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史跡コミュの小野毛人墓

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 京都府京都市左京区上高野西明寺山
https://www.google.com/maps/place/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E6%AF%9B%E4%BA%BA%E6%9C%9D%E8%87%A3%E5%A2%93/@35.0656285,135.7976349,17z/data=!4m6!3m5!1s0x600109d85569f8f5:0x6a02bc17df0c46b8!8m2!3d35.0660338!4d135.8015835!16s%2Fg%2F11cn9jqh_2?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI1MTIwNy4wIKXMDSoKLDEwMDc5MjA2OUgBUAM%3D
 1982年04月01日、京都市が史跡に指定。

 小野毛人(オノノエミシ)は、遣隋使で有名な小野妹子(オノノイモコ)の子で、人皇第40代天武天皇〔位;673〜686〕の御代の初期に刑部大卿(ギョウブタイケイ)を務め、677年12月に没しました。『続日本紀』和銅7(714)年4月条に拠れば墓所は山城国愛宕郡小野郷とされています。墓は土葬石室です。
 慶長18(1613)年、墓泥棒によって暴かれた山中の石室から鍍金された銅製の墓誌が発見され、近くの村にある浄土宗霊芝山法幢寺(レイシザンホウドウジ)に持ち込まれました。寸法は長さ58.9cm・幅5.9cmで、以下の様に記されていました。

(表)飛鳥浄御原宮治天下天皇 御朝任太政官兼刑部大卿位大錦上
(裏)小野毛人朝臣之墓 営造歳次丁丑年十二月上旬即葬

 この結果、この墓が小野毛人の物である事が確認され、延宝元(1673)年11月に銅製墓誌函が作られました。ところが、その後、法幢寺の村は落ちぶれて荒れ果てたため、墓の祟りを恐れて、元禄10(1697)年に墓誌は再び墓へ埋納されたのです。
 宝永2(1705)年には発見に関する文書が記され、大正2(1913)年に墓の調査に伴って再び発掘、昭和36(1961)年に至って銅函・発掘関係書類と共に国宝へ指定されました。現在は京都国立博物館に寄託されています。
 毛人の墓は677年に作られていますが、墓誌が作製されたのは、銘文中の官職や姓などの用語から見てやや時代が下り、人皇第41代持統天皇〔位;686〜697〕の御代に毛人の子の小野毛野(オノノケヌ;?〜714)によって追納されたと考えられています。

コメント(3)

 2024年02月02日金曜日に訪れました。
 山麓にある小野妹子と小野毛人を祭る小野神社〔延喜式内社〕です。崇道神社の境内社になっています。

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