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原始仏典コミュの律蔵 「ゴータマ伝6」 サーリプッタとモッガーラナ

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(続き)


「(二二)
 時に先生はガヤーシーサ山で意のままに過ごした後、ラージャガハ市(王舍城)に向かって大比丘衆千人を率いて遊行した。彼らはみな元は結髪者である。時に先生は次第に遊行してラージャガハ市に着いた。そこで先生はラッティ林の園、スパティッタ霊廟に留まった。
 マガダ国王セーニヤビンビサーラは聞いた。
「沙門ゴータマ釈子(サキャプッタ)はサキャ族より出家し、ラージャガハ市に着き、ラージャガハ市、ラッティヴァナの園、スパティッタ霊廟に留まっている。かの先生ゴータマにはこのように善き名称が揚がっている。
『かの先生は、阿羅漢であり、正覚者であり、明と行を具足した人であり、善きところに達した人であり、世間に通達した人であり、訓練すべき人を訓練する師であり、神々と人々の師であり、ブッダであり、先生である。彼は天界・魔界・梵天界、沙門・婆羅門・人・天の衆を自ら知り悟って説く。彼ははじめも善く、中も善く、終わりも善い義理と文句を具えた法を説き、完全円満にして清浄な梵行を明らかにする』と。
 素晴らしいことだ、このような阿羅漢を見れるということは」。
 時にマガダ国王セーニヤビンビサーラはマガダ国の婆羅門・居士十二万人に囲まれながら先生のいるところに近づいた。近づいて世尊と挨拶し一方に座った。そのマガダ国のバラモン・居士十二万人もまたある者は先生に礼をして一方に座り、ある者は先生と互いに丁寧に挨拶し喜ばしく印象的な会話を交えて一方に座り、ある者は先生のいるところに合掌を捧げて一方に座り、ある者は先生に姓名を告げて一方に座り、ある者は黙って一方に座った。
 時にそのマガダ国のバラモン・居士十二万人は思った。
「大沙門がウルヴェーラカッサパに従って梵行を修めているのか。あるいはウルヴェーラカッサパが大沙門に従って梵行を修めているのか」。
 時に先生はマガダ国のバラモン・居士十二万人の思ったことを心によって知り、尊者ウルヴェーラカッサパに詩によって説いた。

