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イチロー (Ichiro Suzuki)コミュのイチロー引退会見

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イチローのインタビューは定番の
「応援よろしくお願いしまーす」とかではなく、一期一句、野球に対する姿勢を考えさせられます。一つ一つを切り抜いて、今までのイチローを振り返りましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=QsCn4tSuNYM
「それでは投稿、よろしくお願いしまーす」(笑)

(司会)まずは、イチロー選手からみなさまへご挨拶がございます。

(イチ)こんなにいるの? びっくりするわ。そうですか。
いやー、こんな遅い時間にお集まりいただいて、ありがとうございます。
今日のゲームを最後に、日本で9年、アメリカで19年目に突入した所だったんですけど、現役生活に終止符を打ち、引退する事となりました。
最後にこのユニフォームを着て、この日を迎えられた事を大変幸せに感じています。
この28年を振り返るには、まああまりにも長い時間だったので、ここで一つ一つ振り返ることは難しいという事もあって、これまで応援していただいた方々への感謝への思い、そして球団関係者、チームメイトに感謝申し上げて、皆様からの質問があれば、出来る限りお答えしたいという風に思っています。

(司会)これより質疑応答にうつらせて頂きます。
質問がおありの方は、挙手にてお願いします。こちらから指名させて頂き、マイクをお持ちします。社名お名前を名乗ってから質問をお願いします。また、時間に限りがありますので一人につき一答とさせていただきます。では、質問のあるかたお願いいたします。
<以下記者からの質問>

(テレビ朝日質問)
現役としての選手生活に終止符を打つことを決めたタイミングと理由は。

(イチ)
タイミングはキャンプ終盤ですね。日本に戻ってくる何日前ですかね。何日前とははっきりとお伝えできないですけど、終盤に入った時です。もともと日本でプレーする、東京ドームでプレーするところまでが契約上の予定でもあったということであったんですけど、キャンプ終盤でも結果が出せずに、それを覆すことができなかったということですね。

(テレビ朝日質問)
今、その決断に後悔や思い残したところはないでしょうか。

(イチ)
いやぁ、今日のあの球場の出来事、あんなもの見せられたら後悔などあろうはずがありません。もちろん、もっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために自分なりに重ねてきたこと、人より頑張ったということはとても言えないですけど、そんな事はないですけど、自分なりに頑張ってきたとははっきりと言えるので。これを重ねてきて、重ねることでしか後悔を生まないということはできないのではないかなという風に思います。

(TBS質問)
本当に今まで数多くの感動そして夢をありがとうございます。今も数多くの子供たちが見ているかと思います。そんな子供達にメッセージをお願いします。

(イチ)
シンプルだな。メッセージかぁ、苦手なのだな僕が。うーーん。まぁ、野球だけでなくてもいいんですよね、始めるものは。自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つければそれに向かってエネルギーを注げるので、そういうものを早く見つけてほしいなと思います。それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁も、壁にも向かっていくことができると思うんです。それが見つけられないと、壁が出てくるとあきらめてしまうということがあると思うので。いろんなことにトライして。自分に向くか向かないかというよりも、自分の好きなものを見つけてほしいなと思います。

(TBS質問)イチロー選手が振り返った28年あまりにも長かったとおっしゃいましたけど、いまこれをうかがうのは酷かと思いますけども、いまふっと思い返して、印象に残っているシーンは。

(イチ)
今日を除いてですよね。

(TBS)はい

(イチ)この後、時間がたったら今日が一番真っ先に浮かぶのは間違いないと思います。それを除くとすれば、いろいろな記録に立ち向かってきたんですけど、そういうものは大したことではないというか。
自分にとって、それを目指してやってきたんですけど、なんかいずれそれは僕ら後輩が、先輩達の記録を抜いていくというのはしなくてはいけないことでもあるとは思うんですけど、そのことにそれほど大きな意味はないというか、そんな風に今日の瞬間を体験すると、すごく小さく見えてしまうんですよね。その点でたとえば、わかりやすい10年200本続けて打ったとか、MVPをとったとか、オールスターでどうたらというのは、本当に小さな事にすぎないという風に思います。
で、今日のこの舞台に立てたということは、去年の5月以降、ゲームに出られない状況になって、その後にチームと一緒に練習を続けてきたわけですけど、それを最後まで成し遂げられなければ、今日のこの日はなかったと思うんですよね。今まで残してきた記録はいずれ誰か抜いていくと思うんですけど、去年の5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれないという風な、ささやかな誇りを生んだ日々であったと思うんですよね。その事が、去年の話だから近いということもあるんですけど、どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います。

(テレビ東京質問)さきほどたくさんのファンにささえられてとおっしゃったんですけれども、今日もイチメーターでおなじみの、エイミーさんライトスタンドでイチロー選手の事を見守っていましたけども、どんなチームでもどんな状況でも応援してくれた、ファンの存在はイチロー選手にとっていかがですか?

(イチ)ゲーム後にあんな事が起こるとはとても想像していなかったですけど、それが実際に起きて、19年目のシーズンをアメリカで迎えていたんですけれど、なかなか日本のファンの方の熱量というのはふだん感じることは難しいんですよね。久しぶりにこうやって東京ドームに来て、ゲームは静かに、基本的に静かに進んでいくんですけど、なんとなく印象として、日本の方っていうのは表現するのが苦手というか。そんな印象があったんですけど、それが完全に覆りましたね。その内側にもっているある熱い思いが確実にあるということ、それを表現したという時のその迫力というものは、とても今まで想像できなかったことです。
ですから、これは特別な最も特別な瞬間になりますけど、ある時までは自分のためにプレーすることがチームのためになるし、見てくれている人も喜んでくれるかなと思っていたんですけど、ニューヨークに行った後ぐらいからですかね、人に喜んでもらえることが一番の喜びに変わってきたんですね。その点で、ファンの方の存在なくしては、自分のエネルギーは全く生まれないと言っていいと思います。え、おかしなこと言ってます、僕?大丈夫ですか?(笑)


(サンスポ質問)イチロー選手お疲れ様でした。サンスポミワです。イチロー選手が貫いたもの、貫けたもの、何でしょう。

(イチ)(長考20秒)
まぁ、野球のことを愛したことだと思います。これは変わることはなかったですね。おかしなこと言ってます僕?大丈夫?(笑)

(サンスポ)
いやグリフィーが肩の力を抜いた、まあおろした時に違う野球が見えて楽しくなるという話をされたんですけど、そういう瞬間ていうのははあったんでしょうか?捉え方。

(イチ)プロ野球生活の中ですか。

(サンスポ)はい。

(イチ)ないですね。これはないです。ただ、子供の頃からプロ野球選手になることが夢で、それが叶って、最初のどうですかね2年、18、19の頃は1軍に行ったり来たり。行ったり来たりっておかしい? 行ったり、行かなかったり?えっ行ったり来たりっていつも行ってるみたいだね。えっどうやって言ったらいいんだ?1軍に行ったり、2軍に行ったり。そうか、それが正しいか。そういう状態でやっている野球はけっこう楽しかったんですよ。
で94年、3年目ですね。仰木監督と出会って、レギュラーで初めて使っていただいたわけですけども。この年まででしたね、楽しかったのは。あとはその頃から急激に番付を上げられちゃって一気に、それはしんどかったです。やっぱり力以上の評価をされるというのはとても苦しいですよね。だから、そこからは純粋に楽しいなんていうのは、もちろん、やりがいがあって達成感を味わうこと、満足感を味わうことはたくさんありました。じゃあ、じゃあ楽しいかというと、それとは違うんですよね。
でもそういう時間を過ごしてきて、将来はまた楽しい野球をやりたいなという風に。これは皮肉なもので、プロ野球選手になりたいという夢が叶った後は、そうじゃない野球をまた夢見ている自分がまあ、ある時から存在したんですね。でもこれは中途半端にプロ野球生活を過ごした人間には待っていないもの。まあ趣味で野球を、例えば草野球ですよね。草野球に対して、やっぱりプロ野球でそれなりに苦しんだ人間でないと、草野球を楽しめないのではないかと思うので。これからは、そんな野球をやってみたいなという思いですね。おかしなことを言ってます僕?大丈夫?

(サンスポ)ありがとうございました。

(福島)イチロー選手お疲れ様です。福島えりかと申します。開幕シリーズを大きなギフトとおっしゃっていました。今回でも私たちの方が大きなギフトをもらったような気がするんです。

(イチ)そんなアナウンサーっぽいことを言わないでくださいよ。

(福島)イチロー選手は、これからどんなギフトを私たちにくださるんでしょうか。

(イチ)ないですよ。そんな無茶言わないでくださいよ。でも、これは本当に大きなギフトで、去年、3月の頭にマリナーズからオファーをいただいて、からのここ、今日までの流れがあるんですけれども、あそこで終わってても全然おかしくないですからね。去年の春までで終わっていてもまったくおかしくない状況でしたから。もう、今、この状況が信じられないですよ。あの時考えていたのは、自分がオフの間、アメリカでプレーするまでに準備をする場所というのは神戸の球場なんですけど、そこで寒い時期に練習するので、、、、へこむんですよね。やっぱ心が折れるんですよ。でもそんな時もいつも仲間に支えられて、やってきたんですけど、最後は今まで自分なりに訓練を重ねてきた神戸の球場で、ひっそりと終わるのかなあという風に、あの当時想像していたので、もう夢みたいですよ。こんなの。これも大きなギフトです。質問に答えていないですけど、僕からのギフトなんてないです。

(福島)今日は、本当に涙がなくむしろ笑顔が多かいというように見えたのは、この開幕シリーズが楽しかったということなんでしょうか。

(イチ)えーっとお、これも純粋に楽しいということではないんですよね。やっぱり、誰かの思いをしょうというのは、それなりに重いことなので。そうやって一打席一打席立つことって簡単ではないですね。だから、まぁすごく疲れました。
で、やっぱり一本ヒットを打ちたかったし、応えたいってまあ当然ですよね、それは。僕には感情がないって思っている人いるみたいですけど、あるんですよ。意外とあるんですよ。だから、結果を残して最後を迎えたら一番いいなと思っていたんですけど、まぁそれでもあんな風に球場に残ってくれて。まあ、そうしないですけど、死んでもいいという気持ちはこういうことなんだろうなと。死なないですけど。そういう表現をする時ってこういう時なのかなと思います。

(福島)ありがとうございます。

コメント(18)

 いやあ、長い時間ありがとうございました。眠いでしょう、みなさんも。じゃあ、そろそろ帰りますか。笑
引退会見は、内容が濃かったと今更ながら思います。
イチロー(元選手)は言葉のもつ力?重み?を大切にしているのが分かりました。
冒頭は、今でも涙が出てしまうので・・・(笑)。それほど、衝撃だったのかもしれません。
『現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました。』
聞きたくなかった一言でした。でも、オフでの決意なら聞けなかったかも?と思うと、本人の言葉で聞けて良かったと、前向きに考えてます。

>>[2]さん
引退する「ことと」なりました。という言い方は、
引退したくは無かったんですが、という感情が含まれていると思いました。
球場観戦組の4人と居酒屋にいた時、newszeroをやってたんですが、、、
「現役生活に終止符を打ち、引退する事と、、、」
でブチっと切れて、居酒屋にいるみんなが
「ヲイヲイヲイヲイヲイヲイヲイヲイヲイΣ(`∀´ノ)」
https://matome.naver.jp/odai/2155318122588717501
ドームから帰って録画を見たんですが、
日テレは「イチローを見ないのか?」
って散々あおっておいて、最終打席前で終了しましたよね。
そんな事したら、ますます地上波離れ(TV離れ)してしまいますよ。
現地に行けない人にとって、生放送ってすごく大事なんですよね。
>>[4]
私もイラっとしました(笑)
すぐに、Yahoo!に変更。日テレNEWS24で生中継で見てました。(もちろん正座!!)
――イチロー選手は何になるのか?
で、
『人望がない。本当に。人望がないですよ、僕。うん』
と、
嘘、うそ!ほんだらなんで、オフに素人さんが手伝うねん!!ってNHK見てツッコミ入れました(笑)。
(ちょっと私の後日談)
現役の時は遠慮?っていうか、現役の邪魔はしたくない。と思い込みで(笑)行けなかった「たん平」。
現時点で予約入れるも「仕入れ量が分からない。」とのことで一カ月先の予約は受け付けて貰えませんでした。
そもそも人望があっても、監督はやりたいのか、やりたくないのか‥
それを追加で聞いて欲しかった
文字制限ありますので、会見続き


(朝日新聞)お疲れ様でした。朝日新聞の山下と申します。常々、最低50歳まで現役とおっしゃっていましたと思うんですが、日本のプロ野球に戻るという選択肢はイチローさんにはなかったのでしょうか。

(イチ)なかったですね。

(朝日新聞)どうしてでしょうか。

(イチ)それはここでは言えないなあ。ただねえ、50歳までは、最低50まではって本当に思っていたし、それは叶わずで、まあ有言不実行な男になってしまったわけですし。まあその表現をしてこなかったらここまでできなかったかもなという思いもあります。だから、言葉にすること、難しいかもしれないけど言葉にして表現するというのは、目標に近づく一つの方法ではないかなという風に思います。

(朝日新聞)ありがとうございます。

(共同通信)共同通信の西です。

(イチ)あの、大きな声でお願いします。

(共同通信)あ、共同通信の小西です。ありがとうございます。えっとこれまで、膨大な時間を野球に費やしてこられたと思うんですけど、これからそういう膨大な時間とどういう風に付き合いますか。

(イチ)えっこれからの膨大な時間ということですか。それとも、これまでの膨大な時間とどう付き合うかということですか。

(共同通信)これからの野球に費やしてきた時間、それが空くという前提で、膨大な時間をということです。

(イチ)ちょっと今はわからないですね。ただ、たぶん明日もトレーニングをしていますよ。うん。それは変わらないでしょうね。僕はじっとしていられないから。それは動き回っているでしょうね。だからゆっくりしたいとか全然ないですよ。全然ないっす。たぶん動き回ってます。

(フジテレビ)フジテレビ庄野と申します。メジャーリーグを通して、イチロー選手の存在を非常に誇りに思っている方多いと思うんですけれども、イチロー選手の生き様でファンの方々に伝わっていたらうれしいということはありますか。

(イチ)うーーん、生き様というのは僕にはよくわからないですけど、まぁ生き方と言う風に考えれば、さきほどもお話しましたけれども、人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまで測りは自分の中にある。それで自分なりにその測りを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと超えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの日かこんな自分になって、だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を超えていけないと思うんですよね。なんか一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので。地道に進むしかない。進むというか、進むだけではないですね。後退もしながら、あるときは後退しかしない時期もあると思うので。でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。でも、それが正解とは限らないわけですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど。でも、そうやって遠回りをすることでしか、なんか本当の自分に出会えないというか、そんな気がしているので。そうやって自分なりに重ねてきたことを、まあ、今日のゲーム後のファンの方の気持ちですよね。それを見た時に、ひょっとしたらそんなところを見ていただいていたのかなと。それはうれしかったです。そうであればうれしいし、そうじゃなくてもうれしいです。あれは。

(フジテレビ)ありがとうございました。
(日刊スポーツ)お疲れ様でした。あの、すごくシンプルな質問ですけども、現役選手を終えたら、一般的にはこの世界では監督になったり、指導者になったり、あるいはまったく違う、タレントさんみたいになったりすることはよくある事ですが、

(イチ)あんまりシンプルじゃないですね(笑)。

(日刊)イチロー選手は、さっきから動き回るって話してましたけど、何になるんですか。

(イチ)何になるんだろうね。そもそもカタカナのイチローってどうなるんですかね。「いや、なんか元カタカナのイチロー」みたいになるんですかね。あれ、どうなんだろ。「元イチロー」って変だよね。いやイチローだし、僕。音が一朗だから。書くときどうなるのかな。どうしよっか?何になる?

うーん……。

でも監督は絶対無理ですよ。これは絶対がつきますよ。人望がない。本当に。人望がないんですよ、僕。うん。

(日刊)そうでもないと思いますけど。

(イチ)いやあ、無理ですね。それぐらいの判断能力は備えているので。ただ、どうでしょうねぇ。
ま、プロの選手、プロの世界というよりも、やっぱりアマチュアとプロの壁というのが日本は特殊な形で存在しているので、今日をもってどうなんですかね、そういうルールって。どうなんだろうか。今までややこしいじゃないですか。
たとえば極端に言えば、自分に子供がいたとして、その高校生であるとすると、教えられなかったりというルールですよね。確か?違う?そうだよね。そういうのって変な感じじゃないですか。だからまあ、今日をもって元イチローになるので、それは小さな子供なのか、中学生なのか、高校生になのか、大学生になるのかはわからないですけど、そこには興味がありますね。
(日刊)ありがとうございました。


(TBS)さきほど引退を決めた時期というのが、キャンプの終盤という話がありましたけど、そこに至る以前に引退の事で悩んだ時期はありましたか?

(イチ)引退というか、クビになるんじゃないかはいつもありましたね。ニューヨークに行ってからは毎日そんな感じです。はい。まあマイアミもそうでしたけど。ニューヨークってみなさんご存知かどうかわからないですけど、まあ特殊な場所です。マイアミもまた違った意味で特殊な場所です。だから毎日そんなメンタリティーで過ごしていたんですね。そのクビになる時はまさにその時だろうと思っていたので、そんなのしょちゅうありました。はい。

(TBS)そういう時期が続いている中で、今回、引退を決意した理由というのをずばりお伺いしたいんですけども。

(イチ)まぁマリナーズ以外に行く気持ちはなかったということは大きいですよね。去年、シアトルに戻していただいて、本当にうれしかったし、先ほどキャンプでの前のオファーがある前の話をしましたけど、その後、5月にゲームに出られなくなる。あの時も、そのタイミングでもおかしくないんですよね。でも、この春に向けてまだ可能性があるという風に伝えられていたので、まあそこも自分なりに頑張ってこられたと、いうことだと思うんですけど。。。質問なんでしたっけ?

(TBS)今回、今まで何度か引退という文字があったのにもかかわらず、続けてきたにもかかわらず、今回引退を決めた理由は。

(イチ)あ、そうか、もう答えちゃったね。

(TBS)ありがとうございます。すみません。今日の試合で8回にベンチに戻る際に、菊池雄星選手が号泣されていて、、

(イチ)号泣中の号泣でした、アイツ。いやもうびっくりしました。それ見てこっちは笑ってましたけどね(会場笑)

(TBS)あの、抱擁された時にどんな会話をされていたのか知りたいなぁと。あのシーンを見て思ったのですが。

(イチ)いやあ、それはプライベートなんで。それは雄星がそれをお伝えするのはかまわないですけど、それは僕がお伝えすることではないですね。

(TBS)秘密ですか。

(イチ)まあそれはそうでしょう。二人の会話だから。しかも、僕から声をかけているので。それをここで僕がこんなことを言いましたって。バカですよね。絶対に信頼されないもんね。うん。それはダメです。

(TBS)すごくお人柄がわかるお答えでありがとうございました。

(イチ)ありがとうございます。
(共同通信)9年間アメリカでプレーするという、今日は日本のファンにとって特別な日でしたけど、やっぱりアメリカのファンの思い出やメッセージを伝えたいんですが。

(イチ)え、疑問文ですか?

(共同通信)そうですね。メッセージはありますか?アメリカのファン。

(イチ)19年ですよ。

(共同通信)19年ですね。

(イチ)いや、アメリカのファンの方々は、最初は厳しかったですよ。そらま最初の2001年のキャンプなんかは「日本に帰れ」としょっちゅう言われましたよ。
だけど、結果を残した後のその敬意というのは、うーん、これは評価するのかどうかわからないけど、手のひらを返したという言い方もできるので、ただ、その、言葉ではなくて行動で示したときの敬意の示し方というのは、その迫力はあるなというような印象ですね。
だから、なかなか入れてもらえないんですけど、入れてもらった後、認めてもらった後はすごくあの、近くなるという印象で、がっちり関係ができあがる。シアトルのファンとはそれができたような。僕の勝手な印象ですけど。
で、まあニューヨークというのは厳しいところでしたよね。でも、やればどこよりも、どのエリアよりも熱い思いがある。マイアミというのは、ラテンの文化が強い印象で、その圧はそれほどないんですけど、でも、結果を残さなかったら人は絶対に来てくれないっていう。そういう場所でしたね。それぞれの場所で関係を築けたような。特徴がそれぞれありましたけど。なんかアメリカは広いなと。ファンの人たちの特徴を見るだけでアメリカはすごく広いなという印象ですけど。
まぁでもやっぱり、最後にシアトルのユニフォームを着て、まあセーフィコ・フィールドではなくなってしまいましたけど、まあ姿をお見せできなくて、それは申し訳ない思いがあります。

(共同通信)ありがとうございます。


(バズフィード?)イチロー選手お疲れ様でした。さきほどニューヨークに行ってからですとかマイアミに行ってからとか、首になるんじゃってお話しあったんですけど、イチロー選手、ユニークなTシャツが話題に上がることが多いと思うんですけど、来ているTシャツで、「もう限界」「もう無理」とかかなりユニークなTシャツいろいろ書いていますが、あれっていうのは、イチロー選手の何か心情が表していたり、何かアピールはあったんでしょうか?それとも全く関係なくただ好きで着ていただけなんでしょうか?

(イチ)そこはもう言うと急にやぼったくなるから、言わない方がいいんだよね。それは観る側の解釈だから。そう捉えれば、そう捉えることもできないし。まあ全然関係ない可能性もあるし。それでいいんじゃないですか。

(バズフィード)ファンにそこは好きに楽しんでいただきたい?

(イチ)だってそういうものでしょう。いちいちそれを説明すると、ホント野暮ったいもんね。

(バズフィード)言わない方が粋であると。

(イチ)まあ粋とは自分では言えないけど。まあ言うと無粋であることは間違いないでしょうね。
(笹田)イチローさんは、24時間を野球に使ってきたとおっしゃっていますが、それを支えてきたのはやはり弓子夫人だと思いますが、こんだけたくさんの人がいる中で、イチローさんを支え続けた弓子さんへの言葉っていうのはちょっとやぼかと思いますが、あえて今日は聞かせてください。

(イチ)いやあ、頑張ってくれましたね。一番頑張ってくれたと思います。
僕はアメリカで結局3089本のヒットを打ったわけですけど、妻はですね、およそ、僕ゲーム前にホームの時はおにぎりを食べるんですね。妻が握ってくれたおにぎりを球場に持っていって行って食べるんですけど、それの数がですねえ、2800ぐらいだったんですよね。3000いきたかったみたいですね。そこは、、、うーん、3000個握らせてあげたかったなと思います。
妻もそうですけど、とにかく頑張ってくれました。これは、僕はゆっくりする気はないけど、妻にはゆっくりしてほしいとゆうふうに思います。
それと一弓ですね。一弓というのはご存知ない方もいらっしゃると思いますけど、我が家の愛犬ですね。柴犬です。現在17歳と何カ月かな。7カ月かな。今年で18歳、になろうかという柴犬なんですけど、さすがにおじいちゃんになってきて、毎日フラフラなんですけど、懸命に生きているんですよね。その姿を見ていたら、それは俺がんばらなきゃなって、これはジョークとかではなくて、本当に思いました。懸命に生きる姿。うーん。まあ2001年に生まれて、2002年に我が家に、シアトルの我が家に来たんですけど、まさか最後まで一緒に、僕が現役を終える時まで一緒に過ごせるとは思っていなかったので、まあこれは本当に感慨深いですよね。一弓の姿は。ほんと、妻と一弓にはもう感謝の思いしかないですね。(イチローうるうるする)

(笹田)ありがとうございます。


(朝日新聞)3月の終盤にイチローさん、引退を決めたのは、素人が技術の事聞くの大変恐縮なんですが、打席内の感覚の変化というのは今年は、ありましたか。

(イチ)いる? それここで。

(朝日新聞)ぜひ。

(イチ)裏で話すわ。裏で。

(朝日新聞)ありがとうございました。



(日本スポーツ企画出版社)今までありがとうございました。これまでイチロー選手は数々の決断と戦ってきたかと思います。例えば00年オフのポスティングでの移籍ですとか、06年WBCの参加、07年オフのマリナーズとの契約延長、で例えば今回、12年のニューヨークのトレード移籍もそうかもしれないですけど、その中で今まで考え抜いて決断したのは何だったんでしょうか?

(イチ)うーん、これは順番を付けられないですね。それぞれが一番だと思います。ただ、アメリカでプレーするために、今とは違う形のポスティングシステムだったんですけど、自分の思いだけでは当然それは叶わないので、当然球団からの了承がないと行けないんですね。
じゃあその時に、誰をこちら側、こちら側っていうと敵・味方みたいでおかしいんですけど。球団にいる誰かを口説かないといけないというか、説得しないといけない。その時に一番に思い浮かんだのが、まあ仰木監督ですね。その何年か前からアメリカでプレーしたいという思いは伝えていたこともあったんですけど、仰木監督だったらおいしいご飯でお酒を飲ませたら。飲ませたらっていうのはあえて飲ませたらと言ってますけど、これはうまくいくんじゃないかと思ったら、まんまとうまくいって。これはーーー、これがなかったら何も始まらなかったので。口説く相手に仰木監督を選んだのは大きかったなと思いますね。
ダメだダメだとおっしゃっていたものが、お酒でこんなに変わるんだって、お酒の力をまざまざと見ましたし。でもやっぱり洒落た人だったなと思いますね。だから仰木監督から学んだもの、うん、計り知れないと思います。

(日本スポーツ企画出版社)ちなみに会見を開いた日が、第一回WBCで日本が優勝した日の会見と日付が一緒ですが、

(イチ)ちなみに会見ってどの日ですか?

(日本スポーツ企画出版社)今回の会見を決断した日が。昨日の試合が、第一回WBCで日本が優勝した日と、

(イチ)ほーほ。

(日本スポーツ企画出版社)それは何かこう、運命的なものを感じますか。

(イチ)聞かされればそう思うこともできるという程度ですかね。僕はその事はしらなかったですけど。
(日本テレビ)イチロー選手が現役時代、一番我慢したもの、一番我慢した事は何だったんでしょうか?

(イチ)う〜〜〜〜ん。(長考)難しい質問だなぁ。僕がまんできない人なんですよ。我慢が苦手で、楽なこと、楽なことを重ねているという感じなんですよね。自分ができることを、やりたいことを重ねているので、我慢の感覚がないんですけど、だからもうとにかく体を動かしたくてしょうがないので、こんなに動かしちゃダメだっていうことで、体を動かすことを我慢するというのはたくさんはありました。それ以外はなるべくストレスがないようにな自分にとって行動してきたつもりなので。
家では妻が料理をいろいろ考えて作ってくれますけど、ロードに出ると、何でもいいわけですよね。そりゃあもう、むちゃくちゃですよ。ロードの食生活なんて。だから結局我慢できないからそうなっちゃうんですけど、そんな感じなんです。だから今聞かれたような主旨の我慢は、思い当たらないですね。
おかしなこと言ってます、僕?


(台湾・中央通信社)すみません。台湾の中央通信社の記者です。あの、お疲れ様でした。台湾ではイチローさんのファンがいっぱいいまして。何か台湾の皆様に、伝えたい事がありませんか?例えば、台湾に行きたいということはありますか?

(イチ)まぁ、チェンが元気か知りたいですね。チェン、チームメイトでしたから。チェン元気でやってますか。そうですか。あのーそれが聞けて何よりです。はい。今のところ(台湾に行く)予定はないんですけれども、ありがとうございます。でも、以前に行ったことあるんですよ。一度行って、すごく優しい印象でしたね。心が優しくていいなと思いました。はい。ありがとうございます。


(夕刊フジ)イチロー選手お疲れさまでした。夕刊フジの片岡と申します。今年菊池雄星投手が同じマリナーズに入って、去年は同じエンゼルスに大谷翔平選手が入りました。イチロー選手が後輩たちに託したいものはありますか?

(イチ)雄星のデビューの日に僕はこの日を迎えた、引退を迎えたというのは、何かいいなと言う風に思っていて。「もうちゃんとやれよ」という思いですね。
うーん、まぁ短い時間でしたけども、すごくいい子で。やっぱりね、いろんな選手を見てきたんですけど、左投手の先発って、変わっている子が多いんですよ。本当に(会場笑)。天才肌が多いという言い方もできるんですよね。アメリカでもまあ多い。だから、いや、こんなにいい子いるのかなって感じですよ、ここまで、今日まで。
でも、キャンプ地から日本に飛行機で移動してくるわけですけど、チームはドレスコードですね、服装のルールが、黒のジャージのセットアップでOK、長旅なのでできるだけ楽にという配慮なんですけど。「じゃあ雄星、俺たちどうする」って。アリゾナはいいんだけども、日本に着いたときに、いやさすがにジャージはだめだろうって二人で話をしていたんですね。「いやそうですよね、イチローさんはどうするんですか」って。僕はまあ、中はTシャツだけど、まあセットアップで、いちおうジャケットを着ているようにしようかなと。「じゃあ僕もそうします」って雄星は言うんですよ。
で、キャンプ地を起つ時のバスの中で、みんなも僕もそうですけど、黒のジャージのセットアップでバスに乗り込んできて。それで雄星と席が近かったので、「いや雄星、やっぱりこれダメだよな。日本に着いた時にこれはメジャーリーガー、これダメだろ」ってバスの中でも言ってたんですよ。「いやそうですよね」って。そう言ってたら、まさか羽田着いた時にアイツ、ジャージでしたからね(笑)。イヤ、こいつ大物だなって。いやぶったまげました。
いや、本人にまだ聞いてないですけど、その真相は。何があったのかわからないですけど。やっぱり左投手は変わったヤツが多いなと思いました。スケール感は出てました。うん。頑張ってほしいです。
翔平は、もう、ちゃんとケガを治して、スケールも、物理的にも(体が)大きいわけですし。アメリカの選手とまったくサイズ的にも劣らない。で、あのサイズで、あの機敏な動きができるというのはいないですからね。それだけで。いや世界一の選手にならなきゃいけないですよ。うん。
(越前スポーツ?)越前スポーツの??です。引退おめでとうございます。

(イチローが?って顔をする)えっと、野球への愛をつらぬいてきたとういうお話しでしたけど、その野球の魅力、イチロー選手が感じている野球の魅力というのはどんなものでしょうか。それとイチロー選手が引退をして非常に悲しんでいるこれから出てくると思うんですけど、イチロー選手が出ないメジャーリーグとかプロ野球、どんなところを楽しめがいいか、イチロー選手からお願いします。

(イチ)最初なんでしたっけ?

(越前スポーツ?)愛をつらぬいてきたその野球の魅力です。

(イチ)ああ、野球の魅力ねえ。まぁ団体競技なんですけど、個人競技というところですかね。これが野球の面白いところだと思います。あの、チームが勝てばそれでいいかというと、全然そんなことはないですよね。個人としても結果を残さないと、まあ生きていくことはできないですよね。
まあ、本来はチームとして勝っていればいいかというと、チームとしてのクオリティは高いはずなのでそれでいいかというと、決してそうではない。その厳しさが面白いところかなと。面白いというか、まあ魅力であることは間違いないですね。あとは同じ瞬間がないということ。必ず必ずどの瞬間も違うということ。これは飽きがこないですよね。

で、二つ目はどうやって楽しんだらいいかですか。。。。2001年に僕がアメリカに来てから2019年現在の野球は、まったく違う野球になりました。まあ頭を使わなくてもできてしまう野球に、まあなりつつあるような。うーん、選手も現場にいる人たちもみんな感じていることだと思うんですけど、これがどう変化していくのか。次のまあ5年、10年、しばらくはこの流れは止まらないと思いますけど。
本来は野球というのは……、うーーん、ダメだな、これを言うと問題になりそうだな(会場笑)。問題になりそうだな。
うーん。(野球は)頭使わないとできない競技なんですよ、本来は。でもそうじゃなくなってきているというのがどうも気持ち悪くて。でベースボール、野球の発祥はアメリカですから、その野球がそうなってきているということ、、、に危機感を持っている人っていうのがけっこういると思うんですよね。
だから、まあ、日本の野球がアメリカの野球に追従する必要なんてまったくなくて、やっぱり、日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしいなという風に思います。アメリカのこの流れは止まらないので。せめて日本の野球は、その決して変わってはいけないこと、大切にしなければいけないものを大切にしてほしいなと思います。

(越前スポーツ?)ありがとうございました。



(週刊スパ)週刊スパの小島です。19年間現役でお疲れ様でした。3089本のヒットを打たれたメジャーリーグの試合、今日まで2653試合、プレーされました。偶然かと思うんですけども、一番最初のセーフィコフィールドでのオークランドアスレチックス戦でした。今日も何かの因縁か分からないんですけどアスレチックス戦でした。最初バートロコロンと対戦した時に、3打席打ち取られて4打席目にセンター前に鮮やかな1本目のヒットを、、、
(イチ)ん?最初誰って言いました?
(週刊スパ)コロンですね。
(イチ)コロンは当時インディアンスですよ。
(週刊スパ)ハドソンですね。失礼しました。えー、ティムのボールを、3打席打ち取られて、4打席目にヒットがセンター前に抜けて
(イチ)はい。
(週刊スパ)今日最後の試合に結果的になりましたけども、3度のあっとバットが凡退で、4度目のネクストサークルの時に、ひょっとしたらオープニングゲームの事が頭をよぎったんじゃないかなあ、なんて事を見ている私は勝手に想像したんですけども、何か1年目のゲームの事とか、オープニングゲームの事とこ思い出したんでしょうか?
(イチ)あの、長い質問に対して大変失礼なんですけど、ないですね。
(週刊スパ)はい、ありがとうございます。(即答)
(文化放送)文化放送の斉藤と申します。イチロー選手本当にお疲れ様でした。子供の頃からの夢であるプロ野球選手になるという夢を叶えて、これだけ成功なさってイチローさんは今、何を得たと思いますか。

(イチ)まぁ成功かどうかってよくわからないですよね。じゃあどこから成功で、そうじゃないのかっていうのは、まったく僕には、うーん判断できない。だから成功という言葉は嫌いなんですけど。うーん、、、
まあメジャーリーグに挑戦するということは、まあどの世界にも共通するんですけど、新しい世界に挑戦するっていう事は大変な勇気だと思うんですけど、でも成功、まぁ、ここではあえて、あ、成功と表現しますけど、成功すると思うからやってみたい。それができないと思うから行かないという判断基準では、、、、まぁ後悔をうむだろうなと思います。やりたいと思えばやってみればいい。できると思うから挑戦するのではなくて、やりたいと思えば挑戦すればいい。その時にどんな結果が出ようとも後悔はないと思うんですよね。

 じゃあ、自分なりの成功を勝ち取ったところで達成感があるのかと言ったら、それは僕には疑問なので。基本的には、やりたいと思ったことに向かっていきたいですよね。で、何を?

(文化放送)何を得たかということです。

(イチ)うーん、(長考)「ま、こんなものかな……」という感覚ですかね。いやそれは200本もっと打ちたかったし、できると思ったし、、1年目にチームは116勝して、その次の2年間も93勝して、いや、勝つのってそんなに難しいことじゃないなって、その3年は思ってたんですけど、大変なことです。勝利するのは。この感覚を得たことは大きいかもしれないですね。

(文化放送)ありがとうございました。


(夕刊フジ)夕刊フジと申します。長い間お疲れ様でした。メジャーでの年数は長かったんですけど、毎年自主トレに行かれていますし、何かユニフォームを脱がれることで神戸に恩返しをしたいなという、そういう気持ちは。

(イチ)神戸は特別な街です、僕にとって。恩返しか。恩返しって何することなんですかね。僕は選手として続けることでしか何かそれはできないんじゃないかなと考えていたこともあって、できるだけ長く現役を続けたいと思っていたこともあるんですね。
神戸に恩返し、うーん……。税金を少しでも払えるように頑張ります(会場笑)。はい。
(夕刊フジ)ありがごうございました。


(ハーフポスト)お疲れ様でした。ハーフポスト日本版の田中と申します。日米で活躍される選手は今までもまず甲子園に出て活躍をして、プロ野球に入って活躍をして、そしてメジャーに挑戦という流れがあると思うんですけども、ご自身の経験を振り返って、もっとこんな制度であればメジャーに挑戦しやすたかった、あもしくは日本のプロ野球に残ってやりたかったっていう、もしもの話なんですけど、まぁ育成制度とかも合わせてこういう事があればいいなという提言を頂きたいんですけど。

(イチ)まぁ制度に関しては詳しくないんですけど、でも日本で基礎を作る。自分が将来MLBでプレーする、(聞いてらっしゃいます?)MLBで将来活躍するための礎を作るという風な考え方であれば、できるだけ早くというのはわかりますけど、日本の野球で鍛えられることって、たくさんあるんですね。だから、制度だけに目を向けるのはフェアじゃないかなという思いますけどね。

(ハーフポスト)特に日本の野球で鍛えられたことはどんなものでしたか?

(イチ)いや、基本的な基礎の動きって、おそらくメジャーリーグの選手より日本だったら中学生レベルの選手の方がうまい可能性がありますよ。うん。それはチームとしての連携もあるじゃないですか。そんなの言わなくてもできますからね、日本の野球では。でもこちらではなかなかそこは。個人としてのポテンシャル、運動能力は高いですけど、そこにはかなり苦しみましたよ。苦しんであきらめましたよ。

(ハーフポスト)ありがとうございます。
(TVAテレビ?)個人的にエンゼルスの大谷翔平選手との対戦を楽しみにしていたんですが、かなわなくなったという事で、イチローさん本人としては、今も大谷投手と対戦したかったという思いはありますでしょうか。あと大谷選手の今後に期待することがあれば一言伺いたいんですが。

(イチ)さきほどもお伝えしましたけど、世界一の選手にならなきゃいけない選手ですよ。そう考えています。
まあ、翔平との対戦、残念でしたけど、できれば僕がピッチャーで翔平がバッターでやりたかったんですよ。それは誤解なきよう。

(TVAテレビ?)今後大谷選手は、どのような選手になっていくと思いますか。

(イチ)なっていくかどうか。そこは占い師に聞いてもらわないとわからないけどね〜。(笑)まぁでも、投げることも打つこともやるのであれば、僕は1シーズンごとに投手、次のシーズンは打者としてそれでサイ・ヤング(賞)とホームラン王をとったら。そんなことなんて、考えることすらできないですよ。
でも、翔平はその想像をさせるじゃないですか人に。この時点でもう、明らかに人とは明らかに違う選手である思う。その二刀流は面白いと思うんですよね。なんか、納得いってない表情ですけど。(笑) 投手として20勝するシーズンがあって、その翌年に50本打ってMVP取ったら化け物ですよね。でも、それが想像できなくはないですからね。うん。そんな風に思ってますよ。


(毎日新聞社)毎日新聞社の岸本と申します。あるアスリートの方に伺ったのですが、その方が、自分が現役選手でなくなった事を想像すると嫌だとイチローさんにおっしゃって、イチローさんが「自分も同じだ。自分も野球選手じゃなくなった自分が想像できない。イヤだ」とおっしゃっいましたが。

(イチ)イヤだって言わないと思いますけどね。僕野球選手じゃない僕を想像するのを、嫌だって多分言ってないと思いますよ。うん。

(毎日新聞社)あらためて野球選手ではない自分を想像していかがですか。

(イチ)いやだから違う野球選手になってますよ。うん。あれ、この話さっきしましたよね。ちょっとおなか減ってきて集中力が切れてきちゃって。(笑)さっき何を話したか記憶が。さっき草野球の話をしましたよね。しましたね。だから、そっちでいずれ、まぁ楽しくてやっていると思うんですけど、そうするときっと草野球を極めたいと思うんでしょうね。だから真剣に草野球をやるっていう野球選手になっているんじゃないですか。結局。聞いてます?

(毎日新聞社)ありがとうございました。


(司会)え、お時間も迫ってきましたので、

(イチ)もうおなか減ってきた〜もう〜〜。結構やってないですか。俺。え、いま、時間どれっくらい? 

(司会)1時15分です。

(イチ)1時間20分? 今日はとことん付き合おうと思ったんですけどね。おなか減ってきちゃった(会場笑)。

(司会)それでは、あとお二人とさせていただきます。



(デイリースポーツ)デイリーテレスポーツの小林です。お疲れ様でした。そしてありがとうございました。あのー、プロ野球人生で一番、誇れることは。普段あまりそういう事を語られるのは好きではないとは思うんですけれども、あえてこの場で、お聞きしたいんですけれども、誇れる事何ですか?

(イチ)これさきほどお話しましたね。小林くんも集中力切れてきているんじゃないの?(会場笑)完全にその話をしたよね〜。

(デイリースポーツ)すっ、すみません。

(イチ)それで1問減ってしまうんだから。

(デイリースポーツ)あっ
(日本テレビ)イチロー選手お疲れ様です。遅い時間までありがとうございます。日本テレビの伊藤ひろみと申します。イチロー選手の小学生時代の卒業文集が有名だと思います、「僕の夢は一流のプロ野球選手になることです」という言葉から始まると思います。それを書いた当時の自分に今、今日この日を迎えたイチロー選手は、どんな言葉をかけたいですか。

(イチ)お前、契約金で1億ももらえないよって(会場笑)。ですね、いや夢は大きくとは言いますけど、なかなか難しいですよ。ドラ1のねえ1億って掲げてましたけど、全然遠く及ばなかったですから。いやーある意味では挫折ですよね。それは。うん。こんな終わり方でいいのかな。(会場笑)。なんか、きゅってしたいよね最後は。


(フルカウント)え、フルカウントのきざきです。イチロー選手お疲れ様でした。昨年、マリナーズに戻りましたけれども、その前のマリナーズ時代、何度か自分は孤独を感じながらプレーをしているという事をおっしゃってましたけれども。ヤンキースに移って、それからマーリンズに移られ、プレーする役割が変わってきました。それから去年ああいう状態になって今年引退という事になりますけれども、その孤独感はずっと感じながらプレーしていたんでしょうか。それとも、前の孤独感とは違ったものがあった、その辺はどうなんでしょう?

(イチ)現在はそれはまったくないです。今日の段階でそれはまったくないです。
まぁそれとは少し違うかもしれないですけど、アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと、アメリカでは僕は外国人ですから。このことは、、、、、外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。
孤独を感じて苦しんだこと、多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います。だから、つらいこと、しんどいことから逃げたいというのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気のある時にそれに立ち向かっていく。そのことはすごく人として重要なことなんではないかと感じています。

しまったねぇ最後(会場笑)
いやあ、長い時間ありがとうございました。眠いでしょう、みなさんも。ねぇ。じゃあ、そろそろ帰りますか?ね?
(司会)はい。以上を持ちまして、イチロー選手の記者会見を終了させて頂きます。(拍手)イチロー選手をどうぞ、拍手でお送り下さい(拍手)

(イチ)ありがとうございました〜。みなさんお疲れ様でした。ありがとうございました。
(イチロー大きくお辞儀をする<m(__)m> 一度手を振って退場)
(司会)本日は突然のご案内、また試合後の遅い時間にもかかわらずお集まりいただきまことにありがとうございました。

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