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交通史料館コミュの幻の軌道

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 みなさん、こんにちは。
 ここのトピックでは、特許だけに終わった未成の軌道線の話がメインです。
 軌道線の特許についてですが、鉄道院統計資料に載るのは鉄道同様1916年度からです。これは鉄道省・運輸省と引き継がれますが、それ以前の年報への掲載は1908年度からで、それ以前は鉄道院の資料にはありませんし、以降でも漏れている年度があるなど明治期については特許を得ながら見つかっていない軌道もあるかもしれません。
 そんな軌道に巡り会えるかもしれないなということでスタートです。

コメント(18)

高南軌道(資)→土佐軌道(資)→失効

 土佐軌道は現在の高知県中土佐町での軌道計画で、当時の久礼町と大野見村を結ぶ762mm軌間の電気軌道でした。
 土讃線の土佐久礼駅と大野見地区の間は山がちな地形で、大野見地区は四万十川流域になりますから、どうやって山越えをするつもりだったのか興味深く思います。
 なお、動力は途中で電気瓦斯併用となって、失効時もそのままでした。

(経緯)
年月日 項目 区間/内容など その他
19280113 特許 高知県高岡郡久礼村〜同郡大野見村 13.88km
19280506 商号変更 高南軌道(資)→土佐軌道(資)
19480730 失効 久礼町〜野見村 13.80km

(注1)
 特許を得た区間は、当初から久礼町〜大野見村が正当です。ですので、特許を得た時点の区間、失効時の区間共に不正確ということになります。

(注2)
 当初は電気動力で特許を得ましたが、国立公文書館の文書で1932年04月01日付けのもので「動力変更の件」というのがあります。この年度の統計資料では動力が「電・瓦」になっていますので、この頃に動力変更が許可になったと思われます。

(注3)
 距離は途中で変更されたのか、あるいは誤植があるのは不明です。

(注4)
 国立公文書館には、なぜか1957年07月28日作成の「土佐軌道合資会社久礼町、大野見村間軌道工事施行却下について」という文書があります。

参考文献
鉄道省・運輸省の統計資料
京成電気軌道→東京府(都)→失効

 1947年度に都電の未成区間が1件失効していますが、これは元々が京成が特許を得た区間でした。
 当初の京成は押上が起点でしたので、何とか荒川(隅田川)を渡ろうとしたのですがなかなか上手くいきません。しかし、筑波高速度鉄道の免許を手に入れたことで上野に乗り入れることができ、荒川を越えることができました。
 しかし、当初は浅草への進出も考えていたので、廃止となった白鬚線の試みや他の特許を得たこともあったわけです。
 とはいえ、浅草進出の方は上野を得たことで目的としては小さくなってしまい、それで東京府へ特許を譲渡したのでしょう。

(経緯)
年月日 項目 区間/内容など その他
19310721 特許 南葛飾郡吾嬬町請地〜浅草区花川戸町 2.27km
 京成電気軌道の特許で、電気動力・軌間は1372mm。当時は東武との連絡駅として請地駅がありました。そこから言問橋付近を渡るような計画です。

^^^^^^^^ 譲渡 京成電気軌道→東京市(都)
 特許が東京市(都)へ譲渡された時期は不明です。京成電気軌道の公文書では、1936年06月02日作成で「吾嬬町、花川戸町間工事施行認可申請期限延期の件」がありますので、ここまでは京成にあったことは確実です。しかし、この年は不要になった特許をいくつか失効させてもいるので、直後に譲渡されているという可能性もあります。

19471220 失効 墨田区吾嬬町請地〜台東区花川戸町 2.27km
 町名が変わっただけで、実質は何も変わらないまま失効となったようです。失効理由は「指定の期間内に工事施行の認可申請を為さざるため」というものでした。

参考文献
鉄道省・運輸省の統計資料
熊本軌道→熊本電気軌道→未成線は失効

 敗戦後の日本で、軌道特許のうち最初に失効となったのは熊本電気軌道のもので、起業廃止としたものでした。
 熊本軌道として開業した後、電化に際して熊本電気軌道となり、休止線を含む既製線を熊本市に譲渡して解散しましたが、その際に未成線を企業廃止したものです。

