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† 聖公会 †コミュの主の祈り

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† 一致のため †


天におられるわたしたちの父よ

みなが聖とされますように

み国が来ますように

みこころが天に行われるとおり 地にも行われますように

わたしたちの日ごとの糧を 今日もお与えください

わたしたちの罪をおゆるしください わたしたちも人をゆるします

わたしたちを誘惑に陥らせず、悪からおすくいください


国と力と栄光は永遠にあなたのものです


アーメン



† 聖公会 旧主の祈り † 


天にいますわたしたちの主よ、
み名が聖とされますように。み国が来ますように。
み心が天に行われるとおり、地にも行われますように。
日ごとの食物を今日も与えてください。わたしたちに対して罪のある者を赦していますから、わたしたちの罪も赦してください。わたしたちを試みに陥らせずに、悪から救い出してください。
み国も力も栄光も、世々に限りなく主のものだからです。
アーメン。


† カトリック 旧主の祈り †

† 天にましますわれらの父よ、
願わくはみ名の尊まれんことを。み国の来たらんことを。
み旨の天に行わるるごとく 地にも行われんことを。
われらの日用の糧を 今日(こんにち)われらに与えたまえ。
われらが人にゆるすごとく われらの罪をゆるしたまえ。
われらを試みに引きたまわざれ、われらを悪より救いたまえ。
アーメン。

コメント(46)

以前の主の祈りを書き込んでいただいて、それを私が編集してトップに記載するという流れでよろしいでしょうか?
すぬさん

私も同じ箇所に引っかかりを感じつつ
旧の主の祈りを唱えていました。
今の主の祈りは素直に唱えられます。

あと、「日ごとの食物」も気になってました。
食べ物だけじゃなくて、神さまからいただく
全てのお恵みを感謝したかったので、
「糧」の方が、霊的な糧や全ての糧が
含まれているような気がして、うれしいです!
そうですね。
現在はカトリックと聖公会は共通訳のこの新しい主の祈りになっており、洗練されていて唱えやすく、素直に受け入れられるものとおもっております。

そう、食物ではなくて恵みという意味にとれることは、日ごとの糧としたときにすばらしいですよね。
学びが足りないことをさらけ出すようで
とても恥ずかしいのですが、
わからないまま、というのはもっと
恥ずかしいので勇気を出しますね(笑)

「み国が来ますように」と
「みこころが天に行われるとおり
 地にもおこなわれますように」の
違いがはっきりわからないのです。

み国はみこころが行われるところであり
天の国である、と理解しているのですが、
そうだとすると大変似た内容では
ないかと思ってしまうのです。
権三郎の妻さんこんにちは。

違いがはっきり解らなくて良いのではないでしょうか?
み心が叶って地に行われ、み国が来る。

正直わたし主の祈りに関してその意味合いを考えたこともありません。
純粋に祈ることで心が捉えるものであると…

他の方でご意見おありでしたらよろしくどうぞ。
hikoさん

ありがとうございます。

つい頭で理解しようとしてしまいます。
聖霊がすべてを悟らせてくださると
信じているつもりなんですけど…。
霊的に乾いているのでしょうか…。

聖霊に満たされて導かれるまで
純粋に祈り続けます。
ここでカトリックの旧・主の祈りを紹介させてください。
聖公会と共通のお祈りになって、初めは口語体で軽い感じがしましたが、慣れてくるとかえって分りやすいですね。

すぬさんがおっしゃっていたように、「わたしたちの罪をおゆるしください、〜」は私も新しい方が好きです。

† 天にましますわれらの父よ、
願わくはみ名の尊まれんことを。み国の来たらんことを。
み旨の天に行わるるごとく 地にも行われんことを。
われらの日用の糧を 今日(こんにち)われらに与えたまえ。
われらが人にゆるすごとく われらの罪をゆるしたまえ。
われらを試みに引きたまわざれ、われらを悪より救いたまえ。
アーメン。
アーメン

いいですね。
しっかりと落ち着いていて、それでいて流れるようにメロディアス!
すばらしいです。

こちらも主の祈りトピックトップにに編集して加えたいと思うのですがいかがでしょうか。
ありがとうございます。

どうぞ加えてください。
聖公会の文語体の旧主の祈りを紹介させてください。
私が子供の頃はこのお祈りでした。

日本聖公会祈祷書(文語)より
昭和56年11月1日第29版発行
† 聖公会旧主の祈り(文語)†
天にまします我らの父よ、願わくは御名を聖となさしめたまえ。
御国をきたらしめたまえ。
御心を天におけるごとく、地にも行わしめたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我ら赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国も力も栄えも世々に父のものなればなり アーメン
===========================================
最後の1行は聖餐式では唱えません。
堅信式などで唱えます。

