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原始仏典コミュの相応部経典 大篇  第一  道相応6 「八正道6」

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(『南伝大蔵経16上 相応部経典5』大蔵出版 P196から)



「     一法広説(一)
 
 舍衛城因縁  


     一 遠離依止

   [六三] 第一 善友(一)
二 比丘たちよ、一法がある。聖八支道を生じさせるのに多く役立つ。何を一法となすのか。すなわち、善友があることである。
三 比丘たちよ、善友がある比丘においては、聖八支道を修習し、聖八支道を多く作すことが期待されるべきである。
 比丘たちよ、善友がある比丘はどのようにして聖八支道を修習し、聖八支道を多く作すのか。
四 比丘たちよ、ここに比丘がいて、遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正見を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正思惟を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正語を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正業を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正命を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正精進を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正念を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正定を修習する。
 比丘たちよ、このようにして善友がある比丘は聖八支道を修習し、聖八支道を多く作す。

   [六四] 第二 戒(一)
二 比丘たちよ、一法がある。聖八支道を生じさせるのに多く役立つ。何を一法となすのか。すなわち、戒具足である。・・・

   [六五] 第三 志欲(一)
二 比丘たちよ、一法がある。聖八支道を生じさせるのに多く役立つ。何を一法となすのか。すなわち、意欲具足である。・・・

   [六六] 第四 我(一)
二 比丘たちよ、一法がある。聖八支道を生じさせるのに多く役立つ。何を一法となすのか。すなわち、我具足である。・・・

   [六七] 第五 見(一)
二 比丘たちよ、一法がある。聖八支道を生じさせるのに多く役立つ。何を一法となすのか。すなわち、見具足である。・・・

   [六八] 第六 不放逸(一)
二 比丘たちよ、一法がある。聖八支道を生じさせるのに多く役立つ。何を一法となすのか。すなわち、不放逸具足である。・・・

   [六九] 第七 如理(一)
二 比丘たちよ、一法がある。聖八支道を生じさせるのに多く役立つ。何を一法となすのか。すなわち、根本作意である。
三 比丘たちよ、根本作意がある比丘においては、聖八支道を修習し、聖八支道を多く作すことが期待されるべきである。
 比丘たちよ、根本作意がある比丘はどのようにして聖八支道を修習し、聖八支道を多く作すのか。
四 比丘たちよ、ここに比丘がいて、遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正見を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正思惟を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正語を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正業を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正命を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正精進を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正念を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正定を修習する。
 比丘たちよ、このようにして根本作意がある比丘は聖八支道を修習し、聖八支道を多く作す。


     二 貪欲調伏

   [七〇] 第八 善友(二)
二 比丘たちよ、一法がある。聖八支道を生じさせるのに多く役立つ。何を一法となすのか。すなわち、善友である。
三 比丘たちよ、善友がある比丘においては、聖八支道を修習し、聖八支道を多く作すことが期待されるべきである。
 比丘たちよ、善友がある比丘はどのようにして聖八支道を修習し、聖八支道を多く作すのか。
四 比丘たちよ、ここに比丘がいて、貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正見を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正思惟を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正語を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正業を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正命を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正精進を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正念を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正定を修習する。
 比丘たちよ、このようにして善友がある比丘は聖八支道を修習し、聖八支道を多く作す。

   [七一] 第九 戒(二)
二 比丘たちよ、一法がある。聖八支道を生じさせるのに多く役立つ。何を一法となすのか。すなわち、戒具足である。・・・

   [七二] 第十 志欲(二)
二 比丘たちよ、一法がある。聖八支道を生じさせるのに多く役立つ。何を一法となすのか。すなわち、意欲具足である。・・・

   [七三] 第十一 我(二)
二 比丘たちよ、一法がある。聖八支道を生じさせるのに多く役立つ。何を一法となすのか。すなわち、我具足である。・・・

   [七四] 第十二 見(二)
二 比丘たちよ、一法がある。聖八支道を生じさせるのに多く役立つ。何を一法となすのか。すなわち、見具足である。・・・

   [七五] 第十三 不放逸(二)
二 比丘たちよ、一法がある。聖八支道を生じさせるのに多く役立つ。何を一法となすのか。すなわち、不放逸具足である。・・・

   [七六] 第十四 如理(二)
二 比丘たちよ、一法がある。聖八支道を生じさせるのに多く役立つ。何を一法となすのか。すなわち、根本作意である。
三 比丘たちよ、根本作意がある比丘においては、聖八支道を修習し、聖八支道を多く作すことが期待されるべきである。
 比丘たちよ、根本作意がある比丘はどのようにして聖八支道を修習し、聖八支道を多く作すのか。
四 比丘たちよ、ここに比丘がいて、貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正見を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正思惟を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正語を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正業を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正命を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正精進を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正念を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正定を修習する。
 比丘たちよ、このようにして根本作意がある比丘は聖八支道を修習し、聖八支道を多く作す。

                      一法広説[畢]

  此[広説]の摂頌に曰く
   (一)善友と、(二)戒と、
   (三)志欲と、(四)我具足と、
   (五)見と、(六)不放逸と、
   (七)第七に如理なり。


       一法広説(二)

 舍衛城因縁

    一 遠離依止

   [七七–八三] 第一–第七 善友(一)–如理(一)
二 比丘たちよ、私は他に一法も見ない、いまだ生じていない聖八支道を生じさせ、すでに生じた聖八支道の修習を完全にするものを。比丘たちよ、すなわち、善友があることである。
三 比丘たちよ、善友がある比丘においては、聖八支道を修習し、聖八支道を多く作すことが期待されるべきである。
 比丘たちよ、善友がある比丘はどのようにして聖八支道を修習し、聖八支道を多く作すのか。
四 比丘たちよ、ここに比丘がいて、遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正見を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正思惟を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正語を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正業を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正命を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正精進を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正念を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正定を修習する。
 比丘たちよ、このようにして善友がある比丘は聖八支道を修習し、聖八支道を多く作す。

二 比丘たちよ、私は他に一法も見ない、いまだ生じていない聖八支道を生じさせ、すでに生じた聖八支道の修習を完全にするものを。比丘たちよ、すなわち、戒具足である。・・・
二 比丘たちよ、私は他に一法も見ない、いまだ生じていない聖八支道を生じさせ、すでに生じた聖八支道の修習を完全にするものを。比丘たちよ、すなわち、意欲具足である。・・・
二 比丘たちよ、私は他に一法も見ない、いまだ生じていない聖八支道を生じさせ、すでに生じた聖八支道の修習を完全にするものを。比丘たちよ、すなわち、我具足である。・・・
二 比丘たちよ、私は他に一法も見ない、いまだ生じていない聖八支道を生じさせ、すでに生じた聖八支道の修習を完全にするものを。比丘たちよ、すなわち、見具足である。・・・
二 比丘たちよ、私は他に一法も見ない、いまだ生じていない聖八支道を生じさせ、すでに生じた聖八支道の修習を完全にするものを。比丘たちよ、すなわち、不放逸具足である。・・・
二 比丘たちよ、私は他に一法も見ない、いまだ生じていない聖八支道を生じさせ、すでに生じた聖八支道の修習を完全にするものを。比丘たちよ、すなわち、根本作意である。
三 比丘たちよ、根本作意がある比丘においては、聖八支道を修習し、聖八支道を多く作すことが期待されるべきである。
 比丘たちよ、根本作意がある比丘はどのようにして聖八支道を修習し、聖八支道を多く作すのか。
四 比丘たちよ、ここに比丘がいて、遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正見を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正思惟を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正語を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正業を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正命を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正精進を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正念を修習する。
 遠離に依り、離貪に依り、滅尽に依り、放棄に変化する正定を修習する。
 比丘たちよ、このようにして根本作意がある比丘は聖八支道を修習し、聖八支道を多く作す。


     二 貪欲調伏

   [八四–九〇] 第一–第七 善友(二)–如理(二)
二 比丘たちよ、私は他に一法も見ない、いまだ生じていない聖八支道を生じさせ、すでに生じた聖八支道の修習を完全にするものを。比丘たちよ、すなわち、善友である。
三 比丘たちよ、善友がある比丘においては、聖八支道を修習し、聖八支道を多く作すことが期待されるべきである。
 比丘たちよ、善友がある比丘はどのようにして聖八支道を修習し、聖八支道を多く作すのか。
四 比丘たちよ、ここに比丘がいて、貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正見を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正思惟を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正語を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正業を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正命を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正精進を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正念を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正定を修習する。
 比丘たちよ、このようにして善友がある比丘は聖八支道を修習し、聖八支道を多く作す。

二 比丘たちよ、私は他に一法も見ない、いまだ生じていない聖八支道を生じさせ、すでに生じた聖八支道の修習を完全にするものを。比丘たちよ、すなわち、戒具足である。・・・
二 比丘たちよ、私は他に一法も見ない、いまだ生じていない聖八支道を生じさせ、すでに生じた聖八支道の修習を完全にするものを。比丘たちよ、すなわち、意欲具足である。・・・
二 比丘たちよ、私は他に一法も見ない、いまだ生じていない聖八支道を生じさせ、すでに生じた聖八支道の修習を完全にするものを。比丘たちよ、すなわち、我具足である。・・・
二 比丘たちよ、私は他に一法も見ない、いまだ生じていない聖八支道を生じさせ、すでに生じた聖八支道の修習を完全にするものを。比丘たちよ、すなわち、見具足である。・・・
二 比丘たちよ、私は他に一法も見ない、いまだ生じていない聖八支道を生じさせ、すでに生じた聖八支道の修習を完全にするものを。比丘たちよ、すなわち、不放逸具足である。・・・
二 比丘たちよ、私は他に一法も見ない、いまだ生じていない聖八支道を生じさせ、すでに生じた聖八支道の修習を完全にするものを。比丘たちよ、すなわち、根本作意である。
三 比丘たちよ、根本作意がある比丘においては、聖八支道を修習し、聖八支道を多く作すことが期待されるべきである。
 比丘たちよ、根本作意がある比丘はどのようにして聖八支道を修習し、聖八支道を多く作すのか。
四 比丘たちよ、ここに比丘がいて、貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正見を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正思惟を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正語を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正業を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正命を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正精進を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正念を修習する。
 貪欲の調伏に完結し、瞋恚の調伏に完結し、愚痴の調伏に完結する正定を修習する。
 比丘たちよ、このようにして根本作意がある比丘は聖八支道を修習し、聖八支道を多く作す。

                      一法広説[(二)畢]

  此[広説]の摂頌に曰く
   (一)善友と、(二)戒と、
   (三)志欲と、(四)我具足と、
   (五)見と、(六)不放逸と、
   (七)第七に如理なり。」

     『南伝大蔵経16上 相応部経典5』大蔵出版 P196–207

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