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ねこると創作クラブコミュの第六回ねこると短編小説大賞応募作品No.4『魔術探偵』

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「……三べん回って、煙草にするか」
 男は懐中電灯を床に置き、防火用水のバケツへ歩み寄った。
 帝都の大通りに面する、この界隈でも屈指の宝石店。職務を終えたシャンデリアの代わりにこの空間を照らすのは、まばらに配置された非常電灯のみ。毛足の長い緋色の絨毯は、足音をことごとく飲み込んでしまう。白昼の煌びやかな喧騒とはうって変わったこの静けさが、かえって彼の心をざわつかせていた。
 斯様に文明が進んでも、やはり夜を昼にすることは容易ではないらしい。よれた煙草をつけてマッチをバケツへ放り込む。紫煙の向こうに、宝石類を修めたガラスケースが並んでいる。
――夜が明ければ、百円だ。妙な気を起こしたところで仕方ない。
 前金で五十円、契約の期間まで何事もなければ百円。サラリーマンの月収を超える報酬で、彼は宝石店の用心棒をかって出た。賊を成敗できればさらにもう百円を積むというので、前金のほとんどをはたいて新式のドイツ製ピストルを買ってある。最も、一度も抜く機会のないまま明日の満了を迎えようとしているのだが。
――契約を更新してやらねば、このパラブラム銃も不憫かな。
 そんなことを考えながら、男が懐の獲物に触れたとき。
 どおん。
 地響きに似た鈍い音、次いで通路の向こうからわめき声が聞こえてくる。ややあって銃声も始まった。
「……お出ましか?」 
 煙草をバケツに放り込んでピストルを抜き、男は音のした方へ駆け出す。
 飛び込んだ通用路には、驚くべき光景が広がっていた。
 床にぐったりと倒れて動かない、数名の男たち。その中心に、見上げるほどの人影が立っていた。まばらな照明のせいで、顔立ちはおろか体全体が真っ暗に見える。
 男はピストルを構え、賊の腰辺りをめがけて発砲した。
 大陸仕込みの射撃の腕は確かで、銃弾は過たず賊を捉える。
 しかし。
 賊は怯む様子もみせず、ゆっくりと男の方を向いた。
「うぬっ」
 胸板に狙いを移し、二発、三発。九ミリの大口径弾をものともせず、賊はこちらへ向かってくる。
 六発、七発……八発目。
「くそ!」
 弾倉を交換する隙を好機と見たか、賊は男に飛び掛かる。
 間一髪で再装填を終えた男のピストルは――狙いをつける間もなく宙へ舞った。


此の頃帝都に流行るもの、魔術、外法に錬金術。

悪しく賢しく面妖な、ハイカラ気取りの怪人どもが、
鉄のあぎとを光らせて、我ら市民に迫りくる。

立ちはだかるはひとりの男。
知恵の都はフィレンツヱで、科学哲学西洋魔術、
神秘の粋を一度に修めた、欧州帰りの快男児。

巷に流れる彼の名は、誰が呼んだか「魔術探偵」。
今宵は涙か血煙か、大活劇の幕が開く。


 陽の昇りきらないうちから、帝都の大通りは野次馬と新聞記者、それらを押し返す警官でごった返していた。
 人気のまばらな深夜を狙い、銀行や商店に押し入って金品を盗む強盗事件。今回で実に八件目を数え、最近では昨晩どこが怪盗の餌食になったとか、今度はどこの大店が危ないとかいった噂話が帝都民の挨拶がわりとなっていた。
「警部殿!」
 騒ぎの中に到着した背広姿の若い男を見とめ、制服の警官が駆け寄って敬礼する。
「ご苦労。状況はどうだい?」
 警部と呼ばれた男は目を細め、髪をかきあげた。氷雨一角(ひさめ かずみ)。「警視総監の懐刀」と呼ばれる、警視庁きっての秀才だ。
「――手口は、これまでと同様であります。夜間に店舗の裏手を破って侵入し、金品――今回の場合は宝石類を根こそぎさらって逃走。ただ」
「ただ?」
「この宝石店を営む来島翁は、このところの事件に対しかなり警戒をしておりまして。用心棒に短銃を持たせ、店内を警備させていたそうですが」
「……賊の姿を見たものがいたと?」
 氷雨が眉をひそめて報告を遮った。
「はい。みな口を揃えて『見上げるほどの大男だった』と。……全員賊の返り討ちにあい、病院に搬送されております」
「ピストルを持っていたんだろう?」
「それが……銃弾などまるで効果が無かったと」

