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石城山 〜神籠石に護られし里〜コミュの『邦家之経緯・王化之鴻基』

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石城山麓の登山道入口(三鍛冶屋コース)に『境界石柱』が建立されています。

明治41年に、地元の有志が建立しています。

願主(杉本文吉)様の子孫の方と話をする機会があり「由縁についてはもうわりませんが、石城山に登る新たな参道の入口として建立されたみたいです」と話してくれました。わーい(嬉しい顔)


この 石柱 には

『邦家之経緯』(右柱』 『王化之鴻基』(左柱)
「 国家行政の根本で、王家(天皇家)が存続するための基本 」

と刻まれています。


「王化」・・・ 王者の仁徳で世の中をよくすること(君主の徳化)
「鴻基」・・・ 帝王の大きな事業の基礎(皇基、洪基)
「邦家」・・・ 国家
「経緯」・・・ 秩序を立てて治め整えること(物事の筋道)
「邦家の経緯」・・・ 国家組織の根本
「王化の鴻基」・・・ 王族の指導の基本


『斯乃邦家経緯、王化之鴻基焉』
この一文は、『古事記』の 序文 に見る事ができます。exclamation

(前略)〜 そして天皇は、「私は聞いた。諸家にもたらされている帝紀及び本辞は、既に真実と違っている、多く虚偽が加えられていると。今この時期に、その誤りを改めねば、数年を持たずに、その本旨は滅びてしまうだろう。これは国家行政の根本であり、天皇家が存続するための基本である。ここに、帝紀を撰録し、旧辞を調べ、偽りを削り真実を見定めて、後世に伝えたいと思う。」と言われた。〜(後略)
( 『古事記』[序文]翻訳より抜粋 )


『古事記』とは、原初の時から 伊邪那岐神(いざなぎのかみ) と 伊邪那美神(いざなみのかみ) による国土生成、皇祖神 天照大御神(あまてらすおおみかみ) の誕生、英雄 建速須佐之男神(すさのおのかみ) の冒険、出雲大社の祭神 大国主神(おおくにぬしのかみ) の国譲り、天孫降臨と世代をついで語られる神々の“歴王記”で、『古事記』に登場する神々は多くの神社で祭神として祀られ、今日に至るまで日本の宗教文化に多大な影響を与えています。
そして、天皇家の“時代の支配者”としての 正当性 や 由緒 を語るものとして編集された歴代天皇ごとに纏められた“歴王記”そのものであります。


つまり、『古事記』は国の中央集権化にともなう氏族再編という社会的変動の上に、王家が自らを 天皇 と位置づけるために作られた 系譜 なのです。危険・警告


このような 一文 が刻まれている 石柱 が建ち、神秘的な 神籠石 に囲まれ、数多の御社が鎮座されている 石城山 は、“霊峰”と言うに相応しい魅力的な山(遺跡)ですexclamation ×2

また「王がこの一帯を治め、霊域と麓里との境を標す」という意味合いも含んでいるのではないかとも言われています。るんるん


この『境界石柱』は、昔ながらの 石城八道 には建立されてはいませんが 、石城山を登られる方々の新たな 玄関口(道標) となっています。位置情報

コメント(2)

> 左近さん


神護寺(跡)に 第二奇兵隊 の本陣が置かれていましたexclamation ×2

奇兵隊に呼応し周防地区の志士が中心となり、光市室積(普賢寺)を屯所として創設されています危険・警告
その後訓練強化等の理由により、石城山に本陣を移していますウマダッシュ(走り出す様)
その後、ここを拠点として、四境戦争「大島口」等で活躍しています衝撃

一応霊峰の寺院の加護の意味合いもあったみたいですよ


今度写真アップしますね〜るんるん

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