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メランコリック ヘヴンコミュの「魚の視る夢」

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‐私は…
‐アナタが好きだった。


でも…


‐アナタは彼女を…
‐愛していた…。


私達は、ずっと一緒だと思っていたのに…。


‐私は水族館にいる【虚ろな眼をした魚】になんかなりたくない…。


‐だから…。
‐だから…。

‐アナタの
【生きる為の希望】を頂戴…

コメント(49)



帰り道、突如として私の頭の中に生きる意味が浮かんできた。
あの人との何気ない雑談が私の内に秘めた願望を明確にしてくれたに違いない。

世界は水族館の様な入れ物で…大きく分ければ、人間には、希望に満ちた人と魚の様な虚ろな眼の人との2種類しかいない。

《生きる希望は個人の内》に有る。


‐ならば、《生きる希望》を引きずり出せば良い…。

そして…

‐《生きる希望》を私に向けさせれば良い…。



死んだ魚の様な眼になるまで、《生きる希望》を私に与えてくれれば…


‐私は《希望に満ちた人》として存在出来る筈だ。


私の生きる意味とは…
この世界を水族館として保つ事なのだろう。

だとしたら…
魚を殖やさなければならない。
【世界を保つ為の生贄】が必要だ。



生贄は、親しい人間の方が効果的だと聞いた事がある。


‐でも…
‐どうすれば良い?


想像を巡らす。


‐そうか…
‐親しい人間を他人に虐めさせて、私に助けを求めさせれば良いのか…




【そうすれば、《生きる希望》を私に見出すだろう】


私と幼なじみの水原 香織(ミズハラ カオリ)、そして共通の親友である 片桐 響子(カタギリ キョウコ)は仲が良かった。


仲間の証として、髪型・服装・時計・アクセサリーをお揃いにしていたから、端から見れば奇妙な関係だったのだろう。


だから私は、親しい人間を【生贄】にすると決めた時、この2人だけは巻き込まないと決めていた。


しかし、運命とは残酷だった。

日に日に膨張していく欲望が臨界点に近付いた時の事である。
私は、呪いにも似た言葉を聞く事になった。


香織と響子が付き合っていると言う噂が広まっていたからだ。
勿論、噂は噂だ。
簡単に信じる事は愚かな事だと…私は、2人にそれとなく聞いてみた。


返ってきた言葉は…
【お互い愛し合っているのに文句でもあるの?】



パキッ
心の奥から何かが壊れた音が聞こえた。



‐裏切り行為だ…。
そう思った。


変わらぬ友情を誓ったのを破棄するかの様な言葉。
私独りが世界に置き去りにされたかの様な錯覚に眩暈を覚える。


2人は希望に満ち溢れた瞳で、私を侮辱するかの様に見つめ‐
‐今だからハッキリ言わせてもらうけどアナタは邪魔者なのよ。
と追い討ちをかけた。


バキッ
また壊れた音がする。


‐私の存在出来る新しい世界を早く創らなければならない。

‐その為には…

‐生贄を捧げなくては…

‐大丈夫…

‐上手くいく…

‐これから始まるのは…

‐単なる【遊び】なのだから…



そして…
私は2人の前から消えた。


私の思った通りに【生贄様】の準備に時間は余り掛からなかった。

要は、生贄になる人間と生贄を求める人間を用意すれば良いだけの事だからだ。

生贄になる人間は、幼い頃から知っている水原香織に決めた。
理由は単純だった。


【裏切り】とは、信頼を重ねた時間がある程に、深い罪になる…。

罪を犯した者は罰を受けなければならない。

‐だから…。

‐だから…。


香織の【生きる希望】を身体の内から引きずり出し、死んだ魚の様な眼になるまで、私に捧げさせよう。


‐両の眼から涙が枯れるまで…。

‐私無しでは生きられなくなるまで…。

‐私こそが【生きる希望】なのだと理解するまで…。



生贄を求める人間が重要だった。

数は私を含め、6人ぐらいが丁度良い。人数が多いと制御出来なくなり危険が生まれるからだ。


この遊びを楽しみ、秘密を守れる人間でなくてはならない。

尚且つ、周りから信頼がある人間が良い。


少しは時間がかかるとは思っていたのだが、すぐに見つけられた。


それもその筈だ。
人は、他人を見下す事で自らの内に幸福を感じる生き物なのだから…。


そして、私の理想通りの仲間が見つかった。

聖堂学園で3人。附属中学で2人。
‐想像が形をなし
‐創造へと変わっていった。




彼等との出逢いは偶然だった。

放課後、学園近くにある駅で、いつもの様に【死んだ魚の眼】をした人々を観察していた時の事。


可愛らしい双子が現れた。

【死んだ魚】の群れの中で、人間として存在していたのだ。


また私は、心を奪われた。
あの図書館の近くで出逢った美しい人と同じ感覚だった。


‐ん?
暫くしてから、聖堂学園付属中学校の生徒だと気付いた。


‐あんな子達、いたかな?
聖堂学園付属中学校とは聖堂学園の隣にある。あんな可愛い子達なら噂になっている筈なのだが、そんな噂を聞いた事は無かった。


‐あれ?
その双子を視ていると不思議な感覚があった。

可愛い天使の様な顔。

鏡に映したかの様に同じ顔。

制服と髪型にある違和感に気付く。


男子の制服に身を包んだ子は、腰まで伸びた髪を風に靡かせている。
逆に女子の制服に身を包んだ子は耳が隠れるぐらいの長さしか無かった。


その双子は、楽しそうに話をしながら歩いている。
2人の動きを眼で追う。

‐あっ…。

人の天使が数人の男とぶつかる。
響く怒号。

「何処に眼を付けて歩いてんだ!」


言葉と同時に、可愛らしい男の子は胸ぐらを掴まれた。


周りの視線が集まる。

【死んだ魚の様な眼】
成り行きを視ているだけの眼。
何をする訳でも無く、ただ視ているだけの眼。

「ちょっと止めなさいよ!」
私は言葉を発し、男達に近寄る。


すると可愛らしい男の子は、微笑みながら‐

‐ありがとう♪だけど大丈夫☆
と言った。


その言葉が更に男達の気に障ったのだろう。


「舐めてんのか?コッチに来いよ!」
と男は言葉を投げつけ、男の子を引きずる様に連れて行った。

同じ顔をした女の子も別の男に連れて行かれる。


周りにいた【魚】は、何事も無かったかの様に散らばっていく。


私は、あの双子が気になり、後を追いかけて行った。


駅前で賑わう通りから外れ、裏通りに入っていく。裏通りは、今までの喧騒が嘘みたいに静寂な世界を創っている。
その裏通りに聳える、使われていない廃墟の様なビルに双子は連れ込まれていった。





廃墟と化したビルは、陰鬱な空気を纏っていた。
色褪せたコンクリート。所々、割られた窓硝子。吹き抜ける風が割られた窓からビルの内部へ入ると、人の悲鳴に似た音を吐き出す。

正面には錆びたシャッターがある。倉庫として使われていたのだろう。ギシギシと音を立てる度に、赤黒い錆が蠢く。


右側に入口があるのだが、照明は光を放たない。陽が差し込まないのか、黴の匂いを漂わせている。


-人を拒絶している。
そう思えた。



この場所は、人界ではない。幽界なのだろう。【死】を孕み、【死】を産み堕とす場所。


震える脚に力を込め、ユックリと幽界へと入っていった。
人の気配を探る。

音の鳴る方へ…。


階段の脇に開いた扉があった。
それは倉庫の方へ続いている。
眼を凝らし、中の様子を窺う。
倉庫の中は、闇に近い程に暗かった。眼が慣れてくると辺りの景色が浮かんでくる。
其処には想像していなかった世界が構築されていた。





