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原始仏典コミュの元祖1 「のこぎりのたとえ」 (原仏4 P317)

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「修行僧たちよ、たとえ卑しい盗賊たちが両方に柄のあるのこぎりで手足を切り落とそうとも、それに対してこころ怒るならば、その者はその怒りによって、わたしの教えの実践者ではない。そこでも、修行僧たちよ、あなたたちはつぎのように学ぶべきである。すなわち、われわれのこころをけっして変えないようにしよう、悪いことばを吐かないようにしよう、また思いやって、慈しみのこころをもち、怒りのこころをもたずにいよう。そして、その人を慈悲の想いで満たそう。また、その対象である一切の世界を、広く、大きく、無限で、恨みなく、怒りのない慈悲の想いで満たそう、と。まさにこのように、修行僧たちよ、あなたたちは学ぶべきである。
修行僧たちよ、この『のこぎりの譬え』の教えをつねに念頭におくべきである。修行僧たちよ、あなたたちが同意できない細かな、あるいは大まかな語り方が見られるか。
尊い方よ、見られません。
それでは、ここで、修行僧たちよ、この『のこぎりの譬え』の教えをつねに念頭においていなさい。それは長きにわたってあなたたちに利益と安楽をもたらすであろう。

世尊は、このことを語った。修行僧たちは世尊が説かれたことに満足し、おおいに喜んだ」

     『原始仏典 第四巻』春秋社 中21 鋸喩経 P317








1 理不尽にして手足切断、しかもそれはギザギザの鋸で。不具者になっても。
2 怒る者はブッダの教えの実践者ではない。厳しい。
3 如是学。僕は「汝等是の如く学ぶべし」の教えを如是学と勝手に命名しました。
  仏典によく出て来るからです。これはブッダ直伝の「学」です。如是可学でも可。
4 心を変えない。
5 悪い言葉を吐かない。
6 相手に怒りの心を持たず、同時に慈しみの心を持つ。
7 さらに慈心で満たしていまう。
8 さらに一切世間をも慈心で満たしてしまう。
9 慈心に怒りと恨みが伴ってはいけない。
10 のこぎりのたとえを常に念頭に置くべし。
11 「あなたたちが同意できない細かな、あるいは大まかな語り方は見られるか」は、つまり意味不明なところがあるか、略説も広説も理解できたかとブッダ自身が言っており、さらなる解説の必要があるかどうかを比丘たちに確認する言葉です。つまり、逆に言えばブッダ自身の解説で十分だということがこの経典からも知られます。
12 長利。僕は「長きにわたって汝等に利益と安楽をもたらす」という功徳、義を説く教え、修行法を「長利」と勝手に命名しました。長利の解説が着く教えは仏典にしばしばあり、これは長利がつかない教えよりも優先的に修するべきだと考えています。
13 「如是学」と「長利」、あと「空家(のすすめ)」など、その修行方法や教えを賛嘆する定型文は多くあります。僕はこのようにして、教えの優先順位を整理しています。この中でも「空家」がもっとも重要です。非常に数が少なく、しかもそれは「この教えだけで解脱できるよ」という「説法の十分性」をも意味しているからです。従って「空家の教え」はその教えをやるだけで解脱できるのです。原始仏典は意味のない言葉がまったくないので、読んでてびっくりします。

僕はまだまだです。のこぎりのたとえは長い間修行しなければいけなさそうです。でもこれで三毒の瞋根が断たれるのですから、やらなければいけませんね。三分の一がのこぎりのたとえの修行で達成できるわけです。そして、重要なことなのですが、「怒りを制する教えは原始仏典上では非常に少ない」んです。欲についてはよく説かれるのですが、怒りについての教えはとても少ない。この経はもっともよく怒りについて説かれた経の一つだと思います。

のこぎりで不具者にされつつも慈心を一切世間に満たしている・・・・・・僕には当分無理そうです。「両方に柄のあるのこぎり」というのが、なんか盗賊が仲良く息をピッタリ合わせてあなたの身体をビチビチに切り刻んでますよという感じが伝わってきて、恐ろしいです。あと「卑しい盗賊」という何か邪悪な意図を持たせた感じ。あえて、王の罰としてではなく、まったく理不尽にといった感じがまた恐ろしさを倍加させています。無駄死に感。このようにたとえの詳細なところまであえて恐怖と嫌悪を煽るように説法するのがブッダの説法の真骨頂です。僕はムカデのプールに投げ込まれるのが怖いです。

とにかく、あらゆる状況・拷問において無敵になれ、という教えだと思います。

コメント(8)

そうでしたね!僕はすっかりこのお経の事を忘れていました。
ぼくはこれから反論して文章を書く時もこの「のこぎりのたとえ」を思い出す事にしようと思います。すぐ忘れてしまうけれど。。。<(_ _)>
僕も自分で書きながら、やらないといけないなと自己反省していました。ひたすら忍耐ですね。これも四正勤のうちですね。
恐ろしいけれど自分と距離を感じるけれど、でも、とても気になる経典ですね。

この境地に近いものにふと触れる時、安らぎに満たされるのを覚えます。
削減経と合わせて、日々、折に触れて思い出し、出来事のあるたびに、
自分に言い聞かすようにしょうと思います。

その出来事そのものから離れて、自分の身体・心の反応を確認し、
そのことの無常そのものを見て、
確かに無常そのものに納得し、
自分の価値観から離れるのを繰り返すとき、
自分の受け入れ方、反応が
確かに変わっていくのが感じられます。

とても嬉しいことです。
さっそく
今日も
ちょい
怒ってました。。。

ありがとうございます。
う〜ん、自分の身体については修行していけばなんとかなる時もくるかもしれないと(もちろんまだ無理ですが)どうにか想像できますが、これは恐らく自分の家族が同じ目に合っても修めなければならないのですよね?

自分の幼い娘や妻が目の前でそのようにされていることを想像すると・・・いやその相手に慈心を持つなんて、そのことをイメージすらできないですねぇ。しかもそれを出来るようになってもまだ修行の三分の一・・・あぁ、やはり道は遥かに長く遠いのですねぇ・・・。
そうなんです。自分の愛しい者が不利益を蒙っても決して怒ってはならないという教えなんです。長部のラストから一つ手前の経に出てくる九つの怒りの抑制にそうあります。三毒の一つですから、結構強いボスですよね。自分が正しくても絶対に怒らない。いや、むしろ自分がより正しくなるためにも、決して怒らない。正義が極まると怒りがなくなるという意外さ。奥がまだまだ深そうです。
自分の事は命がけの努力をすればいかようにもできそうな気がしますがねぇ・・・・・求道者である釈尊が自分の息子にラーフラ〜障礙(さまたげ)と名づけたのも解る気がします。

今原始仏典一巻目の真ん中手前くらいまで読み進めました。
さらに読み進めつつ修行に励みます。
僕も今南伝大蔵経で読み返しています。今度アンバッタのとこに入ります。ちょこちょこトイレで読んでるんです。

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