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Apple Venus Vol.1コミュの「Apple Venus Vol.1ができるまで」 <3> デイヴ・グレゴリー脱退

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かつてアンディはXTCというバンドについて、「3人分の巨人」と評していました。
3人とはもちろん、アンディ、コリン、そしてデイヴです。

XTCをどういうバンドだと捉えているかという質問に対して、
アンディはこう答えています。
「二人のソングライターとお菓子職人。
歌を作る人間が二人居て、他の人間がそいつを綺麗に飾り付けていく。
その飾り付けの仕事を一番たくさんこなしているのが、デイヴ。
彼は曲は書かないが、作ったお菓子は売りに出したいと思っていて、
いろいろとクリームで模様を描いたり花びらを乗せたり銀玉を撒いたりする。
そうね、でも僕はこの水槽の中に閉じ込められている側だから、
本当言ってよく分からない。」(ロッキング・オン 1992.3)

経過を見ると、必ずしも仲良し3人組とはいえないメンバーでしたが、
デイヴはXTCにとって欠かせない存在に違いはありませんでした。
彼は「Apple Venus Vol.1」製作中に脱退し、
結果としてXTCにはソングライターが二人残ることになります。

私は、1994年の渋谷OnAirイーストにおけるマーティン・ニューエルの公演に行きました。
この時、舞台向かって右側でギターを弾いていたのが、
デイヴ・グレゴリーでした。
決して派手さはないけども、淡々とギターを弾く、
私にとって憧れのギタリストを目の前で見て、感激したことを思い出します。

1999年当時、XTC脱退というニュースを聞いて、
真っ先に思い出したのが彼の演奏する姿でした。

ここからは、デイヴ脱退について述べていきます。

コメント(27)

(2)デイヴ加入

以下の文章は、「チョークヒルズ・アンド・チルドレン」を参照しております。

1978年、XTCのキーボードプレイヤー:バリー・アンドリュースが脱退します。
元々アンディと衝突していた彼は、ニューヨークで
(ライブを観に来ていた)ロバート・フリップに声をかけられ、
実質上、「引き抜き」にあったことになります。

キーボード不在のXTCは、新たにキーボードプレイヤーを補充すると思いきや、
トーマス・ドルビーからのラブコールを断りつつ、メンバーの候補に挙がったのはデイヴでした。
アンディは「一番欲しくなかったのはバリー二号だ。」と述べております。
アンディとバリーは「Go2」レコーディングやツアーで度々衝突しており、その再来を恐れたようです。

1952年生まれのデイヴは子どものころ、ピアノとチェロを習い、
両親もクラシックへの通へ進むことを期待してましたが、
12歳のとき、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」を聴いたことをきっかけにギターを購入。
14歳のとき、テレビで観たジミ・ヘンドリックスの「パープル・ヘイズ」に衝撃を受け、ギターに没頭するようになり、ピアノから遠のいていきます。
16歳のとき、糖尿病を発症し、さらにインシュリン注射が必要になります。これが今後、彼を悩ませる種の一つになります。

なおも彼はギタリストとして様々なバンド活動を行いますが成功せず、
バンドの解散に伴い、1970年から1年間、精神療法を受けるなど一時期は音楽活動から離れていましたが、
その後復活し、1974年にはヘリウム・キッズのオーディションを受けるもうまくいかず。

バリー・アンドリュース脱退後、1979年1月に、ボストンにいたアンディはデイヴにバンド加入の誘いをします。

デイヴはXTCがキーボードプレイヤーを探していると思ってたのに、アンディから「一から出直したい」との意向で、リハーサルをして、正式加入しました。

デイヴが26歳のときです。
>かのこさん
「…水槽の中に閉じ込められている側だから…」について補足しますと、
1992年、新作(「ノンサッチ」)制作の感想について、アンディはこう述べております。

「まだ時間がそんなにたってないからなぁ。
僕らは金魚鉢の中の金魚みたいなもので、
自分が入っている入れ物の形がわからないんだ。
時間がたたないと客観的に考えられないんじゃないか。
(FMステーション1992.5.11-5.24)

