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原始仏典コミュの長部経典 第34経 『十上経』1 教義の集成 1集–4集

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(『原始仏典【第三巻】長部経典③』春秋社 P355から)






「     第三四経  教義の収集と分類――十上経   浪花宣明






 世尊が比丘の集団とチャンパーのガッガラ蓮池の岸に滞在していたとき、サーリプッタが比丘たちに説いたとされる経である。内容は第三三経と同様に、極めてアビダルマ的色彩が濃く、第三三経以上の技巧が加わっている。すなわち、本経は第三三経と同様に一つのもの、二つで一組のもの、乃至、一〇で一組のものを列挙するが、それら一つないし一〇で一組のものを、繰り返し行なわれるべき事柄、修習されねばならない事柄、充分に知られるべき事柄、捨断されるべき事柄、破滅に導く事柄、繁栄に導く事柄、洞察しがたい事柄、生じさせるべき事柄、証知されるべき事柄、体現されるべき事柄、と言う一〇の観点から、一〇ずつ数え上げる。こうして合計五五〇の事項が羅列されている。五五〇の事項のうちには第三三経で説かれたものも多く、多くの部分で第三三経と重複している。
 漢訳「長阿含」第九巻『十上経』および『長阿含十報法経』に相当する。






  第一章


このようにわたしは聞いた。
一、あるとき世尊はチャンパーのガッガラ蓮池の岸に五百人の比丘の集団と一緒に滞在していた。そのとき、尊者サーリプッタは「友よ、比丘たちよ」と、比丘たちに話しかけた。かれら比丘たちも「友よ」と、サーリプッタに答えた。尊者サーリプッタは次のように話した。
  すべての束縛を解き放つ、十上の法をわたしは説こう、
  涅槃を得るために、苦を消滅するために。

[一つのもの]
二、「友よ、一つのものが繰り返し行なわれるべきである。一つのものが修習されねばならない。一つのものが充分に知られねばならない。一つのことが捨断されるべきである。一つのものが破滅に導くものである。一つのものが繁栄に導くものである。一つのものが洞察しがたい。一つのものは生じさせられるべきである。一つのことは証知されるべきである。一つのことが体現されねばならない。
(1)どの一つのものが繰り返し行なわれるべきであるか。善のことがらについて怠りのないことである。この一つのことが繰り返し行なわれるべきである。
(2)どの一つのものが修習されねばならないか。喜びをともなった、身体に関連した注意力である。この一つのものが修習されねばならない。
(3)どの一つのものが充分に知られねばならないか。[煩悩の]漏泄をともない、執着を起こす[対象との]接触である。この一つのものが充分に知られねばならない。
[273](4)どの一つのものが捨断されねばならないか。我が存在するという自意識である。この一つのものが捨断されねばならない。
(5)どの一つのものが破滅に導くものか。理に合わない思考である。この一つのものが破滅に導くものである。
(6)どの一つのものが繁栄に導くものか。理にかなった思考である。この一つのものが繁栄に導くものである。
(7)どの一つのものが洞察しがたいか。直後の心の集中(定)である。この一つのものが洞察しがたい。
(8)どの一つのものが生じさせられるべきか。動揺のない智慧である。この一つのものが生じさせられるべきである。
(9)どの一つのものが証知されるべきか。すべての生けるものは食べ物によって存在している。この一つのものが証知されるべきである。
(10)どの一つのものが体現されねばならないか。動揺のない心の解脱である。この一つのものが体現されねばならない。
 このようにこれら十のものは真実であり、真理であり、その通りに、それと異ならず、同じように、完全に如来によって覚知された」

