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レンブラント・ファン・レインコミュのレンブラントの弟子だった Gerrit Dou の展覧会に行って

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その日の日記から


外国語の日本語表記は面倒だ。 オランダに長く生活していて日本語表記には悩まされる。 それは元の言語の発音をカタカナにすると その言葉が話される現地で生活している者にはしばしば全く見当のつかないものになって、それは日本語にない音を聴いた結果無理やりカタカナに押し込める結果でもあるのだが、 Gerrit Dou の場合はそれにはもう一つヒネリがかかっているように思う。 実際には違うけれど強いて言えば へリット・ドウというのが原音に一番近いのではないかと思う。 今ブラジルで開かれているサッカーの世界選手権ではオランダがかなりのところに行っているけれどオランダ選手の名前にしてもこれが顕著で、メディアに見られる選手の名前がどうしてそんなカタカナになるのか苦笑し首をかしげるものが多い。 それはオランダ語に通じない者たちがオランダ語表記を英語風に読みそれをカタカナにしているからだったり翻訳、通訳をするものの中途半端な判断がそんなカタカナになったりするからのようにも思える。 それにしてもオランダ語で正式名が Gerrit であるものを何故 ヘラルト(Gerard とも呼ばれることもある、というのであればそれはヘラルドだろう)にしたのかという難癖もでないでもない。 いずれにせよ取敢えずウィキペディアの項を引く。

ウィキペデア;ヘラルト・ドウの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A6


本展覧会に関する画像の幾つか;
https://www.google.nl/search?q=gerrit+dou+lakenhal+leiden&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=Aee0U-qBIsjvPIzsgcAJ&ved=0CDUQsAQ&biw=1679&bih=922

先日ふと思いついて自転車で今までもう何度も出かけている自分が住む町の美術館で開かれている展覧会に行ってきた。 アメリカにあるものを20枚ほど借りてきてそれを一時里帰りさせた企画だそうだ。 その画家の名前は聞いたことがあるけれど17世紀の風景画をよくした人だろうと思っていたら他の画家と思い違いをしていた。 その人に関する知識はその程度だった。 レンブラントが生まれ幼少期からアムステルダムに出るまでいた町に生まれ、死ぬまでそこで住んでいるから自然と自分が日頃歩いたり自転車で走ったりするあちらこちらの通りや場所の名前が説明に書かれていて、それでレンブラントと同じく彼にちなんだことを知るようになりレンブラントと同じくこの人を身近に感じるようになった。 この画家がレンブラントが生まれ育った場所から近いところにガラス職人の子供として生まれたのはレンブラントが7つの時で、15歳のときにレンブラントの弟子になっているのだからレンブラントはそのとき22歳、今から考えるととても若いように思えるけれど今でいうと中学を卒業する年齢で職業教育をうけるのだからそれも分からなくもない。 レンブラントが22歳のときなのだから今で言えば国立美大で天才学生がそのまま教授になりその助手としてキャリアを始めた、というようなものだろうか。 今の美大以上に専門性が強かったのだろうからそれだけ自然と早熟性も強かったのだろう。

展覧会で観たものはどれも小さく個人の注文の肖像画が多かった。 取り分け縦15cmほどに描かれた細密画のようないくつかのポートレートはレンブラントにはあまり見られないものでそれがこの人の専門性のようなものを示しているのではないか。 つまりこのような小さな作品でも生活の糧を得ていた、ということのようだ。 レンブラントは当時の富と権力を誇るアムステルダムの富豪、ギルド等の注文を受けていたから自然と大きなものを描き当然収入もそれに応じたものとなっている。 師の陶薫を受けていたのだから技術的には申し分がなかったのだろうけれどアムステルダムに出ることも外国に出ることもなく地元にいてそこに来た注文に応じて生活をしていたようで当然注文主は裕福な層であって貧しくはない。 鼻をカンバスにつけるようにして観た小さなポートレートは大広間に飾って大勢に見せるものでなくこじんまりとした部屋、棚において観るものであり、それはまさに今、仕事場の机の上や家庭の居間に飾られるちょっとしたポートレート写真に相当するものだ。 地元の写真館に出かけて作ったものに等しい。 けれど150年ほど前の肖像写真は別としてもこんな小さなポートレートを描くのに坐る時間の面倒さを考えるとちょっと堪らないような気がする。 モデルを前にしてこんな小さなものに細かな筆で背を丸めて覗き込むようにして作業する姿が眼に浮かぶようだ。

小さなものばかりでもなく当然普通のサイズのものも見られ、その中で取り分け興味深かったのがレンブラント作にみられるのと同じ人物がモデルとして登場し描かれていることだ。 去年インスブルックで観たレンブラント作の一枚のことを次のように書いた。  

インスブルックの美術館でレンブラントを見た
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/63723893.html


インスブルックで観たものは1630年の作だ。 この人物がモデルになっているものが二枚あった。 横向きの男ともう一つはこの展覧会のパンフレットになっている「羽根ペンをけずる学者」と題するもので、そこには傾いた砂時計、火の消えたランプは命の終わりが近づいていること、毛皮のマント、金のイヤリングは富、羽根ペンを削る仕草は知性を磨くというような寓意になっていると説明されていた。 これらは1630年から35年の作だとされているからへリット・ドウ17歳から23歳の作である。 インスブルックのものはレンブラント24歳の時のものだ。 ライデンに生涯住んだ へリット・ドウ がアトリエをもっていたのは処刑された者が晒しものにされていたライン川沿いの岸でそこの跳ね橋の近くでレンブラントは生まれレンブラントの父親がもっていた粉引き用の風車は橋を越してそこにある。 昼休みにそこを通り過ぎたときに撮った写真と文を下に引く。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/63924988.html

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