また、1999年にも、こういう発言がありました。
「(「Apple Venus Vol.2」を表す、伝統的なXTCポップを一口で言うなら、という質問に対して)
エレクトリック・ギターとおかしなリズム、それと多重層的なヴォーカル。
でも自分のことを自分で言うのは難しい。金魚が自分の金魚鉢の形状を説明するみたいで。」(プレイヤー1999.4)

アンディ自身、「金魚鉢」というフレーズが好みのようですね。
自分の作品について語るのは難しい、と言いながら、
インタビューではサービス精神旺盛にこたえ、
さらに本(ソング・ストーリーズ)までつくってしまう、
そんなアンディが私は大好きです。

マーティン・ニューエルについては、「Martin Newellと周辺人脈」

http://mixi.jp/view_community.pl?id=727730

に詳しいですので、参考にしてください。
管理人は、以前ご紹介した、「ぱと」さんです。

新宿ディスクユニオンですと、うーん、本館の1F(新品)と7F(中古)だと思いますが。
ジャンルで言うと、イギリスのロック、ポップス、はたまたXTC関連者(!)とか。
マーティン・ニューエルのファーストアルバムについて、アンディがプロデュースし、また、ギターも弾いてます。

XTC好きなら、この人の楽曲は気に入ると思います。
(3)デイヴはジェントルマンです。

1979年の8/18にXTCが来日しました。
日本でのツアーは次のとおりです。

8/20、21…東京九段会館
8/22  …京都京大西部講堂
8/23  …大阪御堂会館

当時の状況としては、8/17に本国でサード・アルバム「ドラムズ・アンド・ワイアーズ」が発表されていますが、
当然のことながら、日本では1st「ホワイト・ミュージック」と2st「Go2」しかなく、
バリー・アンドリュースのキーボードを楽しみにしていた人はさぞひっくり返ったことでしょう。

余談ですが、前座として、「P-MODEL」が登場しました。

新宿のサンルート・ホテルにメンバーが宿泊していたときに事件は起こります。
ホテル側としては、当然のことながら宿泊客以外の人を部屋に入れるのは厳禁ですが、
テリー・チェンバースは数人の女の子を部屋に連れ込み、パーティーをしていました。
ホテルの従業員は何度も中断をお願いしましたが、テリーは興奮して、スタッフと口論になり、ホテル中大騒ぎ。
ツアー・マネージャーのレイ・ハーンは浴衣姿で「静まれ、テリー!でないと奴らお前にジュウドウ食らわせるぞ!」と叫び、騒然となりました。

スティーブ・ウォレンはこの出来事について、こう語ってます。
「デイヴも何人かの女の子を自分の部屋に連れ込んでいたんだ。何をしていたかって?
奴はギターを取り出して、彼女たちの前で弾いてあげて、
それがどんなにいいギターか話し聞かせて、それから彼女たちを送り出してやったのさ!
チャンスはあったけどそれには乗らなかったんだ。
あいつはチームの正真正銘の紳士、大した奴だよ。
デイヴの人のもてなし方にはいつだって敬意を表するね。」

デイヴの人柄が目に浮かぶエピソードです。

ちなみに、テリーは、連れ込んだ女の子の一人の両親・親類がホテルを訪れ、
「娘をかどわかした」として大モメになり、
さらにXTC御一行様はサンルート・ホテルを追い出され、
東京ヒルトン(現在のキャピタル東急)に移ることになります。

<おまけ>
九段会館です。
http://www.kudankaikan.or.jp/

ホテルサンルート東京は、建替えのため、2005年3月31日をもちまして、閉館しました。
http://www.sunroute.jp/index.html
むっはぁー。はかまさん、ありがとうございます!
たまたま他の方に京都来た話を聞いて、それが何年か知りたかったんですよ!グッド・タイミング!

