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読み人倶楽部の読書会コミュの第28回読書会☆報告☆『だれのための仕事ー労働vs余暇を超えて』

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久しぶりの古巣アイプラザで行った第28回読書会。今回は労働と余暇の関係について哲学・思想方面からアプローチした『だれのための仕事ー労働vs余暇を超えて』(鷲田清一著)を扱いました。参加者それぞれ異なるバックグラウンドを持っているなか、何らかのカタチで働いているという点ではみな共通です。各自の実体験に基づく労働観が垣間見えて、充実した読書会でした。

「前のめりな生」に関する話の中で、自分たち自身がどのような労働観を持って子供時代を過ごしてきたかのみならず、子供が労働観を形作る際の想像力の限界にまで話が及んだ事は、大きな収穫だったのではないでしょうか。「仕事をして生活する人」のロールモデルって通常は、自分の家族ぐらいしかいないものです。それをいかに複数化して選択肢を広げていけるかということが、一つの家族のみならず社会全体の責務であるような気がしますね。


本書のキーワードである「インダストリアス」(勤勉・勤労)について、特に「余暇までもがインダストリアスな心性に支配されている」という文脈については、参加者間での実感度に差が出たでしょうか。当然、何が正解で何が間違いだ、という話ではないのです。唯一求められるべき事柄があるとすれば、それは、自分の労働観を相対化すべし、ということです。

「相対化」というのは、徐々に抽象度を上げていく本書を読み進めるうえで必要な心構えであったかもしれません。見方によっては「脱線」、あるいは「何のことを言っているの?」となりかねない書き方を著者が本書においてしているのは、インダストリアスな心性"のみ"に生が支配されていると人は潰れてしまうとの洞察のもと、そこからの脱出口としての「遊び」「身体」「他者の顔」などを提示するためなのです。

相対化といえば、読書会ではあまり展開できませんでしたが、「近代化以前の第一次産業従事者」と「エグゼクティブ」を両極とした直線上に今の自分を位置づけしてみるのも面白いかもしれませんね。それは直線ではなく、あるいは図形・立体になるかもしれない。その際に他の項には何がくるでしょうか。想像するのです。

そんなこんなで、余暇の時間が終わればまた労働の時間が始まるわけですが、のびのびと、それこそ「夢を編みなおし」ながら生活していきたいですね。
あと、結局「待ち人来らず」でした。是非またの機会にお越しください!

コメント(2)

「近代化以前の第一次産業従事者」と「エグゼクティブ」を両極とした直線上に今の自分を位置づけしてみると、エグゼクティブとは程遠い位置にあるような気がします。でも、読書会とか好きなこともやってるからそんなに遠いわけでもないのかも…。

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