ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

本当のスピリチュアリズムとは?コミュの スピリチュアリズムの発端 “フォックス家事件”

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

スピリチュアリズムは、高級霊界からの働きかけである「フォックス家事件」 が発端です。
この事件は、その後盛んに行われるようになった心霊研究発生の因とされました。
それは、心霊研究に必要不可欠な
1.死後霊魂の存在の暗示
2.顕幽間の交通の可能
3.霊媒の存在
という3つの条件が示されたからです。

このトピックでは、フォックス家事件についての書き込みの場とします。

コメント(4)


 長文になりますので、〜其の一〜から〜其の三〜に分けて書きたいと思います。
 参考文献は 『人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅』・『神の発見』 です。 


フォックス家事件 〜其の一〜 

 1847年12月1日。アメリカのニューヨーク州、ハイズヴィルという小さな村にある一軒の家に、フォックスという一家が引っ越してきました。家族はフォックス氏と妻、娘のマーガレット(14歳)と妹のケート(12歳)の4人家族です。
 ところがこの家では、寝室や地下室でコツコツというわけのわからない不思議な物音がするのです。娘達は寝ているところを冷たい手でなでられたりしました。しかし格別危害を加える様子もないので、一家はここに落ち着くことにしました。
 しかし、翌月の3月に入ると、物音は大きくなり、家具を揺すったり引きずったりする音まで聞こえます。とうとう3月30日の夜などは一晩中、そういう音の他、人が階段を地下室へ降りて行く足音、その地下室にある食糧室を何か物を引きずって行く音、はては寝ているベッドがガタガタ振動させられ、一家は眠ることもできず、翌日の31日には睡眠不足でふらふらになってしまいました。
 それで、31日の夕方にはまだ暗くならないうちに、早く眠っておこうということで、一家は早くベッドに入りました。
 ところが、ベッドに入るか入らないうちに、もう例の叩音が始まったのです。少々その叩音にも慣れてきた娘達は、次のような遊びを始めました。妹のケートが「お化けさん、私のするようにしてご覧」と言って指をならすと、何と同じだけの数をその叩音が答えたのです。姉のマーガレットも面白がって今度は手を叩くと、叩音はまたしても同じ数だけ叩音で答えました。フォックス婦人はこの遊びに驚き、「私の子供は何人?」と叩音に向かって質問をしました。すると叩音は7つ音を発しました。そうです子供は7人です。4人は他所に住んでおり、一人は死んでいるのです。次に婦人は子供達の年齢を問うと、叩音は長子から順に、正確に叩音でその年齢の数だけ叩きました。そして最後は3つだけ叩きました。末子は三歳で夭折していたのです。
 さらに婦人が質問をし 、「イエス」なら2つ叩音を発するというやり方で叩音に問いかけました。それによると、叩音の主は「31歳の男性で、殺され、死体はこの家の地下室に埋められている。家族は妻と子供5人、ただし妻は自分の死後に死んだ」という通信文が得られました。
 仰天した婦人は、あわてて近隣の人を呼び集め、12〜14人が来ました。その中にいたデュスラー氏が同じ通信方法で質問したところ、 「私の名はチャールス・ロスナ。行商人で、5年前の火曜日の夜12時に、東側の寝室で、肉切包丁で喉を切られて殺され、死体は地下室に引きずりおろされ、翌日の夜になって地下10フィート下に埋められた。所持金500ドルを奪われた。犯人は裁判にかけられず、法律で処罰されることもない。」という通信文が得られました。
 質問は夜12時過ぎまでかかったのですが、その頃には川で釣りをしていた人達も多数集まって、この叩音を皆が聞きました。
 この噂は瞬く間に広がり、翌4月1日には300人以上の人が集まり、夕方から叩音が始まると、全ての人がその音を聞いたのです。夜に入って地下室の発掘が行われましたが、出水が多く発掘は中止されました。
 2日の日は午前中から叩音が起こり、やはり集まっていた多数の人がこれを聞いています。その後10日間ばかりは叩音はなかったのですが、それからまた再開されました。

 その夏、水がひいてから発掘は再開され、地下室の地下5フィートの所に一枚の板、その下から木炭と生石灰にまじって、人間の毛髪と少量の骨がでてきました。この骨は医学的な鑑定の結果、人間の骨であることが証明されています。ただし、少量だったため殺人の裏付けにはなりませんでした。
 しかし、人骨と毛髪の発見は通信文の通りであり、このことは霊魂の存在とその死後の通信を伺わせるには十分なものです。
この事件が新聞で報道されると、見物人はひきも切らず毎日押し寄せ、大変な騒ぎになりました。

 フォックス家事件 〜其の二〜

 この事件以前から、叩音現象は起こっていました。
 もともとこの家にはデュスラ氏一家が住んでおり、その当時は全く叩音現象はありませんでした。
 1843年からジョン・C・ベル一家が住み始めました。この一家が住んでいた当初、叩音現象はありませんでした。しかし、この家でお手伝いをしていたルクレチア・パルバーという娘が次のような証言をしています。
 1843年のある日、顔馴染みの行商人チャールス・ロスナが来ました。大きなブリキ製の箱をかつぎ、その中には衣類や布類がいっぱい入っていました。ロスナが来ると間もなく、パルバーは急に解雇されました。ベル婦人も隣村へ行くというので、パルバーは一緒に家をでました。出る時、ロスナが持って来た衣類の中からモスリンの布を選び、隣村の父親の家へ届けるように頼みました。ロスナは「明日届ける」と約束したきりで、それ以後パルバーはロスナの姿を見ていないというのです。
 おかしなことに、パルバーは3日目に解雇をとかれ、再びベル家に戻ってきました。来たその日より、寝室で不思議な叩音や踵で床を蹴る足音を聞くようになったというのです。ある日地下室の食糧庫へ行くと、穴に落ちたそうです。柔らかい土で埋められた箇所で、ベル婦人に助けあげられました。婦人に「どうして掘ったのか」聞くと、婦人は「ネズミの穴だ」と答えました。2日後ベル氏はその穴を土で埋め固めました。その3ヶ月後にベル一家は引っ越して行きました。その少し前に、パルバーの母親が訪ねて来た時、ベル婦人は母親に「一晩中、家の中を行き来する足音で眠れない」とこぼしていたそうです。
 ジョン・C・ベル一家が引っ越してから三年間は空き家でした。その後、マイケル・ウィークマン一家が一年半ほど住んでいましたが、やはり叩音に悩まされ引っ越しています。そして、フォックス家一家が住み始めました。


 フォックス家事件より56年後の1904年、11月23日付の『ボストン・ジャーナル』紙は次のように報道しました。「行商人チャールス・ロスナに相違ない骸骨とブリキ製の箱を発見」。
 実は、「お化け屋敷」と呼ばれていたフォックス家の地下室で少年達が遊んでいたところ、壁が崩れ落ちた斜面の直下にそれを発見したというのです。この事件は内外の新聞で報道され、フォックス家事件は改めて大きな衝撃を人々に与えました。
心霊研究家であり、また有名な探偵小説家であるコナン・ドイルは、「犯人は初め、死体を地下室中央に生石灰などと一緒に埋めた。しかしそこは発覚しやすいと思い直し、掘り返して壁の直下に埋め直したのである」と推理しています。

 この発見及びルクレチア・パルバーの証言から、フォックス家事件がおそらくジョン・C・ベルの犯行であったこと、叩音通信が殺された行商人ロスナからの通信であったと容易に推測できます。しかし、事件後すでに50数年を経ており、犯人と思われるジョン・C・ベルは死んでいます。叩音通信にあったように、犯人は裁判にかけられる事なく、法律で処罰されることはありませんでした。


古来より、幽霊現象は世界のどこででも、数しれず起こっています。しかし、今回のフォックス家事件のように、殺人の証拠資料を呈示したものはほとんどなく、死者と生者とが叩音で通信をかわすということも、ありませんでした。
このようにフォックス家事件は、霊魂の死後生存と、顕幽間の交通の可能を示す、画期的な事件でした。

 フォックス家事件 〜其の三〜

 この叩音通信は、事件後さらに改善され、イサック・ポスト氏の発案で、 アルファベット交信法(人がABC…と発音していき、該当する箇所で霊が叩音で合図する。これらの文字を綴ると明瞭な文章がつづられる。)となりました。

 事件後まもなく、姉娘のマーガレットは姉リー(ロチェスター居住、既婚者)の家に、妹娘のケートは兄(オーバン居住)に、それぞれ預けられました。それは、フォックス家に見物人が毎日押し寄せ、住んでいられなくなったためです。ところが、2人が行った家でも同じ様に叩音現象がおこりました。特に姉リーの家へ行ったマーガレットの方に一層際立った叩音が発生しました。そこで、次のことが明らかになりました。叩音現象は、単に霊魂がいるだけでは発生せず、死者からの叩音を可能とする霊媒体質を持った人間、つまり霊媒の存在が必要である。
 (姉リーの家に行ったマーガレットの周辺で特に叩音が著しかったのは、実は姉リーも霊媒体質だったためです。フォックス家には霊媒体質の血が流れており、高祖母も、叔母も不思議な予知能力で知られていました。)

 マーガレットとリー、それにこの家に寄寓していたブラウン氏と3人で、叩音アルファベット通信を始めた時、「友よ、この真実を世に公表せねばならない。これは新しい時代の曙光である。これはもはや隠してはいけない。貴方がたが義務を果たす時、神は貴方がたを守り、善霊達は皆さんを守るだろう。」という通信がありました。

 また、フォックス家事件後、これがきっかけとなって、アメリカの各地に同様な心霊現象が起こっていることが報ぜられ、一種のブームが起こりました。その中で最も際立った現象のため大評判となったのは牧師フェルプス博士宅での現象でした。子供達数人が霊媒体質だったので、顕著なポルターガイスト(騒ぐ幽霊)現象が起こるのです。あまり騒ぎが大きいので、優れた霊覚者であり霊視能力者 アンドリュー・ジャクソン・デヴィスが視察にでかけています。彼が霊視して見ると、数人の霊界人がスピリチュアリズム普及のために働いている姿が霊視されました。また、現象の一つに象形文字がでたため、デヴィスが解読してみると、「高級神霊界の天使の一団が、地球人類との疎通を求めて、下級界の霊団を通じていろいろと手段を講じているところである」と読めました。

 実は、このフォックス家事件の2年前、A・J・デヴィスは、霊覚による三冊の著述『自然の原理』『自然の黙示』『人類に与う』のうち、『自然の原理』の書の中で、フォックス家事件の発生を予言していました。
 「霊と地上とが交通できることは事実である。この事実はまもなく実現をみるだろう。現在その優秀性のゆえに火・木・土星の住人達が行っているように、それは確立されるだろう」と。そして2年後の3月31日夜、デヴィスはとび起きて、「いま、その事件が起こった」 と日記に記しました。まさしくその頃フォックス家事件が生起しつつあったのです。
 
 また、フォックス家事件から30年ほどたった同じ3月31日、神命を帯びた霊団の指揮者インペレーターから受信者のモーゼスに次の通信(モーゼスの『霊訓』の一節)が伝えられました。
 「今夜は大勢の霊が活発に活動しています。本日が記念すべき日だからです。スピリチュアリズムが発生当初、高級霊界から地上へ莫大なエネルギーが注がれ、その結果霊媒現象が開発されました。それは新しい生活へのよみがえり、そのための橋が架けられたのです。このゆえに我々はこの日を記念して祝います。スピリチュアリズムとは実に『霊界からの声』、我々はこのように呼びたいと思います。」

 フォックス家事件後、多くの有能な学者達が科学的手段を用いて、真剣に心霊現象・霊媒現象に取り組む心霊研究が盛んに行われたのです。

シルバー・バーチがスピリチュアリズムの発端からほぼ百年の歩みを振り返って次のように述べています。
 「私たちの仕事が始まった当初、世間の人はなんとたわいもないことをして、と軽蔑の眼差しで見たものでした。“テーブルラッパー"ーー彼らはサークルのメンバーをそう呼んで軽蔑し嘲笑しました。しかし、そうした現象も実は大きな目的を持った一大計画に組み込まれていたのです。私たちの意図した影響力は次第に大きくなり世界中へ
広がって行きました。偏見によって目隠しをされ理性が迷信によって曇らされている者は別として、やはり著名人の証言が全ての人に尊重されるという考えからそういう手段を選んだのです。
 その後もますます多くの人材が同じ霊的影響下におかれていきました。霊媒も増えました。サークル活動が広まり盛んになりました。科学、医学、思想、宗教、その他ありとあらゆる分野の人をこれに参加させ、当時すでに猛威を奮っていた誤った物質万能主義を否定する現象、新しい高度な生命観を示唆する霊的事実、唯物思想の終焉を予告する目に見えない力の存在へ目を向けさせました。」
この言葉から、あらゆる分野の著名人を心霊研究に参加させたのも、神界の働き掛けであったことがわかります。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

本当のスピリチュアリズムとは? 更新情報

本当のスピリチュアリズムとは?のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング