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交通史料館コミュの地方鉄道のオリジナルな電車

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 地方鉄道の電車も、近年では大手私鉄からの電車が主体で乗り心地などは格段に良くなりました。
 とはいえ、かつての個性豊かな車両にも捨て難い味があったと思います。
 ここのトピックでは、そういった中小私鉄のオリジナルの電車を探っていきます。
 原則として鉄道線の旧性能ボギー車を記していきますが、軌道線でも路面電車スタイルでないところや、鉄道線と軌道線が分かち難い鉄道などは記しておこうと思います。そのあたりは「嗜好」に応じて臨機応変にというわけです。
 車体については半鋼製のものを取り上げますが、全金製のものも出てくるかと思います。木造車はほとんど縁がなかったので、ここでは触れません。
 鋼体化された電車ですが、元々は他社からの譲渡車というものも少なくありません。ただ、オリジナルから相当に変身することが少なくありませんから、これは見ていこうと思っています。

コメント(60)

山梨電気鉄道→峡西電気鉄道(1938年06月22日)→山梨交通(1945年05月01日)

 山梨交通の軌道線では、半鋼製のボギー車は8両存在しました。軌道線とはいえ、甲府と郊外とを結んでいましたので、車両は高床式で、それ故に他へ譲渡される例もありました。

形式・番号 製造年 製造所 備考
1・モハ1〜6 1929年10月 雨宮製作所 廃線・廃車(1962年07月01日)
7・モハ7〜8 1948年12月 汽車會社 →上田丸子→江ノ島→廃車(1986年04月)

車歴
モハ7(1948年12月)→上田丸子電鉄モハ2341(1963年02月)→江ノ島鎌倉観光800形801(1971年11月)→江ノ島電鉄(改称/1981年09月01日)→廃車(1986年04月)→保存
モハ8(1948年12月)→上田丸子電鉄モハ2342(1963年02月)→江ノ島鎌倉観光800形802(1971年11月)→江ノ島電鉄(改称/1981年09月01日)→廃車(1986年04月)→保存

参考文献
寺田裕一 『消えた轍 3』 ネコ・パブリッシング(2006年)
京福電気鉄道福井支社(2)

 福井支社の前身の一つである丸岡鉄道には、小型の半鋼車が存在していました。

形式・番号 製造年 製造所 備考
ホデハ101 1930年03月 大阪鉄工所
ホデハ102 1930年03月 大阪鉄工所

車歴
ホデハ101(1930年03月)→京福ホデハ111形111(1944年12月01日)→廃車(1969年09月29日)
ホデハ102(1930年03月)→京福ホデハ111形112(1944年12月01日)→廃車(1969年09月29日)

 やはり前身の1つの永平寺鉄道には、7両の半鋼製電車が存在しました。

形式・番号 製造年 製造所 備考
電101形・101 1926年03月 加藤車輌
電102形・102 1929年08月 日本車輌
電102形・103 1929年08月 日本車輌 ホデハ251改造に際し旧車体はホサハ17に利用
電104形・104 1930年02月 日本車輌
電104形・105 1930年02月 日本車輌
電104形・106 1930年02月 日本車輌
電104形・107 1930年02月 日本車輌

車歴
電101(1926年03月)→京福ホデハ101(1944年12月01日)→廃車(1968年10月05日)
電102(1929年08月)→京福ホデハ102(1944年12月01日)→廃車(1969年09月29日)
電103(1929年08月)→京福ホデハ103(1944年12月01日)→ホデハ251形・251(車体新造/1958年03月)→モハ251(称号変更/1975年)→モハ253(改番/1988年12月)→廃車(1991年03月20日)
電104(1930年02月)→京福ホデハ104(1944年12月01日)→廃車(1972年08月09日)
電105(1930年02月)→京福ホデハ105(1944年12月01日)→廃車(1972年08月09日)
電106(1930年02月)→京福ホデハ106(1944年12月01日)→廃車(1969年09月29日)
電107(1930年02月)→京福ホデハ107(1944年12月01日)→廃車(1969年09月29日)

参考文献
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』西日本編 JTB(2002年)
寺田裕一 『消えた轍 3』 ネコ・パブリッシング(2006年)
越後交通栃尾線(1)

 栃尾線では、気動車改造以外のオリジナルの電車は栃尾鉄道時代の1952年から登場しています。

栃尾鉄道時代に登場したもの
形式・番号 製造年 製造所 備考
ホハ21 1950年07月 自社 →クハ30(改造/1955年10月)→モハ211(車体延長・電動車化/1957年04月)→廃車(1973年04月16日)
モハ209 1952年10月 自社 廃車(1973年04月16日)
モハ210 1954年03月 自社 →クハ112(制御車化/1970年03月27日)→廃車(1973年04月16日)

 栃尾電鉄の時期(1956年11月20日〜1960年09月30日)には、オリジナルの電車が1両登場しています。

栃尾電鉄時代に登場したもの
形式・番号 製造年 製造所 備考
モハ212 1957年12月 東洋工機 廃線・廃車(1975年04月01日)

 以下は越後交通成立(1960年10月01日)後に登場したものです。

形式・番号 製造年 製造所 備考
モハ213 1961年04月 東洋工機 廃車(1973年04月16日)
モハ214 1961年04月 東洋工機 廃車(1973年04月16日)
モハ215 1964年02月 東洋工機 廃線・廃車(1975年04月01日)
モハ216 1964年02月 東洋工機 廃線・廃車(1975年04月01日)
モハ217 1966年02月 東洋工機 廃線・廃車(1975年04月01日)
クハ101 1967年05月 東洋工機 →クハ104(改番/1967年12月)→廃線・廃車(1975年04月01日)
クハ102 1967年10月 東洋工機 廃線・廃車(1975年04月01日)
クハ103 1967年10月 東洋工機 廃線・廃車(1975年04月01日)

参考文献
寺田裕一 『消えた轍 3』 ネコ・パブリッシング(2006年)
山形交通(2)

 山形交通の電車のうち、自社発注の半鋼製ボギー車は高畠鉄道が発注した2両だけだったようです。

形式・番号 製造年 製造所 備考
デハニ1 1929年 日本車輌 →山形交通デハニ1(合併/19431001)→モハ1(更新・西武所沢工場/1959年)→廃線・廃車(19741118)
デハニ2 1933年02月 日本車輌 →山形交通デハニ2(合併/19431001)→モハ2(更新・西武所沢工場/1962年)→廃線・廃車(19741118)

参考文献
寺田裕一 『消えた轍 2』 ネコ・パブリッシング(2005年)

(1)は誤記がありましたので削除しました
定山渓鉄道(1)

 北海道で電気鉄道といえば定山渓鉄道のことでした。1929年の電化以来、自社発注の車両も少なくありませんでした。

形式・番号 製造年 製造所 備考
モ100・101 1929年10月 新潟鉄工所 廃車(1955年09月27日)→モ2101へ機器流用
モ100・102 1929年10月 新潟鉄工所 廃車(1956年01月18日)→モ2103へ機器流用
モ100・103 1929年10月 新潟鉄工所 廃車(1956年01月18日)→モ2104へ機器流用
モ100・104 1929年10月 新潟鉄工所 廃車(1955年09月27日)→モ2102へ機器流用
モ200・201 1933年06月 日本車輌支店 廃車(1964年10月13日)→モ2031へ機器流用
モ300・301 1922年 汽車会社支店 省デハ33514→モハ1038(改番/1928年10月01日)→廃車(1937年12月11日)→定山渓モ301(1938年購入・鋼体化)→廃車(1964年10月13日)→モ2032へ機器流用

 戦前に登場した半鋼製の電車は、廃車後に機器が新しい車両へ流用されています。上記の通りモ301が元々は木造省電でしたが、定山渓鉄道では木造車としては使ってはいません。
 また、モ100の廃棄された車体ですが、これを利用して旭川電気軌道の車両が作られています。