‐ゴクッ
私は息を飲む。

視界に入り込む、異形の光景。
夥しい数のマネキンが散乱していた。
腕の千切れているモノ。
脚が千切れているモノ。
頭部が千切れているモノ。


アパレル関係の倉庫として使われていた夢の残骸。
今は若者達の集まる場所になっているのだろうか…。


切り刻まれているモノ。
燃やされ溶け爛れているモノ。
眼球部をくり貫かれているモノ。
スプレーで装飾されているモノ。

人の欲望で破壊された、人の形をしたマネキン。


‐うぅぅ…。
その中で呻き声が聞こえた。

‐ビクッ
無意識に身体が反応する。
声のする方へ視線を移した。


マネキンの中で人の形をした影が蠢く。可愛らしい天使がクスクスと笑いながら飛び跳ねていた。


天使が地に脚を着ける度、形容し難い声が響く。
天使の足下で、先程まで威勢の良かった男達が倒れている。
その男達の関節は、有り得ない方向に曲がっていた。


その戦意を失っている男達を天使は笑いながら、踏み蹴っていたのだ。


‐カタッ…
後退りした私は、傍にあった缶にぶつかった。


4つの瞳が私に向けられる。



「あっ…お姉さん♪心配で付いて来てくれたの?☆」

‐…。

‐……。

‐………。

天使からの質問に私は答えられなかった。


「お姉さんって面白いね♪お姉さんの傍にある鏡を見てよ☆」
言われるがままに、傍にある鏡を見る。


其処には、微笑みを浮かべた自分の姿があった。





‐私は…
‐私は…


夥しい数の言葉が脳内を駆け巡る。


‐何で嗤っているの?


繰り返す自問自答。


‐いや…違う。
‐私は《答え》を知っている。



現在、私を埋め尽くしている言葉は…言い訳の言葉だ。私の内に秘めた欲望を装飾させる嘘の言葉。己を正当化させる為の偽りの言葉。


「私は‐」
言の葉が唇から漏れる。
ドロドロとした感覚。


「それはね〜♪お姉さんがぁ☆‐」
遮る様に髪の長い天使が言い。
「僕達と同じ《世界》の人間だから…」
髪の短い天使は続けた。


「同じ世界?」


「そう♪同じ世界☆」
猫みたいにキラキラと瞳を輝かせている。


「だってさぁ〜♪此奴等は《人》じゃないじゃん☆何奴も此奴も【死んだ魚】みたいな眼をしているでしょ?」


髪の長い天使は、屈託の無い硝子の様な瞳で私を見つめる。


‐えっ!?


「生きている事すら他人任せにし…、生命の保つべき本能さえ忘れている肉の塊。」
短い髪の天使は、淡々と言葉を並べた。


‐私と同じ考え…。


「でも♪お姉さんは僕達と同じ☆」
「同胞です…。」


‐あぁ…
‐私は独りじゃないんだ…


心の隙間に。ポカッと空いた空白に。ピタリと隙間無く入ってくる。


‐仲間。仲間。


「ねぇ…聞いてくれる?」
私の内に在る欲望が溢れ出す。

「私ね…。新しい遊びを考えたんだ。」


‐この子達なら理解してくれる…。


「生贄様《イケニエサマ》って云ってね…‐」


そうして私は‐
‐欲望を吐き出した。




双子は顎に指を添えながら、私の話を終始食い入る様に聞いている。それは私に《生きる希望》を与えてくれた、あの人の仕草に似ていた。

厭な顔を微塵もせず、話を聞き終えると、髪の長い天使が甘い息を流した。

「ソレは確かに面白そうだね☆お姉さんの考えだと、後、2人か3人は必要だよねぇ?‐」

そう言って暫く考えてから

「僕達の仲間を紹介しようかぁ?きっと気に入るよぉ♪」
と聞いてきた。

その言葉は私を奮い立たせた。この子達が言うのなら間違いは無いと心が告げる。


「お願い出来る?」
私の顔は微笑んでいたに違いない。これから始まる遊びに《希望》は満ちている。


「あはっ♪今から呼んでみるねっ☆」

携帯を取り出して、耳にあてる。漆黒の髪から覗く耳が小さくて可愛かった。


「理音(リオン)?今、大丈夫ぅ?あれぇ?電波が悪いのかなぁ?もしも〜し?もしも〜し?聞こえるぅ?」


そう言いながら、ユックリと移動する姿は愛らしかった。
先程までの、倒れている【魚】を踏み蹴っていた姿からは想像出来ない。

その髪の長い天使は携帯を髪の短い天使に渡した。

「ここじゃ繋がらないや☆外でかけてみてぇ〜お願ぁい♪」

「ん…?解った…。」
髪の短い天使が外の世界へ消えていく。


‐ん?

髪の長い天使がふと漏らした名前に聞き覚えがあった。

‐理音?まさかね…。


《理音》確かに、その名前の人物を知っている。私の通う聖堂学園で一学年下の男子生徒。学年トップの成績を修めていて、運動に関してもトップクラスの能力を持っている。

だが、私の知る彼とは結びつかない。


ソレは、彼が優等生だからとか、そういった事をするタイプではないとかの理屈ではない。


彼は近寄り難い雰囲気を纏っているのだ。人との関わりを絶っている様子が遠目からでも見て取れるぐらいだ。現に、私は彼が人との関わりを持っているのを見た事がない。


きっと彼は、この世界そのものを見ていない。
この世界が似合わないのだ。

人の世界に存在する、人の形をした別の何か…。

私が知る《理音》とは、そう云うモノだからだ…。


色々と思考が飛び交う後に、髪の短い天使は戻り、

「来てくれるって…。良かったね…。」

と純粋な笑顔で私に微笑んだ。


私は紹介された人物が来るまで可愛らしい双子の天使と話をしていた。


腰まで伸びた髪の子は男の子で名前は明(メイ)。耳が隠れるぐらいの髪の子は女の子で名前は晶(アキラ)。

聖堂学園の附属中学に数日前に入学した事。両親がいない事。養子として、引き取られた事。
2人は、包み隠さず、時に笑顔で、時に悲しそうにクルクルと表情を変えて話してくれた。


‐純粋なんだな…。
と私は感じた。


‐明くんは、明るく感情豊かなタイプ。
‐晶ちゃんは、冷静で淡々としたタイプ。
‐顔は同じでも性格は正反対。

2人の事が少しずつ解ってきた。


「ねぇ?生贄様《イケニエサマ》なんだけど…」

2人に質問をしようとした時、少し離れた場所から音が産まれた。



‐ギギィ
‐ギギギギギッ

それは錆び付いた音。
金属の死骸が悲鳴を上げる音。

‐ギギィ
‐ギギィ


音鳴る方へ、自然と顔を向ける。扉が開き、外界の光が差し込む。暗闇に慣れた眼は外界から差し込む光で、刹那的に視力を奪われた。

眼を凝らして視るも其処に在るのは影だった。


影の様子からは3つの人影だと気付く。


中央に在る高い影。其れの左右に寄り添う凹凸の影。


その影は少しずつ、此方に近付いてくる。


‐あっ…。
その影の正体に気付く。

‐理音くん…。

其処には、人の姿をした別のナニかがいた。



「ごめん。遅れた。」
そう言葉を発したのは、紛れもなく私が知っている理音だった。



‐でも雰囲気が違う。


髑髏に絡み付く蛇の刺繍が施されたスカジャン。
光沢の無い黒いレザーパンツ。
ベージュ色のブーツ。
両耳に輝くフェザーピアス。


‐確か…
‐母親がフランス人だったっけ…


銀色に輝く色素の抜けた髪。
普段は束ねている髪を、無造作な感じでスタイリングをしている。
ほんのりと青みがかった瞳。
普段はしている眼鏡を外していた。


唯一の変わりないモノは、人を拒絶するかの様な空気を纏っている事だ。



「此奴等がさぁ…。」
不意に彼は言葉を紡ぐ。



‐えっ!?
‐何で?
彼の存在感に圧倒されていた私の瞳に映るのは2人の女性の姿だった。


‐私は、彼女達も知っている。

でも…彼等が学園内で親しげにしている所を見た事が無い。
否、接点を感じさせる様子を感じた事も無い。



‐彩音(アヤネ)と鈴華(リンカ)?




