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源実朝…金槐和歌集コミュの実朝の歌をせっせと書き込むトピ

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徐々にメンバーが増えてきました。

お好きな歌でもよし。
お好きな歌に解説をつけるもよし。
名歌と呼ばれる割に何が名歌なのか分からなくて訊くのもよし。

どうぞ、お好きに使ってください。

歌がかぶったら総計して人気投票にしてみようかしら。

コメント(32)

とりあえずこけら落とし。ごめんなさい長いです。


★くれなゐのちしほのまふり山の端に日の入る時の空にぞありける


実朝を扱う本なら絶対に載っている名歌なんですが、私は最初これの良さが分からなくて何でこれが名歌なのかと困っておりました。

さらに「ちしほ」を「血潮」だと思い込んでいましたから、何やら物騒な歌だな、くらいに思っていたのです。ところが「ちしほ」は「千入」、それから「まふり」は「真振り」と読むのだそうで、真振り染めという、染料の中に生地を何度も漬け込む古代の染め物のことだと知り、さらに訳が分からなくなりました。

以上を考えて歌の意味としては「夕暮れ時の山際の空は、真振り染めの色みたいだな」くらいのもので、何だこりゃという気もする。

でもある時ふと思いついて、夕暮れの、まさに太陽が隠れる時に現れる空の赤は一日のうちでほんの一時間もないわずかな時間しか見られないという当然のことを忘れていたことに気付きました。「夕暮れ」と漠然と思う時、私は時間の経過を見ずに独立した一枚の画像を思い浮かべるつもりでいたわけで、そう考えるとこの歌は長い一日のうちのわずかな一瞬をとらえたものであると思えるようになり、その瞬間に立ち合った実朝はものすごい集中力で言葉をもぎ取っています。ではもう一度。


★くれなゐのちしほのまふり山の端に日の入る時の空にぞありける


眺めていて何か言おうとしても嘘になりそうで、考え事をしている時に背中をぽんと叩かれたら出てきそうな言葉。この歌を解説するのはそういう言葉が必要だと気付いた次第。よくある実朝本などの解釈としては「格調高い調べ」などとも言われることがあります。そんなこと言われても困っちゃうわけで、ひょっとしたらこの歌は解釈を拒んでいる名歌なのかも知れません。
このコミュニティに参加して、ほんとに十年ぶりってくらい久しぶりに実朝の歌に触れています。
ああ、うれしい。。。知識として深くなくても参加させていただいていいんですよね。ね。ね。(少しはあったハズ!の知識がこの10年あまりで消えうせました。)

さて、本題。さね太さんオススメの歌もですが、どどーーんロゴの元歌?「われてくだけてさけてちるかも」にしても、作者がその場面を 〜ただじっと眺めているイメージ〜 と 〜無音・静寂〜 のイメージがついて回るんですよね・・・・。
個人的意見ですけど。

出来た歌はおしゃべりなのに、ココロは無口って感じかなぁ。
万葉調と批評されるのは何故?と思う所以が、ここなんですよね。
>ゆうみははさん

スルドイ!

『作者がその場面を 〜ただじっと眺めているイメージ〜 と 〜無音・静寂〜 のイメージがついて回る』

実朝の代表歌って、どれもそこに行き着きますね。

「萩の花」もそう、「われてくだけて」もそう、あとは…「あられたばしる」なんかはまさに『出来た歌はおしゃべりなのに、ココロは無口って感じ』という言葉がピッタリです。

★もののふの矢並つくろふ小手のうへにあられたばしる那須の篠原

ありがとうございます。
>1:さね太さん。
たしか染色の技術で、布を黒く染めるときに、一度深紅に染めてから黒く染めると深い黒色に仕上がると聞いたことがあります。
実朝の歌も、そのあたりのことが念頭に置かれているのではないかと思います。深い闇に包まれる前の真っ赤な空ってことで。


★箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ

私は最初、この歌が何故名歌と呼ばれるのかがわからなかったのですが、実際にこの歌が詠まれた舞台である十国峠に行ってみて初めてわかりました。
箱根路の雄大な景色から海→島→波とズームアップしていくというか収束していくというか、その辺りの景色のとらえ方を詠み切ったところが、この歌の名歌たる所以かなと、個人的には思いました。
>アンダーザミントさん
『布を黒く染めるときに、一度深紅に染めてから黒く染めると深い黒色に仕上がる』

なるほど、それは素晴らしい。漆黒の夜の闇を一枚剥くと「くれなゐ」が出てくるのですね。
ようやくこの歌の中腹あたりに辿り着けた気がします。
ありがとうございます。

★箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ

詞書「箱根の山をうち出でて見れば浪の寄る小島あり、供の者に此うらの名は知るやと尋ねしかば、伊豆の海となむ申し侍るを聞きて」、最短で実朝16歳で詠んだと言われる名歌中の名歌ですね。この遠くの浪の音は聞こえず、たった一部分をクローズアップしているだけなのに広い太平洋を感じることが出来る不思議な歌。実際に見に行かれたのですか、うらやましいです。
★たまくしげ箱根のみうみけけれあれや
 二国かけてなかにたゆたふ

一度見ただけで強く印象に残りました。
「二国」の中に「箱根のみうみ」が「たゆたふ」
ってことですよね

「たゆたふ」という感覚がとても身近に
感じられて、逆なんですが
お風呂で自分がお湯に「たゆたふ」ような・・
母の胎内のイメージを勝手に持ってます。。
ひさびさに。

★来むとしも頼めぬうはの空にだに秋風吹けば雁は来にけり
(遠国へまかれりし人、八月ばかりには帰りまゐるよしを申して、九月まで見えざりしかば、彼の人のもとにつかはし侍りし)

