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清水行之助コミュの徳川義親、大川周明との硬い絆

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三月事件中止の際の3人のやりとりから絆の強さが窺い知れます。

決行2日前、徳川侯爵の元へ河本大作(張作霖を爆殺した当時の関東軍参謀大佐)が軍部の総崩れを伝え、清水、大川の両氏に中止するよう説得して欲しいとの事であった。
侯爵はこれは何とでもして収拾しなければと2人の元へ出かけていった。
丁度侯爵が訪れる直前、清水は大川にあれだけ軍部は信用出来るのかと何度も何度も言ったではないかと責めていた所に侯爵が来ました。
以下 徳川義親自伝より

ぼくは、大川くんと清水くんに説いてきかせるようにいった。

徳:「実は河本くんが朝から二度きた。最初きたときは、軍はどのような条件でも聞くから、大川くんと清水くんに計画を思いとどまらせてほしいとのことであった。ぼくは、ふたりは条件によってやっているのではなく、真に国家と国民の前途を憂えて、政治の腐敗と社会の矛盾をなくそうとしてるのであって、依頼には応じかねると断った。すると河本くんはもう一度大川くんに会って説得します、と帰ったが、二度目にきたときは白紙でまかせるから、なんとか中止させてほしいというので、ぼくがきたのだ」

大:「侯爵にご迷惑をおかけして申しわけございません。だが今回のことは最初から覚悟してのことで、いまさら軍が変心したからといって、中止するわけにはいきません」

徳:「その覚悟は立派である。そうでなければならぬが、行動は実におろかだ。軍が離反したいま、強行するのは無意味ではないか」

大:「たとえおろかであり、無意味でありましても、中止するわけにはまいりません。決して侯爵にはご迷惑をおかけしませんから、どうかお見逃しください」

<中略>

徳:「そうか、これだけ説得してもやめないと言うならよろしい。ぼくも行動をともにしよう。ぼくも同志となったからには逃げかくれする心は毛頭ない。覚悟はできている。だが軍が離反したいま、決行するのは反対である。しかしきみらはあくまで決行するならば、それでよろしい。ぼくもいっしょに死ぬ。しかしぼくらが死んでだれが跡をつぐのか。失敗を覚悟でやるのはいさぎよいことだ。だがそれだけの結果である。ことをなすのは結果を見るためでなく、目的を達するのが眼目ではないか。いま軍が離反し、中止するのは痛恨かぎりないが、この苦痛に耐えられないで、革命の大業がなしえようか。考えてほしい。ぼくはこれで死んでよい」

大川くんは涙を流した。

大:「侯爵閣下、ご迷惑をおかけして申しわけありません。ことここにいたりましたうえは、わたしは、清水くんの命ずるままにします。清水くんが決行せよと言えば決行します。清水くんが中止せよといえば中止します。また責任とってこの場で死ね、といわれれば、大川は喜んで死にます」

清水くんは、ぼくと大川くんのやりとりをかたわらで聞いていた。清水くんは、軍は信用ができるのか、と大川くんに疑問を出していたが、結果はみごと裏切られたので、大川くんにたいして不満を持っていた。その不満が大川くんのこの一言で消えたので、

清:「それでは、今年も桜の花が見られますなあ」
といい、さらに、
清:「捲土重来を期しましょう」

といった。とたんにぼくも、大川くんも、清水くんも抱き合って、声をあげて男泣きに泣いた。



決してこの時代だから命が軽かった訳では無いのだと思います。
国家の為、国民の前途の為と言う想いが命より重かったのでしょうね

戦後もこの3人の絆は硬く最期まで続きました。
大川周明 1957年没 葬儀委員長 徳川義親
徳川義親 1976年没 葬儀委員長 清水行之助
清水行之助1980年没 大行社葬

コメント(3)

「この三月事件が実行されていれば大東亜戦争は起こらなかったであろう」とも言われてますが、私は、「たら・れば」の話はナンセンスだと思いますが、それでも敢えて言わせて頂きますと、「この三月事件が実行され、それでも大東亜戦争が起きていたとしたら、戦後間もないころの社会党(まだ立派だったころの)が尽力して施行された『戦傷病者戦没者遺族等援護法』は実現せず、更には、いわゆる『戦犯』の国内法に於ける名誉回復もなかったであろう」と思います。

それにしても、「それでは、今年も桜の花が見られますなあ」という言葉、かっこいいですね。「捲土重来を期しましょう」という言葉に、私が「はい」と答えてしまいました。
おっしゃる通りですね、旧社会党は産みの親である両氏の意図しない方向に進んで行ってしまいましたね
1980年に放送されたNTV報道特集の中で清水氏が当時の委員長である飛鳥田委員長の首を冥途の土産に持っていきたいなどと言ってましたね

矛盾してますが社会党の堤ツルヨ議員はよくやってくれたと思うのですが・・・

この時代を生きた先人の言葉は重みがあって綺麗ですね
心の中も現代を生きる私達より綺麗だったのだろうと勝手に妄想してしまいます^^;ソウデナイヒトモイタトオモウケド
若干、私の文章には誤りがありましたね。

「戦後間もないころの社会党(まだ立派だったころの)が尽力して施行された『戦傷病者戦没者遺族等援護法』」

ではなく、

「戦後間もないころの社会党(まだ立派だったころの)の堤ツルヨ議員が尽力して施行された『戦傷病者戦没者遺族等援護法』」

ですね。訂正いたします。

戦前・戦中の日本人と戦後のニホンジンが同じ民族だとは・・
宇宙人も聞いてビックリ(ノ゜?゜)ノでしょうね。
まぁ、私もソウデナイヒトモイタトオモウケド(笑)

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