形式・番号 製造年 製造所 備考
モ2100・2101 1955年 日本車輌支店 モ101機器利用→廃線・廃車(1969年11月01日)
モ2100・2102 1955年 日本車輌支店 モ104機器利用→廃線・廃車(1969年11月01日)
モ2100・2103 1956年 日本車輌支店 モ102機器利用→廃線・廃車(1969年11月01日)
モ2100・2104 1956年 日本車輌支店 モ103機器利用→廃線・廃車(1969年11月01日)
モ2300・2301 1964年 東急車輛 モ201機器利用→廃線・廃車(1969年11月01日)
モ2300・2302 1964年 東急車輛 モ301機器利用→廃線・廃車(1969年11月01日)

 戦前の電動車の機器を流用した車両ですが、定山渓鉄道の廃止後に他の鉄道で使われることはありませんでした。モ2300形などの車体は5年ほどしか使われませんでしたから、もったいなかった感じがします。

参考文献
寺田裕一 『消えた轍 1』 ネコ・パブリッシング(2004年)
沢柳健一・高砂雍郎編 『旧型国電車両台帳 決定版』 ジェー・アール・アール(1997年)
北陸鉄道(5) 能美電気鉄道デホ301

 北陸鉄道の前身の一つにあたる能美電気鉄道にも、半鋼製のボギー電動車がありました。

能美電気鉄道
形式・番号 製造年 製造所 備考
デホ301 1937年 木南車輌 →北陸(1943年10月13日)→モハ1201(改番/1949年10月01日)→廃車(1965年度)

参考文献
寺田裕一 『消えた轍 3』 ネコ・パブリッシング(2006年)
定山渓鉄道(2)

 戦後に定山渓鉄道に登場した車両ですが、期間は短かったものの優等車両が登場したことが特徴でしょう。
 こちらでは、廃線後にモ201とク1211の編成が十和田観光電鉄へ行き、そこで20年ほど使われていました。それらが廃車されたことによって、定山渓鉄道の電車で現役のものが消えたことになります。

モ800・801 1949年08月 日本車輌支店 廃線・廃車(1969年11月01日)
モ800・802 1949年08月 日本車輌支店 廃線・廃車(1969年11月01日)
モ1000・1001 1950年11月 日本車輌支店 廃線・廃車(1969年11月01日)
ク1010・1011 1950年11月 日本車輌支店 廃線・廃車(1969年11月01日)
モロ1100・1101 1952年05月 日本車輌支店 →モ1101(2等廃止/1954年02月)→廃線・廃車(1969年11月01日)
クロ1110・1111 1952年05月 日本車輌支店 →ク1101(2等廃止/1954年02月)→廃線・廃車(1969年11月01日)
モ1200・1201 1954年04月 日本車輌支店 廃線・廃車(1969年11月01日)→十和田モハ1207(1970年07月10日)→廃車(1990年03月31日)
ク1210・1211 1954年04月 日本車輌支店 廃線・廃車(1969年11月01日)→十和田クハ1208(1970年07月10日)→廃車(1990年03月31日)

参考文献
寺田裕一 『消えた轍 1』 ネコ・パブリッシング(2004年)
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』東日本編 JTB(2001年)
弘前電気鉄道

 1952年に開業した弘前電気鉄道ですが、経営が思わしくないため1970年10月01日に弘南鉄道に譲渡という形で消えていきました。しかし、路線は大鰐線として現在も健在です。
 オリジナルの新車はありませんでしたが、秩父鉄道からの木造車を鋼体化したものと、京急デハ400形の車体を利用して西武所沢工場で作られた車両が、弘前電気鉄道由来の旧性能半鋼製電車といえるでしょう。

形式・番号 製造年 製造所 備考
モハ100・101 1925年 日車 秩父デハ17→弘前入線(1952年)→鋼体化(1962年/大栄)→弘南モハ101→廃車
モハ100・103 1925年 日車 秩父デハ18→弘前入線(1952年)→鋼体化(1964年/大栄)→弘南モハ101→廃車
モハ100・105 1923年 梅鉢 秩父デハ14→弘前入線(1953年)→鋼体化(1959年/大栄)→弘南モハ101→廃車(1989年12月15日)
モハ100・108 1967年 西武所沢 京急デハ400形車体利用・弘前入線は1968年→弘南モハ108→廃車(1989年12月15日)

 モハ101と103の廃車は1970年代後半になるようです。

参考文献
『世界の鉄道'75』 朝日新聞社(1974年)
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』東日本編 JTB(2001年)
山形交通(3)

 戦後の供出で、名鉄からの木造車が山形交通に入りましたが、1956年に鋼体化されています。元来は各務原鉄道が増備した車両でした。

形式・番号 製造年 製造所 備考
KB・1 1925年03月 日本車輌 →名岐モ451(合併/1935年03月28日)→名鉄モ451(改称/1935年08月01日)→山形交通モハ106(1947年)→鋼体化(日本車輌/1956年)→蒲原モハ91(入線/1975年11月14日)→廃車(1985年06月20日)

 山形交通が廃線となった後も蒲原鉄道で活躍しました。
 写真は蒲原鉄道時代のものですが、1975年12月の撮影ですので、入線して1ヶ月強という時期のものです。

参考文献
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』東日本編 JTB(2001年)
寺田裕一 『消えた轍 2』 ネコ・パブリッシング(2005年)
富山地方鉄道(2) モハ7510、クハ90、クハ160、モハ14750

 富山地方鉄道発足後の車両で、クハ90形は1962年の製造でありながら1971年には廃車されている短命の車両でした。一方、モハ14750形は1990年代まで吊り掛けの音を響かせていた車両です。

形式・番号 製造年 製造所 備考
クハ1010・1015 1948年 日本鉄道自動車 →モハ7510・7515(1949年)→廃車(1969年06月05日)
クハ90・91 1962年 富士重工 →廃車(1971年08月02日)
クハ90・92 1962年 富士重工 →廃車(1971年08月02日)
モハ1200・モハ1201 1948年 日本車輌 →クハ160・クハ161(1951年)→廃車(1980年08月06日)
クハ1030・クハ1031 1948年 日本車輌 →クハ160・クハ162(1951年)→廃車(1980年08月06日)
モハ1500・1501 1948年 日本車輌 →モハ14750・14751(1951年)→廃車(1991年03月29日)
モハ1500・1502 1948年 日本車輌 →モハ14750・14752(1951年)→廃車(1995年10月01日)
クハ1050・1051 1948年 日本車輌 →モハ14750・14753(1951年)→廃車(1995年10月01日)
クハ1050・1052 1948年 日本車輌 →モハ14750・14755(1951年)→廃車(1991年03月29日)

参考文献
飯島巌・西脇恵・諸河久 『私鉄の車両10 富山地方鉄道』復刻版 ネコ・パブリッシング(2002年)
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』 JTB(2002年)
富山地方鉄道(3) 越中鉄道デハ100

 富山地方鉄道の射水線となった越中鉄道による路線ですが、富山地方鉄道合併時の半鋼製電車は2両だったようです。

形式・番号 製造年 製造所 備考
デハ100・101 1930年 日本車輌 →富山地方鉄道デハ100・101(1943年02月18日)→クハ100・101(1951年)→片運化(1963年)→廃車(1968年12月25日)
デハ100・102 1930年 日本車輌 →富山地方鉄道デハ100・102(1943年02月18日)→クハ100・102(1951年)→片運化(1963年)→廃車(1968年12月25日)

 改番が行われた1951年に制御車化が行われたので、改造と改番が重なっているようです。
 本線で使われましたが、小型であったことで、早くに廃車となっています。

参考文献
飯島巌・西脇恵・諸河久 『私鉄の車両10 富山地方鉄道』復刻版 ネコ・パブリッシング(2002年)
総武流山電鉄 モハ1101

 流鉄では内燃車両までは自社発注のものも少なくなかったのですが、電車では流山電鉄時代に入線したモハ1101が、京急旧デハ400形の車体利用車とはいえ唯一の新車です。

形式・番号 製造年 製造所 備考
モハ1100・1101 1968年 西武所沢 京急デハ400形車体利用→1994年01月27日廃車

 相方のクハ53の廃車後も長く残っていたのは、両運転台車のため融通が利いたからでしょう。
 入線時点では、たしかに流鉄線ではぴか一の存在でした。

参考文献
『世界の鉄道'75』 朝日新聞社(1974年)
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編』 JTB(2003年)
銚子電気鉄道 デハ101

