ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

富士高応援団コミュの☆歴代応援団員の回想☆

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ここで,歴代の応援団のやつの17歳バトンを紹介します.
それぞれ日記から抜粋しました.
(中野・向山,了承してね)
ちょっと長いけど,きっとアツい想いは伝わると思います☆


*****平成12年度 応援団長 金子公亮*****

■17歳の時何してた?
17歳.高校2年から高校3年にかけての時期.
間違いなく人生で一番アツく,燃えてた時期.
とにかくガムシャラに生きてた.
高校2年の夏が終わって,3年の先輩が引退して引き継ぎの時,
当時の団長に俺と岩間のどちらかを団長にすると言われ,
迷わず「俺がやります」と立候補した.
とにかく自信があった.
俺にしか出来ないとすら思ってた.
古くさい応援団をぶっ壊してやりたいと思った.

高校生とはいえ,全責任が自分にあるという状況.
常に不安と共に生きてた.
でも,俺には同じ志を持った仲間がいた.
だから,ただひたすらに頑張った.

団長になって初めての発表会.
死ぬほど練習した.
練習で,何度も意識を失いそうにもなった.
でも,一切妥協を許さなかった.
発表会当日,一番の見せ場「勝利の拍手」
これで手が使えなくてもいいって心の底から思った.
魂を込めて太鼓を叩いた.....
会場が圧倒されてるのがわかる.
俺自身,納得のいく出来だった.
でも,反省の時,当時2年だった森がサブをミスったことを
悔やみ,悔やみきれず泣いてた.
俺は心を動かされた.
応援は一人で出来るもんじゃない.
一人一人が最高のモノを出して初めて俺等の目指す本当の応援が出来るんだと,改めて実感した.
この経験が俺等の団結力をさらに深めた.

高校3年になり,4月・7月の新入生の応援練習.
こいつ等に応援の楽しさを伝えてやりたい一心で
心でぶつかってった.
奴等は応えてくれた.
最後の練習で,全員で肩組んで歌った「勇魂の風」
最高だった.
こいつ等と絶対甲子園行くって心に誓った.

地区大会当日,野球部の奴等に挨拶に行く.
「俺等がお前等を絶対甲子園連れてってやるから」
そう約束した.
もう迷いはなかった.

地区予選2回戦目.
9回ウラ,3点差.
でも誰も諦めてなかった.
応援団だけじゃない.生徒の誰もが勝つって信じてた.
そんな気持ちに後押しされて,
俺等3年全員で「チャンス」を踊った.
スタンドのアツい気持ち腕に込めて,ひたすら突いた.
突いて突いて突きまくった.
何も考えてなかった.
ただ「ここで負けるわけにはいかねぇ!!」って.
ただ,それだけ.
身体なんてどうなってもいいって思った.
ただただ,勝ちたい.
それだけだった.

チャンスを何回踊った時だろう.
奇跡は起きた.
4番の直樹が打ったボールがきれいな放物線を描いて
スタンドに吸い込まれていった.

ざわめくスタンド.
一瞬何が起こったかわからなかったが,
顧問が一番に駆け寄ってきて「金子やったぞ!同点だ!!」

鳥肌がたった.
想いは通じた.
もうやるしかない!!
みんなの気持ちが一つになった瞬間だった.

結果,延長10回逆転負け.
終わった....
悔しかった.ただただ悔しかった.

学校に帰って,野球部の奴等と握手を交わす.
自然と手に力が入る.
野球部に言われた一言.

「お疲れさん」

死ぬほど嬉しかった.
最高の褒め言葉だった.

俺らの3年間は終わった.
不思議とすがすがしい気持ちになった.

■17歳の時何考えてた?
どう,応援団を変えるか.
どう,一般生徒に応援の楽しさを伝えるか.
どう,気持ちを応援という形で具現化させるか.

毎日が自問自答の日々だった.
ただガムシャラに突っ走ってた.

■17歳の時やり残したことは?
あの応援団であの野球部を甲子園に連れて行ってやりたかった.
 
■17歳に戻るとしたら?
また,団長としてスタンドに立ちたい.
今度こそ甲子園に行く!


みんなと一つの目標に向かって
ただひたすら突っ走って,
いっぱい笑って,泣いて,
感情を共有できた,あの頃は
毎日がキラキラしてて,俺の人生の最高の宝物です☆

中野,岩間,辻,駒井さん,遠藤,森,小糸,飯島
ふがいない俺を最後まで信じて,
ついてきてくれてホントありがとう.
俺がここまで頑張れたのもお前等がいたからです.
ホントにありがとう.

俺は富士高が大好きだぁ!!


*****平成12年度 応援副団長 中野雄介*****

■17歳の時何してた?
高校2年生から高校3年生というまさに青春時代真っ只中にいました!!
おれの人生で間違いなくもっとも熱い時期でした!!!
応援団にすべてをかけていました。
ってか、ここからは応援団の仲間へ向けて書きます!
他の人はわかんないと思うけどごめん!!

五校応援発表会では、練習しすぎて何度も倒れた。
前の日の最後の反省で、遠藤の熱い気持ちに打たれ
皆でわけもわからず泣いたよな。。。
あんな気持ちになったのは初めてだった。
援団の一体感がより強くなったよな!!!
森が本番で一度だけ間違えて、終わった後の反省で
悔しくて悔しくてずっと泣いていた姿が目に焼き付いてるよ。
あいつは強くなるな!!!って思った。

あと1年応援練習の最後もすごい思い出深いよな〜!!!
野球応援前で体育館に全員集めてさ〜!
最後に全員で肩組んで勇魂をうたったよな!!!
ものすごい一体感だった!!!本当に感動した!
あの時の一年生は男も女もみんな元気なあほなやつらばっかだったな。。。
野球応援本番はあいつらの笑顔にほんと助けられた。。。

そしてクライマックスはやっぱ野球応援だった!!!!!
野球応援前日に青空の下で、団旗囲んで円になって肩くんで
みんなで校歌歌ったよな〜!!!!
なんであんなに楽しかったんだろうな!!!??(笑)
本番、2回戦の9回表、3点差で負けてるときに
絶対勝つんだ!!!!!って、3年全員でチャンスを
何十回もやったよな!!!もう手の感覚がなかった。。。
気力だけで突いてた!!!
その時、ものすごい快音が響いた!!!
直樹が打った球の軌道が外野スタンドに吸い込まれていった!!!
大歓声がこだましたけど、
何が起こったのかわかんなくて、
稲葉先生が『中野!!!同点に追いついたぞ!!!』
って教えてくれたとき、うれしすぎて涙が込み上げてきた!!!
次の瞬間、生徒たちみんながものすごい勢いで抱きついてきた!!!
あのときの球場の富士高全体のものすごい熱気、
そして感動は一生忘れない!!!
間違いなく俺達はものすごい熱い夏の真っ只中にいたんだ!!!

■17歳の時何考えてた?
う〜ん、先のことは考えずただがむしゃらに毎日を精一杯生きていました!
高3の体育祭で応援団長をまかされたとき、
300人以上の生徒たちを自分が引っ張っていけるか
不安で仕方ありませんでした。
毎朝一年生の教室に乗り込んで教卓の上に立ってみんなで
応援歌を叫んだり、運動場に何百人も集めて必勝コールの
練習したり、野球部と応援団で団結を誓い合ったり、
有志のこらやチアガール達と応援合戦の練習したり、
テンションがあがりすぎて電信柱をのぼって叫んだり(笑)
もちろん応援団の仲間達と激をとばしあったり。。。
不安をなくすため、すべての人との団結を高めようと
日々奮闘し、熱い時間は一気に過ぎ去っていきました。。。
そして自分の人生の最初の転機となった体育祭3日前☆
体育祭の練習の後、応援練習をするため赤軍300人を集めました!!!
もうやるしかないんだ!!!っと思い、勇気を振り絞り、
ものすごいテンションで
『みんなおれについてこい!!!!!すべての人が楽しくて
楽しくてしょーがねー応援をつくるから!!!!!』
っっっと自分の熱い気持ちをみんなにぶつけました!!!
そのときの皆の盛り上がりと笑顔は絶対に忘れられません。。。
その時初めて、
頑張って精一杯努力すれば、できないことなんて何もないんだ!!!
と思ったんです!!!
この考えがおれの原点です(≧∀≦)
体育祭は大成功でした!!!
楽しすぎて、この場で死ねたらどんなに幸せなんだろうと思いました!!!
みんなに支えられました。
あの時自分を支えてくれたすべての人達に心から感謝しています!
そんな楽しすぎる思い出ばっかりだから富士高が今でも
大好きなんだろうなぁ。。。

■17歳の時やり残したことは?
まったくありません!!すべてやりつくしました。
完全燃焼です(≧∀≦)
 
■17歳に戻るとしたら?
すべての生徒と仲良くなって熱い気持ちを共有したい!!!


