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テリーギリアムコミュのローズ・イン・タイドランド

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 昨日から劇場公開が始まっているので、新たにトピック立てますね。ご覧になったかたは、ご感想をぜひ!

 http://www.rosein.jp/

コメント(65)

日曜日に恵比寿まで見に行ってきました!
見てるときは「中世趣味を抑えるとこうなるんだー」とか思ってたけど、見終わってからじわじわとボディブローきてる!って感じ。また見たいなー(しかし遠いぜ!恵比寿は!)10年前だったら「最高!」って言ってるな、とも思った。
しかし、昨今の世情なんかを考え合わせるとなんともヤバ気な;でも「そんなこと、かんけーないぜ!」なギリアム監督・・・ついていきますよ、私は!
昨日ついに恵比寿へ観に行きましたよーっ!!
夜の7時からので満員でした!!(ちょっと意外;)
内容の感想としては、。。。う〜ん;期待してただけに、あまり面白くなかったかな。。。
ん〜〜観に行きたい、
関西では、8月4日まで・・・
仕事、休めるだろうか・・・
その通りです。
どんなにつまらない映画を見ても想像することくらいできます。そんな言い草、あばたもえくぼに過ぎないのであって、そんな苦しい言い訳しなきゃいけないくらいつまらなかったってことです。期待しないなら見ないほうがましです。
要するにこの映画はもうE評価です。
なんか横レスで申し訳ありませんが、

>映画として全然完成されてない
映画として完成された状態ってなんでしょうか。

>その後ろに見えた物
画面に映っている以外のものって、映画に存在するんですか。

よく「行間を読め」に類したことが映画でも言われることがあります。「きもちをかんがえる」「テーマをみる」とかその雑種諸々です。

ですが、そんなもの、画面にはビタ一文「映し出され」ていたりましません。日本の国語教育の影響か、とかく「後ろにあるもの」を作品の真価のように語り。画面に映し出されたものが動き、驚かせ、笑わせるといった、「映っているまま」のものを馬鹿にする傾向があるようです。

>「置いてけぼりにされた」とか、「ぶっとんでる」とか、そんな風な状況を説明する言葉でしかない

もちろんです。そしてあなたのいう

>実は「後ろ」、無いんじゃないかなって

の「後ろ」もまた、どんな映画の画面にもこれっぽっちも映ってはおりません。後ろなど、いかなる映画にも、もともと存在していないからです。それは「後ろ」という宗教です。

私から見れば、あなたが「盲目的」と嫌悪する人々と同じ穴、鏡映し、存在していない石を、互いに俺の石は存在すると主張し投げ合う、なんとも奇妙な投石合戦にしか見えません。

> 今回のはそういう部分が微塵も感じられない
「あなたが」感じなかっただけですよね。ほんとのこと言えば私も同様に感じませんでしたが、あなたと私が違うのは、そんな見えないものはひたすら映画にとってはどうでもいいと私は思っているということです。だから、この映画は楽しめました。もちろん、どちらの価値観がいいと言っているわけではありません。楽しめない人の話もわかります。だからといってあなたのようにその人たちに怒りを覚えたりはしません。

映画とは、そこにただある映像に過ぎません。

そこから何を持って帰るかは、われわれに任されています。逆に言えば、映画を観て得られるものは、その本人の感性や知性のレベルに見合ったものでしかない、ということです。ぼくはしょっちゅう、とっても鋭い人や頭のいい人のレビューを観て、なるほど!と思いますが、そういう人のレビューは大体肯定的だったりすることが多いです(そうじゃない場合もありますが)。

その人が、同じ映画を観たにもかかわらず、自分よりもはるかに多くのものを映画から持ち帰っているからです。だから、ぼくは見栄っ張りなので、よっぽど自信がある時しか映画をけなさないようにしています。だって、それって、ぼくがその映画の要求する感性や知性に、いかに見合っていなかったか、「足りなかった」かを、訳知り顔で露呈しているのに気がついていない、恥ずかしいことをやらかしてしまっているだけかもしれないじゃないですか。

ありもしない「後ろ」を武器に相手を刺すような真似はやめたほうがいいと思います。映画には「映っている」ものしか存在しませんし、そこに隠された「後ろ」があると思うのは勝手ですが、そんなものに神様みたいな価値を与える事に馬鹿馬鹿しさを感じる私のような人間もおります。

何にでも「後ろ」はあるし、また同時に存在しないのですから。

「後ろ」とは自分が価値あると思ったものの価値を自分で説明しようとする、自己愛の一部でしかありません。私もナルシストなのでよくやります。ただ、そんな存在しないが故に誰にもつかめないシロモノで誰かを殴るようなことはあまり感心できません。

ちなみに上記は、この映画が楽しめたか楽しめなかったか、この映画がいいか悪いか、についての話ではぜんぜんありませんので、念のため。
そんなこと言ってたら、なんにも言えなくなるじゃないか!
プンプン!
つまらんかったら、つまらんって言う、素晴しかったら素晴しいって言う、それでいいじゃあないか!
何を言っとるんだ!

