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帰ってきたウルトラマンコミュの隊員のキャラクター設定について

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わざわざトピックを立てるのもどうかと思ったのですが、該当トピックが無さそうだったので、トピ立てしました。

岸田隊員は初期の頃は叔父が幹部と言う事もあり、かなり真面目で厳しい人でしたが、後半はエラくコミカルな人になってますが…。

後、グラナダス辺りで郷が上野隊員に敬語を使うシーンがありますが…今までタメ口だったのに…。

非常にしょうもない質問ですみません。ただ他のウルトラシリーズではあまりこう言う事は無かったので書いてしまいましたw

コメント(34)

自分もブログの評論で少し検証した経緯がありますが
30年前のドラマと今のアニメなどを同列で考えても意味がないと思います。

今の時代のアニメや特撮は、一年かけても作品内で語られないほど
詳細に設定が細かく作られて、その枠の中で作品が作られますが
30年前の作品はウルトラや子ども物に限らず
刑事ドラマや時代劇でも、そのような詳細設定矛盾はかしこに見られました。

これは決して投じのドラマがその完成度の低さを語るものではなく
ドラマを、作品を作る時に何をまず優先するか、という問題意識だったりすると思います。

例えば『ウルトラマンA』では『大蟻超獣対ウルトラ兄弟』では
ウルトラマンAは地中へ潜れないという設定が語られていましたが
その後の『さたば夕子よ 月の妹よ』ではすんなり地中に潜っていました。
これをしてその矛盾を責めるのも、無理矢理そのエピソード間に整合性を盛り込むのも
どちらも少し見当違いかなというのが、自分の個人的な感想です。
その例でいうなら『大蟻超獣〜』では、エースが地中に潜れないとした方が
その後のドラマが面白くなると、スタッフが考えたのでしょう。
そして『さらば夕子よ〜』では、地中に潜れるほうが、より他の面白い部分に尺が裂けると
スタッフが思ったからではないでしょうか?
ただそれだけのような気がします。

そのことが正しいのか。
もしくは細部までの設定に、常に整合性を図ってドラマを構築することの方が正しいのか。
どちらが正しいことなのか、自分には判別はつきませんし
そもそも正解がある問題とも思えません。

新マンで言えば以前もちょっとこのコミュで話題になった
「郷の母親の存在説」などの問題もありますし
そもそも昭和ウルトラ作品は、シリーズごとの時系列の問題や
キャラクターの矛盾の問題など多くをはらんでいます。

当時のスタッフや作家がそういう部分に対してどういうスタンスを取っていたかは
当時現役の方々にお聞きするしかありませんが
「シリーズ通して、無駄なく矛盾なく」よりも
「今作るこの話をいかに面白く作るか」へ腐心邁進していたような気がします。

回答にもなっていない無粋な意見かもしれませんが
あくまで私見として、捕らえていただければありがたいです。
職場や学校などに、苦手なタイプの人がいるかと思います。最初はお互いの事が分からないのでギクシャクしているのが、時間が経ってお互いが分かり合えてくると冷たかった性格も優しくなってくる事があります。

岸田隊員のキャラが変わってきたのも、数々の事件を解決していく内に他の隊員たち(特に郷秀樹)の実力を認め、MATチームの中で揉まれていったからだと思います。

これこそチームワークの醍醐味です。
初期は脚本を上原さんが一人で9割方手がけているのできめ細やかな性格描写がされているように感じるんじゃないでしょうか。
中盤以降岸田隊員は全体的に丸くなりますが実相寺さん脚本の「ウルトラ特攻大作戦」の岸田隊員はいくらなんでもキャラ違うだろ!と思います(笑
こんなしょうもない質問にもレスいただきありがとうございます!