あは〜・・・1979年だったのですね。
わたくし個人的には無理です!
この時はまだ洋楽に目覚めたばかりの年で、ラジオでエア・チェックしか出来ませんでした。ラジカセ持ってたらいいほうで。
ステレオなんて、親が音楽聴く人しか持てませんでしたよ。
だから、アルバム聴くなんてとんでもないな・・・
京大はあきらめー。。。

しかし他の方に聞いた通りですね。
「2枚のアルバムしか知らないのに、新曲聞かされなにがなんだか・・・」→「ムチャなスケジュール?宣伝にならないのでは?」
「バリーが居ないなんて、寝耳に水!」
「アンディが『暑いね』って言ったこと」
わたくしはこの当時の「京大西部講堂がパンク、ニューウェイブのメッカである」事すら知りませんでしたよ・・・
しかしながら、感慨深いですね。想像だけど…
>エンジさん
貴重なお話、ありがとうございます。
来日時の資料が見つからないもので、
実際に行った人の話は珍しいです。

ちなみに、京都京大西部講堂は、
「ワールド・ニューウェイヴ・フェスティヴァル」の特別ゲストとして出演しております。

前述のP−MODELは、この時のライヴ盤を発表しております。

http://cd-dvd.nifty.com/r.asp?q=%8B%9E%91%E5%90%BC%95%94%8Du%93%B0&t=0

・・・ん?
年代が異なる。。。
ヴァーチュアル・ライヴだからいいのかな???

あと、こんな記事も見つけました。

http://ameblo.jp/sugarmountain/theme-10000627649.html

トーキング・ヘッズについて書かれたものですが、
2005-07-31の記述が泣かせます。
ありゃりゃりゃりゃりゃ・・・かのこさん言っちゃった…

じゃなくて、はかまさん!
どっちの貼り付け(なんちゅーにゃ?)も素晴らしいじゃないですか!
わたしこの貼り付け見てもらうために人呼んで来ようかなー・・・
(んな、簡単に呼べるんかい!)
わたしのコメントじゃ心もとないしー…
「ジャム!」、「トーキングへッズ!」、「ラモーンズ!」、しか言えへん。。。
(4) デイヴ脱退の前ぶれ

ご存知のとおり、デイヴはツアーにおいてギターとキーボードを担当し、
また、バンド外では様々なミュージシャンのセッションに参加します。

「スカイラーキング」レコーディングにおいて、
アンディとトッド・ラングレンの確執が伝えられておりますが、
この時、アンディと大喧嘩したコリンは一旦はバンドを辞めようとして、
更にアンディ、コリン、デイヴの3人で「1時間ぐらい大声で怒鳴りあった」こともあります。

後にアンディは「俺たち3人があんなに激しく言い争ったことは後にも先にもあれっきりだ」と振り返っております。
デイヴはこの時、アンディにこう言っております。
「お前の気持ちは良くわかる。
もし俺たちがこれまでもっと成功していたらね。
でもお前(アンディ)の言うとおりにしてうまくいった試しがないだろう」

「チョークヒルズ・アンド・チルドレン」(P259)では、
「デイヴは92年のインタビューで『俺たちがバンドだった頃』という言い方を繰り返し使っていた…」
という表現でわかるとおり、
必ずしも3人仲良しのバンドではなかったのが分かります。

また、「アンディと衝突した人間は誰でも彼の毒舌の餌食になる。
特にマスコミの前ではね。」(サウンド&レコーディング・マガジン1992年6月号)
とのキツイ発言もあります。

しかしその一方、デイヴは「XTCの新作も、デモを聞きながらいろいろと考えている。
アンディともアイディアを練っているところ。」(キーボードマガジ1997年2月号)とインタビューに答えておりますので、
(もしかして、日本のマスコミへのリップサービスなのかはわかりませんが)
必ずしも脱退することを最初から考えていたわけではないと思います。
はじめまして。西部講堂と御堂会館に行ったものです。
Barry Andrews脱退を知らなかったので、さぞひっくり返ったクチです。

その当時、XTCのような音源情報の入手源は専らロック・マガジンでした。Barry脱退の経緯が紹介されていたのですが、AndyのBarryに対する毒舌の数々でした。
その中で気になった(気に入った)のは、
「アイツは、Stranglersはホモだ、みたいなバカな曲ばかり書く」というものがあり、「何のこっちゃ?」と思ったものです。