理音の右手を遠慮がちに握っているのは彩音。

聖堂学園で私と同学年。
スラリとした身長。純粋な結晶で構成されたかの様な白い肌。肩と腰の中間あたりまで伸びた眩い光沢を放つ黒い髪。前髪は眉毛の上でパツリと揃えている。
白を基調とした女性らしい服。
モデルの様なスタイル。

気取る感じはなく、誰とでもフレンドリーに話す彼女に憧れている生徒は数え切れない。


その彼女が、凛とした声を流す。

「此奴等じゃなくて、鈴華です。」


「んあ?」
理音の左腕に右腕を絡めている女性は左手に持つホットドックを口に頬張りながら、言葉を漏らした。

「だって腹減ってたし…。」

彼女は理音と同学年。つまり聖堂学園2年の生徒。

少し低めの身長。健康的に日に焼けた小麦色の肌。軽く色を抜いた亜麻色の髪。耳が見えるぐらいのボーイッシュな髪型。前髪は顎までの長さ。


青を基調としたスポーティーな服。


バランスの良いスタイル。


子猫みたいに誰とでも接する甘え上手なタイプ。部活には所属していないのに運動能力が高くスポーツ系の部活に依頼されては大会に出場している。

「あっ!!アキラ〜。メイ〜。」
アニメの様な声を鈴華は此方に投げかけた。


「話を反らさないでくれる?貴方がホットドック食べたいなんて我が儘言うからでしょ?」

「だってさぁ。あの店のホットドックはマジで美味いんだぜ。」


2人に挟まれている理音は少し困ったかの様な表情を見せ、苦笑した。





「話は総て、晶から聞いたよ。」
感情が有るのか無いのか理解し難い声。
「人の内に在る《希望》を自らに取り入れ、《希望》に満ちた人間になりたいんだって?」


「はい…。」
私は彼の問いに、そうとしか答えられなかった。

訊きたい事があった筈なのに、何故か私から言葉は産まれてこない。


「手助けしようか?」
私の前に、禁断の果実が差し出された気がした。


‐もう決めた事。
‐私は【死んだ眼をした魚】には成りたくない…。


「お願いします。」


彼は、私の言葉を受け入れると笑みを浮かべ‐
「‐ただし条件がある…。」
と言った。


「条件?」


「そう。条件だ。このゲームが始まったら、君は途中で逃げる事は出来ない。そして、裏切る事も赦されない。簡単だろ?」

‐私は、違う。
‐逃げない。
‐裏切らない。


「解りました。条件に従います。」
私の声は震えていた。歓喜の震えなのか、恐れへの震えなのかは解らなかった。


「生贄様《イケニエサマ》だったかな?それじゃあ、最初の生贄を選ばなきゃな。」


「生贄は…」
‐もう決まってる…。
‐私を裏切ったアイツだ…。


「生贄は、 水原香織(ミズハラカオリ)…。私の幼なじみです。」


「解った…。」
彼はその言葉を最後に口を閉ざし、明くんと晶ちゃんの方へ視線を向けた。

彼の表情が微かに曇る…。

晶ちゃんの腕を優しく掴み‐
「晶。この傷、どうしたんだ?」
と哀しい瞳を見せた。


「えっ?」
晶ちゃんは掴まれた腕を不思議そうに見る。

其処にいた全員が視線を向けた。


微かに、擦り傷があった。ソレは気付かない程の小さな擦り傷だった。先程の男達につけられた傷なのだろう。


「あっ…。多分、アレ」
晶ちゃんは、倒れている男達を指差した。




「何だ?アレは?」
理音は静かに深く冷たい声を響かせる。気を失い倒れている男達を見据える瞳は、とても冷たく感じた。身体に冷たい金属を流し込まれた感覚が私に纏わりつく。


「ん♪?あぁさっきねぇ〜☆絡まれたの♪」
明くんは、楽しそうに話した。
「うん…。絡まれた…。」
晶ちゃんは、他人事かの様に淡々と言葉を並べる。


その言葉と同時に、彩音と鈴華が気を失い倒れている男達に歩み寄った。

「ねぇ。私の妹達に何をしたの?」
凛とした声で彩音は言葉を投げかける。
『おい。俺の妹達に何をした?』
鈴華の声が重なる。


返答など有る筈も無い。
男達の手足は、稼働域の限界を超えている。ソレは、既に人の形を保ってなどいない。


この倉庫に転がるマネキンと同じだ。


「聞こえているんでしょ?答えなさいよ。」
『聞こえてるんだろ?シカトすんなよ。』
彩音と鈴華の声が木霊する。

言葉が響くと同時に
‐グチャ
‐ガギョ
と形容し難い音が響く。

彩音と鈴華は倒れている男達の顔を、遠慮する事なく力の限りに踵で踏み抜いた。

‐ヴウッ
鼻は潰れ、歯は砕かれた。


男達は、瞬間的に我に返る。


‐ヒッ…
恐怖に怯え、痙攣の様に身体を小刻みに震わす。


彼等が抱く感情は、屠殺場の家畜に近いのだろうか?



「彩音。鈴華。もういい…。」
そう言葉を吐く理音には感情が一切、観られなかった。


『「だって…。」』
彩音と鈴華は、其処で言葉を区切る。理音を見つめる瞳には、涙が浮かんでいた。


ゆっくりと理音は立ち上がり、彩音と鈴華に近付く。

2人の髪に手を添えて‐
「ありがとな。彩音。鈴華。」
と言い。


そして男達の傍へ歩み寄り、また静かに深く冷たい声で


「今日の事は総て忘れろ。もし誰かに話しでもしたら‐」


‐粉々に壊すぞ…。

告げた。





その後、理音は1人の男の耳元で何かを呟いた。

そして
「解ったら、頷け。頷くだけでいい。」
と、暗く重い声で男に問い掛ける。


男が此方を見る事も無く、頷いた時、理音の口の端が僅かに上がったかに見えた。そして理音は此方に向きを変え、ユルリと近付いてくる。


「さて、話を戻そう。君は確か…柏木 琉華(カシワギ ルカ)さんだったかな?」


「そうです。柏木です。」


「君が考えたゲームを始めよう。だけど少しだけルールを変えるよ…。僕達は、生贄に直接は関わらない。でも、君に《希望》を差し出す様に間接的に生贄に関わっていく。」


「えっ!?どういう意味ですか?」


「僕達は、僕達なりに動くだけ…。だから僕達に学園内で逢っても今まで通り。君は僕達を知らないし、僕達も君を知らない。」


私は頷く。


「君が虐めの首謀者だと気付かれるのは致命的だろ?」


「はい…。」


「大丈夫。君は普段通りにしていればいい。それだけで君は《希望》に満ちた人間になれる。」


「解りました…。」


「もう後には退けない。君はゲームを途中で抜けられないし、。裏切る事も出来ない。いいね?」


「はい…。総て、決めた事ですから。」


理音は私の言葉を聴き終え、嗤った。その瞬間、人が抱える底の無い悪意を垣間見た気がした。


「話は決まった。それじゃあ僕は帰る事にするよ。連絡を取りたい時は、明か晶にすると良い。」


「はぁぁい☆」
「了解しました…。」


それから、全員が言葉を発する事もなく、廃墟と化したビルから出た。


《死を孕み》《死を産み出す》そんな連想をさせる廃墟を抜けると、外には闇が訪れていた。


白々と輝く月は丸い。


‐満月は人を狂わす‐とは誰の言葉だったのだろう?


「ねぇ♪ねぇ♪」
私の考えを遮る様に、天使が制服の袖を引っ張る。

「電話番号、交換しよ☆」

もう1人の天使も携帯を片手に私を見つめていた。

「うん。交換しよう。」


私は天使達と連絡先を教え合う。



携帯の釦を押す音に混じり、彩音の声が耳に届く。


「それでは、柏木さん。ごきげんよう。良い夢を…。」



月が放つ光の粒子が、キラキラと優しく頬を撫でた‐



‐そんな気がした。


『魚の視る夢』

第?章

悪夢♯

水原 香織が見た夢〜


【これは、ある掲示板にあった書き込み。今は、既に削除されてしまっている。】




あの日を境に、私の人生は反転した…。

そう…。
あの悪夢の様な…
暑い…暑い…夏の夜を境に…



私は水原 香織(ミズハラ カオリ)。聖堂学園に通う高校三年生。


私は、これから私の人生を変えた、この廃墟の様なビルで自殺をしようと思っている。


首を吊るのか
薬を飲むか
手首を切るか
飛び降りるか
具体的には決めていないけど…《死ぬ》と云う事だけは決めている。



今日は日曜日で明日は月曜日。それは変わらない事実。
もう学園には行けない。行きたくない。学園に行けば、様々な言葉が飛び交い、私の胸は更に苦しくなる。



石鹸で身体を洗っても、綺麗にはなれない程に、私は穢れてしまった…。


穢れたのは心と身体。
もう…あの人に逢う事すら赦されなくなってしまった。


これから、公開するのは…
《私が自殺をするに至った経緯》
1人で抱え込むのは辛いから…。


誰でも良いから聞いて欲しい。
私と云う【人間】が自殺する理由を…。



そして、誰でも良いから覚えていて欲しい。
私と云う【人間】が存在していた事を…。





何から話そう…。

悪夢の様な日々を送る事になったのは、私が犯した罪への罰だったのかも知れない…。


私は、《自らの心》を欺き、裏切った。《人の心》を裏切り、そして《最愛の人の心》をも裏切った。


‐私は卑怯な人間だ…。


怖かった。
本心を知られ、最愛の人が離れてしまうのが…耐えられそうになかった。


だから、現実から逃げたんだ…。


私の犯した罪から話そうと思う。


私は同性愛者だ。
物心ついた時から女性が好きだった。初恋の相手も女性だったし、今付き合っている人も女性だ。


でも…
愛している人は違う…。
今、お付き合いしている女性ではない。


心の底から好きなのは、幼い頃から思い出を共有している幼なじみの女性だ。


付き合っている女性の事は勿論、好き。
だけど…


それは《裏切り》だ。




複雑になるから
幼なじみの事をR。
付き合っている人をKとしよう。


私とR、そしてKは、いつも一緒。休み時間も放課後も何かする時も3人でいる事が普通だった。そんな日が永遠に続くと想っていた。



ある日の事。
Rが風邪で学園を休んだ。

放課後、私はKと2人でアミューズメントパークに行き、プリクラを撮ったり、ボーリングしたり、カラオケしたりして遊んでいた。


夜も遅くなり、そろそろ帰ろうか‐と話していた時、Kは真面目な顔で‐話したい事がある‐と言ってきた。




「何?話したい事って?」

「あのね…私…私…。」
そう言うとKは、唐突に私に抱きついた。





「ど…どうしたの?」

Kの思いがけない行動に、私は動揺した。

「私、私ね…。」
接触している柔らかい肉体から振動が伝わる。震えていた。Kは、私の左胸に左耳を押し当てている。顔は、やや下を向いているから、表情は見えなかった。声の感じからして泣いているのが解る。


「貴方の事が好きなの…。付き合って下さい。」


‐えっ!?
予想外の言葉だった。

Kの事は好きだった。
でもそれは、友達としてで【恋愛感情】では無い。



‐私は、Rが好き。だから付き合えない。
本当の事を言えば、良かったのだろう…。

でも私は、卑怯な人間だ。

Rに私が同性愛者だと話した事は無い。《同性愛者》だと知られれば、Rは離れていく‐と思っていた。恋愛関係にならなくても良い…。ずっと傍にいたかった…。


Kは大切な友達。
そして私は、友達も失いたくなかったのだ。


Rに《本当の私》を知られる事なく‐ずっと傍にいたい。そしてKとも、ずっと傍にいたい。


卑怯な私は…、最低な選択をした。


「K…。隠していたけど…、私、同性愛者なんだ…。」

‐私は卑しい。

「でも、周りに同性愛者だって知られたくない。」

‐私は厭な女。

「バレない様に付き合えるのなら、約束を守れるなら」

‐私は嘘吐き。

「付き合っても良いよ。」

‐私は最低だ。


「うん。バレない様に約束を守るから…。」
Kは、そう言うと私の顔を見つめ、唇に唇を重ねた。

交差する吐息。
柔らかい唇。
甘い匂い。


‐パキッ
心の片隅で音がした。
何か大切なモノが壊れた音。


Kの唾液が私の唾液と交わる。
舌と舌が絡み合い、何とも言えない快感が私を貫いた。

‐バキッ
隠してきた本性が現れる。
せき止めていた欲望が溢れる。

私は、Kの腕を掴み、強引に連れ出した。

「どうしたの?」
Kは困惑の表情を浮かべる。


「付いて来て、良い場所を知ってるから。」

Kを誘い、駅の裏通りにある廃墟のビルへ足を向けた。





人で賑わう駅前の通りから少し外れただけで、変貌する街並み。その通りには人の気配が一切無い。静寂の漂う空間。


この裏通りは夢の残骸で出来ている。以前は、裏通りも賑わいある通りだった。数年前、この裏通りで猟奇的な連続殺人があってから、不気味な噂が後を絶たず、退廃していったらしい。

その裏通りにある廃墟になっているデザイン会社のビルへと、向かった。


不安げに付いて来るKが可愛らしく見える。


扉の鍵は壊されているから容易に侵入できた。3階は、比較的に荒らされてはいない。
資料室や備品の倉庫みたいな場所や休憩室として使われていたらしい。


中学生だった頃、肝試しとして数回は訪れていたから少しは知っていたのだ。


資料室みたいな部屋に入る。2人きりと云う現実が欲望の箱を開く。Kも薄々は気付いていたのだろう。呼吸が荒い。

2人の呼吸が響く。

‐ハァハァハァ
聴覚から感じる刺激は、興奮に変わる。


「良いでしょ?」
私は、欲望を抑えきれない。


「うん…。」
Kの心音が聞こえそうな気がした。


Kを強く抱きしめ、唇を重ねる。私の欲望が破裂した。

制服の上から膨らみを優しく愛撫する。Kの吐息は愛撫する度に、唇から零れた。


‐アア…イィ…アッ…アッ


それから私は、蕾の様な花弁を布越しに触れる。

‐グチョ

指に伝わるヌルヌルとした愛液。

‐濡れている…

布を擦るたびに、Kは喘いだ。

「ねぇ…。指を挿れても良い?痛くしないから…。」

耳元で囁く。

‐ビクッ
耳に触れる言葉にKの身体は、仰け反った。

「い…い…よ…。」
途切れ途切れの甘い声。


私は、言葉が届くと布を少しズラす。ユルリと指を花弁へと挿れていく。

「あっ…」


中指を動かす度に、卑しい音が流れ出る。

‐クチョ

‐グチョ

少しずつ中指を動かす速さを上げる。

‐グチョグチョ

‐グチョグチョ

「私のも…お願い…。」
また耳元で囁く。

「はぁ…はぁ…。」
喘ぎ声にしか聞こえない声を漏らし、首を縦に振る。


‐ヌルッ…
ぎこちない指の動きが私の花弁に感じられた。


‐あっ…あっ


永い間、私達は、お互いの果実を貪り続けた。




幾度、果てたのだろう。


脱力する肢体。2人で、その場に座り込んだ。解き放たれた欲望が満たされると、心に虚しさだけが広がった。

‐ごめんね…。
心に1つの言葉が咲いた。


誰に対しての謝罪の言葉だったのだろう?