この歌、茂吉校訂の岩波文庫版「金槐和歌集」では雑の部に入ってますが、新潮版(定家本)「金槐和歌集」では恋の部に入ってます。長い間解釈に困っていたのですが、それは岩波文庫版がこう記述されていたせい。

☆来むとし(年)も頼めぬうはの空にだに秋風吹けば雁は来にけり

塚本邦雄も「来む年も頼めぬ」で解釈をしていて、その影響から「俺には来年はねぇ!」くらいの感覚でいたのですが、文法的にそれだとどうしても意訳に頼らざるを得ない。それでやっとたどり着いたのが「来む・と・しも」の品詞分解。これだと「来る、とはけして言わない(あてにさせない)空にさえ、秋風が吹いたら雁は来るのに(どうしてお前は来ない)」と、トントンと行きました。

詞書自体が「遠くに行った人が八月には帰ってくると言ってはずなのに九月になっても来ないので、そいつに送ってやった」ですから、恨み節なのか戯れ歌なのか…。こうして見ると実朝の歌にあるとされる「悲劇」は読む人の姿勢に左右されるものだと思うのです。

どちらかと言うと私は、その生涯の「悲劇(と我々現代人が感じる概念)」に較べて、歌はあっけらかんとしているように思っています。
季節がら。

(水上落葉)
★ながれゆく木の葉のよどむえにしあれば暮れての後も秋は久しき

三句「えにし」を小林秀雄の影響から「縁(=「えにし」)」と長らく勘違いしていましたが、これは「江に・し」。「し」は強意の副助詞、「待つとしきかば」の「し」、「来むとしも」の「し」。晩秋もしくは初冬に、川の入江に流れず淀む木の葉を見て秋がまだここにある、と少々感傷にふけっている歌。「縁」が掛詞になっていたとしてもかまわないのでしょうけれど…。

冬になっても秋を思い、夏になっても春を思うのは王朝和歌ではお約束みたいなものですが、王朝和歌が和歌のための和歌世界を作るのに対して実朝の名歌はそこに実朝自身の姿が立ちあがってくるのが不思議です。「われてくだけて」もそうですが佇む実朝の姿が目に見えるよう。
続いて。

(歳暮)
★はかなくてこよひあけなば行く年の思ひ出もなき春にやあはなむ

こちらも塚本邦雄が「思ひ出もなき春」としていて、実朝に桜の名歌がないのは春に思い出が何もないからだっ! と勝手に思っていました。でもそれだと「行く年の」との関係がうまくつながらないのでこれまた長い間解釈に困っておりました(そんなのばっかだなぁ)ところ、これは「『行く年の思ひ出もなき』春」であるという解釈があることを知り、安堵しました。

もっとも、安堵したと言っても「思ひ出もなき春」の方が個人的には衝撃的な印象で好きだったので、「行く年の思ひ出もなき」のあまりな普通さ加減とのギャップに打ちひしがれたというのもあります。でも考えてみれば「思ひ出もなき春」は、萩原朔太郎ばりの憂愁詩人という理想像を実朝に重ね合わせていたわけであって、そう読みたいからそうしていただけのことなんだな、と後から反省したのでもありました。

ところで「行く年の思ひ出もなき」だとこうなります。

「はかない気分のまま思う、今夜(大みそかが)明けたら、今年の(嫌な)思い出が(すっかり)ない新年に会いたい(したい/なってほしい)ものだ」

この歌を詠んだ時、実朝の今年は嫌な一年だったのでしょう。歴史考証として惜しむらくは、この歌が何歳の時に詠まれたかが分からないこと。でも詩としては具体的な嫌な一年は分からない方がいい。嫌な事件とこの歌がセットになるなら、この歌がますますつまらなく思えると思うから。
(まないたといふもののうへに
 かりをあらぬさまして
 おきたるを見てよめる)

★あはれなりくもゐのよそにゆく雁もかかる姿になりぬと思へば

たいへん好きな歌です。
この歌は秀歌だとか絶唱という類ではけしてないのですが、ある意味において現代短歌にも通じる問題を孕んだ歌です。「実朝、何があったんだ」という歌。

ひとくちに言えば、少なくとも私の知る限り王朝歌人で雁をこんな風に詠んだ人はいないわけで、よりによって雁の死骸を歌にしようなどというのは、はっきり言って当時としては「禁忌」と言ってもいいと思います。これを初めて見た王朝歌人は驚いたでしょうね。驚きかつ東国武者の野蛮さを軽侮したかもしれません。この歌は勅撰和歌集に採られていません。当然です。勅撰和歌集の部立てのどこにも、この歌を入れられる場所はありません。

こういうことを書くと野暮ですが王朝和歌にとっての雁は特別な存在で、天皇でさえ(歌の上では)その声に涙し来し方行く末に思いを馳せるのですから、春秋の雁は勅撰和歌集において重要なスペースをそれぞれ割かれています。もっとも、実朝に王朝風の雁の歌がないわけではありません。

 ☆ひさかたの天とぶ雁のなみだかもおほあらき野の笹の上のつゆ

 ☆雁のゐる門田のいなばうちそよぎたそかれ時に秋風ぞふく

これらは冒頭の「あはれなり」の突き放した詠みっぷりに較べたら遙かに穏健です(他にもあるのですが秀歌としていずれ書きたい歌もあるので実朝の歌の中でもあまり採り上げられることがない歌枕歌にしました)。このコミュニティの説明文に書いた「突然変異」というのは、実はこの「あはれなり」が念頭にあります。要するに普通に和歌を学習してゆくなら、「あはれなり」にはけしてたどり着かないということです。