 銚鉄では、銚子鉄道時代に増備したデハ101が自社発注の新車だったといえるでしょう。

銚子鉄道→銚子電気鉄道(譲渡・1948年08月20日)

形式・番号 製造年 製造所 備考
ホデハ101・101 1938年 日本鉄道自動車 元下野電気鉄道デハ103台車転用/→デハ100・101(改番・1950年)→鋼体化(1952年)→廃車(1999年03月31日)

 当初の車体は鋼木混用ということで、1952年に鋼体化工事をしています。小型のため1970年代当初でも二線級となっていましたが、使用されなくなってからも車籍は1998年度末まで残っていました。

参考文献
白土貞夫 『岬へ行く電車』 (有)東京文献センター(2001年)
叡山電鉄 デナ21形

 京都電灯が増備したデナ21と鞍馬電気鉄道が増備したデナ121の都合10両が存在しました。そのうち、2両は事故のために京福電気鉄道時代に廃車となっています。

京都電灯→京福電気鉄道(1942年03月02日譲渡)→叡山電鉄(1986年04月01日分離)
形式・番号 製造年 製造所 備考
デナ21 1929年08月 日本車輌 →京福→叡電→廃車(1995年04月25日)
デナ22 1929年08月 日本車輌 →京福→叡電→廃車(1995年04月25日)
デナ23 1929年08月 日本車輌 →京福→叡電→廃車(1987年07月16日)/電装品・台車はデオ710形に流用
デナ24 1929年08月 日本車輌 →京福→叡電→廃車(1987年08月02日)/電装品・台車はデオ710形に流用

鞍馬電気鉄道→京福電気鉄道(1942年09月01日合併)→叡山電鉄(1986年04月01日分離)
形式・番号 製造年 製造所 備考
デナ121 1928年11月 日本車輌 →京福→事故廃車(1964年)
デナ122 1928年11月 日本車輌 →京福→叡電→廃車(1993年04月28日)
デナ123 1928年11月 日本車輌 →京福→事故廃車(1964年)
デナ124 1928年11月 日本車輌 →京福→叡電→廃車(1994年03月19日)
デナ125 1929年05月 日本車輌 →京福→叡電→廃車(1994年03月19日)
デナ126 1929年05月 日本車輌 →京福→叡電→廃車(1993年04月28日)

参考文献
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年 西日本編』 JTB(2002年)
下津井電鉄

 岡山県の軽便の下津井電鉄では、オリジナルの電車は10両を数えました。いちばん個性的だったのは、それ以外の気動車から改造されたものだったでしょうが、新製者の多くは路線全廃のころまで在籍しました。
 ただ、1988年に増備されたメリー・ベル号は3年足らずで廃線を迎えるなど、必ずしも恵まれた経過をたどったわけではありません。

形式・番号 製造年 製造所 備考
モハ101・101 1951 日立製作所 1963年貫通路開設/→廃車(1973年)
モハ102・102 1954 ナニワ工機 全金製・1964年貫通路開設/→廃車(1990年02月28日)
モハ103・103 1961 ナニワ工機 全金製/→ワンマンカー改造(自社/1973年11月)→廃車(1990年12月31日)
クハ21・21 1951 日立製作所 1963年貫通路開設/→廃車(1973年)
クハ22・22 1954 ナニワ工機 全金製・1964年貫通路開設/→廃車(1990年02月28日)
クハ22・23 1954 ナニワ工機 全金製・1964年貫通路開設/→ワンマンカー改造・Mc(モハ1001)化(自社/1972年10月)→廃車(1990年02月28日)
クハ24・24 1961 ナニワ工機 全金製/→ワンマンカー改造(自社/1973年11月)→廃車(1990年12月31日)
モハ2000・2001 1988年03月 アルナ工機 全金製・メリー・ベル号/廃車(1990年12月31日)
サハ2200・2201 1988年03月 アルナ工機 全金製・メリー・ベル号/廃車(1990年12月31日)
クハ2100・2101 1988年03月 アルナ工機 全金製・メリー・ベル号/廃車(1990年12月31日)

参考ページ
下津井電鉄の電車についての略解=http://www.retropc.net/yasuma/V2/RAIL/simotui-car-text.html
参考文献
『世界の鉄道'66』 朝日新聞社(1965年)
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年 西日本編』 JTB(2002年)
遠州鉄道(1) モハ30・クハ80系・前

 遠州鉄道の車両に関しては、HAKKINYANさんの「遠州鉄道 車両資料館」=http://mhtera.hp.infoseek.co.jp/enshutetsudo.html という非常に充実したページがあります。ですので、ここではHAKKINYANさんのページと『ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編』に基づいて表を作り、その後に注釈を加えてみました。
 そのために文字数が多くなっていますので、表と注釈に分けてアップしています。

モハ30・モハ31 1958年 日本車輌 全金製/→廃車(1980年12月15日)→注1
クハ80・クハ81 1958年 日本車輌 全金製/→廃車(1980年12月15日)
モハ30・モハ32 1960年12月 日本車輌 全金製/→廃車(1988年07月15日)
クハ80・クハ82 1960年12月 日本車輌 全金製/→冷房化(1988年06月03日)→廃車(2004年10月)→注2
クハ80・クハ83 1960年12月 日本車輌 全金製/→廃車(1994年12月28日)
モハ30・モハ34 1961年12月 日本車輌 全金製/→廃車(1989年12月06日)
モハ30・モハ36 1961年12月 日本車輌 モハ13機器流用・全金製/→廃車(1983年11月21日)→注5
モハ30・モハ37 1961年12月 日本車輌 モハ14機器流用・全金製/→廃車(1983年11月21日)→注5
クハ80・クハ84 1961年12月 日本車輌 全金製/→廃車(1989年12月06日)
クハ80・クハ86 1961年12月 日本車輌 クハ51機器流用・全金製/→冷房化(1988年06月03日)→注5
クハ80・クハ87 1962年02月 日本車輌 クハ52機器流用・全金製/→冷房化(1987年06月19日)→廃車(1996年12月28日)→注5
クハ80・クハ88 1963年09月 日本車輌 クハ53機器流用・全金製/→廃車(1988年07月15日)→注5
モハ30・モハ38 1963年10月 日本車輌 モハ11機器流用・全金製/→廃車(1985年11月13日)→注5
モハ30・モハ39 1963年12月 日本車輌 モハ12機器流用・全金製/→廃車(1985年11月13日)→注5
クハ80・クハ89 1963年12月 日本車輌 クハ54機器流用・全金製/→冷房化(1987年06月19日)→注5
モハ30・モハ35 1966年06月 日本車輌 全金製/→冷房化(1987年06月19日)→廃車(1996年12月08日)→注3
モハ30・モハ33 1966年12月 日本車輌 全金製/→廃車(1994年12月28日)
モハ30・モハ30 1967年06月 日本車輌 全金製/→冷房化(1986年06月20日)
クハ80・クハ80 1967年06月 日本車輌 全金製/→冷房化(1986年06月20日)
モハ30・モハ29 1968年11月 日本車輌 モハ15機器流用・全金製/→冷房化(1987年06月19日)→廃車(1999年03月31日)→注4
クハ80・クハ79 1968年11月 日本車輌 クハ61機器流用・全金製/→冷房化(1987年06月19日)→廃車(1999年03月31日)→注4
モハ30・モハ28 1973年03月 日本車輌 全金製/→冷房化(1988年06月03日)→廃車(2004年10月)→注2
モハ30・モハ27 1974年08月 日本車輌 全金製/→冷房化(1987年06月19日)
モハ30・モハ26 1974年08月 日本車輌 全金製/→冷房化(1988年06月03日)
モハ30・モハ25 1978年12月 日本車輌 全金製・冷房車→注6
クハ80・クハ85 1978年12月 日本車輌 全金製・冷房車→注6
遠州鉄道(1) モハ30・クハ80系・後

