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名勝コミュの旧観自在王院庭園

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 岩手県西磐井郡平泉町平泉字志羅山

 1922年10月12日、毛越寺境内の一画として史跡に指定。
 1952年11月22日、毛越寺境内の一画として特別史跡に指定。
 2005年03年02日、名勝に指定。
 2011年06月25日、UNESCO世界文化遺産に指定。
 
 観自在王院は、12世紀半ばに奥州藤原氏第二代基衡の妻(安倍宗任の娘)が、毛越寺に隣接する自らの居所を寺としたのが最初で、その後変転を経て、1573年の一揆に伴って発生した火災により大阿弥陀堂及び小阿弥陀堂などの堂宇が完全に焼失したとされている。
 幅約30mの南北道路を介して西側の毛越寺に接し、敷地の北に寄せて大阿弥陀堂・小阿弥陀堂などの主要建築群が建ち並び、南半部に舞鶴ヶ池と呼ばれる広大な池が展開する。池の外周は草止めの護岸のところどころに礫をあしらい、大小の景石を配して随所に見どころのある汀の景を造る。また、池中の中央やや東寄りには盛土により中島を造成している。池の水は毛越寺境内の北東隅に位置する弁天池を水源とし、南北道路を横断して観自在王院の敷地内に引かれた後、緩やかに蛇行する遣水を経て池へと導かれる。特に、遣水が池に流れ込む位置には大きな石を伏せるようにして組み、雄大な滝の景を構成している。簡素ではあるが動的な水の姿を表した流れの部分と、広々と静止する池の水面、そして両者の接点に躍動感のある滝の姿を表現したものである。1973〜1983年に庭園跡を含む敷地全体の修復・整備工事が行われ、旧観自在王院庭園として現在見る庭園の景観が再現された。
 観自在王院は途中で住宅を喜捨して伽藍に改めたという造営の経緯が影響したためか、西方極楽浄土を象徴する伽藍でありながら、伽藍の軸線が東西方向ではなく南北方向に定められている。また、観自在王院の庭園は、毛越寺の庭園と比較すると池の護岸など庭園の意匠・構造が全般的に簡素だという点においても特徴がある。毛越寺庭園の遣水は全体を礫及び景石で覆うのに対し、観自在王院の遣水は優美に湾曲する意匠ではあるが、ごくわずかの石材のみを用いたほとんど素掘りに近い構造を成す。
 境内には元衡夫人の墓も残る。

 毛越寺については以下を参照。
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9386964&comm_id=398257

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