あんなもん観せられて、なんで怒りが湧かない?
なんで悲しくないんだ?
ブラジル観て感動したんじゃないのか?
バロン観てワクワクしたんじゃないのか?

それがあんな事になっちゃって、
空っぽじゃないか、あんなもん!

悲しい、そんでムカつく、
人間だもの。
もう一回、筆で書いてやる。
にんげんだもの。
でも、やり場はない。
で、あれをイイと言う連中がいる、
何故なのか? それを知りたい。

「死霊の盆踊り」とは訳が違うんだよ、
テリー・ギリアムだよ。
あんなもんイイなんて言ったら、そら殴られるわ。
そら怒られるわ、君。

愛してんだよ、愛してるから、裏切られたってんで、もーキィーってなってて。

でも、反省した。
もう充分じゃないか、って。
テリー・ギリアムはもう充分やった。
充分楽しませて貰った。

楽しい時間はもう終わり。
みんなでテリー・ギリアムに、ありがとうって言おう。
長い間、本当にありがとうございました。
> つまらんかったら、つまらんって言う、素晴しかったら素晴しいって言う、それでいいじゃあないか!

まったくその通りです。

> 空っぽじゃないか、あんなもん!

「あなたが」からっぽなのでは?

「わたしが」おもしろいものはおもしろい、「わたしが」つまらんものはつまらん、それでいいと、私も思います。ただ、私が言っているのは、あなたにしか見えない武器で相手を殴りつけるのは卑怯なのでは、ということです。受け止めようがないんですもの。ありもしないもので他人を貶める、それじゃ詐欺師です。

絶望するのも失望するのも勝手です。私もいろんな映画に絶望したり失望したりします。ただ、

> で、あれをイイと言う連中がいる、

とか書いて、あなたの後ろ向きな全力疾走に他人を巻き込まないでください。私はまったく前を向いておりますので。だれも、だれかがなにかを楽しんでいる、というだけで他人を「連中」とか吐き捨てて罵倒する資格はないんです。「あんたの絶望に俺を巻き込むな」要はそういうことです。

>みんなでテリー・ギリアムに、ありがとうって言おう。
>長い間、本当にありがとうございました。

「みんなで」とか自分の絶望が世界の絶望のような言い方で他人を巻き込まないでください。あなたは「みんな」ではありません。世界に絶望して皆殺しをする人や終末宗教の集団自殺みたいです。自分が絶望したからといって、「みんな」を巻き込むのはやめてください。

けなすな、という話ではまったくないので、念のため。私だってつまらなかった映画ぐらいたくさんありますから。
賛否両論ですねぇ
投票とかしてみると面白いかも。
どんな風に面白かったと書いちゃうと
ネタバレになってしまうのですが良いのかなぁー?。


以下ネタばれ含みます。


ラスベガス以外ギリアム作品はすべて見ていますが、
いつもは現実VS夢・空想という対立構造だったのに対して、
今回は、空想VS現実VS妄想のような三つ巴のように感じました。
出てくる人物は皆、現実を見ないで自分の世界で生きています。
デルとディキンズは、互いに違う世界観を持っていますが
そこにはバランスが保たれていました。
が、違う世界観を持つローズを介入したことによって、バランスは崩れ、自分らの世界観もまた危なくなっていく。
また、ローズも彼らによって自分の世界観を崩されていく。
最後には、自分の世界を守る為に相手の世界を破壊するというのはゾクッとしました。

いつもは空想・夢バンザイな監督が、行き過ぎた空想というか、
夢の負の部分を描いていたのが面白いところでした。
ただ、監督がそれを意識して描いていたのかが分からないのですが。
あの映画で一番現実を見ていたのが、大勢の怪我人というのも皮肉だなぁと思います。


ただ欠点もありまして、話に起伏が無く単調ということと、
積極的に観にいかないと観客を置いていく作品だなぁとも。。
私は原作を読んでいなかったので、ローズの行く末が心配になっちゃって落ち着きませんでした(^^;
一度見たので話が分かった分、もう一度見るとまた違った視点で見れるのではないかなと思っています。
すみません、横レスです。

>1800円払ってます

って、1800円払ったことが何なのか?
1800円分の感動よこせ!と言いたいの?
映画は米買うのと違うのだから、金で計るのやめてもらいたいと思うのは私だけ?
> だから文末のほとんどが「思います」

「私はあなたを馬鹿だと「思います」」。これを読めば、思いますと書けば個人の意見だから文句言うな、なんてことはとても言えないことはおわかりになりますよね。

あなたは現代美術を引き合いに出して、この映画を気に入った人々を侮辱した。そこに「思います」なんてつけて、それが個人の意見から文句言うなとは、正直私の理解を絶しています。人は、何かのリアクションを期待して「書く」という行為をするからです。あなたがやったのは「私はあなたを馬鹿だと「思います」」と書いていることなのですよ。