もしそれが真実なら、一体どの曲なのでしょうか?
たぶん「Go 2」収録曲のどれかなのでしょうが・・。

#トピ違いならお許しください。
いや〜バリーがそんな曲?
バリーのキーボードがはじけている曲でしょうか?
でもシュリークバックなんか、それなり良かったと思いますが…!
(でもどんな曲か、だいぶ聞いてないので記憶の彼方。。。)
う〜ん良かった・・・良かったはずだ!
かのこさん、シュリークバックもPV挙げないといけないのでは?
(見たことないけど・・・)

それにしても、バリーがいた時は三人のソングライターということですか?
Barryのバカ曲(笑)ですが、
http://www.circustown.net/ct/add/xtc/go2.html
↑ここによると、「My Weapon」「Super-Tuff」のどちらかみたいですね。当方、途上国におり歌詞カードがないので確認できませんが、どなたかお調べ下さい。

「ワシの武器」「スーパー凝灰岩」、どちらにせよStranglersはホモっぽい・・・。
おにゆりさん、ありがとございます!
アルバムの説明全部読みましたです!お勉強しました!
「GO2」はわたくしには一番とっつきにくいですわ。
なんか、解ろうとしている自分がいるみたいな・・・
中学時代、一番初めに友達に薦められて、理解できなくて
XTCファンになり損ねた1枚であります。
友達は「いい!いい!」って言ってたのですが。。。
(激しくトピずれですな・・・)
こんにちは。ここでも大便エンジです。

     ***********************

GO 2 の歌詞ですが、Idea のサイトにあるLyrics  にありますので、ご確認出来ます。
(ちなみに、歌詞がアルバムに掲載されたのは、『ドラムズ・』以降です。『ドラムズ・』英盤には、前二作の歌詞も共に掲載されていました。)
「ストラングラーズはホモ」と言う発言は、ちょっと、どうなのでしょう。はかまださんに、ご確認を仰いだ方がよいのでは。私の知るものは、『ソングストーリーズ』に限られますが、「バリーは、ストラングラーズを気取って歌うのだけれど、どうしても、へなへなになってしまう」と言うような内容だったのではないでしょうか?
シェリークバックは、9枚のアルバムがあります。こちらでストリームが聞けます。
http://www.shriekback.com/
最新作の『コンフォート』では、アンディが演奏しています。
では、ともかくのお知らせまで、、

     ************************
おおっ!ときよたさんありがとうございます!
わたくしが聴いたアルバムは赤と青の人が三人立っている
ジャケットのアルバムでした!「ビッグ・ナイト・ミュージック」
ジャケットも見たことあるし、曲もこれだった!思い出しました。
その隣りの飛んでるようなジャケットも見たことあるな。。。
9枚も出てるのか・・・知らなかった・・・
逆から勘定すると「ビッグ・ナイトー」は四枚目あたりですか?
1枚聴いてもうフォローしてる気になってました。

なんかXTCと嗜好が全く違いますな〜・・・別の思考回路で聴かなあかん。
バンドと言う生き物は不思議だ。
エンジさま

ちょっと時間があったのでLyrics検索したら、「ワシの兵器」の歌詞がわかりました。
http://www.lyricsdownload.com/xtc-my-weapon-lyrics.html

