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2013年NHK大河ドラマ 八重の桜コミュの★質問コーナー★(ネタバレも有り)

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質問がある方、こちらでご質問お願いします♪
知っている方は是非ご回答を。

八重さんに関することでも、会津関係のことでも、ドラマ全般のことでもなんでも質問ならばOKです。
同じ時代のことでも、ドラマから離れてしまう質問はこちらではあまり関係がなくなってしまうので「八重の桜」の質問をお願いします。

【注意事項】
質問の内容からどんどん飛躍してしまう時もあると思いますが、その時は状況に応じて
ドラマと歴史を語ろう【ネタばれOK】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=72790470&comm_id=5671922
歴史関係を語るまとめトピ
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=71862777&comm_id=5671922
にまとめている分類に応じて移動してお話しをお願いします。

例えば覚馬のことをがっつりだったりしたら最初から山本家の方がいいと思います♪

コメント(216)

「鶴ケ城開城」の回で、二葉が白布に「降参」という字が書けないので、照姫様が代わりに書くシーンがありましたが、その際に照姫は、まるで寒い日にズボンの両ポケットに手を入れる少年のように、一度袴に両手を入れていましたが、あの所作にはどのような意味があったのでしょうか?
ご存じの方は教えてくなんしょ。
>>[177]
私、詳しくないので、あくまで憶測ですが、白布に向かうのに、姿勢をただしただけかと。
茶道の時など、空いている手はあの位置に当て、肘をグッと張って進みます。
照姫様も前に進んでいかれたので、お作法かと思います。
>>[178]さん
返信ありがとうございます。
お作法というのはわかります。
袴の中に手を入れるのは神を畏れることを表した仕草だとか、そういった由来があるのかなと疑問に感じたため質問した次第です。
>>[180]
解説ありがとうございます。
なるほど。
祐筆と貴人の所作とは面白い視点ですね。
古代の儀式から受け継がれた神聖な所作なのかもしれませんね。
正解かどうかわかりませんが、「袴で階段を上手に上がる方法」として、あるブログに紹介されている方法が、あれでした。
“階段にさしかかったら、袴の脇の隙間から手を入れて「内側から」前部分を持ち上げてやるわけ。これでもうつんのめることはない”
http://bakagaeru.obihimo.com/go/choi2.html
階段だけでなく、狭い空間の中での移動にも有効ですね。
照姫は敷いてある白布を、袴の裾がこすらないように袴を持ち上げて移動したのかもしれません。
>>171
タイトルの変更は逆かも?

公式HPの方が更新されていて
予告映像の方がされてないってことかも? 
降伏が11/6だから、案外手が冷えていて袴の中で暖を取ったのかとも思ったけど違うみたですね

袴着用の剣道部寒稽古でやったかなと思い出してみたけど小手防具してたw
>>[184]
ユーモラスな解説ありがとうございます。
▽歴史上の質問です

今回は会津藩の負債を尚之助個人が負うことになりましたが・・・

廃藩置県後、各藩の莫大な借財はどう処理されたのでしょうか?
▽3件の『離縁のワケ』についての質問(理解力不足による)です

1 梶原平馬が二葉を山川家に戻したワケは?
自身のセリフ通り、平馬が腑抜けになったからという理由だけでしょうか?

2 うらが娘みねを会津に連れて行き育てなかったワケは?
この時代、離縁〜今のシングルマザーみたいな寡婦が子供を育てることは許されなかった?財力?

3 尚之助の離縁状は、訴訟事件に八重や山本家を巻き込みたく無かったからと思いましたが・・・
>>[187]

ありがとうございます。
徳政令を出して、自ら踏み倒しって感じww?

まあ、借財した相手は豪商と豪農でしょうから潰れたところもあったのでしょうか?
うらさんが、「一人で会津に帰る」と旅立ちましたが、自分の実家に帰ったのでしょうか?
みねを一緒に連れて帰ることはできなかったのでしょうか?
うらは「旦那さまが帰ってこなければ、この子が山本家のあととり」と思って育ててましたよね。戦前に、そういうシーンがありましたね。
みねは、「山本家の総領娘」だから、自分が連れていかなかった。「山本家の総領」の覚馬の元に送った。
「せめて、みねは…」という思いもあったでしょう。
もちろん、前の回に出てきたように子連れの女性が容易に生きていける頃ではなかったというのもあると思います。

翻って、梶原平馬さんはすでに隠居の身。
寅ちゃんがあとを継いでいるので、寅ちゃんの後見として二葉さんを指名したような気が。
>>[191] 史実では斗南になっておりますが、現時点でもその後のうらさんの行方はわからないようです。
>>[193]さん
コメントありがとうございます♪

「山本家の跡取り」そう考えれば納得できます!!

>>[194]

コメントありがとうございます♪

うらさん、実際は斗南だったんですね。
米沢から一人で行ったんでしょうね。
その後の足取りがわからないことも寂しいですね…
>>[197]
海運業として明治3年には、日本の会社が東京-大阪間、横浜-大阪-神戸間を結ぶ定期航路を開始しています。
また、それ以前から、アメリカ、フランス、オランダの海運会社が上海と長崎、神戸、横浜を結ぶ不定期航路を就航させています。
当時の船旅は神戸-横浜間で3日、しかし、もし陸路を籠で移動したとすると10日以上かかったそうです。
なので、覚馬と八重の移動は京都から神戸までは馬車、神戸-横浜間は船を使ったという想定が妥当かと思います。
>>[197]
私はその辺全く詳しくないのですが。。。。
「山本覚馬: 知られざる幕末維新の先覚者」 著者: 安藤優一郎
という本には

