ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

原始仏典コミュの長部経典 第10経 『スバ経』1 聖なる戒律 出家・小戒

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
この「出家して阿羅漢になるまでに相当する三学の詳細」は、長部経典と中部経典の中で十回ほど繰り返し説かれるものであり、その繰り返し回数からもその重要性が知られます。原始仏典書籍の購入を考えている方の参考になればと思い、できるかぎり忠実に引用したいと思います。僕が注を挿入すると煩雑になりますので、誤字脱字などがありましても本文中には一切挿入していません。これは原始仏教における非常に重要な修行道で原始仏教を学ぶ者にとっては決して省くことができない内容です。内容はもっとも詳細な戒(律は別にあります)、四禅、六神通です。





  『原始仏典【第一巻】 長部経典①』  春秋社   
 
    中村元 監修 
    森祖道・浪花宣明 編集
    森祖道・浪花宣明・橋本哲夫・渡辺研二 訳




(前面の帯の文)

         創業85周年記念出版
    500人の弟子との遊行、青年バラモンとの問答・・・

    さまざまな比喩を用い、民衆を仏の道に導こうとした
       ブッダのこころが、今、よみがえる
      
         最新の研究成果にもとづき、
     流麗なわかりやすい訳文で贈る現代語訳の決定版!
        春秋社◎定価(本体7500円+税)






     第一〇経 仏陀の賞賛した法――スバ経      橋本哲夫


 

  「仏陀の賞賛した法とはなにか」というスバの質問に、アーナンダは、「それは、
  戒律(戒)のまとまり、精神統一(定)のまとまり、知識(慧)のまとまりで
  ある」と答え、さらにそれらを三つの戒(小戒・中戒・大戒)、四つの禅定(四
  禅)、五つの神通の智(種々の神通。天耳の智、他心を知る智、過去の生存を想
  起する智、煩悩を滅する智)に分けて詳しく述べる。その部分は、「出家の果
  報」(『長部』第二経)の一部に一致する。漢訳経典に相当するものはない。