”dunno wot”を"don't know what"に置き換えて、エキサイト和訳すると、次のように解釈されました。
……………………………………………
私は、彼女が何を得たかを知りません。
私は、彼女が何を得たかを知りません。
私は、彼女が何を得たかを知りませんが、それは私にグリップを持っているように思えます。
彼女がどこで自分が学ぶことを私に学ぶかを言わないこと。
そして、私がなにかを知らないか、彼女、された間違っただけ彼女を傷つけたいと思います。
(そうしたいです) 彼女にそれを八つ当たりしてください。
彼女にそれを八つ当たりしてください。
私の兵器で彼女にそれを八つ当たりしてください。
したがって、彼女は、私がいつ失敗するかを私に言うのを強要しています。
彼女は受ける配慮を評価しません。
彼女は、私がすべての時間をかけていると言いますが、私は戻る予定ではありません。
(それは正しいです)
'これをしてください'にもかかわらず、彼女はそれをしないでしょう。
太っている熱い愛の小包(冷汗)が私の下で彼女を感じるように私の横に位置して、彼女を圧殺したくなってください。
彼女は私を軽蔑する人々を正当化しようとします。
彼女は痛むのを知っているものを的確に指摘します。
私は、彼女が何を得たかを知りません--そして、私たちが灯を消すまで、私は自らを守ることができません、そして、私の兵器。
私は兵器に悪臭を放たせます。
……………………………………
Barryが何を得たのか私も知りませんが、性行為っぽいですね。
特にStranglersを揶揄してるとは思いません。

もう一つの「スーパー凝灰岩」の方は残念ながらヒットせず。

そこで思うのですが、”GO 2”が録音された1978年というと、数多くのパンク名作品がリリースされた年で、XTCもレコード会社も気合い入ってたことでしょう。そんな中、「凝灰岩」を主張するBarryは全く空気を読めておらず、Andyでなくともブーイング→これが脱退の真相。

Stranglers、今もホモだといいですね。
おにゆりさん・・・ありがとうございます。
わたくし、歌詞あんまりフォローしてないもんで。。。
(いーかげんな洋楽ファンです。。。)

ええっと。バリーはストラングラ-ズになリたかったんですかね?
ホモだと言いながらも。
おにゆりさん、ありがとうございます。
バリーは、エッチ系の作曲がすきなのでしょうね。

ストラングラーズを揶揄する話、というのは聞いたことがありませんが、
もしかすると、「マイ・ウェポン」「スーパータフ」以外の、
バリーが作曲し、「Go2」に洩れた曲に秘密があるのかもしれません。

いずれにせよ、バリーの曲と、アンディ・コリンの作曲には大きな隔たりを感じます。
「モロ」表現するバリーと、一見すると表には見えないアンディの作詞。
「音楽性の不一致」と一言で言えばそれまでですが、
いまさらながらバリー脱退は、回避できなかったと思います。

その一方、アンディはバリーのセッションに参加しており、
お互いに認め合っている部分もあるのでしょう。
(5)脱退の序曲

「ソング・ストーリーズ」で、筆者は3人をこう評しております。

「アンディはボス―気まぐれだが強情。
デイヴは理性の声、
コリンは静かなる声。
コリンはアンディの斬新的な面の引き立て役である。
デイヴは彼らの音楽性の視野を広げた。
アンディはバンドを本能で運営する。
デイヴは厄介事を片付ける。
コリンはかれらの勝手にさせておく。
彼らはお互いが大好きだ。」(P458)

3人がそれぞれの個性を生かして、XTCというバンドを形成しておりましたが、
その微妙なバランスも、1998年に「Apple Venus Vol.1」を制作する際に、
ついに決壊することになります。

アンディとコリンが作成したデモ曲から、スタッフでアルバムに入れる曲を投票する際に、
「アンディは『やりたい曲が2票しか入らなかった。』といったら、
デイヴは「ソロアルバムでやればいい」と言い、アンディが睨んだ。」
(ソング・ストーリーズP424)とあります。

アンディはこうコメントしております。
「ずっとデイヴはこの作品のことを僕のソロ・アルバムって呼んでいた。
今までに作ったXTCのアルバムよりもずっと僕のソロっぽくないのに(笑)。」
(プレイヤー1999年4月号)

話は悪いほう、悪いほうへと加速していきます。
なんでしょうねー・・・?
憶測ですがデイブ、他の不満のような気がします。

アンディの「ワンダーフォールズ」なんて聴きますと
あきらかにXTCとは違うなーと思いますけど・・・
(6)デイヴとアンディ、それぞれの意見の相違

…とは書きましたが、実際のところ、
デイヴ側の発言というのはアンディ側と比較して、非常に少ないです。
デイヴとしては脱退したために、メディアで発言する機会もない一方、
アンディはインタビューにおいて全開モードです。
本当でしたら、デイヴ側の主張をもっと聞きたいところですが…