「ウルヴェーラーの住人よ、痩せている者(苦行者)と呼ばれるあなたは何を見て火の神を捨てたのか。カッサパよ。私はあなたにこの義を問う。あなたはなぜに火に仕えることを捨てたのか」。
「祭祀は色・声・味・欲・女を説きます。このようなものは汚れであると執着について知るがゆえに私は祭祀を楽しみません」。
「カッサパよ」。
 先生は言った。
「ここにあなたの心は色・声・味を楽しまない。人々と神々の世間のどこにあなたの心は楽しむのか。カッサパよ、これを私に語りなさい」。
「私は寂静の道を見るのに無執着・無所有にして欲望の生存に執着せず、変異せず、変異させるべきではないと、ゆえに私は祭祀を楽しみません」。
 時に尊者ウルヴェーラカッサパは座より立ち上がり、上衣を偏袒になし、頭をもって先生の足に敬礼し先生に言った。
「先生は私の師です。私は弟子です。先生は私の師です。私は弟子です」。
 時にマガダ国のバラモン・居士十二万人は思った。
「ウルヴェーラカッサパが大沙門に従って梵行を修めている」。
 時に先生はそのマガダ国の婆羅門・居士十二万人が心に思ったことを心によって知り次第説法した。つまり、布施の話、戒の話、天に生まれる話、もろもろの欲望の過患・邪害・雑染・出離の利益を説いた。彼らに堪忍な心・柔軟な心・障害を離れた心・清らかな心が生じたことを知って先生はもろもろのブッダが賞賛する教えを説いた。苦・集・滅・道である。たとえば清浄で黒い点がない布が綺麗にその色に染まるように、そのようにセーニヤビンビサーラを第一とするマガダ国のバラモン・居士十二万人にその座において遠塵離垢の法眼が生じた。集法を有するものはすべて滅法を有する、と。
 時にマガダ国王セーニヤビンビサーラはすでに法を見、法を得、法を知り、法に悟入し、疑惑を越え、猶予を除き、無畏を得、師の教えを除いては他によることがなく、先生に言った。
「私はかつて太子であったときに五つの願いがありましたが私は今それらを成就しました。
 私はかつて太子であったときに思いました。
『私は願えるならば灌頂を受けて王となろう』。これが私の第一の願いでしたが私は今これを成就しました。
『願えるならば私の領土に阿羅漢・正覚者が降りて来るように』。これが私の第二の願いでしたが、私は今これを成就しました。
『願えるならば私はその先生に仕えることを得よう』。これが私の第三の願いでしたが、私は今これを成就しました。
『願えるならば先生は私の為に法を説くように』。これが私の第四の願いでしたが、私は今これを成就しました。
『願えるならば私は先生の法を悟ることを得よう』。これが私の第五の願いでしたが、私は今これを成就しました。
 私はかつて太子であったときに、この五つの願いがありましたが、私は今これらを成就しました。
 素晴らしい、実に素晴らしい。たとえば倒れている者を起こすように、覆われているものをあらわすように、迷う者に道を教えるように、暗闇に灯火を掲げて眼がある者に色を見させるように、このように先生は様々な方法で法を明らかにしました。私はここに先生と教えと比丘たちに帰依します。先生は私を優婆塞として受け入れて下さい。今日からはじめて命が終わるまで帰依します。先生、願えるならば私の招待を受けて、明日比丘衆とともに食事を摂ってください」。
 先生は沈黙して招待を受けた。
 時にマガダ国王セーニヤビンビサーラは先生が招待を受けたことを知り、座より立ち上がって先生を敬礼し右回りして去った。
 時にマガダ国王セーニヤビンビサーラはその夜を過ごした後、優れた食事を調えて先生に時間が来たことを告げさせた。
「時間です。食事が調いました」。
 時に先生は明け方において下衣を着て衣鉢を持って大比丘衆千人を率いてラージャガハ市に入った。彼らはみな元は結髪者であった。
 その時、神々の王サッカは子供の姿を化現してブッダを最上とする比丘衆の前に来て案内して詩を説いた。

 すでに己を調御し離脱した人は
 すでに己を調御し離脱したかつての結髪者たちを率いて
 ラージャガハに入られた
 これは金環のように金色の先生である
 すでに解脱し解脱した人は
 すでに解脱し解脱したかつての結髪者たちを率いて
 ラージャガハに入られた
 これは金環のように金色の先生である
 すでに度脱し離脱した人は
 すでに度脱し離脱したかつての結髪者たちを率いて
 ラージャガハに入られた
 これは金環のように金色の先生である
 十居に住し 十力を具し 十法を知り 十具足であるかの先生は
 十千の人々に囲まれて
 ラージャガハに入られた

 人々は神々の王サッカを見て言った。
「この子供は容姿端麗だ、この子供は可愛い。この子供は優れている。この子供は誰に従っているのだろうか」。
 このように言ったとき、神々の王サッカはその人々に詩によって説いた。

