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雄山神社コミュの雄山神社

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神社由来(前立社壇):
前立社壇は、平安初期に建てられた立山寺(岩峅寺)を前身とする神仏習合の施設。
岩峅寺における立山信仰の拠点であった。
開祖佐伯有頼が、立山権現の化身である白鷹の泊まった白鷹の断崖の正面に位置し、
この地より立山開山の伝説が始まった。
武将や公家からの信仰も篤く古来より「立山権現」への献上品はこちらに奉納された。
立山に入山する者の身の穢れや罪を湯立ての神事にて祓い道中の無事を祈願した。
現在も周辺には宿坊や旧登山道、石仏などが点在する。
宿坊には立山曼陀羅が現在でも残されており、全国の門徒に立山信仰を広めた。
また、脇を日本一の暴れ川と称される常願寺川が流れ、
たびたび水害をもたらした事から、現存の規模になっているが、
この施設から流されたものが、御神体になって作られた神社が、
下流地域にいくつもあることから、昔は今よりも大規模な施設であったと推測される。
佐伯有頼が建立した当時の建物はすでに古文書の中にしか無く、
現在残っているものは源頼朝が修復・再建し、足利義材が修復したものが受け継がれている。
その為か神社の建物に菊の紋章が入っていない珍しい神社でもある。
立山信仰の入り口に位置している特性上、
本殿を挟んで両脇に鳥居(表鳥居・東鳥居)と、
神門(表神門・東神門)が存在する作りもこの前立社壇の特徴の1つでもある。




神社由来(中宮祈願殿):
中宮祈願殿は、かつて中宮寺(芦峅寺)と呼ばれた神仏習合の施設。
芦峅寺における立山信仰の拠点である。
立山の主峰「雄山」を正面に頂く位置にあり、
開祖佐伯有頼は、この地で晩年を過ごした。
古来より武将や公家の信仰も篤く「お姥様」への献上品が奉納された。
周辺に宿坊や、女人救済のための行事を行なう布橋などがある。
女人禁制の立山信仰において、立ち入る事が出来た最終地でもある。
芦峅寺の信徒は、「一山会」と呼ばれる独自の組織をなしていた。
彼らは16世紀以降、諸国配札檀那廻りを行い、立山の縁起図や立山牛王紙、
そして薬草や薬紛などを配置し、翌年に代金を受け取っていた。
越中売薬の起源とも呼ばれる組織である。
境内奥に西本殿(立山大宮)と東本殿(立山若宮)がある。
「祈願殿」は江戸時代までは大講堂と呼ばれていた建物で、
雄山大神を始めとする立山山中36社の神が合祀されている。




神社由来(峰本社):
霊峰立山を神体とし、立山の神として伊邪那岐神(立山権現雄山神・本地阿弥陀如来)・
天手力雄神(太刀尾天神剱岳神・本地不動明王)の二神を祀る。
神仏習合の時代には仏教色の強い神社であり、立山修験の源であった。
また、元明天皇や後醍醐天皇の勅願所でもあった。
峰本社(みねほんしゃ)、中宮祈願殿(ちゅうぐうきがんでん)、
前立社壇(まえだてしゃだん)の3社をもって雄山神社とする。
所在は富山県中新川郡立山町芦峅寺(あしくらじ)から、
岩峅寺(いわくらじ)にかけた一帯、
広くは地獄谷や弥陀ケ原を含む立山連峰全域である。
岩峅寺及び芦峅寺の「峅」と言う文字には「神様の降り立つ場所」の意味がある。
峰本社、祈願殿、前立社壇の3社は3位1体の性格を持っているため、
どの社殿に参拝してもご利益は同じとされている。
これは山頂の峰本社には旧暦の7月〜9月までしか参拝できない点及び、
祈願殿は主峰雄山を正面に頂き開祖が晩年を過ごした点、
前立社壇から立山開山の話が始まるなど、
3社が各々独自に立山信仰に深く位置付けられている点、
加えて古くは岩峅寺の前立社壇より山頂の峰本社まで、
宮司が歩いて通ったと伝えられることや、
今でも前立社壇の宮司が峰本社の宮司である事にも由来される。




祀神: 伊邪那岐神・天手力雄神




危険・警告本文全て、
「雄山神社」のウィキペディアより転載しました。

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