「デイヴは、アルバム制作が進行するにつれて、
自分が仲間外れされているような気持ちになった。
アンディがオーケストラのアレンジにコンピューターを使い始め、
デイヴには創造的な仕事がほとんど残されていなかった。
アンディの歌の方向性に口出すことも出来ず、
次第にプロジェクトに悲観的になっていった。」
(ソング・ストーリーズP458)

脱退の現場について、次のような記述があります。
「1998年の初め、デイヴ・コリン・ヘイドンはアンディがニューヨークに行って不在の間、
コリンの曲の大部分を仕上げた。
アンディが帰ってきたとたん、緊張が高まり、3月、
デイヴの態度にうんざりしたアンディは
『自分がヴォーカルをレコーディングする間、何日か休みを取ってはどうか』
とデイヴに言い、するとかれは自分の荷物を片付け始め、
しばらくすると、彼はドアの隙間から頭を突き出して
『じゃあな!』と言って出て行った。
次の日、彼はコリンの家を訪ね、彼とアンディにあてた辞表を渡した。」
(ソング・ストーリーズP458)

突然かっとなって怒り出した、というのではなく、
これまでのものが積もり積もった、と読み取れます。
(7)アンディの、デイヴ批判

インタビューにおいて、アンディはデイヴに対する批判が多いです。
この時期は脱退直後ですから、なおさらです。

「デイヴはいつも何事かに怒りを覚えていた。
精神的に非常にネガティブだし。
オーケストラの費用は出したくないし、
コンピューターなんて論外だと言い出した。」
(サウンド&レコーディング・マガジン1999年3月号)

「ものすごくネガティブな人間で、糖尿病のせいか、
何事にもすぐ突っかかってくる。
僕はポジティブなほうなのだが、ついにバランスが取れなくなってきた。
それこそ、あらゆることを嫌がった。」
(クロスビート1999年3月号)


「デイヴは “物を創るタイプ”ではなく、“物を受け取り解釈するタイプ”だった。
生まれながらの日本人といっていい。50年代くらいのね。
そのことが問題になり、僕(アンディ)、コリンの才能を羨むようになってきた。
(クロスビート 1999年3月号)


「デイヴは前進するということにすごく困難を感じているタイプで、
新しいことにトライできない。
彼を悪く言うのは心苦しいけれど、状況を説明しようとすると止むを得ない。
過去に生きる男で、バンドはとにかく
エレクトリック・ギターをアンプに突っ込んで
ノイズを出せばいいってヤツだから。」
(プレイヤー1999年4月号)


「バンドの1/3が欠けたことではあっても、
レコードを作った人間の1/3がかけたわけではない。
ツアーでの存在は大きかったが、
レコード制作での責任は小さく、しかも嫌々だった。」
(クロスビート1999年3月号)

「デイヴは続編のエレクトリック・アルバムまであと少し待っててくれれば、
ぬけることも無かったんだが。
このアルバム(Vol.1)では
彼がピアノ・プレイヤーに格下げになってしまったように感じたのだろう。」
(ギター・マガジン1999年6月号)

アンディは彼なりに強気に言っておりますが、とても悲壮感が漂っております。
まだこの頃はカッカきていた頃なのかもしれませんが、
後になって「取り返しのつかないことになった」という反省にも読み取れます。
確かに傍から見れば、「3人だったメンバーの一人が欠けて、トリオからデュオになった」
だけかもしれませんが、それだけではない、
というのを一番感じ取っているのはアンディ自身なのではないでしょうか。
「アンディ自身なのではないでしょうか」
そーですよね。
やってる人が一番よく分かりますよね。
素人のわたしですら、「デイブは凄いですーっ!」と感じます。
(↑し、知りません。テクニックだの何も・・・)
言葉では言い尽くせない役割というものがありますよね。

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