「そうか」
 氷雨は僅かに唸って、懐からロシア煙草の包みを取り出す。銀のライターで火を付けようとして、彼の動きが止まった。
「きみ、ひとつ確認してくれないか」
「はっ、なんでありましょうか」
 思わず不動の姿勢を取る警官に、氷雨は口元から離した煙草の先で店の片隅を差す。
「誰か、彼がここへ入ってきたところを見たものはいるかね?」
 驚いて振り向いた警官の視界の先には――うずくまって何かを探している男。
「なっ……何奴ッ!」
 慌てて駆け寄ろうとする警官を片手で制し、氷雨はゆっくりと男に歩み寄る。
「しばらくだね、早乙女君」
 男はその言葉に顔を上げると、こちらに微笑みかけて立ち上がった。氷雨と同じか、少し若いかも知れない。小奇麗な洋装に、人懐こそうな顔立ち。長めの髪をうなじの辺りでくくっている。
「これはこれは、氷雨警部。そうだね、半年――いや、もっとかな」
 この男、名を早乙女蓮也(さおとめ れんや)という。欧州で学んだ神秘学の専門家……実際のところ、彼については氷雨もそれほどの情報しか得ていない。
「貴様、どこから入った!?」
 警棒を握り締める警官の肩をなだめるように叩き、氷雨が煙草をつけてから口を開く。
「それで……なにか気になるものでもあったのかい、早乙女君」
 再びかがみ込んだ蓮也の指差す所を、氷雨は覗き込む。
 毛足の長い深紅の絨毯に、褐色の飛沫が跳ねていた。
「泥だよ、警部。店のあちこちに、泥が跳ねている」
「……泥?」
「そう。泥の痕はショウケースの間をぐるりと回って通用路を通り、また勝手口から外に出ている。通用路のあたりが一番ひどかったな。壁や床に、所々ぶちまけたように飛んでいた」
「確認していたか?」
 氷雨の鋭い眼差しに、警官が思わず不動の姿勢をとる。
「はっ! いえ、店内が泥で汚れていたのは認識しておりましたが、そこまでは……」
 氷雨は苦笑して、傍らにあった防火用水のバケツに煙草を放り込んだ。
「恥ずかしながらご覧のとおりだ、早乙女君。やはり君は、警察か探偵に職を変えた方がいいのじゃないかな」
 氷雨の指摘に蓮也は例の泥を懐紙に包む手を止め、人懐こい笑みを作る。
「遠慮するよ、警部。僕はあくまで研究者だ。犯罪ばかり探求しているわけにはいかないのでね。では、これで失礼」
「こら、現場のものを勝手に――!」
 警官が呼び止める間もなく蓮也は踵を返し、野次馬たちの間をすり抜けて去った。
 それを見送った氷雨の沈黙に耐え切れず、警官が口を開く。
「も、申し訳ございません警部殿。現場の警戒は十分に――」
「安心したまえ。彼が此処にいた事で、きみたちを責めるつもりはない。私だって彼の出現を阻止できた試しはないのだから」
 虚空を見つめたまま静かに答える氷雨の言葉に、警官はためらいがちに問いかける。
「……お知り合い、でありますか?」
「特に親しいわけじゃない……たまに、ああやって現れるんだ」
 氷雨は今一度ロシア煙草をつけ、溜息とともに紫煙を吐いた。

 帝都の中心街から少し外れた洋風建築の建物に、早乙女蓮也は居を構えていた。
 元はカフェーか何かであったのを震災の折に破格で買上げ、改築を重ねて住まいとしているのである。
 元の用途が用途だけに、住居とするにはあまりに広すぎるかと思いきや、さにあらず。
 彼の生活空間を除いた各部屋は膨大な彼の蔵書を収めた書架や怪しげな実験器具で埋め尽くされており、ほとんどが倉庫のような様相を呈している。それでいてなお、彼は身の回りのあれやこれやを何処にしまおうかなどとぼやいている有様なのだ。
 びーっ。
 来客を告げるブザーの音が響き、彼は書物から顔を上げた。
 が、またすぐに手元へ目を落とす。
 びーっ。びーっ。
「全く。いつ聞いても、無粋な音だ」
 わざわざ取り付けさせた先進技術に難癖をつけて、彼は渋々立ち上がる。
 ドアを開けると、背広姿の男が髪をかきあげて会釈した。
「……氷雨警部」
 
「よく、ここが分かりましたね」
「それが警察の仕事だからね」
 出された珈琲の香りを確かめるように口をつけて、氷雨がこともなげに答える。品の良い細面の顔立ちに、落ちつき払った口調。ひとつ息をついて、彼は目を細めた。
「しかし、突然すまなかった。研究の邪魔では?」
「いえ、調べ物は概ね片付いたところです。多少の寝不足は否定できませんが」
 氷雨の視線が鋭くなった。
「先日の泥のことかい?」
 笑みをたたえたまま答えない蓮也に、氷雨はカップを置いて切り出す。
「早乙女君、君の研究している神秘学とは一体どういうものなんだ? 以前にも君が奇跡を起こすのを見ているが、どうも君の業は、ただの学問の延長とは思えない」
 蓮也は肘掛に頬杖をついて、暫し沈黙した。人懐こい笑みは消えない。
「『奇跡』とはいささか恐縮だが――よろしい。ごく簡単に説明しましょう。煙草を一本頂けますか?」
 煙草を受け取った蓮也はそれを口に咥え、机上のマッチ箱からマッチを一本取り出した。
 刹那、マッチの先端がひとりでに燃え上がる。
 連夜は煌々と燃えるその炎で煙草をつけると、火のついたマッチをガラスの灰皿に置き――
 ぱちん。
 彼が指を鳴らすと同時に、灰皿が炎に包まれた。
「っ!?」
 氷雨が顔を背けた時には既に、炎は掻き消えている。
「今のは……まやかし?」
「いや、確かに燃えました――これはマッチだ。本来、火がついて然るべきものだ。故に、火をつけるのは容易い」
 自分のカップに口をつけて、蓮也が続ける。
「火を灯すのに火種が必要なように、魔術の力を行使するにはヱーテルが必要だ。僕らの起こす現象は、全てこのヱーテルに働きかけることによっている」
「俄かには、信じがたい話だね」
 炭化したマッチの残骸を覗き込みながら、氷雨が呟く。
「……警部は、大気を見た事が?」
「なに?」
「ご存知のとおり、大気は目に見えない。しかし我々は風を体に受けることで、この空間は大気で満たされていて、しかもそれは流動していると分かる。呼吸をすることで、我々の体内にも大気が満たされていると知れる……ヱーテルも大気と同じだ。この世界に、またあらゆる物質の中に満ちている。ただ」
 煙草を消して、連夜は懐紙の包みをテーブルに放り出した。
「――ヱーテルが大気と違うのは、そう容易には流動しないということだ。ある手順を踏んでヱーテルに働きかけた時そこに流れが生まれ、そしてその働きに晒された物質にはその痕跡が残る。……本題に戻ろう、警部。この泥はヱーテルの投射を受けている」
 氷雨は眉をひそめたまま懐紙を取り上げ、その中身を検分する。
「つまり、賊はそのヱーテル投射なる業を使って、泥を自在に操っていると?」
「ユダヤの秘術に、泥人形を生み出し使役する術理が伝わっている。その応用かも知れない」
 氷雨は懐紙をテーブルに置くと、銀のライターで煙草をつける。沈黙のまま一本を吸い終わり、珈琲を飲み干した。
「――泥のことはうちの連中にも調べさせたよ。今年入った巡査に左官の息子がいてね、土塀の材料にする山泥ではないかと言っていた。この辺で山泥を扱っている所は限られているから、今から行って調べを付けてみようかということになった。同行願えるかな」
「喜んで」
 蓮也もならってカップの中身をあおり、人懐こい笑みを浮かべた。

 
 電灯の灯った道路を自動車が通り、都市の中心部には近代的な集合住宅が建ち並ぶようになって久しいこの大正の世でも、帝都の民の大半は依然日本家屋の借家や木造の長屋に住んでいるのが現状である。
 その長屋の一角――薄汚れた畳敷きの部屋の中で、着流しの男が黙々と作業をこなしていた。
 異国の文字が記された羊皮紙を短冊状に切り分けて、文字に切れや掠れがないか、羊皮紙自体にも傷みがないかを確認し選別していく。
「さすがさすが、ご精が出ますこと」
 顔を上げると、いつの間にか土間への下り口に女が腰掛けていた。
 艶やかな栗毛を腰まで垂らした、東洋人離れの顔立ち。燕尾の背広に山高帽という男装である。
「……あんたか」
 女の風貌を気に止めることもなく、男は作業に戻る。
「ぁらン、つれない。先日の分け前をお持ちしたンですのよ?」
 舌足らずな口調でそう言って女は居間にあがり込み、卓袱台の上に革袋を置く。
 男はその中身――二十円金貨を一枚取り上げて確かめると、鼻を鳴らしてそれを再び革袋へ放り込んだ。女はそれを見て眉を寄せる。
「ンん、もっと嬉しそうにして下さいナ。最初はあンなに喜ンでいたじゃありませんか」
「――ああ、嬉しく無ぇ訳じゃねえんだ。だがよ、最近は不思議と金なんかに興味が無くなってきた」
 男は羊皮紙の一枚を取り上げた。
「あんたのくれたこの護符を使えば、鉄砲だって怖くねえ事が分かっちまった――コソ泥の真似事だけでは惜しくなってきちまったのさ」
 それを聞いて女は微笑み、ぐっと身を寄せて着流しの裾を掴む。
「お、おい……」
 艶かしい表情に捉えられ、男は思わず息を止めた。
「……素敵じゃありませンか、旦那。それでこそ、カバラの秘術を身に受ける器のひと。これからもずっと、アタクシのためにその力をお貸しくださいませね」
 黒曜石の色をした女の瞳が、怪しい赤に輝く。
「もちろンだ……もう……次の獲物は決まっている……今度は、金塊を」
 女の口元が裂けるように緩んだことに、男はもはや気付かなかった。