(経緯)
年月日 項目 区間/内容など その他
19130527 特許 白坪村田崎〜横手町 注1
19211227 合併 熊本軌道→熊本電気軌道 注2
19260306 特許 熊本市春日町〜同市出水町 2m48c/1435 注3
19260306 特許 飽託郡小島町〜同郡松尾村 2m05c/1067 注3
19451130 譲渡許可 熊本電気軌道(既製線)→熊本市
19460206 失効 飽託郡白坪村田崎〜同郡横手町 2.15km/1067
19460206 失効 熊本市春日町〜同市出水町 4.18km/1435
19460206 失効 飽託郡小島町〜同郡松尾村 3.32km/1435 注4

注1
 1913年度の年報には新規の特許線が載っていませんので距離が不明ですが、大正後期の時点では1m27cでした。こちらも記載はありませんが、この時点では機関車の拠る軌道で、軌間は1067mmということになります。

注2
 熊本電気軌道が設立されて、熊本軌道を合併しています。

注3
 熊本軌道が開業させた路線は1067mm。1926年10月12日開業の、後年の熊本市電川尻線が1435mmと、2つの軌間を持っていました。

注4
 こちらの特許の軌間は、誤植があるのか、途中で軌間を変更したのか不明です。
北総人車軌道→失効

 明治時代に出願され、大正時代になって特許を得たものの結局は失効してしまった軌道に、北総人車軌道がありました。
 公文書に記録が残っていますので、出願から失効までの簡単な経緯は追跡できました。
(経緯)
年月 項目 区間/内容など その他
19110805 出願 東葛飾郡明村大字竹ヶ花〜同群鎌ヶ谷村大字佐津間 6m36c
19130228 特許
19130906 申請 一部経路変更
19131016 許可 一部経路変更
19140310 失効

 動力はもちろん人力で軌間は2フィートで、

 明村大字竹ヶ花字宮前117
 明村大字竹ヶ花字上本郷
 高木村大字日暮
 高木村大字五香六実
 鎌ヶ谷村大字佐津間字雷7

と途中には3つの停留所が予定されていました。
 この地域には現在新京成線が走っていますが、こちらは新京成線に絡んで走る現在の県道上に敷かれる区間がほとんどのようでした。
 車両は客車5両と貨車40両が予定されていましたので、農作物が主な貨物となったのでしょうが、痩せている土地が少なくない地域ですから、開業しても営業は苦しかったろうと思われます。
東京都の軌道(1944年度失効)

東京都が持っていた軌道の特許ですが、1945年01月10日公報掲載でその多くが「指定の期限迄に工事施行の認可申請を為さざる為」という理由で失効になっています。統計資料の失効の欄では一括に記されているので細かい区間が不明ですが、前年のまでの資料の中から詳しい区間を得ることは可能です。
 ここでは失効の欄からのまとめたものに拠る簡単な報告にします。

19450110 失効 一ツ橋通町九段中坂下間外二十四区間 36.88km 公報掲載

 ここで失効になったいちばん古くに特許を得ていた日付は1911年07月31日のものでした。他には1913年06月26日・1915年09月14日・1918年12月24日・1922年07月04日に特許を得た区間から失効区間が出ているようです。

 参考までに1949年に東京都が持っていた特許は以下になります。

区間 距離(km) 特許年月日
山ノ宿町〜坂本町三丁目 1.867 19240429
芝浦町二丁目〜月見町二丁目 0.884 19260106
蔵前一丁目〜石原一丁目 0.710 19190717
月島西河岸通〜月島通七丁目 0.548 19181224
築地林病院〜南飯田町 0.982 19220704
小田原町二丁目〜月島西河岸通八丁目 0.247 19470815

参考文献
鉄道省・運輸省の統計資料

根室拓殖軌道

 日本最東端の私鉄であった根室拓殖軌道(→根室拓殖鉄道)にも未成に終わった区間がありました。

(経緯)
年月日 項目 区間/内容など その他
19320620 特許 歯舞村歯舞〜珸瑤瑁村トリトエス 7.24km/蒸気
19450223 失効官載 歯舞〜鳥戸石 5.19km/蒸瓦

 区間はどうやら変わっていないのですが、距離が2kmの縮んでいます。経過地の大幅な変更があったのか、あるいは特許を短縮しているのかは不明です。
 特許の動力は蒸気で載っているのですが、、『地方鉄道要覧 昭和8年版』の特許線をまとめた箇所ではすでに蒸瓦となっていますので、、これは初めから蒸瓦であったかもしれません。

