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原始仏典コミュの長部経典 第22経 『大念処経』2 受念処・心念処

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(『原始仏典【第二巻】長部経典②』[春秋社]P386から)



[感受に関して感受を観察する]
 一一、「それでは、修行僧たちよ、どのようにして感受に関して感受を観察するのだろうか。ここに、修行僧たちよ、修行僧は楽しみの感受を感じれば『わたしは楽しみの感受を感じている』と知り、あるいは苦しみの感受を感じれば『わたしは苦しみの感受を感じている』と知るのである。また苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じれば『わたしは苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じている』と知るのである。また肉体的楽しみの感受を感じれば『わたしは肉体的楽しみの感受を感じている』と知り、非肉体的楽しみの感受を感じれば『わたしは非肉体的楽しみの感受を感じている』と知るのである。また肉体的苦しみの感受を感じれば『わたしは肉体的苦しみの感受を感じている』と知り、あるいは非肉体的苦しみの感受を感じれば『わたしは非肉体的苦しみの感受を感じれている』と知るのである。また肉体的苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じれば『わたしは肉体的苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じている』と知り、あるいは非肉体的苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じれば『わたしは非肉体的苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じている』と知るのである。
 このように、内に、[自分自身の]感受に関して感受を観察し、また、外に[他人の]感受に関して感受を観察し、あるいは内と外[、自分自身と他人の]感受に関して感受を観察していくのである。また、感受のなかで生起してくる現象を観察し、また、感受のなかで消滅する[299]現象を観察し、また、感受のなかで生起していく現象を観察していくのである。そして、知ることの[増えていく]程度にたいし、自覚の[増えていく]程度にたいすると同じ程度に、『ただ感受のみが存在する』という念いが、かれには現れてくるのである。かれは、なにかに依存するということがなく、この世のなかで、なにものにも執着しないのである。修行僧たちよ、修行僧はこのようにして感受について感受を観察するのである」

[心について心を観察すること]
 一二、「それでは、修行僧たちよ、どのようにして心について心を観察するのだろうか。ここに、修行僧たちよ、修行僧は、
 貪りのある心を『貪りのある心である』と知り、あるいは、貪りを離れた心を『貪りを離れた心である』と知るのである。
 また憎悪のある心を『憎悪のある心である』と知り、あるいは、憎悪を離れた心を『憎悪を離れた心である」と知るのである。
 また迷妄のある心を『迷妄のある心である』と知り、あるいは、迷妄を離れた心を『迷妄を離れた心である』と知るのである。
 また統一した心を『統一した心である』と知り、あるいは散乱した心を『散乱した心である』と知るのである。
 また広大な心を『広大な心である』と知り、あるいは、広大でない心を『広大でない心である』と知るのである。
 また最高ではない心を『最高ではない心である』と知り、あるいは最高の心を『最高の心である』と知るのである。
 また統一された心を『統一された心である』と知り、あるいは統一されていない心を『統一されいない心である』と知るのである。
 また解脱した心を『解脱した心である』と知り、あるいは解脱していない心を『解脱していない心である』と知るのである。
 このように、内に[自分自身の]心に関して心を観察し、また、外に[他人の]心に関して心を観察し、あるいは内と外[、自分自身と他人の]心に関して心を観察していくのである。また、心のなかで生起してくる現象を観察し、また、心のなかで消滅する現象を観察し、また、心のなかで生起していく現象を観察していくのである。そして、知ることの[増えていく]程度にたいし、自覚の[増えていく]程度にたいすると同じ程度に、『ただ心のみが存在する』という念いが、かれには現れてくるのである。[300]かれは、なにかに依存するということがなく、この世のなかで、なにものにも執着しないのである。修行僧たちよ、修行僧はこのようにして感受について感受を観察するのである」

     『原始仏典【第二巻】長部経典②』春秋社 P386-388

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