   第一章

[アーナンダへの質問]
 [204]一、わたしが聞いたところによると、あるとき、世尊(仏陀)が亡くなられてまだ日が浅い頃、尊者アーナンダはサーヴァッティのジェータ林、孤独な人々に食事を与える長者の園におられた。
 そのとき、トーデッヤの息子である、スバという名のバラモンの青年が、用事があってサーヴァッティにやってきた。
 二、トーデッヤの息子である、スバという名のバラモンの青年は、ある若いバラモンに呼びかけた。
 「さあ。若いバラモンよ。修行者アーナンダのもとに行け。行って、わたしのことばとして次のように、修行者アーナンダに、患いがなく、健康で、身体が軽く、気力が充実し、安楽な生活をしてるかどうかを尋ねよ。『トーデッヤの息子である、スバという名のバラモンの青年のところへおいでくだされば、幸せに存じます』と」
 三、「わかった」といって、その若いバラモンは、トーデッヤの息子である、スバという名のバラモンの青年に応えて、アーナンダ長老に近づいた。近づいて、アーナンダ長老と挨拶を交わした。親愛、好意を表すことばを交わして、一方に座った。一方に座った若いバラモンは、長老アーナンダに次のようにいった。
 「トーデッヤの[205]息子である、スバという名のバラモンの青年が尊者アーナンダに、患いがなく、健康で、身体が軽く、気力が充実し、安楽な生活をしているかどうか尋ねます。かれはこのようにいっております。『尊者アーナンダが、慈悲によって、トーデッヤの息子である、スバという名のバラモンの青年のところへおいでくだされば、幸せに存じます』と」
 四、このようにいわれたとき、アーナンダ長老は、その若いバラモンに次のようにいった。
 「若いバラモンよ。いまはよくない。わたしは薬を飲んだところである。明日、会いましょう。もし時間と都合がよろしければ」
 若いバラモンは、席を立って、トーデッヤの息子である、スバという名のバラモンの青年のもとに帰った。そしてその若いバラモンは、トーデッヤの息子である、スバという名のバラモンの青年に次のようにいった。
 「君のことばとして、尊者アーナンダにこのように伝えました。『トーデッヤの息子である、スバという名のバラモンの青年が、尊者アーナンダに、患いがなく、健康で、身体が軽く、気力が充実し、安楽な生活をしているかどうかを尋ねます』と。そして、『尊者アーナンダが、慈悲によって、トーデッヤの息子である、スバという名のバラモンの青年のところへおいでくだされば幸せに存じます』と申し上げたところ、尊者アーナンダは、わたしにこのようにいわれた。『若いバラモンよ。いまはよくない。わたしは薬を飲んだところである。明日、お伺いしましょう。もし時間と都合がよろしければ』と、尊者アーナンダは、翌日に面会する許可をくださいましたので、そのように決めてきました」
 五、さて、アーナンダ長老は、その夜が明けた翌日の午前中に、衣服を整え、鉢と上衣を携えて比丘チェータカを従えて、トーデッヤの息子である、スバという名のバラモンの青年の住居へ赴いた。住居について、あらかじめ設けられた座席に着いた。そして、トーデッヤの息子である、スバという名のバラモンの青年は、長老アーナンダに近づいた。近づいて、アーナンダ長老と挨拶を交わした。親愛、好意を表すことばを交わして、一方に座った。一方に座ったトーデッヤの息子である、スバという名のバラモンの青年は、長老アーナンダに次のようにいった。
 [206]「尊者アーナンダ、あなたは、かの尊者ゴータマに長いあいだ仕え、つねに近くにあり、身近に従ってこられた。尊者アーナンダ、あなたは、かの尊者ゴータマが賞賛したところの法をご存じだと思います。また、そこへ多くの人々を導き、そこへ住まわして、そこにおいて多くの人々を安住せしめた法をご存じだと思います。アーナンダよ。かの尊者ゴータマは、いかなる法を賞賛されたのでしょうか。また、いかなるところへ、多くの人を導き、住まわしめ、安住せしめたのでしょうか」
 六、「バラモンの子よ。かの尊者は、三つのまとまりを賞賛していた。そして、そこに多くの人を導き、住まわしめ、安住せしめた。三つ[のまとまり]とはなにか。聖なる戒律のまとまり、聖なる精神統一のまとまり、聖なる知識のまとまりである。バラモンの子よ。かの尊者は、この三つのまとまりを賞賛していた。そして、そこに多くの人を導き、住まわしめ、安住せしめた」
 「では、アーナンダよ。かの尊者ゴータマが賞賛し、そこに多くの人を導き、住まわしめ、安住せしめた聖なる戒律のまとまりとはなにか」

[戒律のまとまり]
 七、「バラモンの子よ。如来(真理に到達した人)がわたしたちの世界に出現する。真の人(拝まれる人、阿羅漢)、完全に悟りを開いた人、幸せな人、世界を知った人、最上の人、丈夫をも御する御者、神々と人間の世界の教師、悟った人、世尊が[わたしたちの世界に出現する]。かれは、 神々と人間を含むこの世界のありさまを、自らよく知り、認識し、それを、神々・悪魔・ブラフマン・沙門、バラモンを含む人々に知らせる。かれは、始めよく中間もよく終わりもよく、内容も文も整った教えを説く。完全に満たされた、清浄な修行を明らかにする。
 八、資産家あるいは資産家の息子、あるいは他の家柄に生まれたものが、如来の教えを聞く。その教えを聞いて、如来に対して信仰をもつ。如来に対して信仰をもった者は、次のように考える。『家のある生活は、煩わしいことが多い。塵の積もる生活である。一方、家のない生活は、ひろやかである。家に住む者には、完全に満たされた、完全に清浄な、真珠貝のように滑らかな(完全な)修行を行うことは、容易ではない。さあ、わたしは、髪の毛と髭を剃り落して、黄土色の衣を着て、家のある生活から、家のない生活へ出家しよう』と。その後、かれは少しの財産を捨て、あるいは多くの財産を捨て、少しの親族の集まりを捨て、あるいは多くの親族の集まりを捨て、髪の毛と髭を剃り落して、黄土色の衣を着て、家のある生活から、家のない生活へ出家した。
 九、このように出家して修行者は、戒律箇条の体系・自己規制を守って暮らし、正しい振る舞いを身につけ、微細な罪にも恐怖を認め、学則に従って学ぶ。すばらしい身体による行ない・ことばによる行ないを備えた者は、清らかな生活を営み、戒律を備え、感覚器官の門を護り、正しい思い、正しい知識を備え、幸せである」