 歯舞駅が日本の鉄道の最東端に存在した駅でしたが、この未成線が実現していたなら、もう少し東まで到達していたところでした。

参考文献
鉄道省・運輸省の統計資料
静間軌道(島根県)

 1941年度に失効になった軌道特許に、島根県の静間軌道がありました。

(経緯)
年月日 項目 区間/内容など その他
19361216 特許 島根県邇摩郡静間村〜同郡久利村 5.86km/609mm軌間/瓦斯倫
19410808 失効 島根県邇摩郡静間村〜同郡久利村 5.86km/609mm軌間/瓦斯倫

 失効理由は「指定ノ期限内ニ工事施行ノ認可申請ヲ為サゞルタメ」とありますから、特許は得たものの全く工事が為されることなく消えた計画でしょう。
 軌間が2フィートの鉄道で内燃車を用いたところは夷隅軌道など若干がありますが、この時期に残っていたのは内燃機関車を用いていた神岡水電だけだったようです。静間軌道もそういった形態を考えていたのでしょうか。
 路線としては、山陰本線の静間駅付近から、静間川、それから支流の銀山川を遡ると久利地区ですから、そのあたりに敷こうとしたのでしょう。
 なお、国立公文書館には静間軌道関係の文書がいくつか残っています。
岡山市

 岡山市には岡山電気軌道の軌道線がありますが、市営の軌道線が検討されたこともあり、特許も取っています。しかし、「指定ノ期限迄ニ工事施行ノ認可申請ヲ為サザル為」失効となっており、特許は得たものの具体的な進展は見せないままで終わったようです。

経緯
19290122 特許 岡山市上石井〜同市西大寺 2.37km/1067mm
19290122 特許 岡山市上石井〜同市三野字釣 3.92km/1067mm
19290122 特許 岡山市南方字三十五ノ坪〜同市巌井字中ニノ坪 2.03km/1067mm
19290122 特許 岡山市大供字中道〜同市西古松字頭田 1.15km/1067mm
19290122 特許 岡山市東古松字思案橋〜同市津島字金山田 3.62km/1067mm
19290122 特許 岡山市北方字台町〜同市津島字太田 2.63km/1067mm
19420912 失効 岡山市上石井〜同市西大寺 2.37km/1435mm
19420912 失効 岡山市上石井〜同市三野字釣 3.92km/1435mm
19420912 失効 岡山市南方字三十五ノ坪〜同市巌井字中ニノ坪 2.03km/1435mm
19420912 失効 岡山市大供字中道〜同市西古松字頭田 1.15km/1435mm
19420912 失効 岡山市東古松字思案橋〜同市津島字金山田 3.62km/1435mm
19420912 失効 岡山市北方字台町〜同市津島字太田 無記入/無記入

 軌間が特許時と失効時で違いますが、1933年版の『地方鉄道要覧』では1067mmでしたので、失効時の1435mmが疑わしく思えます。
 国立公文書館には特許時と失効時の文書がありますので、これを確認すれば軌間などは明確になるでしょう。
三石軌道(北海道)

 北海道での馬車軌道計画ですが、現在の新ひだか町でのもので、日高本線本桐駅を中心に延長されるものだったようです。

(経緯)
19271118 特許 三石郡三石村姨布村〜同村大字歌笛村・同村大字本桐村〜同村大字鳧舞村 26.75km/762mm/馬力
19380825 特許取消 三石郡三石村姨布村〜同村大字歌笛村・同村大字本桐村〜同村大字鳧舞村 26.75km/762mm/馬力

 1927年度の統計資料では区間は示されていませんでしたが、距離は特許を得た時点と取り消された時点で変わっていませんので、区間の変更も無かったのでしょう。
 鳧舞地区が日高本線よりも海岸部に位置していますので、村内での輸送を目論んだのでしょうが、山間部からの木材の搬送がいちばん意識されていたかもしれません。日高地方の鉄道は、そういった目的が敷かれたものが主でした。
 国立公文書館には若干の文書が残っていますが、内容は
「軌道敷設特許申請の件」
「会社設立届進達の件」
「登記事項変更に関する件」
でしたので、特許を得てからの動きは僅かだったようです。ただ、申請時の様子はつかめそうですから、軌道を計画した意図などはおさえられそうです。
有馬電気軌道(兵庫県)

