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東日本大震災ミクシィ最大コミュコミュの南三陸町の情報

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南三陸町の情報。

今までにわかっている事。
※町の消防署が壊滅
※町役場が壊滅らしい
※伊里前小学校付近まで津波到達した模様
※約一万人の安否不明


その他わかることがありましたら、教えてください。

コメント(918)

以前、震災後に各地で食糧の差があり、TVで放送してましたが各市町村の方で県に申請をかけて食糧を確保するそうです。役場の人間が現状を把握出来てないと、食糧が足りてない(放送では石巻市が当てはまってました)、そのような問題もあったようです。ただ、震災1カ月後とかの状況下の放送だったので今はわかりませんが。あと、現地でたまに見たのはパンなど賞味期限があるものが一度に大量で贈られてきて直ぐに消化出来ず廃棄にまわるという流れもあります。勿体無いですが、一度に大量というのが問題だったりしますね。しかし早く解決出来るといいですね!
「役場が 機能していない」と ありますが 正確には 「機能させたくても 十分できない」のが 実状のようです

被災されたり 亡くなったりは 役場の職員さんたちも です


様々なことを サポートすべく必死で動いている民間の団体さんも あります

そちらから 動かれることも おすすめいたします

参考までに 添付いたします

※※※※※※※※※※※※※※※※※※


日本復興のために本気で活動している「とどけ隊」に是非「支援金」を!!
http://sendai-todoketai.net/

病院や店の募金箱を「とどけ隊」への支援金にして頂けたら有難いです。


振込先:とどけ隊
銀行:仙台銀行
支店:宮町支店(店番号208)
口座番号:5070781
名義:災害復興支援団体 仙台とどけ隊


ご協力お願いいたします!
TVで、観てるとボランティアの数が、まだまだ足りないと、言っていたので、皆さん夏休みの時期を通じて行ってくださいね顔(願)
本日、昭島(東京)にて、復興支援イベントイベントがありました
その中、南三陸町のオクトパス(蛸)文鎮の販売があり、売り上げが南三陸町の復興に使われる
とのことで、購入しました

きっと、現地の事など知らないような地元の中学生が、声を張り上げ、一生懸命販売してました


南三陸町歌津伊里前の
千葉正海ご一家の牡蠣養殖の基金を募る
「伊里前牡蠣復興支援 結っこ基金」ホームページ
http://www.maruta-takuyo.co.jp

の企画・制作をし、12/4に開設しました。
ご高覧の上、ご協力・告知等を
お願いいただけると幸いです。

東京以西の被災地報道が「復興幻想」から、
さらに「風化」に移行しているこの時期、
日本中の皆様、一人でも多くの方に関心を持っていただき、
被災地はまだ「震災の渦中にいること」を
伝えていければと考えています。

HPからチラシもダウンロードもできます。
チラシ設置に協力いただけそうな店鋪(チラシを置いてくれる)、
支援をお願いできそうな企業・団体、個人、ご友人等も心あたりがありましたら、
お知らせください。ご協力宜しくお願いします。

>ミワマンさん、皆様


有り難うございます!
このプロジェクトはご夫婦の夢でもあり、南三陸町歌津の光でもありますね。
伊里前湾の牡蠣養殖業者は高齢者が多かったため、
多額の費用がかかる牡蠣養殖を、皆さん断念しました。
現在、唯一このご家族だけが、養殖再開を目指しているからです。


先日、ダイバーが牡蠣養殖予定ポイントの海底調査をしましたが、
瓦礫は残っているものの、海底は皮肉にも津波で一掃され、美しい砂地となっていました。
アナゴやアワビなどの生物も戻り、もう一度、豊かに息づこうとしていました。
ご一家も、その海で質のよい牡蠣の生産をすることを、心待ちにしています。

皆様お一人おひとりに、顔の見えるご支援をいただき、
牡蠣筏を、あの海に浮かべたいと願っています。
是非、復興への道のりを共有していただければと思います。
なお、支援の御礼として将来皆様にお送りする牡蠣は、
殻つき20、むき牡蠣1キロくらいになるということですわーい(嬉しい顔)


「伊里前牡蠣復興支援 結っこ基金」ホームページ
http://www.maruta-takuyo.co.jp


※HPは、私コピーライター、WEBデザイナー
ファイナンシャルプランナーなど、ほんとうに様々な
ボランティア有志のネットワークで、
完全無償で作られています。
My Mixiであり、ロスに住むジャズギタリストの友人、Zak Magamiさんに翻訳のご協力をいただいた一通のメールが、Gibsons社の公式facebookページで紹介されました。 Zakさんによる翻訳や、ギターリペアの専門技術等、 それぞれのスキルを生かした、新しいスタイルの被災地支援の可能性を感じています。

以下、facebookに紹介されたGibsonのコメントとZakさんのmailです。

******************

Here's a heartwarming story! Zak Magami sent this story in to us. Thanks for sharing this Zak...if any of you mentioned below are out there on FB, stop in and say hi!

