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Apple Venus Vol.1コミュの「Apple Venus Vol.1ができるまで」 <2>ヴァージン・レコードとの確執

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XTCは、常に「お金」に苦しめられてきました。
プロのミュージシャンとして、「純粋に音楽が好きだから」では済まされない部分です。
これから、とても「金臭い」話が出てきます。

以下の文は、「チョークヒルズ・アンド・チルドレン」からの引用です。


(1)イアン・リードとの出会い

1976年、XTCはスウィンドンのクラブ「アフェア」でギグを行いました。
その「アフェア」のオーナーが元陸軍将校のイアン・リードです。
バンドは後片付けの最中にエレベーターを壊してしまい、
その弁償として、
イアン・リードはノーギャラで修理代に充てると提案しました。

もともと音楽ビジネスに対して知識や経験の無いリードは、
その無料ライブで(リードの)PR担当者である、
デニス・デザリッジにXTCの評価を依頼したところ、
「可能性がある」とのことで、
リードはバンドのマネジメント契約を申し出て、
ろくに話し合いや検討を行わずに契約書にサインしたのです。

これがXTCとリードの「泥沼関係のはじまり」です。

音楽ビジネスに疎いバンドと、無知なマネージャーの出会いでした。

コメント(15)

(2)ヴァージン・レコードとの契約

1976年から77年という時期は、
ダムド、セックス・ピストルズといった「パンク」が花開く時期です。

ここからも、「チョークヒルズ・アンド・チルドレン」からの引用です。

XTCは、1976年11月にメンバーであるジョン・パーキンズ(キーボード)が脱退し、
急遽、バリー・アンドリューズをメンバーに加え、
次第にライブの仕事が増えてきました。

その後、CBS、EMI、EG、アイランドなどのレコード会社が関心を持ち、契約交渉を行ってきましたが、
その中でアイランドとヴァージンが争っているのをイアン・リードはうまく利用して、
(印税と契約金の要求金額について弁護士を雇って助言を得て)
とうとう、リードが休暇中に(!)ヴァージンがバンドの条件をすべて飲み、
契約となりました。

結果、「6枚のLPの制作期間に25万ポンドの報酬」という形で契約が成立しました。

しかし、「契約は1977年の水準からするとけっこう気前がいい方だった」のですが、
「アドリアに支払われた前金の2万5千ポンドは少しも騒ぎ立てるほどの金額ではなかった」とあります。

話が前後しますが、XTCとマネジメント契約直後、
イアン・リードとデニス・デザリッジはXTCのプロモーションのため、

[グループをマネジメントする目的で「アドリア・リミテッド」という会社がいくつかある会社からみつくろわれ、
グループはその「自分たちの」会社の役員である、と信じ込まされた。](P82)
とあります。

この点について、詳細が不明なのですが、推測すると、
イアン・リードが中間で搾取していたのではないか。
そしてダミー会社の「アドリア」には小額しか支払われなかった、と考えられます。

そして、イアン・リードから各メンバーに前払いしたギャラは週に25ポンド。
それでも、メンバーは「(音楽だけで生計が立てられ)昼間の仕事が辞められてうれしい」
と喜んでいたのですから、
つくづく、お金に縁の無い人たちなんだな、と思います。
お金に困ってる割には売名行為ができないんですよね。
ディズニーも断っちゃうし・・・
これは著作権がディズニーになるのが嫌だったから。
そーですよね?(確認を求める・・・)
(3) 極貧生活は続く

1982年、アンディが「ステージ・フライト」により、アメリカ・ツアーがキャンセルされ、
さらにアンディは外出さえできない状態で、バンドも崩壊寸前でした。

この時、2万ポンドの借金があり、特にリハーサル場所とツアー用のPAを提供した「エンテック」は、代金未払いを理由にXTCの楽器とアンプを押収し、リハーサルすらできない状況でした。

イアン・リードはアドリアから7万5千ポンド借りているので、エンテックへの支払いを断り、
バンドはロンドンの会計派遣会社ウィルキンスン&メラーに相談し、
アレクシス・グロアー弁護士から「ヴァージンとレコーディング契約について再交渉すべき」とのアドバイスを受けます。

内容は次のとおりです。
・あとアルバム6枚分と「ベストアルバム」1枚を作成する。
・交換条件として、ヴァージンは当面の財政難を切り抜けるだけの金を立て替える。

XTCはこの機会を利用し、今後の財産管理は直接自分たちで行うことを主張します。
結果、ヴァージンが払う前金や印税はすべてバンドの銀行口座に振り込まれ、そこから月給650ポンド支払うことになります。
この金額でも「これまでメンバーの誰も稼いだことがない金額だった」といいます。

一連のやり取りについて、アンディは後にこう述べております。
「ツアー活動をやめたとき、イアン・リード(マネージャー)を調べた。
するとこの男は骨の髄まで腐っていたことが分かった。
非常に狡猾なシステムを作り上げて、あらゆる請求書を二重に書いていた。
例えば、アルバムを制作するんでヴァージンから10万ポンド前借したりすると、
僕たちはそのお金を全部制作費と人件費に充てる。
で、それは僕たちが印税収入として得た僅かなお給金からヴァージンへ払い戻されることになる。
ところが、この男はその10万ポンドをさらに僕たちに要求してきた。

おまけにこのマネージャーの一件から派生した様々な係争を勝ち抜く為に、
今度はヴァージンから借金をしなくちゃならなかった。
でもって、ヴァージンはヴァージンでアルバムをさらに多く制作することに合意しなければ、お金を貸してくれない、
というわけで、僕たちは恒常的に踏みにじられるような運命にあったのさ。」(ロッキング・オン1996.11)

ただただ、泣けてきます。
(4) イアン・リードとの係争始まる
以下は、主に「チョークヒルズ・アンド・チルドレン」からの引用です。

1984年3月、「ザ・ビッグ・エキスプレス」のレコーディング開始したころ、
「イングリッシュ・セツルメント」のレコーディング印税が入ってくるので、
バンドは1万3千ポンドを受け取るはずでしたが、
4月になり、イアン・リードがグループの財政事務を管理していた期間に課せられた税金の請求が発生し、
バンドはイアン・リードに対して訴訟を起こし、
反対にリードはバンドに対して、手数料未払いの訴訟を起こしました。

これが訴訟騒動の始まりです。

ヴァージン・レコードはバンドを保護するために、前渡し金と印税の支払いを中断し、
1984年の11月にはバンドの銀行口座が底をつきます。
バンドの収入はヴァージンが定期的に貸してくれるお金のみ。借金は日に日に増えていきます。

「ママー」、「ザ・ビッグ・エキスプレス」と、売り上げ不振のアルバムが続き、
また、シングル・ヒットもないXTCは、
1986年、ヴァージンは新しいアルバムをレコーディングする際に、
?ヴァージンが選んだプロデューサーを起用するか、もしくは
?ヴァージンと契約を終えるか、の選択を迫られます。

この時はバンドがトッド・ラングレンをプロデューサーにして「スカイラーキング」を作成して、
シングル「ディア・ゴッド」が話題になり、結果として久々のヒットとなります。
(5)苦しいバンドの経済状況

注:「印税」は、主に3つに分類されます。
1.出版印税:作曲者に支払われ、額は売り上げに比例する。
2.レコーディング印税:実際のレコードやCDの売り上げから生じる印税。作曲者だけでなく、バンド全員に与えられる。
3.PRS印税:ラジオ・テレビでのレコードやヴィデオの放送回数に応じて支払われ、バンド全員で等分する。

訴訟中、バンドの収入はヴァージンからの借金とPRS印税に限られ、出版印税はヴァージンからの借金と相殺されます。

曲の大半はアンディが書き、残りはコリンが書いておりますが、
デイヴは作曲していないので、出版印税を受け取る権利がありません。
そこで3人で話し合い、「バンドへの全般的な貢献に対して」ということで、印税の10%を受け取ることに合意します。

ただ、(収入と支出の)「差引きが行われた後で、プロデューサーに払う印税が稼げればまだいい方だった。
生き延びられるのは作曲による出版印税によるもので、デイヴには小額だった。」
(ソング・ストーリーズ P414)
とあります。

アルバムレコーディングがあれば前金を受け取れますが、ツアーを行っていないXTCは収入が少なく、
デイヴは小さなセッション、雑誌のアルバム・レヴュー、パートタイムの運転手をするなど、苦しい生活を送っております。
(6)訴訟の果てに

XTCは「シーズ・ハヴィイング・ア・ベイビー」のサントラをきっかけに音楽監督タークィン・ゴッチ知り合いになり、
彼はバンドのマネージャーを志願してましたが、

1988年、「オレンジズ&レモンズ」レコーディング中に、
1度に1枚のアルバム分だけ有効で中途変更の可能なマネジメント契約を結ぶことになります。
イアンとの係争を知ったゴッチは、
「裁判に勝ったとしても、得るものはない」と助言し、
結局、1989年2月、イアン・リードとの間に示談が成立し、争いが終わります。

バンドはヴァージンと3回目の契約再交渉をして、
借金の肩代わりの条件として、あと4枚分のアルバムと、
自分たちに不利な条件の印税の調整に同意せざるを得ませんでした。
(7)ストライキに突入

とにかく、このバンド、お金の件でもめます。

アンディはインタビューでこう述べております。
「過去14年間が酷すぎた。
音楽に対する見返りとして僕が求める数少ないものの一つだ。
名声なんか欲しくない。こっちから出入り禁止にしたい。
金が入るのは悪くない。やはり日々の生活の糧だからね。」
(ロッキング・オン 1992年3月号)

かつて、ここまであからさまに『お金』を要求するミュージシャンを私は見た事がありません。
そういう意味でも、かなり追い詰められているということがわかります。

『オレンジズ&レモンズ』の好セールスは、
ヴァージンに対して抱えていた莫大な借金の返済に大きく貢献したにもかかわらず、まだまだ借金は残ります。

「えーと、27万1千ポンド(約6,800万円)の借金を返せばいいだけだから悪かないよね。」(クロスビート1992年6月号)

レコードを作っても、そして売れても、借金が残る状況は慢性的です。

そして、アルバム製作に当たり、ヴァージンとの意見の相違も顕著になります。
以下、「ノンサッチ」発表後の発言です。
「『オレンジズ&レモンズ』から新曲を作り始めたが、『曲が良くない』とか難癖をつけられて、
さらにプロデューサー選びが難航して、時間がかかった。連中の貪欲にはキリがないから。
『頭をハンマーでボコボコ叩いてでも丸い釘を四角い穴に入れようとする。』」(ロッキング・オン 1992年3月号)

不仲同士、交渉事もうまくいきません。

更に、アンディは、バブルガム・ポップのコンピレーションを提案し、
その中には「イッツ・スノウイング・エンジェル」が入っていたが、ヴァ−ジンは相手にしなかった。」(ソング・ストーリーズ P415)とあります。

そして、「ノンサッチ」からの第3弾シングルカットで、対立の溝は更に深まります。
「ラップド・イン・グレイ」が5000枚プレス(※)したにもかかわらず、あとで発売中止にされ、ヴァージンを辞めたいと思った。」(ソング・ストーリーズ P405)
(※この枚数やいきさつについては諸説あります。)

「ノンサッチ」の売り上げは数十万枚になったので、
公平な契約に変更するように求めましたが、却下されます。
そこで、XTCはレーベルを抜けさせてくれと頼みましたが、
ヴァージンは断り、ストライキに突入します。
ミュージシャンはレコーディングを拒否するという異常事態です。

「Apple Venus Vol.1」まで、あと7年。
(8)アンディの来日

1992年、アンディはヴァージンメガストア・横浜店のオープニング・イヴェントのため突如来日します。
1979年以来、実に13年ぶりです。

XTCはヴァージン・レコードとはモメまくっている時期の来日でしたが、
当時はそんなことは一言もふれず、アンディの胸中やいかに、という感じです。

「1979年に行って以来、日本に行っていない。コンサートじゃなくて、
ラジオ局やレコード・ショップでのプレイならしてもいいと思っている。」
      (クロスビート1992.6)

また、「ノンサッチ」リリース時、
市川哲史氏が「XTC来て来てキャンペーン実行委員会」の名誉会長にされたことに対して、こう答えております。
「ツアーは無理だろうけど、いくつかラジオ局でアコースティック・セッションはできるかもしれない。
せめて皆に聞いてもらうためにね。日本って、まるで金星旅行みたいなんだもなあ。」
      (ロッキング・オン 1992.3)

前作「オレンジズ&レモンズ」の時は3人によるアコースティック・セッションを行い、
アメリカのラジオ局を巡るというプロモーションを行なった過去があり、「もしや・・・!」と思いましたが、
いくつかの雑誌のインタビューに答えるだけであまり大きな活動は行ないませんでした。

この時のイヴェントに参加した方、またはプロモーションについてご存知の方はおりますか?
ぜひ教えてください。
(9)ヴァージン・レコードを離脱

 ストライキの時期、表に発表はしないものの、作曲活動を行ないます。
「Vol.1の曲は92〜94年、Vol.2の曲は94〜96年の間に書けた。」
   (クロスビート 1999年3月号)とあります。

「(4年間のストの間に)書き溜めてある曲は最高の出来だ。
それをいまだにレコーディングできていないことほど、
じれったいものは無い。
でも今は凄く前向きな気持ちがあって、
それは近いうちにレコーディングできるという確信があるからだ。
XTCが好きなら間違いなく好きになってもらえる。」
    (ロッキング・オン1996年11月号)

ストライキから4年、1996年、ついにヴァージン・レコードを離脱します。

ヴァージン・レコードを辞めさせてもらう条件の一つに、
シングルのコレクションのリリースに同意します。
これが「Fossil Fuel」です。

「(「Fossil Fuel」リリースについて)愚かな事に僕はその過去の作品についていろいろ話すことまで承諾してしまった。
一部ならまだしも、僕が収録されている過去の作品について情熱的に語るなんて、
滑稽なまでに不可能なのが分かってたのにさあ。
まるで、赤の他人に衣装タンスからジャージでも引っ張り出されて
「19年前にはこういう服がお好きだったのですか?」と訊かれるような心境だ(笑)。」
     (ロッキング・オン1996年11月号)

「(インタビュー時は96年9月)フリーになって6週間たつ。
ヴァージンとの契約は最低だった。
1年位前にようやく印税がもらえるようになった。
18年〜19年の間、ずっと赤字だった。
ヴァージンは僕らのレコードでいくら稼いできたか計算してみたら、
2500万か3000万ポンドという答えが出てきた。
なのに僕の住んでいる家はいまだに小さいし、
銀行には5万ポンドの貯金しかない。
そのほとんどは税金でなくなっちゃうんだ。」
(ザ・ディグ1997年5/6月号)

ヴァージンに対する恨み節は相変わらずです。

バンドとしては新しいレーベル契約が必要なわけですが、
それもうまくいきません。

「新しい契約の中で、最悪なのがヴァージンからのオファーなんだ。
オリジナル・ヴァージンと全く何も変わらない酷いもので。」
    (ロッキング・オン1996年11月号)

リチャード・ブランスンの新レーベル、
V2と契約寸前までいきが、それも失敗に終わります。

V2は、契約するものだと思って、
世界中のプロデューサーにデモ・テープを送りました。
その結果、ブートレッグが氾濫します。
その中には「バンパー・カーズ」、「ワンダー・アニュアル」、
「スタンディング・インフォー・ジョー」
「ザ・マン・フー・マーダード・ラヴ」が含まれていました。
     (ソング・ストーリーズP443)

「Apple Venus Vol.1」リリース前に、海賊版が出回ったのはこのためです。

(参照 V2レコード)
http://www.v2records.co.jp/
(10)アイデア・レコード設立

フリーになったXTCは、新たなレコード会社と契約しなければなりませんが、
なかなかうまくいきません。

そこで1997年、国際的な出版権を管理するための商標として、
「アイデア・レコード」を設立しました。

「いろいろなレーベルからオファーが来たが、条件が悪かった。
誰かに『バンドとしてでなく、レコード・レーベルとして
交渉に行けば相手の態度が変わる』と言われ、実行すると、急変した(笑)。」
(ロッキング・オン 1999年3月号)

「レーベルが生む利益より、僕を興奮させる足場にしたかった。
ソニーやヴァージンのようなレーベルからは、
僕がやっているプロジェクトは拒絶されると思う。」
(ストレンジ・デイズ 2004年1月号)

そしてレーベルとして、
本国イギリスではCooking Vinyl、アメリカではTVT、
日本ではポニーキャニオンと契約します。

昨今、有名バンドやミュージシャンが大きなレコード会社から独立して
自前のレーベルを立ち上げる例が見られますが、
それが「商業主義」にそぐわないミュージシャンにとっての活路といえます。
もっとも、現在においてはネット配信・購入が一般化したため、
必ずしも大会社にこだわらなくても作品を発表・販売できる状況ではありますが。
(11)デモ・ヴァージョンの発表

 ヴァージン・レコードを離れたXTCは、
 様々なものを失い、そして得ていきます。

 そのひとつが「デモ・ヴァージョン」関連のリリースです。

 1996年、ヴァージン・レコードを離れた直後のインタビューです。

 「僕たちを手放す代償として
  少なくとももう1枚コンピレーション盤をヴァージンは作るつもりなんだけど、
  そのとき僕から提案したのは「ノンサッチ」のデモを
  すべて本チャンと同じ曲順でリリースしてみはどうだろうと。
  『ノンサッチ』のデモ・アルバムとなるわけで面白いだろ?
  少なくともXTCを好きな人は興味をそそられるんじゃないかと思う。
  でも僕としては、
  皿をナメ回す作業にはいささかためらわざるを得ないのが本音だ。
  でもこれに関しては腕に手錠をかけられているような状態だから、
  致し方ないね。」
         (ロッキング・オン1996年11月号)

 その後、『ノンサッチ』のデモ曲集として、
 アルバム丸ごとデモではありませんでいたが、
 一部の楽曲が日本では「デモ・トラックス」(上の写真です)、
 フランスでは「Gribouillage」(アルバムの特典)としてリリースされした。
 
 このアイデア、「Apple Venus Vol.1」リリース後、
 デモ・アルバムとして、「Homespun」が発表されることになります。
 これも、ヴァージンと決別したからこそ、アイデアが現実と化したわけです。

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