確かにそうですね。アリブンタの時は地底に潜れない設定でしたね。その辺の矛盾点はあって然るべきなんでしょうね。そもそも脚本家が違うんですからね。

その脚本家が実相寺さんの時の回の岸田隊員が妙にコミカルで、そこで気付き始めたんですけどねw しかし実相寺さんはスカイドンの時もそうですが、えらく隊員をコミカルに描きますよね。「狙われた街」とかの雰囲気とは大違いですよねw

もちろん慣れてきた・信頼されてきた説も分かりますよ。山中隊員も最初は北斗に厳しかったですからね。
各種インタビュー記事によると、岸田隊員役の西田健氏は役ではクールな役が多いものの、素はでは三枚目なんだそうです。後半のエピソードでくだけたキャラクターになっていったのは、ある程度撮影が長く続き俳優さんの地が出てきたのではないでしょうか。

もうひとつ、回によって細かい設定の食い違いが見られる理由としては、ビデオやDVDで録画したり放送された番組が商品化される事がなかった70年代には、テレビ番組は基本的に一回放送されたらそれっきりという意識が送り手には現在よりずっと強かったのではないかと思います。
西田健さんって三枚目なんですね!なるほど、それであんなキャラも演じてたんですね。

確かに1話完結って部分がありますからね。キャラクター設定も脚本家任せな部分もあるでしょうし。それにしても上野隊員への敬語だけは謎ですね…。
トピ主さんの疑問は私も以前に感じてました。

3のタケダ1967さんのコメントにあるように初期の回の大半を上原正三氏が書いてますが、原因のひとつには番組の企画書のキャラクター設定と上原氏の脚本で描かれるキャラに違いがあるためと私は思ってます。

企画書では南隊員が射撃の名手、岸田隊員がオシャレでキザ、上野隊員が発明家でギャグキャラ・・・となってます。

ところが上原氏が描いてるのは南隊員が柔道が得意、岸田隊員が発明家で射撃の名手、上野隊員は郷と同格で特技なし・・・といった感じで企画書の設定とは開きがでてます。

中盤から多くの脚本家の方々が参加されてますが、皆さん企画書の設定にそって書いてるようです。
更に初代マンやセブンの頃はメインライターの金城氏が他の脚本にチェック入れてましたが、上原氏はそういったチェックはあまり入れてなかったようです。
と言う事は所謂隊員のキャラクターイメージは上原氏の作ったイメージなんですね。他の作品もだいたいそんな感じのようですね。

ただ上野隊員って何か発明しましたっけ…。いつも岸田隊員が開発してるイメージが…。
初代ウルトラマンの時と新マン以降は製作体制が違います。
初代やセブンの中期までは、テレビ局は納品を受け取るだけで
プロデューサーも実務レベルでは作品の内容やテーマにタッチしていなかったため
事実上は円谷の文芸室長の金城氏が作品内容やテーマ
キャラクターの整合性などを総合的にプロデュースしていましたが
セブン中期からTBSから出向してきた橋本洋二プロデューサーが
新マン以降はドラマ内容やキャラに対しても総合的に指揮を執ります。
(セブン終了後、円谷の文芸室が解体したことも原因です)

要は、初代マン・セブンは金城氏がライターの立場と目線で
他脚本家の作品を統括していたわけですが
新マン以降はプロデューサーがその業務を、プロデューサー目線で行うわけです。
その違いは、キャラの整合性よりも、その時その瞬間のドラマ性優先であったり
そこで関わる作家に自由にやらせる姿勢だったりに現れてます。
それと平行して、メインライターの上原氏が
初期にはその殆どを自らが書き上げているわけで
上原氏によって、皆さんが感じた細やかな初期のキャラディティールは
肉付け去れていったのですね。

その二つを同時にこなしていた金城氏の初代マンやセブンと
それぞれを橋本氏と上原氏が別個に行ってる新マンでは
作品成立過程が違っているのですから、結果も違って当然ですね。

どちらが正しいとか優れているとかではなく
初代マン、セブン当時と新マン以降では
ドラマを作るというシステムそのものが、変わっていったことが
新マンを連続物として現代の目で見直したときに
違和感を生むような要因だったんだと、個人的には思っています。
防衛チームの隊員のキャラクターは言うまでもなく「ウルトラマン」における科学特捜隊の隊員がベースになっています。少なくともZATまでの防衛チームの隊員は科特隊の隊員で分類可能です。隊員に限って分類すると、

1.冷静かつガッツがあり、実質的な副隊長…ハヤタ
2.発明家でおっちょこちょい…イデ
3.肉体派で射撃の名手…アラシ
4.通信や医務のスペシャリストで実戦もこなす紅一点…フジ