二人は京都から東海道を東に向かったが、横浜までは人力車、横浜からは開通sたばかりの鉄道に乗り、東京の汐留停車場に到着する。

という記載がありました♪
この内容は↓
http://books.google.co.jp/books?id=039yp3CDbM0C&pg=PT129&lpg=PT129&dq=%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E8%A6%9A%E9%A6%AC+%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%8F+%E4%B9%97%E3%82%8A%E7%89%A9&source=bl&ots=qo_UjCslXT&sig=6YKi8Uray9utvJ1mLSal04yIB3I#v=onepage&q&f=false
で見ることが出来ます。

京都から横浜まで人力車もなかなか大変だと思ってしまいますが、何か記録が残っていたんでしょうか。
とりあえず自分が読んだ本を紹介させていただきました。


※199のコメントは少し訂正するために削除しました
>>[198]
僕も横浜までは航路かなと思いました。
鳥羽伏見の時も会津藩士は和歌山から船で江戸まで退避してますし。

この時は東海道を人力車で横浜まで移動しているそうです。
覚馬にはさぞかし堪えたでしょう。

舗装もされてないだろうし、大井川に橋はもう架かっていたのかな。
八重が汽車ではしゃいだのも無理はないかも。

当時はまだ徒歩移動が主だったのでしょうね。
200のコメントに追伸です。
貼り付けたURL見れないかもしれません。
左側の本をクリックすると出てきますので、全部見ると大変なので最後のページまで一旦進み、4ページ分戻ると(分かりにくくてすみません)書いてある箇所に辿り着きます。
>>[200]
>>[201] ばるぼらさん
そうでしたか、海路ではなく陸路を使ったのですね。
考えてみれば、船便がそうそうタイミングよく出るわけもありませんし、急ぎの旅なら陸路というのが合理的。
人力車だと京都-横浜間は何日かかったんでしょうか?
確かに覚馬にとっては辛い旅だったでしょうね。
>>[204]
明治政府は、1872(明治5)年に日本国郵便蒸気船会社を設立し、東京・大阪間に毎月12回の定期運航などを行なわせました。
なので、2,3日おきには定期便が出ていたと思いますので、陸路にしたのはタイミングの問題ではなく、覚馬の体を気遣ったためかもしれません。
一度船に乗ると途中下船はできませんからね。
>>[204]
憶測でしかございませんが、ヒビキさんのいう通り、やはり、覚馬さんの体を思いやったものかと思います。
乗れば降りられないというのもありますが、それよりまず、階段が急です。
船に乗られるとわかりますが、現代の大型のフェリーでさえ、スペースを省くためにかなり急です。
実習船に乗せてもらったことがありますが、階段はとても狭くて急でした。
それに、たぶんトイレなどもとっても狭いはず。介護しやすいようにはできていないとおもいます。
あとは、秋口だとすると、船が揺れやすい。
特に太平洋側は。
今でも、波が高いときは、妊婦さんはNGになります。そういうのを考えると、雨が降ったら、ちょっと雨宿りをし…というように臨機応変にいける陸路の方が、よかったのでしょう。
なにかあったとき、すぐお医者様にかかれるというのもあるでしょうし。
人力車の人の助けも借りられますしね。

私は船愛好家で、帰省にもフェリーを使いますが、太平洋の揺れは並みじゃぁございません(笑)
>>[208]

私もトップ部分を目撃できていませんが、懐中時計では…と思って観ています。

ただ、当時は高価な物だったろうし…とも思いますが、
女紅場での仕事で必要になったのではと推測しております。
洋装を貫いた女というと、「カーネーション」の主人公を思い出しますね。
八重はなぜ完全な洋装ではなく、和洋折衷の「鵺」スタイルにしたのでしょうか? ご存知の方がいれば教えて下さい。

ところで、写真左はNHKのポスターで、八重が男とも女ともつかないような奇妙な折衷スタイルにしています。短髪は男性のように見えますが、太刀はなく短刀だけを差しています。八重は専ら鉄砲を用いたから、太刀は邪魔になるだけで、武家のシンボルとしては短刀だけでいいわけです。桜を彩った羽織は女性らしさを表現していますが、戦場では目立ちすぎるので、実際には番組ではこの衣装は使用されず、単に八重の心意気を表現した宣伝用の衣装だったのでした。
実際の八重は写真右のように、髪を切り腰には大小二本差して、完全な男装であり、折衷スタイルではなかったのです。
>>[211]

ご参考になるか分かりませんが、公式HPにこんな動画がアップされております。
http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/special/mov/#mov16

最終回の再放送は、いつも通り、明日の十三時五分でしたっけ。

連投失礼致します。

総集編はいつからですか。
>>[213]
おはようございます♪
明日の最終回の再放送ですが13:05〜14:05になるので、スタートはいつも通りです♪
http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/index.cgi?area=001&type=0&date=2013-12-21&tz=afternoon&mode=1&f=top

ちなみに総集編ですが
NHKBSでは12月28日、29日の18:00〜
http://www.nhk.or.jp/bs/lineup/pdf/bspremium_thismonth.pdf
NHK総合では1月2日、3日の16:00〜
http://www2.nhk.or.jp/navi/detail/index.cgi?id=09_0056

となります。

BSあると年内に見れるんですね。
我が家はBSなかったです・・・・・

それより最終回の録画見る前に再放送が来てしまいます(^_^;)
>>[215]

ありがとうございます、助かりました。

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2013年NHK大河ドラマ 八重の桜 更新情報

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