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青森県立八戸東高校コミュの明治24年の八戸の様子

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 明治24年に函館の商人が書いた八戸の見聞が函館新聞にありました。この筆者は前書きにある通り、明治の初年の八戸を知っていて、23年後に再び訪れたら、ほとんど変わっていなかったといっています。特に市が盛んなのに驚いたことがわかります。市の立つ日を町名にしたくらい昔の人は市が好きで、稼いだり使ったり楽しんでいたんですね。

 當地元町遠行居士漁夫雇入れ旁々商用ありて南部
 地方を旅行し此頃帰函したるが其途中観察せし事
 々手帳に書留めたるものを本社に寄せらる同地方
 の事情を知るに足るものなれば左に掲載す

八戸近事 回顧すれば今を距る二十三年則ち明治維
新後青森縣下陸奥国三戸郡八戸鮫浦に上陸蕁て八戸
市街を通覧せしに旧城下丈けありて人煙稠密稍繁昌
の地たるを察せり以來二十有余年文化と倶に著大な
る改良進歩を爲したるべしとハ毫も心に疑はざりし
處にして再度此地を踏むの時を得ば或ハ既往に鑑み
或ハ前途の繁榮を想像し快事ならんと思ひしにも拘
らず之を往日に比し電信線の架設郵便の利学校病院
の設備二銀行の出店あるの異状を看るに過きず鮫浦
ハ船舶出入碇繋に便なれば海運漸々興起すべくは必
然なれども鮫浦より八戸市街に達する一里半許の道
路は依然昔日の儘にして運輸極めて不便なり腕車馬
車あれども甚遅緩にして急用ハ辨ぜざるなり元來鮫
浦ハ漁村なりと雖も遊女の出産地とも称すべく一ノ
戸二ノ戸三戸七ノ戸野辺地田名部地方に出稼するも
の大半此地より出て又之を以て常業とするの風習あ
りし由今尚鮫浦幾んど貸座敷なり左れば陸路は腕車
馬車の便あるのみにて之に甘じ居ると認むるの外な
きが如し八戸市街の外れ僅に二三町を編る慮は字湊
と云ふ亦貸座敷を以て重なる営業とせり往昔は目覚
敷妓楼ありしが近来概ね火災に罹り目今は僅に新築
の有様なり八戸市街は戸数は二千人人口一万なり旧
城下丈あり旧家多し随て家屋老朽多けれども新築并
修繕甚稀にて工業不興商業も不振なり又奇異なる習
慣ありて市街中三日町若くは八日町なるあり其日限
には市日と称し遠近村落より日用百種の物品を持來
り之れを売りて次市日迄の需用品を購ふものにして
市街と村落と互に交換するの状を見るべし此日にハ
人出山の如く幾んと往来絶る許りにて互に売買に競
争せり或ハ街路至る處にて飲食し嘔吐するあり酔倒
するあり酒店の台處に煮売するあれば一方に酒を購
ふの状況なれば市日の如きハ老若男女路上に飲食す
るを此上なき快樂とするに似たり古來よりの習慣とは
乍申又蛮風の遺物なり宜く徐々矯正するハ急務なり
と思料せらる今や此地鉄路も布設し月に日に海陸の
運輸交通盛大に向はんとす豈に古来の風習を墨守し
獨り自ら甘すへきの時ならんや地方留意の士猛省す
る處なかるへからす

旅人人馬の不便を感ずること 従来駅伝取締規則あり
て賃銭区々一定せざるの弊なかりしか官之を廃止し
目今は取締法なき故不當の賃銭を請求され土地不案
内の旅人大に迷惑することあり依て之等ハ旅人の周旋
に一任するを便なりとす又荷物携帯してハ不當の賃
銭を請求さるゝ故荷物を携へず独歩するの覚悟に非
されば田舎に入る程失費多し而し八戸より青森に至
る間の七戸の馬車ハ相當の賃銭と思はる

淺虫の温泉 淺虫の天然泉ハ温度甚た良好とのことな
り此所は青森市街を去る僅に三里繁昌の温泉場なれ
と依然旧時の儘にて不潔云はん方なし目下既に停車
場の建築あり盛大を極む此時に當り改良する所なし
とは旅人の感服する能ハさる所なり
(明治24年4月25日付函館新聞2面)


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