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『山口県観光案内』コミュの用明天皇后の眠る寺『般若寺』

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『般若寺』は、后となるはずだった 般若姫 の菩提を弔うために 用明天皇 の勅願により、山口県熊毛郡平生町に創建され、伽藍建立の施主は 般若姫 の父 満野長者 だといわれる真言宗の古刹です。 御本尊は 弘法大師 作と伝えられる 地蔵菩薩 です。

般若姫は、先に都に上った用明天皇のもとに向かう途中、大畠灘で嵐に遭い、皆を守るため自ら海に身を投じたといわれています。
その悲劇は「般若姫伝説」として今も語り継がれています。

欽明天皇28年(567年)今から1400年前の昔のこと、用明天皇(聖徳太子の父君)の后となるはずだった般若姫は、19歳の時に豊後国(現在の大分県)臼杵(うすき)の浦を出発し、京を目指しました。
120隻の船団で上京中、大畠鳴門の瀬戸で嵐に合い多くの船が沈んでしまいました。

一行は阿月の浦で船泊まりし、柳井津に渡り般若姫の身体を休めることにしました。 姫は喉の渇きを訴え、里人に こんこんと湧き出る清水 を案内してもらいました。 このとき、姫が記念に「柳の楊枝」を井戸の側に挿したところ、一夜にして芽吹き、やがて立派な 柳の木 となりました。この柳の下の井戸が、「柳井」の地名の由来だといわれ、曹洞宗の古刹である「湘江庵」の境内に、般若姫の伝説が残る 柳井の地名発祥の地 として保存管理されており、ここの水を飲むと美人になれるという言い伝えも残っています。
また、近くに流れる「姫田川」も般若姫にちなんだものだといわれています。

般若姫の一行は、しばらくこの浦に船をとどめ行方不明になった供の者たちを捜すと多くの遺体が見つかりました。 姫は「私は、こんなにたくさんの者たちの命を犠牲にしてまで、皇后になりたいとは思いません。」と大変嘆き悲しみ、そして「かりの世に何歎くらんうき船のいずくを宿と定めおかねば」と詠まれました。
その後、渦巻く大畠の瀬戸に身を投げたのです。
驚いた船人たちが慌てて救い上げましたが「二度とこの場所で、このようなむごい事故が起こらないよう、瀬戸の守り神となります。私の亡骸は向こうに見えるあの山に葬ってください。」との言葉を残し、息をひきとりました。
家来たちは大変悲しみ、姫の遺言とおりに向こうに見える山(現在の平生町神峰山)の頂上に埋葬されました。 


般若寺の境内には、般若姫の亡骸と用明天皇の遺髪が納められている「用明天皇・般若姫の御陵」が建立されています。


般若寺の観音堂右側にある三光の窓は、毎年陰暦の大晦日、丑寅の刻、海上から上がる火の玉が、するすると入っていくと不思議な噂もあります。

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