From Zak:
"I would like to share a story of Gibson Guitar that went through the Tsunami in Japan 3/11 in 2011 and that guitar is supporting the family.
A friend of mine Ms. Ritsuko Nobe is helping families at a temporally housing center as a volunteer in North Eastern Japan after the earthquake and tsunami hit. She shared with me this story.

One of the families that Ristuko met was The Chiba family who run Oyster business which has 50 years of history in Utatsu town of Minami Sanriku area. But on March 11th 2011, they lost everything by 65 feet of Tsunami. Mr Chiba, he really likes to play guitar and purchased Gibson J-45 in 2006 which he loved so much. This Guitar was taken by the Tsunami in 3/11. But fortunately it was found under the collapsed house 2 miles from his home a month later. His guitar was protected by the hard shell case but salty and muddy water penetrated into the case. The warped guitar was not offering any sound at all. He took the guitar to the shop that he punched for the repair, the shop owner mentioned to him it was much cheaper to buy a new one , since it was not reparable. But this guitar has a special meaning to him because it went through the Tsunami like his family. So he cleaned up his guitar and made it to make sound coming out. The sound heals all the families in the temporally housing.

But his guitar condition was getting worse and worse, it may end up unplayable soon. Then God found a repairman for him. His name was Mr. Saito, he offered to repair Taku's Gibson guitar voluntary [at no charge]. Mr. Saito has never experienced to repair the one which damaged by Tsunami, but he has been repairing Taku's Gibson now.

Now Taku is dreaming to have his family Oyster business back so as his Gibson. When he plays guitar, all his family is going to sing to share fun time to forget the day of 3/11. His precious Gibson J-45 guitar is supporting him and his family too."

See the of the pictures in the Album "Tsunami Guitar"

作成: Gibson Acoustic Guitars

*********

「伊里前牡蠣復興支援 結っこ基金」、これまでに全国から
562口のご支援をいただきました。
http://www.maruta-takuyo.co.jp/

2012年春、少しでも伊里前湾に牡蠣筏を浮かべるため、
3月にはご一家で上京をし、東京での街頭募金活動も
実施することになりました。たいへん厳しい状況のなかでは
ありますが、家族で、復興へ向けた歩みを続けています。
引き続き、ご支援を宜しくお願いいたします。
★ミワ★さん

3月10日に品川・銀座にてのチラシ配布になる予定です。詳細が決まりましたら、またお伝えしますね!有り難うございます。
>みやこしさん
写真でのアップ、有り難うございました。仙台放送さんの「ともに」は、関西、東海、岡山、熊本でも生ではありませんが放送があるようです。被災地への継続的な取材で、内容を検討された素晴らしい番組だと思います。
★ミワ★さん

3月10日に予定していました千葉家によるチラシの配布ですが、諸般の事情で今回は延期になりました。また、追って動きをお知らせいたします。有り難うございます。

南三陸町歌津で牡蠣養殖の復興に向けて歩む千葉一家の奥様、和恵さんがレミオロメンの藤巻亮太さんの歌を聴いて、その想いをブログに綴りましたので、ご紹介します。被災地に届いた美しい歌が、新しい春を連れてきますように。






レミオロメンから独立し、2/29にソロデビューをした藤巻亮太さんから、「光をあつめて」のCDを贈っていただきました。有り難うございます、藤巻さん。

私と藤巻亮太さんとのご縁は2011年11月でした。50過ぎの私は正直、お名前を存じませんでした。初めてお会いしたのは、レミオロメンが被災地支援活動のひとつとして行なった、南三陸町歌津・平成の森アリーナでのライブ「歌の炊き出し」のお手伝いがきっかけでした。藤巻さんはとてもシャイで温かい青年で、お話しをしているうちに、私はなんだか息子のような親しみを覚え、初めて聴く歌声に耳を傾けました。震災から8ヶ月を経て、疲れがたまっていた頃でしたが、すっと心に入る歌ばかりで、元気を沢山いただきました。


被災した2011年春。絶望にうちひしがれた私たちの多くが、瓦礫の街に僅かに残った木の枝に芽吹いた桜を見上げ、立ち止まりました。津波に遭いながらも、生き抜き、咲いた桜の奇跡に、自分たちを重ねずには居られなかったのです。藤巻さんの「光をあつめて」という歌にも、「桜」が出てきます。『雪どけの青い空の下、咲いているのは 透明な桜』・・・その桜は、大きな不安と希望が危ういバランスで交差する、私の心にも咲いています。