思うことと書くことはまったく別のことなのです。心の中で思っているだけなら、たとえ相手をバカにしていようが誰にも迷惑はかけません。しかし、それを公の場に「書く」こと、多くの人々の目に触れさせることは、それなりのリアクションを覚悟(もしくは期待)しなければならないのです。「思う」をつけたら個人の意見だから文句言うな、というならば、最初からそもそも人の目の触れる場所に書かなければよいのです。

面白いつまらないは人それぞれです。面白いという意見でもつまらないものはつまらないし、つまらないという意見でも面白く読ませるものもあります。私があのようなことを書いたのは、価値観の異なる他者を侮辱してそのことを何とも思わない、そういう考え方が気になったからです。私は他人を見下す人が嫌いなので。

>で、最後に、本当に純粋に質問なんですが、
> 「どこが、どんな風に面白かった」

そういう話「だけ」なら私はなんとも思わなかったでしょう。しかし、現代美術を引き合いに出して、他人を裸の王様扱いしたところに、たまらなく嫌悪感を覚えるのです。「おれはつまらなかった。あんたがたは何が面白かったんだ?」それでいいのに。誰かを見下す必要なんてないのに。

「後出しじゃんけん」いい言葉ですね。私は絶対にこういう言葉を使いたくありません。後に書かれたものはこの一言でまともに相手をせずにすみ、それが答えづらいものであればあるほど、一発で却下できるからです。私はあなたが「書いた」ことに真剣に意見を書いた。それにあなたが何ひとつ答えることができていない以上、メッセージをもらうのは私の方だと思いますが。

というわけで、個人宛の誠実な答えを期待しつつ、私も引っ込むことにします。失礼いたしました。
ネタバレは個々人の日記でおながいします、、、、


         .。::+。゚:゜゚。・::。.        .。::・。゚:゜゚。*::。.
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    .:・゚:。:*゚:+゚・。*:゚      ゚(ノA`)゚      ゚:*。・゚+:゚*:。:゚・:.
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面白かった!

最悪の上に最悪がわんさか積み重なっていく状況で、それに全く気付かず楽しい日々を送りつづけるローズの無邪気さ。
これでもかというほどダークでブラックな世界を、ワクワクとドキドキで冒険していく姿にグッときました。

誰が何と言おうと俺は好きです!
>本当に純粋に質問なんですが、
>「どこが、どんな風に面白かった」
>んですか?>皆さん

こういう質問はどうしてもネタバレに繋がってしまうと思うので、ここでは控えた方がいいのではないでしょうか?

それに正直いって「どこがどう面白かった」とか、逆に「どこがどう面白くなかったのか」のかを個別に説明するのって難しいんですよね。

僕は今までのギリアム映画は大好きですし、今回のこの作品もとても面白かったです。何というか、自分の中にいままで意識したことのない不思議な感情が沸き上がってきて、びっくりしました(「ここまで連れて行ってくれるのか」という、のみーさんのコメントがよく分かります)映画全編にわたって充分満喫でき、満足して映画館を後にしました。

ただ、どこがどう面白かったのかを「具体的に」説明してくれと言われても言葉に詰まります。


こんな僕は、ギリアムファンとして失格なんでしょうかね?
「盲目の賛美」に陥ってしまっているのでしょうか?
怒られたり、殴られたり、「連中」呼ばわりされなきゃいけないんでしょうか?