王朝歌人たちが古今集以来の伝統の詠み方に少しずつ(ぱっと見には分かりにくいほど微妙に)新味を加えて行ったのに対し、実朝は途中の段階をすっとばして一気に現代短歌に通じるような、ルール無用の詠み方を会得しています。それは実朝の(歌学の上での)無知に由来するのか、若さなのか、性格なのか…。鎌倉と京都との地理的な問題と、それにまつわる歌学学習の方法なども考慮に入れなければならないでしょうけれど、このはみ出し方には常識的な判断材料を覆すほどの異常さがあるように思います。

ところでこの歌の雁を、鎌倉での雲井の人・実朝と重ね合わせて読むことも可能ですが、今はそういう読み方も出来る、というところでとどめておきたいと思います。


(まないたといふもののうへに
 かりをあらぬさまして
 おきたるを見てよめる)

★あはれなりくもゐのよそにゆく雁もかかる姿になりぬと思へば

「はるかな大空(≒都)の向こうに飛んでゆく雁も、こんな姿になってしまうと思うと、哀れだ」
私はどうにも実朝の歌枕歌が苦手で、ある種の固定観念かも知れませんが生涯鎌倉を出たことのない実朝が歌枕を使うのには抵抗があります。

同じ事は王朝歌人にも言えることで、生涯京都を出なかった都びともあまた居ますがそれでも実朝ほどの違和感は感じません。これは偏見かも知れません。

 (名所桜)
 ☆音に聞く吉野の桜咲きにけり山のふもとにかかる白雪

 ☆葛城や高間の山のほととぎす雲ゐのよそに鳴きわたるなり

 ☆伊勢の海や浪にたけたる秋の夜の有明の月に松風ぞ吹く

 (湖上冬月)
 ☆比良のやま山風さむみからさきや鳰のみずうみ月ぞこほれる

春夏秋冬から任意に抜き出してみましたが、これらははっきりと下手くそと言えるものだと思います。練習用の歌だと思えばよいのでしょうが、それぞれ歌枕の地名が他の場所のと差し替え可能なくらい必然性もなく(たとえば王朝歌人なら「吉野」を「みよしの」にして「見よ」の掛詞を埋め込む技術を使う)、「見よう見まね」というのが本当にぴったりです。

ただし、こういう歌ばかりじゃないところが実朝のすごいところで、歌枕を使いつつも強烈な歌もあったりします。

★なげきわび世をそむくべきかた知らず吉野の奥も住みうしと言へり

先ほどの吉野の桜が吹き飛んでしまいそうな、何とも言葉に困る歌。下の句「吉野の奥も住みうしと言へり」は「吉野の奥も住みづらいそうだよ」。並列の「も」があるということは他の場所もみな全て、ということですから「どこ行ったって無駄」というなげやりな感情が見てとれます。

王朝歌人にとっての「吉野」は桜と切っても切れない理想郷みたいなものですから、その吉野をここまで貶めることはあり得ないわけです。この前の「あはれなり」の雁もそうですが、こういう時の実朝は詠歌そのものの意義が揺らぐような現実的な境地にいるものと思われます。

これを地理的なハンデと見るか、王朝歌人たちへのコンプレックスと見るか。

なかなか一筋縄ではいかない人物像が見えてくるのは気のせいでしょうか。
★ちぶさ吸ふまだいとけなきみどりごとともに泣きぬる年の暮かな
(定家本より)

歳暮歌は「これから春が来るよー、ワクワクするよー」というのが伝統的な詠み方で、その見方からすると実朝の歌はやたらユニークなものが多いです。

これもその一つ、「みどりご」は赤ちゃんのこと。赤ちゃんの泣き声に共鳴しちゃうんです。この赤ちゃんが誰の子なのかは措いて(…というかわからない)、歌だけ見ると何やらさみしい感じもします。どう思いますか?

赤ちゃんは泣くことしか出来ない。でも悲しくて泣くとは限らない。生まれ出た赤ちゃんが泣くのはそこに生きていることを周囲に知らせるために泣く…。

実朝はこのとき、まさしく赤ちゃんと化しているのでは。
ひさびさに。今回は百人一首歌。

 舟
★世の中は常にもがもな渚こぐ海人の小舟の綱手かなしも

この歌は有名なので、百人一首を扱った本やサイトなどには必ず訳が出ています。同時に実朝の生涯についても簡単に触れられているので、「悲劇の将軍」みたいなイメージと相まってこの歌もどことなく悲しい感じで受け取られることが多いようです。結句「かなしも」の「かなし」からも、そうイメージしてしまいます。

ところでその「かなしも」ですが、どうして「渚こぐ海人の小舟の綱手」が悲しいんでしょう? 

「綱手」とは、舟の舳先についている縄のことなのだそうで、舟を引っ張る時に使用すると思われます。海上を漕ぐ時にはあまり必要ないように思われるので、たとえば「エンヤートット」という掛け声で陸地から大勢で引っ張るような、そんな仕草のことであるという説があります。その際、「かなし」は「悲し」ではなく「愛し」である方が好まれるようです。小さい男の子が蒸気機関車の車輪とシャフトを見て喜ぶような、そういう雰囲気があります。でもそれだと「綱手」が綱自体ではなくなってしまうので、どうなのでしょう。

そこで、ちょっと考えてみました。
この歌の本歌とされている歌ではこうなっています。

☆みちのくはいづくにあれど塩竈の浦こぐ舟の綱手かなしも(古今和歌集)