 月影の少ない宵闇を待って、男は動き出した。
 街燈きらめく帝都の夜も、少し外れてしまえば辺りはぬばたまの闇。ましてこんな町外れの山手通りに、人影があろうはずもなかった。
 この辺りには左官をはじめとする業者に供給するための山泥が積まれているのだ。柵を乗り越えて雨よけの屋根の下に潜り込み、泥の山に手を触れてみる。適度な硬さと湿り気が伝わった。ちょうど良い塩梅だ。
 男が着流しの袂に手を入れて、件の羊皮紙を取り出した次の瞬間。
「――こんなところで、探し物ですか?」
 突然の声に心臓を吐き出しそうになって、男は振り返る。
 ほぼ同時に、石油ランプの光が男の顔を照らす。
「こう暗くては不便でしょう……手伝いますよ」
 声の主はそう言って、言葉とうらはらにランプを投げ捨てた――次の瞬間である。
 山泥置き場の一角を区切る柵の杭ひとつひとつの先端に、鬼火に似た青白い炎が灯った。
 周囲を青白い光が包み、あたりは一転して昼間のような明るさになる。
 男は眩しさをこらえながら、ようやく声の主を認めた。
 黒く艶めく法衣を身にまとった若い男。
 蓮也である。縛っていた長髪を、今は肩まで垂らしている。
「てめえ……魔術師か?」
「魔術師のそしりは甘んじて受けるが……どうやら君はそうではないようだね。抵抗は止めた方がいい、一里四方を警官隊が包囲しているよ」
「うるせぇ、脅しには乗らねぇぞ!」
「脅しではないさ」
 羊皮紙を握り締めて身構える男の背後から、さらなる声がかけられた。振り向くと、背広姿の男が手帳を構えている。
「警視庁第一特別捜査室付捜査官、氷雨一角警部である。この所の強盗事件について、貴殿に事情を伺いたい」
 男は歯噛みして、手にしていた羊皮紙を泥山に叩きつけた。
「役人め……魔術師なんか雇いやがって! だがな、俺を捕まえようなんて百年早いぞ!」
 男へ歩み寄る氷雨の足が止まった。
 泥山が、脈打ったのである。男は駆け出し、そのうねりの中へ飛び込む――泥の塊は表面を波打たせ、男を迎え入れた。
「魔術師が何だ! 俺にはこの力がある……まとめてひねり潰してやるっ!」
 声とともに男は泥の中に飲み込まれ、姿を消す。
「馬鹿な。一般人が、詠唱も無しでか?」
 声を上げた蓮也に氷雨が駆け寄り、男の消えた泥山を見つめる。
「何が起こるんだ、早乙女君」
 蓮也が答えの代わりに腰の短剣を抜き払う。ほぼ同時に、山の中から大きな手が突き出された。
 続いて顔のない頭が、褐色の胴体が。泥山の中から這い出るようにして姿を現す。
 六尺、七尺――いや、それ以上か。泥の巨人は唸り声とともに、攻撃の相手を見定める。
「これが、君の言っていた業か」
「ゴーレムの秘術です。確かに何も知らずこんなのに出くわしたら、僕だって肝をつぶす」
 眼前の敵を見上げ、蓮也は感心したかのように呟く。存外な速度で繰り出された巨人の拳に、二人はそれぞれ飛び退いた。
 氷雨は自前のコルト自動拳銃を抜き払い、巨人めがけて銃弾を射掛ける。
 宝石店の用心棒達の証言は嘘ではなかった。氷雨の銃から繰り出されるのは米国の荒野で百戦錬磨の無頼漢をぶちのめしてきた.四五口径の大型弾である。にも関わらず、泥人形はえぐれた傷から泥水を垂れ流しながらも攻撃の手を緩めることはない。
「警部、下がって!」
 連夜は叫びながら、手にしていた短剣の刀身を鞭状に変化させていた。
 複雑な軌道で繰り出される刃は巨人の攻撃を払いながら、かつその四肢から確実に泥を削ぎ落としていく。
「……納得いかんな!」
 巨人を翻弄すべく駆け回りながら弾倉を交換し、氷雨は言い返した。
 頭に狙いを定め、コルトを二連射。褐色の巨躯が、たまらずよろめく。
 間髪入れず、もう二発。
――効いている。
 効果を確かめようと照準から目を離した、その一瞬の隙だった。
 巨人の手が氷雨へ伸び――首を掴んで釣り上げた。
「ぐ……!」
「警部っ!」
 丸太のような泥まみれの腕を掴み、氷雨の足が虚空を藻掻く。
 細面の顔立ちを歪ませながらも、氷雨はコルトを巨人の頭部に向け――残る弾丸を全てぶち込んだ。
 跳ね飛ばされた泥をかぶりながらそれを見上げた蓮也は、崩れかけた巨人の東部に光るものを見留めた。
「あれは……!」
 蓮也は咄嗟に短剣を構え、切っ先を淡い光の源へ向ける。
――ヱーテルの風よ、我が下に吹け。
 我は風を創りしもの。か弱き刃を、大いなる魔槍に変えしもの。
「疾く行きて貫け……我は命じ、汝は従う!」
 声とともに短剣がひときわ大きく伸び、輝く光条となって巨人の頭を貫いた。
 暫時の静寂。次いで、泥の巨人は氷雨を地面に取り落とした。
 伸ばした腕の先端から、巨人は形を失って崩壊を始める――氷雨が咳き込みながら力なく立ち上がった頃には、泥にまみれて動かない着流しの男が倒れているのみとなっていた。
「大丈夫ですか、警部」
 近寄って手を貸そうとする蓮也を片手で制し、氷雨は男に歩み寄る。傍らに落ちていた羊皮紙を拾い上げ、蓮也に差し出した。
 三字で綴られた単語の頭文字が貫かれ、丸い穴になっている。
「これが、こいつの切り札か」
「エメス。ヘブライ語で『真理』という意味だが……こうして先頭の一字を消すと、メス――『死』ということばになる」
 蓮也の解説に、氷雨は倒れている男へ歩み寄る。
「まさか、この男も死んだのじゃあるまいな」
 胸板が僅かに上下しているのを見て、彼はひとまず安堵のため息を付いた。


「舶来製ですね。誰のお見立てですか?」
 珈琲のカップを運んできた蓮也が自分の背広を褒めているのだと気づいて、氷雨は苦笑した。
「仕立て屋だよ。背広を新調する言い訳ができたからね」
 その答えに、今度は連夜が吹き出す。
「……奥方に『泥人形と喧嘩した』と?」
「私は独身だよ、言い訳は自分にした。――例の羊皮紙のことは?」
 蓮也は真新しい羊皮紙をテーブルに放り出した。先日の大捕物の後、男の自宅から押収されたうちの一枚である。
「正直、こんなものは初めて見た。高度な魔術の知識を持つ者があの男の裏にいたとしか思えないな」
 氷雨は煙草をつけ、暫し沈黙する。
「――彼からは何も解らなかったよ。何もだ。盗んだ金品も、どこを探しても出てこない。彼に残ったのは、連続強盗の嫌疑だけだ」
 珈琲に口をつけてから、氷雨は身を乗り出して続ける。
「実は、気になって過去の捜査記録を漁ったんだ……今回のように奇天烈な案件がいくつも出てきたよ。これからその中でも特に妙なやつを調べ直してみるつもりだ。状況によっては、君に協力を願いたい」
「……僕に出来ることなら、喜んで」
 氷雨の目から視線を離さずに珈琲を傾けていた蓮也は、不敵な笑みを浮かべてカップを置いた。
 

コメント(2)

<投稿者のねこると.45によるあとがきがあります>
 どなた様もお世話になっております。もう噂は聞きましたか、そしてその目で確かめましたか、毎度お馴染みねこると.45でございます。
 今回のあとがきとしては「大正やべぇ」の一言に尽きますハイ。
 自分で打ち出しておきながら今回のお題は「レトロ」以外にやれる気がしなかったので←、以前からやってみたかった大正ロマン的世界観に手を出そうとして大変なことになりましたとさ。
 大正時代ってば電気エネルギヰは使えるわ一般人が銃器持てるわ、軍部は暗躍するわカフェの女給は魅惑の世界に誘うわ、その断頭台を飛び降りたかと思えば光線銃を撃ちまくり魔人加藤が暴れまわっても帝国華撃団は一歩も引かず小暮先生はモーゼルをぶっ放す、とにかくやろうと思えば何でも詰め込めちゃう日本史の中の四次元ポケット的な存在として非常に魅力的な舞台設定世界観ではあるのですが、とにかくこれが難しい。
 なんかね、書き慣れてないせいかうまく昔の感じにならないというか、その時代の空気感というのが上手く形にならない感じ。情景描写に関してもこの頃のココはどうなってたんだろうかと小一時間考察を重ねる有様。しかも「どろにんぎょう」を変換すると「じゅへ4う」ってなって最初パニック起こしかける始末。もう100分耐久明治十七年の上海アリスをひたすら聴き倒しながら死に物狂いで書き上げました。明治じゃん! あとフラワリングナイト。めーさく!めーさく!

閑話休題。

 今回人外は出てこなかったけど魔法使いは出てきました。魔法の原理を科学する理論体系を確立するってのはねこるとがかねてより取り組んできたテーマでもあり、今回どうにかそれらしき形ができつつあるあたりまでたどり着いた気がしたので実験的に導入してみました。蓮也くんの説明がたらたらと続くのはつまりそういうことです。
 冒頭で瞬殺される用心棒氏が携えていた「パラブラム銃」とはドイツの名銃、ルガーP08の事。ルガーに関しては当時のオリジナル発音が「ルーゲル」になるはずなのでそれに従うほうがらしいかなと思ったのですが、しかしあの銃のことをルガーと呼ぶのはアメリカの輸入代理店が起源なのでうーんどうしようと考えた結果欧州での一般名称「パラベラム・ピストル」から名称を拝借しました。ここからさらに「パラブラム」と訛ったのは大藪春彦先生の影響です。
 氷雨警部のコルトは言わずと知れたM1911、いわゆるガバメント。官給品として米軍に納入されたものが「ガバメントモデル」なので民生用に輸入された彼のコルトは厳密にはガバメントじゃないM1911。厳密ついでに西武の荒野でぶっぱなされたのは同じコルトの.四五口径でもSAAの方ですね。関東大震災が1923年なので、ちょうどM1911からM1911A1に移行する時期のモデルではないかと妄想しながら書いてるあたりひさかた振りに鉄砲ヲタの面目躍如という感じでしょうか。
 例によって長いばかりで中身のないあとがきですが、まあそんな感じでお送りいたしました「魔術探偵」、お目通しありがとうございました。楽しんで頂ければ幸いです。
 また、どなた様も今しばらく第六回ねこると小説大賞にお付き合いくださいませ。
 ねこると”字数が許すなら黒幕のねーちゃんをもっとエロくしたかった←”.45
<読んだ人の感想>
・漫画でぜひみたいですね!!
というかシリーズですかね!
氷雨と早乙女が 晴明と博雅みたいでいいですね。探偵といえばバディものですね。

・わたしの好きな物のごった煮にしたよう……
 最初の男、可哀想だな……(汗)

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