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スープカリー・gopのアナグラコミュのカレー話6 出会い。

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ヒサビサのカレー話。
過去のカレー話はコチラ。

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5 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=3872052&comm_id=401777

気がつけばカレー屋。
いやいや、人生、面白い。
普通のサラリーマン生活をしていたのに、なぜか今は毎日カレーを作って暮らしている。

管理されることや、ある一定の枠組みの必要性は、会社組織にとって重要なことなのはよくわかっているのだけれど、時々、とても窮屈で窒息しそうになる。

そんな俺は、先のことなど考えず、自由に外国で暮らすことに憧れていた。
休みのたびに本屋へ通い、外国旅行の本を漁ったり、見たこともないタイのナムプラーとはいったいどういうものか、東南アジアの食文化や、宗教が及ぼす食文化への影響など、自分なりにいろいろ勉強していた。

とうとう窮屈さに耐えられなくなった俺は、青年海外協力隊の試験を受け始める。
外国に行きたいが、金もヒマもなく、言葉のできない俺にとって、教育システムが整い、わずかながらも国からギャラをもらえるこの制度は魅力的だった。

海外青年協力隊の試験というのは、珠算、空手、歯科医などの専門分野に分かれている。
しかし俺には特に身についている能力や実績など皆無で、ただただ日本を出て行きたいがために数回、試験を受けた。
同じような奴らが結構いるらしく、何の資格も要らない村落普及開発なんかの分野では、かなり高い倍率だった。

ペーパー試験を通り、東京まで面接を受けに行き、落とされた。
残念だったが、今考えれば、正解だったかもしれない。
そんないい加減な気持ちで現地に行ったとしても、俺は足手まといにしかならなかっただろう。
自分の必要性が感じられなければ、俺は生きていけない人間なのだ。

その時あたりから、自宅でカレーを作るようになる。
今思えば、そのスパイスがカレーにおいて、どういう役割を果たしているのか全くわかっていないデタラメな作り方だったが、それでも自分なりに満足して作っていた。

もともとカレーは好きだった。
インドカレーが大好きで、狸小路のデリーやタージマハール、今はなきマハラジャ(ここのナンは最高だった)によく通っていた。

とうとう会社を辞め、1年半くらい遊んで暮らす。
60人以上の部下を持つ会社生活は自分の時間などないに等しく、けれども自分の必要性を感じることだけを意気に感じてやっていたのだが、突然、やらなければいけない事が何もない、という状態になり、反動で寝起きに酒を飲み始めたり、昼間から蕎麦屋で天ぷら蕎麦をサカナに飲む、という最高の生活に耽溺する。

このころ、モスクワ経由でケニヤに行く。
チャパティをはじめて食べる。

ネパールに行き、友達になった家庭の家へ上がりこみ、豆のカレー(ダルバート タルカリ)をご馳走になったり、チャイやモモ(チベット風の餃子)を食う。

初めて食べたネパール料理は、スパイス感がなく、青臭い豆の香りが好みではなかったが、てんこ盛りのインディカ米は絶対にこれは食えん、という量にもかかわらず、すっきり腹に入る。

気候というものは、想像以上に食生活に影響を与えるようで、近藤紘一著「サイゴンから来た妻と娘」にはそれまでベトナムに住み、日本に来た当事は日本米の重さに辟易しつつも、結局は日本米を選んでしまう様子が書かれている。

ちなみに、日本のように米を炊く、というのは、世界で見ると少数派だ。
どちらかというと、米を「ゆでる」といった調理法が趨勢なのだ。
パラパラもそもそした食感は、日本人にとってみればなにかと物足りない感じなのだが、これはこれで、慣れるとなんともない。


少しでも蓄えを残しておけばいいのに、そうやって貯金がゼロになるまで遊びまわっていた俺は、今度はモノ相手に仕事を始めることになる。
豊平にある「豊平硝子工場」で、吹き硝子職人となったのだ。

そういった理由で、現在店で使用している色つきのコップやボウルは、ここの社長が自ら厚めに吹いてくれたものなのだ。

バンドと仕事を両立させながら暮らす毎日。

週に1回、スタジオにはいる前に、俺は必ずカレーを食ってから行くことにしていた。

そう、それが、札幌のスープカレー屋で、アジャンタについで2番目に古い店「スリランカ狂我国」だったのだ。

なんだか、書きたくなりました。
読みたい人がいれば、ヒマみて続きでも書こうかな。

コメント(10)

やっちさん
了解です。1人でもいるなら俺は書くゼ!

自分の必要性は重要です。必要性がなければ、俺は消えます。
俺は、どうしたらウケるカレーができるか、とかまるで考えずに、自分の作りたい「これが俺のカレーだ」というものしか作らない、経営者としてはまるで失格な人間なのです。だからなおさら常連さんがありがたい。

自分の決めたラインを超えてカレーは作れません。
それはなぜなのか…ということは、また続きをお楽しみにということで、へへ。
とりあえずひっぱとこう。

少なくともウチや、やっちさんが常連になっている店の店主さんは、やっちさんが来てくれたら、絶対にうれしいですよー!
sinさんの作るカレーに出会ってなければ、私はこんなにカレーにはまってなかったと思います。

sinさんのルーツ、興味深いですぴかぴか(新しい)
おいらの妹も海外青年協力隊でスリランカに行きました。
木植えに行ったとか行ってた気がします。
海外好きで三十路過ぎたのに結婚の気配がありません
天津冴子さん
大切です。
これがなくては生きていけません。
自分がいて、誰かが幸せになる。これ最高。
俺って愛に飢えてるのかなぁ?(笑)

みの☆ったりんさん
ありがとうございます!
あの頃よりは比べ物にならないくらい腕は上がっていますが、逆にちょっとしたことも気になり、自分の中の完成度は及第点スレスレです。
でも、先週末のカレー、あれはうまくいった(笑)。うまかったなぁ。

ひげおやぢさん
お!マジですか!!!!!
妹さんとも会いたいもんですな!
来週、予定が会えばやよよんさんと一緒に伺うかもしれません。
そんときゃヨロシクね!!
お話、楽しみにしてますね
出来れば直接一献交わしながらお話したいですが…
しっきーさん
了解!
酌み交わし、いいですな。
酒もって遊びに来てください。
店にも今のところ、スタッフまいこちゃんからもらったオロロソが1本あります。
多分、すぐなくなっちゃいそうだけど(笑)。
スリランカで青年海外協力隊のえらいおっさんみたいなひとと話しました。
なんか気持ち入った人でえらいかっこよかったです。
青年海外協力隊の採用もいろんな難しいことがあるんですって。

でもどこから道が開けるかなんてわからないものっすねー
音楽でもなんでも、気持ちが入らなきゃね!
細かな分岐点を数限りなく自分で選んできた結果、今のオレになったのです。
まだまだ足りないところがいっぱいあるけど、昨日より少しでも進歩すれば俺の勝ちさ。

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