となります。これをその後に当てはめると、

ウルトラ警備隊
1.…不在(隊長のリーダーシップが強いため)
2.…アマギ
3.…フルハシとソガ(肉体派と射撃の名手を分割)
4.…アンヌ
これに謎の新隊員=ダンが加わる。
科特隊との違いは、セブン=ダンが後から加わることと、副隊長格が不在ということ、少しづつではありますが、隊員のプライベートが語られ始めます。また、アラシに集約されていたキャラクターが2つに分割され、以後はそれが類型になります。


TAC
1.…山中
2.…吉村
3.…今野と山中
4.…美川
これに北斗と南が加わる。北斗・南以外はプライベートも語られる。北斗と南は初回で前職で登場する以外は謎で、TAC入隊の経緯もあいまい(モロボシ・ダンのパターン)

ZAT
1.…荒垣と二谷(副隊長)
2.…北島
3.…南原(射撃の名手)
4.…森山
これに東が加わる。新しいキャラクターとして西田と上野という見習いに近い若手隊員が加わったが、結局定着できずに途中退場する。東の入隊プロセスは郷秀樹のパターン。2の「おっちょこちょい」を北島と南原に分けて、漫才コンビ化しているのが新機軸。

で、MATです。
1.…南
2.…岸田・上野
3.…上野・岸田
4.…丘
これに隊長が直接スカウトした新隊員=郷秀樹が加わることになります。
ここでは副隊長格が復活しています。これはユニフォームの色でわかるとおり、MATが科特隊を意識した組織であることの現れです。
肉体派隊員がいなくなりますが、これは、白兵戦よりチームワークが重視されるようになったからでしょう。強いて言えば直情径行な部分は上野が引き継いでいますね。
隊員同士の横のつながりで言えば、(初期設定では)イデとフジ、ダンとアンヌというような形での丘隊員に男っ気が全くなく、桂木美加さんの容貌と相俟って、ミステリアスな存在になっています。これは郷にアキという外部の恋人が存在することが最大の原因ですね。第47話「狙われた女」はその点を逆手に取った佳編と言えましょう。
上野と岸田は、初期には郷との関係がカブるケースが多かったですが、これはキャラクターをシェアしていた部分が多かったからでしょう。後に上野=親友、岸田=ライバルという形で郷との関係が分けられて整理されました。また、上野が三枚目として定着しました。
岸田は「プライド高きエリート」としてのキャラクターがくっきりしていましたが、隊長交代後は伊吹隊長とキャラがカブったため、性格的にはかなり丸くなり、三枚目的な部分も受け持つようになっています。上野や郷との関係も対立軸から仲間の一人となり、かなり柔らかくなっています。

MATは、ウルトラシリーズ初の隊長の途中交代を経験しています。これにより隊員のキャラクターにも微妙な変化が生じています。ウルトラマンである郷はともかく、前述のように岸田が一番変わりました。また、南と上野の隊内での存在感がやや薄くなった代わりに、二人は隊外の人間との交流が描かれることが多くなりました。丘は「伊吹隊長の秘書」的な性格を帯びてきて、攻撃に参加することが減りましたが、このことで第23話「暗黒怪獣星を吐け!」では謎の女性と深くかかわったり、第38話「ウルトラの星光る時」ではナックルに洗脳されなかったことで事件解決のカギを握るなど、作品内容への関与が深くなりました。

加藤隊長期では、チームとしてのMATが強調されたために、隊員一人一人の個性は若干希薄だったように感じますが、伊吹隊長になって却って個性がよく出るようになったように思えます。岸田が丸くなって人間的な部分が出たせいもありますが、坂田家を軸としたホームドラマと、MATを軸としたSFドラマのバランスがとれてきたことも一つの要因でしょう。
脚本家との関係で言えば、第1期でメインライターだった金城哲夫さんの影響が大きいでしょう。金城さんが脚本で創造した防衛チームのキャラクターは、諸研究では黒澤明の「七人の侍」を参考にしていると言われていますが、これが後の防衛チームや、ゴレンジャーに端を発する戦隊シリーズにまで影響を与えているわけで、まさに黄金律といっていいでしょう。「帰りマン」では金城さんはメインライターを盟友上原正三さんに譲りますが、上原さんは当然ながら金城さんの手法をほぼ100%踏襲しているといってよく、MATは防衛チームのスタンダード的な存在となったと言えましょう。
当初は金城氏の監修の下、統制が取れていたのがそのまま上原氏に引き継がれ、そこから監修の枠が徐々に曖昧になっていったと言うのが、皆さんの書き込みから行くと本当のところのようですね。

