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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第128回 王都作『無言の「ふざけるな」』(テーマ選択「灰」「知恵の輪」「豆」)

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仮1部:1982年 秋:文化祭発表会「我が家のルーツ」

 「高橋さん、準備はいい? ……では、お願いします」

 担任の先生の合図で、教壇に立った敦子は、いつになく厳粛な面持ちでした。
 普段の「豆子」というあだ名を拒絶するかのような、鋭い眼光。彼女の首元には、母・匡子のタンスから勝手に持ち出した、紫色の絹のスカーフ(実は「きもの屋大原」の高級品)が忍者の覆面よろしく巻かれています。

  1. 忍法・豆散らしの術

「皆さん、驚かないで聞いてください。……我が高橋家には、歴史の裏側に葬られた『真実』があるのです」

 敦子はテキパキとした手つきで、教壇の上に一袋の「そら豆」をぶちまけました。

「これは単なる豆ではありません。隠密が空腹を満たし、時に敵の足を止めるために撒く『撒き菱(まきびし)』の代わり……。私は今日、この場で、我が一族に伝わる秘伝の体術を披露します!」

 クラスメイトがポカンとする中、敦子は教壇を飛び降り、教室内を縦横無尽に走り回りました。無駄にキレのある動き。スカウトされかけた奇術部の素質が、ここで牙を剥きます。


  2. クライマックス:消える黒豆

「そして、これが極意……『高橋流・影消し』!」

 敦子はポケットから一粒の黒豆を取り出し、クラスで一番人気の男子の目の前で、指先を鮮やかに弾きました。
 シュッ、という音と共に、黒豆が消える。
 ……ように見えましたが、実際には器用すぎる指先で相手の筆箱の中へシュートしただけ。しかし、本人は完璧な忍術だと思い込んでいます。

「……私の血には、消された歴史が流れている。以上です」


  3. 無慈悲な「パンパカパーン!」

 沈黙。
 静まり返る教室。
 その静寂を破ったのは、教卓に置いた敦子のラジカセから流れる、録音しておいた自作の効果音でした。

 『パンパカパーン! 豆子、参上!』

 自分の声を加工した間抜けなファンファーレが虚しく響き渡る中、敦子は得意満面で印を組みました。






  2026年:敦子のボヤき

 このシーンを思い出しながら、57歳の敦子は水戸の街を歩き、震える手で顔を覆います。

「あああああ……死にたい。今思い出しても死ねる……! あの時の私に飛び蹴り食らわしたい! 忍者どころか、ただの『豆を筆箱に放り込む不審者』やったやんか! しかもあのスカーフ、おかんが賭博の軍資金にするはずだった大原の特注品やったんやろ? 肩透かしどころか、人生の全自動黒歴史製造機やわ、ボケェ……!」




パンパカパーン! 妄想のくノ一忍法帖

「パンパカパーン! 発表しまーす!」

 1982年、梅雨入り前の私立女子中学校。放課後の文芸部室に、ひとりの女子生徒の裏返った大声が響いた。
 机の上に広げられたのは、真っ白な模造紙と、国語科・社会科合同課題のプリント――『自分のルーツを調べて来い!』。

「ちょっと豆子、うるさいわよ。原稿用紙に向かう精神統一が乱れるじゃない」

 部長の涼子が眼鏡を押し上げながら冷たく言い放つ。
 |豆子《まめこ》こと、本名・高橋敦子。ピーナッツ、そら豆、黒豆、とにかく豆類をリスのように頬張る姿から命名された、文芸部で最も「華がない」と言われる中学二年生だ。

「いい? 涼子さん。これはただの宿題じゃないの。私、見つけちゃったかもしれないのよ。……高橋家の、恐るべき真実を!」

 敦子は器用な指先で、カチカチとシャープペンの芯を出す。
 昨日、居間で見た光景。すい爺ちゃんが、押し入れの奥から「戸籍がねえからなぁ」とボヤきながら、古びた、それこそ忍者の巻物に見えなくもない汚い和紙の束を引っ張り出していたのだ。

「うちのすい爺ちゃん、出身地不明、戸籍なし! これ、普通じゃないわ。きっと幕府の隠密か何かで、明治維新の時に身分を隠して……」

「はいはい、豆子の妄想が始まったわよ」
 部員たちの冷ややかな視線。しかし敦子は止まらない。
 自らの胸を軽くポン!と叩いて堂々と、

「この|私《わたくし》、来年は灰色の受験生。私服はさておき、制服だってパッとしないし、身長だって伸び止まり。でも、血筋が『隠密』だったらどう? 教室の隅で豆食べてる私、実は敵の動向を探る忍びの末裔……。これ、主役いけるでしょ!」