ここから言葉だけをもってきたのかどうか、この場合「塩竃の浦」は「浦(=入り江)」、塩釜湾のこと。昔の漁が一体どういう形態のものかは分かりませんが、舟を漕ぎつつ綱手を使用する場合があったのでしょう。ここから先は大いに想像になりますが…湾内で漁をするとき、舟が沖に流されないように陸地から引っ張ってたんじゃないかと。たとえるならイカリの代わりに。「土佐日記」にこういうのがありました。

http://www.f-izumi.com/~bk8s-sndu/tyuko.html

そう考えると…実朝の歌の小舟もまた、陸地から引っ張られつつ渚を漕いでいたのでは。実際に実朝がその光景を見たかどうかは棚上げにして(屏風絵で見たのかもしれませんし)、頼りなげな小舟が一艘、大海へ出るかと思いきや陸地とつながっているのですね。そこからは好みの問題。陸地とつながる綱手を「命綱」と見て安心しているのか、それとも「足枷」と見て逃げられない苦しさを表すのか…。

いえこれは私の想像です、念のため。
すみません、今回は長いです。

 (忍びて言ひわたる人ありき、
  はるかなる方へ行かむと言ひ侍りしかば)
★結ひそめてなれしたぶさのこむらさき思はず今も浅かりきとは

この歌、詞書きからして何やら甘酸っぱい感じがします。
「言いわたる」というのは古典文学では手紙などで恋の相手に猛烈アタックすること。実朝にそういう相手がいたかどうかは別にして(いても構わないでしょうけれど)、この歌はこれまで見てきた実朝の歌とちょっと雰囲気が違います。恋の歌としてもとても巧みで、相手が恋人じゃなかったとしても気合いが入っています。

一応、本歌とされている歌があるようなので先に。

 (三善のすけただかうぶりしはべりける時)
☆結ひそむる初元結のこむらさき衣の色にうつれとぞ思ふ(大中臣能宣)

拾遺集の賀歌。衣の色が紫になるというのは出世すること。「髪を束ねる元結の紫色が衣の色になりますように」という言祝ぎの歌。これから察するに実朝の「たぶさのこむらさき」も元結の色と受け取ってよいでしょう。いま一度、実朝の歌。

★結ひそめてなれしたぶさのこむらさき思はず今も浅かりきとは

「そめて」には「初め」と、あとは「こむらさき(濃紫)」と関連して「染む」が掛けられています。あと「こむらさき」にも「来む」が掛けられているでしょう。そして初句「結ひ」には「契りを結ぶ」という意味も隠されているはずです。さらに特筆すべきは下の句の「思はず・今も浅かりきとは」の倒置。順当に記せば「今も浅かりきとは思はず」…今も浅かったとは思ってないよ…となり、この倒置は和歌の調べを作る、実に巧みな言い回しです。

この歌には二重の階層があります。

一つ目は「元結(/もとどり)を初めて結ってから馴染んだ糸の紫色は、今も浅かったとは思っていない」。初心貫徹というか、ちょっと人生訓じみています。

二つ目は「お前との契りは、初元結からのこの紫色の糸と同じように、今も浅いものだったとは思っていない(お前がまた私のところにやって来てくれると信じている)」。ちょっと意訳気味ですけれども、こんな感じの熱烈な思いがありますね。

この巧みな感じが、本当に実朝の詠んだ歌なのかと疑いたくなります。王朝和歌風の恋歌としても充分に機能してますし、これに返歌があるなら是非見てみたいところ。だから余計に、今まで見てきたような単純明快な実朝の歌と何か違うニオイがプンプンします。

で…ここからは想像です。この歌を受け取るべき人は女性だったのでしょうか? 相手が分からない方が詩的であるという私のスタンスは変わらないのですが、この歌を劇的なものにするにはこの相手を和田朝盛にするだけで充分かな、と。和田朝盛と実朝のエピソードはこちらの方がお詳しいです。

http://www002.upp.so-net.ne.jp/wataruko/protomomori.htm

もちろんこの歌の相手が朝盛であるという事実はないのですけれども、こういう想像は嫌いではないので。
>さね太さま。
 それがですね、和田合戦の直前に和田朝盛が月見の歌会に現れた後
 そのまま出家してしまう、というシーンにこの歌が被さっている
 漫画があるんですよ。

 吾妻鏡(下)―マンガ日本の古典〈16〉:竹宮 恵子
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122036887/

 ここ、本当に泣けるシーンなんですが、
 同時にえらい歌持ち出してきたなあと思いましたよ。
 んで、ここからは全くの想像なんですが、
 実朝はおそらくこの歌会の直後かその次の日辺りに
 ふとこの歌が思い浮かんだんだけど、
 このことは自分だけの思いとして秘めておこう、という思いがあって、
 それであたかも女性に贈ったような体を装って、この歌を恋の部に
 入れておいたのではないかなと。

 ……私もこの手の想像は嫌いじゃありません。
連続でスミマセン。

(建保六年十一月、素暹法師(時に胤行)下総の国に侍りしころ、
 上るべきよし申しつかはすとて)
★恋しとも思はで言はばひさかたの天照る神も空に知るらむ

これまたどえらい直球を投げてきたなあ、と。
実は『吾妻鏡』にもこの歌は載っていまして、同時にこの歌が詠まれた背景について触れてあります。

「東平太重胤は、無双の近仕なり。其の男胤行また父に相並びて夙夜君に在り。
しかるに去る比、下総の国海上庄に下向し、久しく帰参せざるの間、将軍家御書を遣はさる。
  これ早く参上せしむべきの由なり。この次いでを以て御詠を給ふ」
(建保六年十一月二十七日条)

要するに故郷に帰ってそのまま居着いてしまった、ということなんだそうですが、この歌になんだか切羽詰まった思いというか、そのようなものを感じるのは私だけでしょうか。
この3ヶ月後に実朝は暗殺されてしまうのですけど、その暗い予感が迫ってくるなか、恋しい近習に(へんな言い方ですが)せめて一目会いたい、という強い願いがひしひしと伝わってくるような感じがするんです。

でも、実際はとうとう胤行には会えなかったようですね。父重胤は実朝の任右大臣拝賀式の列に加わっているのですが。
>アンダーザミントさん

おおっ。
すごいマンガがあったもんだ…。
後で資料編に組み込んでおきます。これはありがたい。

ふさわしいといえばふさわしい歌なんですよね。
史学的にどうとか言われると困っちゃいますが、
ここはもう直感で(笑)。

それにしても、同じことを考えた人がすでにいたのは嬉しい。
なんかこう、伝承発祥の場にいるような気持ちです。

さらにさらに。

(建保六年十一月、素暹法師(時に胤行)下総の国に侍りしころ、
 上るべきよし申しつかはすとて)
★恋しとも思はで言はばひさかたの天照る神も空に知るらむ

定家本になし!(日付からすれば当然か)
私は恥ずかしながらこの歌ノーマークでした。

厳密に語釈しようとするとちょっと時間がかかりそうなので
意訳でいくなら…

「恋しいと思っていなくても声に出して言っちゃったら、天の岩戸に隠れた神さんだってそれと知るっちゅうに(お前、俺の手紙見たんだから早く出て来いよ!)」

こんな感じでしょうか。以前書いた「来むとしも」とちょっと似たような呼び掛けになってます。こういう時の実朝はつぶやくように歌を詠んでいて、しかも相手にはよく響くようにしていますね。
(閑話休題。泣きながら怒る私の知り合いは、そういう状態になればなるほど
 言葉がすらすら出てくるのだそうで、口論になると絶対に私が負けます)

枕詞「ひさかたの」に、暗に鎌倉から遠い下総国が入り込んでいたりして。
「恋しとも思はで言はば」のところはちょっと難しいので追い掛けてみようと思います。
★来むとしも頼めぬうはの空にだに秋風吹けば雁は来にけり
★今来むと頼めし人は見えなくに秋風寒み雁は来にけり
(遠国へまかれりし人、八月ばかりには帰りまゐるよしを申して、九月まで見えざりしかば、彼の人のもとにつかはし侍りし)

8:の書き込みでさね太さんが既に取り上げていらっしゃいますが、私は別の意味で、岩波文庫版→雑の部、新潮版(定家本)→恋の部という部立てにあれっと思いました。
というのも、千葉氏関係のサイトを調べてみたらこんな伝説が出ていたもので……。

http://members.jcom.home.ne.jp/bamen1/tou11.htm
http://www.town.tohnosho.chiba.jp/HTML/rekishi/manga/70.html

あのぉ、これじゃぁ実朝さんは東重胤に恋してたことになっちゃいますよ…………。
まあそりゃ定家本は昭和4年まで見つからなかったわけですから、こういう伝説が出てきても無理はないんですが、それでもねえ。


あと、事故レス。
「結ひそめてなれしたぶさのこむらさき」って、定家本でも雑の部でしたね。恋の部というのは私の勘違いでした。おわびして訂正致します。
>アンダーザミントさん

うわぁ、私もちょっと勘違いに近いようなことしてしてました、すみません。

でもあの歌(ゆひそめて)は本当に恋歌としてふさわしいので、定家本で実朝が編集したとして恋の部に入れなかったことに何かしらの意図を感じるのです。とても深そうなやつを。

丸谷才一さんの説によれば、王朝和歌というものはどんな歌であろうと(四季歌や雑歌であろうと)恋心がそこにひそんでないと秀歌としては失格なんだそうです。実朝のほとんどの歌は失格っぽいですがあれだけは別格。そう思っています。
 寒蝉鳴
★吹く風のすずしくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり

はい、予告通り歌です。

ただ今回の歌は有名だからこそついて回る「何が良いのか」という疑問にはっきりお答えすることが出来ません。この歌はどちらかというと解説不能の名歌で、あらゆる証拠を駆使しても「そんな感じ」くらいにしか浮かび上がってこないと思います。

さてこの歌の解説によく出てくる言葉というと「大らかな歌」「ゆったりとした調べ」「歌格が大きい」などなど、サイズで言ったら大きく、テンポで言ったらゆっくりといったイメージが多いように思います。

では具体的にその大きさやゆったり感がどこから生まれるかと言うと、それがはっきりしないんですね。サッカー解説で言うところの『決定力不足』の「決定力」くらいはっきりしません。誰かが解説に使ったこれらの言葉が知らず知らずのうちに一人歩きしてしまい、それが定着してしまったというのが当たっているかも知れません。

どうしてそういうことが起きたかと言うと、近〜現代短歌の価値観で実朝の歌を見ようとしたことに元々無理があったからではないかと思うのです。

だいいちこの歌は勅撰集に採られていませんから、その当時にはすぐれた歌とは思われていません。たとえば新古今集だと蝉はこんな風に登場します。

☆秋ちかきけしきのもりに鳴く蝉の涙の露や下葉そむらん(藤原良経)

☆鳴く蝉のこゑもすずしき夕暮に秋をかけたるもりの下露(讃岐)

「もり」は「森」と「漏り」を掛けていて、「鳴く」から「泣く」を導くと同時に涙を誘う存在だったのですが、実朝の歌はそれが落ちています。要するに下手な歌だったのですね。ただ新古今風の芸当にも似た趣向が失われて文字だけが残された結果、新古今の歌は貶められ実朝の歌は評価されます。前提なしで現代人にも読める、という点が特に大きい。

要するに現代風の詠み方を実朝が何百年も前に達成していたという偶然が、評価に作用しています。もうこうなると実朝は現代歌人の仲間入り。華やかで呪術的、さらには共同体の維持に必要な和歌よりも、素朴で、より個人の感覚を前面に出した短歌として見た方が実朝の歌は映えた(正確には、映える歌もあった)。

と同時に、現代短歌でもごく稀に現れる、解説不可能の歌に通じる特徴のある歌が金槐和歌集にありました。それが今回の歌。解説不可能の歌というのは、たとえばこんなやつ。

☆瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり(正岡子規)

☆赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり(斎藤茂吉)

近代写生歌の傑作中の傑作2首。この2首は詳しく解説すればするほど嘘臭くなるという点でも、実朝の歌とちょっとだけ似た匂いがあります。もしこの2首に「大きさ」がないと指摘されるなら、この歌を。

☆広き野を流れゆけども最上川うみに入るまでにごらざりけり(昭和天皇・大正15年)

折口信夫が激賞した昭和天皇御製。この歌は元来「歌格が大きい」とされてきた絶唱ですが、『帝王調』とも言うべき詠風です。その俯瞰しているような情景は天皇の『国見』というものである、とは丸谷才一の弁。先の2首とこの昭和天皇御製の、規模においてちょうど中間あたりに実朝の歌はあるような気がします。これは感覚の問題ですが。

ということで今回の実朝の歌は、和歌として見れば単純にして素朴すぎ、短歌として見たときに近代短歌の到達点に近かったと言えるでしょう。その意味では奇跡的な作品でありますが、この歌を批評する方法を近代以後の歌論に負わせ(そうするしかなかったんでしょうけど)、またそれがはまっちゃったことも奇跡の一つに加えたいくらい。

 寒蝉鳴
★吹く風のすずしくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり

(山に登ると風は涼しくなった、と思うとひとりでに蝉が鳴き始め、とうとう秋が来たのだなぁ)

あ。ちなみに。この歌にも本歌とされているものがいくつかあるようですが、この2首を。

☆川風のすずしくもあるかうちよする浪とともにや秋は立つらん(紀貫之・古今)
  
☆おのづからすずしくもあるか夏衣ひもゆふ暮の雨のなごりに(藤原清輔・新古今)

どうなんですか、このお手軽感。
 初恋の心をよめる
★春霞たつたの山のさくら花おぼつかなきを知る人のなさ

定家本金槐集・恋歌最初の歌。

実朝の恋歌というのはこれまであまりテーマにされることはなかったのですが、せっかく金槐集に恋の部立てが存在するのにそれを切って捨てるのもどうかと思い、ちょっと扱ってみます。なんでテーマにされにくいかと言うと、じっさい秀歌に乏しいというのもあるでしょうけど、それ以上に実朝の恋歌は全くもって明確に、王朝和歌の知識がないと読めないからじゃないかと思います。万葉調の「ま」の字も出てこない歌ばかりなので、恋歌を深く扱っちゃうと色々困っちゃう人も多かったんじゃないかなーと。

今回の歌もそうです。今回の実朝の歌と、新古今集からピックアップした歌を並べてみるとよく分かります。

★春霞たつたの山のさくら花おぼつかなきを知る人のなさ

☆行かむ人来む人しのべ春霞たつたの山の初さくら花(大伴家持)

☆散り散らずおぼつかなきは春霞たなびく山の桜なりけり(祝部成仲)

☆ためしあれば眺めはそれと知りながらおぼつかなきは心なりけり(詠み人知らず)

☆天の原そことも知らぬ大空におぼつかなさを嘆きつるかな(村上天皇)

ここまで出せば充分でしょう。

「竜田山の桜に春霞が立ちこめてはっきりと見えないように、私のこのおぼつかない心は誰も…あなたさえも…(恋のせいだと)気づいてくれないのだなぁ」

あたりですかね。

確かに秀歌とはけして言えないのですが、悪くもないです。特に下の句『おぼつかなきを知る人のなさ』は「萩の花くれぐれまでもありつるが月出で見るになきがはかなさ」に通じるような、実朝オリジナルの調べになってると思います。

こういうソートはパソコンがない時代には和歌を専門に研究している人じゃないと手が出せなかったことです。上記は新古今集から拾ってるからまだいいとしても、これが八代集全てから拾うとなったら以前は収拾がつかなくなってたと思います。いやつくづく便利な世の中になったもんです。
 寄鹿恋
★秋の野の朝霧隠れ鳴く鹿のほのかにのみや聞きわたりなむ

定家本金槐集・恋歌2番目の歌。つづけざまに。今、私の中でちょっとした実朝恋歌ブーム到来。

秋の鹿は王朝和歌では万葉集以来の小道具です。万葉集から三首。

 ☆あしひきの山より来せばさを鹿の妻呼ぶ声を聞かましものを(作者未詳)

 ☆秋萩の散りゆく見ればおほほしみ妻恋すらしさを鹿鳴くも(作者未詳)

 ☆山遠き都にしあればさを鹿の妻呼ぶ声は乏しくもあるか(作者未詳)

要するに秋の鹿はたいてい牡鹿(おじか/オスの鹿)で、鳴くのはつがいの雌鹿を呼ぶため、と信じられています。なので鳴き声を気にしないで済むためには、その牡鹿が雌鹿と出会えばよいわけです。

 ☆夕されば小倉の山に鳴く鹿は今宵は鳴かずい寝にけらしも(舒明天皇)

これも万葉集。鳴かないのは雌鹿と出会えたから。ロマンチックです。

今回の実朝の歌は、万葉集に本歌があります。前回『万葉集の「ま」の字も出てこない歌ばかり』と書いたばかりなのに(苦笑)。

☆天雲の八重雲隠り鳴神の音にのみやも聞きわたりなむ(作者未詳)

「雨雲がたくさん重なり合った空の上から雷鳴が隠れて轟くように、なかなか会えない貴女の噂だけを私はこれからずっと聞き続けるのでしょうか」

これは身分の違い等で逢いに行けない男性が、お目当ての女性に対して贈った歌。かわいそうな自分を演出している点が少しいただけませんけれども。シャキッとせぇ、シャキッと。

対して実朝のほうは、この万葉歌の小道具をちょっと変えただけ、のような気もします。並べてみます。

★秋の野の朝霧隠れ鳴く鹿のほのかにのみや聞きわたりなむ(実朝)
☆天雲の八重雲隠り鳴神の 音にのみやも 聞きわたりなむ(万葉)

もはや習作ということにしておきたいくらいですが、少し詳しく。

元の万葉歌は、前述の通り男性から女性に贈った歌でした。ところが、実朝の歌は「寄鹿恋(鹿に寄する恋)」という題がありますので、題詠ということになります。題詠は歌を贈るべき相手がいるわけではないのでおのずと問い掛けも自問自答のような形になります。

「朝霧に包まれて鳴く鹿の声を(聞こえるか聞こえないかくらいの)かすかに、私はずっと聞き続けるのだろうか?」

ひょっとしたら吾妻鏡にあるように実朝は一晩中起きていて、朝がたの研ぎ澄まされた感覚でかすかな鳴き声を聞いていたかもしれませんが(あるいは鳴き声ならぬ音を聞いているかもしれませんが)、その牡鹿ははたして雌鹿に出会えたか否か。はたまた、その牡鹿は…幻だったでしょうか?
自己レス。

 寄鹿恋
★秋の野の朝霧隠れ鳴く鹿のほのかにのみや聞きわたりなむ

この歌、あとからずっと考えていて実に示唆に富むというか。実朝歌特有の、読む方がいろいろ先回りして想像してしまう特徴がこの歌にもあるような気がしました。

新潮日本古典集成版では、前回引いた万葉歌、

 ☆天雲の八重雲隠り鳴神の音にのみやも聞きわたりなむ(作者未詳)

を引き合いに出した上で実朝の歌にもこの万葉歌の内容を移植したような訳がほどこされています。本歌取りの歌を読む上ではこの読み方は本当に正しい。つまり『朝霧の中に隠れて鳴く鹿の声(のように、あなたの噂)をかすかに聞き続けるのだろうか?』ということ。繰り返しますが、その読み方は正しいのです。…でも、と思うところがあります。

前述した通りに鹿は雌を呼ぶために鳴きます。「鳴き」は古典和歌では同時に「泣き」を導きますから、寂しさに泣いているわけです。それがかすかに聞こえるくらい遠くにいる、もしくは隔離されていると考えると…

この鹿じたいが実朝の象徴なんじゃないか? 泣き叫んでも、いちばん聞いて欲しい人に届いてないんじゃないか? とか。いや、届いていても聞こえないないふりされてるんじゃないか? とか。だとすればそれは一体誰だろう? とか。

などといろいろ考えてしまいました。こういうの考え出すと止まらなくなります。
 恋哥
★かささぎの羽に置く露の丸木橋ふみみぬ先に消えやわたらむ

この歌はまず、岩波版金槐集の真淵評がたまんないです。「二三句のつづきいかが」「ふさわず」。真淵のなかでは実朝らしくないんでしょう。

確かに「羽に置く露の丸木橋」って何だと突っ込みたくもなるのですが、そこは続けて読んじゃダメな気がする。要するに二句切れで「かささぎの羽に置く露の(丸木橋ふみみぬ先に)消えやわたらむ」と読めば分かりやすいはず。「かささぎ(鵲)の羽根の上の露はきっとなくなってしまうだろう(私が丸木橋を踏み渡る前に)」というのが表層の意味。

細かく語句の説明を。

かささぎという鳥は和歌に登場した時は確実に「かささぎの橋」を導きます。知ってる方も知らない方も、「かささぎの橋」というのは。

「七夕の夜、牽牛(けんぎゅう)・織女の二星が会うとき、カササギが翼を並べて天の川に渡すという想像上の橋。男女の契りの橋渡しのたとえにも用いる」(大辞泉)

七夕歌における重要な小道具です。

実朝は単純に「かささぎの橋」を出さず、「丸木橋」につなげるという文字通り離れ業をやっています。かささぎというロマンチックなイメージに対して丸木橋をつなげるというのはちょっと乱暴な気がしますが、ただこの丸木橋というのは当時の流行歌謡に出てくる文句だったという説があります。

「細谷川(ほそたにがわ)の丸木橋」というのがそれで、三味線に合わせて唄う江戸端唄の歌詞にも残っているくらい有名な文句なのだとか(樋口一葉『にごりえ』にも出てきます)。

『平家物語』に、実際にそれを使った和歌があります。検索するとエピソード込みでけっこう出てきます。

 ☆わが恋は細谷川の丸木橋ふみかへされてぬるる袖かな(平通盛)

実朝がこの平家の哀しいエピソードを知っていたかどうかはともかく、さらにもう一つ。『千載集』にも「丸木橋」を使った歌があります。

 ☆おそろしや木曽のかけ路の丸木橋ふみ見るたびに落ちぬべきかな (空仁法師)

千載集だったら実朝が持っていた可能性は充分ありますから、元はたぶんこっちだと思います。通盛と空仁法師は生きていた時期が重なるので、寿永元暦のあたりに「丸木橋」がそうとう流行っていたということですね。あえて訳をほどこしませんが二つとも小粋です。

さて、ここで出てきた三首を意図的に並べてみます。

★かささぎの羽に置く露の 丸木橋ふみみぬ先に消えやわたらむ(実朝)
☆わが恋は細谷川の    丸木橋ふみかへされてぬるる袖かな(平通盛)
☆おそろしや木曽のかけ路の丸木橋ふみ見るたびに落ちぬべきかな (空仁法師)

「丸木橋ふみ」が三首とも共通しているのがお分かりだと思います。この三首とも、「ふみ」には「踏み」と「文(ふみ/=手紙)」が掛けられています。これでゆくと平通盛は恋の相手から手紙を突っ返されて涙を流し、空仁法師は仏道修行中に恋文が届けられるたびに堕落してしまいそうだと嘆いてます。

では実朝は。

「ふみみぬ先に」とは、「あなたからのお返事を読む前に」。つまりこの相手は、なかなか返事を返さなかったということ。新潮日本古典集成版では返事を待たされたあげく焦がれ死にまでいってますが、そこまでいかなくとも初句の前に(わが恋は)を補うことでかなり読みやすくなるのでは。

 恋哥
★かささぎの羽に置く露の丸木橋ふみみぬ先に消えやわたらむ

「かささぎ(の橋の)の羽根の上の露がすぐに消えてしまうように、わたしの恋もあなたからのお返事を待つ間に終わってしまうのでしょうか」
お久しぶりです。腰を壊した副管理人です。
でも来年もアレやりますよ。

で、本題。
先日、部屋を整理していたら、学生時代にワープロでタイピングしたと思しき洋書の抜粋が出てきました。
たしか、日本の古典文学を上代から近世に至るまで解説していた本の、実朝さまに関する部分だけ、英語の勉強と称していそいそとワープロ打ちしていた記憶があります。
(しかし「ワープロ」って軽く年齢踏み絵だなあ、と)

そのなかには実朝さまの歌の訳も何首分かついております。
(プロの詩人の方の訳ではないので、もうほとんど直訳ですけど)
たとえば、わかりやすいところでこんなの。

The breakers of the ocean
Pound and thunder on the rocks,
Smashing, breaking, clearing,
They crash upon the shore.

「割れて砕けて裂けて散るかも」のところはたぶん「...ing, ...ing, ...」で攻めてくるだろうなとは思っていましたが、やっぱり。
今読み返すとちょっとツッコみたいところはあることはあるんですが、それは置いといて。

これ以外にあと3首載っていました。
英語がよくわからなくても、感覚的に「あ、この歌だ」と解るかと思います……。

In this and that
What an unstable world it is!
Some are happy, some are not.


Reasonable or unreasonable,
We see everything in this world as
Nothing but a dream.


Since the time when you were young and
First tied your hair with a deep purple ribbon,
I have never thought that
Our relationship was shallow.

どうでしょう、この響き。
おそらく和歌をよく知っている英語(以外の外国語でもいいけど)のネイティヴスピーカーの方に訳してもらったら、さらにまた違った味が出てくるのではないかと。
いやはや、詩情に国境はないというか、そんな感じがしました。
> アンダーザミントさん

ご無沙汰しております。

これまた興味深い題材をいただきました。

> In this and that
> What an unstable world it is!
> Some are happy, some are not.

  人心不常といふ事を
★とにかくにあな定めなき世の中や喜ぶものあればわぶるものあり

英訳中のイクスクラミネーション「!」は実朝の歌では「あな」ですかね…


> Reasonable or unreasonable,
> We see everything in this world as
> Nothing but a dream.

  世間つねならずといふことを人のもとによみてつかはし侍りし
★世の中にかしこきこともわりなきも思ひしとけば夢にぞありける

おそらくこれだとは思うのですが、その場合英訳の「We」の深いこと!
あな。


> Since the time when you were young and
> First tied your hair with a ,
> I have never thought that
> Our relationship was shallow.

★ゆひそめてなれしたぶさのこむらさき思わず今もあさかりきとは

「your」なんですね。「deep purple ribbon」だからかな。
これもとても面白いです。


私もなにか探してみよう!
君ならで 誰にか見せむ わが宿の 軒端ににほふ 梅の初花


実朝に関する雑談など〜で「あなたにしかみせたくはな今年はじめて咲いた我が家の

梅の花は」という釈注しか覚えてなかった(^^;ので探しましたー。

印象深かったのに探しにくかったのは金槐和歌集でみて「いいなー」とおもったんじゃなくって

竹宮恵子先生の吾妻鏡(下)で読んだからでした。

「大海の磯もとどろによする波われてくだけてさけて散るかも」

太宰治も言うように一言の説明も不要かと



「山は裂け海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」

などてすめろぎはひととなりたまひし


「時によりすぐれば民のなげきなり八大龍王あめやめ給へ」

今現在も九州を中心に降り続いてる大雨による被災がこれ以上起こらないことを祈ります。

時により すぐれば民の なげきなり 八大龍王 あめやめ給へ

今年は記録的な早さで西日本が既に梅雨入りし、昨日からの大雨で被害が出ているとニュースなどで見聞きしたので、自分が最も好きな実朝の歌のひとつであるこの歌をあらためて書き込ませていただきたいと思います。

今上天皇が皇太子の時に、2015年に開催された国連の水害に関する会合での基調演説で引用された歌でもあることを遅ればせながら昨年知り、あらためて現代においても実朝の一途な想いと祈りがあまねく届いて欲しいなって思います。

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