 宝塚と有馬温泉を結ぼうという計画で、需要も見込めそうな感じがするのですが、実現には至りませんでした。

(経緯)
19220705 特許 兵庫県川辺郡小浜村〜同郡有馬町 8m20c/1435mm/電気
19370223 起業廃止(官載) 小浜村〜有馬町 14.89km/1435mm/電気

 国立公文書館には「鉄道省文書・有馬電気軌道・明治四十三年〜昭和十二年」がありますが、これは明治期のものと今回取り上げている有馬電気軌道の文書が混ざっています。もっとも、目録がありますから文書の中身が混乱しているわけではなく、下記の18件がそこには残されています。

「宝塚有馬間軌道敷設特許ノ件」
「軌道敷設特許状並命令書交付報告ノ件」
「軌道敷設特許状並命令書ニ対スル請書進達ノ件」
「会社設立届」
「電気事業法ニ依ル許可通牒ノ件」
「会社設立登記完了報告ノ件」
「軌道工事施行認可申請期限延期ニ関スル件」
「減資登記完了届ノ件」
「会社譲渡ニ関スル書類不備ニ付詮議留保方上申ノ件」
「商業登記届ノ件」
「本社本店所在地変更並現在役員届出ノ件」
「起業目論見変更並工事施行ノ件」
「商業登記届ノ件」
「定款及重役変更ノ件」
「軌道工事着手届進達ノ件」
「商業登記変更届ノ件」
「会社解散決議並起業廃止ノ件」
「特許状及命令書返納ノ件 」

 つまり、宝塚と有馬温泉を結ぶという観光的色彩の強い路線で、起業目論見の変更があるので、途中の経過地の変更があったようで、特許時と起業廃止時の距離が若干ずれています。『地方鉄道要覧 昭和8年度版』では距離は13.28kmでした。
 未成に終わった理由は不明ですが、昭和初期の不況期があったことや、線形が案外と厳しかったのではないかというようなことが考えられそうです。

参考文献
鉄道省の統計資料
『地方鉄道要覧 昭和8年度版』 鉄道省
温根湯軌道(北海道)

 留辺蕊という場所から林鉄絡みのように思えますが、温根湯温泉が鉄道線から離れていますから、駅と温泉街の連絡が目的だったように感じられます。

(経緯)
19280315 特許 常呂郡留辺蕊町地内 9.66km/762mm/瓦斯倫
19281125 名称変更(届出) 温根湯温泉軌道→温根湯軌道
19361109 特許取消(官載) 常呂郡留辺蕊町地内 9.66km/762mm/瓦斯倫

 国立公文書館に鉄道省文書はありますが、件名を検索できませんのでどんな内容のものがあるのかわかりません。
 特許を得た後に商号変更がありましたが、その他には大きな動きはなかったようです。

参考文献
鉄道省の統計資料
大野電軌と函館水電(北海道)

 昭和初期に函館近郊で郊外電車的な特許が2つありました。一方は函館市電の前身の函館水電のものですが、函館市の郊外へ線路を延ばすことが共通していますので、そちらも併せて紹介します。
 最初は大野電軌のものです。

大野電軌→大函急行電鉄→函館急行鉄道
(経緯)
19281020 特許 函館市海岸町〜亀田郡大野村 16.39km/1372mm/電気
19300205 名称変更 大野電軌→大函急行電鉄
19360316 名称変更 大函急行電鉄→函館急行鉄道
19370125 失効(官載) 函館市万代町〜亀田郡大野村 16.94km/1067mm/重油及瓦斯倫

 区間・距離や軌間と動力まで変更されていますが、統計資料には誤植もありますので、実際にこれらが全て変更になったのかどうかは不明です。国立公文書館の鉄道省文書も、1930年以前の文書は少ないようです。
 この間の特許の状況を『地方鉄道要覧 昭和8年度版』で確認しますと

 万代町〜亀田村 1.80km/1067mm/電気
 亀田村〜大野村 15.24km/1067mm/電気

というものでした。ですので、建設費がより低廉で済むように電化もあきらめたが、結局は失効となってしまったという流れもあり得たでしょう。実際には確認すべきことがまだ残るということです。

 函館水電のものは上磯へのもので、途中で帝国電力への名称変更はありましたが、特許自体は変化無く起業廃止としてしまったようです。

函館水電→帝国電力
19310714 特許 函館市亀田村〜上磯郡上磯町 7.47km/1372mm/電気
19290801 名称変更 函館水電→帝国電力
19370223 起業廃止(官載) 函館市万代町〜上磯郡上磯町 7.47km/1372mm/電気

参考文献
鉄道省の統計資料
『地方鉄道要覧 昭和8年度版』 鉄道省
大迫軌道(岩手県)

 1935年度にはいくつかの馬力軌道が失効や起業廃止となっているのですが、大迫軌道もそのなかの1つでした。

(経緯)
19240324 特許 稗貫郡好地村〜同郡大迫町 7m40c/762mm/馬力
19350621 起業廃止(官載) 岩手県大迫町〜好地村 12.07km/762mm/馬力

 距離はマイルの方が若干長いのですが、大きな違いはありません。
 国立公文書館の鉄道省文書ですが、特許の後起業廃止までの間の文書がほとんどありません。これは残っていないというよりも、あまり動きがなかったと見ていいような感じです。

参考文献
鉄道省の統計資料

新町軌道(福島県)

 1935年度に起業廃止した、けっこう長距離の馬車軌道計画でした。
(経緯)
19271213 特許 田村郡小野新町〜双葉郡川内村 33.01km/762mm/馬力
19360227 起業廃止(官載) 田村郡小野新町〜双葉郡川内村 33.01km/762mm/馬力

 国立公文書館の鉄道省文書を検索してみますと、区間はより具体的には牛渕〜大根森となるようです。牛渕という地名は検索できませんでしたが、大根森は川内村大字上川内字大根森でしたので、磐越東線の小野新町駅からですと東へ山越えをするという、結構険しいルートです。ですので、林産と関係があるような気がします。
 また、新町商事と合併したという文書もあるのですが、起業廃止は新町軌道となっていますので、もともと新町商事=新町軌道といえるような関係の会社かなという気がします。

参考文献
鉄道省の統計資料
由仁軌道(北海道)

 北海道の蒸気軌道計画ですが、実質的には蒸気鉄道に近い計画だったろうと思います。

19260506 特許 夕張郡由仁村〜同郡長沼村 5m10c/762mm/蒸気
19290611 失効(官載) 由仁〜同起点三分 0.30km/1067mm/蒸気
19300717 特許 由仁村地内 0.30km/1067mm/蒸気
19360319 特許取消(官載) 由仁村〜長沼村 10.76km/1067mm/蒸気
19360319 失効(官載) 由仁村地内 0.30km/1067mm/蒸気

 由仁村ですが、室蘭本線の由仁駅付近が起点だろうと思います。ところが、1929年に僅かな区間ですが、「実施設計の認可申請を為さざる為め」失効しています。そのため、翌年度にその区間の特許を取り直したようですが、1926年度の特許の時点では762mm軌間で計画していたものが、1929年度の失効以降では1067mm軌間に変わっています。おそらくは特許を得た後に目論見の変更をしているのだろうと思いますが、そのあたりの文書は残っていないようです。
 こうして、いったん失効となった区間もどうやら特許の再取得に成功したようですが、結局は線路がしかれることはなく終わっています。

参考文献
鉄道省の統計資料
中原軌道→原釜電気軌道→相馬鉄道(福島県)

 原釜という地名は漁業では知られた地名でしょう。福島県の漁港としては第2の規模を持ち、近年ではタコの水揚げでは全国トップということです。
 そういった漁港地区と常磐線を結ぼうという計画が中原軌道の計画だったようです。ただ、この会社の公文書は中原軌道で1つ、相馬鉄道として2つあるだけで、実態がつかみにくい軌道だともいえます。

(経緯)
19230402 特許 相馬郡中村町〜同郡松ヶ江村 2m51c/762mm/蒸気
19250201 商号変更 中原軌道→原釜電気軌道
不明 商号変更 原釜電気軌道→相馬鉄道
19350815 特許取消 中村町地内 4.25km/762mm/蒸気

 統計資料から見る限り、当初の蒸気動力は電気に変更したのだろうと思います。ただし、その後も計画は進展せずに、おそらくは1935年度に入ってから再度商号変更を行ったのではないでしょうか。少なくとも1932年度までは原釜電気軌道の商号であったことは、『地方鉄道要覧 昭和8年度版』では確認しています。しかし、1935年度7月26日作成の鉄道省文書で「起業目論見書記載事項変更並工事施行願却下の件」というのがありますから、相馬鉄道への変更などは公式には認可されていなかったのかもしれません。
 ともかくも、結局は「指定ノ期限内ニ工事施行ノ認可申請ヲ為サザル為」、特許が取り消しとなってしまいました。

参考文献
鉄道省の統計資料
『地方鉄道要覧 昭和8年度版』 鉄道省
鳥海軌道(三浦文吉)→鳥海軌道(株式会社)→矢島軌道→矢島鉄道(秋田県)

 1935年度に失効となった矢島鉄道も、1921年から久しく特許を持っていた計画でした。ただ、こちらは横荘鉄道と矢島町を結ぶ計画で、失効の後、ほどなく矢島線(現在の由利高原鉄道)が矢島に至っていますので、初期の目標が達成される目途が立ったので失効させたように感じられます。

19210913 特許 由利郡東滝沢村前郷〜同郡矢島町矢島 6m34c/2'5"/馬力
19240401 譲渡(実施) 鳥海軌道(三浦文吉)→鳥海軌道(株)
19241004 商号変更 鳥海軌道→矢島軌道
19260926 商号変更 矢島軌道→矢島鉄道
19350807 失効及び特許取消(官載) 秋田県鮎川村〜矢島町 13.92km/762mm/蒸気

 さて、鳥海軌道などの公文書は、内務省文書として建設省から国立公文書館に移管されていました。
 それによれば、鳥海軌道としての文書では、会社組織にしたこと以外の内容は多くなさそうです。
 矢島軌道となってからいくつかの動きがありましたが、1925年09月09日作成文書で「残区間工事施行認可申請期限延期の件」というのが先ずありました。これは特許の一部区間は工事施行認可をしていたということになりますが、失効した時点で起点の黒沢付近と終点の矢島付近が工事施行認可線ではありませんでしたので、起点と終点部分の工事施行認可を待っていて欲しいという文書でしょう。
 動力変更がいつの時点か未確認ですが、商号を軌道から鉄道に変更したころにそういった動きもあったように思われます。1926年01月27日に「軌道を地方鉄道に変更認可申請書依願返付の件」という文書があり、これは申請を取りやめた文書にはなりますが、動力が馬力のままでは鉄道とすることはありませんから、この前後に動力変更はされているのではないでしょうか。
 しかし、1928年05月22日作成の文書以降、文書は散発的になます。これは矢島線建設の動きとからんでということなのでしょう。そして、1935年07月05日に「秋田県知事発 地方鉄道法第三十六条に依る損失補償方申請書 内務大臣宛」という文書があります。矢島鉄道の場合は開業線ではなく、未成の並行線ですが、これも補償対象となり得ますので、矢島線の開業に伴う補償ということになります。そして1938年度の内閣・総理府文書に第七三回帝国議会東北振興関係請願委員会議録での「矢島鉄道補償に関する件(衆)」という文書があって、これを最後に矢島鉄道関係の文書が終わっていますので、ここで補償に関する決定がなされて、矢島鉄道の始末がついたということだったのでしょう。
児島軌道(岡山県)

 もう一つのトピックの「幻の軌道 申請却下編」に児島軌道の文書が紛れ込んでいましたので、そこを取り上げてみます。

経緯
19260318 特許 児島郡宇野町〜同郡味野町 11m10c/762mm/瓦斯
19271117 失効官載 児島郡宇野町〜同郡味野町 17.90km/762mm/瓦斯

 「工事施行認可申請ヲ為サゞル為」、あっさりと失効になったという感じです。路線としては宇野線と下津井鉄道を結ぶような感じでしょうか。
 公文書ですが、鉄道省文書としては3件検索できました。

「宇野町、味野町間軌道敷設特許の件」 19260318
「特許失効の件」 19271029
「敷設特許状返納の件」 19271208

 ところが、「軌道・雑・岡山県・(大13.9.22〜昭6.4.9)」にも

児嶋軌道特許失効の件 19271109

も紛れ込んでいたというわけです。同様の文書がありますが、作成の日付が違いますから中身が微妙に違うのかもしれません。

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