 勇猛にして一切において己を調御し
 世に似る者なき人は
 ブッダ・阿羅漢・善きところに達した方である
 私は彼に給仕する

 時に先生はマガダ国王セーニヤビンビサーラの住所に着いた。着いて比丘衆とともに設けられた座についた。時にマガダ国王セーニヤビンビサーラはブッダを最上とする比丘衆に優れた食事で手づからもてなし、満腹にし、先生が食べ終わり、鉢と手を洗ったのを見て一方に座った。
 一方に座った時、マガダ国王セーニヤビンビサーラは思った。
「先生の住む場所をどこに定めようか。できれば街から遠くもなく近過ぎもせず、往来に便利で、すべての希望する人々が行きやすく、昼は喧噪が少なく、夜は声が少なく、人が来なくて、人から離れて、静かで、瞑想に適した場所でなければならない」。
 時にマガダ国王セーニヤビンビサーラは思った。
「私のこのヴェールヴァナ(竹林)は街から遠くもなく近過ぎもせず、往来に便利で、すべての希望する人々が行きやすく、昼は喧噪が少なく、夜は声が少なく、人が来なくて、人から離れて、静かで、瞑想に適している。私はまさに竹林をブッダを最上とする比丘衆に施そう」。
 時にマガダ国王セーニヤビンビサーラは金瓶を取って先生に注いで言った。
「私は竹林をブッダを最上とする比丘衆に施しましょう」。
 先生は園を受けた。時に先生は法を説いてマガダ国王セーニヤビンビサーラを教え、勧め、励まし、喜ばせて座より起って去った。
 時に先生はこの因縁によって法を説いて比丘たちに告げて言った。
「比丘たちよ、園を受けることを許可する」。

(二三)
 その時、ラージャガハ市にサンジャヤという遊行者がいた。大遊行衆二百五十人と一緒だった。その時、サーリプッタとモッガーラナの二人は遊行者サンジャヤに従って梵行を修めていたが、お互いに約束していたことがあった。
「もし先に不死を体得したならば、教えよう」。
 時に尊者アッサジは明け方、下衣を着て衣鉢を持ってラージャガハ市に入って乞食した。その歩み、その観察、その曲げ伸ばしは優れていて眼を地に向けて立ち居振る舞いが立派だった。遊行者サーリプッタは尊者アッサジがラージャガハ市で乞食しているその歩み、その観察、その曲げ伸ばしが優れていて眼を地に向けて立ち居振る舞いが立派なのを見た。見て彼は思った。
「もし世間に阿羅漢、あるいは阿羅漢道を具えた者がいるのであれば、この人はその比丘の中の一人に違いない。私はまさにこの比丘のもとに行って質問しよう。『あなたは誰によって出家したのですか。誰を師としているのですか。誰の教えを楽しんでいるのですか』と。」
 時に遊行者サーリプッタは思った。
「この比丘は家に入って乞食しているから今は質問すべき時ではない。私はまさにこの比丘の後ろについて行こう。これは求める者が知る道である」。
 時に尊者アッサジはラージャガハ市で乞食して布施の食物を受けて帰った。時に遊行者サーリプッタは尊者アッサジのもとに行った。行って尊者アッサジと互いに挨拶して喜ばしく印象深い会話を交わして一方に立った。一方に立って遊行者サーリプッタは尊者アッサジに言った。
「あなたの諸根は清々しい。あなたの肌の色は血色がいい。あなたは誰によって出家したのですか。誰を師としているのですか。誰の教えを楽しんでいるのですか」。
「サキャ族より出て出家した大沙門釈子がいます。私は先生によって出家しました。その先生を師としています。その先生の教えを楽しんでいます」。
「尊者の師はどのような教えであり、何を説いているのですか」。
「私はまだ幼く、出家して日が浅く、この法と律に入って新参です。私は広く法を説き示すことができません。略して意義を説くこともできません」。
 時に遊行者サーリプッタは尊者アッサジに言った。
「それならば、少しでもいいから説いてください。ただ意義だけを説いて下さい。私が求めるところはただ意義のみです。多くの言葉があってもどうしましょう」。
 時に尊者アッサジは遊行者サーリプッタにこの法門を説いた。
 