‐自分に対して?
‐Kに対して?
‐それとも…


音の産まれない空間に2人の呼吸音が静かに響き渡る。


「もう放さないからね。」
Kは私の手を握りながら、そう言った。
そして、一呼吸の間を空けて‐
「‐貴方は私だけのモノよ。」
と続けた。


《私はその時、その言葉の意味も考えずに》
「うん。」
とだけ返した。


それが2年の冬の頃だったと思う。

その日から私達は、人の目を忍んでは身体を重ねた。


3年に進級する頃、Rは進路を考えていたのか、放課後には図書館に通っていた。私も、勉強に付き合おうとしたのだが、Kがソレを許さなかった。


‐邪魔しちゃ悪いから…。
私は自ら、そう言い聞かした。

Rが私達から離れる時間が増えれば増える程、Kとの時間も比例して増えた。


そして、その時間は、少しずつKの中の独占欲を強めていったのだろう。私が少しでも他の子と会話するだけで、鬼の様な形相になった。まだRに対しては普通に接していたと思う。


だけど…それも…
いつまでも続かなかった。



ある日の事。

廊下で何時もの様に3人で話していた時の事だ。Rは真剣な顔で問いかけてきた。



「なんかさぁ…香織とKの様子がオカシいって誰かが言ってたよ。付き合っているんじゃないか?って馬鹿馬鹿しいよね…。仲が良いってだけで、そこまで言われたら、友達なんて作れないよね?」


‐えっ…
血の気が引いた。

Rの表情は真剣な儘だった。

Kの顔を覗き見する。

すると、Kは薄ら笑いを浮かべ
【お互い愛し合っているのに文句でもあるの?】
と言った。


‐何で?そんな事を言うの?


「いや…文句は…。」
そう言うRにKは勝ち誇った表情になった。


【今だからハッキリ言わせてもらうけどアナタは邪魔者なのよ。】


‐止めて…
‐お願いだから止めて…


「邪魔者…?」
小さい声がRから聞こえる。

【そうよ!!2人の愛を邪魔しないでくれる?】
Kの顔が醜く歪む。


「私達、友達だよね?いつまでも友達だって誓ったよね…?」
Rの痛々しい姿。
私は何も言えず、立ち尽くす。
そんなRに、Kは追い討ちをかけた。


【友達?馬鹿言わないで…。貴方を友達と思った事なんて1度も無い。消えてくれる?迷惑だから…。】


「解った…。」
Rは俯きながら、そう言った。

私達に背を向け、ゆっくりと歩き出す。




‐裏切り者…。




Rの声でそう聞こえた気がした。でもそれは、きっと私の心の声だったのだろう。罪の意識が私に聞かせた幻聴。



暫くの間…。
Rの姿は私達の前から消えた。


Rが消えてから、私は私の《生きる意味》を見いだせなくなっていた。心に穴が空いた様な虚ろな日々。

そんな私を不思議そうに見るK。Kには罪の意識は見られなかった。私はKに嫌悪感を抱く様になり、距離を置こうとした。

だけどKは傍から離れようとはしない…。

だから私はKを無視する様にした。声をかけられても、聞こえない振り。傍にいても、見ない振り。


そういった日を繰り返した。



そして…
あの悪夢の様な夜が訪れたのだ。


それは暑い、暑い夏の夜だった。


私は、その時Kと一緒にいた。Kの事は憎み切れずダラダラと関係は続いていたのだ。一方的に別れを告げるより、私に愛想尽きた方が、Kを傷つけないだろうと考えての事だ。


無視する様になってから、どれだけの日々が過ぎたのだろう。それでもKは、私の傍にいた。
でも、その日、Kの雰囲気は違っていた。


「話があるんだけど…。」いつもと異なる顔付きでKは私に、話し掛けてくる。


‐やっと私を嫌いになったかな?


「ねぇ…ちゃんと聞いて欲しいの…。放課後、帰らないで時間をくれない?お願いだから…。」
Kの瞳には涙が浮かんでいた。



‐Kが、こんなになったのは、私の責任だ…。
‐私が卑しいから…。


「いいよ。」
久しぶりに言葉を交わす。



学園の近くにある珈琲shopに行く事にした。店内に入り珈琲を注文する。珈琲が出て来ても、お互い無言の状態が続いた。静寂の空間が広がる。


私は、意を決して言葉を紡いだ。

「初めの約束…覚えてる?」


「約束?」
Kの時間は少し止まる。


私が抑えつけていた鬱積は暴発する。
「私達が付き合ってるってバレない様にしようって言ったでしょ?それなのに貴方が、学園内で必要以上にベタベタするからバレるのよ!!」


‐罪をKに被せているだけ。


「それに何?何でRに、あんな事を言ったの?最低!!」


‐最低なのも私。


「私達、3人。ずっと一緒だって誓ったじゃない…。Rが何か私達に悪い事でもした?」


‐悪いのは、総て私。


心の奥底に沈澱していた負の感情は、1度でも流れ出ると制御は出来なかった。


Kは俯き、微かに震え
「ごめんなさい。ごめんなさい。」と繰り返し、私に頭を下げた。


‐謝らないでよ…
‐謝っても…
‐Rは…


「もう、良い…。終わりにしよう…。」
私はスッと席を立ち
「さようなら…」
と告げ、無言の儘、店を後にする。


「厭だ…。厭だよ…。」
Kの悲痛な叫びが耳に木霊していた。




店を出ると辺りは暗くなりかけていた。太陽の熱を蓄積していたアスファルトから、放出される生暖かい風が身体を撫でる。じんわりと汗が滲み出ては、身体を湿らす。


‐気持ち悪い…。

ジメジメとした空気。ジメジメとした身体。フラフラと眩暈に似た感覚に襲われる。


「あれ?」
男性の声がした。

私は気にも止めず、歩いている。

「ねぇ?ねぇねぇ?」
ソレは私の近くから聞こえる。

「シカトしないでよ〜。」
声が聞こえる方に眼を向ける。

‐えっ!?

至近距離で私の顔を覗く、見知らぬ男がいた。

‐何?

その男の背後に数人の男の姿もある。


「何か用ですか?ナンパなら、お断りです。」
冷静を装いながら告げた。


「ナンパ?違うよ…。君、水原 香織ちゃんだよね?」

「そうですけど…。何で私を知っているんですか?」

「Kって知ってるでしょ?彼女に頼まれたんだ。」

「頼まれた?何を?」

「アンタを滅茶苦茶にしてくれってね。」

「えっ!?」

私に話し掛けてきた男は、白い布を出し、私の鼻と口を塞ぐ。甘い香りが漂うと、意識が朦朧とした。

朦朧とする意識の中、私は車に無理矢理、乗せられた。





眠りから醒めると、廃墟と化した、あのビルに居た。きっと1階の倉庫だろう。至る所にマネキンが転がっていた。

眠りから醒めたばかりの身体。朦朧とした意識。私は、その場に倒れる。だが地面へ臥す事はなかった。


‐カチャ
‐ジャラ

鈍い金属音が響く。手首に、その振動が伝わった。焦点が定まらない眼で空を仰ぐ。


両手首に、手錠が掛けられていた。その手錠の鎖は、異なる鎖に繋がり、その鎖は天井の鉄骨に廻されている。


私は両の手を限界まで上げた姿勢で固定されていた。倒れ込む事も出来ず、少しの移動も儘ならない。

‐操り人形…。

頭に浮かんだ言葉。


「何…これ?」
‐何で、此処にいるの?
「どうして?」
‐知らない男に…


そうだ。私は知らない男に拉致されたんだ。

‐Kに頼まれたって言ってなかった?

