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原始仏典コミュの長部経典 第22経 『大念処経』4 法念処 苦諦・集諦

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(『原始仏典 【第二巻】 長部経典②』[春秋社]P396から)




[四つのすぐれた真理について、もろもろの事象を観察する]
 一七、「またさらに修行僧たちよ、修行僧はもろもろの事象すなわち四つのすぐれた真理(四聖諦)についてもろもろの事象を観察するのである。それでは、修行僧たちよ、修行僧はどのようにしてもろもろの事象すなわち四つのすぐれた真理について事象を観察するのであろうか。ここに、修行僧たちよ、修行僧は『これは苦しみである』とありのままに知り、『これは苦しみの原因である』とありのままに知り、『これは苦しみの消滅である』とありのままに知り、『これは苦しみの消滅にいたる道である』とありのままに知るのである」

[苦しみのすぐれた真理とはなにか]
[305]一八、「それでは、修行僧たちよ、苦しみのすぐれた真理とは、いったいなにか。
 生れることは苦しみであり、老いることは苦しみであり、[病気になることは苦しみであり、]死ぬことは苦しみであり、憂い・悲しみ・苦痛・苦悩・悶えは苦しみである。求めても得られないということも苦しみである。要するに、[個人存在を構成する]五つの執着の要素(五取蘊)は苦しみである。さて、修行僧たちよ、生れることとは、いったいなにか。
 それぞれの生きものが、それぞれの生きものの群れに、生れること、発生し、入胎し、再生し、[個人存在を構成する]要素が出現し、認識領域を獲得すること、これが、修行僧たちよ、生まれることといわれる。
 また、修行僧たちよ、老いることとは、いったいなにか。
 それぞれの生きものが、それぞれの生きもののなかで、老いること、老衰し歯が抜け白髪になること、皮膚に皺がよること、寿命が短縮し、感覚器官が老化すること、これが、修行僧たちよ、老いることといわれる。
 また、修行僧たちよ、死ぬこととは、いったいなにか。
 それぞれの生きものが、それぞれの生きものの群れから、没し、死没し、壊れ、消失し、死亡し、死滅し、命終し、[個人存在を構成する]要素が破壊し、身体を放棄すること、これが、修行僧たちよ、死ぬことといわれる。
 また、修行僧たちよ、憂いとは、いったいなにか。
 修行僧たちよ、なんであれ、なんらかの不幸に見舞われて、なにか苦しいことを経験している人の、憂い、愁い、愁いの状態、内なる憂い、内に広がった憂い、これが、修行僧たちよ、憂いといわれる。
 また、修行僧たちよ、悲しみとは、いったいなにか。
 修行僧たちよ、なんであれ、なんらかの不幸に見舞われて、なにか苦しいことを経験している人の、悲泣し、ひどく悲泣し、悲しんで泣き、ひどく悲しんで泣き、悲泣させられ、ひどく悲泣させられること、これが、修行僧たちよ、悲しみといわれる。
 また、修行僧たちよ、苦痛とはいったい何か。
 修行僧たちよ、身体の苦痛、身体の不快、身体に接触することから生じる苦痛、不快の感受、これが、修行僧たちよ、苦痛といわれる。
 また、修行僧たちよ、苦悩とは、いったい何か。
 修行僧たちよ、心の苦痛、心の不快、心の接触から生じる苦痛、不快を感じること、これが、修行僧たちよ、苦悩といわれる。
 また、修行僧たちよ、悶えとはいったい何か。
 修行僧たちよ、なんであれ、なんらかの不幸に見舞われて、なにか苦しいことを経験している人の、悶え、つよい悶え、悶えの状態、つよい悶えの状態、これが、修行僧たちよ、悶えと言われる。