 もろもろの法は原因があって生じる
 如来はその原因を説く
 もろもろの法の滅をもまた
 大沙門はこのように説く

 時に遊行者サーリプッタはこの法門を聞いて遠塵離垢の法眼を得た。
「集法を有するものはすべてこれ、滅法を有する」
「もしただこれだけであるとしても、これは正しく法です。あなたたちはすでに憂いなきところを悟っています。数万の劫の中にも見ないところです」。
 時に遊行者サーリプッタは遊行者モッガーラナのもとに行った。遊行者モッガーラナは遊行者サーリプッタが遠くから来るのを見た。見て遊行者サーリプッタに言った。
「君の諸根は清々しい。君の肌の色は血色がいい。君は不死を体得したのか」。
「そうだ、不死を体得した」。
「どのようにして不死を体得したのか」。
「今、私は比丘アッサジがラージャガハ市で乞食しているその歩み、その観察、その曲げ伸ばしが優れていて眼を地に向けて立ち居振る舞いが立派なのを見た。見て私は思った。
『もし世間に阿羅漢、あるいは阿羅漢道を具えた者がいるのであれば、この人はその比丘の中の一人に違いない。私はまさにこの比丘のもとに行って質問しよう。「あなたは誰によって出家したのですか。誰を師としているのですか。誰の教えを楽しんでいるのですか」。』
 時に私は思った。
『この比丘は家に入って乞食しているから今は質問すべき時ではない。私はまさにこの比丘の後ろについて行こう。これは求める者が知る道である』。
 時に尊者アッサジはラージャガハ市で乞食して布施の食物を受けて帰った。時に私は尊者アッサジのもとに行った。行って尊者アッサジと互いに挨拶して喜ばしく印象深い会話を交わして一方に立った。一方に立って私は尊者アッサジに言った。
『あなたの諸根は清々しい。あなたの肌の色は血色がいい。あなたは誰によって出家したのですか。誰を師としているのですか。誰の教えを楽しんでいるのですか』。
『釈迦族より出て出家した大沙門釈子がいます。私は先生によって出家しました。その先生を師としています。その先生の教えを楽しんでいます』。
『尊者の師はどのような教えであり、何を説いているのですか』。
『私はまだ幼く、出家して日が浅く、この法と律に入って新参です。私は広く法を説き示すことができません。略して意義を説くこともできませ』。
『それならば、少しでもいいから説いてください。ただ意義だけを説いて下さい。私が求めるところはただ意義のみです。多くの言葉があってもどうしましょう』。
 時に尊者アッサジはこの法門を説いたのだ。
 
 もろもろの法は原因があって生じる
 如来はその原因を説く
 もろもろの法の滅をもまた
 大沙門はこのように説くと」

 時に遊行者モッガーラナはこの法門を聞いて遠塵離垢の法眼を得た。
「集法を有するものはすべてこれ、滅法を有する」。
「もしただこれだけであるとしても、これは正しく法だ。あなたたちはすでに憂いなきところを悟っている。数万の劫の中にも見ないところだ」。

 (二四)
 時に遊行者モッガーラナは遊行者サーリプッタに言った。
「私たちは先生のもとに行きその先生を私たちの師としよう」。
「ここに二百五十人の遊行者がいる。私たちに頼り私たちを仰いでここで暮らしている。まず彼らに告げて、その考えるところに従って好きにさせよう」。
 時にサーリプッタとモッガーラナは彼ら遊行者のもとに行った。行ってその遊行者たちに告げて言った。
「私たちは先生のもとに行き、その先生を私たちの師にしようと思う」。
「私たちは尊者に頼り尊者を仰いでここで暮らしています。もし尊者が大沙門のもとで梵行を修めようとするのであれば、私たちはすべて大沙門のもとで梵行を修めましょう」。
 時にサーリプッタとモッガーラナは遊行者サンジャヤのもとに行った。行って遊行者サンジャヤに言った。
「私たちは先生のもとに行き、その先生を私たちの師にします」。
「やめなさい。行ってはならない。私たちは三人でこの衆を統率しよう」。
 二たび・・・乃至・・・三たびサーリプッタとモッガーラナは遊行者サンジャヤに言った。
「私たちは先生のもとに行き、その先生を私たちの師にします」。
「やめなさい。行ってはならない。私たちは三人でこの衆を統率しよう」。
 時にサーリプッタとモッガーラナは二百五十人の遊行者を率いて竹林に行った。遊行者サンジャヤはそこで口から熱い血を吐いた。
 先生はサーリプッタとモッガーラナが遠くから来るのを見た。見て比丘たちに告げて言った。
「比丘たちよ、あそこから来る二人の友はコーリタとウパティッサである。彼らは私の弟子における一双となり、最上の賢い二人であるだろう」。
 二人は甚深の智の領域、無上の執着の滅においてすでに解脱し竹林に着いた。時に師は二人に記別を授けた。
「ここに来た二人の友はコーリタとウパティッサである。この二人は私の弟子における一双となり、最上の賢い二人であるだろう」。
 時にサーリプッタとモッガーラナは先生のいるところに行った。行って頭によって先生の足を敬礼し先生に言った。
「私たちは願えるのであれば先生のもとで出家して具足戒を得ようと思います」。
 先生は言った。
「来たれ比丘たちよ、法は善く説かれた。正しく苦を滅尽するために梵行を修めなさい」。
 これが彼ら尊者の具足戒であった。
 その時マガダ国のもろもろの有名な族姓子たちが先生のもとで梵行を修めていた。人々は呟き憤り謗った。
「沙門ゴータマが来て子供を奪う。沙門ゴータマが来て夫を奪う。沙門ゴータマが来て一族を断絶させる。今彼は千人の結髪者を出家させた。二百五十人のサンジャヤの遊行者を出家させた。マガダ国のもろもろの有名な族姓子は沙門ゴータマのもとで梵行を修めている」。
 また比丘たちを見てはこのような詩によって非難した。