少しずつ状況を理解した私に、恐怖は音もなく訪れた。


「いやぁぁぁ。」
叫び声は、暗い空間に吸い込まれ消えていく。


「助けを呼んでも無駄…。」
聞き覚えのない低い声が聞こえた。


振り返ると5人が私を【見物】していた。

薄暗く顔は解らない。

1人は、デジカメで私を撮影し、1人は、何やら注射器の様なモノを指でクルクルと廻している。

後の3人は、私を値定めするかの様な眼で私を見ていた。


「本当に良いんすか?」
私を見ていた3人の誰かが後ろに振り返り質問していた。


「良いよ…。」
注射器をクルクルと廻している人が、冷静な声で呟く。


蜃気楼の様な意識。ユラユラと揺らめく水の入ったグラス越しに見える風景。アヤフヤで輪郭が無い。


「この子とヤレて、金も貰えるんすよね?」


「余計な事を喋らず、Kからの依頼を実行しろ。」


意識を集中させる…。


注射器を持った人は、白衣を着て‐
‐ヒッ
私の口から悲鳴に似た声が出る。


薄汚れた赤黒い染み。
白と黄色の中間の色の染み。
小汚い包帯。


その包帯をグルグルと顔に巻き付けた怪物が其処にいた。


その怪物は、私に近付く。

「いや…いやぁぁぁぁ…。」


‐これで仕上げた。

そう耳元で呟き、私は得体の知れない液体を注射された。





「大丈夫?」

「うん…。」

「良かった…。」

「ありがとう…。」

「ある人にね、頼んだの。迎えにいってくれるって…。」

「ある人?」

「私の知り合い。この時間で頼める大人の人が、その人だけだったから…。」

「誰?」

「Tって男の人。」

「男…。」

「大丈夫。信用して…。」

「でも…。」

「状況が状況だから、頼める人が限られるでしょ?」

「それは…そうだけど…。」

「私が親以上に信頼してる人だから安心してよ。」

「うん…。」


‐ギィギッ
金属の悲鳴。
ビク‐私は後ずさる。

暗闇に存在する人影が見えた。暗闇に映える影は闇よりも暗い。少しずつ近付く人影。

「香織ちゃん?」
透明な声。耳に優しい声。

「はい…。」
電話しながら、返事をする。

「Tさん?」
電話越しに聞こえるRの声。

「誰かが来たけど解らない…。」

「Rさんから聞いたよ。大丈夫…。もう安心して…。」
そう言いながら、影は歩み寄る。

瞳に映る人影。

その人は、美しかった。
西洋絵画から抜け出したかの様な優雅さを纏っていた。
中性的な顔。
理想的なスタイル。
声。佇まい。

そのどれもが完璧だった。


「Tさんですか?」

「そう。僕はT。安心して、もう大丈夫だから。」

その声を聞いた時、私の中に安堵感が広がる。初対面である人なのに、この人を産まれた時から知っているかの様な感覚があった。

涙が自然と流れた。


「Rさんと電話してる?ちょっと携帯を借りるよ。」

Tに携帯を渡す。

「Rさん?Tだけど…。彼女を早く、この場から連れ出したいんだ…。落ち着いたら、僕から電話するから、それまで待ってくれるかな?いいね?」

‐ピッ

Tは携帯の通話を解除すると‐
‐とりあえず、僕の店に行こう。そこでシャワーを浴びると良い…。
と言った。


私は頷く。

そして…
この廃墟から抜け出した。


廃墟を抜ける。
割れた窓硝子。軋むシャッター音。明滅を繰り返す蛍光灯。其処には《残骸》だけが散らばっていた。

‐夢なら良いのに…
と思った。

だけど私の身に降りかかった出来事は現実で…。振り払おうと足掻いてはみても無駄だった。


「さぁ乗って。」
Tの言葉が空想世界にいた私の手をとる。

白い車が其処にはあった。
車種は詳しくは知らない。

後部座席のドアを開ける。
私が乗ろうとステップに足をかけた時、運転席側から声がした。

女性の声。

「大変だったね…。もう大丈夫だから。」
美しい声。

その女性も美しかった。
日本人離れした容姿。

Tの声が届く。

「女性もいないと何かとあるだろうと思ってさ…。彼女はM、僕の知り合いだよ。詳しい話は後にして、とりあえず店に行こう。」

「そうね。」

車が発車する。車内では、私を気遣う言葉だけが紡がれた。
私は、その優しさに触れて‐
‐また泣いた。


店に到着する。

オシャレなBARだった。地下へ続く階段を下り、店内から1階へと上がる。左奥にある部屋に案内されるとシャワールームがあった。

Tは
「洋服を渡してあげて。」
とMに言い‐
‐ユックリとシャワーを浴びるんだよ。
と私に言った。


私は2人に礼を言い、シャワーを浴びた。


少し熱めのシャワーを頭から浴びる。


‐厭な記憶も流れれば良いのに…

でも、現実は甘くはない。眼を閉じると記憶は首を擡げ私を襲う。フルフルと震える身体を両手で必死に抑える。

しゃがみ込もうとする身体。
抵抗する意思。


‐負けちゃダメ…。


石鹸を手にし、肌に押し付け力任せに擦る。白い泡が身体を包み込んでいく。泡を流すと《汚れ》は消えていった気がした。

シャワールームを出ると、綺麗に折り畳まれた服が用意されていた。私には、少し大きめ。

服に着替え終わると
「私の服しかなかったから、ゴメンね…。」
とMの声がした。


「あ…いや…大丈夫です。助かります…。」
私は、廊下に向かい話し掛けた。

廊下に出るとMに導かれ、2階へと向かう。階段を上がると、リビングの様な部屋になっていた。大きめのソファーに腰を掛けていたTは私の姿を見ると立ち上がり、ソファーに座るように言った。



「香織ちゃん。」
Tの声は不純物が無い澄み切った声だった。

「はい…。」

「Rさんから、友達が何かに巻き込まれたとしか聞いていない…。でも…君の姿を見て、大体の《想像》はつく…。辛いとは思うけど話してくれるかな?」

「えっ…あの…」
私は戸惑う。

「こうみえても、僕は心理カウンセラーだった。そしてMは、現役の外科医だ。だから多少は君の力になれると思う。」

「…。」
少しの間、考える。

‐この人達なら…。

この身に降りかかった《悪夢》の様な出来事を伝える。

Tは指を顎に添え、時折、相槌をし終始、優しい瞳で私を見守った。

話を聞き終わるとTは…
「話してくれて、ありがとう。怖かっただろうね…。もう大丈夫だよ。僕達が付いているから…安心してね。」
と言う。


「ありがとうございます。」
初対面だったのにも関わらず、誰よりも心強かった。


Tは、こう続けた。

「警察に、この事を知らせた方が良いかな?君自身が決めた方が良い。」

‐秘密にしたい…。
‐私の内に隠したい。
‐両親に知られたくない。
‐警察にも知られたくない。


私は、私の考えを伝える。



Tは変わらぬ優しい瞳で、私の言葉を聞き、頷いた。

「君の考えを尊重しよう。だけど…身体だけは検査した方が良い。言いにくいけれど、病気や…」
Tはソコで言葉を区切る。

「妊娠の可能性ですよね…」

「そう…。君は強い子だ…。」
Tは、そう言って私の頭撫でた。

「普通に病院に連れて精密検査をしたいけれど、誰かに見られる可能性もある。だから‐」


‐だから?