注1
 HAKKINYANさんのページに拠れば、製造は1958年11月になります。

注2
 廃車年月はHAKKINYANさんのページに拠りますが、鉄道ピクトリアルの新車年鑑に日付まで載っているのではないかと思われます。

注3
 廃車の日付は『ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編』のものですが、HAKKINYANさんのページに拠れば1996年12月28日です。モハ35と編成を組んでいたクハ87の廃車日付が1996年12月28日ですから『ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編』が誤植でしょう。ただし、誤植であることを記すために表には1996年12月08日を載せました。正直なところ、『ローカル私鉄車輌20年』の3冊のデータ部分には誤植が少なくないように思いますので注意が必要でしょう。

注4
 HAKKINYANさんのページに拠れば、廃車年月日は1999年05月06日になります。これは他の資料との対照が必要でしょう。

注5
 HAKKINYANさんのページに拠れば、モハ36にはモハ11の機器が流用されたことになっており、モハ11〜14の機器流用車の番号は『ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編』と異なります。しかし、モハ13の廃車を1961年ごろとされていますので、すると、そのころに新造されていたのは『ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編』にあるとおりモハ36が該当します。ですので、モハの旧番は『ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編』での記述の方が蓋然性があるようです。
 一方クハ51・52の機器流用については『ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編』では触れていませんが、これら2両はHAKKINYANさんのページに拠れば1961年ごろに廃車されたそうですから、HAKKINYANさんのページに従っています。
 なお、クハ53・54の機器流用は、両者の記述は一致しています。

注6
 これら2両はHAKKINYANさんのページに拠れば2007年07月で検査期限が切れるようです。ネット上では検査をしたという記述がありませんが、廃車になったという情報もありません。しかし、30系の中ではいちばん新しい編成ですので廃車にされていないと思いますが情報をつかんでいません。

参考文献
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編』 JTB(2003年)
静岡鉄道 クモハ351

 自社で車体を作ってしまう会社の一つに静岡鉄道がありましたが、このクモハ351形も鶴見臨港鉄道の買収国電から改修されたクモハ18・19に新しい車体を乗せたもので、その時点で名義は引き継がなかったようです。

形式・番号 改造年 改造所 備考
クモハ351・351 1968年10月 自社(長沼工場) 全金製・クモハ18機器流用/日立電鉄クモハ351・351(1985年01月10日竣工届)→廃車(1994年04月15日)
クモハ351・352 1968年10月 自社(長沼工場) 全金製・クモハ19機器流用/日立電鉄クモハ351・352(1985年01月10日竣工届)→廃車(1994年04月15日)

参考文献
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年 東日本編』 JTB(2001年)
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編』 JTB(2003年)
新潟交通 モハ11・クハ31・デワ51

 新潟交通のオリジナルといえる車両は、新潟電鉄時代に増備されたモハ11形5両・クハ31形・2両、それと電動貨車のデワ51があげられるでしょう。
 1960年代に車体更新が行われ、モハは日車製の新造車体となりましたが、これは中小私鉄に相応しい形態の車体だったといえます。一方、クハは小田急の車体を流用して、戦前小田急の名残りを伝えました。また、デワは廃車までオリジナルの雰囲気を保ち、それぞれに人気があった車両といえるでしょう。

新潟電鉄→新潟交通(合併・1943年12月31日)→
形式・番号 製造年 製造所 備考
モハ11・11 1933年03月 日車 →車体新造(全金製)・日車(1966年02月)→廃車(1999年04月05日)
モハ11・12 1933年03月 日車 →車体新造(全金製)・日車(1968年12月)→廃車(1999年04月05日)
モハ11・13 1933年03月 日車 →車体新造(全金製)・日車・モハ20・21(1967年12月)→廃車(1999年04月05日)
モハ11・14 1933年03月 日車 →車体新造(全金製)・日車(1963年12月)→廃車(1999年04月05日)
モハ11・15 1910年06月 日車 →車体新造(全金製)・日車・モハ24・25(1969年12月)→廃車(1999年04月05日)
クハ31・31 1933年11月 日車 →車体更新(小田急デハ1414車体流用)・クハ45・47(1968年)→廃車(1993年08月31日)
クハ31・32 1933年11月 日車 →車体更新(小田急デハ1412車体流用)・クハ45・48(1968年)→廃車(1993年08月31日)
モワ51・51 1933年11月 日車 →廃車(1999年04月05日)

 写真は東関屋の車庫で物置として使われていた旧車体と、デワ51です。

参考文献
『世界の鉄道'66』 朝日新聞社(1965年)
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年 東日本編』 JTB(2001年)
箱根登山鉄道(1) モハ101〜107

 箱根登山鉄道は社史もあり、またネット上では鈴木大地さんの「箱根登山電車のホームページ」=http://earth-37.or.tv/tozan/index.htm という詳しいページもありましたので15両分のデータを一時に作れましたが、量も多くなりましたので、形式ごとにアップします。
 参考文献はモハ111〜115の末尾で記しました。
 最初はモハ1形です。

チキ1・1 1919年05月 日本車輌 木造車/→チキ1・101(鋼体化(東芝車輌)/改番・1950年08月)→モハ1・101(称号改正・1952年02月)→2両固定編成化(1992年10月21日)→廃車(2002年02月28日)
チキ1・2 1919年05月 日本車輌 木造車/→チキ1・102(鋼体化(東芝車輌)/改番・1950年08月)→モハ1・102(称号改正・1952年02月)→2両固定編成化(1992年10月21日)→廃車(2002年02月28日)
チキ1・3 1919年05月 日本車輌 木造車/→チキテ1・3(改形式・1934年)→チキ1・103(鋼体化(汽車会社支店)/改番・1950年08月)→モハ1・103(称号改正・1952年02月)→2両固定編成化(1993年06月)
チキ1・4 1919年05月 日本車輌 木造車/→チキテ1・4(改形式・1934年)→チキ1・104(鋼体化(汽車会社支店)/改番・1950年08月)→モハ1・104(称号改正・1952年02月)→2両固定編成化(1993年06月)
チキ1・5 1919年05月 日本車輌 木造車/→事故・廃車(1926年)
チキ1・6 1919年05月 日本車輌 木造車/→チキ1・106(鋼体化(汽車会社支店)/改番・1950年08月)→モハ1・106(称号改正・1952年02月)→2両固定編成化(1991年12月26日)
チキ1・7 1919年05月 日本車輌 木造車/→チキ1・107(鋼体化(汽車会社支店)/改番・1950年08月)→モハ1・107(称号改正・1952年02月)→2両固定編成化(1991年12月26日)
箱根登山鉄道(2) モハ108〜112

 続いてモハ2形の5両です。

チキ2・8 1927年09月 日本車輌 木造車/→モハ2・108(称号改正・1952年02月)→鋼体化・東急車輛(1956年06月)→台車交換・カルダン化(1987年04月)
チキ2・9 1927年09月 日本車輌 木造車/→チキテ2・9(改形式・1934年)→モハニ2・109(称号改正・1952年02月)→モハ2・109(鋼体化(東急車輛)/改形式・1955年06月)→台車交換・カルダン化(1986年12月)
チキ2・10 1927年09月 日本車輌 木造車/→モハ2・110(称号改正・1952年02月)→鋼体化・東洋工機(1957年12月)→台車交換・カルダン化(1985年09月)
チキ2・111 1935年09月 川崎車輌 →焼失(1940年)→復旧(東京工業所・1941年02月)→モハ2・111(称号改正・1952年02月)→台車交換・カルダン化(1987年11月20日)→廃車(1991年05月25日)
チキ2・112 1935年09月 川崎車輌 →モハ2・111(称号改正・1952年02月)→台車交換・カルダン化(1990年01月19日)→廃車(1991年05月25日)
箱根登山鉄道(3) モハ113〜115

 モハ3形で、こちらは形式消滅しています。

チキ3・113 1935年09月 川崎車輌 →モハ3・111(称号改正・1952年02月)→廃車(1985年03月18日)
チキ3・114 1935年09月 川崎車輌 →焼失(1940年)→復旧(東京工業所・1941年02月)→モハ3・111(称号改正・1952年02月)→廃車(1997年09月30日)
チキ3・115 1935年09月 川崎車輌 →モハ3・111(称号改正・1952年02月)→廃車(1985年03月18日)

参考文献
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編』 JTB(2003年)
一畑電気鉄道

 一畑電気鉄道のオリジナルの電車としてはデハ1形が5両、クハ100形が1両、デハニ50形が4両の10両があげられるでしょう。また、譲渡された木造国電を鋼体化した車両も1両ありました。
 これらのうち、現在も2両が貸切用ですが現役です。ただし、2009年03月で廃車予定となっています。
 なお、2006年04月01日より一畑電気鉄道は持ち株会社となって、鉄道事業は一畑電車に移行されています。

形式・番号 製造年 製造所 備考
デハ1・1 1927年09月 日本車輌 →デハ20・23(改形式・1952年07月)→廃車(1996年12月31日)
デハ1・2 1927年09月 日本車輌 →デハ20・22(改形式・1951年12月)→廃車(1996年12月31日)
デハ1・3 1927年09月 日本車輌 →廃車(1998年10月)
デハ1・4 1927年09月 日本車輌 →デハ1・6(改番・1929年05月)→廃車(1998年10月)
デハ1・5 1927年09月 日本車輌 →デハ20・24(改形式・1952年)→廃車(1981年12月20日)
クハ100・101 1928年03月 日本車輌 →デハ1・7(改形式・1942年04月)→クハ110・111(1962年05月)→廃車(1986年03月24日)
デハニ50・51 1928年04月 日本車輌 →デハ20・21(改形式・1951年10月)→廃車(1994年06月30日)
デハニ50・52 1928年04月 日本車輌 →更新(1956年08月)→レトロ電車化(1994年09月)→注1
デハニ50・53 1929年12月 日本車輌 →更新(1957年10月)→お座敷電車化(1999年06月)→注1
デハニ50・54 1929年12月 日本車輌 →デハ10・11(改形式・1967年09月)→廃車(1986年03月24日)
注1
 2009年03月で廃車予定です。

形式・番号 製造年 製造所 備考
デハ30・31 1955年05月 ナニワ工機 鋼体化/省33500・デハ33533(1921年・汽車会社)→1・モハ1057(改番・1928年10月01日)→廃車(1952年10月10日)→一畑デハ30・31(1953年)→デハニ30・31(鋼体化・改形式)→デハ30・31(改形式・1968年08月)→廃車(1981年12月20日)

 デハ31ですが、省電としての製造が1921年と『世界の鉄道'66』や『ローカル私鉄車輌20年 西日本編』では記されています。しかし、『旧型国電車両台帳:決定版』や『旧型国電車両台帳 院電編』を見ますと、該当車両は1923年08月16日から使用開始となっています。ですので、1921年というのは形式としての使用開始年度で、それが製造年とイコールに扱われたいたのではないでしょうか。
 また、鋼体化の月ですが、『ローカル私鉄車輌20年 西日本編』の本文では5月、巻末の表では3月でした。ここではひとまず本文に従いました。ただし、改造後の形式はデハニ30でしたので、『ローカル私鉄車輌20年 西日本編』のモハニ53という記述は明らかに誤りなので注意して下さい。

参考文献
『世界の鉄道'66』 朝日新聞社(1965年)
沢柳健一・高砂雍郎編 『旧型国電車両台帳:決定版』 ジェー・アール・アール(1997年)
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年 西日本編』 JTB(2002年)
沢柳健一・高砂雍郎編 『旧型国電車両台帳 院電編』 ジェー・アール・アール(2006年)
豊橋鉄道 モ1401・モ1720・モ1770・モ1800・モ1850

 渥美電鉄のテデハ1001として製造された木造車でしたが、鋼体化工事を受け、1979年度以降は休車だったようですが、1985年度末まで車籍が残っていました。

渥美電鉄→名古屋鉄道(吸収合併・1940年09月01日)→豊橋鉄道(譲渡・1954年09月01日)
形式・番号 製造年 製造所 備考
テデハ1001 1926年12月 日本車輌 木造車/→名鉄モ1051(合併・1940年)→豊橋モ1051(譲渡・1954年)→モ1400・1401(改番・1968年11月01日)→廃車(1986年03月24日)

 豊橋鉄道では、名鉄の車体に旧国の台車や機器を組み合わせたものが何両か存在していました。これらは、書類上ではまっさらな新車ということになります。

形式・番号 製造年 製造所 備考
モ1720・1721 1969年05月 自社 名鉄モ3813車体+国鉄クモハ12・14の台車と機器/廃車(1991年03月30日)
モ1770・1771 1969年05月 自社 名鉄ク2813車体+国鉄クモハ12・14の台車と機器/廃車(1991年03月30日)
モ1800・1801 1967年05月 自社 名鉄モ3358車体+国鉄クモハ14機器+DT11台車/廃車(1997年09月30日)
モ1800・1802 1967年09月 自社 名鉄モ3357車体+国鉄クモハ14機器+DT11台車/廃車(1997年09月30日)
モ1850・1851 1967年05月 自社 名鉄ク2345車体+国鉄クモハ14機器+DT11台車/廃車(1997年09月30日)
モ1850・1852 1967年09月 自社 名鉄ク2343車体+国鉄クモハ14機器+DT11台車/廃車(1997年09月30日)

 登場したのはモ1720+モ1770の方が遅いのですが先に廃車され、モ1800+モ1850は1500V昇圧に際して廃車となっています。

参考文献
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年 西日本編』 JTB(2002年)

 渥美電鉄が名古屋鉄道に吸収された年が誤って1941年で載っていました。
福井鉄道(2) 福武電気鉄道の旧性能半鋼車

 福武電気鉄道が増備した旧性能の半鋼車は鉄道線用のモハ10と軌道線用のデハ20でしたが、デハ20の高床式の車両でしたから、鉄道線の車両として比較的近年まで車籍がありました。
 また、木造車のうち1両が福井地震で被災したことで、半鋼車として復旧されています。
 デハ20形のうち1両も福井地震で被災し、更新・復旧されましたが、そういった経緯もあったことで現在も保存されています。後のモハ161-2がその車両でした。

福武電気鉄道→福井鉄道(合併・1945年08月01日)

形式・番号 製造年 製造所 備考
フハ1 1925年05月 日本車輌 木造車/→デハ6(改形式・1930年01月)→モハ10・11(改番・1947年08月)→焼失(福井地震・1948年06月28日)→復旧・鋼体化(広瀬車輌・1949年)→廃車(1987年07月10日)
モハ10・11 1930年01月 日本車輌 →モハ20・21(改番・1947年08月)→廃車(1986年07月15日)
モハ10・12 1930年01月 日本車輌 →モハ20・22(改番・1947年08月)→クハ20・21(改形式・1970年02月)→廃車(1986年07月15日)
デハ20・21 1933年10月 日本車輌 →モハ60・61(改番・1947年08月)→焼失(福井地震・1948年06月28日)→復旧→モハ161-2(連接車化・改番・1968年)→廃車(1997年09月17日)
デハ20・22 1933年10月 日本車輌 →モハ60・62(改番・1947年08月)→モハ161-1(連接車化・改番・1968年)→廃車(1997年09月17日)
デハ20・23 1933年10月 日本車輌 →モハ60・63(改番・1947年08月)→廃車(1971年09月)
デハ20・24 1933年10月 日本車輌 →モハ60・64(改番・1947年08月)→廃車(1972年10月)

参考文献
『世界の鉄道'66』 朝日新聞社(1965年)
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年 西日本編』 JTB(2002年)
福島交通

 福島交通のオリジナルの吊り掛け車は、木造車の他に半鋼製のものと全金製のものがありました。
 半鋼製の車両は最終的にモハ1200形となった一群で、一部は鋼体化されたものを含みます。1991年の昇圧の時点まで5両が残りましたが、他社へ転じたものはありません。

形式・番号 製造年 製造所 備考
1 1942年 日本車輌 木造車/→101(改番・1949年03月)→モハ1200・1201(鋼体化・1955年12月)→廃車(1981年12月18日)
2 1942年 日本車輌 木造車/→102(改番・1949年03月)→モハ1200・1202(鋼体化・1955年12月)→廃車(1981年12月18日)
3 1942年 日本車輌 木造車/→103(改番・1949年03月)→モハ1200・1203(鋼体化・1955年12月)→廃車(1991年11月19日)
104 1948年 手塚製作所 →モハ1200・1204(改番・1956年)→廃車(1970年代?)
105 1948年 手塚製作所 →モハ1200・1205(改番・1956年)→廃車(1970年代?)
108 モハ1200・1208 1950年 日本車輌 →モハ1200・1208(改番・1956年)→廃車(1981年12月18日)
109 モハ1200・1209 1952年 宇都宮車輌 →モハ1200・1209(改番・1956年)→廃車(1981年12月18日)
110 モハ1200・1210 1952年 宇都宮車輌 →モハ1200・1210(改番・1956年)→廃車(1981年12月18日)
111 モハ1200・1211 1953年 日本車輌 →モハ1200・1211(改番・1956年)→廃車(1981年12月18日)

参考文献
『世界の鉄道'66』 朝日新聞社(1965年)
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』東日本編 JTB(2001年)
福島交通(2)

 全金製の旧性能車の一群です。1991年06月24日の1500V昇圧後、他に転じたものもありましたが、現在は姿を見ることは出来ません
 なお、サハ3000形は、半鋼製のモハ1200形にはさまれて使われました。

形式・番号 製造年 製造所 備考
デハ5000・5012 1963年06月 日本車輌 →廃車(1991年11月19日)
デハ5000・5013 1963年06月 日本車輌 →廃車(1991年11月19日)
モハ5100・5014 1966年05月 日本車輌 →廃車(1991年11月19日)
クハ5200・5015 1966年05月 日本車輌 →廃車(1991年11月19日)
サハ3000・5016 1966年05月 日本車輌 →廃車(1991年11月19日)
サハ3000・5017 1966年05月 日本車輌 →廃車(1991年11月19日)
モハ5300・5018 1971年04月 日本車輌 →廃車(1991年11月19日)→くりはらM18・182(1991年08月24日竣工届)→廃車(1995年04月01日)
モハ5300・5019 1971年04月 日本車輌 →廃車(1991年11月19日)→くりはらM18・183(1991年08月24日竣工届)→廃車(1995年04月01日)

参考文献
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』東日本編 JTB(2001年)
くりはら田園鉄道

栗原鉄道→栗原電鉄(1955年11月29日改称)→宮城中央交通(1964年05月01日合併・社名変更)→宮城中央バス(1968年08月31日改称)→栗原電鉄(1969年02月25日)→くりばら田園鉄道(1995年04月01日改称)

 2007年04月01日に廃止が実施されたくりはら田園鉄道は、軽便時代の1950年09月21日に電化を行い、ナローの電車も所有していました。1955年09月27日に1067mmに改軌され軽便の電車は廃車となりましたが、下津井電鉄で付随車としてですが案外と長く使われていました。
 さて、ここでは先ずは改軌後の車両を見ていきます。他社からの譲渡車も活躍しましたが、自社発注の車両も3両あり、また譲渡された木造車を鋼体化したものも3両あり、スタイル的にはこれらが栗原色を持ったものだったといえそうです。

形式・番号 製造年 製造所 備考
M15・151 1955年09月 ナニワ工機 廃車(1995年04月01日)
M15・152 1955年09月 ナニワ工機 廃車(1995年04月01日)
M15・153 1955年09月 ナニワ工機 廃車(1995年04月01日)
C15・151 1923年 川崎造船所 阪急81→栗原C141(車体のみ譲受/台車は西武より・1956年)→栗原C151(鋼体化/西武所沢工場・1960年10月)→廃車(1995年04月01日)
C15・152 1923年 川崎造船所 阪急86→栗原C142(車体のみ譲受/台車は西武より・1956年)→栗原C152(鋼体化/西武所沢工場・1960年10月)→廃車(1995年04月01日)
M18・181 1926年10月 日本車輌 武蔵野モハ204→西武モハ204→栗原M161(譲受・1955年)→M181(鋼体化/西武所沢工場・1959年09月)→廃車(1995年04月01日)

参考文献
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』東日本編 JTB(2001年)
参考ページ
くりでんとと〜ぶHP URL=http://www.interq.or.jp/japan/jr-asahi/
加太軽便鉄道・デニホ51

 加太軽便鉄道のデニホ51はいくつかの鉄道を転々とし、改造も経ていますが、番号の51は一貫して変わることがなかったようです。

形式・番号 製造年 製造所 備考
デニホ51 1930年08月 加藤車輌 →加太電気鉄道デニホ51(1931年01月06日改称)→南海デニホ51(1942年03月14日合併)→近鉄デニホ51(1944年06月01日合併)→南海デニホ51(1947年06月01日譲渡)→弘南デニホ51(1951年04月04日譲渡)→日立モハ50・51(1962年03月30日譲渡・改造)→廃車(1982年05月30日)

参考文献
鉄道省・運輸省統計資料
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』東日本編 JTB(2001年)
日立電鉄 モハ9〜12

 日立電鉄のモハ9〜12の4両は戦中・戦後の車両でしたが、一方の側が貫通化されたぐらいで大きく原型を損なうことなく1990年代まで使われました。

形式・番号 製造年 製造所 備考
モハ9・9 1943年05月 日立 竣工届は1944年10月26日/→廃車(1994年12月15日)
モハ9・10 1943年05月 日立 竣工届は1944年10月26日/→廃車(1997年04月30日)
モハ11・11 1948年07月 日立 →廃車(1994年04月15日)
モハ11・12 1948年07月 日立 →廃車(1993年11月30日)

参考文献
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』東日本編 JTB(2001年)
上毛電気鉄道

 上毛電気鉄道の旧性能電車の半鋼製や全金製の車両ですが、買収国電や国鉄、あるいは東武の車輌を譲受したものの他に、自社発注のものが6両、自社の木造車を改造したものが1両、譲受した木造車を改造したものが6両ありました。

形式・番号 製造年 製造所 備考
デハ100・デハ101 1928年10月 川崎車輌
デハ100・デハ102 1928年10月 川崎車輌 →廃車(1980年02月29日)
デハ100・デハ103 1928年10月 川崎車輌 →廃車(1980年02月29日)
デハ100・デハ104 1928年10月 川崎車輌 →廃車(1997年03月09日)
デハ170・171 1959年09月 西武所沢工場 デハ11台枠、電装品利用・全金製/→廃車(1981年02月28日)
デハ180・181 1963年 西武所沢工場 全金製/→廃車(1980年10月31日)

デカ11 1929年05月 川崎車輌 木造電動貨車/→デハ11(改造・鋼体化・馬車工業/1936年)→クハ11(改造・車体流用/1959年)→廃車(1970年代後半)

武蔵野デハ311 1926年10月 日本車輌 木造車/→西武モハ203(合併・1945年09月22日)→上毛デハ160・161(1956年08月)→車体延長・鋼体化(全金製)・西武所沢工場(1960年09月)→廃車(1980年02月29日)

信濃デハ2 1925年 日本車輌 木造車/→省モハ20・20002(買収・1937年06月01日)→モハ1100・1001(改番・1953年06月01日)→廃車(1955年03月01日)→上毛デハ800・801(1955年05月)→車体延長・鋼体化・西武所沢工場(1962年07月)→廃車(1981年02月28日)

成田ホハニ2 1926年10月 汽車会社 木造車/→上毛サハ60・61(譲受・1944年04月)→クハ60・61(木鋼化・大栄車輌・1949年12月)→車体延長・鋼体化(全金製)・西武所沢工場(1958年09月)→廃車(1980年10月31日)

国鉄デハ33400 1920年 日本車輌 木造車/→サハ23610(大井工・1927年04月)→サハ25011(改番・1928年10月01日)→小田急貸出→上毛サハ25011(借受・1949年02月)→クハ25011(1950年03月)→正式譲渡(1951年01月)→クハ300・301(時期不明)→木鋼化(1954年03月)→車体延長・鋼体化(全金製)・西武所沢工場(1959年05月)→廃車(1980年10月31日)

国鉄デハ23450 1921年 日本車輌 木造車/→サハ33723(大井工・1927年07月)→サハ25053(改番・1928年10月01日)→上毛サハ25053(借受・1949年02月)→クハ600・601(鋼体化・帝国車輌/1950年12月)→廃車(1980年02月29日)

西武モハ505 1926年10月 汽車会社 木造車/→クハ1206(1940年11月)→クハ1256(合併・1945年09月22日)→上毛クハ1060・1061(1956年08月)→鋼体化(全金製)・西武所沢工場(1961年04月)→廃車(1981年02月28日)

 このうちデハ101がまだ車籍が残っています。いまではイヴェント時に動くだけですが、昭和初期の地方鉄道向けの電車として貴重な生き証人となっています。

参考文献
『世界の鉄道'66』 朝日新聞社(1965年)
『世界の鉄道'75』 朝日新聞社(1974年)
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』東日本編 JTB(2001年)
上信電鉄(1) デハ10形

 上信電鉄の旧性能電車は、前身がいろいろとあるので経緯はなかなか複雑そうです。
 デハ10形は単純かなと思いましたが、元東武と元信濃の車両が前身ですので、その分だけ経歴が複雑でした。

形式・番号 製造年 製造所 備考
東武デハ1・4 1924年07月 日本車輌 木造車/→上毛デハ10(竣功届・1947年10月14日)→鋼体化(三和車両・1952年12月)→車体延長(西武所沢・1962年09月)→廃車(1981年12月08日)
東武デハ1・3 1924年07月 日本車輌 木造車/→上毛デハ11(竣功届・1948年04月25日)→鋼体化(三和車両・1953年12月)→廃車(1985年04月30日)
信濃デハユニ2 1925年12月 日本車輌 木造車/→国鉄モハユニ21002(買収・1937年06月01日)→廃車(1951年12月24日)→上毛デハ12(譲受/鋼体化/三和車両・1952年)→廃車(1978年)

参考文献
『世界の鉄道'66』 朝日新聞社(1965年)
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』東日本編 JTB(2001年)
上信電鉄(2) デハ20、デハニ30、クハニ10

 ここでは上信でデハ20、デハニ20、クハニ10として廃車に至ったものを記します。
 木造車としての前歴があるものやら、木造国電や戦災車をルーツとするものなど千差万別です。

形式・番号 製造年 製造所 備考
デハ20・20 1951年11月 三和車両 国鉄モハ311(元鶴見臨港)戦災復旧車/→廃車(1981年04月15日)
デハニ1・1 1925年09月 汽車会社 木造車/→デハ20・21(鋼体化/三和車両・1958年08月)→廃車(1981年04月15日)
デハ1・4 1924年08月 日本車輌 木造車/→デハ20・22(鋼体化/西武所沢工場・1960年04月)→廃車(1993年02月16日)
デハ1・5 1924年08月 日本車輌 木造車/→デハ20・23(鋼体化/西武所沢工場・1960年10月)→廃車(1991年02月14日)

サハニ1・1 1924年08月 日本車輌 木造車/→サハ3(1951年05月)→デハニ30・30(鋼体化/三和車両・1953年08月)→廃車(1981年04月15日)
デハニ1・2 1925年09月 汽車会社 木造車/→デハニ30・31(鋼体化/東洋車輌・1957年12月)→廃車(1991年02月14日)

サハニ1・2 1924年08月 日本車輌 木造車/→サハ4(1950年05月)→クハニ10・10(鋼体化/東急車輛・1954年04月)→廃車(1981年04月15日)
サハ1・1 1924年08月 日本車輌 木造車/→クハニ10・11(鋼体化・1955年12月)→廃車(1970年代か?)
国鉄ナデ6146 1914年 新橋工 木造車/→デハ6301(改番・1914年08月29日)→サハ6422(大井工・1926年12月)→サハ6013(改番・1928年10月01日)→サハ19057(大井工・1932年03月)→廃車(1948年10月27日)→上毛→上信(1949年10月14日竣功)→クハ11(1950年11月)→クハニ10・12(鋼体化/三和車両・1957年06月)→廃車(1981年04月15日)
クハニ10・13 1957年12月 三和車両 国鉄サハ25053台枠使用/→廃車(1981年04月15日)
デハ1・3 1924年08月 日本車輌 木造車/→クハニ10・14(鋼体化・1959年12月)→廃車(1981年12月08日)

参考文献
『世界の鉄道'66』 朝日新聞社(1965年)
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』東日本編 JTB(2001年)
参考記事
上信電鉄特輯=http://sakikawa.michikusa.jp/jyousinn-2.html
上信電鉄(3) クハ20

 クハ20は3両の世帯でしたが、それぞれ経歴が違っています。これも地方鉄道らしさでしょう。

形式・番号 製造年 製造所 備考
デハ1・2 1924年08月 日本車輌 木造車/→サハ2(1925年)→クハ20・20(鋼体化/三和車両・1956年08月)→廃車(1980年04月30日)
クハ20・21 1959年07月 東洋工機 →廃車(1981年12月08日)
豊川モハ22 1927年05月 大阪鉄工所 →国鉄モハ22(1943年08月01日買収)→モハ1601(改番・1953年06月01日)→廃車(1957年03月31日)→上信クハニ21(1958年02月入線)→クハ20・22(改造/三和車両・1959年03月)→車体新造(全金製)/西武所沢工場・1961年05月)→廃車(1981年12月08日)

参考文献
『世界の鉄道'66』 朝日新聞社(1965年)
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』東日本編 JTB(2001年)
長野電鉄(1) モハ100・200・600・モハニ130・230

 長野電鉄は1922年06月10日に、屋代と須坂間を開業させた河東鉄道をルーツとします。1924年07月20日に屋代・木島間の木島線を全通させ、翌年01月29日に全線を電化しました。
 この年、長野電気鉄道も権堂・須坂間を06月28日に電化開業。09月30日に両社が合併し、河東鉄道が継承会社となって長野電鉄と改称し現在に至っています。
 ここでは、河東鉄道が発注した後年のモハニ510形。長野電気鉄道発注のモハニ130・モハ100形。合併後の車両からモハ600・モハ200・モハニ230形を記しています。

形式・番号 製造年 製造所 備考
デハニ201 1926年05月 汽車支店 →モハニ201(改番・1929年07月01日)→モハニ111(改番・1953年07月01日)→モハニ130・131(改番・1967年)→廃車(1980年04月30日)
デハニ202 1926年05月 汽車支店 →モハニ202(改番・1929年07月01日)→モハニ112(改番・1953年07月01日)→モハニ130・132(改番・1967年)→廃車(1977年11月16日)

デハニ203 1926年05月 汽車支店 河東鉄道発注車/→デハニ251(改造・1929年)→モハニ251(改番・1929年07月01日)→モハニ510・511(改番・1953年07月01日)→モハニ530・531(改番・1967年)→廃車(1978年)
デハニ204 1926年05月 汽車支店 河東鉄道発注車/→デハニ252(改造・1929年)→モハニ252(改番・1929年07月01日)→モハニ510・512(改番・1953年07月01日)→モハニ530・532(改番・1967年)→廃車(1978年)

デハ101 1926年06月 汽車支店 →モハ101(改番・1929年07月01日)→廃車(1977年)
デハ102 1926年06月 汽車支店 →モハ102(改番・1929年07月01日)→廃車(1978年09月18日)→上田クハ260・261(竣功・1980年03月19日)→廃車(1986年10月01日)

デハ351 1927年08月 川崎造船所 →モハ600・601(改番・1953年07月01日)→モハ600・611(改番・1966年)→廃車(1980年10月31日)→上田(使用せず)
デハ352 1927年08月 川崎造船所 →モハ600・602(改番・1953年07月01日)→モハ600・612(改番・1966年)→廃車(1980年04月30日)→上田モハ5270・5271(竣功・1981年08月15日)→廃車(1986年10月01日)
デハ353 1927年10月 川崎造船所 →モハ600・603(改番・1953年07月01日)→廃車(1980年04月30日)
デハ354 1927年10月 川崎造船所 →モハ600・604(改番・1953年07月01日)→廃車(1980年10月31日)→上田クハ270・271(竣功・1983年07月20日)→廃車(1986年10月01日)

モハ103 1933年 汽車支店 →モハ111(改番・1953年07月01日)→モハ200・201(改番・1967年)→廃車(1978年09月18日)→上田モハ5260・5261(竣功・1978年10月01日)→廃車(1986年10月01日)

モハニ203 1933年 汽車支店 →モハニ211(改番・1953年07月01日)→モハニ230・231(改番・1967年)→廃車(1977年)

参考文献
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』東日本編 JTB(2001年)
参考記事
唐沢達男 「ながでんのおと」=http://www.toy-train.com/nagaden/index.htm
ながでん Web ステーション=http://www.nagaden-net.co.jp/webstation/index.html
長野電鉄(2) 1000系

 1000系と呼ばれた電車の一群で、モハ1000・クハ1050・モハ1010・クハ1060のほか、その後の増備車のモハ1500・クハ1550も併せています。

形式・番号 製造年 製造所 備考
モハ1000・1001 1948年12月 日本車輌 →クハ1050・1051(改造・1954年08月25日)→廃車(1980年12月25日)
モハ1000・1002 1948年12月 日本車輌 →モハ1000・1001(改番・1954年08月25日)→廃車(1980年12月25日)
モハ1000・1003 1948年12月 日本車輌 →クハ1050・1052(改造・1954年08月25日)→廃車(1985年11月06日)
モハ1000・1004 1948年12月 日本車輌 →モハ1000・1002(改番・1954年08月25日)→廃車(1977年09月01日)
モハ1000・1006 1949年11月 日本車輌 →モハ1000・1003(改番・1954年08月25日)→廃車(1985年11月06日)
モハ1000・1005 1949年11月 日本車輌 →モハ1000・1004(改番・1954年08月25日)→廃車(1985年11月06日)

フホロハ3 1923年04月 日本車輌 木造車/→フホハ52(改造・1927年09月13日)→デハニ13(改造・1928年03月01日)→クハ53(改造・1949年03月24日)→クハニ1063(鋼体化・1953年05月01日)→モハニ1010・1011(改造・1954年08月25日)→モハ1010・1011(改造・1967年08月)→廃車(1980年10月31日)
フホハ5 1923年04月 日本車輌 木造車/デハ5(改造・1926年03月20日)→モハニ14(改造・1934年04月20日)→クハ54(改造・1949年03月24日)→クハニ1064(鋼体化・1953年05月01日)→モハニ1010・1012(改造・1954年08月25日)→モハ1010・1012(改造・1967年08月)→廃車(1980年12月25日)

フホロハ1 1922年 日本車輌 木造車/→デハ11(改造・1926年05月28日)→デハニ11(改造・1928年03月01日)→クハニ61(改造・1949年03月25日)→クハニ1060・1061(鋼体化・1953年09月01日)→クハ1060・1061(改造・1971年)→廃車(1981年03月27日)
フホロハ2 1922年 日本車輌 木造車/→フホハ51(改造・1927年09月13日)→デハニ12(改造・1928年03月01日)→クハニ62(改造・1949年03月25日)→クハニ1060・1062(鋼体化・1953年09月01日)→クハ1060・1062(改造・1971年)→廃車(1980年04月30日)

モハ1500・1501 1951年09月 日本車輌 →廃車(1999年03月31日)
モハ1500・1502 1951年09月 日本車輌 →廃車(1993年07月31日)

フホハ3 1922年04月 日本車輌 木造車/→デハ3(改造・1926年01月25日)→クハ51(改造・1929年01月14日)→クハ1550・1551(鋼体化・1952年12月25日)→廃車(1978年11月25日)
フホハ4 1922年04月 日本車輌 木造車/→デハ4(改造・1926年01月25日)→クハ52(改造・1929年01月14日)→クハ1550・1552(鋼体化・1953年02月25日)→廃車(1980年10月31日)

参考文献
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』東日本編 JTB(2001年)
参考記事
唐沢達男 「ながでんのおと」=http://www.toy-train.com/nagaden/index.htm
長野電鉄(3) モハ1101・1102、クハ1151

 長野電鉄には元信濃鉄道の買収木造国電が何両か入線しましたが、モハ1101・1102とクハ1151の3両もその仲間で、1961年に鋼体化改造され、長野電鉄以降のキャリアも加わっています。

形式・番号 製造年 製造所 備考
信濃デハ6 1927年02月 日本車輌 木造車/→省モハ20005(買収・1937年06月01日)→モハ1103(改番・1953年06月01日)→長野モハ1101(譲受・1955年)→鋼体化(日本車輌・1961年09月)→豊橋モ1810・1811(竣功・1970年04月05日)→廃車(1997年09月30日)
信濃デハユニ1 1925年12月 日本車輌 木造車/→省モハユニ21001(買収・1937年06月01日)→モハユニ3100(買収・1937年06月01日)→モハユニ3100(改番・1953年06月01日)→長野モハ1102(譲受・1955年)→鋼体化(日本車輌・1961年09月)→伊予モハ600・603(竣功・1979年11月30日)→廃車(1995年01月16日)
信濃ホハ1 1926年07月 日本車輌 木造車/→省クハ29001(買収・1937年06月01日)→クハ5100(改番・1953年06月01日)→長野クハ1151(譲受・1955年)→鋼体化(日本車輌・1961年09月)→豊橋ク2810・2811(竣功・1970年04月05日)→廃車(1997年09月30日)

参考文献
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』西日本編 JTB(2002年)
参考記事
唐沢達男 「ながでんのおと」=http://www.toy-train.com/nagaden/index.htm
新潟交通(2) モハ25、モハ18、モハ19

 新潟交通で、日本車輌製の全金製の車体に乗せ替えた車両のうち、モハ25はモハ15の台車を流用していますが、車籍は引き継いでいませんでしたので、先ずその部分を以下に修正して記します。

形式・番号 製造年 製造所 備考
モハ11・15 1910年06月 日車 →廃車(1969年)
モハ24・25 1969年12月 日車 全金製・モハ15台車流用/→廃車(1999年04月05日)

 他に日車製の全金製車体に乗せ替えた車両としては、宮城電気鉄道の買収国電の後身だったクハ38と、東武からの供出車の後身だった
宮城デハニ202 1925年02月 蒲田車両 木造車/→デモハ220(改造)→デハ220(改形式)→国鉄モハ220(買収・1944年05月01日)→クモハ220(Tc化・1949年10月25日)→クハ6300(改番・1953年06月01日)→廃車(1955年03月01日)→新潟クハ38(竣功・1956年)→モハ18(車体新造・1962年12月)→廃車(1999年04月05日)
東武デハ1・6 1924年 日車 木造車/→新潟モハ19(供出・1948年07月)→車体新造(日車・1960年10月)→廃車(1999年04月05日)

寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年 東日本編』 JTB(2001年)
沢柳健一・高砂雍郎編 『旧型国電車両台帳:決定版』 ジェー・アール・アール(1997年)

 写真は1975年に東駅屋で写したモハ19です。
長野電鉄(4) モハ300形

 モハ300形は長野付近の地下化に伴って廃車となり、1978年に福井鉄道に譲渡されました。そして、うち1両が今でも車籍を有しています。

形式・番号 製造年 製造所 備考
モハ151 1941年08月 汽車会社 →モハ301(改番・1953年07月01日)→福井モハ141-1(竣功・1979年03月02日)→現役
モハニ202 1941年08月 汽車会社 →モハ302(改番・1953年07月01日)→福井モハ142-1(竣功・1979年09月30日)→廃車(1998年12月30日)

参考文献
寺田裕一 『ローカル私鉄車輌20年』西日本編 JTB(2002年)
参考記事
唐沢達男 「ながでんのおと」=http://www.toy-train.com/nagaden/index.htm

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