子供ながらに冒頭部は下記のように覚えてました。
「ミクニ起きたら締めたまえ」^_^;
>YOSHIKIさん

あぁ〜・・・これです!これです!!
学生時代に覚え、今でもそらんじて唱える事ができます。(笑)

中高生時代にこの文語体の主の祈りを唱え、卒業して幾星霜・・・・
再び教会に足を向けたら主の祈りはその後2回の改訂を経て
現在の形に変わっていました。

良い悪いの問題ではなく、この文語体の主の祈りこそが私にとっての主の祈りです。

数年前になりますが母校同窓会主催のクリスマス礼拝がすべて文語体で行われました。
大変厳粛で心に残る素晴らしいお礼拝でした。

久しぶりに文語体の主の祈りを拝見しうれしくなりました。
ありがとうございました。
私も子供の頃、YOSHIKIさんが書かれたのと同じ主の祈りでお祈りをしていたので、とても懐かしくて嬉しくなりました。
個人的には、文語の美しい響きの祈りや聖歌が好きです。
>華さん、CAT. さん
実は私も文語の方が好きなんです。^_^;
子供の頃はずっと文語。その改変時期くらいからなんとなく教会から足が遠のいてしまっていました。
最近、きっかけがあり、去年よりまた通い始めました。
今でも聖餐式で、ちょっとした所で文語を口走ってしまいます。
色々な方のお力で口語になったのに申し訳ありません。
でも、華さんやCATさんからすぐにお返事いただけ、
とても嬉しいです。これからも宜しくお願いします。
僕も文語の主の祈りで育ちました。
ずっと思ってきたことなので、この機会に言ってしまおうとおもいますが、率直に申し上げて、口語の祈祷って美しくないと思っています。
あまりに俗っぽい。
音韻もよくない。
古くさいのと俗っぽいのだったら古くさいほうがましです。
まして、聖公会は伝統を軽んずる教派ではなかったはず。

クリスチャンじゃない人に「主の祈りってどういうの?」と聞かれたときに、口語のもので伝える気にはならないですし。

「文語ではわかりにくい」という声もあると聞いていますが、せいぜい高校古文の知識があれば完全に読解できますし。(事実高校で古文は落第寸前だったわたしですが、中学くらいのときには意味はわかっていましたし、高校にあがって古文でならったことを元にニケヤ信経や主の祈りを読み直したときにはかえってあらためて新鮮に「こういうお祈りだったのか!」と心に刻まれたものです)
管理人さんすみません。勝手にトピ立てさせて戴きました。
不都合があればご連絡ください。削除いたします。

新トピック「†文語の思い出†」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14875547&comm_id=317573

主の祈り他、文語に関することはこちらで。^_^;
主に栄光あらんことを。
25の書き込み、訂正します。
版数、第20版でした。
祈祷書と聖歌集が一つの本になっていたので、
間違えて聖歌集の版数を書いてしまいました。
あれ?私が覚えているのは

天にまします我らの父よ
願わくはみ名をあがめさせ給え
み国を来たらせ給え
み心の天になる如く 地にもなさしめ給え
我らの日用の糧をこんにちも与え給え
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く 我らの罪をも赦し給え
我らを試みに遭わせず 悪より救いいだし給え


なのですが!?
>maggie さん
あれ?私が覚えてたのと少し違いますね。
時代や教派によって少しずつ違うようです。
うちのヨメさんは、京都なんですが
教会は聖公会、中高はノートルダム学院でカトリック、大学は同志社で基督教団で、文語体時代はそのそれぞれが微妙に違っていたんです。よくごっちゃになって恥かいたそう。
新共同訳ができて、ずいぶん楽になったけど、やっぱり文語が好き!って言ってます!
あ!!!
実はその後、もしかして…と私も思っていたのですが、いま検索してみてわかりました。長老派(Presbyterian)の言い方みたいです:

http://hola.la.coocan.jp/doctrine/dct_index_6.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A

そういえば私が通った中高はプロテスタント(横浜のフェリス女学院)でした……失礼しました -_-;
日本基督教団訳(1880年)です。
ルーテルを除くほとんどすべてのプロテスタントの教派はmaggieさんの挙げた「天に在します」を使ってます。

1880年訳ができた頃は「日本基督教団」は存在しません。
1872年に日本在留ミッションの合同会議で日本語訳聖書の共同翻訳が決議され、いわゆる「翻訳委員社中」が結成されます。そのメンバーは、
「アメリカ長老教会、アメリカ改革教会、アメリカ組合教会から、ヘボン、ブラウン、グリーンD.C.Greeneらの宣教師が集まり、そこに聖公会(ジョン・パイパー、ウィリアム・B・ライト)、アメリカ・メソヂスト教会(ロバート・S・マクレイ)、バプテスト教会(ネイサン・ブラウン)からの代表が加わった。」
(http://ja.wikipedia.org/wiki/日本語訳聖書)
こうして1880年に新約全書が完成しました(旧約は1887年)。
この「新約全書」は文語元訳とか明治元訳と呼ばれるからです。後に新約だけ改訳されて現在の日本聖書協会の文語訳聖書になっています。
その「馬太傳福音書」に出てくる「主の祈り」は次のようなものですs

天に在ます我儕(われら)の父よ願くは爾名(みな)を尊崇(あが)めさせ給へ
爾國(みくに)を臨(きた)らせ給へ爾旨(みこころ)の天に成(なる)ごとく地にも成(なさ)せ給へ
我儕の日用の糧を今日(けふ)も與(あたへ)たまへ
我儕に負債(おひめ)ある者を我儕がゆるす如く我儕の負債をも免(ゆる)し給へ
我儕を試探(こころみ)に遇(あは)せず悪より拯(すくひ)出(いだ)し給へ
國と権(ちから)と榮(さかえ)は窮(かぎり)なく爾の有(もの)なればなりアメン
(負・悪・権は旧字体)

プロテスタントのほとんどの教派で今も使われているのはこれです。
ただし、一つだけ違っているところがあり、
「負債」が「罪」に変わっています。
(教派によっては元訳聖書どおり
我らに負債(おいめ)ある者を我らがゆるす如く 我らの負債をもゆるし給え
と祈ります。)

聖書は「負債(おいめ)」なのになぜ礼拝で唱える祈りでは「罪」なのか?
聖書は文語元訳、文語改訳、ラゲ訳、バルバロ訳、口語訳、新改訳、新共同訳すべて「負債」「負い目」です。
日本基督教団の古い式文の「主の祈り」の末尾に、
(讃美歌による)と書いてありました。
讃美歌もまたプロテスタント諸教派独自の賛美歌集が出た後、各派代表が集まって1903年に合同の「讃美歌」を出版しましたが、これには
「罪」
になっていたようです。
その他各教派の歌集、式文を見ても
私の手元にあるところでは聖書と同じ「おいめ」としているのは
ハリストス正教会、イムマヌエル綜合伝道団、カンバーランド長老教会だけで
他は皆「罪」となっています。
失礼しました。
参照した文献の表記が間違えてました。
『プロテスタント訳(1880)日本基督教団「信徒必携」より』
とすべきところを
『日本基督教団訳…』
としてました。
うっかりそのまま書き込んでしまいましたm(_ _)m
日本基督教団は戦時中に出来た合同教会ですからうっかりしすぎてました
(_ _*)m(_ _)m(*_ _)
> 『プロテスタント訳(1880)日本基督教団「信徒必携」より』

う、私の手許にある「信徒必携」(1991年 改訂新版24版)には、主の祈りは載ってない。

Wikipediaには
> プロテスタント訳(1880年)
>
> 下記の訳文は、プロテスタント系の讃美歌集の多くに掲載されている文語訳のもので、現在でも多く用いられている。

と書いてあるのですが、1880年のどんな文書に発表されたものなのかは書いてありません。
1880年といえば先に挙げた「新約全書」ですが、そこでは「罪」ではなく「負債」でした。

なお、各種の「主の祈り」については

http://www.ss.iij4u.or.jp/~ana/inori.htm

にたくさん出ています。
ぼくの持ってる新改訂版30版には一番はじめに載ってますから最近入れたのかもですねわーい(嬉しい顔)

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