「Mの経営してる病院で精密検査を受けると良い。それなら、時間帯も何も関係ない。安心して検査が出来る。」

「お金がありません…。」

「大丈夫だよ。君は何も気にしなくて。君の両親にも僕が上手く伝えておくから、今は安静にして寝た方が良い。」

そう言って、TはMの方へ顔を向ける。Mは黙ったまま頷き‐
「奥に寝室があるの」
と私を案内した。


寝室に入る。


「灯りは消さない様にするから。無理に寝ようとしなくても良いのよ。何かあったら、遠慮しないで私かTに伝えてくれる?」
Mは女神の様に微笑み、寝室から離れていった。


眼を閉じる。
走馬灯の様に記憶が廻った。
込みあげてくる震え。
忌まわしい出来事。

疲弊しきった心と身体。

私は、いつしか眠りについた。



目覚めると、Rが私の顔を心配そうに覗き込んでいた。

「良かった…。眼が醒めたんだね…。良かった…。良かった…。」

心から私を心配していたのだろう。Rの瞳には涙が浮かんでいる。


「ありがとう…。ごめんね…。」

何に対して謝ったのかは解らない。ただ謝罪の言葉が口から零れた。


暫く会話をしていたと思う。

その後、TとMが訪れ、4人で話し合いをし、私は直ぐに病院で検査をする事になり、病院へ向かう。検査が終わると、結果が解り次第に連絡をすると約束をしてくれた。

Rは私に尽きっきりで絶えず、私を見守ってくれていたらしい。

‐アナタが友達で良かった。
言葉にはしなかったが、心から、そう思った。


総てが終わると‐
「早く両親の元に帰った方が良いよ。心配しているだろうから…。」
と私の家の近くまで3人で送ってくれた。

両親へはTが、それなりの事情を創り、話しておいてくれたので叱られる事は無く、寧ろ、何故か褒められた。

私は偽りの仮面を被り、両親と会話をする。悪夢の様な出来事を悟られない様に懸命だった。
何事も無く、普段と変わらぬ日常を過ごす。退屈だった筈の日常は、実は幸福なのだと実感する。

だから…
悪夢を忘れる事にした。



もう悪夢は視ない様にと願い。眠りにつく。



でも…




翌日の月曜。




学園に登校すると…

…悪夢の続きを無理矢理に視なければならない状況になっていた…。




頭から離れない事がある。心の奥に仕舞い込んでいる事がある。


【あの悪夢を仕掛けたのは、本当にKなのだろうか?】

高校に入ってからの3年近く、常に行動を共にしている私が知るKは、そんな人間ではない。

他人を完全に理解出来るとは思わないけれど、釈然としない。

確かに、私と付き合ってからのKの束縛の仕方は異常だった。
親友のRに対しての言動もそうだ。


嫉妬に狂ったのだろうか?


でも、それも違う気がする。


【愛が憎しみに変わった】
そうも考えられるけれど、矢張り釈然としない。


Kの本性を知らずに、Kの総てを理解した気になっていたのか…

そう考える事が切なかった。

それは、信頼していない事と同義だからだ。


様々な考えが渦巻く。

私は吐き気に襲われた。

‐考えすぎちゃダメだ…。


気分転換に、通学途中にあるコンビニへと入る。学園のある朝には必ずと言ってもよい程、通っているコンビニ。

大体、決まった時間に来ているから顔馴染みの人もいたりする。その顔を見て、ホッとする自分。

【変わらぬ日常】にホッとするのだろう。


少しだけ時間を潰し、学園へと向かう。学園に近付けば近付く程に、Kの事が浮かんでは消えた。意を決して門を潜る。


周りの人の眼が気になり始める。でも、それは私の気のせいなのだ。私が秘密にしたい事を心に秘めているからだ。


廊下を歩く。教室に近付くにつれて雑音が大きくなる。
教室の開け放たれているドアを抜けると、黒板を囲うかの様な人集りがあった。


‐何だろう?


その黒板には、
【http………】の文字が浮かんでいた。

「何のアドレス?」

「ってか書いた奴、誰?」

「気持ち悪い」

雑言が交差する。

唐突に教室の端から、喘ぎ声が響いた。

‐アァ…イィ…

《ドクン》
鼓動が早くなる。


生徒の1人がiPadを手にしていた。食い入る様に見ている。

「おい!これ見てみろよ!!」

iPadの画面を此方に向ける。

「モザイク無しのエロ動画。」

男子が数人駆け寄った。

「本当だ!スゲェ…。」
「顔にはモザイク入ってんのか…」
「でもさ…この女の制服ってウチのじゃね?」


《ドクンドクン》
厭な予感が広がる。

「おぉ!ウチの制服じゃん!!」
《ドクンドクンドクン》
‐もしかして…

iPadの画面を遠目から覗く。


鎖に繋がれた女。
1人の女に群がる3人の男。
時折、映し出されるマネキン。

‐私?


フラッ。私の体躯から血が失せていくのを感じる。軽い眩暈。

「何それ?」
「消してよ。」
「気味悪い…。」
女生徒から声が上がる。


黒板に浮かんだアドレスを消す生徒。一緒になって動画を見ようとする生徒。動画を消す様に促す生徒。


騒ぎが広がっていく。


波1つ起たない水面。その水面に小さい石が放られた。石を放られた個所を中心に、波紋は少しずつ広がる。美しかった水面は、醜い景色に変貌した。


震える身体を抑える私。


「コイツ誰だろ?」


1人の生徒が、ふと漏らした言葉。水面に、もう1つ石が投げられた。憶測をし始める男共。奴等は教室内を見渡す。其処には舌なめずりする蛇が居た。1人1人に視線を投げる。


「はぁ?」
「キモいから見るなよ…」
「いい加減にしろよ…てめぇら…。」
そんな男共に言葉を投げつける女子生徒達。



その時、始業のベルが鳴った。バタバタと廊下に響く足音。

皆が一目散に席に着く。

見慣れた顔の生徒が、息を切らしながら教室に走り込んでくる。

‐K?

普段と変わらぬ様相のKの顔が存在していた。


Kは私を見ると哀しそうな表情で視線を反らす。余所余所しく自分の席についた。

‐Kが、あの夜の事を頼んでいたのなら、あんな表情をするのだろうか?

‐それ以前に、男達が接触してきたタイミングはオカシい…。Kと別れて10分も経っていない。

私への復讐だったのなら‐
‐何故、あの表情なんだ?


メビウスの輪の様に終わりが無い思考。


『《悪夢の夜》の動画』
何故、この教室の黒板にアドレスを書いたのだろう?誰が?


‐Kじゃないのなら…R?

否、それは違う…。


だったら…誰?


様々な疑問が浮かんでは消え、気が付くと1限目が終了していた。休み時間が訪れ、周りは、朝の出来事の話題で盛り上がる。



「あの女、誰なんだろう?」
「あんな喘いでさぁ。」
「頼んだらヤらせてくれんじゃない。」


1人遅れて教室に入ったKは話題にツいていけないらしく、興味津々に周りに問い質す。

「ねぇ…何の話?」

「それがさぁ…」

iPadを取り出し、Kに画面を向ける。


「…。」
Kは暫く、画面を見つめると黙った。

「これ誰だと思う?」
イヤラシい顔でKに質問をする男子生徒。

「…。」
Kは黙った儘だった。

少し間を空けて‐
‐香織の声に似てる…。
とボソッと呟いた。

その後すぐに、Kは自らの発言に気付いたのか、顔を曇らす。


‐ドクン
私の鼓動が早くなる。


教室は静寂に包まれた。


周りは、私を視ている。

【目は口ほどにモノを言う。】
痛々しい視線が貫く。


‐ドクンドクン


1人の女子生徒が近付き、私に言葉をかけた。

「何で言い返さないの?」

‐ドクンドクンドクン


言葉を失う私。
視線を落とし、沈黙した。


見なくても解るほどに、周りの眼は、更に私に集中していたに違いない。


「…。」
沈黙した私にの耳に、陰口はよく響く。


「あいつなんじゃねぇの?」
「イヤラシい。」


そんな私を窮地から救ったのは、隣のクラスのRだった。




iPadの画面を覗き、Rは声を上げた。

「あのさぁ…。確かに香織の声に似てるとは思うけど、画面の右下に日時と時刻が出てるよね?」


視界に入っていたのに、認識していなかったのか、確かに右下に数字が並んでいる。


「その時、香織は私と勉強していたんだよね…。期末テストが近いでしょ?下らない事を話してる暇があるなら、勉強でもしたら?」


それは嘘だった。
‐優しい嘘。


その嘘は静寂を切り裂く。
【期末テスト】と云う言葉が、彼等を現実に引き戻す。

いつしか周りは【期末テスト】の話題になっていた。


「ありがとう…。」
私は、小声で呟く。

Rは微笑み、周りに聞こえる様に少し大きめの声で‐
‐黙ってないで《本当》の事を言ったら良かったのに。
と言い。
少し間を空け‐
‐私と勉強してたって…
と続けた。


‐《本当の事》…。

疑心暗鬼になっていた私は、親身になって助けてくれたRに対しても少しだけ不信感を抱いていた。

‐《本当の事》
それは、何を示すのだろう?
‐強姦されたと云う真実?
‐勉強していたと云う嘘?

Rの表情を伺う。
キラキラと輝く瞳。
その瞳には《希望》が満ち溢れていた。それに比べ私の瞳は、どうなのだろう?


この身体と同じ様に、穢れているに違いないのだ。白濁とした体液に穢れた身体と同じ。瞳には、白濁とした膜が、こびり付いているのだろう。


其れは…
《死んだ魚》の様な瞳に違いない。


大抵の『噂』は、自らとは切り離された世界の出来事でなくてはならない。自らの世界を保った儘の客観的な世界が良いのだろう。だから、周りに起こりそうな出来事に人は感心を寄せ引き込まれていくのだ。

でも『人の噂』なんかは、永くは続かない。その時、その時で自らの退屈な時間を、自らにとって有意義な時間へと無理矢理に変えているに過ぎない。だから、自らの欲が満たされた時には、その『噂』を話さなくなる。


私は‐
‐そう考えていた。


だから少しの間、我慢すれば『噂』は消えていくモノだと思っていた。


でも‐
‐考えが甘かったのだ。


『噂』は、背鰭尾鰭が装飾されて、その形を変えていった。

いや…。
私が自らの保身を考えて行動をした事により『別の噂』へと変わったのだろう。


『悪夢の夜』に起きた出来事。その動画に映るのは、雄に喜々として快楽を求める雌の姿。

其れが《私》には、耐えられなかった。私は同性愛者であり、異性を愛する事に違和感を感じたからだ。あの【媚薬】の効力だとはいえ、一時の快楽を求めた自分に何よりも嫌悪感を抱いた。


そして、私は【悪夢】の《真実》を知りたかったのだ。


‐Kに頼まれた。
其れが《真実》なのか…。


だから‐
私は‐
Kに近付く事にした。何かしらの《真実》が解る筈だと‐その日の放課後、私はKを呼び出した。



「何で、あの動画の声が私に似ているって皆の前で言ったの?」

「えっ…。それは…。」

「黙らないで、答えてよ。」

「…。」

「私にフラレたから?八つ当たりのつもり?」

「それは、違う。」

「だったら、答えてよ…。」

「私は…貴方にフラレてからも、ずっとアナタの事を考えていた。アナタの顔。仕草。声…。その声が余りにも似ていたから…。思わず、口に出たの…。」


Kは言葉を詰まらせる。

「悪気は無かったのよ。それだけは信じて…。」

そこでKは泣き出した。

彼女の泣く姿からは、《あの夜》の出来事に関わっていない雰囲気が伝わる。


私は混乱した。

Kが首謀者で無いのなら‐
‐誰?
‐何で?
‐どうして?


思考に蝕まれた脳に‐
‐Kの言葉が聞こえた。


‐あれは…。
‐香織じゃないの?
‐だって…
‐私が創った…
‐ネックレスしていたよ…




嗚呼‐
私の視界は暗くなった。





フラリとした感覚があった。
そうだ。私はあの時、ネックレスをしていた。いや、ネックレスだけはしていた。男達は乱暴に服を脱がせたにも関わらず、ネックレスだけは引きちぎらなかったのだ。

ソレは偶然かも知れない。


だけど偶然じゃないとしたら‐不特定多数の人に私と解る様にしたのだろうか?


あのネックレスの存在を知る人は、どれくらいいる?

‐体育の授業前後の着替えでは、女子生徒に限定はされるのだが、人前に晒していた。知っている人がいたとしてもオカシくは無い。


‐そもそもネックレスを常に見えない様にしていた事の確信が無い。

‐いや、たかがネックレスの存在を気にかける人がいるのだろうか…。

様々な考えが巡る。

でもKは気付いたのだ。

冷や汗が流れる。背筋を伝い、身体の神経を刺激する。


この儘じゃダメだ。
隠し通せる自信が無い。


‐何とかしなくちゃ…。


そして、また私は最悪な選択をしたのだ。

私の保身の為にKの心を利用する《裏切り》。


Kを監視するべく、私がとった行動。それは、Kと再び付き合う事だった。《悪夢の様な出来事》を伝え、悲劇のヒロインになる行為。


妙な薬を打たれた事は事実だし、強姦された事も事実だ。

端から見れば、悲劇のヒロインなのだろうが、私には自信が無かった。


実のところ、あの動画に映る、淫らで卑猥な私こそが‐嘘偽りの無い私の姿なのではないかと頭の片隅にあったからだ。


しかも、私はKに‐
‐私の総てを理解してくれる貴方じゃなきゃダメなの…。私が強姦された事は誰にも言わないで…。そして、同性愛者だって事も誰にも言わないで…。じゃないと私、生きていけない…。

と告げたのだ。


総ては、私の身の安全を考えただけの行為だ。



そして、この行為が更なる悪夢を呼ぶ事になっていった。


私とKが再び付き合い始めてから5日経った日。

悪夢の陰に怯えながらも、平凡な日常を過ごしていた時の事。
登校して教室に入り、席に着く。幾度となく繰り返した何気ない行動に違和感を感じた。

‐?

机の表面に鉛筆で書かれた小さな小さな文字があった。

私はその文字を追う。

「鏡に映らない貴方へ」

‐何これ?

「絶望の傍らに希望は在る」

周りを見渡す。

他の生徒達は私を視ていた。
それは侮蔑の眼だった。

私と眼が合うと、皆、視線を反らす。そしてコソコソと言葉を交わしていた。


‐アレさぁ…

‐やっぱりね…

言葉が途切れる度に私は視られた。観察するかの様な視線。
私は、窮屈な空間に押し込められた感覚に陥る。自由が効かない。身体を動かすのに抵抗力を感じる。息苦しい。


そう。それは水の中にいる様な感覚だった。


‐水槽の中にいる魚。
脳裏に浮かぶ言葉。

‐パキッ
何処かで音がした。


‐視線が痛い。
‐言葉が痛い。



‐バレた?

不安が募る。鼓動が早まる。息苦しい。


‐パクパクパク
私は呼吸を乱す。
酸素を求める身体。


‐パクパクパク
魚の様に唇を動かす。


‐パクパクパク

‐パクパクパク


ヒュル
喉の奥から音が産まれた。


指で喉元を引っ掻く。

‐酸素が欲しい。

バタバタとモガく。


視線が私に集中する。

‐視ないで…。
‐視ないでよ…。


ヒュウ

そして、意識を失った。

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