[求めても得られないという苦しみについて]
[307]また、修行僧たちよ、求めても得られない苦しみとは、いったいなにか。
 修行僧たちよ、生れるという性質を持つ生きものにとって、このような欲求がおこる。『ああ、わたしたちに、生れるという性質がなければよいのに。わたしたちに、生れるということがやって来なければよいのに』と。しかし、このことは望んでも起こりえない。これもまた、求めても得られないという苦しみである。
 修行僧たちよ、老いるという性質を持つ生きものにとって、[このような欲求が起こる。『ああ、わたしたちに、老いるという性質がなければよいのに。わたしたちに、老いるということがやって来なければよいのに』と。しかし、このことは望んでも起こりえない。これもまた、求めても得られないという苦しみである]。
 修行僧たちよ、死ぬという性質を持つ生きものにとって、[このような欲求が起こる。『ああ、わたしたちに、死ぬという性質がなければよいのに。わたしたちに、死ぬということがやって来なければよいのに』と。しかし、このことは望んでも起こりえない。これもまた、求めても得られないという苦しみである]。
 修行僧たちよ、憂い・悲しみ・苦痛・苦悩・悶えという性質を持つ生きものにとって、このような欲求が起こる。『ああ、わたしたちに、憂い・悲しみ・苦痛・苦悩・悶えという性質がなければよいのに。わたしたちに、憂い・悲しみ・苦痛・苦悩・悶えということがやって来なければよいのに』と。しかし、このことは望んでも起こりえない。これもまた、求めても得られないという苦しみである。
 また、修行僧たちよ、要するに、[個人存在を構成する]五つの執着の要素は苦しみであるとは、いったいなにか。即ち、物質的なものという執着の要素(色取蘊)、感受作用という執着の要素(受取蘊)、表象作用という執着の要素(想取蘊)、潜在的形成力という執着の要素(行取蘊)、識別作用という執着の要素(識取蘊)、修行僧たちよ、これらが要するに五つの執着の要素といわれるのである。修行僧たちよ、これが苦しみのすぐれた真理といわれるのである」

[苦しみの原因のすぐれた真理とはなにか]
[308]一九、それでは修行僧たちよ、<苦しみの原因>のすぐれた真理とはなにか。それは再び迷いの生存に戻すものであり、歓喜と愛欲をともない、ここかしこで歓楽するような愛執である。すなわち、現世の欲望にたいする愛執、生存への愛執、生存の消滅への愛執である。  
 では、修行僧たちよ、この愛執はどこで生じ、どこで留まっているのだろうか。なんであれこの世のなかには好ましいもの、楽しいものがあり、そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである。
 では、この世のなかにおける、好ましいもの、楽しいものとは何か。
 眼はこの世のなかにおける、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである。
 耳はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 鼻はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 舌はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 身体はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 こころはこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 色かたちはこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 音声はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 香りはこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 味わいはこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 触知できるものはこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 こころの対象はこの世のなかにおける、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである。
 眼による識別はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 耳による識別はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 鼻による識別はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 舌による識別はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 身体による識別はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 こころによる識別はこの世のなかにおける、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである。
 眼による接触はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 耳による接触はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 鼻による接触はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 舌による接触はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 身体による接触はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 こころによる接触はこの世のなかにおける、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである。
 眼による接触から生じる感覚的感受はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 耳による接触から生じる感覚的感受はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 鼻による接触から生じる感覚的感受はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 舌による接触から生じる感覚的感受はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 身体による接触から生じる感覚的感受はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 こころによる接触から生じる感覚的感受はこの世のなかにおける、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである。
 色かたちの表象作用はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 音声の表象作用はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 香りの表象作用はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 味わいの表象作用はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 触知できるものの表象作用はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 こころの対象の表象作用はこの世のなかにおける、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである。
 色かたちへの意志作用はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 音声への意志作用はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 香りへの意志作用はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 味わいへの意志作用はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 触知できるものへの意志作用はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 こころの対象への意志作用はこの世のなかにおける、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである。
 色かたちへの愛執はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 音声への愛執はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 香りへの愛執はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 味わいへの愛執はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 触知できるものへの愛執はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 こころの対象への愛執はこの世のなかにおける、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである。
 色かたちへの粗い考察はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 音声への粗い考察はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 香りへの粗い考察はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 味わいへの粗い考察はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 触知できるものへの粗い考察はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 こころの対象への粗い考察はこの世のなかにおける、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである。
 色かたちへの微細な考察はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 音声への微細な考察はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 香りへの微細な考察はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 味わいへの微細な考察はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 触知できるものへの微細な考察はこの世のなかにおける[、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである]。
 こころの対象への微細な考察はこの世のなかにおける、好ましいもの、楽しいものである。そこから[310]愛執が生じ、そこで[愛執が]留まっているのである。
 これが、修行僧たちよ、苦しみの原因というすぐれた真理といわれるのである」

      『原始仏典【第二巻】長部経典②』春秋社 P396-406

コメント(2)

愛執が
ポジティブの
原動力でした。。。。。
愛執の原語は、「taṇhā(タンハー)」で、伝統的には「渇愛」とか「愛」とか言われますが、僕としてはむしろ「渇き」「渇」と訳したいです。「タンハータンハータンハー」と繰り返して、taṇhāの字義を知ろうと念を傾けていると「渇き」のヴィジョンが強くなるからです。

愛執が苦しみの原因だからと言って落胆しないでください。愛執がなくなることは愛執よりも、より一層すぐれた快楽だと思うので。「渇愛の滅尽は快楽であるに違いない」と信じれる人は、本当にポジティブな人だと思います。

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