陽もなく、星宿と星の光もなく、夜も昼もなく、暦の月も半月もなく、季節も年もなく、女も男もありませんでした。生ける者たちはただ生ける者とだけいわれていました」

[ラサの発生と消失]
「ヴァーセッタさん、生ける者たちにとって、長い期間が経過した後、いつかあるとき、水の上一面に大地の精髄が拡がりました。ちょうど沸騰したミルクが冷めたときに、その表面に膜ができるように出現しました。大地の精髄は色形も完全で、香も完全で、味も完全でした。それはまさに完全に熟成した酥やまったく新鮮なバターのような色形をしていて、ちょうど極上の蜂蜜のようにおいしい味でした。
 一二、ヴァーセッタさん、そのとき一人の意地汚い生ける者が、『はてこれは一体なんだろう』と指で大地の精髄を舐めました。かれは指で大地の精髄を舐めるのを喜び、そこでかれに欲望(渇愛)が生まれました。他の生ける者たちはかれのしたことを見て、同じように指で大地の精髄を舐めました。かれらは指で大地の精髄を舐めるのを喜び、そこでかれらにも欲望が生まれました。
 ヴァーセッタさん、そのときかの生ける者たちは、大地の精髄を手で一口の固まりにして食べ始めました。[86]ヴァーセッタさん、かの生ける者たちが、大地の精髄を一口の固まりにして食べ始めてから後、かの生ける者たちがみずから発する光は消え去りました。みずから発する光が消えたとき、月と太陽が出現しました。月と太陽が出現したとき、星宿と星の光が出現しました。星宿と星の光が出現したとき、夜と昼が定まりました。夜と昼が定まったとき、暦の月と半月が定まりました。暦の月と半月が定まったとき、季節と年が定まりました。ヴァーセッタさん、このようにしてこの世界が再び生成しました。
 一三、ヴァーセッタさん、こうしてかの生ける者たちは大地の精髄を食べ、それを食物とし、食糧として、きわめて長い期間、生き続けました。
 ヴァーセッタさん、かの生ける者たちが大地の精髄を食べ、それを食物とし、食糧として、きわめて長いっ観、生き続ければ生き続ければほど、かれらの身体に堅さが現れてきました。また容姿に相違が認められました。すなわちある者は美しくなり、またある者は醜くなりました。すると美しい生ける者たちは醜い生ける者たちを軽蔑します、『わたしはかれらよりも容姿が美しい。わたしたちよりもかれらは醜い』と。容姿にたいする思い上がりによってかれらに高慢な心が生まれたとき、大地の精髄は消えてしまいました。大地の精髄(ラサ)が消失したとき、かれらは集合しました。集合してから『ああ、ラサだ。ラサだ』と嘆き悲しみました。
 現在でも人間はなにかおいしい味のものを獲得したとき、同じように『ああ、ラサだ。ラサだ』といいます。それは昔のこの最初の使われた方を踏襲しているだけなのです。その意味を理解しているというわけではありません」

[地衣類と蔓草類の出現と消失]
 一四、「ヴァーセッタさん、かの生ける者たちにとって大地の精髄が消え去ったとき、[87]地衣類(パッパタカ)が出現しました。ちょうどキノコのように生えてきました。それは色形も完全で、香も完全で、味も完全でした。それはまさに完全に熟成した酥やまったく新鮮なバターのような色形をしていて、ちょうど極上の蜂蜜のようにおいしい味でした。
 ヴァーセッタさん、そこでかの生ける者たちは地衣類を食べ始めました。かれらはそれを食べ、それを食物とし、食糧として、きわめて長い期間、生き続けました。ヴァーセッタさん、かの生ける者が地衣類を食べ、それを食物とし、それを食糧としてきわめて長い期間生き続ければ生き続けるほど、かれらの身体により一層の堅さが現れてきました。また容姿に相違が認められるようになりました。すなわちある者は美しくなり、またある者は醜くなりました。すると美しい生ける者たちは醜い生ける者たちを軽蔑します、『わたしはかれらよりも容姿が美しい、わたしたちよりもかれらは醜い』と。容姿にたいする思い上がりによってかれらに高慢な心が生まれたとき、地衣類は消えてしまいました。
 地衣類が消失したとき、蔓草類(バダーラター)が出現しました。ちょうど蔦のように生えてきました。それは色形も完全で、香も完全で、味を完全でした。それはまさに完全に熟成した酥やまったく新鮮なバターのような色形をしていて、ちょうど極上の蜂蜜のようにおいしい味でした。
 一五、ヴァーセッタさん、そこでかの生ける者たちは蔓草類を食べ始めました。かれらはそれを食べ、それを食物とし、食糧として、きわめて長い期間、生き続けました。ヴァーセッタさん、かの生ける者が蔓草類を食べ、それを食物とし、それを食糧としてきわめて長い期間生き続ければ生き続けるほど、かれらの身体により一層の堅さが現れてきました。また容姿に相違が認められるようになりました。[88]すなわちある者は美しくなり、またある者は醜くなりました。すると美しい生ける者たちは醜い生ける者たちを軽蔑します、『わたしはかれらよりも容姿が美しい、わたしたちよりもかれらは醜い』と。容姿にたいする思い上がりによってかれらに高慢な心が生まれたとき、蔓草類は消えてしまいました。
 蔓草類が消失したとき、かれらは集合しました。集合してから、『ああ、なんたること(バダ)、わたしたちの蔓草類(バダーラター)は、なんと(バダ)消えてしまった』と嘆き悲しみました。
 現在でも人間はなにか苦しい目に会ったときに、同じように『ああ、なんたること、わたしたちは、ああもうだめだ』といいます。それは昔のこの最初の使われ方を踏襲しているだけなのです。その意味を理解しているというわけではありません」

[稲の出現と男女の分化]
 一六、「ヴァーセッタさん、かの生ける者たちにとって蔓草類が消え去ったとき、耕さずに生長する稲が出現しました。糠もなく、籾殻もなく、香りよい米粒が実ります。夕方、夕食のために取ったものが、翌朝ふたたび成長して実っています。朝方、朝食のために取ったものが、夕方、ふたたび成長して実っています。とりさった痕跡は見られせん。
 ヴァーセッタさん、そのときかの生ける者たちは、耕さずに実る稲米を食べ、それを食物とし、それを食糧として生き続けました。ヴァーセッタさん、そのときかの生ける者たちが、耕さずに実る稲米を食べ、それを食物とし、それを食糧として生き続け、きわめて長い期間生き続ければ生き続けるほど、かれらの身体により一層の堅さが現れてきました。また容姿に相違が認められるようになりました。
 女性には女性の特徴が現れました。また男性には男性の特徴が現れました。女性は限度を越えて男性をじっと見つめ、また男性も女性に対してそうしました。かれらはおたがいに限度を越えてじっと見つめあったので、欲望が起こり、身体が熱くなりました。かれらは情熱をきっかけとして性交しました。ヴァーセッタさん、かの生ける者たちは、性交している連中を見ました。そのときある者たちはその連中をめがけて泥を投げつけ、またある者たちは灰を投げつけ、[89]またある者たちは牛の糞を投げつけました。『くたばれ、汚いやつ。くたばれ、汚いやつ。いったいなぜ生ける者が生ける者に対してこんなことをするのか』といいながら。
 現在でもあちこちの地方で、花嫁が連れて行かれるとき、ある者たちは灰を投げつけ、またある者たちは牛の糞を投げつけます。それは昔のこの最初の形態を踏襲しているだけなのです。その意味を理解しているというわけではありません」

     『原始仏典【第三巻】長部経典③』春秋社 P115–128

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