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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第78回チャーリー作『いずれ顧みられない者たちへ』(自由課題)

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 この日も私は巨大な虚無と、執拗に私を焦らせ苛立たせ恐れさせる何かを抱えて駅にいた。
 消えた妻を探して、日暮れ前にここを訪れるのが私の日課だった。日に一本駅を通過する列車に、妻の姿がないか確かめるためである。
 家から徒歩何十分もかからない距離だが、歳を重ねた自分には濁流の河川を身一つで渡るような苦役だった。
 五十を過ぎて徐々に現れた身体の衰えは、定年退職を境に日に日に顕著になった。ことに追い打ちとなったのは、戒厳令に伴う都市封鎖であった。自由に外出することもままならず、めっきり体力は落ちた。ほんの少しの段差を越えるだけで、膝には太い針で刺すような痛みが走り、腰は石膏で固めたように錆びつき、目はかすみ新聞が読めない。夜中に何度も目が覚め、思考の回転は遅れ、忘れっぽくなり、何をするにも気持ちに肉体がついてこない。若い頃やり場のないほどあふれていた精力は、今は見る影もなく枯れ、最後に女を抱いたのがいつだったか思い出せない。
 内面は四、五十代からそれほど変わらないというのに、外側は坂を転げるように衰えを増していく。まるで腐った殻に閉じ込められた果実だ。どれだけ気力がみなぎっていたとしても、鈍った体では行動一つ起こすことさえ難しい。
 老いとは、なぜこうも無慈悲なのだろう。若く、思考は冴え、精力に満ち、溌溂としていた頃を覚えているから、なお残酷だ。初めから老人として生まれていたのなら、このような屈辱は味わわずに済むのか。
 私は努めて老いを忘れようとした。一日に何錠も薬を飲み、不能や肉体の痛みや漠然とした陰鬱な感情を抑え込んだ。
 周囲から年寄り扱いされることを嫌い、親類や友人や近所との付き合いを断ち、人と会わなくなった。
 若い頃、夢中になった映画や本を鑑賞して一日をやり過ごした。それらは実に簡便に私を過去へと連れて行ってくれるタイムマシンだった。ページをめくりシーンを追うだけで、私は十代、二十代の私に帰った。そうでもしなければ、現実を前に気が狂ってしまうのではないかと怯えた。幸い、その恐れはなかった。老いることの唯一の長所とは、容易に忘れられることだったからだ。