[殺してはならない]
 一〇、「バラモンの子よ。どのようにして比丘は戒律を備えるのか[を説く]。バラモンの子よ。ある比丘が、生き物を殺すことを離れ、鞭を捨て、刀を捨て、恥じることを知り、憐愍に至り、すべての生き物・生類を哀れむ。これがかれの戒律の一つである」

[盗んではならない]
 「かれは、与えられないものを盗ることを捨て、与えられないものを盗ることを離れ、与えられたものを取り、ものが与えられることを望む人である。盗むことがなく、心が清浄である。これがかれの戒律の一つである。
 かれは、淫行を捨て、清らかな行ないをなす。淫欲の事柄から遠く離れている。これがかれの戒律の一つである」

[嘘をついてはならない]
 一一、「その比丘は、虚妄なことばを捨て、虚妄なことばを離れ、真実を語るものである。世間の人々にとって、信頼し得る人、正直な人、信頼すべき人、偽りのない人である。これがかれの戒律の一つである」

[他人を謗ってはならない]
「かれは、誹謗のことばを捨て、誹謗のことばを離れている。こちらで聞いたことをそのことばを違えて、あちらに告げるものではない。またあちらで聞いたことをそのことばを違えて、こちらに告げるものではない。このようにかれは、仲違いしている人々の調停者であり、友好の唱道者である。かれは、友好を熱望するものであり、友好を愛するものであり、友好を慶ぶものであり、友好をもたらすことばを語るものである。これがかれの戒律の一つである」

[荒っぽいことばを使ってはならない]
「かれは、荒っぽいことばを捨て、荒っぽいことばを離れている。かれは、柔和な、耳に快い、感じのいい、心に響く、上品な、多くの人々に好まれる、多くの人々の意にかなった、そのような性質のことばを語る。これがかれの戒律の一つである」

[正しいことばを語らねばならない]
「かれは、つまらないことばを捨て、つまらないことばを離れている。相応しいときに語るものであり、事実を語るものであり、利益のあることばを語るものであり、正しいことばを語るものであり、戒律にあったことばを語るものである。かれは、相応しいときに、暗記する値打ちのある、合理的な、利益をもたらすことばを語る。これがかれの戒律の一つである。
 一二、かれは、草、樹木を刈ることを離れている。かれは、一回の食事を取るものである。夜食を取らないものである。相応しくないときに食べないものである。かれは、舞踏、歌、音楽、観劇を離れている。髪飾り、香水、香料を塗ることで飾りたてることから離れている。かれは、高いベッド、大きなベッドを使うことから離れている。かれは、金・銀を受け取ることから離れている。なまの穀類を受け取ることから離れている。なまの肉を受け取ることから離れている。鶏・豚を所有することから離れている。象・牛・牡馬・牝馬を所有することから離れている。畑・屋敷を所有することから離れている。かれは、使者になること・使者を遣わすことから離れている。かれは、買うこと・売ることから離れている。かれは、量目をごまかすこと・貨幣をごまかすこと・寸法をごまかすことを離れている。かれは、賄賂・欺瞞・詐欺・不実を離れている。かれは、傷害・殺害・拘禁・待ち伏せ・略奪・強奪を離れている。これがかれの戒律の一つである」

     『原始仏典 第一巻 長部経典①』春秋社 P443-450






以下は誤字脱字等に関してです。

・「本文の解説」の中で「五つの神通の智(種々の神通。天耳の智、他心を知る智、過去の生存を想起する智、煩悩を滅する智)に分けて詳しく述べる」とありますが、天眼通が抜けているので「六つの神通の智」の間違いだと思います。
・「七、」のところで「真の人(拝まれる人、阿羅漢)、完全に悟りを開いた人、幸せな人、世界を知った人、最上の人、丈夫をも御する御者、神々と人間の世界の教師、悟った人、世尊が・・・」とありますが、如来の十号の一つである「明知と行ないを備えた人(明行足)」という称号の一つが抜けています。
・戒律はすべて[・・・はならない]のような感じで括弧でくくられて冒頭に紹介されていますが、盗まない戒律の次の戒律である「不淫戒」は括弧による紹介が抜けています。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

原始仏典 更新情報

原始仏典のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング