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NHK大河 江〜姫たちの戦国〜コミュの江 第24話 利休切腹(6/26)

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北条攻めで勝利に終わった秀吉(岸谷五朗)。論功行賞として、家康(北大路欣也)に対し、所領を加増すると見せかけて関東への国替えを命じる。大名としての力を大きくそがれる非情な裁定を受け入れ、家康は新たな拠点となる江戸へ旅立つ。
 一方、江(上野樹里)は、傲慢さを増す秀吉を公然と批判。茶頭辞任を申し出た利休(石坂浩二)を案じ、秀吉の甥(おい)・秀勝(AKIRA)に相談するが…。
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コメント(226)

> 昔吹上さん

いろいろと解釈が気が合いますね 嬉しいです 我が家では仁も同時に見ていて 歴史好きの父はとうに飽きてしまいました・・・ 

自分も演出は若い女性や歴史に興味のない年代や女性 学生向けかな?とは思ってはいます。だから割り切って私も現代に身近な登場人物としてお江よが感じられたらなと思って見ておりました。ただそうそう割り切ってもやはりここはちょっと・・・という部分がありますねw どちらかというと今の水川あさみさんの方の演技のようなものを江に期待していました。

衣装ですが そうですよね オレンジの市松に オレンジの打ちかけ あれれ これってもうずっと同じ衣装 って思って しかも茶々 初 おね もかぶらないようにしているのに江だけなんですよw主役がw
衣装はやはり楽しみにしてるぶん がっかりですぅがく〜(落胆した顔) 利休切腹の際にもいつもの衣装でしたねw
結婚されたら少しは変わるかなぁ これは茶々と江の秀吉の扱いが違うという設定? それにしても酷い。

やはりみどころは春日局とのやりとりですよね 大奥がどう描かれるのかがポイントですよね 
秀吉が中心過ぎてなんだか・・・ 秀ただ君にこしてからが注目ですかね〜

ですが次号の髪を振り乱した江とか 思い切った行動をする江は好きですうれしい顔
スローペースだなと思いつつ、何気に鶴松も大きくなってましたね。こっからは江が1話で2歳ずつ歳をとってかないと間に合わないんでは?急展開じゃないですかね(^_^;)やっと江が大人になっていくんじゃないかと思ってはいるんですが…。半年も子供役をやらされた女優さんもあんまいないんじゃないかと(^_^;)
>sakutaroさん

それが秀吉のシンドロームであり、彼らは秀吉に尽くすことよりも家の存続を望んだわけですな。
皮肉なことにそれに対して立ち向かったのは石田、小西、安国寺などのどちらかといえば、官僚的な人たち。
加藤も福島も浅野も蜂須賀も前田もみなそういうつまらない大名になっていたわけで。
武将でいえば家康の天下になったときに大領土が保てないと思ってついた毛利、上杉、宇喜多、島津などぐらい。
結局その予想は当たりましたが、彼らの行動をもってしても、領土を減らされるという予想だけは当たってしまいましたがw

>秀忠って言うと恐妻家の代名詞みたいに言われてましたから
それなんですが、秀忠よりも福島正則…。
> えねさん、これある意味では戦国バージョンの『二人の王女』だと思ってみてたのに
なんか秀吉だらけですね
> モッチーさん

冬の王女かと思いきや、春の王女よりHAPPYになっちゃいましたね(笑)

江=春、初=夏、茶々=秋、市=冬‥って、どなたか以前にコメントされてましたものね人差し指

春は青春
秋は実り・豊穣の季節‥。

猫ムード
読んでなくて、ニュアンスだけで書くと、徳川へ輿入れまでは「二人の王女」でいてほしかったですね揺れるハート
徳川家へ嫁いだあとは仮タイトル「秀忠と江」を希望るんるん
(「利家とまつ」をもじってみました)わーい(嬉しい顔)
> えねさん
春の王女よりも幸せ…確かにexclamation江とアルディス…やはり春の王女であることは共通してますね
「私にお任せ下さりませ手(チョキ)わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)

奥ばかりか、中奥‥ひょっとしたら表まで?

まさかですよね?

猫ムード
> えねさん
その台詞、市も信長に「ならばその命せいぜい大切にせよ」とにらみつけた時に心の中で亡き長政様に言ったかもしれませんよ

「長政様、姫たちのこと私にお任せ下さいませexclamationexclamation
>廃人軍師さん

三成は計算だけは日本一だが、人の心理にこれだけ無頓着な男も珍しい。

豊臣秀頼や毛利輝元を看板にしてよくこれだけの西軍という大軍団をつくれたのが不思議です。
反家康派が、それだけ多かったのでしょう。或る意味、負けて当然と言えるでしょう。
> sakutaroさん
彼は典型的理系人間かもしれませんね
史実とは言え、来週利休様が切腹されるのを思うと悲しいです涙
秀吉が秀長の忠告を聞いていれば…
秀吉が利休に好きじゃないと言われて涙を流す。。。


流すでしょうか?
なんだか余りピンと来なくて、白けてしまいました。。。
>桂冠さん

はい、周囲にはもう見ていない・・・という方もあせあせ(飛び散る汗)
ある意味、視聴者を選ぶ大河なのですねウッシッシ


>やはりみどころは春日局とのやりとりですよね 
>大奥がどう描かれるのかがポイントですよね

そう思って私も見始めたのですが、もしかしたら時間のかけ方からして、今あたりが一つのクライマックスかもしれません目
これで、賑やかな秀吉が死んでしまったら、(主役は江ですが)一抹の寂しさは残ることでしょう。

果たして、大奥がほんとに描かれるのか??それも含めてまた見続けます走る人



 
今日再放送みて・・・

江戸?
江戸はないだろ江戸は・・・
広げた地図にさえ書いてないのに・・・
(もし私の勘違いだったら<m(__)m>)
なるほど、江戸はおかしいんじゃ‥武蔵では?、と思い吉川弘文館の日本史年表地図を開いてみたら、「徳川家康の関東入国・天正18年(1590)」という地図に、江戸という地名が!

ホント?

猫人差し指あせあせ(飛び散る汗)
>  昔吹上さん

私の家族も当初 期待しながら見ていましたが 茶々と秀吉のくっつくシーンではまるで恋愛ドラマだといって 愕然としてしましましたw 今は向かい君が出てるので見てるらしいですが 


そうですねー これが太閤記とか淀殿シリーズなら文句ありませんが あまりに秀吉の時代が長くて・・・
これから 秀勝との結婚 別れ 〜 秀忠にとついで 秀吉の死後 茶々とのいろいろ〜 大奥 子供が三大将軍 ・・・ 間に合うのでしょうか・・・w 


たつこさまの言葉を借りて 「もっとぱーっと」してあげて欲しいですね おえよさまに・・・ 
> えね@足跡返して!さん

豪族・江戸氏が住んでいたのです。家臣の太田道灌が築城した江戸城もあった。
道灌さんが闇討ちにあってから急速に勢力を失っていく。。雪げっそり
江戸ってあったのですか!? 徳川の前から!? このドラマ いやに史実にだけはけっこうこだわってたりしてますよね〜 利休が黒の茶碗好きだったこともきちんとドラマに盛り込んでるし・・・ 

茶々をおとしたのだってブランド作戦でおとしたって解説が・・・ えードラマだから作っったんでしょ?
っていう思い込みで調べたら けっこう本とってのが多くて そのあたりだけは本当に感心しちゃって☆ 

ただ やはり もう数回くらい 江の衣装が市松文様のと ボーダーのオレンジの着物に ピンクの刺繍の打ちかけだけって・・・衣装がずっと同じなのはどうして? 時代の進行を感じれないのです・・・それにセレブっぽくない・・・ おえよ様なのに・・・ 秀よしが服をかってくれなかったの? 太閤さまの養女なのに〜
>sakutaroさん

そこは徳川時代の記録の脚色で、やっぱりやっつけたほうを善にしなければならないのですよ。
石田三成はそういう人間で悪いやつだった、謀反人だったということにしなければならないのです。
石田三成が本当にそういう人間だったかどうかを確認するのは不可能です。
ただ、事実だけをみると朝鮮への出兵についても普段の行政についてもアレこれ経理や報告で諸大名に恨まれることをするのが彼の仕事。
秀吉が生きている時代は社長が秀吉のようなものなので、それはいいでしょう、うまく回っていました。
ところが、事前の段階で秀長様が病没し、秀次を殺してしまっていた状態でそういう汚れ役をやっていた三成に人望が集まるわけがないです。
それが秀吉の人事の失敗だったのでしょう。でも、忠誠を尽くすのは彼だけでした。
それでも、戦前の状況だけをみると脚本と企画は非常によかったです。主演俳優と監督がへぼすぎて関ヶ原はああなりました。
ちなみに、貴殿は毛利輝元を看板にしてよくあそこまでとおっしゃいましたが、西軍の街道封鎖に引っかかって無理やり西軍についた
気の毒な大名が多数いたので(長宗我部、鍋島など)彼らは本気じゃなかったし、実際、西軍で布陣したので戦ったのは半数ほど。
それでも当初は東軍を圧倒していたので大したものです。主演俳優がしょぼいというのはいわゆるそこで、三成部隊が一番活躍するのは本来おかしいのです。
そこはやはり毛利や宇喜多が活躍しないといけなかったですね。まぁ、宇喜多はすごかったですが、彼らは基本的に防戦一方だったし。
長くなりましたが、人の心に無頓着かどうかは今一つ分かりません。三成が主力になるにはおよそ20万石の大名としては役不足だったと思います。そこがすべてだったかと。

>桂冠さん

太田道灌が江戸城築城をしていますし、土地としてはあったのでしょう。
超どい中でどうしようもないぐらい荒れ果てていたとは記録されているようですが…。
淀を落としたのはブランド作戦、ありえますね。ただ秀吉自体が女性をブランドで選んでいたような気がします。
側室の龍子様やその淀などは間違いなくそうでしたから。血統書つきの女性がだいぶお好きだったようで…。
> 廃人軍師show@Ganryuzさん

江戸に徳川幕府の本城を築城した家康の眼に狂いはなかった。水上交通の拠点に出来る。今はその河を地下水路にしてしまって国道にしてさらに東京オリンピックの前に高速道路をつくった。物流の主力という点では今も変わりは無い。

首都東京の父は家康公であると言えると思う。

大坂を首都にすることを主張した大久保利通も間違いでは無いが。

商業の大拠点である大坂を避けて政治都市を江戸に定めた明治政府の方針は正解であった。

東京は東の京都という意味であり、京都人は今も、皇居を天皇さんの仮御所と真面目に考えている。

利休の弟子のひとり織田有楽斎の住居跡を有楽町として名前を保存しているのはゆかしい。

千利休の霊魂は今も生きていた!
江戸、あったのですね。
ありがとうございます。
m(__)m

さりとて、セリフで言った「江戸」は、ピンポイントで「江戸氏の住まっていた地名」では無く、もっと広範囲「江戸国」と聞こえる様な気も‥。

ところで、衣装を見るのってやはり大河の楽しみの一つなので、現・海老蔵の武蔵の時はボロばかりで辛かったでしたあせあせ(飛び散る汗)

篤姫は、身分の変化と衣装の変化が楽しかった♪

今回は男性も女性も見応えがあって、嬉し〜いハート

秀吉が、三姉妹に衣装をプレゼントした事があったけど、初と江にあげた数は、茶々へよりだいぶ少なかったのでしたね?

もしかしたら、秀吉の好みが反映された物も多いのかしら?

茶々は秀吉好みを、他の二人は自分の好みを選んで来ているのかな?

江は、あの一枚が随分お気に入りみたいですねw

猫ムード
> えねさん
武蔵についてですが私は見てなかったのですが京都にいた時もぼろっぽい着物をまとっていたのですか?

実はボロ=リアリズムということに関して時代小説の大家、池波正太郎さんはそれを馬鹿の一つ覚えとおっしゃっていました

京都はいやしくも当時の首都ですからそこにいる時の武蔵はきれいにしてないと史実としてはおかしいそうなのです
204様 & それ以降の皆様〜

「江戸」とは、江(海=東京湾)に面した戸(台地=武蔵野台地)という意味だと思います。

家康は東京の祖である。確かにそうですが。そしてもうひとり、中世に江戸城に拠点を構えた太田道灌の存在も忘れてはなりません。道灌は江戸の太祖と申しましょうか…

そもそも、奈良〜平安の時代の江戸湾の周辺は大湿地地帯であり、それがゆえに武蔵国府や国分寺は、海岸線から遠く入った府中市や国分寺市にあったわけです。そのため武蔵国は初期には東海道ではなく、東山道に属し、中仙道を経て入る地域だったわけです。

さて、その江戸の低地(現在の大田区・港区・千代田区・台東区・江東区)などは、葛飾を含む下総の国に近い存在だった処に江戸城を構築した太田道灌はやはり傑物でしょう。

歴史上のif…はありえませんが、仮に家康や徳川が入城していなくても、地勢的・地政学的に言って、なにより関東平野が抱える(キャパ)生産力的に考慮するなら、江戸は日本の中心になっていたでしょう。
> モッチーさんへ


途中からボロでは無くなりましたが、無地の暗い色の物が殆どでしたね。

やはりお城に出入りする身分ある女性が、生き生きと動きまわる物語は、衣装や身の回りの品々、お道具・調度・しつらいなどなど、目にして楽しく思いますハート

猫ムード
>sakutaroさん

そこまではどうかと。当初は秀吉に関東に移動させられた家康はそのまま小田原に居座るという方法を取ろうとしていましたし、実際その目はありました。
もしくは鎌倉。しかし、小田原や鎌倉に源氏の末裔を名乗る家康がいては警戒するということ、また、難題を吹っかけられないようにわざと整備されていない江戸を選んだというのもあります。
家康というよりも江戸幕府260年で東京を揺るがぬ状態にしたからこそ今の東京があるのでしょうね。
それでいえば面白い事実なのは一度徳川家自身が粉々に粉砕した大阪、あの大阪を江戸に入って整備し直して、大商業都市にしたのは徳川秀忠だったりしますし。
とかく江戸を選んだ家康がよかったのは関東の地盤が丈夫だったこと。ただ、それも近年ではプリンみたいなもので、一枚岩だけど全部どかんと揺れるってだけだったわけでw
>東京は東の京都という意味であり、京都人は今も、皇居を天皇さんの仮御所と真面目に考えている。
これ、本当にそうらしいですね。うかつなことを京都では言えないですよw
>利休の弟子のひとり織田有楽斎の住居跡を有楽町として名前を保存しているのはゆかしい。
これは実何の根拠もない話らしいですが。実際彼の屋敷があそこにあったわけではないようですし。
その今の東京が埋め立てで出来てるから液状化で危ないんですよね。
>その今の東京が埋め立てで出来てるから液状化で危ないんですよね。
千葉ほどじゃあないですw
> 廃人軍師show@Ganryuzさん

たしかに江戸は住み辛く、当時は特にね。
家康はさっさと将軍職を秀忠に押し付けて、気候温暖な駿府に行ってしまう。

豊臣を潰す為には、まず、自分が長生きせねばならない。死んでも死に切れぬ。
豊臣攻めの時はやはり秀忠は役に立たぬ。福井城主の結城(松平)秀康の息子(家康の孫)の方が奮戦したりする。
もっとも、秀忠は娘を人質にとられているので戦う気にならなかったでしょうが。江に怒られます。(笑)目涙げっそり
>218
>219

>>その今の東京が埋め立てで出来てるから液状化で危ないんですよね。
千葉ほどじゃあないですw

その通り。
既に埋め立てから400年を経た東京は比較的安定地盤になっています。
>sakutaroさん

江戸の統治は実際方便ではなく大変だったようですよ。
風魔の小太郎と北条の忍びたちは江戸を荒らすあの時代劇にもなった盗賊になり、何代も潜伏していますし。
さっさと駿府に行ってしまったというのも実際行政を考える頭は自分たちで、単なる執行部隊だったのが江戸だったのがしばらくだったので、
その意味では秀忠も内心かなり不満を持ったでしょう。それを表に出さないのがあの名二代目のすごさだったのかもしれません。
秀忠はあの立花宗茂を大坂の陣の際には参謀として招きそこそこ上手にやっています。しかし、あのときは汚れ役を引き受けた家康のほうが役者が上だったようで
別に役に立っていないというわけでもなかったのでしょう。あのときはかえって焦りすぎたようではありましたがw
その秀康の息子の越前の跡取りですが、それだけ活躍した割にはその後の扱いが最低でしたしね、人生何がいいかわかりませんよ。

>やん〜よう棄てんwさん

まぁ、そうはいいますが私も地盤とかの専門家でもないので何とも…。
日産スタジアムにいて見れなくて残念でした。
> 廃人軍師show@Ganryuzさん

秀忠将軍時代から江戸城はそれなりに行政機能を持っていたようですよ。
家康の信望篤い土井利勝という名政治家を置き、内部の事は春日局に差配させた。癇性の強いお江を押さえられるのは春日しかいません。

家康は江戸にも万全の体制を敷いている。

土木工事完成の暁にはやはり江戸を首都にする気だったと推測されます。

松平忠直は貧乏くし゛を引いたと言えますね。

反抗的な外様を断絶する為にはまず身内から粛清しなければね。

利休の死を秀吉か゛歎いて泣くシーンがドラマにあったか゛有り得ないと思います。

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