[二つ一組のもの]
三、「二つのものが繰り返し行なわれるべきである。二つのものが修習されねばならない。二つのものが充分に知られねばならない。二つのことが捨断されるべきである。二つのものが破滅に導くものである。二つのものが繁栄に導くものである。二つのものが洞察しがたい。二つのものは生じさせられるべきである。二つのことは証知されるべきである。二つのことが体現されねばならない。
(1)どの二つのものが繰り返し行なわれるべきか。注意力(念)と明確な意識とである。この二つのものが繰り返し行なわれるべきである。
(2)どの二つのものが修習されねばならないか。止と観とである。この二つのものが修習されねばならない。
(3)どの二つのものが充分に知られねばならないか。精神的要素と物質的要素とである。この二つものものが充分に知られねばならない。
[274](4)どの二つのものが捨断されるべきか。無明と生存に対する渇愛とである。この二つのものが捨断されるべきである。
(5)どの二つのものが破滅に導くものか。悪口と悪友とである。この二つのものが破滅に導くものである。
(6)どの二つのものが繁栄に導くものか。善いことばと善友とである。この二つのものが繁栄に導くものである。
(7)どの二つのものが洞察しがたいか。生ける者の汚れの原因と条件、生ける者の浄化の原因と条件とである。この二つのものが洞察しがたい。
(8)どの二つのものが生じさせられるべきか。滅尽についての智慧と不生起についての智慧とである。この二つのものが生じさせられるべきである。
(9)どの二つのものが証知されるべきか。二つの領域、すなわち形成されたものの領域と形成されないものの領域とである。この二つのものが証知されるべきである。
(10)どの二つのものが体現されねばならないか。明知と解脱とである。この二つのものが体現されねばならない。
 このようにこれら二十のものは真実であり、真理であり、その通りに、それと異ならず、同じように、完全に如来によって覚知された」

[三つ一組のもの]
「三つのものが繰り返し行なわれるべきである。三つのものが修習されねばならない。三つのものが充分に知られねばならない。三つのことが捨断されるべきである。三つのものが破滅に導くものである。三つのものが繁栄に導くものである。三つのものが洞察しがたい。三つのものは生じさせられるべきである。三つのことは証知されるべきである。三つのことが体現されねばならない。
(1)どの三つのものが繰り返し行なわれるべきか。善き人と交わること、正しい教えを聞くこと、教えにしたがって正しく実践することである。この三つのものが繰り返し行なわれるべきである。
(2)どの三つのものが修習されねばならないか。三つの禅定、すなわち大まかな考察(尋)と細かな考察(伺)とをそなえた禅定、大まかな考察をもたず、細かな考察をそなえた禅定、大まかな考察も細かな考察ももたない禅定である。この三つのものが修習されねばならない。
[275](3)どの三つのものが充分に知られねばならないか。三つの感受、すなわち楽の感受、苦の感受、苦でも楽でもない感受である。この三つものものが充分に知られねばならない。
(4)どの三つのものが捨断されるべきか。三つの渇愛、すなわち欲望に対する渇愛、生存に対する渇愛、消滅に対する渇愛である。この三つのものが捨断されるべきである。
(5)どの三つのものが破滅に導くものか。三つの不善の根本、すなわち貪りという不善の根本、怒りという不善の根本、愚痴という不善の根本である。この三つのものが破滅に導くものである。
(6)どの三つのものが繁栄に導くものか。三つの善の根本、すなわち貪りのないことという善の根本、怒りのないことという善の根本、愚痴のないことという善の根本である。この三つのものが繁栄に導くものである。
(7)どの三つのものが洞察しがたいか。三つの離脱の要素である。すなわち欲を離れることは欲望からの離脱である。物質のない純粋に精神的領域は物質からの離脱である。消滅は、存在するもの、形成されたもの、縁によって生じたものの離脱である。この三つのものが洞察しがたい。
(8)どの三つのものが生じさせられるべきか。三つの智慧、すなわち過去についての智慧、未来についての智慧、現在についての智慧である。この三つのものが生じさせられるべきである。
(9)どの三つのものが証知されるべきか。三つの領域(界)、すなわち欲望の支配する領域(欲界)、清らかな物質からなる領域(色界)、物質のない純粋に精神的な領域(無色界)である。この三つのものが証知されるべきである。
(10)どの三つのものが体現されねばならないか。三つの明知、すなわち前世を想起する智である明知、生ける者の生まれ死ぬことについての智である明知、漏泄がなくなったことを知る明知である。この三つのものが体現されねばならない。
[276]このようにこれら三十のものは真実であり、真理であり、その通りに、それと異ならず、同じように、完全に如来によって覚知された」