 「大沙門がマガダ国のギリッバジャに来た(王舍城の別名、「山に囲まれた」の意)
  一切のサンジャヤの徒をすでに誘い今また誰を誘うのか」

 比丘たちはその人々の呟き、憤り、謗るを聞いた。時に比丘たちは先生にこの義を告げた。
「比丘たちよ、この声は長くは続かないだろう。ただ七日の間のみ続き、七日を過ぎればなくなるだろう。比丘たちよ、それゆえもしあなたたちを詩によって非難し

  大沙門がマガダ国のギリッバジャに来た
  一切のサンジャヤの徒をすでに誘い今また誰を誘うのか

という者がいるならば、あなたたちは詩をもって反駁し

  大雄、如来は正法をもって誘っておられる
  法をもって誘う智者をなぜに妬むのか

と言いなさい」 。
 その時人々は比丘たちを見てはこのように詩によって非難した。

  大沙門がマガダ国のギリッバジャに来た
  一切のサンジャヤの徒をすでに誘い今また誰を誘うのか

比丘たちはこのような詩をもって反駁した。

  大雄、如来は正法をもって誘っておられる
  法をもって誘う智者をなぜに妬むのか

人々は「沙門釈子は法をもって誘い、非法をもってではない」と、この声はただ七日の間だけ続き、七日を過ぎて消滅した」  


    『南伝大蔵経3 律蔵3』大蔵出版 P63-79   を現代語訳



      ゴータマ伝    完











ゴータマ伝としては終わりましたが続けて引用していきます。



「(二五)
 その時、比丘たちのうちで和尚(ウパッジャーヤ)を持たず教育指導を受けない者は、上衣下衣が端正でなく、立ち居振る舞いが備わらずに乞食に行った。彼らは人々が食べている時、食物の上に鉢を出し、嚼食の上に鉢を出し、味食の上に鉢を出し、飲料の上に鉢を出し、自ら汁もの、飯を指して食べた。食堂においても高い声、大きな声を出して暮らしていた。
 人々は呟き、憤り、謗った。
「どうして沙門釈子たちは上衣下衣が端正でなく、立ち居振る舞いが備わらずに乞食に行き、人々が食べている時、食物の上に鉢を出し、嚼食の上に鉢を出し、味食の上に鉢を出し、飲料の上に鉢を出し、自ら汁もの、飯を指して食べ、食堂においても高い声、大きな声を出して暮らし、あたかもバラモンがバラモンの食事を摂るようであるのか」。
 比丘たちはその人々の呟き、憤り、謗るのを聞いた。比丘たちの中で少欲知足で慚(ざん、己に恥じる)を抱き、悔いることを知り、学ぶことを欲する者は呟き、憤り、謗った。
「どうして比丘たちは上衣下衣が端正でなく、立ち居振る舞いが備わらずに乞食に行き、人々が食べている時、食物の上に鉢を出し、嚼食の上に鉢を出し、味食の上に鉢を出し、飲料の上に鉢を出し、自ら汁もの、飯を指して食べ、食堂においても高い声、大きな声を出して暮らしているのか」。
 時にその比丘たちは先生にこのことを告げた。時に先生はこの縁によってこの時において比丘たちを集めて比丘たちに問いただした。