しかし戦隊モノじゃ無いですけど、キャラクターイメージって最初のグループに準じてしまいがちですよね。ZATはあまりそう言うのは感じませんでしたが、それでもある程度は継承されてたとは驚きです。
確かにCREW GUYSのサコミズには、他の組織のリーダーのような家長としての威厳はありませんとよね。

でもメビウスのテーマが「友情と信頼」であるなら、個人的にはあまり隊員たちに押し付けを行わないサコミズは、なかなかマッチしていると思います。

なんだかんだ言っても、ムラマツやタケナカさんとは良い仲なんですし(笑)
gobeiさんはおそらくお若い方で、ネットやメールを始められてから、文章でコミュニケーションをされるようになったのではないかとお察しします。
携帯電話から書き込みをされているという事情もあるのかもしれませんね。
私の世代は郵送で文通をして、相手からいろいろお叱りを受けながら、文章の書き方を学んできました。
他人が自分の文章を読んでどう思うかを考えながら書けば、文章は改善されていきますよ。

あくまでも私説ですが、答えてみます。
「メビウス」の防衛隊であるGUYSにおいて、隊員がリュウ以外は有志の素人の寄せ集めなのは、これまでの防衛隊の性質を分析した上で、戦いを重ねながらメビウス=ヒヒノ・ミライと共に成長する防衛隊にしようと考えた成果だと思います。
素人が防衛隊を構成し、戦いの中で成長を重ねていくという描写は、『機動戦士ガンダム』などヒットしたアニメーションの影響もあると思われますが、『ウルトラセブン』以降の、ウルトラ戦士に変身する者だけが素人で、戦いの中で周りの信頼を得ていく、という流れを広げたものと捉えることもできると思います。その成果が、最終話でミライとGUYS隊員が合体変身したフェニックスブレイブというモードに集約されたのではないでしょうか。
サコミズ隊長がミライの正体を知りながら、一部の者以外には隠していたり、総監であることを隠して隊長を務めていたり、実際にはタケナカ最高評議長と同じく70歳前後なのに、ウラシマ現象により肉体年齢が40歳前後だったりと、かなりミステリアスな存在に描かれているのは、視聴者に連続して観てもらうようにするための作り手のテクニックでしょうが、『帰ってきたウルトラマン』における隊長の裏設定をさらに膨らませて顕在化させたのではないかと私は思います。
本放映中には「隊長が実はゾフィーではないか」「ゾフィーの人間体が明かされる」などと噂が立ったものです。
そういった謎かけが功を奏し、『ウルトラマンメビウス』は今日まで外伝が作り続けられるほどの成功作となったのでしょう。
「ウルトラ特攻大作戦」での岸田隊員のキャラについては、脚本の実相寺氏が岸田隊員のキャラを把握しておらず、『ウルトラマン』のイデ隊員のような存在、と誰かから聞いたか自分で思い込んで、イデ隊員のイメージで台詞を書いたのではないかと感じられます。
あの台詞回しは、明らかにイデ隊員のものです。
西田氏は演じていて違和感を覚えなかったのでしょうか?
>gobei さん、

私が21.で書いた最後の一文は余計だったようですね。
放映当時は商業的に成功を納めていなくても、ファンの評価が高くて、DVDオンリーとはいえ後々まで続編が作り続けられ、映画においても比較的良い扱いを受けている作品は、十分成功作と言って良いと思いますが。
モグネズドンの回だけの参加にもかかわらず金城氏はちゃんと設定を把握してましたね。
しかもこの話数以降、岸田隊員は少しずつ丸くなっていくと言う、重要なエピソードでもあります。
どうやって『帰マン』の設定を勉強したのか気になります。
>28の童貞焼き定食さん

市川森一氏のコメントによると金城氏は放送を毎回見ていたらしく、ベムスターの回では放送後に意見を言われたそうです。

金城氏は第一期シリーズでメインライターを勤めた経験上、登場人物のキャラの把握に長けていたのかと思います。

バリケーンの回のキャラは岸田だけでなく、郷もちとおかしいですよね。
最近メビウスを見始めて、隊員たちのキャラが一貫してとてもよくできてるんで驚いてる所です。

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