 ついついうっとりする敦子。
 なぜか頬が桃色に染まっている。
 彼女の脳内では、すでにシブがき隊のNAI・NAI 16が繰り返し流れ、自分が黒装束で校舎の屋根を駆ける姿が再生されていた。

「とにかく! 証拠を掴みに、これから水戸の中央図書館へ行ってくるわ。そこには『|尊卑分脈《そんぴぶんみゃく》』っていう、すごい家系図のボスみたいな本があるらしいの。司書の人にもアタリをつけてあるんだから」

「……あんた、意外と行動力だけはあるわね」

 呆れる部員たちを背に、敦子は通学カバンをひっつかんだ。
 カバンの底には、お守り代わりの「いかり豆」の袋。
 この時、敦子はまだ知らなかった。
 図書館で待ち構える司書・|投網《とあみ》はつが差し出す一冊の本が、自分の人生を「主役」にするどころか、44年後に盛大なズッコケをかます「壮大な前振り」になることを。

「行ってきます! 忍法・チャリンコ疾走の術!」

 西日の差し込む廊下を、敦子はテキパキとした足取りで駆け抜けていった。




運命のレファレンス・カウンター

 水戸中央図書館への道中、敦子は自転車のペダルを漕ぎながら、すでに自分の名前が歴史の教科書の脚注に載る妄想に耽っていました。

         ・・・

 放課後の図書館は、静まり返った墓場のようでありながら、知の熱気が澱(よど)んでいる独特の空間だ。敦子は額の汗を拭いもせず、一直線に「調査相談(レファレンス)」のカウンターへと向かった。

 そこに座っていたのが、投網はつだった。
 年齢は30代半ば。ひっつめた髪に、汚れ一つない事務服。彼女は眼鏡の奥の瞳を和らげ、敦子の鼻息の荒さを包み込むように尋ねた。

「……今日は何を、お探しですか?」

「あの、自分のルーツを調べに来ました。高橋家……江戸時代は水戸藩か、そのあたりで特殊な、こう、公にできない任務についていた家系だと思うんです。戸籍がないんですよ、うちの祖父!」

 敦子はカウンターに身を乗り出した。普通の大人なら「空襲で焼けたんじゃない?」と一蹴するところだが、はつは違った。彼女は敦子の「器用に動く指先」と、カバンから覗く「いかり豆」の袋を交互に見て、ふっと意味深に微笑んだ。

「まあ、戸籍がない……。それはきっと、深い事情がおありなのね」

 はつは立ち上がり、閉架書庫(一般の人は入れない秘密の倉庫)へと繋がる重い扉を開けた。戻ってきた彼女の手には、ズシリと重そうな、革張りの分厚い本が抱えられていた。

「これを見なさい。『尊卑分脈 仮』。……日本中のあらゆる名家の血筋を網羅した系図集よ。ただし、これは『仮』とあるように、表には出ない記述が含まれている写本なの」

 敦子の心臓が跳ねた。「仮」!「表に出ない」! なんて甘美な響きだろう。

「高橋さん、いい? 歴史というものは、ただ読むものではないの。行間に隠された、誰かの『執念』を指先でなぞるものよ」

 はつに促され、敦子は震える手でページをめくった。
 そこには細い筆跡で、びっしりと名前が連なっている。敦子の器用な指先が、ある一角で止まった。

「……あ」

 そのページの角だけ、わずかに紙の厚みが違う。糊で薄い紙が貼られ、その上から別の家系が上書きされているような……。普通の14歳なら見逃すような違和感。だが、手品師にスカウトされかけた敦子の指先は、その「隠蔽の跡」を鮮やかに捉えた。

「はつさん、ここ! 何か隠してあります!」

「あら……。よく見つけたわね。その下に何が書かれているか、想像できるかしら?」

 はつは、まるで獲物が罠にかかるのを見届けるハンターのような、柔らかくも鋭い視線を敦子に向けた。

「これ……きっと、じいちゃんの先祖が忍びだったから、身分を消した跡なんだ! 徳川の裏に高橋あり! そういうことですよね!?」

「ふふ。……そう思うのなら、それがあなたにとっての『真実』の始まりかもしれませんね」

 はつの肯定とも否定ともつかない微笑。
 敦子は確信した。自分は選ばれし末裔だ。
 カバンの中の「いかり豆」が、まるで忍者の兵糧丸(ひょうろうがん)のように思えてきた。