「比丘たちよ、比丘たちが上衣下衣が端正でなく、立ち居振る舞いが備わらずに乞食に行き、人々が食べている時、食物の上に鉢を出し、嚼食の上に鉢を出し、味食の上に鉢を出し、飲料の上に鉢を出し、自ら汁もの、飯を指して食べ、食堂においても高い声、大きな声を出して暮らしいるというのは真実なのか」。
「先生、真実です」。
 ブッダである先生は呵責した。
「比丘たちよ、彼ら愚人の為すところはよくない。従ってはいない。相応しくない。沙門の法ではない。立派(威儀)ではない。為すべきではない。比丘たちよ、どうして比丘たちは上衣下衣が端正でなく、立ち居振る舞いが備わらずに乞食に行き、人々が食べている時、食物の上に鉢を出し、嚼食の上に鉢を出し、味食の上に鉢を出し、飲料の上に鉢を出し、自ら汁もの、飯を指して食べ、食堂においても高い声、大きな声を出して暮らしているのか。比丘たちよ、これは信じていない者に信を生じさせ、すでに信じている者の利益を増す原因とはならない。かえって信じていない者を一層信じなくさせ、、一部のすでに信じている者を離反させる原因である」。
 時に先生は多くの方便によって彼ら比丘を呵責し、満足し難く、養い難く、大欲で、足るを知らず、集まり、怠けることがいかに非難されるべきことかを説き、多くの方便によって、満足しやすく、養いやすく、少欲で、知足で、少しずつ減らし、頭陀あり、信心あり、削減し、精進を起こすことがいかに賞賛されるべきことかを説き、比丘たちのためにそれに相応し、それに随順する説法をして比丘たちに告げて言った。
「比丘たちよ、私は和尚があることを許可する。比丘たちよ、和尚が弟子を見ることはまさに子供のごとくに思わなければならない。弟子が和尚を見ることはまさに父のように思わなければならない。もし、このように相互に尊敬し、畏敬し、和合して暮らせば、この法と律は長く利益となり広大となるだろう。
 比丘たちよ、和尚を求めるにはまさにこのようにしなさい。上衣を偏袒にし、足を礼し、跪き、合掌を捧げてこのように唱えなさい。『私のために和尚となってください。私のために和尚となってください。私のために和尚となってください』。もし「よいことだ」「わかった」「有用だ」「相応しい」「信心をもって努めよ」ともし身をもって迎え、あるいは言葉をもって迎え、身と言葉をもって迎えたならば和尚となる。もし身をもって迎えず、言葉をもって迎えず、身と言葉をもって迎えなければ和尚とはならない。
 比丘たちよ、弟子は和尚に対して正しく仕えなさい。正しく仕えるとはこのようである。明け方に起きて、履き物を脱ぎ、上衣を偏袒にして、楊枝を与え、口をすすぐ水を与え、坐具を設けなければならない。もし粥があれば器を洗って粥を捧げなさい。粥を飲み終わったときは水を与え、器を取って下に置いて壊さないようによく洗って保管しなさい。和尚が立ったときは座具を取り去りなさい。もしそこがほこりで汚れたのであればそこを掃除しなさい。
 もし和尚が村に入ろうと欲したならば、・・・・・・・・・・・」

     『南伝大蔵経3 律蔵3』大蔵出版 P79-82   を現代語訳


引用はここで終わります。

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