”素晴しかったら素晴しいって言う、それでいいじゃあないか!”とありますが、まさにその通りだと思うのですが。
 引っ込み思案、休むに似たり。です。
 なんか空気読めない2ちゃんねる的自己顕示欲のかたまり、正義のみかたのふりをして遅れてきたぽすとも旦那右翼が、古代被害妄想からズレたこと言ってますけど。ここは思ったことや感じたことを表現し合う場であって、堅苦しくタキシードかなんか着て、そのくせちまちまと挙げ足とって討論する進歩じうむじゃない。そういう姿勢こそギリアムが幻想の下で嘲笑った馬鹿げた光景じゃないか? ラスベガスはもうちっとも面白くはなくなっていたけれど、唯一印象に残ったのは、ホテルで催された警察官(保安官?)の会合(?)で、大画面に古いフィルムかスライドに不良の若者が映しだされ、ナレーターが「彼らはひまさえあれば手淫に耽り、そのため彼らのズボンの前は常にカピカピになっている」みたいなことを述べ、それを暗闇の中で警察官たちが大真面目に見つめている、そんなシーンだった。まさにこの人! ズレた意見をズレた喩えで一生懸命飾り立てて誰かにほめられようと思ってる。それがいけないってわけじゃない、おかしいだけだ、笑っちゃう! だって僕ら人間だもの! ぷんぷんっ! 
 書くことは、掻くことだ。そして掻くことは、生きることだ。かゆいから掻いてしまう、かゆくもないのに掻いてしまう、生きていればそんなこともあります。生きていれば、誰かよりうまく生きたいし、人を見下したくなるときもあるし、意味なく幸福そうな顔を引っ掻いて傷つけたくもなります。思うだけで何の行動にも移さないとしたら、それは生きていないのと同じこと。だから書くことは生きること。そんな愛すべきちっぽけな人間性をすべて否定して、自分一人のみならず、他人のソレもすべて禁じ、抑えつけ、思想警察よろしく取り締まったら、誰も生きていけなくなっちゃう、僕らは人間だもの、ぷんぷん!って言えなくなっちゃう。
 この人の中ではたぶん、生理整頓された均質な空間がどこまでも広がっていて、そこには、順序立って感性とか知性とかいうものが確かにあって、鋭い人や頭のいい人が確かにいて、そのピラミッド型の権威を盲目的に信用していて、自分は確かにそのレベルの上の方にいると、だがあくまで謙虚に信じきっている。だから自分とレベルが近いと勝手に判断した人たちの行き過ぎた越権行為が許せない。日本の道徳教育に毒された彼は義憤に駆られ、やむなくソレを取り締まるために、自分も見事に越権行為を犯し、不本意ながらも生きてしまう、いとお菓子。説教するなと説教する。見下すなと言って見下してる。慇懃無礼な疑問形にすれば人を傷つけないと思ってる。彼のズボンの前きっとカピカピだよ!
 だいたい後ろのない映画なんてどこにもない、映画だけじゃない、僕らの歪んだ目は文化や芸術と名付けられたもの、それ以外にも、あらゆる日常茶飯事、人や言葉、出来事にも必ず後ろを見てしまう。振り向くなと言われても振り返ってしまう。僕らの目に映る物事の後ろに僕らの人間性や性格と呼ばれる何かがあるのかもしれない。だから僕らはただそこにある映像を見に行くわけじゃない、そんなものに誰も1800円出したりしない。こいつは重要だ。その1800円で一日何とか生きていくことだってできるから。僕はその一日を犠牲にして底にある何か見に行っている。そしてその何かが見つからなかったら、僕は怒ってしまう。それは当然のこと。後ろなんてないって言うのは簡単だ。ませたガキが神様なんかいないんだって言ってえばってるだけのこと。覚えたての単語を使いたがる中学生、ソレが唯一のアイデンティティ、後ろなんてない教の布教に熱心なこと! ソレもひとつの宗教であり、後ろのガキのひとり、恐ろしく前向きな! 他人のことばっか気にしてないで、持ち前の前向き姿勢でその他人に納得してもらえるような肯定的レビュー書けばいいでしょうが!
 このトピックを立てた者ですが、諸般の事情で、まだ映画を観ることができません……。

 は、ともかく、ネタバレOKのトピックを別途立てた方がスッキリするようなら、そうすればよいかと思いますが、如何でしょうか?
 その場合は、こちらのトピックのタイトルを「ネタバレ禁止」に変更したいところですが、コミュ管理人さんは、あまりmixiにログインしていらっしゃらないようなので、お願いするのは難しいかもしれません。

 どなたか別トピを立てられる場合は、タイトルおよび#0の説明文で差別化がうまくいくよう、よろしくご配慮ください。
さんきゅうべりまっちょ! でもおいら男の子だぜ!
観にいってきました。正直、物語(ストーリー)の完成度は低いと感じました。でもローズに魅力も感じたし、なにより観た人の感想がかぶる事は少ないだろうな!と思いました。おそらく同じ感想を持つ人に出会うのは困難かと。そう言う意味ではすごい映画だとおもいますよ。
はじめまして。

こないだの土曜、恵比須で見てきました。

基本的にはくろぼしさん等の意見に賛成です。

が、もう終わり、としてしまうのではどうでしょう。

宮崎駿がのたうちまわった挙げ句、「千と千尋」を
生み出したように、彼にも最後の一花をもう一度、
咲かせてほしい、と思っています。

僕はその予告編?すら見ていませんが、「ドン
キホーテ」がそうなるはずだったのでは、と思うと悔しく。


自分の日記にも書いたのですが、僕にはローズが、
この物語が、フラストレーションのたまった
テリー本人に思えてなりませんでした。

終わり、と思いたくないのは、ただ寂しい、ってそれ
だけです。
こんにちは。
本にせよ、映画にせよ、どんな作品でも楽しめた者勝ちだと常々思っています。
その際、期待感が大きければ大きいほど楽しめなくなる可能性が高くなる気がします。
「未来世紀ブラジル」が人生のベスト5に入る私はギリアム作品には、ここまでやるかという過剰さ、毒々しさ、悪夢的な世界、ナンセンスな表現を期待していたようです。
それはモンティ・パイソンの頃に作りあげられたものだったのだったかもしれませんが。

残念ながら本作は楽しめませんでした。
ジョデル・フェルランドちゃんが高樹沙耶に似てることに気づき、高樹沙耶が子供の頃はこんな感じだったんだろうか、とか高樹沙耶に娘がいたら似てるだろうか、とくだらないことに気を取られてしまいました。
でも、もし「ローズ・イン・タイドランド」のアニメ版があったら見てみたい気がします。
ショート・ムービーでいいから作ってくれないかな?
 ようやく観ることができました。
 事前に原作小説を読んでいたのですが、ものすごく原作に忠実な映画化だと思います。

