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NHK大河 江〜姫たちの戦国〜コミュの江 第42話 大阪冬の陣(10/30)

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慶長19年(1614)11月、いよいよ大坂冬の陣が始まった。江戸城の江(上野樹里)は、ただ皆の無事を祈るしかない。徳川方は優位に戦いを進め、豊臣方は籠城へと追い込まれる。
 家康(北大路欣也)は次なる一手として和睦を提案。大坂城内では、秀頼(太賀)が和睦の申し入れに応じようとするが、徹底抗戦を貫く構えの淀(宮沢りえ)は、それを制し…。
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コメント(402)

マヨマヨさん>(*゚▽゚*)ワクワク いーな 大阪ウラヤマシー
>352 水まる☆栗ご飯大好きさん

片桐且元は大坂方に殺されそうになったんだから、そりゃ淀の居場所だって教えちゃいますよふらふら

家臣の使い方が下手でしたね、豊臣方は。
昔吹上さん>おっしゃる通りで泣き顔思えば関ヶ原が何の戦いか理解してなかった→秀頼出さない。関ヶ原後の論功行賞を家康さんが決めた時『えexclamation & question』と深く考えなかった。西国大名または恩顧大名への根回し足りなさ過ぎ。大阪の陣も要塞に頼り過ぎ。前線武将と打ち合わせ悪い…トホホふらふら
>水まる☆栗ご飯大好き さん

子供の頃から人質にとられて他人の飯を食い、また桶狭間後も一向一揆と闘ったりしながら家臣団をまとめ、さらに織田に盟約の名のもと厳しい服従を強いられてそれでも己の実力でしぶとく生き延びてきた家康。

片や、太閤秀吉が一代で築いたなにわの夢の中で、汗ひとつかくことなくぬくぬくと育ってきた秀頼。

そりゃ、勝負になりませんよふらふら

やはり、関が原の時にすでに勝負あったのでしょうげっそり
昔吹上さん>やっぱり関ヶ原で決着ついてたんですかね〜?淀さんや西国大名は気がつかなかったのかな〜?豊臣65万石になったりしても?家康さんが一枚も二枚も上手で上手くごまかしたのかな?それとも次は徳川の天下な流れだったのかな?
>水まる☆栗ご飯大好きさん

もっと根源的には、秀吉と家康の寿命の勝負だった、のかもしれません。

それでなければ、関が原の戦いにおいて、徳川が豊臣政権を簒奪するものとして、幼少でも秀頼が西軍の陣頭に立つべきでした。
そういう注進をする家臣がいたんでしょうが、淀君周囲の政治感覚ではそれを受け入れるセンスは・・・・ふらふら

片桐は逆にこれだけのことをしても親子の命を救うために家康にすべて教えたというのもあるでしょうね。
そもそも、家康の命令で豊臣家の家老をやっていたことが記録から読み取れるので、疑われやすい立場ではありました。
ちなみに、関ヶ原でいえばとにかく石田三成が死んだのが痛かったです。
その三成もおそらくは秀頼を出してほしいと進言していた一人でしょうが、あの時点で勝負はついていましたね。
>廃人底辺show@Ganryuzsさん

淀君や秀頼は、結果的にですが、最も頼りになったであろう家臣の三成を見殺しにしてしまいましたからね

そうさせるように物事を運んだ家康が上手かったのでしょうが、豊臣側は戦略・戦術が余りにも無さ過ぎるように感じました
>昔吹上さん

そうですね。うまく分断されていたようで、逆にある程度庇護されていたように家康を思ってしまったのもあるでしょう。
確かに戦略が拙かった豊臣家。それが唯一できたのが三成でしたからね…。
>廃人底辺show@Ganryuzさん

ただ、仮に西軍の三成が勝ったとしても、そのまま豊臣政権が続いたかもしくは石田三成が天下を取ったかというと、そうもなっていなかった気も・・・
勿論、私の勝手な推測ですが。

あれだけ戦略を打って天下取りに必死に動いた家康でさえ、後世の人からは「座りしままに食うは徳川」と言われてしまうくらいですから、ましてや婦人の淀や幼児の秀頼の前には「天下」なんぞそもそもなかったのでしょう、とこれも私の勝手な解釈ですが。
もしも関ヶ原で勝っていたら、神経質な三成さんは徳川家を根絶やしにしたかも?→江は豊臣に戻りそう
加藤家と福島家は秀頼さんが出馬し裏切ればギリギリ譜代かな?黒田家はビミョー、島津、宇喜多、長曽我部、毛利、上杉の連合国家的豊臣政権になったかも?敵対する元気ありそーなのはたぶん伊達家ただ要領よいから豊臣に寝返るかも?もしもの時は真田、明石、小西、大谷、島を三成さんや淀さんが上手く使いこなせるか?
>昔吹上さん

彼がトップになれる大人物のタイプではないので難しいですね。
少なくても家康は確実に命を奪って、秀頼の成長まで時間を稼ぎながら政権を維持したことでしょう。
あの親子にしてみれば、天下は当たり前のように豊臣にあるものだと思っていたのでしょうね。そこが戦国時代でいえば甘いのですが…。
>水まる☆栗ご飯大好き さん

>江は豊臣に戻りそう

この大河の流れだと、さっさと大坂城に戻りそうですねウッシッシ
西軍が勝ったとしたら、主導権争いでまた内乱状態に戻りそうな気もしますし、皆がそれを感じたからこそ、圧倒的実力のある家康に味方したのかもしれません


>廃人底辺show@Ganryuzさん

淀君や秀頼は、自分で血と汗を流して得た天下ではないのに、たまたま天下人の側室になり子として生まれたことで、大きな勘違いをしてしまったのか・・・
結局、しっかりとした譜代を残さなかった秀吉の責任なのでしょうがふらふら
>昔吹上さん

世襲の時代だったので、当たり前だとは思っていたと思います。
でも、おっしゃるようにしっかりとした人を残さなかった秀吉が悪いですね。
頼りにしてます、家康、利長、輝元、秀家、景勝って…準養子の秀家以外すべて外様の仮想敵ばかりです。これじゃ持ちませんよ。
昔吹上さん>結果論から行くと、秀吉さんも家康さんを甘く見すぎていた。
家康さんは騙すの(服従するふり)が上手かった。
三成さんや大谷さん、小西さん、真田さんにもう少し大きな領土与えるべきだった。
秀次さん一族や千利休を殺すべきでなかったかな?
秀吉→秀次→秀頼みたいに約束すべきだった。
更に理想いえば秀長さんが長生きしてたらな〜泣き顔
秀長様が生きていれば全く時代は変わったでしょうね。せめて、三成がいればというのもありましたが…。
まぁ、この辺は単なる妄想にしかならなかったです。真田に大きな領土をやるというのは非常にいてですね。それは普通に思います。
>水まる☆栗ご飯大好きさん

前々回の大河あたりから、家康の描写を意識的に悪人にしているのが何ともあせあせ
ワインを飲みほして唸るあたり、ついに本性を現したか家康!とでも言いたいようなワイングラス

秀吉は必死になって多くの養子を各名家に送り込んで豊臣の藩屏とさせようとしましたが、全く上手くいきませんでした
血脈を大事にしなかったので当然かもしれません


>廃人底辺show@Ganryuzさん

秀吉は、真田昌幸に対しても、何十万石も与えきれない油断のなさ・危うさを感じていたのではないでしょうか?
幸村にしても、大坂の陣で結果を出したからこそ、後世である程度ビッグネームになったということで、果たして豊臣にどれだけ恩義を感じてこの陣に参戦したかは???という気がしております<(_ _)>
あれはワインではなくまむし酒じゃないんですか?

秀頼は豊臣の天下ではない世とはどんなものなのか城が壊れて初めて理解したわけですよね。

後の世から見れば関ヶ原で西軍の大将にならなかった時点で豊臣の天下は終わってるのです。

秀頼は家康の要求を呑むしか無かったんだと思います。
>てれじあG さん

まむし酒でしたか

失礼しました<(_ _)>
前に秀忠に「まむし酒じゃ」って言ってたからそうじゃないかなぁと。
そういえば長宗我部盛親って2メートル近い大男だったらしいね

なんか源為朝や呂布奉先とダブってしまう
>昔吹上さん

それもあったでしょうね。
実は真田家は手続きは常に守っているし、まったく卑怯でも何でもなかったのですが。
それは黒田家も同じですが、真田と黒田を天秤にかけたら、まず間違いなく真田のほうが信頼できますね。
まぁ、でも、真田には多くの石高を上げてもよかったとは思います。何故なら地理的には家康の背後を完全に脅かせるからです。
秀吉にしてみればそのあとを心配したのでしょうが、ここは難しい判断ですね。
豊臣のためというのは同感です。私がいろいろ研究した結果でもそこは結論がそうなっています。これではわからないのが結論ですね。
そうなると動機がうっぷん晴らしになってしまうということもあるのですがw
> 廃人底辺show@Ganryuzさん
とりあえず秀長さまなきあとはおねと淀殿を提携させ三成を前田利家と同格にし真田をその次あたりに添えて連合?を作るとしたら少しはましになりますか?
昔吹上さん>徳川に10年近く幽閉され、貧乏だし再起のチャンス無いしって時に、豊臣からたくさんの黄金や銀を頂きよろしくお願いしますと頼られ、かなり感激し豊臣の為に命かける気になったようです。だから先制攻撃中止時に、すぐ城の一番急所に真田丸を築き最前線で奮戦することになりますウインク
>モッチーさん

石田三成にはもう少し広い領土を与えないとだめです。できれば近江近辺で。
真田は信濃一国を完全保証し、家康を常に見張らせることですな。そうすれば面白いですが。
> 廃人底辺show@Ganryuzさん
とすると三成はナンバーツーにした方がよさそうですね
詳しくないですが豊臣の諸葛孔明になれるかしら?
江様が行くとややこしくならぬのか?
■■  たけさん ここは先週のトピです ■■
  常光院様じゃなくて、高台院さまだし ・・・


■■  みなさん ここは先週のトピです ■■
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今回のトピはここです!
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=65958840&comm_id=4361178

■■  みなさん ここは先週のトピです ■■
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>モッチーさん

参謀の才能があったかはわかりませんがね。
でも、それに向いていたと思いますよ。
>廃人底辺show@Ganryuz さん
>水まる☆栗ご飯大好き さん

真田の件、勉強させていただきありがとうごじます。
なるほどそうですよね、関東の徳川の背後に、それを監視するためのある程度の領地をもった大名として真田を活かす手もあったのかも。

それでも、そうしなかった何かがきっとあったのでしょうねあせあせ
織田政権下での元同僚や子飼いの大名たちとのバランス、一代で上り詰めた秀吉には時間が足りなかった、ということだったのかも。

>昔吹上さん

その理由は見当がつくものが一つあります。
石川数正です。彼はおそらく本気で徳川を裏切ったわけではなかったのでしょう。
だから、信濃松本に移封されて、真田の隣にいましたが、徳川の内情に通じているので、秀吉は抑えに起用していました。
しかし、おそらくは過少申告をしていたのでしょう。それもあって、家康は内部に関東でとんでもない力を蓄えられた。
徳川家筆頭家老の石川数正のほうが外様の小豪族の真田より徳川目付としては上に見られるのはやむを得ないかと。
あのころから秀吉はもうろくしていたので、数正から上がってくる報告は鵜呑みにしていたのでしょうね。
むろん、この辺りはいい資料があるわけでもないので、当時の事情から考えられる推測にすぎないことは添えておきます。
>滝野川権衛門さん

いやいや、衰えていたとかそういう意味でのもうろくではなく、この時点で周りが見えない典型的な独裁者になっていたと思っているのですが、どうでしょうか?
録画みました。
江の影が薄くて寂しいです(>_<)
江戸城では春日局が存在感出しまくってるし、大阪城に乗り込むのは秀忠だし。
宮沢りえの淀殿はほんと美しかったですね!

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