今、私たちにとっての「光」は、私たちを支援してくださる一人ひとりの方の想いであり、心です。お一人ひとりの光が集まって、ひとつの大きな光となり、私達家族がどんな苦難も乗り越えられる、勇気と希望となっているのです。この歌を聴く度に心を打たれます。支えてくださっている皆様のことを想い、私たちは幸せ者だなあ、と涙がこぼれます。


南三陸の冬は長く、歌津には今日も雪が降りました。私たちを取り巻く状況はまだまだ厳しいものですが、薄紅の桜が咲く春に向かい、歩んでいきます。支援していただく一人ひとりの皆様、そして歌を贈ってくださった藤巻さんへの恩返しのためにも、必ず牡蠣養殖の復興を頑張ってまいります。

千葉和恵 (3月5日 記)




http://www.maruta-takuyo.co.jp/
南三陸町歌津 伊里前牡蠣復興 結っこ基金HP
「復興のあゆみ」より
こんばんわ。
建築に進んでいる大学生です。

27.28日に南三陸町を中心に、現在の状況と自分の目で見ておきたいのと
建築がどのように進んでいるのかを見に行こうとしています。

以前、テレビで南三陸町で営んでいる【志のや】という料理屋が紹介されており
そちらにも訪れたいと思っているのですが詳しい場所までメモをとることができませんでした。

もし、知っている方いましたら教えていただけると助かります。

よろしくお願いします。

不適切な質問であれば、ご指摘いただければ消します。
> 私の親父は黄猿です。さん

新潟の者ですみません^^;
先日、南三陸町の冊子をいただいたんですが…

「志のや」さん
2冊子とも掲載されてますが…住所が違いますあせあせでも電話番号は同じです。

南三陸町志津川にできた
福興名店街
「みなみさんりく さんさん名店街」MAPに名前もあります。

地元の方からの情報がUPされなければ…
私で良ければ…
住所2個ありますが、電話番号とともにお知らせしますよ(^^ゞ

写真が見にくくてすみません^^;
東日本大震災被災直後に道路が寸断されて使いにくい状況の中、輸送に地方空港や地方海港が使われたというのはどの程度信憑性があるのでしょうか?
陸上自衛隊による物資輸送は当初から道路をつかっていたから、道路が使えなかったというのはガセネタだと言われましたけど。
> 私の親父は黄猿です。さん
「志のや」をお探しとの事ですが、震災前の消防署は分かりますか?
復興名店街は、消防署跡地に出来ました。
のぼりも出ていますし、駐車場もあり商店街の中に入ると看板もあります。
震災から一年二ヶ月が経ちました。
以前皆様にお話しをした、南三陸町歌津で牡蠣養殖の復興を目指す漁師、千葉正海ご一家も、おかげ様で、この5月に一台の牡蠣養殖筏を海に投入しました。

以下は、昨日奥さんの和恵さんから聞いた話です。

伊里前湾のお隣、志津川湾では震災後に育てた牡蠣が想像以上に早く育ち、出荷ができないという問題が起こっているそう。苦労をして育てた牡蠣も、収穫後に牡蠣の身を一晩きれいに浄化する施設がないと出荷することができないからです(殻つき牡蠣でも同条件)。地方の牡蠣養殖産地の処理施設に運ぶ案もありますが、それでは輸送費が嵩み、逆に損失になってしまいます。最悪、育った牡蠣を粉砕して破棄する道を選ばざるを得ないといいます。

現在、結っこ基金でも1000万円以上のご支援をいただいていますが、牡蠣筏が一台のみ入ったのみで、まだまだ必要である浄化施設建設ビジョンまでには行き着いていません。牡蠣養殖資材には来年の三月までに限り、一部、行政の支援が受けられますが、それは領収書を提示しての後払い。そのタイムリミットも近くなってきました。彼らが流出した家のローンが免除されないため、銀行からの借り入れもできず、先に動くことができません。基金だけが、命の綱となっています。

ご一家の生活ですが、昨年は瓦礫の処理などで日々の現金収入を得ていましたが、今年は協業でのワカメ漁でしのいでいます。それも先日終了しました。全国ネットのNHKニュースにも南三陸町の風物詩として取り上げられた春のシロウオ漁は希少な生活の糧ですが、先日の悪天候で川の仕掛けが崩壊し、またゼロから石を積み上げました。

費用がかかりすぎるため、震災後一度は諦めた歌津伊里前湾の牡蠣養殖再開。息子さんも老人介護施設の臨時職員を辞めて、牡蠣養殖再開への取り組みを続けています。力の限り歩む彼らに、どうぞ今一度、お手をお貸しください。ご一家への支援は水産業への支援=歌津の力。たくさんのよい連鎖を運ぶ光です。

被災地への関心が薄れてきた、これからが本番です。mixiでの告知でも、チラシの配布でも(店舗や病院での待合室の設置、イベントや個人での配布等など、ご協力いただける方にはお知らせください。お送りします)、牡蠣の好きな友達やお知り合いへの声がけでも構いません。あらためてよろしくお願いいたします。


どうぞ、美味しい三陸の牡蠣と、町の未来を共有できますように。


http://www.maruta-takuyo.co.jp/


写真は、写真家のシギー吉田さんに撮影いただいた千葉親子(2012年4月)
シギー吉田さんのサイト
http://reportjapan.com/
今月のGW中、わずか3泊4日ですが、南三陸町に復興支援ボランティアに行って参りました。
去年の8月のお盆休みにも4泊5日で参加してきたのですが、
一年3ヶ月経った今も、まだまだ土砂に埋まったガレキの撤去作業が必要な地区がある現実に、この震災の被害の甚大さをまた改めて思い知らされた気がしました。
前回もそうでしたが、外国人ボランティアが多く参加していることに、深い敬意を抱きました。
日本人のひとりとして、もっとこの活動の必要性を、機会ある毎に発信して行きたいと強く思いました。

今回久しぶりに参加して、ボランティアセンターに新しいボランティアの形として、
食べるちょこっとボランティア「チョコボ」というお菓子(箱入りのクランチチョコレート)が販売されていましたが、とても良い取り組みではないかなと思いました(^^)
私も家族へのお土産にと、購入しましたが、東京に帰ってこのお菓子をきっかけにボランティアの話題を自然に出すことが出来たのは、よかったです。
南三陸町以外にもこのチョコボを販売している地域があるそうですが、きっかけはどんな事でも、皆の意識を高めるために良いことならどんどん広がって欲しいし、私自身もほんの少しの力ですが、細く長く続けて行きたいな、と思いました。

前回も今回も、南三陸ホテル観洋に宿泊させていただきました。作業後の疲れを天然温泉で癒すことが出来、新鮮な海鮮料理を頂けるのは、とても有難いです。
このホテルがあることが、ある意味でボランティア活動の一つの励みにもなっています。特に遠路からの参加は、ボランティアだけの目的で来るためには、やはり楽しいことも無いとなかなか長続きしないのが現実だと思います。
そして、高速道路料金の免除など、行政のバックアップの有無も、活動を長く継続するためにまた重要と感じます。
これからも少しずつ皆で前進していけたら良いなと願う気持ちです。
スミマセン、先ほどの書き込み、震災から1年3ヶ月と書きましたが、正しくは1年2ヶ月ですね、訂正します(^_^;)
>ごっちんさん


書き込み 拝読させて頂きました。
自分の思いとリンクする部分が多々あり、コメントさせて頂いた次第です。


実際に被災地へ伺っていると、未だに復興が続いている事や 細く長い支援が必要な事を感じますよね、、、それと裏腹に 風化も。。。

不謹慎と捉える方もいらっしゃるかも知れませんが、人との出会いや地域復興の進展を見る等を含めた楽しい事が無ければ、少なくとも自分は 継続する事が出来なかったと思っています。


今後も続く 南三陸町での活動の御安全と御尽力を祈念しております。
東京からです。昨日初めて南三陸を訪れました。正直唖然となりました。言葉にならなかったです。バス停で1人の女子高生と出逢いました。ふれてはいけない事なのか迷いましたが、当時の事を詳しく聞いてみました。彼女は、家も流されて友達も行方不明だそうです。しかし、彼女は悲しむ表情を見せずに笑顔で話してくれました。いつまでもくよくよしてらんない!って事なんでしょう。本当は俺たちが元気をあげなきゃいけないのに逆に元気を貰いました。その女子高生は強かったです。どんな有名なキャスターが喋っても伝わらない言葉がその女子高生にはありました。ありがとう。また行きます。
はじめまして。
解体されるのですかもうやだ〜(悲しい顔)
昨年のお盆の時に、秋田からの帰りに、防災庁舎に立ち寄らせてもらいました。正面入り口で、手を合わせ、ご冥福をいのりました。
色々な御意見などがあると思いますが、残してもらいたかったですもうやだ〜(悲しい顔)

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