 雲間から秋の柔らかな日差しがホームを包んだ。
 装着している防毒マスクさえなければ、日のぬくもりと金木犀の甘い香りを満喫できるだろう。だが、それはできない。
 もともと工業用に開発されたこのマスクは、この種の物では比較的安価な上に、空気中の毒性を中和しほぼ無害化できることから、戒厳令に先行して各世帯に支給された。
マスクは額から顎までをすっぽり覆う全面型で、酸素マスクのようなシリコンゴムの吸引具を口と鼻につけ、口先から伸びた円筒形の吸引缶を通して呼吸する。
 目元はバイクのヘルメットにあるゴーグルのように透明なプラスチックでくり抜かれ、マスクを装着したまま、人と視線を交わし会話することができた。マスクは六本のバンドでしっかり頭部に固定され、顔の周囲を囲む分厚いシリコンゴムで完全に密閉されている。
 横から見たそのシルエットは、耳のない豚を連想させた。戦時中に使われたガスマスクのような、この世ならざる異様さはないが、それでもマスク姿の者たちが配給所で列をつくっている光景は、平時に比べれば充分現実離れしていた。
 この街では市民は原則、屋内待機を義務付けられている。
 やむを得ない事情で外出する際は――ほとんど、それは食料や生活用品の配給を受け取るためで、私のような人探しは滅多にいないだろうが――、国への許可申請を得ることと、この防毒マスクの着用が必須条件であった。
 そうでなくとも、今マスクなしで外を出歩く者は皆無だった。
 直接外気を吸った者たちが数時間後、数日後、数週間後にどんな末路を辿るか、私たちは嫌というほど目にしていたからだ。
 当然、家の窓を開けることもできない。私たちはもう何年も、直に日光を浴びることも草花の豊かな匂いを楽しむことも叶わなかった。
 それだけに、街に燦々と降り注ぐ日差しは、むしろ私を憂鬱にさせ、否応なしに非情な現実を突きつけた。
 明るく照らし出されたホームには、片付けられずに黒く変色した枯れ葉が堆積し、天井には蜘蛛の巣が幾重にも張られて、虫の死骸や落ち葉や得体の知れない何かが引っかかって風に揺れている。ホームの端では、半分骨と皮になった人間の死体をカラスがついばんでいる(行き倒れの死体は珍しくなかった。かろうじて青色とわかる靴から女のようだった)。
 駅前のバスターミナルや通りには雨風をかぶった車が何台も放置され、高層ビルも電光掲示板も信号機も停電し無用の長物と化し、コンビニや薬局はシャッターが破られて食料品、医薬品、雑貨は根こそぎ持ち去られ、まるで人という人がまるごと消え失せたように辺りは静かだった。
 そのなかで私の心をわずかでも和ませてくれるのは、ビルとビルの谷間から細い躯体を覗かせる赤い電波塔だった。この塔は、私と消えた妻が初めて“出会った”思い出の場所であった。
 この街の名を冠した塔は、戒厳令以前は有数の観光名所として年間数百万人が訪れる、街の象徴的存在だった。高さは三百メートルを超え、真正面から見たその姿は未来の“未”という字を思わせた。縦に貫く一線は塔の支柱であり、左右の払いは塔を支える脚を示し、横の二画は塔にある二つの展望台を示している。かつて特別展望台と呼ばれた塔の最上階に、若い頃、私と妻はよく二人で連れ立ったものだった。
 私は目を閉じ、あの頃の妻の姿を思い出そうとした。
 私を求める、あの熱い濡れた眼差しを思い出したかった。
 しかしどれだけ意識を集中しても脳裏に浮かぶのは、妻が消えた日の朝の、あの空っぽの冷たいベッドだった。

     ***

 その日、目の覚めた私はいつものように寝室を出て、用を足し居間へ行った。棚にずらりと並んだベータマックスから一本を手に取り、テレビの電源を入れ再生機にかける。ビデオデッキにテープを挿入する瞬間は、毎度のことながらたまらなく心が躍る。
 このベータたちは、私が若い頃テレビで放送していた映画を熱心に録りためていたものである。退職後、たまたまそれを物置から見つけた私は、幼少期に埋めたタイムカプセルを掘り返したような郷愁を覚えた。テープを何本かデッキに入れてみたが、みなほとんど問題なく再生することができた。テレビの画面には、往年のスターたちが私の記憶そのままに生き生きと映し出された。
 録画した映画の大半は、一九七〇年代以前に封切られたものだった。映画はジャンルを問わず好むが、あまり新作を(といっても映画など何年も作られていないそうだが)見ることはない。最近の役者は演技がやたら大仰で、映像もせわしなく、話も理解不能だ。
 それに引き換え、昔の映画はどれも映像が格調高く、物語のテーマは奥行きがある上に飽きさせない。出演者は馴染みのスターばかりだし、何よりも女優が美しい。言葉遣いは気品があって、所作は折り目正しく、乱暴な場面も見ていて不愉快にならない。今の名ばかりで軽薄で低俗で、上っ面だけ繕った役者もどきの連中とは根本的に違う。
 そのときも、私は古い白黒のサスペンス映画を見ていた。監督はアルフレッド・ヒッチコックで、イングリッド・バーグマンかグレース・ケリーが主役だった。記憶喪失で自分の生まれも過去も忘れた男が、唯一覚えている「人を殺したかもしれない」という記憶を頼りに、ヒロインとともに、殺しの謎に迫っていく筋立てである。
 物語は山場に差し掛かり、遂に記憶がよみがえり、男が殺人者なのか否か、明らかになろうか――という場面で、突然くしゃっと紙を丸めたような音がして、映像にノイズが走り、画面が真っ黒になった。慌てて再生機を止め取り出しボタンを押すと、四角いベータの端から黒光りするテープが切れて飛び出していた。このベータは劣化が進んでいたようで、脆くなったテープを何十年か振りに機械にかけたために切れてしまったらしい。こうなると、直すことは不可能だった。
 私は肩を落とし、小動物の死体を扱うようにベータをテーブルの上に置くと、ソファに座ってため息をついた。
 ふと喉の渇きを覚え、朝から何も口にしていなかったことを思い出した。湯呑を取ろうとして、私の手は虚空を掴んだ。テーブルには、毎朝妻の煎れるコーヒーがあるはずだった。退職祝いに後輩から贈呈された唐津焼の湯呑に入って、きっかり八〇度に保たれたキリマンジャロが。
 私は妻の名を呼んだ。
 だが、私の声は布巾に吸い込まれていく水滴のように空気中に消え、返事ひとつ、しわぶきひとつなかった。
 普段であれば、妻が先に起床し、朝食の支度が整う頃に私が起きるのが通例となっていた。
 妻が退職した年に都市封鎖が施行され、街はおろか外出も制限された。それ以来、私と妻は誰かに会うこともなく、まるでこの世界にたった二人だけが取り残されたかのように同じ毎日を送っていた。
 惰眠を貪る妻に軽く苛立ちながら、私は席を立ち、廊下を通って寝室の戸を開けた。部屋は同じだが、ベッドは別々だった。
 ベッドに妻の姿はなかった。
 それどころか、最近使われたような形跡すらなかった。枕カバーやシーツは洗い立てのようにしわひとつなく、髪の毛一本落ちていなかった。手を触れてみると、ベッドは真冬の道端に転がる石のように冷たかった。私はその冷たさに思わず手を引っ込めた。
 私は寝室を出て台所を覗き、廊下を曲がって脱衣所を確かめて手洗いを一瞥し、また居間へ戻った。壁に掛かったカレンダーを見て、今日が物資の配給日ではないことを確認した。それは出かける理由がないことを示していた。玄関の下駄箱の上には、妻の携帯電話と防毒マスクが置かれていた。私の革靴の隣には、妻の青い靴が並んでいた。それは彼女がどこへ行くにも必ず履いていく、一番のお気に入りだった。
 タンスにしまった服もクローゼットの鞄も、化粧台の指輪も化粧道具も、洗面所の歯ブラシも、すべてが昨日のまま、妻だけが神隠しにあったように消えていた。
 私は頭が真っ白になってしまった。
 あらゆる感情が消え失せ、時間の感覚を見失った。
 何を思い、考え、どんな感情を抱けばいいのかわからなくなった。
 今すべきこと、これからするべきことがわからなかった。
 ぐるぐると部屋を見回すうちに、急に床が抜けた。
 それは抜けるというより、木造の硬質な床が一瞬にして底なし沼のようになって、下へ下へ沈んでいくような感覚だった。
 突然吐き気がこみ上げ、泥酔したように足元がふらつき、立っていられなくなった。体勢を崩し、何かにすがろうともがいたが遅かった。
 頭を殴られたような痛みと同時に目の前が真っ暗になり、私は意識を失った。
 気が付くと、私は居間の床に倒れていた。
 口の中いっぱいにすえたような味がした。
 目の前には、床にぶちまけられた吐瀉物が広がっていた。
 めまいと吐き気を催した私は、倒れて気絶していたようだった。
 私はふらつきながらなんとか立ち上がり、悪寒に震えながら床を掃除し、服を着替えて口をゆすぎ、倒れ伏すように寝床に横たわった。
 幾日過ぎたのかも覚えていないほど、高熱にうなされて眠った。
 何日目かの夜中に目覚め、私は寝室の灯りをつけた。
 隣を見た。そこには空のベッドがあった。
 それは疑いようもなくゆるぎない現実を私に突きつけていた。
 ベッドに手を伸ばしたが、怖くなって途中で手を引っ込めた。
 間違いなく、妻は消えた。消えた。消えてしまった。
 ようやく私は自分の身に降りかかった事態を把握した。
 だが、その事実を私は受け入れられなかった。
 受け入れられるはずもなかった。

     ***

 妻と知り合ったのは、十八のときに遡る。
 当時、私たちは高級住宅街の一角にある、名門私立大学の学生だった。
 キャンパスのある土地柄から、外交官や大企業の役員などの良家の子女が多く通っていた。
 妻はその中でも飛び切りの名家の出身であった。なにしろ父親は我が国の高度経済成長期を牽引し、世界中にそのブランドを知らしめた大手電子機器メーカー創業家の長男だったし、母親は旧公爵家の血を引き、時の第一党で最大会派を率いる大物代議士の娘だった。
 隆とした家柄に比べて、妻の容姿はいかにも地味だと言う者がいた。しかし、それはたいてい外国かぶれした者たちの妄言だった(彼らは国力も文化の水準も女たちでさえも、自国より外国の方が勝っていると信じて疑わなかった)。
 彼女はまさしく、この国の女が持つ美を体現していると言ってもよかった。
 ややもすると歳よりも幼く見える柔らかな顔立ち、鈴のように円い瞳、落ち着いた物腰でありながら時折見せる愛嬌のある仕草。それらからは、たおやかでしおらしく、女らしい気品があふれていた。どこにいても常に彼女の周りは人が取り巻き、異性の耳目を引き付けた。
 その頃の私はと言えば、明日の飯代にも事欠くような苦学生だった。家は汚い下町にある貧しい大工職人で、養蚕業で財を成した叔父の援助を受けてどうにか大学に入れたのだった。
 妻とは同じ学部だったが、その身分の差は見えない壁となって立ち塞がった。どんなに学業が優秀であっても、私は彼女の前では貧しく卑しい自分を意識しないわけにはいかなかった。貴く清純な彼女には近寄りがたく、声をかけることすら躊躇われた。顔は知っていても、面識はないも同然だった。
 もちろん若かった私は、他の数多の男たちのように彼女に惹かれていたし、彼女との交際やセックスを夢想することもあった。その反面、それが叶う可能性など万に一つもないと理解していた。あるいは、そう一方的に思い込んでいた。赤い電波塔で彼女と会ったあの日までは。

 その日の午後、講義が引けたあと、私は大学から直接電波塔に向かった。
 実を言えば、私はこの街の生まれにも関わらず、それまで塔に上ったことがなかった。それを知った学友が、君も下界で悶々としているばっかりじゃなくて、一度てっぺんからこの街を見てみるといい、金持ちが毎日見ている景色が拝めるぞとからかった。
 顔を合わせるたびにしつこく冷やかしてくるので、なんだ塔ぐらい、と私は半ば勢いで、ストリップ劇場の給仕で貯めた金をはたいて入場券を買った。平日だったからか、展望台へ向かうエレベーターに乗る人はまばらだった。戦後復興の象徴だの街のシンボルだのと散々持てはやされているくせにこの程度の客入りかと、私は落胆した。箱が上るにつれ、なけなしの金を一幕見に使ってしまったことを後悔した。しかし、展望台に着くなり、私のそんな気持ちは雲散霧消した。
 塔の頂上から望む景観は、今までに見たどの光景よりも圧巻だった。
 端がどこかわからないほど際限なく広がる街並み。樹海の木々のように数えきれない建物が立ち並び、その合間を目抜き通りが縦横無尽に網目をつくり、黒粒を撒き散らしたようにたくさんの人が行き交っている。その一人一人の、なんとちっぽけなことだろう。おまけに普段見上げるように巨大なビルまでもが、ここからでは簡単に折れてしまいそうなほど細く頼りない。
 自分が生まれ育ち、勝手知ったるはずの街の、あまりの威容さを前に私はただただ圧倒された。己の無知と存在の小ささに足がすくみ、めまいを覚えた。情けないことに、しばらく壁にもたれて目を閉じ、休まなければならないほどだった。
 どのくらいそこでじっとしていたろう。ふっと顔を上げると、視線の先に見知った女がいた。
例の彼女だった。
 後ろ姿で黒っぽいコートを羽織り、足元の快晴の空のような青い靴以外は地味で目立たなかった。しかし高貴な家柄の人間が持つ、独特の凛とした品は隠しようもなくこぼれていた。
 いつからそこにいたのかはわからない。一見したところ、彼女は一人で来ているようである。
 そのことは私を驚かせるには充分であった。彼女は学校へも必ず黒塗りの高級外車で送り迎えされていたし、構内では常に女中らしい家の者がそばに付き従っていたからだ。
 後ろ姿からその表情は窺い知れなかったが、彼女は窓際の柵の前に立って、静かに眼下の風景を眺めているようだった。
 彼女の姿はどことなく他の見物客とは一線を画していた。周りの連中が、腰をかがめたり猫背になったりして「おお」だの「わあ」だの、子どものような声を漏らして目を丸くしているのに対して、彼女はどこか余裕綽然としていた。彼女は腹の前で両手を重ね、三ツ星ホテルの給仕のように背筋をピンと伸ばしていた。その姿には、何か確固たる自信のようなものが纏われていた。さながら一国一城の主が城下町を鳥瞰しているような風格さえあった。
 そんな彼女の姿に見とれているうちに、私は一つの気付きを得た。
 もしかしたら、私は彼女をあまりに特別視しすぎていたのではないだろうか。どんなに高貴な家柄であっても、決して彼女は殿上人などではない。父親は創業家の生まれでも、初めから世界的な富豪であったわけではない。電子機器メーカーを起こして事業を拡大し、収益とブランド力を向上しようとする意志と行動の結果、富豪になり得たのである。
 翻って私も決して人間に値しない奴隷のような身分にいるわけではない。言い換えれば、私だって意志と行動しだいで彼女と同等の、いやそれ以上の地位と富を獲得することもきっと可能なのだ。
 現に私は自分の稼いだ金で入場券を買い、ここにいる。ストリップ劇場の給仕などという世間に顔向けできないような賤業であるにせよ、仕事には違いない。金を借りたわけでも、賭博で得たあぶく銭でもない。努力と言うには大仰だが、しかし誠実に働いた結果、対価として得た金で彼女と同じ場所に立っている。自分の出自や貧しさに劣等感を抱く必要などないのではないか。
 この気付きは、にわかに私の心に自負心を芽生えさせた。それは先ほどまでの私にはなかったものだった。今の私は、塔を訪れる以前の厭世的で皮肉屋で、己の矮小さに足がすくんだ卑しい私ではなかった。
 これが妻との“出会い”であった。

     ***

 その後のことは、はっきりとは覚えていない。おそらく私がその場で彼女に話しかけ、学校で顔を合わせるうちに自然と交際が始まったのだと思う。ともかく、その日から私の人生は、大きく舵を切った。
 彼女は貧乏人の私を見下したり、自分の裕福さを鼻にかけたりするようなことはしなかった。
 もっとも彼女の両親に対しては、そう簡単に事を運べなかった。彼女ほどの家ともなると、交際するにしても両親の、特に父親の承諾なり許しが必要だった。
 しかしこれは私の想定内であった。財産も身分もない私はただ愚直に、自分の勤勉さと実直さをもって彼女に苦労はさせないことを訴えるだけだった。ご一家のご先祖も、一技術者から身を起こし、世界でその御社名を知らぬ者はいないまでの大会社へ成長させた。その足元に及ばずとも、私も先達を見習い切磋琢磨したい――。
 もちろんすぐに両親から歓迎されるようなことはなかったが、干からびた大地に一本一本木を植えていくように、私は地道に彼らの不信と偏見を取り除き、信頼を勝ち得ていった。
 その結果、私が独力で大手銀行に就職した後は、彼らの方から私と彼女の結婚を示唆するほどになった。あとはとんとん拍子だった。二十代半ばで私は彼女と結婚し、銀行に十年ほど勤めた後、彼らの会社に迎え入れられ、出世街道を邁進していった。
 結婚し、伴侶となってからの彼女も申し分なかった。気立てが良く穏やかで、常に夫である私を立て、自分は一歩下がった。常に私の意見に賛同し、自分よりも私のことを優先した。私を敬い慕い、謙虚で控えめで良くも悪くも主体性や積極性とは無縁の女だった。
 貞操を守り、私以外の男を知らなかった。私の求めを拒むことなく、いついかなるときも私の欲求を満たした。私は子供を持つことを強く望んだが、結局設けるには至らなかった。妻はそれを深く恥じ、毎晩のように泣きはらして私に詫びた。運命を呪ったが、私は決して妻を咎めたり責めたりすることはなかった。周囲には別れを勧める者もいたが、私は頑として跳ねのけた。そんな自分を頼もしく誇らしく思った。
 私情を差し引いても、私たちは理想的な夫婦だった。常に周りからは羨望の眼差しを浴び、持てはやされ、夫婦仲を称賛された。
 妻は私を理解し受け入れ、私に付き従うことを喜んでいた。私は彼女の主人であり、彼女を守り、養い、先導した。
 逆に妻は私にとっての宝器だった。
 彼女の瞳は、口は、手足は、すべては私だけのためにあり、妻は私に威厳と自負心を与え、欲望を満たし癒やす存在であった。
 私の社会的成功と満ち足りた私生活は妻によってもたらされた。

          ***

 妻の失踪を警察に届け出たが、いくら待っても捜査に進展は見られなかった。
 妻は自発的に家出したか、認知症などによる徘徊で行方知れずになったのだろうというのが彼らの見立てだった。もちろんそれらを示す形跡も証拠もなく、いたずらに時間は過ぎていった。
 私は警察を見限って、自ら捜索に乗り出した。
 そうは言っても、彼女の失踪に思い当たる節はなく、何から手をつければよいか、それすらわかりかねた。
 せめて手がかりだけでもと、私は妻の交友関係を当たった。妻の両親や兄弟はすでに亡くなっており、連絡先は友人や知人に限られた。しかし大半がもう長い間妻とは会っておらず、所在は知らないという回答だった。近所の住民にも聞いたが、すべて徒労に終わった。
 それでも私は諦める気にはなれなかった。
 官庁や役所に何度も電話し、手紙を書き、粘り強く交渉を重ね、やっとのことで妻を探すための外出許可を得た。一日たった二時間、行動範囲も自宅から二キロ圏内と制約は多かったが、探しに出かけられるだけ幸運だった。
 融通の利かない体に鞭打ち、私は自宅を中心に弧を描くように方々を見て歩き回った。
 家々の窓越しに妻の写真を見せて、近所で見かけたか尋ねた。
 ほとんどの家は突然の訪問者を警戒した。警察か役所を装った押し込み強盗だと恐れて、顔すら見せず、時には扉越しに立ち去るよう脅された。
 行き倒れの死体に出くわすたびに、私は心臓の凍り付くような思いで立ち止まり、どうにか勇気を振り絞って身元を確かめた。不幸中の幸いか、そのどれも妻ではなかった。身元のわからない死体も、例えば着ている服が妻らしいかどうかで判別した。
 どれくらいの期間、探し回っただろうか、とうとう探す当てが潰え、私は最寄りの駅に向かうしかなくなった。
 この鉄道は、都市封鎖以後も唯一運行の継続を許された公共交通機関だった。
 市外へ通じるたった一つの渡し船は、食料品などの物資か、治安維持部隊の兵士を輸送する用途に限られ、当然一般市民の乗車は禁じられていた。
 仮に乗る機会があるのだとすれば、それは死んだときだった。市中に堆積し、処理できなくなった死体を時折運搬するのも、この鉄道の役目であった。
 だから私が駅に通うのは、妻を探すというよりもある種の保証を得るためだった。
 貨物列車の荷台に横たわった死体を一体一体見て、妻ではないことを確認した。それが保証であり、私はわずか一時でも安心し、夜もどうにか眠ることができた。
 そうしなければ、私はとても正気を保っていられなかった。

コメント(5)

     ***

 この日、列車はなかなか姿を現さなかった。
 戒厳令以前のように分刻みでダイヤが決まっているわけではないが、それでもこの時季はおよそ日の沈む前には必ず列車が駅を通った。
 列車を待つうち、私はいつの間にか眠っていた。
 普段はどれだけ待たされても、緊張の糸が緩むことはなかった。
 しかしこのときは、まるで眠ることが義務付けられていたかのように深く寝入ってしまった。
 それから、私はこんな夢を見た。

 夢の中でも、私は防毒マスクを被り、駅のベンチに腰掛けて列車を待っていた。
 心のうちに抱える虚無感もホームからの眺めも、現実の私をそっくり写し取ったようであった。
 気付くと、ホームに女が立っていた。
 黒っぽく丈の長いコートに、よく晴れた空のような青い靴を履いていた。
 後ろ姿で顔は窺い知れなかったが、十七、八ぐらいに見えた。
 背筋をピンと伸ばし、列車がやってくるだろう線路の先をまっすぐ見つめているようだった。
 どういうわけか、私は女から視線を逸らすことができなかった。
 女は私の注意を引き付ける、強烈な何かを持っていた。

 まもなく列車がホームに現れた。
 列車は見慣れた貨物列車だった。
 ほぼ真四角のくすんだ赤い先頭車に、コンテナを積んだ車両が数台続いていた。いつもはコンテナの代わりに死体を積んだ車両があったが、夢の中では見当たらなかった。
 列車は音も立てず、緩やかに停止した。
 ちょうど女の前に停まったコンテナの扉が、まるで乗れと誘うように開いた。
 コンテナの中に何があるのか、私の角度からは死角になって見えなかった。
 女はゆっくりと足を踏み出し、列車に乗ろうとした。

 その瞬間、私は急に言いようのない衝動に突き動かされて、ベンチを立った。
 それは焦りにも怒りにも恐れにも似た感情だった。
 ともかく女が列車に乗ってしまえば、私にとって取り返しのつかないような事態になる気がした。
 女の意思や気持ちは問題ではなかった。
 私は女のもとに駆け寄り、その腕を掴んで強引にホームへ引きずり落した。
 夢の中では、私の体は若さを取り戻したように軽快で力強く、活力に満ちていた。
 膝の痛みだの強張った腰だの、痛みや違和感そのものが消えていた。あるのは猛烈な全能だった。すべてが自分の思い通りになるような気さえした。
 腕を引かれた弾みで、女は体勢を崩し、あっけなく倒れた。
 私は仰向けになった女に馬乗りになった。
 女は私から逃れようと、子供のように手足をじたばたさせた。私は両腕を掴んでねじ伏せようとした。
 女の顔は防毒マスクに隠されてわからなかった。女は私と同じような、顔の全面を覆う形のマスクを着けていたが、目元をくり抜いた窓はサングラスのように黒一色でその瞳を見て取ることは叶わなかった。
 女はしばらく暴れていたが、しだいに諦めたようにおとなしくなった。まるでライオンに喉元を噛みつかれたシカが、自分の運命を悟り、受け入れたかのようだった。
 私は殺した獲物を充分に味わうように、手中に収めた女をまじまじと眺めた。
 私に組み敷かれたまま、女は荒い呼吸にあわせて胸を上下させていた。
 抵抗したため、コートの下のブラウスが破れて女の豊満な胸元が露わになっていた。
 私は思わず目を奪われた。
 ついさっき張り替えた弦のように、余計なしわ一つたるみ一つない、引き締まった肌。
 しみもくすみも見当たらない肌は、うっすらと上気し、色づいた白桃のように淡い紅が浮かぶ。手を触れると、それは艶やかでありながら柔らかく、まるでさらさらと流れる清水の水面をなぞるようだった。
 女の、若者の肌とはこんなにも美しかっただろうか。
 こんなにもなめらかだっただろうか。
 私は感激のあまり、体が震えた。
 それは赤い電波塔で初めて街の全景を目にしたときと似ているようで、また違ってもいた。
 私は体の奥深い根幹から、熱い衝動がこみ上げるのを感じた。
 先ほどまでの焦燥や苛立ちや恐怖は嵐の過ぎ去るように消え、代わりに抑えがたい欲求が全身を覆った。
 しっとりした若い女の肌を見つめながら、私はこれこそ自分の求めていたものだと悟った。
 私はこの女を支配しなければならない。
 髪の毛の一本からつま先まで、私の物にしなければならない。
 私の意志を行動を遮るものはなかった。
 私は自分のマスクをはぎ取り、女の破れかかったブラウスを引きちぎって乳房に食らいついた。女は先ほどよりも激しく抵抗し、めちゃめちゃに私をたたき殴った。私は女の手を振り払い、タイミングを見計らって思いっきり顔面を殴りつけた。硬いプラスチックのマスクごしだったが、拳に痛みは全く感じなかった。
 女の怯んだ隙にスカートを裂き、下着を破り、局部からにじみ出た女の汁に吸い付いた。局部は熱したように熱く湿っていた。女はまたしつこく暴れだし、上体を起こし身をよじって私を振り解こうとした。しかしどんな抵抗も無意味だった。私は女の後ろ髪を掴み、勢いをつけてアスファルトの地面に叩きつけた。女を仰向かせ、再び顔を殴り、殴り、殴った。
 女は血を滴らせて動きを鈍らせた。私は無我夢中で下着を下ろし、性器を挿入しようとした。
 ところが、この期に及んで私は勃起することができなかった。
 全身にみなぎる若い力は、局部だけ老人に差し替えられたかのように力なく失せていた。
 私は懸命に、若い頃のあのゆるぎない力を思い出そうとした。
 かまどから出したばかりの、赤く炎を纏った鉄のような、剛健さを情熱を、思い出そうとした。
 しかし何をどうしようとも、馬鹿のように無力をさらすばかりだった。
 全身を支配していた渇望は消し飛び、心をかき乱されるような混乱に私は打ちのめされた。
 耐え難い屈辱に、私は自分を見失った。
 私は取りつかれたように女をひたすら殴った。怯んだ隙に全体重をかけて女の首を絞めた。
 女は渾身の力を振り絞って抵抗したが、結果は言うまでもなかった。
 女は白熱電球の消えるように、やがてゆっくりと動かなくなった。
 どれくらい時間が経ったか、私はやっと我に返った。
 私は女に跨ったまま、遠くのビルとビルの谷間から覗く、赤い電波塔を見つめていた。
 見下ろすと、若い女の半裸の死体があった。
 頭の下には赤黒い血が広がって、アスファルトに池をつくっていた。
 女の手、指先には抵抗した跡か、大小の切り傷と擦り傷が走って、爪は何枚か割れ、血が滲んでいた。
 首には、私の両手の跡が紫色のあざになってくっきりと残されていた。
 私は全身が一気に凍りつくような悪寒を覚えた。
 にわかに呼吸が荒くなり、体中が痙攣したように震え、めまいがした。
 腹の底からこみ上げる不快感に耐え切れなくなり、私は女の顔に胃の中の全部をぶちまけた。
 急速に意識は遠のき、私は殴られたような痛みを覚えるのと同時に気を失った。

     ***

 たった今見たものは夢だったのだと、私は自分に言い聞かせ平静を取り戻すのにだいぶ時間を費やした。
 上着にまで染みるほどぐっしょりと汗をかき、目覚めてからずっと吐き気と頭痛がする。
 眠っている間に列車が行ってしまったのではと恐れたが、確かめる術は何もなかった。
 線路の先に目を投じ、どうか今から列車が来るように念じるほかない。
 手前のホームの端には、青い靴を履いた死体が助けを求めるように線路に手を伸ばしたまま転がっていて、私は吐き気に耐えかねて目を逸らした。

 また雲間から夕陽が顔を出し、ホームは赤く染まった。
 駅の壁時計を見ると、帰還の制限時刻まであといくらも残っていなかった。
 やっと平静を取り戻したというのに、私はまた落ち着かなくなった。
 理由のない焦りと苛立ちと恐れが、私を絶えず揺さぶった。

 その間にも、赤い電波塔の背後では刻一刻と日がたしかに沈んでいく。消えていく。
1万字を越えてしまったので、分割してアップしました!
読みづらくてすみません。。

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