[四つ一組のもの]
「四つのものが繰り返し行なわれるべきである。四つのものが修習されねばならない。四つのものが充分に知られねばならない。四つのことが捨断されるべきである。四つのものが破滅に導くものである。四つのものが繁栄に導くものである。四つのものが洞察しがたい。四つのものは生じさせられるべきである。四つのことは証知されるべきである。四つのことが体現されねばならない。
(1)どの四つのものが繰り返し行なわれるべきか。四つの輪、すなわち、ふさわしい場所に住むこと、善き人と交わること、自ら正しい願いをもつこと、前世に福利を行なっていることである。この四つのものが繰り返し行なわれるべきである。
(2)どの四つのものが修習されねばならないか。四つの注意力の確立である。友よ、ここに比丘が身体について、身体を観察し、熱心であり、正しい意識をもち、注意力をそなえ、世間の欲望と憂いとを抑制している。感受について[感受を観察し、熱心であり、正しい意識をもち、注意力をそなえ、世間の欲望と憂いとを抑制している]。心について[心を観察し、熱心であり、正しい意識をもち、注意力をそなえ、世間の欲望と憂いとを抑制している]。すべての事物について、すべての事物を観察し、熱心であり、正しい意識をもち、注意力をそなえ、世間の欲望と憂いとを抑制している。この四つのものが修習されねばならない。
(3)どの四つのものが充分に知られねばならないか。四つの食物、すなわち粗大な、あるいは微細な物質的食物、第二として接触、第三として心の意欲、第四として意識である。この四つものものが充分に知られねばならない。
(4)どの四つのものが捨断されるべきか。四つの洪水、すなわち欲望の洪水、生存の洪水、見解の構図寺、無知の洪水である。この四つのものが捨断されるべきである。
(5)どの四つのものが破滅に導くものか。四つのくびき、すなわち欲望のくびき、生存のくびき、見解のくびき、無知のくびきである。この四つのものが破滅に導くものである。
(6)どの四つのものが繁栄に導くものか。四つのくびきをはずすこと、すなわち欲望のくびきをはずすこと、生存のくびきをはずすこと、見解のくびきをはずすこと、無知のくびきをはずすことである。この四つのものが繁栄に導くものである。
(7)どの四つのものが洞察しがたいか。四つの禅定、すなわち破滅へ導く禅定、維持に導く禅定、繁栄に導く禅定、[涅槃の]洞察に導く禅定である。この四つのものが洞察しがたい。
(8)どの四つのものが生じさせられるべきか。四つの智慧、すなわち、真理についての智慧、敷衍する智慧、他人のこころを知る智慧、世俗的な智慧である。この四つのものが生じさせられるべきである。
(9)どの四つのものが証知されるべきか。四つの尊い真理、すなわち、苦であるという真理、[苦には]原因があるという真理、[苦は]消滅するという真理、[苦の消滅に導く]道があるという真理である。この四つのものが証知されるべきである。
(10)どの四つのものが体現されねばならないか。四つの修行者の結果、すなわち[さとりへの]流れに到達した境地という結果、[この世へ]一度だけ戻ってくるあり方という結果、[この世へ]二度と戻ってこないあり方という結果、阿羅漢の境地という結果である。この四つのものが体現されねばならない。
 このようにこれら四十のものは真実であり、真理であり、その通りに、それと異ならず、同じように、完全に如来によって覚知された」

     『原始仏典【第三巻】長部経典③』春秋社 P355–365

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