「ありがとうございます! 私、これで最強のレポート書きます!」

 勢いよくお辞儀をして走り去る敦子の背中を見送りながら、投網はつは独り言を漏らした。

「……器用な子。でも、その指先が暴くのは、あなたが期待しているような『光』じゃないかもしれないわよ、豆子さん」

 その呟きは、夕暮れの図書館の静寂に吸い込まれて消えた。




母、花札、秘密。

 1982年、高橋家のリビングは、常に「嘘」と「欲望」が混ざり合った、奇妙に浮ついた空気が漂っていました。



  偽りのきもの袋と、母の「勝ち逃げ」

 ある日の夕方。敦子が文芸部から帰宅すると、玄関に派手な「きもの屋大原」の紙袋が鎮座していました。居間に入ると、母・匡子が鏡の前で、まだ仕付け糸も取っていない絹の帯を体に当てて、怪しくニヤついています。

「おかん、また買ったん? それ、なんぼしたんよ」

 敦子の呆れ顔にも、匡子は動じません。
「敦子ん事ァようけわからんけど、これは『投資』や。大原の奥さん(美奈子)が言ってたわ。ええもんを身につけてれば、運は向こうから転がり込んでくるんやって」

 匡子の瞳は、どこか異様にギラついていました。彼女が抱えている袋の中身は、着物だけではありません。その底には、大原の店主との「秘密の勝負」で勝ち取った、現金や裏の配当が隠されていたのです。

 当時の「きもの屋大原」の奥座敷は、水戸の有閑マダムたちが集う闇の賭場。匡子にとって着物を買うことは、そのスリリングな鉄火場へ立ち入るための「入場料」に過ぎませんでした。



  1982年冬:高飛車な娘と、博徒の母

 それから数日後。
 図書館で投網はつから『尊卑分脈 仮』を見せられ、自分が「忍者の末裔」であると100%確信した敦子が、鼻息荒く帰宅しました。

 居間の襖を開けると、そこには異様な光景が広がっていました。
 母・匡子が、近所の主婦たちと車座になり、畳の上に花札を叩きつけていたのです。

 「……勝負(こいこい)!」

 パシィィィン! と、乾燥した冬の空気を裂くような鋭い音が響きます。匡子の指先は、家事の時とは別人のように冷徹で、鮮やかでした。

 それを見た敦子は、冷めた、しかしどこか優越感に満ちた溜息をつきます。

(……ああ、おかん。またそんな浅ましい遊びに耽って。可哀想に。あんたは自分の血筋がどれほど高貴なものか、これっぽっちも気づいてないんやね。
 先祖が闇に隠れて国を動かしていた隠密やというのに、その末裔が小銭を賭けて札をめくるなんて……。本当の『裏の仕事』ってのは、そんなもんじゃないのよ。ああ、教えられないのがもどかしいわ)

 敦子は、自分の懐に隠した「図書館の複写資料」の感触を確かめながら、ギャンブルに狂う母を「無知で哀れな凡人」として見下しました。

 一方の匡子は、娘の視線など一顧だにしません。
「敦子、邪魔や。そこ、シケ(不運)が寄るからどきな」

 母は「現実の金」を、娘は「偽りの誇り」を。
 同じ屋根の下で、二人はそれぞれ全く別の「嘘」に酔いしれていました。



  背景:1980年代「きもの屋大原」の危うい空気

 当時の大原美奈子が仕切っていた呉服店は、まさに「女たちの修羅場」でした。
 表向きは、バブル直前の華やかな呉服販売。しかし一歩奥の座敷へ入れば、そこは慇懃無礼な挨拶と、花札が畳を叩く音だけが支配する空間。

 美奈子の手腕:負けが込んだ客には「この着物を買えば、次は勝てますよ」と、高い反物を売りつける。
 すい爺の暗躍: 実は、時折この座敷の「お茶汲み」や「雑用」として出入りしていたすい爺が、器用な指先で札を混ぜ、娘である匡子が致命的に負けないよう調整していた……という可能性。

 敦子が「忍者の隠密活動」だと思い込んでいた家族の不審な動きは、すべてこの「地方都市の湿ったギャンブル・コミュニティ」を円滑に回すための、泥臭い誤魔化しに過ぎなかったのです。



  2026年の敦子の総括

「あの時、おかんを『可哀想な凡人』やと思ってた自分を、往復ビンタしてやりたい……! あんたの方がよっぽど命懸けの『裏社会』に片足突っ込んでたやんか! 忍者の末裔どころか、『博徒の娘』やったんや、私は……!」



 さて、これで「母のギャンブル」と「娘の勘違い」が、きもの屋大原を舞台に鮮やかに交錯しました。




2部:2026年:畳の下の「証拠品」から

 2026年、水戸の夏。
 かつての「高橋家」は、ショベルカーの重機に囲まれ、その役目を終えようとしていました。
 57歳になった敦子は、解体業者が入る直前の、すっかり家財道具が運び出された空っぽの居間に立ち、最後の見分をしていました。



  2026年:畳の下の「証拠品」

「高橋さん、すみません。床板を剥がす前にちょっと見ていただけますか?」

 作業員に呼ばれ、敦子は埃にまみれた居間の隅へと向かいました。
 かつて母・匡子が、定位置のように座って花札を叩きつけていた、あの場所です。畳が剥がされた床板の、経年劣化でできたわずかな隙間に、黒い薄っぺらな何かが挟まっていました。

 敦子は、かつて奇術部にスカウトされた、あの衰えない指先を隙間に差し込み、それを慎重に引き抜きました。

「……これ、花札やん」

 それは、1982年のあの日。敦子が「忍者の末裔」として母を憐れんでいた、まさにあの勝負の最中に匡子が「どこいったんや!」と血眼になって探していた一枚の札――『柳に小野道風(雨の二十点札)』でした。


  逆転の種明かし

 敦子は、その札の裏側を指先でなぞり、絶句しました。
 札の裏には、目立たないように、しかし確実な凹凸で「小さな傷」がつけられていたのです。

「……ガン(目印)や」

 すい爺がつけたのか、あるいは母・匡子自身がつけたのか。
 それは、相手の手札を見破るための、初歩的で、しかし絶対的な「イカサマ」の痕跡でした。

 敦子の脳裏に、44年前の光景がフラッシュバックします。
「高貴な血筋に気づかないお母さん、可哀想」とドヤ顔で見ていた自分のすぐ足元で、母は必死にこの「イカサマ札」を隠し、あるいは探して、生き馬の目を抜くような勝負に興じていたのです。


  「ふざけるな」の完結

「……ハハッ、……ハハハハハ!」

 空っぽの居間に、敦子の乾いた笑い声が響きました。

「忍者の末裔? 歴史の主役? アホ抜かせ。うちの家族、全員ただの『イカサマ師』やないか。
 じいさんは戸籍を偽造し、おかんは札に傷をつけ、私は……私はその横で、存在もしない忍術に酔いしれてた。
 全員、やってること一緒や。自分を偽って、なんとかその場を凌いでただけやんか」

 敦子は、その「雨の札」を握りしめました。
 カエルの飛びつきをじっと見る小野道風の図。それは、チャンスを待ち、泥臭く生き残ろうとする高橋家そのものの象徴に見えました。

「肩透かしええ加減にさらせ……。ボケェ……ッ!」

 最後の「ボケェ」は、涙混じりの、しかしどこか清々しい咆哮でした。
 偽物の歴史に縋(すが)っていた自分との、本当の決別。
 敦子は、その古い花札をポケットにねじ込むと、解体業者に力強く頷きました。

「もういいです。……全部、壊しちゃってください!」

 重機が動き出し、高橋家の「嘘の城」が崩れ始めます。
 敦子は、現場を去る足で、コンビニへ寄りました。
 買ったのは、高級な和菓子ではなく、一袋の「ピーナッツ」。

 それを一粒、器用に口へ放り込み、ガリリと噛み砕く。
 その音だけが、今の彼女にとって唯一、嘘のない「真実」の音でした。




2026年:はつへの再訪と「真実の指先」

 2026年。
 久方ぶりに乗っている田舎仕様の運賃後払い式バスの一番後ろに陣取って、知恵の輪をスンナリ外して悦に入るおバカな年配の女が、いました。そしてポソッと、

「まだ居るかなあ?それとももう居ねえかなぁあのババア」

 やっと着いた水戸市立中央図書館。
 かつての面影を残しつつも、デジタル化が進み、すっかり様変わりした空間に57歳の敦子は立っていました。

 手元にあるのは、亡き母・匡子の遺品整理で見つかった、あの司書・投網はつからの古い手紙。そこには一言、「答え合わせに来ませんか」と、閉架図書の請求番号が記されていました。



 カウンターにはもう、はつの姿はありません。しかし、指定した番号で出てきたのは、45年前、敦子の運命を狂わせたあの『尊卑分脈 仮』そのものでした。

 敦子は、年を重ねたものの相変わらず器用な指先で、あのページを開きます。
 中学生の頃、「忍者の隠蔽工作だ」と信じ込んでいた、あの「紙の厚みが違う箇所」。

「……今なら、わかるわ」

 敦子は、かつて手品師にスカウトされた際、密かに教わった技術――「紙の層を傷つけずに剥がす」繊細な指使いで、その上貼りをゆっくりとめくりました。



  剥がされた「嘘」の正体


 そこから現れたのは、隠密の記録でも、高貴な家系図でもありませんでした。

 現れたのは、「借用書の断片」。
 そこには、すい爺の旧姓である「小川」の名と、当時の「きもの屋大原」の先代、そして何より驚いたのは、“投網菊太郎―若き日の投網はつの実父の名”が、証人として記されていたのです。

「……そういうことやったんか」

 敦子は、乾いた笑いを漏らします。
 すい爺は、賭場での借金や身分偽装の工作を、当時の図書館関係者(はつの父)に泣きついて揉み消してもらっていた。その「揉み消した証拠」を、はつは敢えてあの時、中学生の敦子に見せたのです。



  はつの本当の意図


 背後から、杖を突く音が聞こえました。
「ようやく、その『種』を明かしましたね」

 振り返ると、車椅子に座った、白髪のはつがそこにいました。80歳を超えてなお、その眼差しは鋭いままです。

「はつさん。あんた、最初から知ってたんでしょ。私がこれを『忍者の末裔の証拠』やと勘違いして、一生ドヤ顔で生きていくのを笑ってたん?」

 はつは、穏やかに首を振りました。
「笑ってなどいません。……ただ、あなたの指があまりに器用だったから。その指が、いつか自分の家の『恥』を、自らの手で剥がし取る日が来るのを見てみたかった。他人が書いた偽物の物語(ルーツ)を卒業して、自分自身の人生を始める瞬間をね」



  敦子の「無言のふざけるな」


 敦子は、剥がした借用書の断片を、はつの前でひらひらと振ってみせました。

「卒業って……。あんた、ええ格好しすぎや。おかげで私は50過ぎまで『うちは特殊な家系やから、普通の仕事は似合わん』なんてスカして、結局何者にもなれんかったんよ?」

 怒りが込み上げ、喉まで「ボケェ!」という言葉が出かかります。
 しかし、敦子はそれを飲み込みました。

 剥がされたページの下、すい爺の筆跡で、小さく書き添えられていた言葉を見つけてしまったからです。
 そこには、系図の書き換えを頼んだ際のメモでしょうか、
『この子が、豆を食って笑える平和な世の中でありますように』
 という、不器用な願いだけが記されていました。

「……ほんま、……ふざけんなよ、すい爺」

 敦子は、はつに背を向け、カバンから一粒の「黒豆」を取り出して口に放り込みました。
 ガリッ、と強い音が静かな図書室に響きます。

「はつさん。この借用書、私が買い取るわ。……高橋家(偽)の、最後の主役としてね」

 57歳の「豆子」は、かつてないほどテキパキとした足取りで、夕暮れの図書館を後にしました。
 その背中は、どんな忍者の物語よりも、ずっと泥臭く、そして誇らしげに見えたのでした。



(完)

コメント(4)

面白く読みました。高橋家の三代にわたる「指先の技術」が、それぞれの「嘘」と「真実」を象徴しているのが非常に鮮やかです。「隠密の忍者の末裔」として高尚な血筋と自分の家系を誤解していた手先が器用な主人公が、真実を知り、自分の人生を最後の主役として、誇りを持って生き抜こうとするエンドが秀逸です。隠密自体が真の姿を隠して生きる存在なので、その隠密の血筋というのが虚構だったという二重の意味でのメタファも効いています。本来なら、これまで信じていたものが一瞬で崩壊し180度世界観が変わるという、1945年8月の夏の日や、今回の選挙で、リベラリズムの砦で、宗教の政治への関わりを批判し、原発の全廃止を訴えていた某党が、突然中道になって、原発OK、宗教の組織票は心強い味方ということになり、元からの支持者にとっては「なんじゃこれ」みたいな虚無感が広がるような展開の話です。それが、真実の誇りを背に自分の人生を力強く生きるという深みのあるラストになっている点、読後感が清涼な感じでよいと思いました。
期せずして、今回の王都さんの作品と、JONYさんも参加の連作小説は、どちらも「嘘」と「真実」の狭間で生きる主人公の話になりましたね。

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