 プログラムによると、原作小説の作者はギリアムのファンで、帯に文章を入れてもらおうとギリアムに送ったところ、彼が気に入って映画化の運びになったようですね。ギリアムがこれを気に入るのは、なんとなく、わかります。現実と幻想があやういところでバランスをたもちながら綱引きをしている内容で、しかも幻想がいわゆる薄っぺらい「癒し」であったり、綺麗事であったりしませんから。

 主人公のジェライザ=ローズは、厳しく受け入れがたい現実をなんとか呑みこもうとして、彼女なりの幻想を構築していきます。が、両親の相次ぐ死で、気まぐれで不安定な愛情だけにたよる生活から、ある意味では解放されたわけです。
 ところが、今度はさらなる妄想世界に住んでいるデリとディキンズに出会い、かれらの構築した「家族」という妄想に組み込まれそうになってしまう。

 これ以上書くとはっきりネタバレになってしまいますので、以下略。

 幻想シーンの奥行きが浅い感じがするのは、その幻想を構築しているのがあくまで「両親(と人形)くらいしか親しく言葉をかわさない」まま生きてきたジェライザ=ローズがつくりあげたものだから、ではないかと感じました。学校にも行っていない(これは原作で明言されています)少女の、偏った知識から産み出されているからこその、キッチュでチープな幻想です。

 原作のこまかいニュアンスまで汲み取った、非常にすぐれた映像化ではないでしょうか。
 原作者は嬉しかっただろうなあ、と思います。
 あげちゃっていいですか?
 自分のファンの原作を取り上げたことに僕は問題があると思います。ガンコじじいが、無条件に自分を持ち上げるおべっか使いと、自分の見方だけで映画作ってる自己完結した感じが、たまらなく嫌な感じでした。たぶんそれで自分をその味方の一人だと感じた人はいいと思うのかもしれません。自分を弁護してくれる気がしますから。もう一個できた別のトピみたいに。
 その辺が幻想の薄っぺらさにもつながると思います。ストーリーの中に他人が一人も現れないし。そもそも映画って一人で作るものじゃないと思うし。
 たぶん僕はテリーギリアムという個人のファンというわけではないみたいです。彼がハリウッドの映画人や脚本家、俳優たちという全くの他人と火花を散らして作り上げたものがどうしようもなく好きだっただけです。ブラジル、フィッシャーキング、12モンキーズ。たぶんそれらは彼一人では作れなかったかもしれないけれど、彼がいなければきっと存在しなかったと思います。そして僕はそんなギリアムが好きでした。
 だけどもう彼も若くないし、だからさよならを言いたい気持ちも分かります。
 わたしへのコメントでしょうか?

 ファンの原作=「無条件に自分(=ギリアム)を持ち上げるおべっか」という認識でいらっしゃるのでしたら、残念なことと思います。
 クリエイター同士が相互に刺激を受けて作品をつくることは、古今東西べつに珍しいことではなく、今回の作品はかなり幸福な成功例であるとわたしは感じているからです。

 もちろん、原作となった小説を書いたミッチ・カリンがギリアムのファンといわれれば、なるほどなぁ、と思わされる作風です。が、逆に、では原作抜きで『ローズ・イン・タイドランド』はギリアムが一から創った映画のように見えるか、と問われると、これは「見えない」とわたしは思います。

 わたしはギリアムの作品すべてを観ているわけではないですが、少なくともわたしが観た範囲では、彼は、こと子供を主人公的な視点に据える場合に限っていえば、「悲惨な状況に置かれている子供が幻想の力を借りて、現実と渡り合う勇気を得る」というような枠組みで発想をする人です。端的に表現すると、ちょっとアレだな……まぁでも、そんな感じです、わたしにとっては。
『バロン』然り、『バンデットQ』然り、どちらも恵まれない境遇の子供へのあたたかな視線が感じられます。

『タイドランド』でも、ギリアムは細心の注意を払ってローズを救い出しますが、それをするためには、いつもの手段はとれません。むしろ、容赦ない幻想に少女が押し流され、現実に戻るすべがなくならないように……という流れの物語です。これは先述したように、今までの傾向から考えられる「ギリアム的」な発想ではないと思います。
 ギリアムよりもカリンの方が、たぶん子供に冷たいんじゃないかな(笑) 冷たいというのは大げさですが、子供だからといって特別扱いする気がない、という雰囲気は、原作には確実に漂っています。
 逆に、ギリアムは子供に甘いように思います。そのぶん、ジョデル・フェルランドが若干増長して見えるのが、この映画の欠点かなぁ、とわたしは感じました。
 自分のブログに書いた感想では、まだそこが咀嚼できていないまま、観た印象で「ジョデル・フェルランドが達者過ぎる」と書きましたが、あらためて分析すると、たぶん、そういうことなのだと思います。子供は敏感だしストレートなので、愛情を感じれば、それだけきっちり甘える、ということでしょう。
 でも、そこまで含めて凶悪なまでにかわいいとも思いますけどね、彼女は。

 意見の一致をみる必要もないと思いますし、まろんまろんさんを説得するなどということを目論んでいるわけではありません。
 ご指摘の件に関して、わたしはこのように感じ、考えました、ということです。幻想の薄さについては#52に書いた通り、納得しているので、敢えてくり返しません。
 すみません、決してうさぎ屋さんの意見がどうこうというわけじゃありません。もちろんそれが間違っているとか思うわけでもなく、意見が食い違うのも当たり前のことだと思います。ただ僕の感じたことを表すためにちょいと表現をお借りしただけです。気分を害されたならば誤ります、ごめんなさい。
 原作者について、僕はそれを読んだわけでもなく、また読む気にもなれませんが、それが別のもので、ギリアムじゃなく、別の人間が書いたものだということも分かっていますが、やっぱり同族意識のようなものが拭えない気がします。また別トピの皮肉めいてしまいますが、いいものはいいよねって自己確認し合っている感じが。ただおべっか使いってのはおもしろおかしく言い過ぎたかもしれません。
 主人公のローズが増長し、達者すぎるというのは全く同感です。ただ、子供の好きにさせていると言うより、彼自身が子供と同化して好きなことをしたいようにしているという風に僕には見えました(おじいちゃん幼児退行してるんだろうか?)。だからローズはギリアム自身という感じです。でもあの子役は彼よりも上手で、そんなギリアムの分身を演じきっていて、あの小さな体を彼の好きにさせて、逆に彼を支配している感じがします。子供は大人が思ってるほど馬鹿じゃないと思うし、甘えるときも、大人の目を意識して、期待通りに甘えてみせたりするもんです。彼女がいなければこの映画が成り立たなくなるっていう意見もわかります。ちょっと複雑な気持ちですが。
 これは全く僕の個人的な勝手な思い込みに過ぎないのですが、ギリアムって、全くの異質な他者と出会って、自分のチープな幻想に(それが彼の本質だと信じてます)相手を巻き込んで食ってしまう、そんな凶暴なダイナミズムを魅せる作家だと思うんです。ハリボテの巨人に対して、中世風の安物の盾と矛で見えない戦いを演じている、憂い顔の騎士、まさにドンキホーテそのままの。
 ただ、そうするには膨大なエネルギーを必要でしょうし、いろんな意味で傷つくはずです。けれどサンチョパンサとしてのジョニーデップとつるむようになって(ちょうどその頃僕の中でジョニーの魔法が解け始めていました)、ハリウッドという風車から逃げ出して、そんな自分に満足し始めたような気がします。だからグリムは僕の中で結構評価できたりするんですが、ラマンチャの困難な物語と、欠陥刑事って企画は絶対実現しなきゃいけないと思うのです。そういうわけで、僕は彼に期待するし、失望し、腹が立つのです。
 すみません、激しい思い込み長々と失礼しました。
 いえ、気分を害したりはしていません。反論されたのかな、と思ったので、説明を試みただけです。

 ジョデル・フェルランドがあの映画を「支配」しているという表現は、適確だと思います。たしかに、そう見えますね。
 それを是と見るか、非と見るかで評価は分かれるということでしょうか。

 わたし自身は、この映画に対して、好き/嫌いという尺度ではなく、ただ圧倒されたなぁ、と感じています。
 ローズを演じたジョデルの、あのなんともいえない女王めいた表情、仕草、つくりもののような笑い声、風になびく長い髪、背丈ほどもある黄色く枯れた草原、転がっていく人形の頭から、あるいはミスティークが夢で伝えてきた再生のイメージまで。断片的な映像が、ふとした拍子によみがえってきたりはしませんか。
 そうやって「観た者の中に残る」ことこそ、作り手にとっては嬉しいことなのではないかと思います。直後の「面白かった/面白くなかった」という評価など、すぐ消えてしまいがちなもの。何年かして、あれ、あの映画のあのシーン、まだ忘れられないな……といわしめるものが、時代をこえたカルト的人気を得ていくのでしょう(今回の作品は、エンターテインメント市場を狙っているとは思えないので、それでかまわないでしょう)。

 それとは別に、他者の原作を尊重して創る姿勢あってこその完成度の高さにも、感心させられます。
 ただ、これはまろんまろんさんの書きこみを拝見して思ったのですが、その「完成度の高さ」が逆に、こぢんまりとまとまってしまった、突き抜けていない、どこへも連れて行ってくれない、といった不満を、観客に抱かせる原因になっているのかもしれません。
 原作があるからこその不自由さが、そこにあらわれているのかも、と思います。
 ギリアムらしいハッチャケ、やっちゃったって感じの突き抜けた感、そうした「遊び」の入る余地がなかったかな、と。

 もっとも、こうやって理屈づけると、まろんまろんさんとは、まるで反対になっちゃうんですけど。まろんまろんさんは、徹頭徹尾ギリアム臭いとおっしゃる。わたしはギリアム臭くないという。同じ「なにか」を感じているようなのに、評価軸の反対方向へ突き進んでいる。なかなか興味深い現象です。

 ラマンチャについては、完成できなかった映画ということであまりにもせつないので、観ておりません。ジョニー・デップにまつわる話題には、そういうわけでコメント不能であります。不甲斐ない論者であることを、お許しください。

 また、前回書いた「ギリアムは子供に優しい」という見方は、マイミクさんが書いておられた文章で気づかされたことです。気づきは外部から訪れるもので、こうやって、まろんまろんさんと意見の交換をしている合間にも、お互いに、あるいはこれを読まれたどなたかが「なるほど!」と、なにかの気づきを得られることもあるかもしれません。
 そういうことがあるからこそ、感じたことを文章に直すのは面倒だなぁ、と苦労しながら頑張っているわけですが、いささか長くなり過ぎる上に、なんだかトピックを私物化しているような気がしてきたので、今回のやりとりはこのへんで。

 妄想の羊膜を突き破り、夢の胎盤を引きずりながら、あらためて現実の世界へ生まれ落ちてゆくローズの運命に、幸多かれ。

「大丈夫よ。とてもゆっくり落ちていくの。穴の壁は戸棚や本棚でいっぱいよ。もう何キロくらい落ちたのかしら」
(『タイドランド』p.144より)
くりくり坊やのお相手ありがとうございます。
坊やもそろそろひと休み、
バカも休み休み、
グッナイ、キスミー、
よい夢を、ってことで、次の方どーぞ。
本日,岐阜の方でローズ・イン・タイドランドを観てきました.

観終わって,みんなどんな感想を書いてるんだろう?
…と思って帰宅してトピを覗いてみたら…
やっぱり賛否両論なんですね…(汗

自分の感想としては…非常にギリアムっぽい感じで
今後もカルトムービーの枠で語られることになるんだろうなぁ…
という感じでした.「面白かった!」っていうよりも
「すごいっすね…」っていうのが率直な感想ですねw

妄想の中で生きている人達?フリークス?を描いた映画は
”フィッシャー・キング”でもやってるし,ギリアムの
お家芸を観させて頂いたっていう感じです.

でも観終わった後はそんなに後味がいいものでは
なかったですね…結構疲れました…。。。

何か根本敬の漫画を読んだ後のような疲れが…w
こんにちは.
ギリアムLOVEなアラキドン酸という者です.
本日レイトショーで観て来ました.

賛否両論を踏まえて感想を一言で述べると,
佳作でしたね.
ギリアムもこうゆうの撮るんだー・・・と.
ロックでノリノリを期待して行ったら,
静かなバラードが流れてきたって所です.
良きにせよ悪きにせよ,
ギリアムの新しい面が観れたとは思いました.

佳作のレベルに留まったのは,
予算が無かったからじゃないでしょうか.
登場人物の少なさ,舞台の少なさ.
「随分安上がりだなぁ」と思いました.
そうゆう少ない予算が,
初めにありきだったのではないでしょうか.
それに丁度いい原作(自分と被るテーマ)
を見つけたと・・・.
勝手な邪推ですが.

だって,ギリアムって
「この場面が撮りたい!」
って撮るタイプですよね.
予算無視ししてでも(笑)
一本の映画に必ず象徴となるような,
素敵な場面が出てくるじゃないですか.
グリムなら塔,
バンディットQなら悪魔の城,
ブラジルならこのコミュのトップ絵.
宮崎駿に似てますよね.
カリオストロの城の城,
千と千尋の湯屋.
やっぱりアニメーターあがりなんですよ.
「世界を一から構築するぞ!」
っていう「レジャーランドのオーナー」みたいな情熱がある.

でも映画監督としては,
他にも挑戦したい情熱もあるわけで.
いつもの「現実を絶望する子供が,幻想の世界へ旅立つ」テーマではなく,
「現実に絶望する子供が,現実の中に幻想を見出す」というテーマもやってみたかった.
丁度いい原作があった.
予算も少なくてすむ.
いい感じの子役も見つかった.
よしやろう,と.
こうだと思うんです.

確かに佳作です.
他の作品と比べたら見劣りします.
映画の主役はギリアムワールドではなく,
子役の演技ですよ.
でも監督の意欲と状況を理解してあげられる,
広い心を持つファン達が,
こうゆうカルト監督を支えると思うんです.
(というかSOS信号をロスト・イン・ラマンチャで出してましたね笑)

確かにお気に入りのラーメン屋がまずくなったら
「親父,まずくなったよこれ!」
って言った方が良い場合もあります.
厳しいファンの意見によって,
作家は成長するものだと思います.
でも,今回の映画の場合,
ギリアムは確信犯だと思うんです.
「すんません,ファンの皆様.募金お願いしまーす」
っていう狙い(笑)
安いもんじゃないですか.
未来世紀ブラジルみたいな大作がまた観れるなら,
1800円.
いや,これで金かけた佳作だったら怒りますけど(笑)

押井守とかギリアムみたいな作家は,
浮気が出来ないタイプなんでしょうね.
これを撮りながらも,
きっとドンキホーテのこと考えてたんだろうなぁ.
なんて思いました.

以上,独断と偏見なのでご容赦を.
あと,ファン以外の方が観たとしたら・・・
ご愁傷様です(笑)
観ましたー!!皆様さまざまな意見ですな・・
個人的にはギリアム作品で1番ペケでした・・。予備知識無しで、メルヘン的なもの、んーバロン的なものを想像していたからだと思います。

悪くはない・・・っと思うけどなー
もう1回・・何回か観ますけどねー
随所に印象的なシーンはあったとは思いますが、いかんせんそれ以外の(まったりとした)シーンの尺が長すぎて薄味になっちゃったかなあ? と……もっとタイトに編集すればよかったのに……って感じです。つまらない意見ですが。

テーマやらストーリー云々はすきずきですが、個人的には○です。後味悪いけど。

あと、このスレをサラっと読んで感じたどうでもいいことなんですけど……過剰に「ギリアムは(映画は)こうあるべし!」みたいな意見は、正直、なんだかな〜、押し付けがましいな〜、と思ってしまう。



女の子は悶絶するほど可愛かったですね!
おんなのこかあいかった!vvvv

ギリアムについてまだよくわからないけど(ぇ)
あたしはこの映画好きです、全体的にかわいい
雰囲気だった
おお、みなさん熱く語り合っておりますね。
中3で『ブラジル』に出会い、『バロン』から封切で追いかけているギリアムファンの者です。遅ればせながら、ネタバレで感想を一言。

個人的には、『フィッシャー・キング』以降のギリアム作品はすべて好きでありますが、どこか距離を感じるものばかりでした。しかし今回はひさびさに親しみを感じる傑作だったと思います。また、いつものギリアムらしくない作品だったので驚きました。
これまで「夢」と「現実」の対立を描き、前者を肯定し後者を糾弾することの多かったギリアムですが、今回はさらに一工夫して、「夢」の世界に生きる主人公が、「現実」を認識するまでのドラマを描いています。ここが今までとは一味違う点ですね。『不思議の国のアリス』を愛読する主人公が観続ける「夢」の世界(育児放棄された悲惨な境遇を拒否するための幻想世界)は、メルヘンと愛にあふれたものではもちろんなく、とても痛々しく、ハタから見ればショボい世界です。しかも本人が人形の分身の視点から常に自分を批評しているのが、さらに痛さを増しており、現実拒否人間特有の「危なさ」を、父親やデル&ディケンズ姉弟と併せて浮き彫りにしています。
この作品が、ほぼ全編に渡って広角レンズによる手持ち(ステディカム)の傾けた構図で撮られるのも、彼らの想像力世界が、広大に見えてじつはギュッとつめこまれた人工的で息苦しい世界だからでしょう。落ち着いた正常なショットで撮られる唯一の場面が、白を背景色としたジェライザ=ローズとディケンズのキスシーン。少女の「性」の目ざめを描いて、ギリアム先生さらにアブナイところに行こうとしてるな、とドキドキしました。

さらに、ギリアムがこの原作に惹かれたのは、全編に漂う「死」のイメージゆえではないでしょうか。原作の要素を生かしつつ、60歳を越えたギリアムが「死」のイメージと無邪気に戯れている様子が無気味に迫ってきます。デンマークの「沼男」に憧れ、剥製になってしまう父親と、母親を「沼男」ソックリの剥製にした女デルを登場させ、「死」を無効化しようとするキャラクターと触れあいながら、剥製になりかけたリスを解き放ったジェライザ=ローズが最終的に向き合うのは、列車脱線による「大量の死」。しかもそれは自分が愛した男の仕業。ホタルの灯火が飛び交う魂のようにジェライザ=ローズの瞳に映った時、彼女はその後、どう生きていくのだろうか。ぎゅっと胸を掴まれるような痛切なラストでした(『ブラジル』のラスト以来の印象的なラストです)。

『フィッシャー・キング』以降のギリアム作品は、「奇才少年が大人になるために努力している作品」という印象で、どこかイメージの結実感が浅い気がしていました(わけてもスター映画としても不発で原作にも遠く及ばない『12モンキーズ』は悲しかった……)。しかし、『ドン・キホーテ』の難破漂流や、『ブラザーズ・グリム』のトラブルを経て、鬱積のたまったギリアムがようやくたまった排泄物を吐き出せたのがこの作品、というところでしょう。
「まだまだやれるじゃないの、ギリアム」と安心させてくれた快作です。
はじめまして。好き嫌いがわかれる映画だなと思ったけどやっぱりそうですね。ギリアムの作品では一番身近に感じるというか直接心の中に語りかける作品だと思いましたよ。今までの架空の世界観を完璧に構築するストーリィがある作品といより、幼児期の体験、思い出をひたすらなぞり続けるというか。目を覆いたくなるようなタブーシーンが連続するけど、危ない世界、行為そのものを描きたいというより人間の持つ基本的欲求ありのままの姿を描いて、裸の自分自身を曝け出したいという監督の思いは胸を打ちました。私も途中までは作品に入りきれなくてターブーシーンや空想シーンが空回りに写ってましたし。覆い隠してしまいたい人間本来の欲求を何か腫れ物に触るような否定的な描き方じゃなくて(父親の死さえも)生命力溢れるように感じたのが印象的でしたね。傑作です。

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