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原始仏典コミュの念息3 「菩薩時代の念息」 (南伝16下 P189-193)

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続きです。









「  第八 燈

 サーヴァッティ。
 比丘たちよ、念息三摩地を修習し多修すれば大果大功徳がある。比丘たちよ、念息三摩地をどのように修習しどのように多修すれば大果大功徳を得るのか。

 比丘たちよ、ここに比丘がいて、林に行き、樹下に行き・・・・・・・
 長く息を吸って・・・・・・・
 ・・・・・・「捨向を見て息を吸おう」と学び、「捨向を見て息を吐こう」と学ぶ。

 比丘たちよ、念息三摩地をこのように修習しこのように多修すれば大果大功徳がある。

 比丘たちよ、私がかつて未だ等覚を現等覚せずに菩薩だった時、多くのこの住によって住した。比丘たちよ、私はこの住によって住したが身も眼も疲労せず、取なくして諸漏より心解脱した。

 比丘たちよ、それゆえに比丘がもし、「身も眼も疲労せず、取なくして諸漏より心解脱しよう」と欲するならば、この念息三摩地を善く作意しなさい。
 比丘たちよ、それゆえに比丘がもし、「諸々の在家の思念を断とう」と欲するならば、この念息三摩地を善く作意しなさい。
 比丘たちよ、それゆえに比丘がもし、「非違逆(反発しないこと)において違逆想(反発する想い)を作して住そう」と欲するならば、この念息三摩地を善く作意しなさい。
 比丘たちよ、それゆえに比丘がもし、「違逆において非違逆想を作して住そう」と欲するならば、この念息三摩地を善く作意しなさい。
 比丘たちよ、それゆえに比丘がもし、「違逆と非違逆において違逆想を作して住そう」と欲するならば、この念息三摩地を善く作意しなさい。
 比丘たちよ、それゆえに比丘がもし、「違逆と非違逆において非違逆想を作して住そう」と欲するならば、この念息三摩地を善く作意しなさい。
 比丘たちよ、それゆえに比丘がもし、「非違逆と違逆とをともに回避して念正知ある捨に住そう」と欲するならば、この念息三摩地を善く作意しなさい。
 比丘たちよ、それゆえに比丘がもし、「諸欲を離れ、諸々の不善法を離れ、有尋有伺にして離れることから生じた喜と楽がある初禅那を具足して住そう」と欲するならば、この念息三摩地を善く作意しなさい。
 比丘たちよ、それゆえに比丘がもし、「尋伺が止息するたゆえに内に浄となり、心一趣となり、無尋無伺にして三摩地から生じた喜と楽がある第二禅那を具足して住そう」と欲するならば、この念息三摩地を善く作意しなさい。
 比丘たちよ、それゆえに比丘がもし、「喜を離れるがゆえに捨にして住し、念正知して、楽を受け、諸々の聖者が宣説するように捨と念があって楽に住す第三禅那を具足して住そう」と欲するならば、この念息三摩地を善く作意しなさい。
 比丘たちよ、それゆえに比丘がもし、「楽を断じ苦を断じるがゆえに、また先にすでに憂と喜は滅するがゆえに、不苦不楽にして捨念清浄である第四禅那を具足して住そう」と欲するならば、この念息三摩地を善く作意しなさい。
 比丘たちよ、それゆえに比丘がもし、「遍く色想を越え、対碍想を滅し、種々想を作意せざるがゆえに『空は無辺である』と空無辺処を具足して住そう」と欲するならば、この念息三摩地を善く作意しなさい。
 比丘たちよ、それゆえに比丘がもし、「遍く空無辺処を越え『識は無辺である』と識無辺処を具足して住そう」と欲するならば、この念息三摩地を善く作意しなさい。
 比丘たちよ、それゆえに比丘がもし、「遍く識無辺処を越え『無所有である』と無所有処を具足して住そう」と欲するならば、この念息三摩地を善く作意しなさい。
 比丘たちよ、それゆえに比丘がもし、「遍く無所有処を超え非想非非想処を具足して住そう」と欲するならば、この念息三摩地を善く作意しなさい。
 比丘たちよ、それゆえに比丘がもし、「遍く非想非非想処を越え想受滅を具足して住そう」と欲するならば、この念息三摩地を善く作意しなさい。

 比丘たちよ、念息三摩地をこのように修習しこのように多修すれば、楽受を感受して『これは無常である』と知り、『耽著なし』と知り、『歓悦なし』と知る。
 苦受を感受して『これは無常である』と知り、『耽著なし』と知り、『歓悦なし』と知る。
 不苦不楽受を感受して『これは無常である』と知り、『耽著なし』と知り、『歓悦なし』と知る。
 楽受を感受するに離繋してこれを感受する。
 苦受を感受するに離繋してこれを感受する。
 不苦不楽受を感受するに離繋してこれを感受する。
 身を辺際とする受を感受して『身を辺際とする受を感受している』と知り、命を辺際とする受を感受して『命を辺際とする受を感受している』と知り、『身壊れ死後はここに一切の感受・歓悦する所は冷却するだろう』と知る。
 比丘たちよ、たとえば油により芯によって油燈は燃える。油と芯が尽きれば食なくして消える。
 比丘たちよ、このように身を辺際とする受を感受して『身を辺際とする受を感受している』と知り、命を辺際とする受を感受して『命を辺際とする受を感受している』と知り、『身壊れ死後はここに一切の感受・歓悦する所は冷却するだろう』と知る」

     南伝大蔵経16下 相応部経典6 P189-193

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