*****平成15年度 応援団長 向山剛礼*****

■17歳のとき何してた?
17歳というと高校の2年から3年までだねぇ〜。
俺もゆーすけさんと同じくまさに青春真っ只中!応援以外のことは何にもしてなかった!また、ただ応援だけに一生懸命になれた!そんな美しい時代。だから俺も応援のことしかきっと書けないと思う。
関係者じゃな人には、きっとありきたりな青春話に感じると思うけど、でも、今の自分のあり方を問いただす意味でも、素直にあのころを思い出して書こうと思ってます。

二年の後半、七票集めて俺が団長になった。その時の二年が七人、つまり俺も俺に入れてた。一年のころから誰にも負けないつもりでやってきて、実際自信があった。でも言われて何かをやるんじゃなくて、全部自分で決めてやるって言うのは結構つらいモノがあって、最初は全然うまくやれなかった。だから、自分の行動とか言動とかに説得力つけようって狩野と思想系の本とか読んでたのを覚えてる。
五校応援発表会では、やっぱり勝利の拍手が印象的で、センターが堀田で太鼓が俺で、二人で息を合わせようって、昨年を超えるモノをつくろうって、何べんも繰り返し練習した。11月にはいって本番まであと少しってところで堀田が腰を痛めて、そのままの状態で本番に臨むことになったけど、やっぱり俺は堀田のことがなんやかんや心配で、自分の気持ちを、気合をあいつにブチ込んでやろうって必死に太鼓鳴らしてた。俺がトップとして一番頑張ってたかって言うとあんまり自信がなくて、あの時は堀田が一番だったと思う。

三年になってからは一年応援練習→野球応援。
あのときの一年は本当に良くやってくれたと思う。最高だった。入って間もない応援団のヤツも一般の一年の生徒たちも、男子も女子も、最後にはみんなで肩組んでバカみたいに一生懸命に勇魂の風叫んで!・・・これがあるから富士高は最高なんだ!勉強なんてそんなたいしたことじゃない!てめぇの学校のスクールカラーだとかアイデンティティにプライドもって仲間と団結して一生懸命になれる!・・・そうだよ俺はこれでいいんだ、この最高の生徒たちを引っ張って今年こそは甲子園行ってやる!って本気で思えた。

平成15年度の富士高はなんと開幕戦で、うん、いいムードだった。開会式から出張って長い長い一回戦目だった。序盤からリードしてて、点が入るたびに全学年で肩組んで勇魂の風唄って、熱い熱いその日は、そのまま富士高の勝利。最高だった。初めて野球応援に参加する一年に勝ちの喜びを感じさせてあげられて本当に良かった。(←ここが団長ってヤツのヤなところで、終わってもいないのに一年をどう残していくかもう考えてる。)
二回戦は一回戦と違って追っかけるゲーム。9回でも差が縮まらなかった。最後9回の攻撃で三年7人全員でセンター張った。チャンス富士高やりながら現役でセンター張るのもこれで最後か!と思うと堪らない・・・。
・・・負けた。
本当にただ夢から覚めたみたいだった。悔いはなかったと思う。今はあの時あの場所に戻りたいともあまり思わない。

野球応援の後は何もない。受験して今の大学に受かった。

■17歳のとき何を考えてましたか
応援団のこと。
どうやったらもっと技がうまくなるかとか、または教えられるかとか。
あと一応団長だから、こうゆう授業外活動の教育的意味とか期待される効果とか。存在意義とか、どこに15年度らしさを求めるかとか、どうやったら、もっと生徒に愛される応援団になるかとか・・・。
他には何もない。他のものにはもっと別の価値があったんだろうと思うけど興味がなかった。

■17歳のときにやり残したことは?
何もない。

■17歳に戻れるとしたら?
別に戻りたいと思わないけど・・・もし戻っても同じことをやりたいと思う。
同じように偶然に応援団に入って、そこに遠藤先輩がいて、同期は同じ7人で、同じように素晴らしい富士高生と一緒にありたい。

コメント(2)

じっくり読ませてもらいました。

直接、指導したり応援に駆けつけた経験はあまりありませんが、
自分が経験したような思いを後輩たちも経験してくれたことが
単純にとても嬉しいです。

仕事中なんですが(笑)、なんかエネルギーもらいました。ありがとう!
>大森先輩
コメントありがとうございます☆
しかも,仕事中に.....(笑)

きっと大森さんが団長の時も
同じくらいアツかったんでしょうね.
今度一緒に語りたいですね☆

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

富士高応援団 更新情報

富士高応援団のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング